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[[兵庫県]][[神戸市]]出身。[[1971年]]([[昭和]]46年)に[[兵庫県弁護士会]]に登録し弁護士となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://sashiireya.com/bengoshi/lawyer_13074.php|title=垣添 誠雄 弁護士|publisher=さしいれや|accessdate=2024-5-17}}</ref>。 |
[[兵庫県]][[神戸市]]出身。[[1971年]]([[昭和]]46年)に[[兵庫県弁護士会]]に登録し弁護士となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://sashiireya.com/bengoshi/lawyer_13074.php|title=垣添 誠雄 弁護士|publisher=さしいれや|accessdate=2024-5-17}}</ref>。 |
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[[1981年]](昭和56年)、[[尼崎市]]で暴力団抗争の巻き添えとなり女性が死亡した事件で、女性の母親である[[堀江ひとみ]]とともに組長の「使用者責任」を問う全国初の民事裁判を起こし、和解金を支払わせた。その後も、全国最大の暴力団である[[山口組]]が本拠を置く兵庫県内で |
[[1981年]](昭和56年)、[[尼崎市]]で暴力団抗争の巻き添えとなり女性が死亡した事件で、女性の母親である[[堀江ひとみ]]とともに組長の「使用者責任」を問う全国初の民事裁判を起こし、和解金を支払わせた。その後も、全国最大の暴力団である[[山口組]]が本拠を置く兵庫県内で暴力団追放を訴え続け、日本各地の暴力団追放運動に影響を与えた<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202206/0015348895.shtml|title=神戸新聞平和賞/地域の価値も高める挑戦|publisher=神戸新聞|accessdate=2024-5-17}}</ref>。 |
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[[2001年]]([[平成]]13年)の[[附属池田小事件]]では、遺族の代理人として国の安全管理責任を追及した<ref name=":0" />。 |
2024年5月16日 (木) 16:42時点における最新版
かきぞえ もとお 垣添 誠雄 | |
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生誕 |
1941年(82 - 83歳) 日本 兵庫県神戸市 |
職業 | 弁護士 |
垣添 誠雄(かきぞえ もとお、1941年(昭和16年) - )は、日本の弁護士。兵庫県神戸市出身。
経歴[編集]
兵庫県神戸市出身。1971年(昭和46年)に兵庫県弁護士会に登録し弁護士となる[1]。
1981年(昭和56年)、尼崎市で暴力団抗争の巻き添えとなり女性が死亡した事件で、女性の母親である堀江ひとみとともに組長の「使用者責任」を問う全国初の民事裁判を起こし、和解金を支払わせた。その後も、全国最大の暴力団である山口組が本拠を置く兵庫県内で暴力団追放を訴え続け、日本各地の暴力団追放運動に影響を与えた[2]。
2001年(平成13年)の附属池田小事件では、遺族の代理人として国の安全管理責任を追及した[2]。
2022年(令和4年)に神戸新聞平和賞を受賞。またこれまでに日弁連民暴委員会幹事・NPO法人ひょうご被害者支援センター理事などを歴任[2][3]。
受賞[編集]
脚注[編集]
- ^ “垣添 誠雄 弁護士”. さしいれや. 2024年5月17日閲覧。
- ^ a b c d “神戸新聞平和賞/地域の価値も高める挑戦”. 神戸新聞. 2024年5月17日閲覧。
- ^ “暴力団追放運動に励む弁護士の原点 FBI幹部に突きつけられた言葉”. 朝日新聞. 2024年5月17日閲覧。