「サイレント映画」の版間の差分

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'''無声映画'''(むせいえいが、'''無聲映畫''')とも呼び、対概念は[[トーキー]](発声映画)である<ref name="koto無声" />。サイレント映画のフィルムには音声トラックが存在しないが、トーキーフィルム登場後に音声トラックに[[劇伴]]を収録したサイレント映画を「[[サウンド版]]」<ref>[http://kotobank.jp/word/{{urlencode:サウンド版}} サウンド版]、デジタル大辞泉、小学館、コトバンク、2010年2月4日閲覧。</ref>、さらに日本では[[活動弁士]]による解説も収録したサウンド版を「[[解説版]]」と呼ぶ。このように、映画はもともとサイレントであったので、サイレント映画という呼称は[[レトロニム]]である。
'''無声映画'''(むせいえいが、'''無聲映畫''')とも呼び、対概念は[[トーキー]](発声映画)である<ref name="koto無声" />。サイレント映画のフィルムには音声トラックが存在しないが、トーキーフィルム登場後に音声トラックに[[劇伴]]を収録したサイレント映画を「[[サウンド版]]」<ref>[http://kotobank.jp/word/{{urlencode:サウンド版}} サウンド版]、デジタル大辞泉、小学館、コトバンク、2010年2月4日閲覧。</ref>、さらに日本では[[活動弁士]]による解説も収録したサウンド版を「[[解説版]]」と呼ぶ。このように、映画はもともとサイレントであったので、サイレント映画という呼称は[[レトロニム]]である。


[[19世紀]]後期の映画の発明以降の約40年間、[[1927年]](昭和2年)に世界初のトーキー『[[ジャズ・シンガー]]』が発表・実用化されるまで、商業的に世界各国で製作・公開されていた映画はすべてがサイレント映画であった。サイレント期の劇映画は、[[パントマイム]]演技とカットタイトルの[[字幕]]によるセリフ・[[ト書き]]で表現する芸術であったが、日本では、各常設活動館(現在の[[映画館]])に常駐した活動弁士による生の解説に負うところが大きかった<ref>[http://kotobank.jp/word/{{urlencode:活弁士}} 活弁士]、[[朝日新聞]] 2007年10月23日 夕刊2社会面「キーワード」、コトバンク、2010年2月4日閲覧。</ref>。
[[19世紀]]後期の映画の発明以降の約40年間、[[1927年]](昭和2年)に世界初のトーキー『[[ジャズ・シンガー]]』が発表・実用化されるまで、商業的に世界各国で製作・公開されていた映画は殆どがサイレント映画であった。サイレント期の劇映画は、[[パントマイム]]演技とカットタイトルの[[字幕]]によるセリフ・[[ト書き]]で表現する芸術であったが、日本では、各常設活動館(現在の[[映画館]])に常駐した活動弁士による生の解説に負うところが大きかった<ref>[http://kotobank.jp/word/{{urlencode:活弁士}} 活弁士]、[[朝日新聞]] 2007年10月23日 夕刊2社会面「キーワード」、コトバンク、2010年2月4日閲覧。</ref>。


日本では、1930年代前半(昭和初期)にトーキーに移行し始めたが、[[剣戟映画]]を中心に1938年(昭和13年)まではサウンド版を含めたサイレント映画が製作・公開されていた<ref>例 : [http://www.jmdb.ne.jp/1938/bn003930.htm 大前田英五郎](1938年)、[[日本映画データベース]]、2010年2月4日閲覧。</ref>。
日本では、1930年代前半(昭和初期)にトーキーに移行し始めたが、[[剣戟映画]]を中心に1938年(昭和13年)まではサウンド版を含めたサイレント映画が製作・公開されていた<ref>例 : [http://www.jmdb.ne.jp/1938/bn003930.htm 大前田英五郎](1938年)、[[日本映画データベース]]、2010年2月4日閲覧。</ref>。
また、トーキー・サウンド版定着初期はトーキー・サウンド版作品を上映できる設備がまだ整っていない映画館も多く、その映画館向けにトーキー・サウンド版作品を無声映画仕様に編集して上映していた。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
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* [[夜ごとの夢]](1933年、[[成瀬巳喜男]]監督)
* [[夜ごとの夢]](1933年、[[成瀬巳喜男]]監督)
* [[浮草物語]](1934年、小津安二郎監督)
* [[浮草物語]](1934年、小津安二郎監督)
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* [[子宝騒動]](1935年、[[斎藤寅次郎]]監督){{Div col end}}


===トーキー以降===
===トーキー以降===
* [[ぼくの伯父さんの休暇]](1952年、フランス、[[ジャック・タチ]]監督)
* [[ぼくの伯父さんの休暇]](1953年、フランス、[[ジャック・タチ]]監督)
* [[メル・ブルックスのサイレント・ムービー]](1976年、アメリカ、[[メル・ブルックス]]監督)
* [[メル・ブルックスのサイレント・ムービー]](1976年、アメリカ、[[メル・ブルックス]]監督)
* [[クレイジー・ナッツ 早く起きてよ]](1998年、アメリカ、[[アイリス・イリオプロス]]監督)
* {{仮リンク|クレイジー・ナッツ 早く起きてよ|en|I Woke Up Early the Day I Died}}(1998年、アメリカ、[[アイリス・イリオプロス]]監督)
* [[白い花びら]](1999年、[[フィンランド]]、[[アキ・カウリスマキ]]監督)
* [[白い花びら]](1999年、[[フィンランド]]、[[アキ・カウリスマキ]]監督)
* [[アーティスト (映画)|アーティスト]](2011年、[[フランス]]、[[ミシェル・アザナヴィシウス]]監督)
* [[アーティスト (映画)|アーティスト]](2011年、[[フランス]]、[[ミシェル・アザナヴィシウス]]監督)
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* [[草原の実験]](2014年、[[ロシア]]、[[アレクサンドル・コット]]監督)
* [[草原の実験]](2014年、[[ロシア]]、[[アレクサンドル・コット]]監督)
* [[レッドタートル ある島の物語]](2016年、[[フランス]]・[[日本]]、[[マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット]]監督)
* [[レッドタートル ある島の物語]](2016年、[[フランス]]・[[日本]]、[[マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット]]監督)
* {{仮リンク|Away (2019年の映画)|label=Away|en|Away (2019 film)}}(2019年、[[ラトビア]]、[[ギンツ・ジルバロディス]]監督)
* [[エンジェルサイン]](2019年、日本、[[北条司]]監督)
* [[エンジェルサイン]](2019年、日本、[[北条司]]監督)
* [[Away]](2020年、[[ラトビア]]、[[ギンツ・ジルバロディス]]監督)
* [[幾多の北]](2021年、日本、[[山村浩二]]監督)
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* [[ジョルジュ・メリエス]](1861-1938)
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* [[D・W・グリフィス]](1875-1948)
* [[D・W・グリフィス]](1875-1948)
* [[ヴィクトル・シェストレム]](1979-1960)
* [[ヴィクトル・シェストレム]](1879-1960)
* [[マック・セネット]](1980-1960)
* [[マック・セネット]](1880-1960)
* [[セシル・B・デミル]](1881-1959)
* [[セシル・B・デミル]](1881-1959)
* [[エリッヒ・フォン・シュトロハイム]](1885-1957)
* [[エリッヒ・フォン・シュトロハイム]](1885-1957)
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* [[レフ・クレショフ]] (1899-1970)
* [[レフ・クレショフ]] (1899-1970)
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===日本映画===
===日本映画===
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2024年4月21日 (日) 06:03時点における最新版

サイレント映画の動画

サイレント映画(サイレントえいが)は、音声音響、特に俳優の語るセリフが入っていない映画のことである[1]

概要[編集]

無声映画(むせいえいが、無聲映畫)とも呼び、対概念はトーキー(発声映画)である[1]。サイレント映画のフィルムには音声トラックが存在しないが、トーキーフィルム登場後に音声トラックに劇伴を収録したサイレント映画を「サウンド版[2]、さらに日本では活動弁士による解説も収録したサウンド版を「解説版」と呼ぶ。このように、映画はもともとサイレントであったので、サイレント映画という呼称はレトロニムである。

19世紀後期の映画の発明以降の約40年間、1927年(昭和2年)に世界初のトーキー『ジャズ・シンガー』が発表・実用化されるまで、商業的に世界各国で製作・公開されていた映画は殆どがサイレント映画であった。サイレント期の劇映画は、パントマイム演技とカットタイトルの字幕によるセリフ・ト書きで表現する芸術であったが、日本では、各常設活動館(現在の映画館)に常駐した活動弁士による生の解説に負うところが大きかった[3]

日本では、1930年代前半(昭和初期)にトーキーに移行し始めたが、剣戟映画を中心に1938年(昭和13年)まではサウンド版を含めたサイレント映画が製作・公開されていた[4]。 また、トーキー・サウンド版定着初期はトーキー・サウンド版作品を上映できる設備がまだ整っていない映画館も多く、その映画館向けにトーキー・サウンド版作品を無声映画仕様に編集して上映していた。

歴史[編集]

ギネス世界記録が認定した世界初の映画『ラウンドヘイ・ガーデン・シーン』(1888年)の1カット。
巨大なセットが組まれた『イントレランス』(1916年)。

世界最初の映画は、1888年(明治21年)にルイ・ル・プランスが生み出した。オークウッド・グランジ庭園を歩き回る人々を撮影した上映時間2秒の作品で、タイトルは『ラウンドヘイ・ガーデン・シーンRoundhay Garden Scene である[5]。モーション・ピクチャー(活動写真)の芸術・技術は、「サイレント期」と呼ばれる時代に全面的に成熟し、その後1920年代末に、発声映画(トーキー)にとって替わった。多くの映画学者らは、新しく到来した「トーキー」に監督や俳優、スタッフたちが適応するまでの数年間、映画の美的クォリティは減少したと指摘している[6]

サイレント映画の映像美、とりわけ1920年代に製作された作品のクォリティは極めて高度である。しかしながら、一般には、原始的なものであり現代人の鑑賞に堪える代物ではないとの誤解が広く存在する。誤った速度で映写されるなどの技術的エラー(サイレント映画標準の16fpsで撮影[注 1]されているにもかかわらず24fpsで映写される等)や、オリジナルプリントの消失による質の低いデューププリントやフィルム断片しか現存していないなどの保存状態の悪さに由来する誤解である[6]

1927年(昭和2年)に世界初の長編商業トーキーとされる『ジャズ・シンガー』が出現するまでは、ほとんどがサイレント映画であった。音声がないという制約から様々な映画的テクニックが開発され、それは現代の映画にも引き継がれている。登場人物のせりふは字幕を挿入することで表現したが、俳優の演技は大袈裟なものにならざるを得なかった。

上映に際してはオーケストラバンドによる音楽伴奏が付くことが多かった。日本では、上映中の映画の進行に合わせて、その内容を解説する活動弁士(活弁士)が活躍し、徳川夢声のような人気弁士も現れた。

トーキーが実用化されてからは、サイレント映画に音楽のサウンドトラックを付加したものが上映され、これをサウンド版という。トーキー以後の時代にも、サイレント映画(多くは厳密にはサウンド版)として製作された作品も存在する。ジャック・タチメル・ブルックスアキ・カウリスマキらが、「その後のサイレント映画」を監督した映画作家である。

おもなサイレント映画[編集]

外国映画[編集]

日本映画[編集]

トーキー以降[編集]

おもな監督[編集]

Category:サイレント映画の監督

外国映画[編集]

日本映画[編集]

おもな製作者[編集]

おもな俳優[編集]

Category:サイレント映画の俳優

外国映画[編集]

日本映画[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 18fpsの場合もある。

出典[編集]

  1. ^ a b 無声映画デジタル大辞泉小学館コトバンク、2010年2月4日閲覧。
  2. ^ サウンド版、デジタル大辞泉、小学館、コトバンク、2010年2月4日閲覧。
  3. ^ 活弁士朝日新聞 2007年10月23日 夕刊2社会面「キーワード」、コトバンク、2010年2月4日閲覧。
  4. ^ 例 : 大前田英五郎(1938年)、日本映画データベース、2010年2月4日閲覧。
  5. ^ Guinness Book of Records, all editions.
  6. ^ a b Film History of the 1920s, Part 1. (英語)、2009年5月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]