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'''アキシマクジラ'''(昭島鯨、[[学名]]: ''Eschrichtius akishimaensis'')は、[[哺乳綱]][[偶蹄目]]コククジラ科{{efn|または[[ナガスクジラ科]]。}}コククジラ属に近似するクジラの[[化石]]。1961年(昭和36年)に[[東京都]][[昭島市]]の[[多摩川]]河川敷で発見され、2018年(令和元年)新種認定された。
'''アキシマクジラ'''(昭島鯨、[[学名]]: ''Eschrichtius akishimaensis'')は、[[哺乳綱]][[偶蹄目]]コククジラ科{{efn|または[[ナガスクジラ科]]。}}コククジラ属に近似するクジラの[[化石]]。1961年(昭和36年)に[[東京都]][[昭島市]]の[[多摩川]]河川敷で発見され、頭部の特徴などが現生のどのクジラ類も異なることから、出土地の地名をとって「アキシマクジラ」と命名された。

2010年代に改めて調査が行われ、2018年(令和元年)に新種と認定された。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 化石発見 ===
=== 化石発見 ===
1961年(昭和36年)8月20日、市内のJR[[八高線]][[多摩川橋梁 (八高線)|多摩川橋梁]]付近で[[化石]]が発見された<ref name=昭島市2018,p5>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=5 |isbn=}}</ref>。八高線鉄橋から東へ36メートルの多摩川の川底から出土したという<ref>{{Cite book|和書|author= |title=昭島市史 |publisher=昭島市 |date=1978 |page=55 |isbn=}}</ref>発見者は、当時、[[昭島市立玉川小学校]]の教諭だった故・[[田島政人]]とその長男で当時4歳だった田島芳夫である<ref name=昭島市2018,p1>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=1 |isbn=}}</ref>。夏休みに親子で化石採取や飯盒炊さんを楽しむために多摩川河川敷を訪れていたという。この場所では20~30年前から砂利を採取するために砂利穴が掘り下げられていたため、川底は第三紀鮮新世の地層が露出していた場所だった<ref name=昭島市2018,p56>{{Cite book|和書|author= |title=昭島市史 |publisher=昭島市 |date=1978 |page=56 |isbn=}}</ref>。川底の中位粒子の砂岩に、直径20センチメートルぐらいの動物化石骨が、約10メートルの範囲に点々と多数散在しているのを視認したのがはじまりであった<ref name=昭島市2018,p56/>。アキシマクジラは、貝やサメの歯の化石とともに発見された<ref name=昭島市2018,p1/>。
1961年(昭和36年)8月20日、市内のJR[[八高線]][[多摩川橋梁 (八高線)|多摩川橋梁]]付近で[[化石]]が発見された<ref name=昭島市2018,p5>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=5 |isbn=}}</ref><ref name=昭島市2004,p22>{{Cite book|和書|author= |title=昭島の歴史 |publisher=昭島市教育委員会 |date=2004 |page=22 |isbn=}}</ref>。八高線鉄橋から東へ36メートルの多摩川の川底から出土したという<ref>{{Cite book|和書|author= |title=昭島市史 |publisher=昭島市 |date=1978 |page=55 |isbn=}}</ref>発見者は、当時、[[昭島市立玉川小学校]]の教諭だった故・[[田島政人]]とその長男で当時4歳だった田島芳夫である<ref name=昭島市2004,p22/><ref name=昭島市2018,p1>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=1 |isbn=}}</ref>。夏休みに親子で化石採取や飯盒炊さんを楽しむために多摩川河川敷を訪れていたという<ref>{{Cite book|和書|author=田島政人 |title=アキシマクジラ物語 |publisher=けやき出版 |date=1994 |page=11 |isbn=}}</ref>。この場所では20~30年前から砂利を採取するために砂利穴が掘り下げられていたため、川底は第三紀鮮新世の地層が露出していた場所だった<ref name=昭島市2004,p22/><ref name=昭島市1978,p56>{{Cite book|和書|author= |title=昭島市史 |publisher=昭島市 |date=1978 |page=56 |isbn=}}</ref>。川底の中位粒子の砂岩に、直径20センチメートルぐらいの動物化石骨が、約10メートルの範囲に点々と多数散在しているのを視認したのがはじまりであった<ref name=昭島市1978,p56/>。露出してから発見されるまでの時間は、大雨で川が増水するなどにより浸食されていないことから、ごくわずかな間であったと考えられている<ref name=昭島市2018,p2/>。アキシマクジラは、貝やサメの歯の化石とともに発見された<ref name=昭島市2018,p1/>。


=== 調査研究 ===
=== 調査研究 ===
本格的な発掘調査は8月29日から9月3日にかけて行われ<ref name=昭島市2018,p56/>、復元も含めた全ての作業は1962年(昭和37年)8月23日までに完了し、12月中旬の3日間一般公開された<ref name=昭島市2018,p5/><ref name=昭島市2018,p1/>。一部欠損や破損もあるものの、化石はほぼ全身にわたる70個以上が発見された<ref name=昭島市2018,p1/>。
本格的な発掘調査は8月29日から9月3日にかけて行われ<ref name=昭島市1978,p56/>、一部欠損や破損もあるものの、化石はほぼ全身にわたる70個以上が発見された<ref name=昭島市2018,p1/>。
同種類のクジラは他に見つかって、[[和名]]「アキシマクジラ」と命名され、1963年(昭和38年)日本古生物学会総会で報告された<ref name=昭島市2018,p5/>。当初はおよそ500万年前の化石と推定されていたが、[[地質学]]の進歩により2000年(平成12年)に160万年前のものであると改められた<ref name=昭島市2018,p5/>。
国立科学博物館の尾崎の鑑定によりクジラの化石と確認され<ref name=昭島市2004,p22/>、同種類のクジラは他に見つかっていないことから、[[和名]]「アキシマクジラ」として、1963年(昭和38年)日本古生物学会総会で鯨類研究所の西脇が命名し<ref name=昭島市2004,p22/>、報告た<ref name=昭島市2018,p5/>。命名者については、尾崎の命名であるとする説もある<ref name=アキシマクジラ,p2>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 遠いむかし昭島は海でした |publisher=昭島市教育委員会 |date= |page=2 |isbn=}}</ref>。当初はおよそ500万年前の化石と推定されていたが、[[地質学]]の進歩により2000年(平成12年)に160万年前のものであると改められた<ref name=昭島市2018,p5/>。昭島市付近一帯や多摩丘陵が太平洋の海底であった時代を如実に示す地質学上の貴重な資料とされる<ref name=昭島市1978,p58/>。
復元は国立科学博物館の技師・本多の指導で行われ<ref name=昭島市2004,p22/>、全ての作業は1962年(昭和37年)8月23日までに完了し、12月中旬の3日間一般公開された<ref name=昭島市2018,p5/><ref name=昭島市2018,p1/>。


100万年以上前のクジラの全[[骨格]]がほぼ完全な形で発掘されたのは世界初の事例であり、非常に貴重な資料として、1964年(昭和39年)4月[[国立科学博物館]]に研究のために貸し出され[[新宿]]分館に収蔵された<ref name=昭島市2018,p5/>。1966年(昭和41年)、『アキシマクジラ調査概要』が発表された<ref name=昭島市2018,p5/>。
100万年以上前のクジラの全[[骨格]]がほぼ完全な形で発掘されたのは世界初の事例であり、非常に貴重な資料として、1964年(昭和39年)4月[[国立科学博物館]]に研究のために貸し出され[[新宿]]分館に収蔵された<ref name=昭島市2018,p5/>。1966年(昭和41年)、『アキシマクジラ調査概要』が発表された<ref name=昭島市2018,p5/>。


=== 昭島市民の反応 ===
1973年(昭和48年)、昭島市では「第1回市民納涼の集い」を開催し、アキシマクジラを再現した全長15メートルの巨大なくじらバルーンがパレードで披露された<ref name=昭島市2018,p5/>。この納涼の集いは、後年「昭島市民くじら祭」と改称され、2020年代現在も毎年開催されている。2004年(平成16年)には昭島市制50周年を記念し、市民オペラ「昭陽-いさな」が上演された<ref name=昭島市2018,p5/>。いさなはクジラを意味する古語である<ref name=昭島市2018,p5/>。
1973年(昭和48年)、昭島市では「第1回市民納涼の集い」を開催し、アキシマクジラを再現した全長15メートルの巨大なくじらバルーンがパレードで披露された<ref name=昭島市2018,p5/>。この納涼の集いは、後年「昭島市民くじら祭」と改称され、2020年代現在も毎年開催されている。2004年(平成16年)には昭島市制50周年を記念し、市民オペラ「昭陽-いさな」が上演された<ref name=昭島市2018,p5/>。いさなはクジラを意味する古語である<ref name=昭島市2018,p5/>。


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== 形態・生態 ==
== 形態・生態 ==
[[File:Eschrichtius akishimaensis アキシマクジラのレプリカ(頭部).jpg|thumb|Eschrichtius akishimaensis アキシマクジラのレプリカ(頭部)]]
外観や習性は[[コククジラ]]とほぼ変わらなと推定されている<ref name=昭島市2018,p5/>。コククジラは口先で海底の砂を掘り、砂ごと餌を吸い上げてから餌以外のものを吐き出す食べ方をするが、その際に身体の右側を下にする個体が多いことから「右利きのクジラ」という<ref name=昭島市2018,p5/>。
発掘された個体は全長約16メートル<ref name=昭島市1978,p56/>。頭骨の右半分がほぼ完全な状態で出土しており、その形は細長く、目の位置が後頭部から3分の1くらいの位置にあり、眼の周りの骨の形状や出っ張り具合、眼の上部に深い凹みがあること、後頭部が短く丸いことなどが、現生の他のクジラ類とまったく異なる<ref name=昭島市1978,p57>{{Cite book|和書|author= |title=昭島市史 |publisher=昭島市 |date=1978 |page=57 |isbn=}}</ref>。しいて比較すれば[[コククジラ]]に最もよく似ているが<ref name=昭島市1978,p56/>、頭部についた上顎骨の角度がコククジラは急角度であるものが、アキシマクジラは緩やかである点が異なる<ref name=昭島市1978,p57/>。顎骨はコククジラやナガスクジラと近似する<ref name=昭島市1978,p57/>。

現生のクジラ類と大きく異なる最大の特徴は前述の頭部にあるが、肋骨にも特徴があり、第一肋骨でみると、アキシマクジラは幅広く、反りが強く、先端は外側から切ったように丸みを帯びている点が、現生のクジラ類とまったく異なる<ref name=昭島市1978,p57/>。その他、肩甲骨の形状も現生のクジラ類に似る部分がないが<ref name=昭島市1978,p57/>、腕骨は[[コクジラ]]や[[イワシクジラ]]と近似する<ref name=昭島市1978,p58>{{Cite book|和書|author= |title=昭島市史 |publisher=昭島市 |date=1978 |page=58 |isbn=}}</ref>。

外観や習性はコククジラとほぼ変わらなかったと推定されている<ref name=昭島市2018,p5/>。コククジラは口先で海底の砂を掘り、砂ごと餌を吸い上げてから餌以外のものを吐き出す食べ方をするが、その際に身体の右側を下にする個体が多いことから「右利きのクジラ」という<ref name=昭島市2018,p5/>。


== 発掘調査 ==
== 発掘調査 ==
[[File:Eschrichtius akishimaensis 化石.jpg|thumb|アキシマクジラの化石の一部(アキシマエンシス)]]
発掘調査は、多摩川河川敷JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36メートルの地点(緯度北緯35度41分41秒、経度東経139度21分48秒付近)を中心に行われた<ref>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=7 |isbn=}}</ref>。このアキシマクジラは浅瀬の穏やかな海底で、左側面を上にした状態で死んだと思われ、比較的早く堆積物が溜まって化石となったこと、地殻変動による分断や大きな温度変化に遭遇することなく圧力の影響を受けなかったことが、ほぼ全身の化石の発見につながった<ref>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=2 |isbn=}}</ref>。
発掘調査は、多摩川河川敷JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36メートルの地点(緯度北緯35度41分41秒、経度東経139度21分48秒付近)を中心に行われた<ref>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=7 |isbn=}}</ref>。このアキシマクジラは浅瀬の穏やかな海底で、左側面を上にした状態で死んだと思われ、比較的早く堆積物が溜まって化石となったこと、地殻変動による分断や大きな温度変化に遭遇することなく圧力の影響を受けなかったことが、ほぼ全身の化石の発見につながった<ref name=昭島市2018,p2>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=2 |isbn=}}</ref>。


昭島市の多摩川周辺では[[アケボノゾウ]]の足跡の化石や多摩川オオカミなどの骨格の化石、貝類の化石、貝類の[[生痕化石]](サンドパイプ)、[[メタセコイア]](和名アケボノスギ)の化石や炭化樹木などが出土している。
昭島市の多摩川周辺では[[アケボノゾウ]]の足跡の化石や多摩川オオカミなどの骨格の化石、貝類の化石、貝類の[[生痕化石]](サンドパイプ)、[[メタセコイア]](和名アケボノスギ)の化石や炭化樹木などが出土している。
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== 影響 ==
== 影響 ==
[[File:Eschrichtius akishimaensis アキシマクジラのレプリカを展示するアキシマエンシス国際交流棟.jpg|thumb|レプリカを展示するアキシマエンシスの国際交流教養文化棟]]
昭島市で、アキシマクジラは新種認定に先駆けて市民に親しまれ、街路灯(つつじが丘)、案内看板、マンホールの蓋、菓子や土鈴など様々な場面でアキシマクジラはシンボルとして活用されている<ref name=昭島市2018,p6>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=6 |isbn=}}</ref>。おもなものに以下のものがある。
昭島市で、アキシマクジラは新種認定に先駆けて市民に親しまれ、アキシマクジラのデザインは街路灯(つつじが丘)、案内看板、マンホールの蓋、菓子や土鈴、リフト付き自転車など様々な場面でシンボルとして活用されている<ref name=アキシマクジラ,p2/><ref name=昭島市2018,p6>{{Cite book|和書|author= |title=アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス |publisher=昭島市教育委員会 |date=2018 |page=6 |isbn=}}</ref>。おもなものに以下のものがある。
* 昭島市民くじら祭 - 1973年(昭和48年)に始まった「市民納涼の集い」で、初回からを巨大なくじらのバルーンがパレードに登場し、のちに「昭島市民くじら祭」と改称された<ref name=昭島市2018,p5/>。
* 昭島市民くじら祭 - 1973年(昭和48年)に始まった「市民納涼の集い」で、初回からを巨大なくじらのバルーンがパレードに登場し、1984年(昭和59年)に「昭島くじら祭」、2002年(平成14年)に「昭島市民くじら祭」と改称された<ref name=アキシマクジラ,p2/><ref name=昭島市2018,p5/>。
* くじら運動公園 - 化石が発見された付近の多摩川緑地に整備された<ref name=アキシマクジラ,p2/>。
* くじらロード商店会 - 商店街には「あきちゃん」「たまちゃん」と名付けられたクジラの石像がある<ref name=昭島市2018,p6/>。
* くじらロード商店会 - 商店街には「あきちゃん」「たまちゃん」と名付けられたクジラの石像がある<ref name=昭島市2018,p6/>。
* 拝島駅自由通路 - ステンドグラスでアキシマクジラを描く<ref name=昭島市2018,p6/>。
* 拝島駅自由通路 - ステンドグラスでアキシマクジラを描く<ref name=昭島市2018,p6/>。
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<references />
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==参考文献==
== 参考文献 ==
* 『昭島市史』昭島市、1978年
* 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年
* 『昭島の歴史』昭島市教育委員会、2004年
* 田島政人『アキシマクジラ物語』けやき出版、1994年
* 『アキシマクジラ 遠いむかし昭島は海でした』昭島市教育委員会、発行年不明
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== 外部リンク ==
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2024年5月18日 (土) 08:06時点における版

アキシマクジラ
アキシマクジラの模型
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 偶蹄目/鯨偶蹄目
和名
アキシマクジラ

アキシマクジラ(昭島鯨、学名: Eschrichtius akishimaensis)は、哺乳綱偶蹄目コククジラ科[注釈 1]コククジラ属に近似するクジラの化石。1961年(昭和36年)に東京都昭島市多摩川河川敷で発見され、頭部の特徴などが現生のどのクジラ類とも異なることから、出土地の地名をとって「アキシマクジラ」と命名された。

2010年代に改めて調査が行われ、2018年(令和元年)に新種と認定された。

歴史

化石発見

1961年(昭和36年)8月20日、市内のJR八高線多摩川橋梁付近で化石が発見された[1][2]。八高線鉄橋から東へ36メートルの多摩川の川底から出土したという[3]発見者は、当時、昭島市立玉川小学校の教諭だった故・田島政人とその長男で当時4歳だった田島芳夫である[2][4]。夏休みに親子で化石採取や飯盒炊さんを楽しむために多摩川河川敷を訪れていたという[5]。この場所では20~30年前から砂利を採取するために砂利穴が掘り下げられていたため、川底は第三紀鮮新世の地層が露出していた場所だった[2][6]。川底の中位粒子の砂岩に、直径20センチメートルぐらいの動物化石骨が、約10メートルの範囲に点々と多数散在しているのを視認したのがはじまりであった[6]。露出してから発見されるまでの時間は、大雨で川が増水するなどにより浸食されていないことから、ごくわずかな間であったと考えられている[7]。アキシマクジラは、貝やサメの歯の化石とともに発見された[4]

調査研究

本格的な発掘調査は8月29日から9月3日にかけて行われ[6]、一部欠損や破損もあるものの、化石はほぼ全身にわたる70個以上が発見された[4]。 国立科学博物館の尾崎の鑑定によりクジラの化石と確認され[2]、同種類のクジラは他に見つかっていないことから、和名「アキシマクジラ」として、1963年(昭和38年)日本古生物学会総会で鯨類研究所の西脇が命名し[2]、報告した[1]。命名者については、尾崎の命名であるとする説もある[8]。当初はおよそ500万年前の化石と推定されていたが、地質学の進歩により2000年(平成12年)に160万年前のものであると改められた[1]。昭島市付近一帯や多摩丘陵が太平洋の海底であった時代を如実に示す地質学上の貴重な資料とされる[9]。 復元は国立科学博物館の技師・本多の指導で行われ[2]、全ての作業は1962年(昭和37年)8月23日までに完了し、12月中旬の3日間一般公開された[1][4]

100万年以上前のクジラの全骨格がほぼ完全な形で発掘されたのは世界初の事例であり、非常に貴重な資料として、1964年(昭和39年)4月国立科学博物館に研究のために貸し出され新宿分館に収蔵された[1]。1966年(昭和41年)、『アキシマクジラ調査概要』が発表された[1]

昭島市民の反応

1973年(昭和48年)、昭島市では「第1回市民納涼の集い」を開催し、アキシマクジラを再現した全長15メートルの巨大なくじらバルーンがパレードで披露された[1]。この納涼の集いは、後年「昭島市民くじら祭」と改称され、2020年代現在も毎年開催されている。2004年(平成16年)には昭島市制50周年を記念し、市民オペラ「昭陽-いさな」が上演された[1]。いさなはクジラを意味する古語である[1]

2012年(2000年)3月、群馬県立自然史博物館に全化石を移送し、研究が再開された[1]。2018年(平成30年)1月にコククジラ類の新種として学名 Eschrichtius akishimaensis(エスクリクティウス・アキシマエンシス)の名で新種として記載された[10][1]

2020年(令和2年)3月に開館した市立図書館「アキシマエンシス」に、全身骨格レプリカと化石の一部が展示されている[11]

新種認定以降は、これにちなんだイベントやグッズ展開もさかんに行われ、昭島市を代表する生物となった[12]

形態・生態

Eschrichtius akishimaensis アキシマクジラのレプリカ(頭部)

発掘された個体は全長約16メートル[6]。頭骨の右半分がほぼ完全な状態で出土しており、その形は細長く、目の位置が後頭部から3分の1くらいの位置にあり、眼の周りの骨の形状や出っ張り具合、眼の上部に深い凹みがあること、後頭部が短く丸いことなどが、現生の他のクジラ類とまったく異なる[13]。しいて比較すればコククジラに最もよく似ているが[6]、頭部についた上顎骨の角度がコククジラは急角度であるものが、アキシマクジラは緩やかである点が異なる[13]。顎骨はコククジラやナガスクジラと近似する[13]

現生のクジラ類と大きく異なる最大の特徴は前述の頭部にあるが、肋骨にも特徴があり、第一肋骨でみると、アキシマクジラは幅広く、反りが強く、先端は外側から切ったように丸みを帯びている点が、現生のクジラ類とまったく異なる[13]。その他、肩甲骨の形状も現生のクジラ類に似る部分がないが[13]、腕骨はコクジライワシクジラと近似する[9]

外観や習性はコククジラとほぼ変わらなかったと推定されている[1]。コククジラは口先で海底の砂を掘り、砂ごと餌を吸い上げてから餌以外のものを吐き出す食べ方をするが、その際に身体の右側を下にする個体が多いことから「右利きのクジラ」という[1]

発掘調査

アキシマクジラの化石の一部(アキシマエンシス)

発掘調査は、多摩川河川敷、JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36メートルの地点(緯度北緯35度41分41秒、経度東経139度21分48秒付近)を中心に行われた[14]。このアキシマクジラは浅瀬の穏やかな海底で、左側面を上にした状態で死んだと思われ、比較的早く堆積物が溜まって化石となったこと、地殻変動による分断や大きな温度変化に遭遇することなく圧力の影響を受けなかったことが、ほぼ全身の化石の発見につながった[7]

昭島市の多摩川周辺ではアケボノゾウの足跡の化石や多摩川オオカミなどの骨格の化石、貝類の化石、貝類の生痕化石(サンドパイプ)、メタセコイア(和名アケボノスギ)の化石や炭化樹木などが出土している。


影響

レプリカを展示するアキシマエンシスの国際交流教養文化棟

昭島市で、アキシマクジラは新種認定に先駆けて市民に親しまれ、アキシマクジラのデザインは街路灯(つつじが丘)、案内看板、マンホールの蓋、菓子や土鈴、リフト付き自転車など様々な場面でシンボルとして活用されている[8][15]。おもなものに以下のものがある。

  • 昭島市民くじら祭 - 1973年(昭和48年)に始まった「市民納涼の集い」で、初回からを巨大なくじらのバルーンがパレードに登場し、1984年(昭和59年)に「昭島くじら祭」、2002年(平成14年)に「昭島市民くじら祭」と改称された[8][1]
  • くじら運動公園 - 化石が発見された付近の多摩川緑地に整備された[8]
  • くじらロード商店会 - 商店街には「あきちゃん」「たまちゃん」と名付けられたクジラの石像がある[15]
  • 拝島駅自由通路 - ステンドグラスでアキシマクジラを描く[15]
  • 東中神駅のベンチ - 多摩産材の木材を使用したホームのベンチに、アキシマクジラが焼き印で描かれている[15]
  • 郵便局の風景印 - 昭島駅前郵便局で使用されている印には、アキシマクジラが描かれている[15]
  • 小荷田の交番 - 交番の建物にアキシマクジラを描く[15]
  • 拝島橋歩行者通路 - タイル画の中央をアキシマクジラが飾る[15]。アキシマクジラを描いたタイル壁画は、緑町1丁目にもある[15]
  • ポケットパークの壁 - 玉川町4丁目の壁に、アキシマクジラをデザインする[15]

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ またはナガスクジラ科

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年、5頁。 
  2. ^ a b c d e f 『昭島の歴史』昭島市教育委員会、2004年、22頁。 
  3. ^ 『昭島市史』昭島市、1978年、55頁。 
  4. ^ a b c d 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年、1頁。 
  5. ^ 田島政人『アキシマクジラ物語』けやき出版、1994年、11頁。 
  6. ^ a b c d e 『昭島市史』昭島市、1978年、56頁。 
  7. ^ a b 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年、2頁。 
  8. ^ a b c d 『アキシマクジラ 遠いむかし昭島は海でした』昭島市教育委員会、2頁。 
  9. ^ a b 『昭島市史』昭島市、1978年、58頁。 
  10. ^ Kimura, T.; Hasegawa, Y.; Kohno, N. (2018-01-01). “A new species of the genus Eschrichtius (Cetacea: Mysticeti) from the Early Pleistocene of Japan”. Paleontological Research (Palaeontological Society of Japan) 22 (1): 1-19. doi:10.2517/2017PR007. 
  11. ^ アキシマクジラ昭島市ホームページ(2018年4月18日閲覧)
  12. ^ 57年前に化石発見「アキシマクジラ」…祝新種認定、地元でイベント『産経新聞』朝刊2018年4月15日・東京面(2018年4月18日閲覧)
  13. ^ a b c d e 『昭島市史』昭島市、1978年、57頁。 
  14. ^ 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年、7頁。 
  15. ^ a b c d e f g h i 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年、6頁。 

参考文献

  • 『昭島市史』昭島市、1978年
  • 『アキシマクジラ 学名:エスクリクティウス アキシマエンシス』昭島市教育委員会、2018年
  • 『昭島の歴史』昭島市教育委員会、2004年
  • 田島政人『アキシマクジラ物語』けやき出版、1994年
  • 『アキシマクジラ 遠いむかし昭島は海でした』昭島市教育委員会、発行年不明

外部リンク