「ヤナセ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
一部追加。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
 
(21人の利用者による、間の31版が非表示)
1行目: 1行目:
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
{{基礎情報 会社
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社ヤナセ
|社名 = 株式会社ヤナセ
|英文社名 = YANASE & CO., LTD.
|英文社名 = YANASE AND COMPANY, LIMITED
|ロゴ=
|ロゴ=
|画像 = [[File:Yanase HQ 2011 Tokyo.jpg|200px|ヤナセ本社(東京・芝浦)]]
|画像 = [[File:Yanase Head Office at Shibaura Sep-2022.jpg|250px]]
|画像説明 = 本社社屋
|画像説明 = 本社(2022年)
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|機関設計 = [[監査役会設置会社]]
|市場情報= 非上場
|市場情報 = <!-- 株式非公開会社において「非上場」などと書く必要はありません -->
|略称=
|略称=
|国籍 = {{JPN}}
|国籍 = {{JPN}}
|郵便番号 = 105-8575
|本社郵便番号 = 105-8575
|本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]一丁目6-38
|本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]一丁目6-38
|本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 38|本社緯度秒 = 48.8|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
|本社経度度 = 139|本社経度分 = 45|本社経度秒 = 17.4|本社E(東経)及びW(西経) = E
|座標右上表示 = Yes
|本社地図国コード = JP
|設立 = [[1920年]]([[大正]]9年)[[1月27日]]<br />(梁瀬自動車株式会社)<!-- 創業:1915年 -->
|設立 = [[1920年]]([[大正]]9年)[[1月27日]]<br />(梁瀬自動車株式会社)<!-- 創業:1915年 -->
|業種 = 卸売業
|業種 = 卸売業
16行目: 22行目:
|SWIFTコード=
|SWIFTコード=
|事業内容 = [[自動車ディーラー]]
|事業内容 = [[自動車ディーラー]]
|代表者 = [[吉田多孝|𠮷田多孝]]([[代表取締役]]兼[[社長]][[執行役員]])<br />[[折原丈雄]](代表取締役兼[[副社長]]執行役員
|代表者 = [[吉田多孝|𠮷田多孝]]([[代表取締役]]兼[[社長]][[執行役員]])
|資本金 = 69億75872000
|資本金 =
* 69億7500万円
(2023年3月31日現在)<ref name="fy">{{Cite report |和書 |author=株式会社ヤナセ |authorlink= |date=2023-6-29 |title=第151期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書}}</ref><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|発行済株式総数 = 4726万株
|発行済株式総数 =
|売上高 = 連結:4182億58百万円<br />単独:3396億95百万円<br />(2015年9月期)
* 4726万株
|営業利益 = 連結:137億78百万円<br />単独:110億36百万円<br />(2015年9月期)
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|純利益 = 連結:61億55百万円<br />単独:55億75百万円<br />(2015年9月期)
|売上高 =
|純資産 = 連結:435億91百万円<br />単独:431億93百万円<br />(2015年9月30日現在)
* 連結: 4618億0100万円
|総資産 = 連結:1905億87百万円<br />単独:1767億71百万円<br />(2015年9月30日現在)
* 単独: 3856億8100万円
|従業員数 = 連結:4,697人<br />単独:3,375人<br />(2015年9月30日現在)
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|決算期 = [[3月]]
|営業利益 =
|主要株主 = [[伊藤忠商事]] 66.1%<br />[[あいおいニッセイ同和損害保険]]8.53%<br />[[東京海上日動火災保険]] 7.72%<br />(2017年8月1日現在)
* 連結: 222億7800万円
* 単独: 160億0700万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|経常利益 =
* 連結: 237億7300万円
* 単独: 206億0200万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|純利益 =
* 連結: 166億9100万円
* 単独: 151億5800万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|純資産 =
* 連結: 731億4200万円
* 単独: 662億8800万円
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|総資産 =
* 連結: 2185億9800万円
* 単独: 2056億9400万円
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|従業員数 =
* 連結: 4,614人
* 単独: 3,565人
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|決算期 = 3月31日
|会計監査人 = [[EY新日本有限責任監査法人]]<ref name="fy" /><!-- 更新する際は出典を修正してください -->
|主要株主 =
* [[伊藤忠商事]] 82.75%
* ESS事業団 8.59%
* [[鹿島建設]] 1.18%
* 鹿島公子 0.70%
* 宮園オート 0.27%
* 鶴田節子 0.26%
* [[伊丹産業]] 0.26%
* 梁瀬泰孝 0.18%
* 岡崎ヤナセプランニング 0.18%
* 豊橋ヤナセ 0.18%
* (2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
|主要子会社 =
|主要子会社 =
|関係する人物 = {{Plainlist|
|関係する人物 = [[梁瀬長太郎]](創業者)<br>[[梁瀬次郎]](元社長)<br>[[稲山孝英]](元社長)<br>[[西山俊太郎 (実業家)|西山俊太郎]](元社長)<br>[[井出健義]](現会長、元社長)
* [[梁瀬長太郎]](創業者)
* [[梁瀬次郎]](元社長)
* [[稲山孝英]](元社長)
* [[西山俊太郎 (実業家)|西山俊太郎]](元社長)
* [[井出健義]](元社長)
}}
|外部リンク = https://www.yanase.co.jp/
|外部リンク = https://www.yanase.co.jp/
|特記事項=
|特記事項=
}}
}}
'''株式会社ヤナセ'''({{Lang-en-short|YANASE & Co., Ltd.}})は、[[伊藤忠商事]]傘下の[[輸入車]]および[[中古車]]の[[自動車ディーラー|販売業者(ディーラー)]]。取扱車の後部ウィンドウに貼られる、黄地に青字の「'''YANASE'''」ステッカーで知られる。2017年現在のキャッチフレーズは「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている。」
'''株式会社ヤナセ'''({{Lang-en-short|YANASE AND COMPANY, LIMITED}}<ref>株式会社ヤナセ 定款 第1章第1条</ref>)は、[[伊藤忠商事]]傘下の[[輸入車]]および[[中古車]]の[[自動車ディーラー|販売業者(ディーラー)]]。取扱車の後部ウィンドウに貼られる、黄地に青字の「'''YANASE'''」ステッカーで知られる。2023年現在のキャッチフレーズは「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている。」


== 概要 ==
== 概要 ==
日本国内に新車販売店174店舗と、中古車販売店31店舗を持つ。直営の販売店に加え、特定の輸入車ブランドを扱う[[子会社]]組織や、一部の地方における[[関連会社]]{{efn|ヤナセ販売網に加入している、地場独立資本の地方ディーラー。}}がある{{efn|なお[[大阪市]][[城東区]]関目に本社がある「ヤナセ製油」とは関係ない。}}。
日本国内に新車販売店174店舗と、中古車販売店31店舗を持つ。直営の販売店に加え、特定の輸入車ブランドを扱う[[子会社]]組織や、一部の地方における[[関連会社]]{{efn|ヤナセ販売網に加入している、地場独立資本の地方ディーラー。}}がある{{efn|なお[[大阪市]][[城東区]]関目に本社がある「ヤナセ製油」とは関係ない。}}。


かつては、「いいものだけを世界から」というキャッチフレーズを前面に出し、テレビ・ラジオの番組提供などでCMも放映され、[[欧米]]自動車[[ブランド]]の輸入者(インポーター)でもあったが、[[2002年]](平成14年)までにはそれら全ての輸入権をメーカー系インポーターに譲渡した(後述)。近年中古車販売の比率が上昇しており、現在の販売台数のおおむね45%は中古車である[http://www.yanase.co.jp/company/ir.asp]。
かつては、「いいものだけを世界から」というキャッチフレーズを前面に出し、テレビ・ラジオの番組提供などでCMも放映され、[[欧米]]自動車[[ブランド]]の輸入者(インポーター)でもあったが、[[2002年]](平成14年)までにはそれら全ての輸入権をメーカー系インポーターに譲渡した(後述)。近年中古車販売の比率が上昇しており、現在の販売台数のおおむね45%は中古車である<ref>[http://www.yanase.co.jp/company/ir.asp]</ref>


主に[[研磨剤]]を中心に扱う[[株式会社柳瀬]]とは一切無関係。(同社のHPには混同を避けるため研磨のヤナセと記載されている)
主に[[研磨剤]]を中心に扱う[https://yanase-saving.com/ 柳瀬株式会社]とは一切無関係。(同社のHPには混同を避けるため「ケンマのヤナセと記載されている)


== 歴史 ==
== 歴史 ==
48行目: 98行目:
[[1919年]](大正8年)、現本社のある東京府[[芝浦]]に工場を開設<ref name="nikkei">東京・芝浦の本社:ヤナセ、300億円で再開発 『日本経済新聞』 平成23年5月3日朝刊</ref>。[[ゼネラルモーターズ|GM]](ゼネラルモーターズ)の[[ビュイック]]、[[キャデラック]]の輸入から始まり、[[イタリア]]の[[フィアット]]や電気自動車のミルバーンなどの輸入やバス{{efn|[[京成電鉄]]に買収され、現在は[[京成タウンバス]]が運行。}}、タクシー会社{{efn|見習い運転手をしていた[[川鍋秋蔵]]が独立の後に経済統制下での企業合同を経て[[東京四社営業委員会|東京四社]]の一角となる[[日本交通 (東京都)|日本交通]]を創業する。}}経営、車体製造など幅広い分野に手を広げた。
[[1919年]](大正8年)、現本社のある東京府[[芝浦]]に工場を開設<ref name="nikkei">東京・芝浦の本社:ヤナセ、300億円で再開発 『日本経済新聞』 平成23年5月3日朝刊</ref>。[[ゼネラルモーターズ|GM]](ゼネラルモーターズ)の[[ビュイック]]、[[キャデラック]]の輸入から始まり、[[イタリア]]の[[フィアット]]や電気自動車のミルバーンなどの輸入やバス{{efn|[[京成電鉄]]に買収され、現在は[[京成タウンバス]]が運行。}}、タクシー会社{{efn|見習い運転手をしていた[[川鍋秋蔵]]が独立の後に経済統制下での企業合同を経て[[東京四社営業委員会|東京四社]]の一角となる[[日本交通 (東京都)|日本交通]]を創業する。}}経営、車体製造など幅広い分野に手を広げた。


また[[1923年]]には、[[ヨーロッパ]]に出張中に[[関東大震災]]の発生を聞き、復興のために自動車需要が増加することを予想し即座に2,000台のシボレーなどの輸入を決め、その後大きく販売数を伸ばした。
また[[1923年]]には、[[ヨーロッパ]]に出張中<sup>[誰が?]</sup>に[[関東大震災]]の発生を聞き、復興のために自動車需要が増加することを予想し即座に2,000台のシボレーなどの輸入を決め、その後大きく販売数を伸ばした。


その後日本でも[[シボレー]]や[[フォード・モーター|フォード]]などの一般及び業務向け乗用車の現地生産が始まり、また[[1920年代]]後半から[[日産自動車]]やオオタなどが小型乗用車の生産を始めると、上流階級や富裕層が好むビュイックやキャデラックの販売を強化し、[[第二次世界大戦]]後も同様の高級路線を取ることにつながった。
その後日本でも[[シボレー]]や[[フォード・モーター|フォード]]などの一般及び業務向け乗用車の現地生産が始まり、また[[1920年代]]後半から[[日産自動車]]や[[オオタ自動車工業|オオタ]]などが小型乗用車の生産を始めると、上流階級や富裕層が好むビュイックやキャデラックの販売を強化し、[[第二次世界大戦]]後も同様の高級路線を取ることにつながった。


=== 外国車インポーター時代 ===
=== 外国車インポーター時代 ===
[[第二次世界大戦]]中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の[[梁瀬次郎]]会長に経営が引き継がれるとともにGMの各[[ブランド]]や[[メルセデス・ベンツ]]、[[フォルクスワーゲン]](傘下の[[アウディ]]も含む)と取り扱い車種を増やした。
[[第二次世界大戦]]中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の[[梁瀬次郎]]会長に経営が引き継がれるとともにGMの各[[ブランド]]や[[メルセデス・ベンツ]]、[[フォルクスワーゲン]](傘下の[[アウディ]]も含む)と取り扱い車種を増やした。


[[1965年]](昭和40年)、日本への自動車輸入が完全自由化された後も、本国に比べて高価な[[価格|価格設定]]、上位グレード中心の車種設定、[[髙島屋]]などの高級デパートへの出店、避暑地である[[軽井沢]]に夏の期間のみアフターサービス拠点を開くなど、国産車の購入者に比べ裕福な層に対象を絞り「[[高級車]]」イメージを強調するブランド戦略により、第二次世界大戦前のままに日本における輸入自動車を「特別な存在」、「富裕層の象徴」に位置付けた。
[[1965年]](昭和40年)、日本への自動車輸入が完全自由化された後も、本国に比べて高価な[[価格|価格設定]]、上位グレード中心の車種設定、[[髙島屋]]などの高級デパートへの出店、避暑地である[[軽井沢]]に夏の期間のみアフターサービス拠点を開くなど、国産車の購入者に比べ裕福な層に対象を絞り「[[高級車]]」イメージを強調するブランド戦略により、第二次世界大戦前のままに日本における輸入自動車を「特別な存在」、「富裕層の象徴」に位置付けた{{Efn|ヤナセの販売戦略が原因で、本国と日本でブランドイメージの乖離が生じているメーカーが存在する。例えば、メルセデス・ベンツは日本では高級車のメーカーとして知られているが、ドイツをはじめとする欧州諸国では廉価な乗用車も発売しているほか、タクシー・商用バン・トラック・バス・特殊車両や軍用車も製造しており、総合自動車メーカーとして知られている。}}


[[1970年]](昭和45年)10月1日にそれまでの「株式会社梁瀬」から「株式会社ヤナセ」に社名変更する。全国に広がるネットワークと、顧客に対するきめ細かいサービスのノウハウなどは高い評価を受け、日本最大手の自動車輸入事業者(インポーター)となり、「輸入車=ヤナセ」と言われるほどの存在になった(実際の輸入業務はヤナセの100%子会社であるウェスタン自動車{{Efn|設立当初は西日本における[[パッカード]]の代理店という位置づけであり、本社も大阪・梅田に所在したが、1952年にメルセデス・ベンツの輸入権を獲得したことに伴い、ヤナセ本社と同じ東京・芝浦に移転した。また、メルセデス・ベンツ日本(MBJ)の設立当初、BMWと同じ手法(BMW本社が当時の日本における代理店だったバルコムトレーディングを買収して[[BMW JAPAN]]に改組)でダイムラー・ベンツ社がウエスタン自動車を買収することも検討されていたが、諸事情により別に設立したMBJにウエスタン自動車が担当していた輸入業務を移管する形で発足している。}}が行い、販売をヤナセが行うという形態をとっていた)。
[[1970年]](昭和45年)10月1日にそれまでの「株式会社梁瀬」から「株式会社ヤナセ」に社名変更する。日本車ディーラーなみの全国に広がるネットワークと、顧客に対するきめ細かいサービスのノウハウなどは高い評価を受け、日本最大手の自動車輸入事業者(インポーター)となり、「輸入車=ヤナセ」と言われるほどの存在になった(実際の輸入業務はヤナセの100%子会社であるウェスタン自動車{{Efn|設立当初は西日本における[[パッカード]]の代理店という位置づけであり、本社も大阪・梅田に所在したが、1952年にメルセデス・ベンツの輸入権を獲得したことに伴い、ヤナセ本社と同じ東京・芝浦に移転した。また、メルセデス・ベンツ日本(MBJ)の設立当初、BMWと同じ手法(BMW本社が当時の日本における代理店だったバルコムトレーディングを買収して[[BMW JAPAN]]に改組)でダイムラー・ベンツ社がウエスタン自動車を買収することも検討されていたが、諸事情により別に設立したMBJにウエスタン自動車が担当していた輸入業務を移管する形で発足している。}}が行い、販売をヤナセが行うという形態をとっていた)。


なお、[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけては、GMと提携していた[[いすゞ自動車]]の複数の車種や、[[日産自動車]]が国内で生産していた[[フォルクスワーゲン・サンタナ]]を扱っていたこともある。
なお、[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけては、GMと提携していた[[いすゞ自動車]]の複数の車種や、[[日産自動車]]が国内で生産していた[[フォルクスワーゲン・サンタナ]]を扱っていたこともある。
64行目: 114行目:


=== 再度の経営多角化 ===
=== 再度の経営多角化 ===
その後梁瀬次郎の掛け声の下で総合商社への進展を図り、自動車の輸入販売ばかりではなく、クルーザー(ハトラス他)、[[アラジンブルーフレームヒーター|アラジンストーブ]]やノースアメリカンベアの輸入、[[アパレル産業|アパレル]]事業(シャルベ、モラビト他)、宝飾品(フレッド他)の展開、[[コチョウラン|胡蝶蘭]]の生産、[[アルファレコード]]への資本参加などの経営多角化を行ったが、1990年代初頭の[[バブル景気]]崩壊と、フォルクスワーゲンの輸入権喪失による経営再建の過程でほとんどの部門から撤退した。
その後梁瀬次郎の掛け声の下で総合商社への進展を図り、自動車の輸入販売ばかりではなく、[[クルーザー]](ハトラス他)、[[アラジンブルーフレームヒーター|アラジンストーブ]]や[[ノースアメリカンベア]]の輸入、[[アパレル産業|アパレル]]事業(シャルベ、モラビト他)、宝飾品(フレッド他)の展開、[[コチョウラン|胡蝶蘭]]の生産、[[アルファレコード]]への資本参加などの経営多角化を行ったが、1990年代初頭の[[バブル景気]]崩壊と、フォルクスワーゲンの輸入権喪失による経営再建の過程でほとんどの部門から撤退した。


しかしその後も[[1952年]](昭和27年)設立の[[コマーシャルメッセージ|テレビコマーシャル]]制作会社[[TCJ]]([[1969年]]までの社名は「日本テレビジョン株式会社」)は継続して保有(100%出資)している。
しかしその後も[[1952年]](昭和27年)設立の[[コマーシャルメッセージ|テレビコマーシャル]]制作会社[[TCJ|ティー・シー・ジェー]]([[1969年]]までの社名は「日本テレビジョン株式会社」<ref>創業当初はテレビ受像機の輸入業者であった。社名が類似する[[日本テレビ放送網]]とは関係がない。</ref>)は継続して保有(97%出資)している。


=== 輸入権の譲渡から現在 ===
=== 輸入権の譲渡から現在 ===
78行目: 128行目:


=== 芝浦本社の再開発 ===
=== 芝浦本社の再開発 ===
[[File:Yanase HQ 2011 Tokyo.jpg|thumb|旧本社社屋(2011年)]]
[[2011年]](平成23年)、本館が[[1962年]](昭和37年)、新館が[[1970年]](昭和45年)の竣工であり老朽化していた本社社屋の解体・再開発が着手され<ref name="nikkei"/>、[[2012年]](平成24年)10月31日に[[鴻池組]]が施工した地上6階、高さ29.25m、延床面積23,975.63㎡(旧本社社屋の約1.6倍の延床面積)の新本社社屋が竣工し、同年12月1日より営業をスタートした。再開発は伊藤忠商事、日本土地建物などとの共同で行われ、新本社社屋のほか、34階建て、総戸数882戸の[[超高層マンション]]である[[グローバルフロントタワー]]が建設された<ref name="nikkei"/>。
[[2011年]](平成23年)、本館が[[1962年]](昭和37年)、新館が[[1970年]](昭和45年)の竣工であり老朽化していた本社社屋の解体・再開発が着手され<ref name="nikkei"/>、[[2012年]](平成24年)10月31日に[[鴻池組]]が施工した地上6階、高さ29.25m、延床面積23,975.63㎡(旧本社社屋の約1.6倍の延床面積)の新本社社屋が竣工し、同年12月1日より営業をスタートした。再開発は伊藤忠商事、日本土地建物などとの共同で行われ、新本社社屋のほか、34階建て、総戸数882戸の[[超高層マンション]]である[[グローバルフロントタワー]]が建設された<ref name="nikkei"/>。


92行目: 143行目:
*[[BMW]](四輪車) 二輪車は2014年8月までの取り扱い
*[[BMW]](四輪車) 二輪車は2014年8月までの取り扱い
*[[フォルクスワーゲン]] (1953~1992年、2005年~)
*[[フォルクスワーゲン]] (1953~1992年、2005年~)
*[[キャデラック]]
*[[アウディ]](1967~1992年、2002~2007年、2007年~){{efn|2002年、アウディジャパンとの共同出資で「ヤナセアウディ販売」を設立し最終的には20店舗が運営されていたが、2007年7月アウディジャパンが直販体制強化のためヤナセ側の店舗と組織を買収し「アウディジャパン販売」として再スタートした。同年、子会社「ヤナセオートモーティブ」を新たに設立しアウディの販売を再開した。2008年6月23日現在直営8店舗。}}
*[[アウディ]](1967~1992年、2002~2007年、2007年~){{efn|2002年、アウディジャパンとの共同出資で「ヤナセアウディ販売」を設立し最終的には20店舗が運営されていたが、2007年7月[[フォルクスワーゲングループジャパン|アウディジャパン]]が直販体制強化のためヤナセ側の店舗と組織を買収し「アウディジャパン販売」として再スタートした。同年、子会社「ヤナセオートモーティブ」を新たに設立しアウディの販売を再開した。2008年6月23日現在直営8店舗。}}
*[[ゼネラルモーターズ]]

**[[キャデラック]]
**[[シボレー]]
*[[ポルシェ]](2018年~<ref>[https://www.yanase.co.jp/pdf/pdf_view.php?SID=155&TYPE=pressヤナセ、ポルシェ車販売に参入 - 福岡県で子会社を設立、ポルシェ正規ディーラー拠点を運営 - ] - ヤナセ 2018年6月29日(2018年6月29日閲覧)</ref>、子会社の「ヤナセプレストオート」が運営。福岡スバルから事業承継。)
*[[ポルシェ]](2018年~<ref>[https://www.yanase.co.jp/pdf/pdf_view.php?SID=155&TYPE=pressヤナセ、ポルシェ車販売に参入 - 福岡県で子会社を設立、ポルシェ正規ディーラー拠点を運営 - ] - ヤナセ 2018年6月29日(2018年6月29日閲覧)</ref>、子会社の「ヤナセプレストオート」が運営。福岡スバルから事業承継。)
*[[シボレー]]
*
*[[フェラーリ]](2024年4月~)


=== 過去に取り扱っていたブランド ===
=== 過去に取り扱っていたブランド ===
*[[プリンス自動車工業|プリンス]](1957年〜1974年<ref>{{Cite web|和書|title=ケンメリ。その数62万台以上。セダン、ワゴン、2ドア、GT-R・・・ケンとメリーのスカイライン、多くのバリエーションを実車で追う。 {{!}} Nosweb.jp|日本の旧車Webマガジン[ノスウェブドットジェイピー] |url=https://nosweb.jp/articles/detail/4252 |website=nosweb.jp |access-date=2022-12-31 |language=ja}}</ref>)
*[[プリンス自動車工業|プリンス]]
*[[いすゞ自動車|いすゞ]]
*[[いすゞ自動車|いすゞ]]
*[[レオ・モーター・カー・カンパニー|レオ]]
*[[レオ・モーター・カー・カンパニー|レオ]]
109行目: 160行目:
*[[ボクスホール]]
*[[ボクスホール]]
*[[オペル]]
*[[オペル]]
*[[アンフィカー]] - ドイツの[[水陸両用車]]。1960年代に5台ほど輸入。
*[[アンフィカー]]
*[[ウニモグ]]
*[[ウニモグ]]
*[[ルノー]]
*[[ルノー]] - [[1994年]](平成6年)から、ヤナセの全額出資子会社「[[フランス・モーターズ]]」が輸入販売していた。[[2001年]](平成13年)に[[ルノー・ジャポン]]に輸入権を譲渡し、解散。
*[[ボルボ・カーズ]](1960〜1974年、2006〜2009年)
*[[ボルボ・カーズ]](1960〜1974年、2006〜2009年) - ヤナセの全額出資子会社「[[北欧自動車]]」が[[1960年]](昭和35年)から[[1974年]](昭和49年)までに5,048台を輸入販売したが、[[帝人]]の子会社「[[帝人ボルボ]]」に輸入権を譲渡し解散した。その後2006年に子会社「ヤナセ・スカンジナビア・モーターズ」を新たに設立し、当時ボルボ車販売から撤退しようとしていた[[スバル]]([[富士重工業]])系の販売・サービス網の各拠点を買い取る形で再参入したが、[[2009年]](平成21年)に撤退。
*[[ハマー (自動車)|ハマー]]
*[[ハマー (自動車)|ハマー]]
*[[クライスラー|クライスラーLLC]](2001〜2009年)
*[[クライスラー|クライスラーLLC]](2001〜2009年)
119行目: 170行目:
**[[ダッジ]]
**[[ダッジ]]
*[[サーブ・オートモービル|サーブ]]
*[[サーブ・オートモービル|サーブ]]
*[[BMWモトラッド]](2003~2014年) - ヤナセ初のオートバイ販売店を芝浦で営業していた。事業は[[セントラル自動車技研]]に売却。
*[[BMWモトラッド]](2003~2014年)


== 自動車以外の商品 ==
== 自動車以外の過去に取り扱っていた商品 ==
;☆印は子会社の[[ヤナセ産業機器販売]]が取り扱う商品


*[[アラジンブルーフレームヒーター]] - イギリス製の[[石油ストーブ]]
*[[アラジンブルーフレームヒーター]] - イギリス製の[[石油ストーブ]]
129行目: 179行目:
*[[シャルベ]] - フランスのドレスシャツブランド
*[[シャルベ]] - フランスのドレスシャツブランド
*フレッド - フランスの高級宝飾ブランド([[LVMH]]傘下)
*フレッド - フランスの高級宝飾ブランド([[LVMH]]傘下)
*モラビト(MORABITO) - フランスの最高級バッグブランド
*[[モラビト]](MORABITO) - フランスの最高級バッグブランド
*[[スノースロワー]] - 家庭用の[[ロータリー車|除雪機]]ブランド。製造委託元は[[コンマ製作所]]
*[[スノースロワー]] - 家庭用の[[ロータリー車|除雪機]]ブランド。製造委託元は[[コンマ製作所]]
*[[モスキートマグネット]] - 屋外用[[蚊]]取り装置のブランド
*[[モスキートマグネット]] - 屋外用[[蚊]]取り装置のブランド

== 関連項目 ==
* [[大里桃子]](女子プロゴルファー) - 同社のオフィシャルサプライヤーを務めている<ref>{{Cite web2 |author= |url= https://www.yanase.co.jp/company/information/press/2021/pdf/press_201.pdf|title=ヤナセ、プロゴルファー大里 桃子 選手とオフィシャルサプライヤー契約を締結 - 国内で開催されるツアー参戦をサポート |website= 社会貢献/各種活動支援|publisher= 株式会社ヤナセ|language= 日本語|date= 2021-02-26|format=PDF|accessdate=2024-04-21}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
165行目: 218行目:
[[Category:ボルボ]]
[[Category:ボルボ]]
[[Category:1920年設立の企業]]
[[Category:1920年設立の企業]]
[[Category:老舗企業 (大正創業)]]
[[Category:梁瀬家|*]]
[[Category:梁瀬家|*]]
[[Category:芝浦]]
[[Category:芝浦]]

2024年5月2日 (木) 11:12時点における最新版

株式会社ヤナセ
YANASE AND COMPANY, LIMITED
本社(2022年)
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社
本社所在地 日本の旗 日本
105-8575
東京都港区芝浦一丁目6-38
北緯35度38分48.8秒 東経139度45分17.4秒 / 北緯35.646889度 東経139.754833度 / 35.646889; 139.754833座標: 北緯35度38分48.8秒 東経139度45分17.4秒 / 北緯35.646889度 東経139.754833度 / 35.646889; 139.754833
設立 1920年大正9年)1月27日
(梁瀬自動車株式会社)
業種 卸売業
法人番号 1010401029826 ウィキデータを編集
事業内容 自動車ディーラー
代表者 𠮷田多孝代表取締役社長執行役員
資本金
  • 69億7500万円
(2023年3月31日現在)[1]
発行済株式総数
  • 4726万株
(2023年3月31日現在)[1]
売上高
  • 連結: 4618億0100万円
  • 単独: 3856億8100万円
(2023年3月期)[1]
営業利益
  • 連結: 222億7800万円
  • 単独: 160億0700万円
(2023年3月期)[1]
経常利益
  • 連結: 237億7300万円
  • 単独: 206億0200万円
(2023年3月期)[1]
純利益
  • 連結: 166億9100万円
  • 単独: 151億5800万円
(2023年3月期)[1]
純資産
  • 連結: 731億4200万円
  • 単独: 662億8800万円
(2023年3月31日現在)[1]
総資産
  • 連結: 2185億9800万円
  • 単独: 2056億9400万円
(2023年3月31日現在)[1]
従業員数
  • 連結: 4,614人
  • 単独: 3,565人
(2023年3月31日現在)[1]
決算期 3月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人[1]
主要株主
  • 伊藤忠商事 82.75%
  • ESS事業団 8.59%
  • 鹿島建設 1.18%
  • 鹿島公子 0.70%
  • 宮園オート 0.27%
  • 鶴田節子 0.26%
  • 伊丹産業 0.26%
  • 梁瀬泰孝 0.18%
  • 岡崎ヤナセプランニング 0.18%
  • 豊橋ヤナセ 0.18%
  • (2023年3月31日現在)[1]
関係する人物
外部リンク https://www.yanase.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社ヤナセ: YANASE AND COMPANY, LIMITED[2])は、伊藤忠商事傘下の輸入車および中古車販売業者(ディーラー)。取扱車の後部ウィンドウに貼られる、黄地に青字の「YANASE」ステッカーで知られる。2023年現在のキャッチフレーズは「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている。」。

概要[編集]

日本国内に新車販売店174店舗と、中古車販売店31店舗を持つ。直営の販売店に加え、特定の輸入車ブランドを扱う子会社組織や、一部の地方における関連会社[注釈 1]がある[注釈 2]

かつては、「いいものだけを世界から」というキャッチフレーズを前面に出し、テレビ・ラジオの番組提供などでCMも放映され、欧米自動車ブランドの輸入者(インポーター)でもあったが、2002年(平成14年)までにはそれら全ての輸入権をメーカー系インポーターに譲渡した(後述)。近年中古車販売の比率が上昇しており、現在の販売台数のおおむね45%は中古車である[3]

主に研磨剤を中心に扱う柳瀬株式会社とは一切無関係。(同社のHPには混同を避けるため「ケンマのヤナセ」と記載されている)

歴史[編集]

設立[編集]

梁瀬長太郎1915年(大正4年)、東京・日比谷に設立した「梁瀨商會」を前身とする。はじめはトラックバスコーチビルダー(車体製造業者)として事業開始したが、三井物産の輸入車部門を長太郎がMBOした。

経営多角化[編集]

1919年(大正8年)、現本社のある東京府芝浦に工場を開設[4]GM(ゼネラルモーターズ)のビュイックキャデラックの輸入から始まり、イタリアフィアットや電気自動車のミルバーンなどの輸入やバス[注釈 3]、タクシー会社[注釈 4]経営、車体製造など幅広い分野に手を広げた。

また1923年には、ヨーロッパに出張中[誰が?]関東大震災の発生を聞き、復興のために自動車需要が増加することを予想し即座に2,000台のシボレーなどの輸入を決め、その後大きく販売数を伸ばした。

その後日本でもシボレーフォードなどの一般及び業務向け乗用車の現地生産が始まり、また1920年代後半から日産自動車オオタなどが小型乗用車の生産を始めると、上流階級や富裕層が好むビュイックやキャデラックの販売を強化し、第二次世界大戦後も同様の高級路線を取ることにつながった。

外国車インポーター時代[編集]

第二次世界大戦中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の梁瀬次郎会長に経営が引き継がれるとともにGMの各ブランドメルセデス・ベンツフォルクスワーゲン(傘下のアウディも含む)と取り扱い車種を増やした。

1965年(昭和40年)、日本への自動車輸入が完全自由化された後も、本国に比べて高価な価格設定、上位グレード中心の車種設定、髙島屋などの高級デパートへの出店、避暑地である軽井沢に夏の期間のみアフターサービス拠点を開くなど、国産車の購入者に比べ裕福な層に対象を絞り「高級車」イメージを強調するブランド戦略により、第二次世界大戦前のままに日本における輸入自動車を「特別な存在」、「富裕層の象徴」に位置付けた[注釈 5]

1970年(昭和45年)10月1日にそれまでの「株式会社梁瀬」から「株式会社ヤナセ」に社名変更する。日本車ディーラーなみの全国に広がるネットワークと、顧客に対するきめ細かいサービスのノウハウなどは高い評価を受け、日本最大手の自動車輸入事業者(インポーター)となり、「輸入車=ヤナセ」と言われるほどの存在になった(実際の輸入業務はヤナセの100%子会社であるウェスタン自動車[注釈 6]が行い、販売をヤナセが行うという形態をとっていた)。

なお、1980年代から1990年代にかけては、GMと提携していたいすゞ自動車の複数の車種や、日産自動車が国内で生産していたフォルクスワーゲン・サンタナを扱っていたこともある。

梁瀬次郎はゼネラルモーターズの各ブランドなどのアメリカ車の日本国内での普及に貢献したとされ、2004年(平成16年)に日本人で3人目の自動車殿堂入りをしている。

再度の経営多角化[編集]

その後梁瀬次郎の掛け声の下で総合商社への進展を図り、自動車の輸入販売ばかりではなく、クルーザー(ハトラス他)、アラジンストーブノースアメリカンベアの輸入、アパレル事業(シャルベ、モラビト他)、宝飾品(フレッド他)の展開、胡蝶蘭の生産、アルファレコードへの資本参加などの経営多角化を行ったが、1990年代初頭のバブル景気崩壊と、フォルクスワーゲンの輸入権喪失による経営再建の過程でほとんどの部門から撤退した。

しかしその後も1952年(昭和27年)設立のテレビコマーシャル制作会社ティー・シー・ジェー1969年までの社名は「日本テレビジョン株式会社」[5])は継続して保有(97%出資)している。

輸入権の譲渡から現在[編集]

1990年代以降、欧米自動車会社各社が自ら設立した日本法人で輸入事業務を行うことが一般化した。販売政策を巡る意見の相違もあり、1992年(平成4年)にはフォルクスワーゲンアウディの輸入権を、2000年(平成12年)以降にはGM系ブランドの輸入権を、それぞれのメーカーが設立した日本法人に譲渡した。

キャデラックとサーブの輸入権を譲渡した2002年(平成14年)末の時点で、自動車輸入事業からは事実上撤退した。その後乗用車以外で唯一残っていたウニモグの輸入権も2005年(平成17年)11月に返上したことで自動車輸入事業からは完全撤退し、メルセデス・ベンツを始め、BMWボルボを含む多ブランドの新車・中古車を扱う輸入車ディーラーとなっている。

輸入車分野における新車販売の競争が激化する中、中古車販売店「ブランドスクエア」に注力している。2018年4月には、往年の名車のレストアサービスを行う「ヤナセクラシックカーセンター」を横浜市都筑区に開店している。またスキー場向けのピステンブーリー(特殊無限軌道車両)や、ファッション商品の輸入事業は継続している。

創業以来梁瀬一族による同族経営であったが、2003年(平成15年)以降は伊藤忠商事傘下での経営再建を行っている。2017年(平成29年)5月には、海外事業の展開を図ることを目的とし伊藤忠商事による株式公開買付けを実施。現在は同社の連結子会社となっている。

芝浦本社の再開発[編集]

旧本社社屋(2011年)

2011年(平成23年)、本館が1962年(昭和37年)、新館が1970年(昭和45年)の竣工であり老朽化していた本社社屋の解体・再開発が着手され[4]2012年(平成24年)10月31日に鴻池組が施工した地上6階、高さ29.25m、延床面積23,975.63㎡(旧本社社屋の約1.6倍の延床面積)の新本社社屋が竣工し、同年12月1日より営業をスタートした。再開発は伊藤忠商事、日本土地建物などとの共同で行われ、新本社社屋のほか、34階建て、総戸数882戸の超高層マンションであるグローバルフロントタワーが建設された[4]

ヤナセ クラシックカーセンター[編集]

2018年(平成30年)4月5日、横浜市都筑区にヤナセクラシックカーセンターをオープン。各支店やBPセンターで、口コミベースで行ってきたレストア業務を事業化。

ヤナセ プレミアムカーレンタル[編集]

2016年(平成28年)4月、ニッポンレンタカーと提携し、当社が取り扱うプレミアムブランドのレンタカー事業を開始。

主な取扱ブランド(自動車)[編集]

過去に取り扱っていたブランド[編集]

自動車以外の過去に取り扱っていた商品[編集]

関連項目[編集]

  • 大里桃子(女子プロゴルファー) - 同社のオフィシャルサプライヤーを務めている[8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ヤナセ販売網に加入している、地場独立資本の地方ディーラー。
  2. ^ なお大阪市城東区関目に本社がある「ヤナセ製油」とは関係ない。
  3. ^ 京成電鉄に買収され、現在は京成タウンバスが運行。
  4. ^ 見習い運転手をしていた川鍋秋蔵が独立の後に経済統制下での企業合同を経て東京四社の一角となる日本交通を創業する。
  5. ^ ヤナセの販売戦略が原因で、本国と日本でブランドイメージの乖離が生じているメーカーが存在する。例えば、メルセデス・ベンツは日本では高級車のメーカーとして知られているが、ドイツをはじめとする欧州諸国では廉価な乗用車も発売しているほか、タクシー・商用バン・トラック・バス・特殊車両や軍用車も製造しており、総合自動車メーカーとして知られている。
  6. ^ 設立当初は西日本におけるパッカードの代理店という位置づけであり、本社も大阪・梅田に所在したが、1952年にメルセデス・ベンツの輸入権を獲得したことに伴い、ヤナセ本社と同じ東京・芝浦に移転した。また、メルセデス・ベンツ日本(MBJ)の設立当初、BMWと同じ手法(BMW本社が当時の日本における代理店だったバルコムトレーディングを買収してBMW JAPANに改組)でダイムラー・ベンツ社がウエスタン自動車を買収することも検討されていたが、諸事情により別に設立したMBJにウエスタン自動車が担当していた輸入業務を移管する形で発足している。
  7. ^ 2002年、アウディジャパンとの共同出資で「ヤナセアウディ販売」を設立し最終的には20店舗が運営されていたが、2007年7月アウディジャパンが直販体制強化のためヤナセ側の店舗と組織を買収し「アウディジャパン販売」として再スタートした。同年、子会社「ヤナセオートモーティブ」を新たに設立しアウディの販売を再開した。2008年6月23日現在直営8店舗。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 株式会社ヤナセ『第151期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書』(レポート)2023年6月29日。 
  2. ^ 株式会社ヤナセ 定款 第1章第1条
  3. ^ [1]
  4. ^ a b c 東京・芝浦の本社:ヤナセ、300億円で再開発 『日本経済新聞』 平成23年5月3日朝刊
  5. ^ 創業当初はテレビ受像機の輸入業者であった。社名が類似する日本テレビ放送網とは関係がない。
  6. ^ - 福岡県で子会社を設立、ポルシェ正規ディーラー拠点を運営 - - ヤナセ 2018年6月29日(2018年6月29日閲覧)
  7. ^ ケンメリ。その数62万台以上。セダン、ワゴン、2ドア、GT-R・・・ケンとメリーのスカイライン、多くのバリエーションを実車で追う。 | Nosweb.jp|日本の旧車Webマガジン[ノスウェブドットジェイピー]”. nosweb.jp. 2022年12月31日閲覧。
  8. ^ "ヤナセ、プロゴルファー大里 桃子 選手とオフィシャルサプライヤー契約を締結 - 国内で開催されるツアー参戦をサポート" (PDF). 社会貢献/各種活動支援. 株式会社ヤナセ. 26 February 2021. 2024年4月21日閲覧

外部リンク[編集]