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<tr><td style="width:100%" colspan="2">[[首里城|首里城正殿]]<ref group="注">2019年の首里城火災で焼失。</ref></tr><tr><td style="width:50%">[[平和の礎]]<td style="width:50%">[[万座毛]]</tr> |
<tr><td style="width:100%" colspan="2">[[首里城|首里城正殿]]<ref group="注釈">2019年の首里城火災で焼失。</ref></tr><tr><td style="width:50%">[[平和の礎]]<td style="width:50%">[[万座毛]]</tr> |
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<tr><td style="width:50%">[[石垣島]]・[[川平湾]]<td style="width:50%">[[宮古島]]・[[東平安名岬]]</tr> |
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| コード = 47000-7 |
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| 隣接都道府県 = {{flag|鹿児島県}}<ref group="注釈">海を隔てて隣接。</ref> |
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| 木 = [[リュウキュウマツ]] |
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| 特記事項 = |
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'''沖縄県'''(おきなわけん)は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[那覇市]]。 |
'''沖縄県'''(おきなわけん、[[沖縄語]]: {{lang|ryu-kana|ウチナー}} {{IPA|/ʔucinaa/}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN03451|title=ウチナー|website=首里・那覇方言音声データベース|language=ja|accessdate=2020-06-09}}</ref><ref>国立国語研究所(2001)『国立国語研究所資料集 5 沖縄語辞典』財務省印刷局、538頁。</ref>、{{lang-en|Okinawa Prefecture}})は、[[日本]]の[[九州|九州地方]]に位置する[[都道府県|県]]。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[那覇市]]。 |
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== 概説 == |
== 概説 == |
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[[鹿児島県]]の[[薩南諸島]]を除く[[南西諸島]]の島々([[沖縄諸島]]、[[先島諸島]]、[[大東諸島]])から構成されており、[[東シナ海]]と[[太平洋]]に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に[[香川県]]、[[大阪府]]、[[東京都]]に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある<ref group="注">日本最南端は[[東京都]]に属する[[沖ノ鳥島]]であるが、人は住んでおらず民間人が自由に立ち入ることはできない。</ref>。又、[[八重山郡]][[与那国町]]は日本の最西端にある[[地方公共団体|地方自治体]]であり、[[与那国島]]の北北西端にある[[トゥイシ]]が日本最西端の地点である<ref name="kyodo">[https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-933982.html 日本最西端、260m北北西へ 沖縄県・与那国島の岩を地形図に] 琉球新報、2019年6月11日閲覧。{{リンク切れ|date=2021年5月}}</ref>。 |
[[鹿児島県]]の[[薩南諸島]]を除く[[南西諸島]]の島々([[沖縄諸島]]、[[先島諸島]]、[[大東諸島]])から構成されており、[[東シナ海]]と[[太平洋]]に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に[[香川県]]、[[大阪府]]、[[東京都]]に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある<ref group="注釈">日本最南端は[[東京都]]に属する[[沖ノ鳥島]]であるが、人は住んでおらず民間人が自由に立ち入ることはできない。</ref>。又、[[八重山郡]][[与那国町]]は日本の最西端にある[[地方公共団体|地方自治体]]であり、[[与那国島]]の北北西端にある[[トゥイシ]]が日本最西端の地点である<ref name="kyodo">[https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-933982.html 日本最西端、260m北北西へ 沖縄県・与那国島の岩を地形図に] 琉球新報、2019年6月11日閲覧。{{リンク切れ|date=2021年5月}}</ref>。 |
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県民人口の約9割が[[沖縄本島]]に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は[[三大都市圏]]に匹敵する[[人口密度]]がある。 |
県民人口の約9割が[[沖縄本島]]に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は[[三大都市圏]]に匹敵する[[人口密度]]がある。 |
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ほぼ全域が[[亜熱帯]]気候であり、一部は[[熱帯]]に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。 |
ほぼ全域が[[亜熱帯]]気候であり、一部は[[熱帯]]に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。 |
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海上輸送路([[シーレーン]])及び軍事的要地([[第一列島線]])として重要な場所に位置し、多数の[[在日米軍|在日米軍基地]]が存在する。主な米軍施設として、[[嘉手納飛行場]]、[[普天間飛行場]]、[[キャンプ・バトラー]] |
海上輸送路([[シーレーン]])及び軍事的要地([[第一列島線]])として重要な場所に位置し、多数の[[在日米軍|在日米軍基地]]が存在する。主な米軍施設として、[[嘉手納飛行場]]、[[普天間飛行場]]、[[キャンプ・バトラー]]などが存在する。 |
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歴史的経緯(後述)から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や[[食文化]]及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要 |
歴史的経緯(後述)から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や[[食文化]]及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい。俗に沖縄「県外」のことを「[[内地]](ナイチ)」、沖縄県外の日本人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。 |
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日本では |
日本国内では緯度が低く、上述のような温暖な気候風土や文化の特性から、日本屈指の[[リゾート]]地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に[[2001年]]の[[テレビドラマ]]「[[ちゅらさん]]」の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、[[沖縄料理]]、[[レジャー]]、[[マリンスポーツ]]や[[戦争遺跡]]などを強みに[[観光]]分野に特に力を入れている。沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は、高いとはいえないが、[[座間味島]]のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している<ref>{{Cite web|和書|title=【島旅Topic】外国人にも大人気!日本の離島5選♪ {{!}} 島日より、旅日より|url=https://shimatabibiyori.com/2016/12/19/1158/|website=shimatabibiyori.com|accessdate=2021-05-04|language=ja}}</ref>。 |
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沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む[[第三次産業]]が79.2%を占めている一方で[[第一次産業]]は5.4%、[[第二次産業]]は15.4%と低調である<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sangyo/c1_uchiw.html 沖縄の産業/産業のうちわけ] - 2014-12-4閲覧</ref>。沖縄は[[太平洋高気圧]]の南側に位置し、[[熱帯低気圧]]が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の[[旅客機]]が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。 |
沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む[[第三次産業]]が79.2%を占めている一方で[[第一次産業]]は5.4%、[[第二次産業]]は15.4%と低調である<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sangyo/c1_uchiw.html 沖縄の産業/産業のうちわけ] - 2014-12-4閲覧</ref>。沖縄は[[太平洋高気圧]]の南側に位置し、[[熱帯低気圧]]が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の[[旅客機]]が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。 |
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{{See also|沖縄県の歴史#琉球と沖縄の名称}} |
{{See also|沖縄県の歴史#琉球と沖縄の名称}} |
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[[淡海三船]]が著した779年成立の[[鑑真]]の伝記『[[唐大和上東征伝]]』では、[[天平勝宝]]5年 |
[[淡海三船]]が著した[[779年]]成立の[[鑑真]]の伝記『[[唐大和上東征伝]]』では、[[天平勝宝]]5年([[753年]])11月21日に遣唐使一行が阿児奈波嶋(あこなはしま/あこなわじま)に到着したと記述されており<ref group="注釈">なお「漂着」とする説が見られるが、文献、研究書で漂着と解しているものは見られず、原文も単に『同到阿児奈波』としているだけである。</ref><ref>山里(2004)</ref>、この島は沖縄本島のことを指していたという<ref>「沖縄コンパクト事典」阿児奈波島(あこなはじま) 琉球新報社発行2003年3月1日</ref>。後に中国側からの呼称による「流求」「琉球」と呼ばれるようになった。 |
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[[琉球処分]]の際、[[明治|明治政府]]内では「'''琉球県'''」の名称も検討された。これは[[1879年]](明治12年)、[[琉球藩]]を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の[[伊藤博文]]から太政大臣の[[三条実美]]に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、[[中国語]]由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧[[信濃国]]が[[長野県]]、旧[[上野国]]が[[群馬県]]となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は[[沖縄本島]]を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに[[沖縄諸島]]・[[先島諸島]]全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった<ref>『琉球史辞典』中山盛茂 著、琉球文教図書、1969年</ref>。 |
[[琉球処分]]の際、[[明治|明治政府]]内では「'''琉球県'''」の名称も検討された。これは[[1879年]](明治12年)、[[琉球藩]]を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の[[伊藤博文]]から太政大臣の[[三条実美]]に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、[[中国語]]由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧[[信濃国]]が[[長野県]]、旧[[上野国]]が[[群馬県]]となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は[[沖縄本島]]を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに[[沖縄諸島]]・[[先島諸島]]全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった<ref>『琉球史辞典』中山盛茂 著、琉球文教図書、1969年</ref>。 |
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== 地理・地域・公海 == |
== 地理・地域・公海 == |
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[[ファイル:Okinawakenchizu.png|thumb|right|沖縄県の地図]] |
[[ファイル:Okinawakenchizu.png|thumb|right|沖縄県の地図]] |
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[[国土交通省]]による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る{{refnest| group="注"|name="yougo"|14地域:北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄<ref>{{Cite web|url=https://www.mlit.go.jp/term/file000005.html#shi|title=用語集|publisher=国土交通省|accessdate=2013-06-01}}</ref>。}}。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「[[九州#近現代の「九州」]]」を参照)。[[国土交通省]]は、「[[沖縄本島]]」を、「[[本土]]」5島の一つとしている{{refnest| group="注"|国土交通省では、[[島国]]([[領土]]がすべて[[島]]から成る国)である日本を構成する6,852島を、本土5島と[[離島]]6,847島に区分している<ref>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html] 2009年11月27日閲覧</ref>。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。}}{{refnest| group="注"|日本の[[島]]の面積順上位10島:[[本州]]、[[北海道]]、[[九州]]、[[四国]]、[[択捉島]]、[[国後島]]、[[沖縄本島]]、[[佐渡島]]、[[奄美大島]]、[[対馬]]<ref>[[国立天文台]] (編)[[理科年表]] 平成19年版 P565 ISBN 4621077635</ref>。}}。 |
[[国土交通省]]による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る{{refnest| group="注釈"|name="yougo"|14地域:北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/term/file000005.html#shi|title=用語集|publisher=国土交通省|accessdate=2013-06-01}}</ref>。}}。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「[[九州#近現代の「九州」]]」を参照)。[[国土交通省]]は、「[[沖縄本島]]」を、「[[本土]]」5島の一つとしている{{refnest| group="注釈"|国土交通省では、[[島国]]([[領土]]がすべて[[島]]から成る国)である日本を構成する6,852島を、本土5島と[[離島]]6,847島に区分している<ref>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html] 2009年11月27日閲覧</ref>。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。}}{{refnest| group="注釈"|日本の[[島]]の面積順上位10島:[[本州]]、[[北海道]]、[[九州]]、[[四国]]、[[択捉島]]、[[国後島]]、[[沖縄本島]]、[[佐渡島]]、[[奄美大島]]、[[対馬]]<ref>[[国立天文台]] (編)[[理科年表]] 平成19年版 P565 ISBN 4621077635</ref>。}}。 |
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[[国土地理院 |
[[国土地理院]]によると、沖縄県は691の島から成っている<ref name="国土構成島数">{{Cite web |和書 |title=日本の島の数 |url=https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/islands_index.html |work=地理に関する情報 |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2023-11-29}}</ref>。49の有人島と多数の[[無人島]]から成り、0.01 km<sup>2</sup>以上の面積を有する島は160島存在する<ref name="160islands">[http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/tochitai/tousho.html 沖縄県の島しょ別面積一覧] (沖縄県を構成する160の[[島]]の名称と面積の一覧表) 沖縄県土地対策課。</ref>。最東端から最西端までは約1,000[[キロメートル|km]]、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ<ref>{{Cite web |
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|url = http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/12017/P1-7.pdf |
|url = http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/12017/P1-7.pdf |
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|title = NATURE in OKINAWA |
|title = NATURE in OKINAWA |
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与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。 |
与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。 |
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{| class="wikitable" style="white-space:nowrap; text-align:center" |
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|+沖縄県の端<span style="font-weight:normal"><ref>{{Cite web |
|+沖縄県の端<span style="font-weight:normal"><ref>{{Cite web|和書 |
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|url = http://www.pref.okinawa.jp/tochi/toukeide%20tisei.html |
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|title = 統計データ 沖縄の東西南北端 |
|title = 統計データ 沖縄の東西南北端 |
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|[[硫黄鳥島]] |
|[[硫黄鳥島]] |
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|[[久米島町]] |
|[[久米島町]] |
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|有人島に限れば[[伊平屋島]]<ref>{{Cite web |
|有人島に限れば[[伊平屋島]]<ref>{{Cite web|和書 |
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|url = http://www.pref.okinawa.jp/chiiki_ritou/simajima/iheya.html |
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|title = 知・旅・住 離島総合情報サイト 沖縄のしまじま 伊平屋島 / 野甫島 |
|title = 知・旅・住 離島総合情報サイト 沖縄のしまじま 伊平屋島 / 野甫島 |
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|[[波照間島]] |
|[[波照間島]] |
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|[[竹富町]] |
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|日本最南端の有人島<ref>{{Cite web |
|日本最南端の有人島<ref>{{Cite web|和書 |
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|url = http://www.town.taketomi.lg.jp/islands/index.php?content_id=6 |
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|title = 美しき島々 波照間島 |
|title = 美しき島々 波照間島 |
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|[[与那国島]] |
|[[与那国島]] |
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|[[与那国町]] |
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|日本最西端の島<ref>{{Cite web |
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|url = https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/center.htm |
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|title = 日本の東西南北端点の経度緯度 |
|title = 日本の東西南北端点の経度緯度 |
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離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、[[病院]]がなく[[診療所]]のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の[[沖縄本島]]への空輸を[[陸上自衛隊]]や[[海上保安庁]]が行っている。なお、[[宮古島]]、[[石垣島]]には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。 |
離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、[[病院]]がなく[[診療所]]のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の[[沖縄本島]]への空輸を[[陸上自衛隊]]や[[海上保安庁]]が行っている。なお、[[宮古島]]、[[石垣島]]には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。 |
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県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には[[九州|九州島]]全域や[[下関市]]、[[上海市|上海]]、[[福州市|福州]]や[[台湾|台湾島]]全域が含まれ、1,500km圏内には[[大阪市|大阪]]、[[南京市|南京]]、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[平壌直轄市|平壌]]、[[マニラ]]、[[香港]]などが位置する。2000km圏内には[[東京]]、[[仙台市|仙台]]、[[北京市|北京]]、[[瀋陽市|瀋陽]]、[[海口市|海南省海口市]]、[[長春市|長春]]、[[ウラジオストク]] |
県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には[[九州|九州島]]全域や[[下関市]]、[[上海市|上海]]、[[福州市|福州]]や[[台湾|台湾島]]全域が含まれ、1,500km圏内には[[大阪市|大阪]]、[[南京市|南京]]、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[平壌直轄市|平壌]]、[[マニラ]]、[[香港]]などが位置する。2000km圏内には[[東京]]、[[仙台市|仙台]]、[[北京市|北京]]、[[瀋陽市|瀋陽]]、[[海口市|海南省海口市]]、[[長春市|長春]]、[[ウラジオストク]]などが存在し、2500km圏内には[[稚内]]、[[成都市|成都]]、[[重慶市|重慶]]、[[ハノイ]]、[[グアム]]、[[北マリアナ諸島]]、[[パラオ]]が収まるなど、まさに[[東アジア]]・[[東南アジア]]と[[日本]]との接点とも言える位置にある。 |
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沖縄本島の中南部は[[那覇市]]や[[沖縄市]]を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(''[[沖縄本島#中南部都市圏]]'' も参照)。その上、[[治外法権]]の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため[[人口密度]]は全国で第9位であり、[[三大都市圏]]の都府県を除くと[[福岡県]]に次いで2番目に高い。 |
沖縄本島の中南部は[[那覇市]]や[[沖縄市]]を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(''[[沖縄本島#中南部都市圏]]'' も参照)。その上、[[治外法権]]の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため[[人口密度]]は全国で第9位であり、[[三大都市圏]]の都府県を除くと[[福岡県]]に次いで2番目に高い。 |
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;[[生物]] |
;[[生物]] |
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:[[亜熱帯]]地帯で[[生物]]に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には[[山原]]と呼ばれる[[森林]]が広がっており、[[ノグチゲラ]]、[[ヤンバルクイナ]]、[[ヤンバルテナガコガネ]]といった[[天然記念物]] |
:[[亜熱帯]]地帯で[[生物]]に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には[[山原]]と呼ばれる[[森林]]が広がっており、[[ノグチゲラ]]、[[ヤンバルクイナ]]、[[ヤンバルテナガコガネ]]といった[[天然記念物]]など貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、[[慶良間諸島]]などが[[沖縄海岸国定公園]]に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が[[西表石垣国立公園]]に指定されており、[[マングローブ]]林が広がるほか、[[イリオモテヤマネコ]]などの貴重な生物が生息している。なお、[[環境省]]が指定する[[日本の重要湿地500]]のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、[[北海道]](61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。 |
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;[[大雨]]と[[水不足]] |
;[[大雨]]と[[水不足]] |
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:[[2005年]](平成17年)から[[2007年]](平成19年)各年の[[6月]]に[[梅雨前線]]の影響で大雨と[[雷]]が沖縄本島を襲い、各地で冠水、[[土砂崩れ]]、[[崖崩れ]] |
:[[2005年]](平成17年)から[[2007年]](平成19年)各年の[[6月]]に[[梅雨前線]]の影響で大雨と[[雷]]が沖縄本島を襲い、各地で冠水、[[土砂崩れ]]、[[崖崩れ]]などが相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、[[梅雨]]と[[台風]]による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候および地形的に水不足に陥りやすい<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sugata/a2_kikou.html 沖縄の気候 沖縄こどもランド]</ref>。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の[[1972年]](昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から[[1990年代]]前半までしばしば水不足による[[断水]]が行われた<ref>[http://www.eb.pref.okinawa.jp/museum/gallon/seigen/ 給水制限の記録(沖縄県企業局)]</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.eb.pref.okinawa.jp/jigyou/gaiyou/H18/pdf/p1.pdf 沖縄県企業局概要 沖縄の水]}}</ref>。特に[[昭和56-57年沖縄渇水|1981-1982年の渇水]]では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また[[1997年]](平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な[[海水淡水化]]施設が[[北谷町]]に完成したことで<ref>[http://www.eb.pref.okinawa.jp/sisetu/suigen/kaisui/index.html 海水淡水化施設(沖縄県企業局)]</ref>、[[2005年]](平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。 |
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;[[地震]] |
;[[地震]] |
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{{Main|南西諸島近海地震}} |
{{Main|南西諸島近海地震}} |
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日本国内における気候区分では[[南日本気候]]に属する。 |
日本国内における気候区分では[[南日本気候]]に属する。 |
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[[宮古島]]、[[多良間島]]、[[石垣島]]、[[西表島]]、[[与那国島]]、[[波照間島]]および[[沖大東島]]は[[熱帯]]性気候で[[ケッペンの気候区分]]では[[熱帯雨林気候]] (Af) に、[[北大東島]]および[[南大東島]]は同じく熱帯性気候で[[熱帯モンスーン気候]](Am)、それ以外の地域は[[亜熱帯]]性で[[温暖湿潤気候]] (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000[[ミリメートル|mm]]以上で、年間平均気温は約22[[°C]]となっている。しかし、最高気温が35℃を超える[[猛暑日]]になることはほとんど無い<ref>{{Cite web |
[[宮古島]]、[[多良間島]]、[[石垣島]]、[[西表島]]、[[与那国島]]、[[波照間島]]および[[沖大東島]]は[[熱帯]]性気候で[[ケッペンの気候区分]]では[[熱帯雨林気候]] (Af) に、[[北大東島]]および[[南大東島]]は同じく熱帯性気候で[[熱帯モンスーン気候]](Am)、それ以外の地域は[[亜熱帯]]性で[[温暖湿潤気候]] (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000[[ミリメートル|mm]]以上で、年間平均気温は約22[[°C]]となっている。しかし、最高気温が35℃を超える[[猛暑日]]になることはほとんど無い<ref>{{Cite web|和書 |
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|title = 報道発表資料 夏(6 - 8月)の天候 |
|title = 報道発表資料 夏(6 - 8月)の天候 |
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|url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/stat/tenko100608.pdf |
|url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/stat/tenko100608.pdf |
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|date = 2010-09-01 |
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|accessdate = 2011-07-18 |
|accessdate = 2011-07-18 |
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}}</ref>。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること([[海洋性気候]])から、[[フェーン現象]]や晴天弱風と都市化がもたらす大規模な[[ヒートアイランド現象]]のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は[[台風銀座]]と呼ばれており、毎年多くの[[台風]]が接近する。月別で注目すると、降水量は[[梅雨]]入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い。梅雨明け |
}}</ref>。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること([[海洋性気候]])から、[[フェーン現象]]や晴天弱風と都市化がもたらす大規模な[[ヒートアイランド現象]]のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は[[台風銀座]]と呼ばれており、毎年多くの[[台風]]が接近する。月別で注目すると、降水量は[[梅雨]]入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い。梅雨明けころには、[[夏至南風]](沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ<ref>{{Cite web|和書 |
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|url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-94538-storytopic-86.html |
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|date = 1999-06-22 |
|date = 1999-06-22 |
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|publisher = [[琉球新報]] |
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|accessdate = 2012-06-28 |
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}}</ref>)と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる[[季節風]]として知られている<ref>{{Cite web |
}}</ref>)と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる[[季節風]]として知られている<ref>{{Cite web|和書 |
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|url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-40850-storytopic-121.html |
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|date = 2003-03-01 |
|date = 2003-03-01 |
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==== 降雪 ==== |
==== 降雪 ==== |
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冬期に降雪があることはごくまれであるが、[[1977年]](昭和52年)[[2月17日]]に[[久米島]]で、[[2016年]](平成28年)[[1月24日]]に久米島と名護市でそれぞれ[[霙|みぞれ]](気象記録上は[[雪]]と同じ扱い)が観測された<ref>{{Cite news|url=https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160224055907/https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170|title=沖縄で雪を観測 39年ぶり史上2回目|newspaper=沖縄タイムス|date=2016-01-24|accessdate=2021-03-12|archivedate=2016-02-24}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-209803.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210312062410/https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-209803.html|title=名護、久米島でみぞれ 39年ぶり、本島は初の「雪」|newspaper=琉球新報|date=2016-01-25|accessdate=2021-03-12|archivedate=2021-03-12}}</ref> |
冬期に降雪があることはごくまれであるが、[[1977年]](昭和52年)[[2月17日]]に[[久米島]]で、[[2016年]](平成28年)[[1月24日]]に久米島と名護市でそれぞれ[[霙|みぞれ]](気象記録上は[[雪]]と同じ扱い)が観測された<ref>{{Cite news|url=https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160224055907/https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170|title=沖縄で雪を観測 39年ぶり史上2回目|newspaper=沖縄タイムス|date=2016-01-24|accessdate=2021-03-12|archivedate=2016-02-24}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-209803.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210312062410/https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-209803.html|title=名護、久米島でみぞれ 39年ぶり、本島は初の「雪」|newspaper=琉球新報|date=2016-01-25|accessdate=2021-03-12|archivedate=2021-03-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0189e1b1fe23a45f93871ca9ebc6d43e7fdd31bf|title= 沖縄の「初雪」は本当に初雪だったのか|author=片平敦|work=yahoo|accessdate=2022/05/13}}</ref>。[[気象庁]]が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq1.html 「沖縄で雪が降ったことはありますか?」] 気象庁、2022年5月13日閲覧</ref>。 |
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観測開始以前においては、[[琉球王国]]の正史とされる『球陽』によると、[[1774年]]、[[1816年]]、[[1843年]]、[[1845年]]、[[1857年]]にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している<ref>[http://homepage2.nifty.com/ho-/kisyou/nahasnow/nahasnow.htm 「高気温時の降雪 〜限界と可能性・沖縄に雪は降ったか?〜」]</ref>。 |
観測開始以前においては、[[琉球王国]]の正史とされる『球陽』によると、[[1774年]]、[[1816年]]、[[1843年]]、[[1845年]]、[[1857年]]にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している<ref>[http://homepage2.nifty.com/ho-/kisyou/nahasnow/nahasnow.htm 「高気温時の降雪 〜限界と可能性・沖縄に雪は降ったか?〜」]</ref>。 |
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{| class="wikitable" style="width:90%;margin:0 auto;font-size:small;text-align:center;white-space:nowrap" |
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|+沖縄県内各地の気象データ<ref>{{Cite web |
|+沖縄県内各地の気象データ<ref>{{Cite web|和書 |
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|url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/select/prefecture.php?prec_no=91&prec_ch=%89%AB%93%EA%8C%A7&block_no=&block_ch=&year=&month=&day=&view= |
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|title = 気象統計情報 |
|title = 気象統計情報 |
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||{{0|000}}7.62 |
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| colspan="6" align="center" style="background:#6fc;" |'''出典''':[[国土地理院]](2016年10月1日現在)<ref name="island-area">{{Cite web|date=2016-10-01|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201610/f3_shima.pdf|title=平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積|format=PDF|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2017-02-27}}</ref> |
| colspan="6" align="center" style="background:#6fc;" |'''出典''':[[国土地理院]](2016年10月1日現在)<ref name="island-area">{{Cite web|和書|date=2016-10-01|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201610/f3_shima.pdf|title=平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積|format=PDF|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2017-02-27}}</ref> |
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|} |
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** 伊良部県立自然公園 |
** 伊良部県立自然公園 |
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** 渡名喜県立自然公園 |
** 渡名喜県立自然公園 |
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** 多良間県立自然公園(2015年3月29日指定<ref>{{ |
** 多良間県立自然公園(2015年3月29日指定<ref>{{Cite web|和書| title = 多良間県立自然公園| publisher = 沖縄県| url = http://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/shizen/koen/tarama_kenritu_sizenkouen.html| accessdate = 2018-08-25}}</ref>) |
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{{div col end}} |
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; 河川 |
; 河川 |
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本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、[[流域面積]]が小さいことが挙げられる<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kasen/con02/02kasen.html 沖縄の河川] - 沖縄県土木建築部河川課</ref>。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。また[[マングローブ]]林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/mizu/kaiken_mizu_genkyou.html 沖縄の地形・地質と河川・砂防・海岸等] - 沖縄総合事務局 開発建設部</ref>。現在、沖縄本島北部では[[赤土]]の流出、中南部では畜舎からの[[排水]] |
本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、[[流域面積]]が小さいことが挙げられる<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kasen/con02/02kasen.html 沖縄の河川] - 沖縄県土木建築部河川課</ref>。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。また[[マングローブ]]林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/mizu/kaiken_mizu_genkyou.html 沖縄の地形・地質と河川・砂防・海岸等] - 沖縄総合事務局 開発建設部</ref>。現在、沖縄本島北部では[[赤土]]の流出、中南部では畜舎からの[[排水]]などの影響による河川[[汚染]]が問題となっている<ref>[http://www.ule.co.jp/biofit74.pdf 琉球大学 沖縄の河川の特徴と魚類の生活史]</ref><ref>[http://www.okiu.ac.jp/Language/contest/02/03/group8/group8.htm 沖縄国際大学 沖縄の川]</ref>。 |
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本県には国内で唯一、[[一級河川]]が存在しない。[[二級河川]]の開発は知事の要請に基づき[[沖縄振興特別措置法]]により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/mizu/kaiken_mizu_genkyou.html 沖縄の河川行政] - 沖縄総合事務局 開発建設部</ref>。 |
本県には国内で唯一、[[一級河川]]が存在しない。[[二級河川]]の開発は知事の要請に基づき[[沖縄振興特別措置法]]により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている<ref>[http://www.dc.ogb.go.jp/kaiken/mizu/kaiken_mizu_genkyou.html 沖縄の河川行政] - 沖縄総合事務局 開発建設部</ref>。 |
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* [[宮良川]] |
* [[宮良川]] |
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*報得川 |
*報得川 |
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; 湖沼・干潟 |
; 湖沼・干潟など |
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* [[大池 (沖縄県)|大池]] - 沖縄県最大の自然湖 |
* [[大池 (沖縄県)|大池]] - 沖縄県最大の自然湖 |
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2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。 |
2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。 |
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現代(2020年)において沖縄県の地域は'''北部地域'''、'''中部地域、南部地域(南部離島地域)、宮古・八重山地域'''に大分される<ref name=":0">{{Cite web|title=中部地域/沖縄県|url=https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/kaibo/sichousonrenrakusakinaka.html|website=www.pref.okinawa.lg.jp|accessdate=2020-11-14}}</ref><ref name=":1">https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/kowan/keikaku/documents/documents/p1~10.pdf</ref>。 |
現代(2020年)において沖縄県の地域は'''北部地域'''、'''中部地域、南部地域(南部離島地域)、宮古・八重山地域'''に大分される<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=中部地域/沖縄県|url=https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/kaibo/sichousonrenrakusakinaka.html|website=www.pref.okinawa.lg.jp|accessdate=2020-11-14}}</ref><ref name=":1">https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/kowan/keikaku/documents/documents/p1~10.pdf</ref>。 |
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南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く[[沖縄諸島]]と[[大東諸島]]の島々の町村を含んだ概念である。 |
南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く[[沖縄諸島]]と[[大東諸島]]の島々の町村を含んだ概念である。 |
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また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される(「北部離島地域」と言う呼び方は公式ではない)。 |
また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される(「北部離島地域」と言う呼び方は公式ではない)。 |
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ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼<ref group="注">次の「沖縄本島に属する市町村の位置」図に掲載。</ref>はこれら離島地域には含まれない。 |
ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼<ref group="注釈">次の「沖縄本島に属する市町村の位置」図に掲載。</ref> はこれら離島地域には含まれない。 |
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{{Okinawa Island Labelled Map}} |
{{Okinawa Island Labelled Map}} |
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{{see also|国頭|国頭郡|中頭|中頭郡|島尻|島尻郡|宮古郡|八重山郡}} |
{{see also|国頭|国頭郡|中頭|中頭郡|島尻|島尻郡|宮古郡|八重山郡}} |
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[[1896年]](明治29年)[[4月1日]]の[[郡制]]施行(沖縄県区制)に伴い、[[那覇区]]、[[首里区]]と、[[国頭郡]]、[[中頭郡]]、[[島尻郡]]、[[宮古郡]]、[[八重山郡]]の5郡が設置された(2区5郡)。この時点では沖縄県発足以来継続していた[[旧慣温存政策]]により琉球王国時代の間切制が残存していた<ref group="注">すなわち、この時点の間切制が琉球王国時代末期(最終)の間切制をほぼ継承していたと考えられる。</ref><ref group="注">なお、この間切制の大きな区分として、沖縄本島は「国頭方」「中頭方」「島尻方」の3つに大分されていた。これは[[古琉球]]14 - 15世紀の[[三山時代]]の国界に由来している(多少の相違はある)。「地下三方諸離(じじさんぽーしゅはなり)」の「地下三方」が国頭方・中頭方・島尻方を指す。「諸離」は本島の周囲離島、周辺離島を概ね指す。</ref>。これは、1908年(明治41年)4月1日に沖縄県独自の島嶼町村制施行により、間切→村(そん)に移管されるまで続いた。 |
[[1896年]](明治29年)[[4月1日]]の[[郡制]]施行(沖縄県区制)に伴い、[[那覇区]]、[[首里区]]と、[[国頭郡]]、[[中頭郡]]、[[島尻郡]]、[[宮古郡]]、[[八重山郡]]の5郡が設置された(2区5郡)。この時点では沖縄県発足以来継続していた[[旧慣温存政策]]により琉球王国時代の間切制が残存していた<ref group="注釈">すなわち、この時点の間切制が琉球王国時代末期(最終)の間切制をほぼ継承していたと考えられる。</ref><ref group="注釈">なお、この間切制の大きな区分として、沖縄本島は「国頭方」「中頭方」「島尻方」の3つに大分されていた。これは[[古琉球]]14 - 15世紀の[[三山時代]]の国界に由来している(多少の相違はある)。「地下三方諸離(じじさんぽーしゅはなり)」の「地下三方」が国頭方・中頭方・島尻方を指す。「諸離」は本島の周囲離島、周辺離島を概ね指す。</ref>。これは、1908年(明治41年)4月1日に沖縄県独自の島嶼町村制施行により、間切→村(そん)に移管されるまで続いた。 |
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この1896年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に「'''旧[[郡制]]'''」と言う事があり<ref group="注">[[郡役所]]などにより行政実体として機能していた時代を指す。郡制廃止以降、郡は単なる地理的名称と残っている。沖縄県外でも同様だが、沖縄県では時代的経緯は異なる。</ref>、この境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が制度上も残っている。 |
この1896年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に「'''旧[[郡制]]'''」と言う事があり<ref group="注釈">[[郡役所]]などにより行政実体として機能していた時代を指す。郡制廃止以降、郡は単なる地理的名称と残っている。沖縄県外でも同様だが、沖縄県では時代的経緯は異なる。</ref>、この境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が制度上も残っている。 |
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この歴史的経緯により、旧郡制当初から現代まで、[[伊平屋村]]・[[伊是名村]]は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている。ほか、沖縄本島と伊江島を除く[[沖縄諸島]]と、[[大東諸島]]の島々の市町村も同様に島尻郡に属しており、必ずしも南部とは言えない南部地域(南部離島地域)に組み入れられている。 |
この歴史的経緯により、旧郡制当初から現代まで、[[伊平屋村]]・[[伊是名村]]は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている。ほか、沖縄本島と伊江島を除く[[沖縄諸島]]と、[[大東諸島]]の島々の市町村も同様に島尻郡に属しており、必ずしも南部とは言えない南部地域(南部離島地域)に組み入れられている。 |
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; 南部広域市町村圏 |
; 南部広域市町村圏 |
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:(旧)島尻郡および旧[[那覇区]]、旧[[首里区]]<ref group="注">ただし首里区は旧郡制下の一時期、中頭郡役所が置かれるなど中頭の一部として機能した時代もあった。沖縄戦後に那覇市に編入された。</ref>と、これに中部地域の浦添市を含めた範囲(ここでは沖縄本島部分を扱う)。 |
:(旧)島尻郡および旧[[那覇区]]、旧[[首里区]]<ref group="注釈">ただし首里区は旧郡制下の一時期、中頭郡役所が置かれるなど中頭の一部として機能した時代もあった。沖縄戦後に那覇市に編入された。</ref> と、これに中部地域の浦添市を含めた範囲(ここでは沖縄本島部分を扱う)。 |
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:なお、西原町は中部地域かつ中部広域市町村圏に属するが、一部の事務組合については南部と合同になることもある。 |
:なお、西原町は中部地域かつ中部広域市町村圏に属するが、一部の事務組合については南部と合同になることもある。 |
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{{See also|那覇都市圏}} |
{{See also|那覇都市圏}} |
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; 南部広域市町村圏(離島) |
; 南部広域市町村圏(離島) |
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:いずれも(旧)島尻郡、南部広域市町村圏に属している。南部離島地域と同様の概念で「南部離島」 |
:いずれも(旧)島尻郡、南部広域市町村圏に属している。南部離島地域と同様の概念で「南部離島」などとも呼ばれる。 |
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{{Okinawa Prefecture Labelled Map}} |
{{Okinawa Prefecture Labelled Map}} |
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『[[続日本紀]]』には、[[文武天皇]]2年([[698年]])に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年([[699年]])に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。[[和銅]]8年([[715年]])には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも[[養老]]4年([[720年]])に南島人232人に位を授け、また[[神亀]]4年([[727年]])に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。 |
『[[続日本紀]]』には、[[文武天皇]]2年([[698年]])に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年([[699年]])に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。[[和銅]]8年([[715年]])には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも[[養老]]4年([[720年]])に南島人232人に位を授け、また[[神亀]]4年([[727年]])に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。 |
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[[琉球王国]]時代に編纂された「[[中山世鑑]]」によると、[[保元の乱]]で敗れ[[伊豆]]に流された[[源為朝]]が追手から逃れるため沖縄本島([[運天港]])に渡り、その子が初代琉球国王[[舜天]]になったとされており、正史として扱われていた。14世紀後半には[[三山時代|三山]]王国([[北山王国|北山]]、[[中山王国|中山]]、[[南山王国|南山]])が勃興する[[グスク時代]]に突入し、中国([[明]])に[[朝貢]]し[[冊封]]を受け[[琉球貿易]]を行っていた。1429年に中山王[[尚巴志王|尚巴志]]が南山と北山を滅ぼし琉球を統一、琉球王国を建国した([[第一尚氏]])。グスク時代の城跡遺跡は『[[琉球王国のグスク及び関連遺産群]]』として[[ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。[[1469年]]に[[尚徳王]]の家臣であった金丸が王位を[[簒奪]]し、自らを[[尚円王]]と号し即位した([[第二尚氏]])。周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが、[[1609年]]([[慶長]]14年)に[[薩摩藩]]の侵攻を受け[[尚寧王]]は降伏、当時王国の支配下にあった[[奄美群島]]は薩摩藩に割譲<ref group="注">ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は[[奄美群島の歴史]]を参照。</ref>、王国は薩摩藩の支配下におかれた([[琉球侵攻]])。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが[[鎖国]]体制下の両国の[[中継貿易]]地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の[[南洋幻想]]の発端となった{{要出典|date=2020年10月}}。 |
[[琉球王国]]時代に編纂された「[[中山世鑑]]」によると、[[保元の乱]]で敗れ[[伊豆]]に流された[[源為朝]]が追手から逃れるため沖縄本島([[運天港]])に渡り、その子が初代琉球国王[[舜天]]になったとされており、正史として扱われていた。14世紀後半には[[三山時代|三山]]王国([[北山王国|北山]]、[[中山王国|中山]]、[[南山王国|南山]])が勃興する[[グスク時代]]に突入し、中国([[明]])に[[朝貢]]し[[冊封]]を受け[[琉球貿易]]を行っていた。1429年に中山王[[尚巴志王|尚巴志]]が南山と北山を滅ぼし琉球を統一、琉球王国を建国した([[第一尚氏]])。グスク時代の城跡遺跡は『[[琉球王国のグスク及び関連遺産群]]』として[[ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。[[1469年]]に[[尚徳王]]の家臣であった金丸が王位を[[簒奪]]し、自らを[[尚円王]]と号し即位した([[第二尚氏]])。周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが、[[1609年]]([[慶長]]14年)に[[薩摩藩]]の侵攻を受け[[尚寧王]]は降伏、当時王国の支配下にあった[[奄美群島]]は薩摩藩に割譲<ref group="注釈">ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は[[奄美群島の歴史]]を参照。</ref>、王国は薩摩藩の支配下におかれた([[琉球侵攻]])。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが[[鎖国]]体制下の両国の[[中継貿易]]地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の[[南洋幻想]]の発端となった{{要出典|date=2020年10月}}。 |
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近代に入り、[[1853年]]([[嘉永]]6年)[[マシュー・ペリー]]率いる[[黒船]]艦隊が琉球に来航し首里城を訪問。翌[[1854年]]([[嘉永]]7年)[[琉米修好条約]]を締結するのを皮切りに[[フランス]]や[[オランダ]]とも修好条約を締結した。一方、日本本土では[[明治維新]]がおこり[[開国]]したことを受け、[[1871年]](明治4年)9月に[[日清修好条規]]が締結され[[清]]との間に外交関係が樹立された。しかし、その約1ヶ月後となる同年10月に[[宮古島島民遭難事件]]が発生、[[明治政府]]は外交対処のために[[中央集権]]国家の確立を急ぎ、[[1872年]](明治5年)、[[琉球藩]]が設置され、琉球国王の[[尚泰王|尚泰]]を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。[[副島種臣|福島外務卿]]による清との交渉後、[[1874年]](明治7年)に[[台湾出兵]]となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などが[[イギリス]]大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。[[1879年]][[3月27日]]([[明治]]12年)<ref>{{Cite web|title=1879年3月27日「沖縄県」の設置|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4631|publisher=[[沖縄県公文書館]]|website=あの日の沖縄|accessdate=2022-5-14}}なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている。</ref>、明治政府は琉球藩を廃して'''沖縄県'''を設置、[[尚泰王|尚泰]]は東京の藩邸に居を移し[[華族]]となる。明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を[[琉球処分]]と言う。 |
近代に入り、[[1853年]]([[嘉永]]6年)[[マシュー・ペリー]]率いる[[黒船]]艦隊が琉球に来航し首里城を訪問。翌[[1854年]]([[嘉永]]7年)[[琉米修好条約]]を締結するのを皮切りに[[フランス]]や[[オランダ]]とも修好条約を締結した。一方、日本本土では[[明治維新]]がおこり[[開国]]したことを受け、[[1871年]](明治4年)9月に[[日清修好条規]]が締結され[[清]]との間に外交関係が樹立された。しかし、その約1ヶ月後となる同年10月に[[宮古島島民遭難事件]]が発生、[[明治政府]]は外交対処のために[[中央集権]]国家の確立を急ぎ、[[1872年]](明治5年)、[[琉球藩]]が設置され、琉球国王の[[尚泰王|尚泰]]を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。[[副島種臣|福島外務卿]]による清との交渉後、[[1874年]](明治7年)に[[台湾出兵]]となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などが[[イギリス]]大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。[[1879年]][[3月27日]]([[明治]]12年)<ref>{{Cite web|和書|title=1879年3月27日「沖縄県」の設置|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4631|publisher=[[沖縄県公文書館]]|website=あの日の沖縄|accessdate=2022-5-14}}なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている。</ref>、明治政府は琉球藩を廃して'''沖縄県'''を設置、[[尚泰王|尚泰]]は東京の藩邸に居を移し[[華族]]となる。明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を[[琉球処分]]と言う。 |
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[[1945年]]([[昭和]]20年)、[[第二次世界大戦|太平洋戦争]]では『国内最大の地上戦』と呼ばれる{{refnest|group="注"|当時、[[内地]](非植民地である日本本土)であった[[樺太庁]]及び[[根室支庁|千島]]でも[[赤軍|ソ連軍]]と激戦が繰り広げられたため、「唯一の地上戦」ではない<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162452-storytopic-3.html 沖縄地上戦 国内唯一→国内最大 政府が閣議決定](琉球新報)</ref>。}}[[沖縄戦]]の戦場となった。米軍は[[4月1日]]に沖縄本島の[[読谷村]]の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、[[6月23日]]に沖縄守備軍最高指揮官の[[牛島満]]中将らが[[摩文仁村|摩文仁]]で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は[[沖縄戦跡国定公園]]に指定されており、6月23日は[[慰霊の日]]として沖縄県の休日となっている。 |
[[1945年]]([[昭和]]20年)、[[第二次世界大戦|太平洋戦争]]では『国内最大の地上戦』と呼ばれる{{refnest|group="注釈"|当時、[[内地]](非植民地である日本本土)であった[[樺太庁]]及び[[根室支庁|千島]]でも[[赤軍|ソ連軍]]と激戦が繰り広げられたため、「唯一の地上戦」ではない<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162452-storytopic-3.html 沖縄地上戦 国内唯一→国内最大 政府が閣議決定](琉球新報)</ref>。}}[[沖縄戦]]の戦場となった。米軍は[[4月1日]]に沖縄本島の[[読谷村]]の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、[[6月23日]]に沖縄守備軍最高指揮官の[[牛島満]]中将らが[[摩文仁村|摩文仁]]で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は[[沖縄戦跡国定公園]]に指定されており、6月23日は[[慰霊の日]]として沖縄県の休日となっている。 |
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沖縄戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[SCAPIN|SCAPIN - 677]]指令により南西諸島<ref group="注">[[大隅諸島]]および[[上三島]]を除く。</ref>は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した([[アメリカ合衆国による沖縄統治]])。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、[[730 (交通)|右側通行の道路]]を整備し、通貨として[[B円]]、後に[[米ドル]]を使用させ、日本本土への渡航に[[パスポート]]が必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。[[1952年]](昭和27年)にGHQの占領下にあった日本が[[日本国との平和条約|主権回復]]した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに[[琉球政府]]を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。 |
沖縄戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[SCAPIN|SCAPIN - 677]]指令により南西諸島<ref group="注釈">[[大隅諸島]]および[[上三島]]を除く。</ref> は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した([[アメリカ合衆国による沖縄統治]])。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、[[730 (交通)|右側通行の道路]]を整備し、通貨として[[B円]]、後に[[米ドル]]を使用させ、日本本土への渡航に[[パスポート]]が必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。[[1952年]](昭和27年)にGHQの占領下にあった日本が[[日本国との平和条約|主権回復]]した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに[[琉球政府]]を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。 |
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[[1950年代]]以降になると[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、[[B-52 (航空機)|B-52]] |
[[1950年代]]以降になると[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、[[B-52 (航空機)|B-52]]などの[[戦略爆撃機]]や[[枯葉剤]]や[[核兵器]]といった[[大量破壊兵器]]が多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた<ref>「1962年・沖縄 「核兵器庫」の嘉手納」毎日新聞2016年2月20日 東京夕刊</ref>。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の[[固定相場制]]の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰するまでのわずか27年間で約100万人に倍増した。しかし米軍による強権的かつ差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった([[島ぐるみ闘争]])。[[1971年]](昭和46年)に[[佐藤栄作]]首相と[[リチャード・ニクソン]]大統領との間で[[沖縄返還協定]]が締結され、翌[[1972年]](昭和47年)に沖縄は日本に施政権が返還され沖縄県が復活した([[沖縄返還]])<ref group="注釈">「[[沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律]]」では、形式上、戦前の沖縄県および戦前の県内の市町村制から、戦後の[[地方自治法]]に基づく沖縄県および市町村に継承されるものとした。あくまでも法律上の形式的継承の問題である。</ref><ref group="注釈">なお復帰に際して日本は米国に対し総額3億2000万ドルを支払っている(現在の為替レート(2016年10月時点)で約5000億円)。</ref>。米軍統治時代から続く基地問題や[[不発弾]]の問題、[[日米地位協定]]の問題は県の主要な政治課題となっている(「[[普天間基地移設問題]]」を参照)。 |
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=== 年表 === |
=== 年表 === |
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* [[1879年]](明治12年)3月27日 - 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置<ref>{{Cite web|title=1879年3月27日「沖縄県」の設置|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4631|publisher=[[沖縄県公文書館]]|website=あの日の沖縄|accessdate=2022-5-14}}</ref>(なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている<ref>「法令全書」明治12年 太政官布告第14号</ref>)、4月5日、[[鍋島直彬]]が初代県令に就任<ref>{{Cite web|title=琉球藩ヲ廃シ沖縄県ヲ被置ノ件|url=https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m12_1879_01.html|website=公文書による日本のあゆみ|publisher=[[国立公文書館]]|accessdate=2022-5-16}}</ref>([[琉球処分]])<ref>劉傑/三谷博/揚大慶 編著「国境を超える歴史認識」12p 東京大学出版会 ISBN 4-13-023053-0</ref>。 |
* [[1879年]](明治12年)3月27日 - 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置<ref>{{Cite web|和書|title=1879年3月27日「沖縄県」の設置|url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4631|publisher=[[沖縄県公文書館]]|website=あの日の沖縄|accessdate=2022-5-14}}</ref>(なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている<ref>「法令全書」明治12年 太政官布告第14号</ref>)、4月5日、[[鍋島直彬]]が初代県令に就任<ref>{{Cite web|和書|title=琉球藩ヲ廃シ沖縄県ヲ被置ノ件|url=https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m12_1879_01.html|website=公文書による日本のあゆみ|publisher=[[国立公文書館]]|accessdate=2022-5-16}}</ref>([[琉球処分]])<ref>劉傑/三谷博/揚大慶 編著「国境を超える歴史認識」12p 東京大学出版会 ISBN 4-13-023053-0</ref>。 |
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* [[1896年]](明治29年)- [[陸軍省]]臨時台湾電信建設部が大浜(現在の鹿児島県[[南大隅町]] )- 奄美 - 沖縄本島(現在の[[読谷村]]渡具知)間に電信用の[[海底ケーブル]]を敷設。翌年[[石垣島]]を経て[[基隆市|基隆]]八尺門([[台湾]])に延伸<ref>[http://www.nttwem.co.jp/knowledge/history/chronological_table.html 『海底線百年の歩み』より・日本での海底通信ケーブル年表/NTTワールドエンジニアリングマリンH.P]</ref><ref>明治30年[[台湾総督府]]告示第63号</ref>。 |
* [[1896年]](明治29年)- [[陸軍省]]臨時台湾電信建設部が大浜(現在の鹿児島県[[南大隅町]] )- 奄美 - 沖縄本島(現在の[[読谷村]]渡具知)間に電信用の[[海底ケーブル]]を敷設。翌年[[石垣島]]を経て[[基隆市|基隆]]八尺門([[台湾]])に延伸<ref>[http://www.nttwem.co.jp/knowledge/history/chronological_table.html 『海底線百年の歩み』より・日本での海底通信ケーブル年表/NTTワールドエンジニアリングマリンH.P]</ref><ref>明治30年[[台湾総督府]]告示第63号</ref>。 |
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* [[1936年]](昭和11年)12月21日 - 沖縄-鹿児島間で無線電話が開通<ref>鹿児島-沖縄間の無線電話が開通『大阪毎日新聞』昭和11年12月22日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p98 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 |
* [[1936年]](昭和11年)12月21日 - 沖縄-鹿児島間で無線電話が開通<ref>鹿児島-沖縄間の無線電話が開通『大阪毎日新聞』昭和11年12月22日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p98 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 |
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* [[1950年]](昭和25年)12月 - [[琉球列島米国民政府]](United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。 |
* [[1950年]](昭和25年)12月 - [[琉球列島米国民政府]](United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。 |
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* [[1952年]](昭和27年)4月1日 - [[琉球政府]]設立。 |
* [[1952年]](昭和27年)4月1日 - [[琉球政府]]設立。 |
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* [[1957年]](昭和32年)[[9月18日]] - 台風14号が接近。死者52人、行方不明者79人、倒壊家屋約2万戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=123|isbn=9784816922749}}</ref>。 |
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* [[1960年]](昭和35年)4月28日 - [[沖縄県祖国復帰協議会]]設立。 |
* [[1960年]](昭和35年)4月28日 - [[沖縄県祖国復帰協議会]]設立。 |
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* [[1970年]](昭和45年)12月20日 - [[コザ暴動]]発生。 |
* [[1970年]](昭和45年)12月20日 - [[コザ暴動]]発生。 |
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* [[1981年]](昭和56年) 7月 - 日本最長の326日間にわたる給水制限を実施。(''[[昭和56-57年沖縄渇水]]'') |
* [[1981年]](昭和56年) 7月 - 日本最長の326日間にわたる給水制限を実施。(''[[昭和56-57年沖縄渇水]]'') |
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* [[1987年]](昭和62年) - [[第42回国民体育大会]]開催。 |
* [[1987年]](昭和62年) - [[第42回国民体育大会]]開催。 |
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* [[1992年]]([[平成]]4年) 11月2日 - 首里城正殿 |
* [[1992年]]([[平成]]4年) 11月2日 - 首里城正殿などを復元、[[首里城公園]]開園。 |
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*1995年(平成7年)9月4日 - [[沖縄米兵少女暴行事件]]が発生し、[[普天間基地移設問題]]に波及。 |
*1995年(平成7年)9月4日 - [[沖縄米兵少女暴行事件]]が発生し、[[普天間基地移設問題]]に波及。 |
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* [[1997年]](平成9年) - 日米間で[[普天間飛行場]]の返還を含む基地移転案に基本合意。 |
* [[1997年]](平成9年) - 日米間で[[普天間飛行場]]の返還を含む基地移転案に基本合意。 |
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{{Main|沖縄県の人口統計}} |
{{Main|沖縄県の人口統計}} |
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2015年度の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、[[都道府県]]別で[[東京都]](2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった<ref name="census">{{Cite web |
2015年度の[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、[[都道府県]]別で[[東京都]](2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった<ref name="census">{{Cite web|和書 |
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|date = 2016-02-26 |
|date = 2016-02-26 |
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|url = https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka/pdf/youyaku.pdf |
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}}</ref> |
}}</ref>。人口別では初めて65歳以上人口が15歳未満人口を上回った。地域別で見ると[[沖縄本島]]の中部と南部で増加し、沖縄本島北部と[[石垣島]]を除く離島の大部分で減少している。[[国立社会保障・人口問題研究所]]は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している<ref>{{Cite web|和書 |
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}}</ref>。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高である<ref name="demo">{{Cite web |
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}}</ref> が、社会増加率は各年により増減が変動する<ref name="ryu">{{Cite web|和書 |
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}}</ref>。また2010年度の[[合計特殊出生率]]は1.87人<ref name="demo" />と1975年度以来連続で全国1位を維持している<ref>{{Cite web |
}}</ref>。また2010年度の[[合計特殊出生率]]は1.87人<ref name="demo" /> と1975年度以来連続で全国1位を維持している<ref>{{Cite web|和書 |
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|title = 健やか親子沖縄2010 第2章 母子保健の現状 |
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|publisher = 沖縄県福祉保健部 健康増進課 |
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}}</ref>。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、15歳未満 (17.4%) を上回った<ref name="ryukyushimpo-20161112-06">{{Cite news |title=国勢調査 県人口 143万3566人 |newspaper=[[琉球新報]] |date=2016-11-12 |page=6}}</ref>。[[粗死亡率]]は男女ともに全国で最も低いが<ref name="deathrates">{{Cite web |
}}</ref>。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、初めて15歳未満 (17.4%) を上回った<ref name="ryukyushimpo-20161112-06">{{Cite news |title=国勢調査 県人口 143万3566人 |newspaper=[[琉球新報]] |date=2016-11-12 |page=6}}</ref>。[[粗死亡率]]は男女ともに全国で最も低いが<ref name="deathrates">{{Cite web|和書 |
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|date = 2012-03-01 |
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806行目: | 806行目: | ||
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}}</ref>、[[年齢調整死亡率]]は全国平均に近く<ref name="deathrates" />、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている<ref name="kuwae">{{Cite web|和書 |
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|author = 桑江なおみ他 |
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|year = 2006 |
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|publisher = 大学病院医療情報ネットワーク研究センター |
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|accessdate = 2012-06-28 |
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}}</ref>。沖縄県在住の[[外国人]]は、[[国籍]]別で2010年現在[[アメリカ合衆国|アメリカ]]([[在日米軍|米軍]]とその関係者は含まれない。)が最も多いが、[[中華人民共和国|中国]]・[[大韓民国|韓国]]籍の外国人も増加傾向にある<ref name="demography">{{Cite web |
}}</ref>。沖縄県在住の[[外国人]]は、[[国籍]]別で2010年現在[[アメリカ合衆国|アメリカ]]([[在日米軍|米軍]]とその関係者は含まれない。)が最も多いが、[[中華人民共和国|中国]]・[[大韓民国|韓国]]籍の外国人も増加傾向にある<ref name="demography">{{Cite web|和書 |
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|date = 2011-10-28 |
|date = 2011-10-28 |
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|url = http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/kokutyou22/H22kakuhou.pdf |
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沖縄県は日本屈指の観光立県であり[[サービス業]]が発達していて県経済の中心になっている。また[[在日米軍]]基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、[[ショッピングセンター]]などの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、[[沖縄県庁]]に次ぐ大口の就職先になっている。「観光」「公共事業」「基地収入」に依存する「'''3K経済'''」とも称されている<ref name="yomi0409">「基礎からわかる沖縄復帰50年」読売新聞2022年4月9日付朝刊特別面</ref>。 |
沖縄県は日本屈指の観光立県であり[[サービス業]]が発達していて県経済の中心になっている。また[[在日米軍]]基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、[[ショッピングセンター]]などの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、[[沖縄県庁]]に次ぐ大口の就職先になっている。「観光」「公共事業」「基地収入」に依存する「'''3K経済'''」とも称されている<ref name="yomi0409">「基礎からわかる沖縄復帰50年」読売新聞2022年4月9日付朝刊特別面</ref>。 |
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沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務 |
沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務などの経済活動)の割合が沖縄県(平成25年度)では16.0%と高い。これらの要因として、アメリカ統治下の沖縄では円よりも価値の高い[[軍票]]やドルが用いられ外国製品が安く手に入るため製造業が育たなかったこと、本土復帰後は大規模な公共事業に重点的に取り組むも地元企業は下請けに回ることが多く、その結果[[雇用]]が見込める大規模工場が少なく、[[非正規雇用]]者が多い要因の一つとなっている。2017年の非正規従業員の割合は43.1%と全国で最も高い<ref name="yomi0409"/>。 |
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[[2014年]]([[平成]]26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/accounts/2014/acc_all.pdf 平成26年度 県民経済計算]}}</ref>。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。[[失業率]]は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。 |
[[2014年]]([[平成]]26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/accounts/2014/acc_all.pdf 平成26年度 県民経済計算]}}</ref>。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。[[失業率]]は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。 |
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農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、[[マンゴー]]、[[アセロラ]]、[[パイナップル|パインアップル]]、[[ドラゴンフルーツ]]などのトロピカルフルーツや、[[サトウキビ]]、[[タバコ]]、[[ツルレイシ|ゴーヤー]](ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。 |
農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、[[マンゴー]]、[[アセロラ]]、[[パイナップル|パインアップル]]、[[ドラゴンフルーツ]]などのトロピカルフルーツや、[[サトウキビ]]、[[タバコ]]、[[ツルレイシ|ゴーヤー]](ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。 |
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漁業では[[マグロ]]、[[イカ]]、[[ブリ]]、[[タカサゴ]]、[[アジ]]、アカハタなどの他[[クルマエビ]]、[[モズク]]<ref>[http://www.pride-fish.jp/JPF/pref/detail.php?pk=1432119585 沖縄モズク]</ref>の養殖も盛んである<ref>生活情報センター編集部編 『さかなの漁獲・養殖・加工・輸出入・流通・消費データ集2005』 生活情報センター、2005年</ref>。 |
漁業では[[マグロ]]、[[イカ]]、[[ブリ]]、[[タカサゴ]]、[[アジ]]、アカハタなどの他[[クルマエビ]]、[[モズク]]<ref>[http://www.pride-fish.jp/JPF/pref/detail.php?pk=1432119585 沖縄モズク]</ref> の養殖も盛んである<ref>生活情報センター編集部編 『さかなの漁獲・養殖・加工・輸出入・流通・消費データ集2005』 生活情報センター、2005年</ref>。 |
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畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種[[アグー]]が有名。また[[ヤギ]]や[[ウシ]]も生産されている。 |
畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種[[アグー]]が有名。また[[ヤギ]]や[[ウシ]]も生産されている。 |
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==== 観光業 ==== |
==== 観光業 ==== |
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本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした[[観光業]]が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 |
本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした[[観光業]]が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 |
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沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の[[海水浴場]]の多くは、[[ワイキキビーチ]]と同様に[[人工海浜]]であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)<ref>[http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=233&id=21613&page=1 2009年度入域観光客統計概況(沖縄県観光企画課)]</ref>である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、[[中華民国|台湾]] (40.00%)、[[大韓民国|韓国]] (22.99%)、[[中華人民共和国|中国]] (18.38%)、[[香港]] (10.26%)、[[アメリカ合衆国|米国]] (3.51%) という比率になっている<ref>{{Cite web|title=沖縄県のインバウンド需要|url=https://honichi.com/areas/kyushuokinawa/okinawa/|website=訪日ラボ|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref>。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。 |
沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の[[海水浴場]]の多くは、[[ワイキキビーチ]]と同様に[[人工海浜]]であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)<ref>[http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=233&id=21613&page=1 2009年度入域観光客統計概況(沖縄県観光企画課)]</ref> である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、[[中華民国|台湾]] (40.00%)、[[大韓民国|韓国]] (22.99%)、[[中華人民共和国|中国]] (18.38%)、[[香港]] (10.26%)、[[アメリカ合衆国|米国]] (3.51%) という比率になっている<ref>{{Cite web|和書|title=沖縄県のインバウンド需要|url=https://honichi.com/areas/kyushuokinawa/okinawa/|website=訪日ラボ|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref>。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。 |
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[[2000年]](平成12年)に[[主要国首脳会議]]が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げ[[エコツーリズム]]も活発化している。一方[[2020年]](令和2年)以降の[[コロナ禍]]では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した<ref name="yomi0409"/>。 |
[[2000年]](平成12年)に[[主要国首脳会議]]が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げ[[エコツーリズム]]も活発化している。一方[[2020年]](令和2年)以降の[[コロナ禍]]では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した<ref name="yomi0409"/>。 |
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==== 情報 ==== |
==== 情報 ==== |
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[[1998年]](平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、[[海底ケーブル]]の陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange |
[[1998年]](平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、[[海底ケーブル]]の陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange などの呼びかけを行い[[コールセンター]]やIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして[[箱物行政]]といった批判も多い。 |
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[[2010年代]] |
[[2010年代]]ごろからスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。 |
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=== 優遇税制・特例 === |
=== 優遇税制・特例 === |
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[[ファイル:DFS GALLERIA OKINAWA01.JPG|thumb|right|[[DFSギャラリア・沖縄]]]] |
[[ファイル:DFS GALLERIA OKINAWA01.JPG|thumb|right|[[DFSギャラリア・沖縄]]]] |
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経済振興のため、数々の特例<ref>[https://www.cao.go.jp/yosan/soshiki/h19/zei/zei_okinawa.html 平成19年度税制改正要望 5.沖縄の振興] - 内閣府(2010年10月5日閲覧)</ref>が設定されている。 |
経済振興のため、数々の特例<ref>[https://www.cao.go.jp/yosan/soshiki/h19/zei/zei_okinawa.html 平成19年度税制改正要望 5.沖縄の振興] - 内閣府(2010年10月5日閲覧)</ref> が設定されている。 |
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* [[ガソリン税]](県外<!--のどこ?-->より1[[リットル]]当たり7円引き)や、[[沖縄自動車道]]の通行料金(県外より[[沖縄自動車道#料金|約4割引]])などが軽減されている。 |
* [[ガソリン税]](県外<!--のどこ?-->より1[[リットル]]当たり7円引き)や、[[沖縄自動車道]]の通行料金(県外より[[沖縄自動車道#料金|約4割引]])などが軽減されている。 |
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* 沖縄県発着の航空便に関しては、[[航空機燃料税]]が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっている<ref>{{PDFlink|[http://www.teikokyo.gr.jp/pdf/2006_yobo.pdf 平成19年度税制改正に関する要望]}}</ref>ため、結果として観光客誘致にも寄与している。 |
* 沖縄県発着の航空便に関しては、[[航空機燃料税]]が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっている<ref>{{PDFlink|[http://www.teikokyo.gr.jp/pdf/2006_yobo.pdf 平成19年度税制改正に関する要望]}}</ref> ため、結果として観光客誘致にも寄与している。 |
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* 観光においては、[[沖縄の観光戻税制度|観光戻税制度]]、のちの[[特定免税店制度 (沖縄)|特定免税店制度]]が他県にはない特徴的な優遇税制である。 |
* 観光においては、[[沖縄の観光戻税制度|観光戻税制度]]、のちの[[特定免税店制度 (沖縄)|特定免税店制度]]が他県にはない特徴的な優遇税制である。 |
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* [[酒税]]の軽減措置がある(→[[泡盛#公正競争規約|泡盛]]、[[オリオンビール#沿革|オリオンビール]]参照)。 |
* [[酒税]]の軽減措置がある(→[[泡盛#公正競争規約|泡盛]]、[[オリオンビール#沿革|オリオンビール]]参照)。 |
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* [[2002年]](平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇([[法人税]]の控除、[[特別土地保有税]]の非課税、[[事業所税]]の課税標準の特例)と大地震 |
* [[2002年]](平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇([[法人税]]の控除、[[特別土地保有税]]の非課税、[[事業所税]]の課税標準の特例)と大地震などの災害の可能性の低さを理由に、いくつかの企業が特別地区への移動を行っている。 |
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=== 企業 === |
=== 企業 === |
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県内では、本州 |
県内では、本州などで展開している[[企業]]の地域会社が多数存在する。 |
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; 電気通信事業者 |
; 電気通信事業者 |
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: [[電気通信事業者]]では、携帯電話の [[Au (携帯電話)|au]] のサービスを提供する地域会社として[[沖縄セルラー電話]]がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する [[KDDI]] だけでなく、地元企業の[[沖縄電力]]のほか県内の財界、有力企業なども出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県での[[市場占有率]]が首位の[[NTTドコモ]]を抑えている([[2005年]](平成17年)現在の市場占有率は49%)。なお、同社は政治的な配慮により[[ドミナント規制]]対象外だったが、のちに au 本体 ([[KDDI]]) が対象となっている。 |
: [[電気通信事業者]]では、携帯電話の [[Au (携帯電話)|au]] のサービスを提供する地域会社として[[沖縄セルラー電話]]がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する [[KDDI]] だけでなく、地元企業の[[沖縄電力]]のほか県内の財界、有力企業なども出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県での[[市場占有率]]が首位の[[NTTドコモ]]を抑えている([[2005年]](平成17年)現在の市場占有率は49%)。なお、同社は政治的な配慮により[[ドミナント規制]]対象外だったが、のちに au 本体 ([[KDDI]]) が対象となっている。 |
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: 公的金融機関としては[[沖縄振興開発金融公庫]](沖縄公庫)が、本土における[[日本政策金融公庫]]、[[住宅金融支援機構]]及び[[福祉医療機構]]に相当する業務を実施している<ref>[https://www8.cao.go.jp/okinawa/3/36.html 沖縄振興開発金融公庫の概要 : 沖縄政策 - 内閣府]</ref>。[[商工組合中央金庫]]は那覇支店が存在する。 |
: 公的金融機関としては[[沖縄振興開発金融公庫]](沖縄公庫)が、本土における[[日本政策金融公庫]]、[[住宅金融支援機構]]及び[[福祉医療機構]]に相当する業務を実施している<ref>[https://www8.cao.go.jp/okinawa/3/36.html 沖縄振興開発金融公庫の概要 : 沖縄政策 - 内閣府]</ref>。[[商工組合中央金庫]]は那覇支店が存在する。 |
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;上場企業 |
;上場企業 |
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: 県内に本社を置く上場企業は、[[サンエー (沖縄県)|サンエー]]([[東京証券取引所|東証プライム]])、[[おきなわフィナンシャルグループ]]・[[琉球 |
: 県内に本社を置く上場企業は、[[サンエー (沖縄県)|サンエー]]([[東京証券取引所|東証プライム]])、[[おきなわフィナンシャルグループ]]・[[琉球銀行]]・[[沖縄電力]](東証プライムと[[福岡証券取引所|福証]])、[[沖縄セルラー電話]]・[[全保連]](東証スタンダード)の6社である。 |
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: [[TOKYO PRO Market]]に上場している企業は、[[碧 (那覇市の企業)]]と[[琉球アスティーダスポーツクラブ]]の2社である。[[WBFリゾート沖縄]]は上場廃止となっている。[[沖縄振興開発金融公庫]]、[[沖縄県産業振興公社]]や地元の金融機関・企業が出資する[[OKINAWA J-Adviser]](現OJAD)が「OKINAWA型上場モデル」<ref>[https://www.okinawakouko.go.jp/case/1677/2203 株式会社OKINAWA J-Adviser | 沖縄振興開発金融公庫]</ref>の展開を掲げてTOKYO PRO Marketに係る指定アドバイザー(J-Adviser)を務めていたが、2019年に資格を返納している<ref>[https://www.jpx.co.jp/news/1071/20190425-01.html 株式会社OKINAWA J-AdviserのJ-Adviser資格の喪失申請について | 日本取引所グループ]</ref>。 |
: [[TOKYO PRO Market]]に上場している企業は、[[碧 (那覇市の企業)]]と[[琉球アスティーダスポーツクラブ]]の2社である。[[WBFリゾート沖縄]]は上場廃止となっている。[[沖縄振興開発金融公庫]]、[[沖縄県産業振興公社]]や地元の金融機関・企業が出資する[[OKINAWA J-Adviser]](現OJAD)が「OKINAWA型上場モデル」<ref>[https://www.okinawakouko.go.jp/case/1677/2203 株式会社OKINAWA J-Adviser | 沖縄振興開発金融公庫]</ref> の展開を掲げてTOKYO PRO Marketに係る指定アドバイザー(J-Adviser)を務めていたが、2019年に資格を返納している<ref>[https://www.jpx.co.jp/news/1071/20190425-01.html 株式会社OKINAWA J-AdviserのJ-Adviser資格の喪失申請について | 日本取引所グループ]</ref>。 |
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==== 沖縄県に本社を置く主要企業 ==== |
==== 沖縄県に本社を置く主要企業 ==== |
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: ''※[[バス会社]]については[[#バス]]を参照。'' |
: ''※[[バス会社]]については[[#バス]]を参照。'' |
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* [[日本トランスオーシャン航空]](那覇市) |
* [[日本トランスオーシャン航空]](那覇市) |
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* [[琉球エアコミューター]](那覇市) |
* [[琉球エアーコミューター]](那覇市) |
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* [[沖縄岡崎運輸]](那覇市) |
* [[沖縄岡崎運輸]](那覇市) |
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* [[沖縄交通]](那覇市) |
* [[沖縄交通]](那覇市) |
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* [[A&W沖縄]](宜野湾市) |
* [[A&W沖縄]](宜野湾市) |
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; サービス業 |
; サービス業 |
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* [[FC琉球|琉球フットボールクラブ]](沖縄市) |
* [[FC琉球OKINAWA|琉球フットボールクラブ]](沖縄市) |
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; 家賃保証業 |
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* [[全保連]](那覇市) |
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[[ファイル:Naha Airport13s3s4410.jpg|thumb|right|[[那覇空港]](那覇市)]] |
[[ファイル:Naha Airport13s3s4410.jpg|thumb|right|[[那覇空港]](那覇市)]] |
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島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。特に、宮古列島、および八重山列島については、域外との定期旅客航路が休止または廃止となっており、原則として[[航空路|航空路線]]での移動が必須となっている。県内には、以下の表の空港と[[伊是名場外離着陸場]]があるほか、[[在日米軍]]が[[基地]]として利用する[[嘉手納基地|嘉手納飛行場]]、[[普天間基地|普天間飛行場]]などがある。 |
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。特に、宮古列島、および八重山列島については、域外との定期旅客航路が休止または廃止となっており、原則として[[航空路|航空路線]]での移動が必須となっている。県内には、以下の表の空港と[[伊是名場外離着陸場]]があるほか、[[在日米軍]]が[[基地]]として利用する[[嘉手納基地|嘉手納飛行場]]、[[普天間基地|普天間飛行場]]などがある。 |
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|+style="font-weight:bold"|2017年度旅客数<ref>{{Cite web|和書|date=2018-08-29 |url=http://www.mlit.go.jp/common/001250435.xlsx |title=平成29年度(年度)空港別順位表 |work= |format=EXCEL |publisher=[[国土交通省]]航空局 |accessdate=2019-02-24}}</ref> |
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* [[三大都市圏]]への航空路は'''太字'''で表記 |
* [[三大都市圏]]への航空路は'''太字'''で表記 |
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=== 鉄道路線 === |
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{{Main|沖縄県の鉄道}} |
{{Main|沖縄県の鉄道}} |
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[[ファイル:Okinawa City Monorail.jpg|thumb|right|[[沖縄都市モノレール線]]]] |
[[ファイル:Okinawa City Monorail.jpg|thumb|right|[[沖縄都市モノレール線]]]] |
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大正時代、沖縄本島に[[沖縄県営鉄道]]、[[沖縄電気]]([[路面電車]])、[[沖縄軌道]]、[[糸満馬車軌道]]が相次いで開業したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により太平洋戦争以前の1930年代に廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も[[沖縄戦]]で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した。ゆいレールは2019年10月には首里から[[浦添市]]の[[てだこ浦西駅|てだこ浦西]]まで延長され、那覇空港 - てだこ浦西間17.0kmの路線となっている。 |
大正時代、沖縄本島に[[沖縄県営鉄道]]、[[沖縄電気]]([[路面電車]])、[[沖縄軌道]]、[[糸満馬車軌道]]が相次いで開業したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により太平洋戦争以前の1930年代に廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も[[沖縄戦]]で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した。ゆいレールは2019年10月には首里から[[浦添市]]の[[てだこ浦西駅|てだこ浦西]]まで延長され、那覇空港 - てだこ浦西間17.0kmの路線となっている。 |
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2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する[[沖縄鉄軌道]]構想は、建設費を政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査、検討段階にある<ref>{{Cite news |title=政府、沖縄鉄道構想の支援を検討 普天間跡地に駅 |newspaper=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |agency=産業経済新聞社 |date=2013-08-21 |author= |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130821/plc13082101370001-n1.htm |accessdate= }}</ref>。また[[南大東村]]では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している<ref>{{Cite news |title=南大東村が鉄道“シュガートレイン”の復活を計画 |newspaper=琉球新報 |date=2013-09-22 |author= |url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-212834-storytopic-5.html |accessdate= }}</ref>。 |
2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する[[沖縄鉄軌道]]構想は、建設費を政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査、検討段階にある<ref>{{Cite news |title=政府、沖縄鉄道構想の支援を検討 普天間跡地に駅 |newspaper=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |agency=産業経済新聞社 |date=2013-08-21 |author= |url=https://web.archive.org/web/20130821080111/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130821/plc13082101370001-n1.htm |accessdate= }}</ref>。また[[南大東村]]では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している<ref>{{Cite news |title=南大東村が鉄道“シュガートレイン”の復活を計画 |newspaper=琉球新報 |date=2013-09-22 |author= |url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-212834-storytopic-5.html |accessdate= }}</ref>。 |
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全都道府県の中で唯一、[[JR]]各社の路線が敷設されていない。これは歴史上でも[[樺太庁|樺太]]を含む[[内地]]48都庁府県で唯一、国有の交通機関が存在したことがなく、[[鉄道小荷物]]については[[琉球海運]]などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた<ref>[http://www.geocities.jp/kikuuj/zatugaku/chiri-zatu1.htm 沖縄地理雑学](同リンク中では「国鉄那覇港駅」と紹介されているが、正確には国鉄と連絡運輸を行っていた[[琉球海運]]の駅である)</ref>。なお、かつては那覇市に[[九州旅客鉄道]](JR九州)[[九州旅客鉄道沖縄支店|沖縄支店]]が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したためJRの営業拠点が全く存在しなくなった。 |
全都道府県の中で唯一、[[JR]]各社の路線が敷設されていない。これは歴史上でも[[樺太庁|樺太]]を含む[[内地]]48都庁府県で唯一、国有の交通機関が存在したことがなく、[[鉄道小荷物]]については[[琉球海運]]などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた<ref>[https://web.archive.org/web/20050131204404/http://www.geocities.jp/kikuuj/zatugaku/chiri-zatu1.htm 沖縄地理雑学](同リンク中では「国鉄那覇港駅」と紹介されているが、正確には国鉄と連絡運輸を行っていた[[琉球海運]]の駅である)</ref>。なお、かつては那覇市に[[九州旅客鉄道]](JR九州)[[九州旅客鉄道沖縄支店|沖縄支店]]が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したためJRの営業拠点が全く存在しなくなった。 |
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このほか、[[鉄道事業法]]に準拠する[[索道]]としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている<ref>[http://www.unimat.co.jp/news/647 沖縄初のペアリフト「ザ シギラリフト オーシャンスカイ」] - [[ユニマットホールディング|ユニマットグループ]]、2016年4月6日</ref><ref>{{PDFlink|[http://ogb.go.jp/okiunyu/info/260822-2.pdf 沖縄県初の索道事業を認可]}} - 内閣府[[沖縄総合事務局]]、2014年8月22日</ref>。 |
このほか、[[鉄道事業法]]に準拠する[[索道]]としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている<ref>[http://www.unimat.co.jp/news/647 沖縄初のペアリフト「ザ シギラリフト オーシャンスカイ」] - [[ユニマットホールディング|ユニマットグループ]]、2016年4月6日</ref><ref>{{PDFlink|[http://ogb.go.jp/okiunyu/info/260822-2.pdf 沖縄県初の索道事業を認可]}} - 内閣府[[沖縄総合事務局]]、2014年8月22日</ref>。 |
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沖縄県には陸続きで接する都道府県がなく、他県につながる海底トンネルや橋もないため、沖縄県では全国47都道府県で唯一、他県につながる鉄道路線が一つもない。 |
沖縄県には陸続きで接する都道府県がなく、他県につながる海底トンネルや橋もないため、沖縄県では全国47都道府県で唯一、他県につながる鉄道路線が一つもない。 |
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=== バス === |
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沖縄本島では那覇市・浦添市内の[[沖縄都市モノレール]](ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている<ref>バス事業者の一覧については、{{PDFlink|[http://ogb.go.jp/okiunyu/survey/H19unyuyoran.pdf 沖縄総合事務局運輸部 平成19年度運輸要覧]}} より抜粋。</ref>。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。 |
沖縄本島では那覇市・浦添市内の[[沖縄都市モノレール]](ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている<ref>バス事業者の一覧については、{{PDFlink|[http://ogb.go.jp/okiunyu/survey/H19unyuyoran.pdf 沖縄総合事務局運輸部 平成19年度運輸要覧]}} より抜粋。</ref>。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。 |
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** かびら観光交通 |
** かびら観光交通 |
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=== 道路 === |
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* 本土復帰後、[[1978年]](昭和53年)[[7月29日]]までは、車輌は右側通行だった。''※ [[730 (交通)]]も参照。'' |
* 本土復帰後、[[1978年]](昭和53年)[[7月29日]]までは、車輌は右側通行だった。''※ [[730 (交通)]]も参照。'' |
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* 沖縄本島、特に[[那覇都市圏]]では[[渋滞]]が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は[[三大都市圏]]の都府県に次いで大きい<ref>[http://www.mlit.go.jp/road/ir/data/jutai/juni-hyo/itiran.html 都道府県別1km当たり渋滞損失額(国土交通省)]</ref>。 |
* 沖縄本島、特に[[那覇都市圏]]では[[渋滞]]が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は[[三大都市圏]]の都府県に次いで大きい<ref>[http://www.mlit.go.jp/road/ir/data/jutai/juni-hyo/itiran.html 都道府県別1km当たり渋滞損失額(国土交通省)]</ref>。 |
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{{Main|沖縄県の県道一覧}} |
{{Main|沖縄県の県道一覧}} |
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=== 港湾 === |
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航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。 |
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。 |
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; [[重要港湾]] |
; [[重要港湾]] |
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* [[平良港]] |
* [[平良港]] |
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* [[石垣港]] |
* [[石垣港]] |
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== 生活 == |
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⚫ | |||
⚫ | |||
=== 医療・福祉 === |
=== 医療・福祉 === |
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* [[沖縄科学技術大学院大学]]([[国頭郡]][[恩納村]]。2011年設立) |
* [[沖縄科学技術大学院大学]]([[国頭郡]][[恩納村]]。2011年設立) |
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; [[短期大学]] |
; [[短期大学]] |
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* [[沖縄女子短期大学]](那 |
* [[沖縄女子短期大学]](与那原町) |
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私立 |
私立 |
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* [[沖縄キリスト教短期大学]](西原町) |
* [[沖縄キリスト教短期大学]](西原町) |
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; 先島諸島の地域紙 |
; 先島諸島の地域紙 |
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* [[宮古毎日新聞]]、[[宮古新報]]([[宮古列島]]) |
* [[宮古毎日新聞]]、[[宮古新報]]([[宮古列島]]) |
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* [[八重山毎日新聞]]、[[八重山日報]]{{refnest|group="注"|八重山日報は[[2017年]]4月1日に沖縄本島で沖縄本島版の発行と朝刊配達を開始したが、2019年2月末を以て八重山版と統合するとともに配達を中止して郵送に切り替えた<ref>{{Cite press release|和書 |
* [[八重山毎日新聞]]、[[八重山日報]]{{refnest|group="注釈"|八重山日報は[[2017年]]4月1日に沖縄本島で沖縄本島版の発行と朝刊配達を開始したが、2019年2月末を以て八重山版と統合するとともに配達を中止して郵送に切り替えた<ref>{{Cite press release|和書 |
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| url = http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/news/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%9C%AC%E5%B3%B6%E7%89%88-%E6%9C%9D%E5%88%8A%E9%85%8D%E9%81%94%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B |
| url = http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/news/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%9C%AC%E5%B3%B6%E7%89%88-%E6%9C%9D%E5%88%8A%E9%85%8D%E9%81%94%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B |
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| title = 沖縄本島版 朝刊配達中止のお知らせ |
| title = 沖縄本島版 朝刊配達中止のお知らせ |
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[[西日本新聞]]も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、[[2009年]](平成21年)に発行を停止した。同新聞は[[1967年]](昭和42年)-[[1977年]](昭和52年)と[[2000年]](平成12年)-2009年(平成21年)に那覇支局を設けていた。 |
[[西日本新聞]]も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、[[2009年]](平成21年)に発行を停止した。同新聞は[[1967年]](昭和42年)-[[1977年]](昭和52年)と[[2000年]](平成12年)-2009年(平成21年)に那覇支局を設けていた。 |
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; 全国紙 |
; 全国紙 |
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[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[朝日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]の各社が県に総局・支局を設置している。[[2008年]](平成20年)[[11月1日]]より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、[[全国紙]]では唯一、朝夕刊(2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。)とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、[[世界日報 (日本)|世界日報]]<ref group=注>[[大韓民国]]の「[[家庭連合]]」(世界平和統一家庭連合=旧統一教会)系[[世界日報|全国紙]]の日本語版。</ref>は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。<!--沖タイの購読者は「朝日新聞デジタル」の提携新聞コースで紙面ビューアを利用して読むことも可能。-->これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(<!--本土新聞事業開発(社名の通り、県内での本土新聞の販売を引き受ける専門の会社)の各販売店が、-->前日の夕刊<!--現地が月曜日および休日の翌日など(前日が「夕刊不発行日」)の場合を除く。-->と同時配達)。また先島諸島や[[大東諸島]]については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。 |
[[読売新聞]]、[[毎日新聞]]、[[朝日新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]の各社が県に総局・支局を設置している。[[2008年]](平成20年)[[11月1日]]より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、[[全国紙]]では唯一、朝夕刊(2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。)とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、[[世界日報 (日本)|世界日報]]<ref group="注釈">[[大韓民国]]の「[[家庭連合]]」(世界平和統一家庭連合=旧統一教会)系[[世界日報|全国紙]]の日本語版。</ref> は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。<!--沖タイの購読者は「朝日新聞デジタル」の提携新聞コースで紙面ビューアを利用して読むことも可能。-->これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(<!--本土新聞事業開発(社名の通り、県内での本土新聞の販売を引き受ける専門の会社)の各販売店が、-->前日の夕刊<!--現地が月曜日および休日の翌日など(前日が「夕刊不発行日」)の場合を除く。-->と同時配達)。また先島諸島や[[大東諸島]]については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。 |
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; スポーツ紙 |
; スポーツ紙 |
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; 先島諸島・大東諸島における特記事項 |
; 先島諸島・大東諸島における特記事項 |
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: [[大東諸島]]では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では[[関東地方|関東広域圏]]を放送対象とするテレビ局のうち[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[テレビ東京]]を除く各局の放送を、[[小笠原諸島]]向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた(このほか、[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK衛星第1]]・[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK衛星第2]]テレビも地上波で中継)。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、[[2011年]](平成23年)初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本島からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった(詳細は[[大東諸島#テレビ放送]]を参照)。 |
: [[大東諸島]]では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では[[関東地方|関東広域圏]]を放送対象とするテレビ局のうち[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[テレビ東京]]を除く各局の放送を、[[小笠原諸島]]向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた(このほか、[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK衛星第1]]・[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK衛星第2]]テレビも地上波で中継)。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、[[2011年]](平成23年)初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本島からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった(詳細は[[大東諸島#テレビ放送]]を参照)。 |
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: [[先島諸島]]に関しても、テレビ放送の開始当初は先発3社4局(NHK・民放2チャンネルずつ)の中継局が整備されておらず、那覇本局からの電波を直接受信、ないしはケーブルテレビの中継回線を介した受信も技術的に不可能であったので、[[1993年]][[12月]]の中継局開設までは在那地上波の受信が全くできなかった。そのため、[[宮古テレビ]]、[[石垣ケーブルテレビ]]の自主放送で、在那局、及び三大都市圏のいわゆる[[キー局]]などからの[[番組販売]]を独自に購入した番組をネットするという状態が続いた。 |
: [[先島諸島]]に関しても、テレビ放送の開始当初は先発3社4局(NHK・民放2チャンネルずつ)の中継局が整備されておらず、那覇本局からの電波を直接受信、ないしはケーブルテレビの中継回線を介した受信も技術的に不可能であったので、[[1993年]](平成5年)[[12月]]の中継局開設までは在那地上波の受信が全くできなかった。そのため、[[宮古テレビ]]、[[石垣ケーブルテレビ]]の自主放送で、在那局、及び三大都市圏のいわゆる[[キー局]]などからの[[番組販売]]を独自に購入した番組をネットするという状態が続いた。 |
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: なお、琉球朝日放送 (QAB) は、[[1995年]]に開局後も先島諸島での中継局が整備されなかったため、宮古・石垣では引き続きケーブルテレビの自主放送により[[テレビ朝日]]の番組を時差放送していたが、[[2009年]](平成21年)10月21日にデジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。これに伴い、宮古・石垣のケーブルテレビにおいても、中継局非設置の代替として、[[デジアナ変換]]<ref group="注">宮古・石垣のケーブルテレビでは先発3社・4局もアナログ放送を配信していたが、4:3の通常画質だったそれらとは異なりQABははじめから[[レターボックス (映像技術)|レターボックス16:9]]を使っていた。</ref>による補完再放送を行っていた。 |
: なお、琉球朝日放送 (QAB) は、[[1995年]](平成7年)に開局後も先島諸島での中継局が整備されなかったため、宮古・石垣では引き続きケーブルテレビの自主放送により[[テレビ朝日]]の番組を時差放送していたが、[[2009年]](平成21年)10月21日にデジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。これに伴い、宮古・石垣のケーブルテレビにおいても、中継局非設置の代替として、[[デジアナ変換]]<ref group="注釈">宮古・石垣のケーブルテレビでは先発3社・4局もアナログ放送を配信していたが、4:3の通常画質だったそれらとは異なりQABははじめから[[レターボックス (映像技術)|レターボックス16:9]]を使っていた。</ref> による補完再放送を行っていた。 |
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; ネットワーク系列局の空白 |
; ネットワーク系列局の空白 |
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: 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない(佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある)が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTVでは、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』、『[[全国高等学校クイズ選手権|高校生クイズ]]』および[[年末年始]]の『[[全国高等学校サッカー選手権大会]]』の中継(沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合)にも参加している他、日本テレビ系が放送権を獲得した[[FIFAワールドカップ]]の[[サッカー日本代表|日本代表]]戦や[[夏季オリンピック]]の[[マラソン|女子マラソン]]競技の中継の沖縄県でのネットを担当する。(放送時間がフジテレビ系列の全国放送番組の時間帯に被った場合、その番組については臨時にネット返上するか後日振替放送を行う。) |
: 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない(佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある)が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTVでは、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』、『[[全国高等学校クイズ選手権|高校生クイズ]]』および[[年末年始]]の『[[全国高等学校サッカー選手権大会]]』の中継(沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合)にも参加している他、日本テレビ系が放送権を獲得した[[FIFAワールドカップ]]の[[サッカー日本代表|日本代表]]戦や[[夏季オリンピック]]の[[マラソン|女子マラソン]]競技の中継の沖縄県でのネットを担当する。(放送時間がフジテレビ系列の全国放送番組の時間帯に被った場合、その番組については臨時にネット返上するか後日振替放送を行う。) |
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: 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で[[日本テレビ那覇支局]]を設置している。なお、同局系列の放送局については1990年代に[[南西放送]]が開局予定だったが実現しなかった。 |
: 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で[[日本テレビ那覇支局]]を設置している。なお、同局系列の放送局については1990年代に[[南西放送]]が開局予定だったが実現しなかった。 |
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; 他県と隔絶しているゆえの事象 |
; 他県と隔絶しているゆえの事象 |
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: 県内の全ての[[ケーブルテレビ局]]では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、[[区域外再放送|県外民放の再配信]]は一切行われていなかったが、2019年 |
: 県内の全ての[[ケーブルテレビ局]]では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、[[区域外再放送|県外民放の再配信]]は一切行われていなかったが、2019年8月1日からは[[沖縄ケーブルネットワーク]]の自主放送「テレビにらい」で、2022年10月1日からは宮古テレビの自主放送で、[[鹿児島讀賣テレビ|鹿児島読売テレビ]](日本テレビ系列)の一部番組のネットを開始した。2020年10月3日から「日テレ系ライブ配信」(現・[[日テレ系リアルタイム配信]])で時間帯限定であるが日本テレビ系列の番組が視聴可能になる<ref>{{Cite web|和書|title=【日本テレビ・読売テレビ・中京テレビ】TVerで地上波プライムタイムのライブ配信にトライアル10月3日(土)よる7時スタート!|url=https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20200917.html|website=日本テレビ放送網株式会社・讀賣テレビ放送株式会社・中京テレビ放送株式会社|accessdate=2020-09-21|publisher=|date=2020-09-17}}</ref>。また[[琉球新報]]・[[沖縄タイムス]]の[[番組表]]も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない<ref group="注釈">以前は他地域での経営上の理由(ケーブルテレビ局側における設備上のコストや県内既存局の圧力)などで再送信されなかったケースもたびたびあったが本土の県庁所在地の中心部のケーブルテレビ局は4大系列とも再送信されることが一般的である。なお2紙では県内の主要ケーブルテレビの独自チャンネルの番組表を掲載しているため、前記鹿児島読売テレビを一部再送信している「テレビにらい」の番組表は掲載されている</ref>。 |
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===== AMラジオ局について ===== |
===== AMラジオ局について ===== |
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===== FMラジオ局について ===== |
===== FMラジオ局について ===== |
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* FM沖縄は、現在先島諸島の多良間島以南、大東諸島では中継局がないため直接受信不可<ref group="注">2019年1月に伊良部島に中継局が開局し、宮古島とその周辺の離島ではFM沖縄が受信可能になった。</ref>。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可である<ref group="注">ただし、NHK-FM は[[2011年]](平成23年)9月からラジオ第1・第2とともにインターネットを通じた同時配信により聴取可能となったが、すべて東京からの放送となるため本来の沖縄県域および九州・沖縄ブロックの番組と権利上の理由で同時配信されない番組がある場合は中継局が整備されない限り聴取不可。なお、2012年度に[[東京都]][[小笠原諸島]]の父島・母島両中継局が開設されたが、大東諸島では依然として開局のめどが立たず、全国で唯一 NHK-FM のラジオ放送による直接受信ができない地域となった。なお、後述のインターネットラジオの配信サービス(radiko・らじるらじる)で聴取可能であるが、条件や特記事項がある</ref>。 |
* FM沖縄は、現在先島諸島の多良間島以南、大東諸島では中継局がないため直接受信不可<ref group="注釈">2019年1月に伊良部島に中継局が開局し、宮古島とその周辺の離島ではFM沖縄が受信可能になった。</ref>。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可である<ref group="注釈">ただし、NHK-FM は[[2011年]](平成23年)9月からラジオ第1・第2とともにインターネットを通じた同時配信により聴取可能となったが、すべて東京からの放送となるため本来の沖縄県域および九州・沖縄ブロックの番組と権利上の理由で同時配信されない番組がある場合は中継局が整備されない限り聴取不可。なお、2012年度に[[東京都]][[小笠原諸島]]の父島・母島両中継局が開設されたが、大東諸島では依然として開局のめどが立たず、全国で唯一 NHK-FM のラジオ放送による直接受信ができない地域となった。なお、後述のインターネットラジオの配信サービス(radiko・らじるらじる)で聴取可能であるが、条件や特記事項がある</ref>。 |
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* また[[コミュニティ放送局|コミュニティFM局]]は県下全ての市にあり、2020年8月現在で計19局が放送を行う<ref group="注">沖縄本島に16局(那覇市・沖縄市・宜野湾市に2局、浦添市・豊見城市・糸満市・南城市・うるま市・名護市・与那原町・北谷町・本部町・読谷村に1局)、久米島(久米島町)・宮古島(宮古島市)・石垣島(石垣市)にそれぞれ1局設置。</ref>。 |
* また[[コミュニティ放送局|コミュニティFM局]]は県下全ての市にあり、2020年8月現在で計19局が放送を行う<ref group="注釈">沖縄本島に16局(那覇市・沖縄市・宜野湾市に2局、浦添市・豊見城市・糸満市・南城市・うるま市・名護市・与那原町・北谷町・本部町・読谷村に1局)、久米島(久米島町)・宮古島(宮古島市)・石垣島(石垣市)にそれぞれ1局設置。</ref>。 |
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===== インターネットラジオでの再放送 ===== |
===== インターネットラジオでの再放送 ===== |
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[[仏教]]は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、[[葬式]]の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒(檀家)の数は、県外に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、県外のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別に[[ユタ]]を呼ぶ事例もある。 |
[[仏教]]は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、[[葬式]]の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒(檀家)の数は、県外に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、県外のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別に[[ユタ]]を呼ぶ事例もある。 |
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[[墓]]は、自然のほら穴 |
[[墓]]は、自然のほら穴などを使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた[[亀甲墓]]へと変わり、現在では[[破風墓]]が一般的である。また、遺骨の処理方法も[[風葬]]や[[洗骨]]をする独特の風習があったが、近年では保健所などの指導や婦人運動の結果、多くの地域で[[火葬]]が実施されるようになった。 |
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{{要出典範囲|date=2021年1月|戦後は、米軍の影響で[[キリスト教]]信仰も盛んである。その多くは[[プロテスタント]]派に属する。県内には約210か所の[[教会 (キリスト教)|キリスト教会]]が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。}} |
{{要出典範囲|date=2021年1月|戦後は、米軍の影響で[[キリスト教]]信仰も盛んである。その多くは[[プロテスタント]]派に属する。県内には約210か所の[[教会 (キリスト教)|キリスト教会]]が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。}} |
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=== 言語・方言 === |
=== 言語・方言 === |
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{{Main|琉球語|ウチナーヤマトグチ}} |
{{Main|琉球語|ウチナーヤマトグチ}} |
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沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに区分できる。県民の中でも、[[団塊の世代]]より後に生まれた世代では、共通語化が著しく、[[平成]]以降(特に[[2000年]]以降)に生まれた世代になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特別な保護政策 |
沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに区分できる。県民の中でも、[[団塊の世代]]より後に生まれた世代では、共通語化が著しく、[[平成]]以降(特に[[2000年]]以降)に生まれた世代になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特別な保護政策などはとられていない。 |
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* [[琉球語]] - 日本政府の立場としては、日本語の方言である琉球方言として扱われることが多いものの、[[ユネスコ]]などの国際機関の間では日本語とは異なる[[日琉語族]]に属した独立した言語であるとされる。伝統的な沖縄の言語であるが、日常的な使用はほぼ高齢者層に限られる。明治から昭和中期まで[[方言札]]を使った強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、本土復帰運動や戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて、[[琉球語]]を軽視する反面、[[標準語]]に接する機会が圧倒的に増えたため、琉球語が使われることは非常に少なくなっている。特に平成以降に生まれた世代では大半が理解することすら難しいほど衰退している。おおまかに、[[沖永良部与論沖縄北部諸方言|国頭語]](国頭方言)、[[沖縄語]](沖縄方言)、[[宮古語]](宮古方言)、[[八重山語]](八重山方言)、[[与那国語]](与那国方言)に区分される。それら諸言語(諸方言)の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがあり、いずれもユネスコにより[[消滅危機言語の一覧|絶滅危機言語]]とされている。 |
* [[琉球語]] - 日本政府の立場としては、日本語の方言である琉球方言として扱われることが多いものの、[[ユネスコ]]などの国際機関の間では日本語とは異なる[[日琉語族]]に属した独立した言語であるとされる。伝統的な沖縄の言語であるが、日常的な使用はほぼ高齢者層に限られる。明治から昭和中期まで[[方言札]]を使った強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、本土復帰運動や戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて、[[琉球語]]を軽視する反面、[[標準語]]に接する機会が圧倒的に増えたため、琉球語が使われることは非常に少なくなっている。特に平成以降に生まれた世代では大半が理解することすら難しいほど衰退している。おおまかに、[[沖永良部与論沖縄北部諸方言|国頭語]](国頭方言)、[[沖縄語]](沖縄方言)、[[宮古語]](宮古方言)、[[八重山語]](八重山方言)、[[与那国語]](与那国方言)に区分される。それら諸言語(諸方言)の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがあり、いずれもユネスコにより[[消滅危機言語の一覧|絶滅危機言語]]とされている。 |
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* [[ウチナーヤマトグチ]] - 沖縄県民の大半が日常的に使用する言葉であり、日本語の共通語を基盤に琉球語や英語の要素を混合させた[[新方言]]とされる。沖縄弁とも言われる。しかし、ウチナーヤマトグチと言えども、平成以降に生まれた世代でも年齢が下がるほどに衰退傾向が著しい(特に2000年生まれ以降はその傾向が強い)。[[日本語の方言のアクセント|アクセント]]面で影響が残る程度となっており、語彙面では[[共通語]]や[[首都圏方言]]と差異がほとんどみられない場合も少なくない。 |
* [[ウチナーヤマトグチ]] - 沖縄県民の大半が日常的に使用する言葉であり、日本語の共通語を基盤に琉球語や英語の要素を混合させた[[新方言]]とされる。沖縄弁とも言われる。しかし、ウチナーヤマトグチと言えども、平成以降に生まれた世代でも年齢が下がるほどに衰退傾向が著しい(特に2000年生まれ以降はその傾向が強い)。[[日本語の方言のアクセント|アクセント]]面で影響が残る程度となっており、語彙面では[[共通語]]や[[首都圏方言]]と差異がほとんどみられない場合も少なくない。 |
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* [[共通語|日本語共通語]] - マスメディア・学校教育や公的機関などで使われている。昭和初期まで(概ね1930年代まで)に生まれた高齢者層では琉球語、沖縄弁、共通語との[[トライリンガル]]、戦後から昭和末期まで(概ね1940年代から1980年代まで)に生まれた世代では沖縄弁と共通語の[[二言語話者|バイリンガル]]が大半であり使い分けができる。一方、平成以降(概ね1990年代以降)の生まれの世代においては共通語(もしくは首都圏方言)とほぼ変わらない言葉を話す傾向が強く、ほぼ共通語のみのモノリンガルに近い。また年々その傾向も年齢が下がるにつれて強くなりつつある<ref>[http://www.ninjal.ac.jp/archives/jalic/group5/95.2.25p9.pdf 日本語の国際化と沖縄の言語状況] [[東京外国語大学]] [[井上史雄]]</ref>。このように、[[北日本]]や[[東日本]]の諸地域と同様、日本国内でも特に共通語化(首都圏方言化)が進みつつある地域とされており、危惧されている。 |
* [[共通語|日本語共通語]] - マスメディア・学校教育や公的機関などで使われている。昭和初期まで(概ね1930年代まで)に生まれた高齢者層では琉球語、沖縄弁、共通語との[[トライリンガル]]、戦後から昭和末期まで(概ね1940年代から1980年代まで)に生まれた世代では沖縄弁と共通語の[[二言語話者|バイリンガル]]が大半であり使い分けができる。一方、平成以降(概ね1990年代以降)の生まれの世代においては共通語(もしくは首都圏方言)とほぼ変わらない言葉を話す傾向が強く、ほぼ共通語のみのモノリンガルに近い。また年々その傾向も年齢が下がるにつれて強くなりつつある<ref>[http://www.ninjal.ac.jp/archives/jalic/group5/95.2.25p9.pdf 日本語の国際化と沖縄の言語状況] [[東京外国語大学]] [[井上史雄]]</ref>。このように、[[北日本]]や[[東日本]]の諸地域と同様、日本国内でも特に共通語化(首都圏方言化)が進みつつある地域とされており、危惧されている。 |
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* [[英語]] - [[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカの統治下にあった沖縄]]では英語が事実上{{refnest| group="注"|琉球政府章典や各種法令で公用語は定められていないが、琉球政府章典や各種法令には日本語、米軍からの布令布告には英語が使用されている<ref>[http://www.archives.pref.okinawa.jp 沖縄県公文書館] 参照</ref>。}}の第二[[公用語]]であった。現在でも英語教育を受けた高齢者や、復帰後に生まれた世代でも、米軍基地雇用員や米軍や兵士相手の商売をしている者や、米国人と結婚した者など英語を解す人は多い。また、前述のウチナーヤマトグチにも英語からの影響は少なからずみられる。 |
* [[英語]] - [[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカの統治下にあった沖縄]]では英語が事実上{{refnest| group="注釈"|琉球政府章典や各種法令で公用語は定められていないが、琉球政府章典や各種法令には日本語、米軍からの布令布告には英語が使用されている<ref>[http://www.archives.pref.okinawa.jp 沖縄県公文書館] 参照</ref>。}}の第二[[公用語]]であった。現在でも英語教育を受けた高齢者や、復帰後に生まれた世代でも、米軍基地雇用員や米軍や兵士相手の商売をしている者や、米国人と結婚した者など英語を解す人は多い。また、前述のウチナーヤマトグチにも英語からの影響は少なからずみられる。 |
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=== 人種・民族 === |
=== 人種・民族 === |
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{{See also|琉球民族|日本人|大和民族}} |
{{See also|琉球民族|日本人|大和民族}} |
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人種的には先史時代から10世紀にかけて九州以北の本土住民が沖縄の地に移住したとされる。[[分子生物学]]の研究では、沖縄県民の遺伝的構成は、東アジア大陸部の主要集団とは異なり、日本列島人種(大和人)の遺伝的構成に近く、同じ祖先を持つことが確かめられている<ref>{{Cite news|author=[[篠田謙一]]|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|title=自然人類学から見たアイヌ民族|newspaper=|publisher=[[内閣総理大臣官邸]]|format=PDF|date=2009-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090414025044/http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|archivedate=2009-04-14}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://idoushi.jp/?page_id=86|title=人類の移動誌|newspaper=|publisher=[[国立民族学博物館共同研究会]]|date=2010-09-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130514213710/http://idoushi.jp/?page_id=86|archivedate=2013-05-14}}</ref>。沖縄の地に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、[[考古学]]などの研究を含めると大東諸島民を除く沖縄県民の先祖は、比較的新しい時期(10世紀から12世紀 |
人種的には先史時代から10世紀にかけて九州以北の本土住民が沖縄の地に移住したとされる。[[分子生物学]]の研究では、沖縄県民の遺伝的構成は、東アジア大陸部の主要集団とは異なり、日本列島人種(大和人)の遺伝的構成に近く、同じ祖先を持つことが確かめられている<ref>{{Cite news|author=[[篠田謙一]]|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|title=自然人類学から見たアイヌ民族|newspaper=|publisher=[[内閣総理大臣官邸]]|format=PDF|date=2009-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090414025044/http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|archivedate=2009-04-14}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://idoushi.jp/?page_id=86|title=人類の移動誌|newspaper=|publisher=[[国立民族学博物館共同研究会]]|date=2010-09-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130514213710/http://idoushi.jp/?page_id=86|archivedate=2013-05-14}}</ref>。沖縄の地に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、[[考古学]]などの研究を含めると大東諸島民を除く沖縄県民の先祖は、比較的新しい時期(10世紀から12世紀ごろ)に農耕をする人々が九州南部から沖縄の地に南下して定住したとされる<ref>{{Cite news|author=|url=http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html|title=ルーツ解明 沖縄に注目|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=|date=2010-04-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100420201708/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html|archivedate=2010-04-20}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html|title=ルーツ解明 沖縄に注目|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=|date=2010-04-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110629171640/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html|archivedate=2011-06-29}}</ref>。 |
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沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的、歴史的および文化的な経緯から「[[琉球民族]]」であるとする立場がある。日本政府は琉球民族を沖縄の「[[先住民族]]」とは認定していないが、2014年8月に[[ |
沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的、歴史的および文化的な経緯から「[[琉球民族]]」であるとする立場がある。日本政府は琉球民族を沖縄の「[[先住民族]]」とは認定していないが、2014年8月に[[人種差別撤廃委員会]]は「[[国際連合教育科学文化機関|国連教育科学文化機関]]が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めている」と言う理由で「先住民族」であるとした<ref>{{Cite news|title=沖縄の民意尊重を 国連人種差別撤廃委が日本に勧告 |url=https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-230843.html |newspaper=琉球新報|| date = 2014-08-30 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20160331132405/http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-230843.html | archivedate = 2016-03-31}}</ref>。これに対して、日本政府は撤回を働きかけるとし、自民党系議員は「民族分断工作」であると反発した<ref>{{Cite news|title=国連見解「沖縄の人々は先住民族」に自民議員が猛反発「民族分断工作だ」 政府も「撤回働きかける」|url=https://www.sankei.com/article/20160427-7FA2LXXNXNOJHAYUJ7HJVNGYQA/ |newspaper=産経ニュース | date = 2016-04-27 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220110231246/https://www.sankei.com/article/20160427-7FA2LXXNXNOJHAYUJ7HJVNGYQA/ | archivedate = 2022-01-10}}</ref>。 |
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=== 名字 === |
=== 名字 === |
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[[ファイル:Nakamura House Kitanakagusuku01n3104.jpg|thumb|right|[[中村家住宅 (沖縄県)|中村家住宅]]([[北中城村]])]] |
[[ファイル:Nakamura House Kitanakagusuku01n3104.jpg|thumb|right|[[中村家住宅 (沖縄県)|中村家住宅]]([[北中城村]])]] |
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{{See also|琉球建築}} |
{{See also|琉球建築}} |
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沖縄県の伝統的な建築技術は、主に琉球王国時代後期(近世)に発展した。多くの建造物は、建築様式や素材、技術などの面で周辺地域の建築様式(主に[[日本建築]]・中国建築)との類似点が多く見られるが、資源の状況や風土 |
沖縄県の伝統的な建築技術は、主に琉球王国時代後期(近世)に発展した。多くの建造物は、建築様式や素材、技術などの面で周辺地域の建築様式(主に[[日本建築]]・中国建築)との類似点が多く見られるが、資源の状況や風土などが異なるため沖縄独自の発展が見られる。 |
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王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立[[小屋]]に住居を構えていた。また住居以外には、[[城壁]]や[[橋梁]] |
王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立[[小屋]]に住居を構えていた。また住居以外には、[[城壁]]や[[橋梁]]などの石造建築物に[[琉球石灰岩]]が多く使用されたが、沖縄戦により失われた建築物も多い。戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し、大量の職人と資材が失われ、復興をアメリカ軍が主導するかたちで[[ツーバイフォー]]構造の建物が多く建てられた。 |
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現在では、台風やシロアリに強い[[鉄筋コンクリート構造]]に給水タンク(大きな河川がなく幾度と[[水不足]]を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている<ref>[http://www-edu.pref.okinawa.jp/bunka/jp_okinawa/jpn54.htm 沖縄県教育委員会 沖縄の歴史と文化]</ref><ref>[http://rca.open.ed.jp/city-2000/house/index.html 沖縄の住まい]</ref>。 |
現在では、台風やシロアリに強い[[鉄筋コンクリート構造]]に給水タンク(大きな河川がなく幾度と[[水不足]]を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている<ref>[http://www-edu.pref.okinawa.jp/bunka/jp_okinawa/jpn54.htm 沖縄県教育委員会 沖縄の歴史と文化]</ref><ref>[http://rca.open.ed.jp/city-2000/house/index.html 沖縄の住まい]</ref>。 |
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=== 芸能 |
=== 芸能など === |
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{{See also|沖縄音楽|琉球古典音楽}} |
{{See also|沖縄音楽|琉球古典音楽}} |
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[[エイサー]]は[[浄土宗]]の[[念仏]]が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない[[創作エイサー]]へも発展している。 |
[[エイサー]]は[[浄土宗]]の[[念仏]]が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない[[創作エイサー]]へも発展している。 |
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アメリカ統治時代に、[[コザ市]](現[[沖縄市]])では、[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、[[米ドル]]の相対価値の下落、[[Aサイン]]バーの閉鎖 |
アメリカ統治時代に、[[コザ市]](現[[沖縄市]])では、[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、[[米ドル]]の相対価値の下落、[[Aサイン]]バーの閉鎖など、環境の変化に伴い衰えたものの、現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い。 |
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現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、[[沖縄アクターズスクール]]の卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。 |
現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、[[沖縄アクターズスクール]]の卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。 |
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==== 琉球人による差別 ==== |
==== 琉球人による差別 ==== |
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琉球王国時代、中山王府(琉球王国王府)の管轄下にあったニンブチャー(念仏者、チョンダラー:[[京太郎 (沖縄の芸能)|京太郎]])以外には[[被差別民]]がいなかった<ref>赤坂憲雄「沖縄に被差別民は存在したか(下)」『部落解放』554号, 2005年, p.55</ref>ため、大和の[[部落差別]]にあたるものはないものの、王族や士族と庶民(農奴)の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった。<!-- 王府時代の身分制度の影響が、近代、現代までどのように影響を残しているのか詳述が必要 -->また都市部以外では[[シマ社会]]の旧習が今も色濃く残っており、[[男尊女卑]]や、部外者排斥の傾向が見られる。「シマ」とは「[[島嶼]]」のほかに「[[村落]]」や「分領」をも意味する。日本本土の[[ムラ社会|村社会]]に似た構図がある。 |
琉球王国時代、中山王府(琉球王国王府)の管轄下にあったニンブチャー(念仏者、チョンダラー:[[京太郎 (沖縄の芸能)|京太郎]])以外には[[被差別民]]がいなかった<ref>赤坂憲雄「沖縄に被差別民は存在したか(下)」『部落解放』554号, 2005年, p.55</ref> ため、大和の[[部落差別]]にあたるものはないものの、王族や士族と庶民(農奴)の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった。<!-- 王府時代の身分制度の影響が、近代、現代までどのように影響を残しているのか詳述が必要 -->また都市部以外では[[シマ社会]]の旧習が今も色濃く残っており、[[男尊女卑]]や、部外者排斥の傾向が見られる。「シマ」とは「[[島嶼]]」のほかに「[[村落]]」や「分領」をも意味する。日本本土の[[ムラ社会|村社会]]に似た構図がある。 |
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==== 大和人による差別 ==== |
==== 大和人による差別 ==== |
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==== 在沖米軍による圧政 ==== |
==== 在沖米軍による圧政 ==== |
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<!-- 差別と言うよりは圧政では? -->戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人 |
<!-- 差別と言うよりは圧政では? -->戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人などの事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まった。特に[[ポール・W・キャラウェイ]][[琉球列島高等弁務官]]時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した([[キャラウェイ旋風]])。[[1970年]]12月には、米軍人による交通事故を発端に[[コザ暴動]]にまで発展した。 |
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==== 奄美出身者への差別 ==== |
==== 奄美出身者への差別 ==== |
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==== 先島諸島民への圧政 ==== |
==== 先島諸島民への圧政 ==== |
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{{See also|先島諸島#先島諸島の人頭税}} |
{{See also|先島諸島#先島諸島の人頭税}} |
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琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府(琉球王国王府)は過酷な[[人頭税]]を導入し圧政を強いた。薩摩藩、および王府に加え、先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取、強制賦役、弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き、さらに明治維新を経て琉球処分後も[[旧慣温存政策]]に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は20世紀まで連綿と続いた<ref name=":03">{{Cite web|url=http://k-aiser.kokugakuin.ac.jp/webopac/eizaigaku0640203._?key=QVEUMF|title=琉球八重山の人頭税を吟味する|accessdate=2018-05-27|website=K-aiser 蔵書検索|publisher=[[國學院大学]]|archiveurl=https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:B09uLEqsEx0J:k-aiser.kokugakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do%3Fbodyid%3DTC01600526%26elmid%3DBody%26lfname%3Dlink/keizaigaku0640203.pdf+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp|archivedate=2018-05-27|deadlinkdate=2018-05-27}}</ref>。薩摩や王府の権威による圧政に、王府や支配層による農民の強制移住、干魃や暴風雨による不作、さらに[[八重山地震|大津波]]などの自然災害、疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした(詳細は「[[八重山地震]]」参照)。 |
琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府(琉球王国王府)は過酷な[[人頭税]]を導入し圧政を強いた。薩摩藩、および王府に加え、先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取、強制賦役、弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き、さらに明治維新を経て琉球処分後も[[旧慣温存政策]]に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は20世紀まで連綿と続いた<ref name=":03">{{Cite web|和書|url=http://k-aiser.kokugakuin.ac.jp/webopac/eizaigaku0640203._?key=QVEUMF|title=琉球八重山の人頭税を吟味する|accessdate=2018-05-27|website=K-aiser 蔵書検索|publisher=[[國學院大学]]|archiveurl=https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:B09uLEqsEx0J:k-aiser.kokugakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do%3Fbodyid%3DTC01600526%26elmid%3DBody%26lfname%3Dlink/keizaigaku0640203.pdf+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp|archivedate=2018-05-27|deadlinkdate=2018-05-27}}</ref>。薩摩や王府の権威による圧政に、王府や支配層による農民の強制移住、干魃や暴風雨による不作、さらに[[八重山地震|大津波]]などの自然災害、疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした(詳細は「[[八重山地震]]」参照)。 |
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先島諸島の人頭税は[[1637年]]から制度化され、重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる。人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた[[旧慣温存]]策により存続した。[[1893年]]([[明治]]26年)に[[中村十作]]、[[城間正安]]、平良真牛、西里蒲ら4人により、[[沖縄本島]]の官憲や士族らの妨害を乗り越えて、国会請願書が当時[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]であった[[井上馨]]に届けられた。中村の同郷([[新潟県]])の[[読売新聞]]記者である[[増田義一]]の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回[[帝国議会]]<ref>『沖縄県宮古島島費軽減及島政改革請願書』(明治28年(1895年)第八帝國議会可決)</ref>において[[1903年]](明治36年)廃止され、日本[[本土]]と同様の[[地租]]に切り替えられた<ref>高良倉吉「人頭税」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)</ref>。 |
先島諸島の人頭税は[[1637年]]から制度化され、重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる。人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた[[旧慣温存]]策により存続した。[[1893年]]([[明治]]26年)に[[中村十作]]、[[城間正安]]、平良真牛、西里蒲ら4人により、[[沖縄本島]]の官憲や士族らの妨害を乗り越えて、国会請願書が当時[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]であった[[井上馨]]に届けられた。中村の同郷([[新潟県]])の[[読売新聞]]記者である[[増田義一]]の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回[[帝国議会]]<ref>『沖縄県宮古島島費軽減及島政改革請願書』(明治28年(1895年)第八帝國議会可決)</ref> において[[1903年]](明治36年)廃止され、日本[[本土]]と同様の[[地租]]に切り替えられた<ref>高良倉吉「人頭税」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)</ref>。 |
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==== 混血児への差別 ==== |
==== 混血児への差別 ==== |
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{{単一の出典|date=2019年12月|section=1}} |
{{単一の出典|date=2019年12月|section=1}} |
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アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもは[[アメラジアン]]と呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多く、そういう点では一般の沖縄県民と何ら変わる面はない<ref>[http://www.jsdf.org/usmc-okinawa/1024.html 地元の子どもたちが海兵隊員と交流 - JSDF.ORG]</ref>。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえない<ref>[http://kangaerukai.net/173zadankai.htm 李京愛・豊住マルシア・野入直美・葉映蘭・秋辺得平・榎井縁「日本社会に暮らす『在日』と『新渡日』の思い」]『むくげ』173号, 2003年</ref>といった差別を受けている。特に[[アフリカ系アメリカ人]]との混血児に対してはその傾向が強い。慰霊の日の前後に公立校では[[反米]]的な学習が展開されるため、「[[ヤンキー]]・ゴー・ホーム」と迫害される[[いじめ]]を浴びる<ref>上里和美『アメラジアン もうひとつの沖縄』かもがわ出版, 1998年, p.28, 46</ref>。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別、偏見のまなざしが向けられている<ref>野呂浩「「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」一考察」『東京工芸大学紀要 人文・社会編』27巻2号, 2004年, p.28</ref>。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が[[産業廃棄物|産廃]]の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には、沖縄県は[[ダイオキシン]]や[[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]の検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった<ref>上里和美『アメラジアン もうひとつの沖縄』かもがわ出版, 1998年, p.15</ref><ref>野呂浩「「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」一考察」『東京工芸大学紀要 人文・社会編』27巻2号, 2004年, p.27</ref>。 |
アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもは[[アメラジアン]]と呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多く、そういう点では一般の沖縄県民と何ら変わる面はない<ref>[http://www.jsdf.org/usmc-okinawa/1024.html 地元の子どもたちが海兵隊員と交流 - JSDF.ORG]</ref>。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえない<ref>[http://kangaerukai.net/173zadankai.htm 李京愛・豊住マルシア・野入直美・葉映蘭・秋辺得平・榎井縁「日本社会に暮らす『在日』と『新渡日』の思い」]『むくげ』173号, 2003年</ref> といった差別を受けている。特に[[アフリカ系アメリカ人]]との混血児に対してはその傾向が強い。慰霊の日の前後に公立校では[[反米]]的な学習が展開されるため、「[[ヤンキー]]・ゴー・ホーム」と迫害される[[いじめ]]を浴びる<ref>上里和美『アメラジアン もうひとつの沖縄』かもがわ出版, 1998年, p.28, 46</ref>。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別、偏見のまなざしが向けられている<ref>野呂浩「「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」一考察」『東京工芸大学紀要 人文・社会編』27巻2号, 2004年, p.28</ref>。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が[[産業廃棄物|産廃]]の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には、沖縄県は[[ダイオキシン]]や[[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]の検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった<ref>上里和美『アメラジアン もうひとつの沖縄』かもがわ出版, 1998年, p.15</ref><ref>野呂浩「「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」一考察」『東京工芸大学紀要 人文・社会編』27巻2号, 2004年, p.27</ref>。 |
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==== ハンセン病者への差別 ==== |
==== ハンセン病者への差別 ==== |
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沖縄県は[[ハンセン病]]が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている<ref>日本ハンセン病学会ハンセン病新患調査班「ハンセン病新規患者の統計解析(1993年―2000年)『日本ハンセン病学会雑誌』71巻, 2002年, p.224</ref><ref>石井則久・杉田泰之・中嶋弘「ハンセン病新患動向: 1993年から1997年まで」『日本皮膚科学会雑誌』109巻, 1999年, p.763</ref>が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった<ref>日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』2005年, p.697</ref>。[[シマ社会|シマ]]ではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは[[乞食]]を意味する琉球方言である)を[[ガマ (洞窟)|ガマ]]、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった<ref>中村文哉「ハンセン病罹患者の<居場所>―沖縄社会と<隔離所>―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』14号, 2008年, p.42, 44</ref>。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう[[呪い]]をかけた<ref>中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.44-46</ref>。昭和50年代に[[火葬場]]が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まった<ref>塩月亮子「沖縄における死の現在―火葬の普及・葬儀社の利用・僧侶への依頼―」『日本橋学館大学紀要』7号, 2008年, p.52, 61</ref>が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている<ref>中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.24</ref>。 |
沖縄県は[[ハンセン病]]が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている<ref>日本ハンセン病学会ハンセン病新患調査班「ハンセン病新規患者の統計解析(1993年―2000年)『日本ハンセン病学会雑誌』71巻, 2002年, p.224</ref><ref>石井則久・杉田泰之・中嶋弘「ハンセン病新患動向: 1993年から1997年まで」『日本皮膚科学会雑誌』109巻, 1999年, p.763</ref> が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった<ref>日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』2005年, p.697</ref>。[[シマ社会|シマ]]ではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは[[乞食]]を意味する琉球方言である)を[[ガマ (洞窟)|ガマ]]、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった<ref>中村文哉「ハンセン病罹患者の<居場所>―沖縄社会と<隔離所>―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』14号, 2008年, p.42, 44</ref>。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう[[呪い]]をかけた<ref>中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.44-46</ref>。昭和50年代に[[火葬場]]が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まった<ref>塩月亮子「沖縄における死の現在―火葬の普及・葬儀社の利用・僧侶への依頼―」『日本橋学館大学紀要』7号, 2008年, p.52, 61</ref> が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている<ref>中村文哉「沖縄社会の二つの葬祭儀礼―沖縄のハンセン病問題と「特殊葬法」―」『山口県立大学社会福祉学部紀要』11号, 2005年, p.24</ref>。 |
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近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した<ref>Koba, A., Ishii, N., Mori, S., & Fine, P.E.M. (2009). "The decline of leprosy in Japan: patterns and trends 1964-2008". ''Leprosy Review'': '''80''', p.439</ref>。[[国立ハンセン病療養所]]設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた[[青木恵哉]]ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の[[国立療養所沖縄愛楽園]])は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。 |
近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した<ref>Koba, A., Ishii, N., Mori, S., & Fine, P.E.M. (2009). "The decline of leprosy in Japan: patterns and trends 1964-2008". ''Leprosy Review'': '''80''', p.439</ref>。[[国立ハンセン病療養所]]設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた[[青木恵哉]]ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の[[国立療養所沖縄愛楽園]])は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。 |
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{{See also|Category:沖縄県のスポーツチーム}} |
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* [[クリード安仁屋ベースボールクラブ]]([[野球]]) |
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* [[琉球ゴールデンキングス]]([[バスケットボール]] [[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]) |
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* [[琉球コラソン]]([[ハンドボール]] [[日本ハンドボールリーグ]]) |
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* [[ツール・ド・おきなわ]] |
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* [[NAHAマラソン]] |
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==== スポーツ施設 ==== |
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[[日本野球機構|プロ野球]]の[[キャンプ (日本プロ野球)|春季キャンプ]]地が沖縄県に集中しており、[[2011年]](平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園および[[野球場]]を挙げた。 |
雪が降らないため、[[日本野球機構|プロ野球]]の[[キャンプ (日本プロ野球)|春季キャンプ]]地が沖縄県に集中しており、[[2011年]](平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園および[[野球場]]を挙げた。 |
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* [[沖縄県営奥武山公園]] |
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* [[宜野湾市立野球場]] |
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* [[ニライカナイからの手紙]]([[2005年の日本公開映画|2005年]]、IMJエンタテインメント=ザナドゥー=エルゴ・ブレインズ=ビジュアルアート研究所配給) |
* [[ニライカナイからの手紙]]([[2005年の日本公開映画|2005年]]、IMJエンタテインメント=ザナドゥー=エルゴ・ブレインズ=ビジュアルアート研究所配給) |
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* [[涙そうそう (映画)|涙そうそう]]([[2006年の日本公開映画|2006年]]、東宝) |
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* [[カフーを待ちわびて]]([[2009年の日本公開映画|2009年]]、[[ |
* [[カフーを待ちわびて]]([[2009年の日本公開映画|2009年]]、[[エイベックス]]) |
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* [[てぃだかんかん]]([[2010年の日本公開映画|2010年]]) |
* [[てぃだかんかん]]([[2010年の日本公開映画|2010年]]) |
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* 絶壁の上のトランペット([[2016年の日本公開映画|2016年]]) |
* 絶壁の上のトランペット([[2016年の日本公開映画|2016年]]) |
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* [[僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫#映画|返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す]](2018年) |
* [[僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫#映画|返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す]](2018年) |
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* [[劇場版 のんのんびより ばけーしょん]]([[2018年]]、[[KADOKAWA]]) |
* [[劇場版 のんのんびより ばけーしょん]]([[2018年]]、[[KADOKAWA]]) |
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*[[風が通り抜ける道]] (2024年)沖縄県後援、イオンエンターテイメント |
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; テレビドラマ |
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* [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] ([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、[[日本放送協会|NHK]]) |
* [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] ([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、[[日本放送協会|NHK]]) |
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|<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/site/chiji/gallery/back/h2805/20180607.html 安室奈美恵さんへの沖縄県県民栄誉賞表彰式(5月23日)] - 沖縄県知事公室秘書課、2018年6月7日更新</ref> |
|<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/site/chiji/gallery/back/h2805/20180607.html 安室奈美恵さんへの沖縄県県民栄誉賞表彰式(5月23日)] - 沖縄県知事公室秘書課、2018年6月7日更新</ref> |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{日本の地域}} |
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2024年5月10日 (金) 12:48時点における版
おきなわけん 沖縄県 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
団体コード | 47000-7 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-47 | ||||
面積 |
2,282.09km2 | ||||
総人口 |
1,466,357人[編集] (推計人口、2024年5月1日) | ||||
人口密度 | 643人/km2 | ||||
隣接都道府県 | 鹿児島県[注釈 2] | ||||
県の木 | リュウキュウマツ | ||||
県の花 | デイゴ | ||||
県の鳥 | ノグチゲラ | ||||
県の魚 県の歌 県民愛唱歌 本土復帰記念日 慰霊の日 |
タカサゴ(グルクン) 沖縄県民の歌 てぃんさぐぬ花 5月15日 6月23日 | ||||
沖縄県庁 | |||||
知事 | 玉城デニー | ||||
法人番号 | 1000020470007 | ||||
所在地 |
〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎一丁目2番地2号 北緯26度12分44秒 東経127度40分51秒 / 北緯26.2122度 東経127.6808度座標: 北緯26度12分44秒 東経127度40分51秒 / 北緯26.2122度 東経127.6808度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/沖縄県 | ||||
ウィキプロジェクト |
沖縄県(おきなわけん、沖縄語: ウチナー /ʔucinaa/[1][2]、英語: Okinawa Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。
概説
鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島、先島諸島、大東諸島)から構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に香川県、大阪府、東京都に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある[注釈 3]。又、八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体であり、与那国島の北北西端にあるトゥイシが日本最西端の地点である[3]。
県民人口の約9割が沖縄本島に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は三大都市圏に匹敵する人口密度がある。
ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。
海上輸送路(シーレーン)及び軍事的要地(第一列島線)として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。主な米軍施設として、嘉手納飛行場、普天間飛行場、キャンプ・バトラーなどが存在する。
歴史的経緯(後述)から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や食文化及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい。俗に沖縄「県外」のことを「内地(ナイチ)」、沖縄県外の日本人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。
日本国内では緯度が低く、上述のような温暖な気候風土や文化の特性から、日本屈指のリゾート地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に2001年のテレビドラマ「ちゅらさん」の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、沖縄料理、レジャー、マリンスポーツや戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れている。沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は、高いとはいえないが、座間味島のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している[4]。
沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と低調である[5]。沖縄は太平洋高気圧の南側に位置し、熱帯低気圧が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の旅客機が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。
格闘技界においては空手の発祥の地(琉球唐手)として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している。ボクシングにおいては石垣市出身の具志堅用高を始めとして数多くの世界王者、名選手を輩出している。
名称
淡海三船が著した779年成立の鑑真の伝記『唐大和上東征伝』では、天平勝宝5年(753年)11月21日に遣唐使一行が阿児奈波嶋(あこなはしま/あこなわじま)に到着したと記述されており[注釈 4][6]、この島は沖縄本島のことを指していたという[7]。後に中国側からの呼称による「流求」「琉球」と呼ばれるようになった。
琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧信濃国が長野県、旧上野国が群馬県となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに沖縄諸島・先島諸島全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった[8]。
地理・地域・公海
国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る[注釈 5]。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「九州#近現代の「九州」」を参照)。国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている[注釈 6][注釈 7]。 国土地理院によると、沖縄県は691の島から成っている[12]。49の有人島と多数の無人島から成り、0.01 km2以上の面積を有する島は160島存在する[13]。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ[14]。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。 沖縄本島と宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約145海里(約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が領海と接続水域になっており、残りの約97海里(約180km)が排他的経済水域になっている。 与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。
島 | 所属自治体 | 備考 | 位置 | |
---|---|---|---|---|
最北端 | 硫黄鳥島 | 久米島町 | 有人島に限れば伊平屋島[16] | |
最南端 | 波照間島 | 竹富町 | 日本最南端の有人島[17] | |
最東端 | 北大東島 | 北大東村 | ||
最西端 | 与那国島 | 与那国町 | 日本最西端の島[18] |
離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。
県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市、上海、福州や台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港などが位置する。2000km圏内には東京、仙台、北京、瀋陽、海南省海口市、長春、ウラジオストクなどが存在し、2500km圏内には稚内、成都、重慶、ハノイ、グアム、北マリアナ諸島、パラオが収まるなど、まさに東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。
沖縄本島の中南部は那覇市や沖縄市を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。その上、治外法権の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため人口密度は全国で第9位であり、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に高い。
地質
琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000mの窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。
自然
- 生物
- 亜熱帯地帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物など貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島などが沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がるほか、イリオモテヤマネコなどの貴重な生物が生息している。なお、環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。
- 大雨と水不足
- 2005年(平成17年)から2007年(平成19年)各年の6月に梅雨前線の影響で大雨と雷が沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ、崖崩れなどが相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨と台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候および地形的に水不足に陥りやすい[19]。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年(昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[20][21]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また1997年(平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な海水淡水化施設が北谷町に完成したことで[22]、2005年(平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
- 地震
- 「地震大国」と言われる日本において、九州などと同じく、一年あたりの(有感)地震回数が少ない。しかし、損害保険料率算出機構の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。過去には1771年の八重山地震による大津波で、先島諸島に多大な被害が生じている。最近では2010年(平成22年)の沖縄本島近海で発生した地震で約100年ぶりに沖縄本島で震度5以上を観測し、勝連城跡の城壁の一部が崩壊した[23]。
気候
那覇市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本国内における気候区分では南日本気候に属する。
宮古島、多良間島、石垣島、西表島、与那国島、波照間島および沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、北大東島および南大東島は同じく熱帯性気候で熱帯モンスーン気候(Am)、それ以外の地域は亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35℃を超える猛暑日になることはほとんど無い[24]。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること(海洋性気候)から、フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。冬季は北からの季節風の影響で雨や曇りの日が多い。梅雨明けころには、夏至南風(沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ[25])と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる季節風として知られている[26]。
降雪
冬期に降雪があることはごくまれであるが、1977年(昭和52年)2月17日に久米島で、2016年(平成28年)1月24日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ(気象記録上は雪と同じ扱い)が観測された[27][28][29]。気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である[30]。
観測開始以前においては、琉球王国の正史とされる『球陽』によると、1774年、1816年、1843年、1845年、1857年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している[31]。
なお、昭和38年1月豪雪では県内各地で霜、あられ、ひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している[32]。
1999年(平成11年)12月20日とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、NHK沖縄放送局でその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で[33][34]、公式な降雪記録とはなっていない。
平年値 (月単位) |
沖縄諸島 | 大東 諸島 |
宮古諸島 | 八重山諸島 | ||||||||||||||
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沖縄本島 | 伊 是 名 島 |
渡 嘉 敷 島 |
久 米 島 |
南 大 東 島 |
宮 古 島 |
多 良 間 島 |
石垣島 | 西表島 | 波 照 間 島 |
与 那 国 島 | ||||||||
国頭村 奥 |
名護市 | 金武町 | 那覇市 | 南城市 糸数 |
登野城 | 伊原間 | 祖納 | 大原 | ||||||||||
気候区分 | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | |
平均 気温 (℃) |
最暖 月 |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.6 (7月) |
28.9 (7月) |
27.1 (7月) |
28.3 (7月) |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.5 (7月) |
28.7 (7月) |
29.0 (7月) |
29.5 (7月) |
28.8 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.8 (7月) |
最寒 月 |
14.5 (1月) |
16.3 (1月) |
16.2 (1月) |
17.0 (1月) |
15.2 (1月) |
16.1 (1月) |
15.3 (1月) |
16.7 (1月) |
17.7 (1月) |
18.0 (1月) |
18.4 (1月) |
18.6 (1月) |
18.3 (1月) |
18.3 (1月) |
18.0 (1月) |
18.8 (1月) |
18.4 (1月) | |
降水量 (mm) |
最多 月 |
309.5 (6月) |
248.2 (8月) |
228.8 (5月) |
260.5 (9月) |
253.3 (6月) |
269.9 (6月) |
268.8 (5月) |
263.9 (6月) |
200.6 (5月) |
262.5 (8月) |
249.6 (8月) |
261.6 (8月) |
250.6 (9月) |
273.6 (8月) |
284.1 (8月) |
197.7 (9月) |
293.2 (9月) |
最少 月 |
138.3 (12月) |
96.2 (12月) |
78.3 (12月) |
102.8 (12月) |
111.7 (1月) |
97.5 (12月) |
124.1 (12月) |
119.0 (7月) |
84.7 (1月) |
130.8 (1,7月) |
127.2 (12月) |
126.3 (12月) |
122.3 (7月) |
141.6 (7月) |
137.6 (3月) |
106.2 (12月) |
138.5 (7月) | |
日照 時間 (時間) |
最長 月 |
239.2 (7月) |
245.7 (7月) |
218.1 (7月) |
238.8 (7月) |
210.1 (7月) |
289.8 (7月) |
230.5 (7月) |
255.4 (7月) |
278.8 (7月) |
246.7 (7月) |
199.1 (7月) |
264.5 (7月) |
245.6 (7月) |
253.2 (7月) |
245.4 (7月) |
259.3 (7月) |
258.9 (7月) |
最短 月 |
78.3 (1月) |
86.2 (2月) |
88.3 (2月) |
87.1 (2月) |
93.0 (2月) |
91.5 (1月) |
87.8 (1月) |
77.4 (2月) |
114.5 (2月) |
82.6 (2月) |
73.9 (1月) |
82.1 (2月) |
70.5 (1月) |
74.5 (1月) |
86.5 (2月) |
91.9 (1月) |
55.7 (1月) | |
|
島嶼
島嶼名 | 面積 (km2) | 島嶼名 | 面積 (km2) | ||
---|---|---|---|---|---|
1 | 沖縄本島 | 1,206.98 | 11 | 多良間島 | 19.81 |
2 | 西表島 | 289.61 | 12 | 渡嘉敷島 | 15.31 |
3 | 石垣島 | 222.25 | 13 | 伊是名島 | 14.12 |
4 | 宮古島 | 158.87 | 14 | 波照間島 | 12.73 |
5 | 久米島 | 59.53 | 15 | 北大東島 | 11.93 |
6 | 南大東島 | 30.53 | 16 | 黒島 | 10.02 |
7 | 伊良部島 | 29.06 | 17 | 下地島 | 9.68 |
8 | 与那国島 | 28.95 | 18 | 小浜島 | 7.86 |
9 | 伊江島 | 22.76 | 19 | 屋我地島 | 7.82 |
10 | 伊平屋島 | 20.66 | 20 | 粟国島 | 7.62 |
出典:国土地理院(2016年10月1日現在)[36] |
自然公園
地形
- 山岳
- 河川
本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、流域面積が小さいことが挙げられる[40]。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。またマングローブ林など県外と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している[41]。現在、沖縄本島北部では赤土の流出、中南部では畜舎からの排水などの影響による河川汚染が問題となっている[42][43]。
本県には国内で唯一、一級河川が存在しない。二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている[44]。
- 浦内川 - 沖縄県最長の川でマリユドゥの滝などを有する。
- 湖沼・干潟など
地域区分
2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。
現代(2020年)において沖縄県の地域は北部地域、中部地域、南部地域(南部離島地域)、宮古・八重山地域に大分される[45][46]。
南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く沖縄諸島と大東諸島の島々の町村を含んだ概念である。
また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される(「北部離島地域」と言う呼び方は公式ではない)。
ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼[注釈 8] はこれら離島地域には含まれない。
- 北部地域(通称・山原(やんばる)地域)
- 中部地域
- 南部地域
- 南部離島地域(すべて島尻郡に属する)
- 宮古・八重山地域
歴史的な地域区分
1896年(明治29年)4月1日の郡制施行(沖縄県区制)に伴い、那覇区、首里区と、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された(2区5郡)。この時点では沖縄県発足以来継続していた旧慣温存政策により琉球王国時代の間切制が残存していた[注釈 9][注釈 10]。これは、1908年(明治41年)4月1日に沖縄県独自の島嶼町村制施行により、間切→村(そん)に移管されるまで続いた。
この1896年沖縄県区制施行当時の郡区分を特に「旧郡制」と言う事があり[注釈 11]、この境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が制度上も残っている。
この歴史的経緯により、旧郡制当初から現代まで、伊平屋村・伊是名村は島尻郡に属しているがその一方で現代行政区分としては北部地域に組み入れられている。ほか、沖縄本島と伊江島を除く沖縄諸島と、大東諸島の島々の市町村も同様に島尻郡に属しており、必ずしも南部とは言えない南部地域(南部離島地域)に組み入れられている。
その他の行政区分および都市圏
行政による地域区分は上記のほか、沖縄本島(周辺離島を含む)における広域行政圏として北部広域市町村圏、中部広域市町村圏、南部広域市町村圏を持つ。
これら広域行政圏は、沖縄都市圏や那覇都市圏の影響を受けており、行政機能的、商業的にもより実態に即した圏域を構成している。そのため、中部地域に属する浦添市は南部広域市町村圏に組み入れられている。西原町は公式にも中部広域市町村圏だが、より実態に即して南部扱いされる場合も一部にある。
沖縄本島(本島周囲離島及び伊平屋島、伊是名島、伊江島を含む)
- 北部広域市町村圏
- (旧)国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。
- 中部広域市町村圏
- (旧)中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。
- 南部広域市町村圏
- (旧)島尻郡および旧那覇区、旧首里区[注釈 12] と、これに中部地域の浦添市を含めた範囲(ここでは沖縄本島部分を扱う)。
- なお、西原町は中部地域かつ中部広域市町村圏に属するが、一部の事務組合については南部と合同になることもある。
沖縄諸島(伊平屋島、伊是名島、伊江島を除く)
- 南部広域市町村圏(離島)
- いずれも(旧)島尻郡、南部広域市町村圏に属している。南部離島地域と同様の概念で「南部離島」などとも呼ばれる。
先島諸島
- 宮古地区
- 旧宮古支庁、(旧)宮古郡の範囲
- 八重山地区
- 旧八重山支庁、(旧)八重山郡の範囲
米軍基地
2017年現在、在日米軍の専用施設は沖縄本島の総面積の15%を占めている[47][48]。
歴史
概略
古代 『続日本紀』には、文武天皇2年(698年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年(699年)に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。和銅8年(715年)には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも養老4年(720年)に南島人232人に位を授け、また神亀4年(727年)に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。
琉球王国時代に編纂された「中山世鑑」によると、保元の乱で敗れ伊豆に流された源為朝が追手から逃れるため沖縄本島(運天港)に渡り、その子が初代琉球国王舜天になったとされており、正史として扱われていた。14世紀後半には三山王国(北山、中山、南山)が勃興するグスク時代に突入し、中国(明)に朝貢し冊封を受け琉球貿易を行っていた。1429年に中山王尚巴志が南山と北山を滅ぼし琉球を統一、琉球王国を建国した(第一尚氏)。グスク時代の城跡遺跡は『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコの世界遺産に登録されている。1469年に尚徳王の家臣であった金丸が王位を簒奪し、自らを尚円王と号し即位した(第二尚氏)。周辺の先島諸島や奄美群島にも版図を拡げるが、1609年(慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏、当時王国の支配下にあった奄美群島は薩摩藩に割譲[注釈 13]、王国は薩摩藩の支配下におかれた(琉球侵攻)。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の南洋幻想の発端となった[要出典]。
近代に入り、1853年(嘉永6年)マシュー・ペリー率いる黒船艦隊が琉球に来航し首里城を訪問。翌1854年(嘉永7年)琉米修好条約を締結するのを皮切りにフランスやオランダとも修好条約を締結した。一方、日本本土では明治維新がおこり開国したことを受け、1871年(明治4年)9月に日清修好条規が締結され清との間に外交関係が樹立された。しかし、その約1ヶ月後となる同年10月に宮古島島民遭難事件が発生、明治政府は外交対処のために中央集権国家の確立を急ぎ、1872年(明治5年)、琉球藩が設置され、琉球国王の尚泰を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。福島外務卿による清との交渉後、1874年(明治7年)に台湾出兵となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などがイギリス大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。1879年3月27日(明治12年)[49]、明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置、尚泰は東京の藩邸に居を移し華族となる。明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を琉球処分と言う。
1945年(昭和20年)、太平洋戦争では『国内最大の地上戦』と呼ばれる[注釈 14]沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、6月23日に沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将らが摩文仁で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は沖縄戦跡国定公園に指定されており、6月23日は慰霊の日として沖縄県の休日となっている。
沖縄戦後、GHQのSCAPIN - 677指令により南西諸島[注釈 15] は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)にGHQの占領下にあった日本が主権回復した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに琉球政府を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。
1950年代以降になると朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52などの戦略爆撃機や枯葉剤や核兵器といった大量破壊兵器が多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた[51]。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰するまでのわずか27年間で約100万人に倍増した。しかし米軍による強権的かつ差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に施政権が返還され沖縄県が復活した(沖縄返還)[注釈 16][注釈 17]。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。
年表
- 1879年(明治12年)3月27日 - 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置[52](なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている[53])、4月5日、鍋島直彬が初代県令に就任[54](琉球処分)[55]。
- 1896年(明治29年)- 陸軍省臨時台湾電信建設部が大浜(現在の鹿児島県南大隅町 )- 奄美 - 沖縄本島(現在の読谷村渡具知)間に電信用の海底ケーブルを敷設。翌年石垣島を経て基隆八尺門(台湾)に延伸[56][57]。
- 1936年(昭和11年)12月21日 - 沖縄-鹿児島間で無線電話が開通[58]。
- 1945年(昭和20年)4月 - 沖縄戦勃発。同年6月23日、戦闘終結。沖縄県全土がアメリカ軍の占領下に置かれる。同年9月20日、沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、女性参政権が認められ普通選挙実施[59]。
- 1946年(昭和21年)1月 - SCAPIN677により連合国よりアメリカ軍政へ移管。
- 1946年(昭和21年)4月 - 米軍主導の元、沖縄民政府発足。沖縄諮詢会で互選された志喜屋孝信が知事に就任。旧県会議員を主体に議会を設立。
- 1948年(昭和23年)10月 - 「米国の対日政策に関する勧告に対する国家安全保障会議の諸勧告(NSC/2,3)」により米軍の沖縄の恒久保持、基地の開発の方針を掲示。
- 1950年(昭和25年)12月 - 琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 琉球政府設立。
- 1957年(昭和32年)9月18日 - 台風14号が接近。死者52人、行方不明者79人、倒壊家屋約2万戸[60]。
- 1960年(昭和35年)4月28日 - 沖縄県祖国復帰協議会設立。
- 1970年(昭和45年)12月20日 - コザ暴動発生。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 日本に復帰し沖縄県再設置(沖縄返還)。
- 1975年(昭和50年)7月 - 沖縄国際海洋博覧会開催。その際皇太子明仁親王(当時)夫妻の沖縄訪問時にテロ事件が発生。
- 1978年(昭和53年)7月30日 - 対面交通の変更。車両が右側通行から左側通行へ変更。(「730」)。
- 1981年(昭和56年) 7月 - 日本最長の326日間にわたる給水制限を実施。(昭和56-57年沖縄渇水)
- 1987年(昭和62年) - 第42回国民体育大会開催。
- 1992年(平成4年) 11月2日 - 首里城正殿などを復元、首里城公園開園。
- 1995年(平成7年)9月4日 - 沖縄米兵少女暴行事件が発生し、普天間基地移設問題に波及。
- 1997年(平成9年) - 日米間で普天間飛行場の返還を含む基地移転案に基本合意。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)11月1日 - 沖縄美ら海水族館が開園。大水槽および水槽のパネルは当時世界最大規模であった。
- 2003年(平成15年)8月10日 - 沖縄都市モノレール線が開通。
- 2004年(平成16年)
- 2012年(平成23年)9月11日 - 尖閣諸島国有化。
- 2013年(平成25年)12月27日 - 仲井眞弘多知事が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認。
- 2014年(平成26年) - 知事選挙で仲井眞弘多が敗れ、翁長雄志が知事に当選。
- 2015年(平成27年) - 普天間飛行場の辺野古移設を巡り県と国が法廷闘争を繰り広げる。工事を一時停止して協議するが9月に決裂し工事再開。
- 2016年(平成28年) - 裁判所の和解案に基づき政府と協議。9月16日、福岡高裁で辺野古移設に関して県の敗訴が確定。
- 2018年(平成30年)8月8日 - 翁長雄志知事が死去(本土復帰後公選知事初の現職没)[61]。
- 2019年(平成31年)2月24日 - 辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票が実施され、投票者の7割超、有権者の4分の1超が反対に投票。
- 2019年(令和元年) 10月31日 - 火災により首里城正殿、北殿、南殿などが焼け落ちる。
- 2022年(令和4年) 1月27日 - 沖縄県警察が暴徒に襲撃される事件が発生。
人口
2015年度の国勢調査結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、都道府県別で東京都(2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった[62]。人口別では初めて65歳以上人口が15歳未満人口を上回った。地域別で見ると沖縄本島の中部と南部で増加し、沖縄本島北部と石垣島を除く離島の大部分で減少している。国立社会保障・人口問題研究所は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している[63]。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高である[64] が、社会増加率は各年により増減が変動する[65]。また2010年度の合計特殊出生率は1.87人[64] と1975年度以来連続で全国1位を維持している[66]。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、初めて15歳未満 (17.4%) を上回った[67]。粗死亡率は男女ともに全国で最も低いが[68]、年齢調整死亡率は全国平均に近く[68]、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている[69]。沖縄県在住の外国人は、国籍別で2010年現在アメリカ(米軍とその関係者は含まれない。)が最も多いが、中国・韓国籍の外国人も増加傾向にある[70]。2015年度の国勢調査で、県内の外国人は11,020人となり、2010年度より3,369人 (44%) 増加している[67]。
なお人口統計には含まれない在沖米軍人と軍属およびその家族数は2013年度現在47,300人にのぼる[要出典]。
2016年度の沖縄県への入域観光客統計は年間8,613,100人で過去最高を記録し一日平均で約23,500人になる[要出典]。
また県外から赴任した自衛官や国の出先機関の出向公務員も多数存在するために、これらを含めると見かけ上の人口は統計よりも7〜10万人も多い[要出典]。
増加 10.0 %以上 5.0 - 10.0 % 3.0 - 5.0 % 0.0 - 3.0 % | 減少 0.0 - 3.0 % 3.0 - 5.0 % 5.0 - 10.0 % 10.0 %以上 |
沖縄県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 沖縄県の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 沖縄県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | ||
沖縄県の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
政治
知事
沖縄県公選知事 | |||||||
代 | 氏名 | 在職期間 | 期 | 出身地 | 最終学歴 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 屋良朝苗 やら ちょうびょう |
1972年(昭和47年)5月15日 - 1976年(昭和51年)6月24日 |
2 | 中頭郡読谷村 | 広島高等師範学校卒業 (現・広島大学) | ||
2 | 平良幸市 たいら こういち |
1976年(昭和51年)6月25日 - 1978年(昭和53年)11月23日 |
1 | 中頭郡西原町 | 沖縄師範学校卒業 | ||
3 | 西銘順治 にしめ じゅんじ |
1978年(昭和53年)12月13日 - 1990年(平成2年)12月9日 |
3 | 島尻郡知念村 (現・南城市) |
東京大学法学部卒業 | ||
4 | 大田昌秀 おおた まさひで |
1990年(平成2年)12月10日 - 1998年(平成10年)12月9日 |
2 | 島尻郡具志川村 (現・久米島町) |
米国シラキューズ大学大学院修了 | ||
5 | 稲嶺恵一 いなみね けいいち |
1998年(平成10年)12月10日 - 2006年(平成18年)12月9日 |
2 | 関東州大連 (現・中国遼寧省大連市) |
慶應義塾大学経済学部卒業 | ||
6 | 仲井眞弘多 なかいま ひろかず |
2006年(平成18年)12月10日 - 2014年(平成26年)12月9日 |
2 | 大阪府大阪市 | 東京大学工学部卒業 | ||
7 | 翁長雄志 おなが たけし |
2014年(平成26年)12月10日 - 2018年(平成30年)8月8日 |
1 | 真和志村(現:那覇市) | 法政大学法学部卒業 | ||
8 | 玉城デニー たまき デニー |
2018年(平成30年)10月4日 - | 1 | 中頭郡与那城村(現:うるま市) | 上智社会福祉専門学校卒業 |
組織・庁舎
議会
- 議員定数 48人
- 任期 2020年(令和2年)6月25日 - 2024年(令和6年)6月24日
沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県、岩手県、宮城県、福島県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年(昭和47年)6月25日に行われたことによるためで、東京と茨城は議会の解散、岩手、宮城と福島は東日本大地震による延期のためであり、事情が異なる。
財政
2015年度
- 標準財政規模 3567億9084万円
- 財政力指数 0.29(都道府県平均 0.47)
- 財政力指数が0.3未満のEグループ(11自治体)に分類されている
- 経常収支比率 95.1%(都道府県平均 94.6%)
- 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である
- 将来負担比率 81.3%(都道府県平均 210.5%)
- 実質公債費比率 12.2%(都道府県平均 14.1%)
- 人口100,000人当たりの職員数 1,412.52人(都道府県平均1,110.90人)
- ラスパイレス指数 107.0(都道府県平均 107.4)
- 地方債残高
- 普通会計分の地方債現在高 6829億9400万円
- 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 1541億800万円
経済・産業
産業
沖縄県は日本屈指の観光立県でありサービス業が発達していて県経済の中心になっている。また在日米軍基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、ショッピングセンターなどの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、沖縄県庁に次ぐ大口の就職先になっている。「観光」「公共事業」「基地収入」に依存する「3K経済」とも称されている[71]。
沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務などの経済活動)の割合が沖縄県(平成25年度)では16.0%と高い。これらの要因として、アメリカ統治下の沖縄では円よりも価値の高い軍票やドルが用いられ外国製品が安く手に入るため製造業が育たなかったこと、本土復帰後は大規模な公共事業に重点的に取り組むも地元企業は下請けに回ることが多く、その結果雇用が見込める大規模工場が少なく、非正規雇用者が多い要因の一つとなっている。2017年の非正規従業員の割合は43.1%と全国で最も高い[71]。
2014年(平成26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった[72]。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。失業率は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。
県外の日本国内で生産または供給される商品に関しては、輸送距離の関係から時間・費用が嵩み、輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。そのため、県内生産品を除き、県外の地方と比べて、平均小売価格は特段低くはない。食品や携帯電話サービスでは全国的なブランドの商品生産・提供を沖縄独自の法人(沖縄ビバレッジ、沖縄セルラー電話など)が一括して担っていたり、オキコやオリオンビールやブルーシールなど、沖縄独自のブランドが特定ジャンルのシェアを占めている場合もある。
農業・漁業
農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、マンゴー、アセロラ、パインアップル、ドラゴンフルーツなどのトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤー(ニガウリ)といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。
漁業ではマグロ、イカ、ブリ、タカサゴ、アジ、アカハタなどの他クルマエビ、モズク[73] の養殖も盛んである[74]。
畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種アグーが有名。またヤギやウシも生産されている。
本土復帰後は付加価値の高い品目に移り変わりつつある。マンゴーや石垣牛などは産出額を大きく増やしているのに対し、サトウキビやパイナップルは栽培・収穫面積を大きく減らしている[71]。
工業・鉱業
製糖業、飲食料品製造業や、セメント製造を中心とした窯業・土石製品製造業があるがいずれも小規模である。
沖縄本島の本部半島には良質な石灰岩が存在し、セメントの原料や砕石・砕砂の原料として採掘されている。沖大東島や北大東島にはかつて燐鉱山が経営されていたが、北大東島は良鉱石が枯渇しており、沖大東島は戦後、米軍射爆撃場に指定されたたままである。
沖縄本島沖の海底には国内最大規模の熱水鉱床が広がっており、銅、亜鉛などのほか、ガリウムやビスマスなどレアメタルを含むため、次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している。
東シナ海の海底には推定埋蔵量約1000億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており、日中中間線周辺では中国との領有権争い(東シナ海ガス田問題を参照のこと)が生じている。
植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び、県産サトウキビが原料として注目され試験操業も行われたが、結局採算が取れず撤退した。
観光業
本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした観光業が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)[75] である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、台湾 (40.00%)、韓国 (22.99%)、中国 (18.38%)、香港 (10.26%)、米国 (3.51%) という比率になっている[76]。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。
2000年(平成12年)に主要国首脳会議が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げエコツーリズムも活発化している。一方2020年(令和2年)以降のコロナ禍では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した[71]。
情報
1998年(平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange などの呼びかけを行いコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして箱物行政といった批判も多い。
2010年代ごろからスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。
優遇税制・特例
経済振興のため、数々の特例[77] が設定されている。
- ガソリン税(県外より1リットル当たり7円引き)や、沖縄自動車道の通行料金(県外より約4割引)などが軽減されている。
- 沖縄県発着の航空便に関しては、航空機燃料税が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっている[78] ため、結果として観光客誘致にも寄与している。
- 観光においては、観光戻税制度、のちの特定免税店制度が他県にはない特徴的な優遇税制である。
- 酒税の軽減措置がある(→泡盛、オリオンビール参照)。
- 2002年(平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇(法人税の控除、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)と大地震などの災害の可能性の低さを理由に、いくつかの企業が特別地区への移動を行っている。
企業
県内では、本州などで展開している企業の地域会社が多数存在する。
- 電気通信事業者
- 電気通信事業者では、携帯電話の au のサービスを提供する地域会社として沖縄セルラー電話がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する KDDI だけでなく、地元企業の沖縄電力のほか県内の財界、有力企業なども出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県での市場占有率が首位のNTTドコモを抑えている(2005年(平成17年)現在の市場占有率は49%)。なお、同社は政治的な配慮によりドミナント規制対象外だったが、のちに au 本体 (KDDI) が対象となっている。
- また、アステルグループのPHSサービスを提供していた沖縄電力グループの旧アステル沖縄を引継ぎ、2005年(平成17年)1月25日に事業を開始したウィルコム沖縄(本州などでPHSサービスを提供するウィルコム(旧DDIポケット)の子会社として設立。のちにソフトバンクの子会社となりY!mobileブランドを展開)があった。(2022年4月にソフトバンクに吸収合併され解散、事業はソフトバンクが承継。)
- 酒類
- ビールメーカーとして県内で大きな市場占有率を持つオリオンビールが存在する。なお、同社は県内における酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率を成しているが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため独占禁止法に抵触しないとされる。
- 新聞
- 新聞は輸送事情の関係から、現地印刷を行う日本経済新聞、県内地方紙と提携のうえ印刷・発行しているスポーツニッポン・日刊スポーツを除き、当日の朝に配送することが不可能なため(県外における夕刊配達の時間帯に朝刊が配達される状態)、地方紙である沖縄タイムスおよび琉球新報が購読率の大半を占めている。また石垣島・宮古島には主に島内や周辺離島を販売域とする新聞がそれぞれ2紙づつ発行されている。
- 金融
- 金融機関は、県内に本店を置く地方銀行3行のほかコザ信用金庫、郵便局(ゆうちょ銀行)やJAバンク(JAおきなわ)などの店舗が多い。県外の地方銀行は鹿児島銀行の沖縄支店が2015年に設置され、那覇市に2店体制で営業している。
- 都市銀行については、みずほ銀行那覇支店が存在し、三菱UFJ銀行は法人営業のみを行う那覇支社を置いている。三井住友銀行は2015年に沖縄進出を検討していると報じられたが[79]、具体化していない。
- 県の指定金融機関は、沖縄銀行と琉球銀行2行による輪番制。
- 公的金融機関としては沖縄振興開発金融公庫(沖縄公庫)が、本土における日本政策金融公庫、住宅金融支援機構及び福祉医療機構に相当する業務を実施している[80]。商工組合中央金庫は那覇支店が存在する。
- 上場企業
- 県内に本社を置く上場企業は、サンエー(東証プライム)、おきなわフィナンシャルグループ・琉球銀行・沖縄電力(東証プライムと福証)、沖縄セルラー電話・全保連(東証スタンダード)の6社である。
- TOKYO PRO Marketに上場している企業は、碧 (那覇市の企業)と琉球アスティーダスポーツクラブの2社である。WBFリゾート沖縄は上場廃止となっている。沖縄振興開発金融公庫、沖縄県産業振興公社や地元の金融機関・企業が出資するOKINAWA J-Adviser(現OJAD)が「OKINAWA型上場モデル」[81] の展開を掲げてTOKYO PRO Marketに係る指定アドバイザー(J-Adviser)を務めていたが、2019年に資格を返納している[82]。
沖縄県に本社を置く主要企業
- 製造業
- 沖縄コカ・コーラボトリング(浦添市)
- オリオンビール(豊見城市)
- ヘリオス酒造(名護市)
- 琉球セメント(浦添市)
- コーラルバイオテック(那覇市)
- フォーモスト・ブルーシール(浦添市)
- おっぱ乳業(今帰仁村)
- 沖縄製粉(那覇市)
- 沖縄ハム(読谷村)
- 沖縄ホーメル(中城村)
- 沖縄食糧(浦添市)
- 小売業
- サンエー(宜野湾市)
- ジミー(宜野湾市)
- 金秀商事(西原町)
- イオン琉球(南風原町)
- リウボウインダストリー(那覇市)
- 沖縄ファミリーマート(那覇市)
- ローソン沖縄(浦添市)
- メイクマン(浦添市)
- ホームセンタータバタ(うるま市)
- 南西石油(西原町)
- りゅうせき(浦添市)
- 一般電気事業
- 沖縄電力(浦添市)
- 都市ガス事業
- 沖縄ガス(那覇市)
- 卸売業
- 情報通信業
- 沖縄セルラー電話(那覇市)
- CSKコミュニケーションズ(那覇市)
- プロトソリューション(宜野湾市)
- 新聞業
- 放送業
- 金融業
- 日本トランスオーシャン航空(那覇市)
- 琉球エアーコミューター(那覇市)
- 沖縄岡崎運輸(那覇市)
- 沖縄交通(那覇市)
- 建設業
- 観光業
- 飲食業
- A&W沖縄(宜野湾市)
- サービス業
- 琉球フットボールクラブ(沖縄市)
- 家賃保証業
- 全保連(那覇市)
交通
空港
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。特に、宮古列島、および八重山列島については、域外との定期旅客航路が休止または廃止となっており、原則として航空路線での移動が必須となっている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があるほか、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
那覇 | 21,161,683人 | 17,524,761人 | 県外 | 新千歳・仙台・茨城・羽田・成田・(新潟)・小松・静岡・中部・伊丹・関西・神戸・岡山・広島・岩国・高松・松山・高知・北九州・福岡・熊本・長崎・宮崎・鹿児島・奄美・徳之島・沖永良部・与論 | 3,636,922人 | ソウル・釜山・大邱・北京・上海・天津・杭州・南京・香港・台北・台中・高雄・バンコク・シンガポール |
県内 | 北大東・南大東・久米島・宮古・石垣・与那国 | |||||
石垣 | 2,497,171人 | 2,411,480人 | 県外 | 羽田・成田・関西・中部・福岡 | 85,691人 | 台北 |
県内 | 那覇・宮古・与那国 | |||||
宮古 | 1,700,590人 | 1,699,901人 | 県外 | 羽田・関西・中部・(福岡) | 689人 | - |
県内 | 那覇・石垣・多良間 | |||||
久米島 | 258,640人 | 258,640人 | 県外 | (羽田) | 0人 | - |
県内 | 那覇 | |||||
与那国 | 105,302人 | 105,302人 | 県内 | 那覇・石垣 | 0人 | - |
南大東 | 48,418人 | 48,418人 | 県内 | 那覇・北大東 | 0人 | - |
多良間 | 45,186人 | 45,186人 | 県内 | 宮古 | 0人 | - |
北大東 | 19,303人 | 19,303人 | 県内 | 那覇・南大東 | 0人 | - |
粟国 | 3,794人 | 3,794人 | 県内 | 那覇 | 0人 | - |
慶良間 | 490人 | 490人 | - | - | 0人 | - |
伊江島 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
下地島 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
波照間 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
鉄道路線
大正時代、沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が相次いで開業したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により太平洋戦争以前の1930年代に廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した。ゆいレールは2019年10月には首里から浦添市のてだこ浦西まで延長され、那覇空港 - てだこ浦西間17.0kmの路線となっている。
2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する沖縄鉄軌道構想は、建設費を政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査、検討段階にある[84]。また南大東村では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している[85]。
全都道府県の中で唯一、JR各社の路線が敷設されていない。これは歴史上でも樺太を含む内地48都庁府県で唯一、国有の交通機関が存在したことがなく、鉄道小荷物については琉球海運などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた[86]。なお、かつては那覇市に九州旅客鉄道(JR九州)沖縄支店が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したためJRの営業拠点が全く存在しなくなった。
このほか、鉄道事業法に準拠する索道としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている[87][88]。
沖縄県には陸続きで接する都道府県がなく、他県につながる海底トンネルや橋もないため、沖縄県では全国47都道府県で唯一、他県につながる鉄道路線が一つもない。
バス
沖縄本島では那覇市・浦添市内の沖縄都市モノレール(ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている[89]。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。
ほかに、島の港、空港、中心集落や観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。
また、沖縄県は、前述のとおり日本で唯一、国鉄バスと後身のJRバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。
- 一般乗合・一般貸切兼業
- 宮古諸島
- 一般貸切専業
- 沖縄本島
- 中部観光バス
- 大東交通
- ワールドトランス
- 平安座総合開発
- 沖宮観光バス
- 結
- サクシードプランニング
- 美ら島
- 國和第一ハイヤー
- 翔陽
- 沖縄南観光
- ハイウエイ沖縄
- 太陽交通
- カリー観光
- ロケーションファースト
- アンドインディー
- フジさくら観光
- Island Limousines
- タワダロケーションサービス
- ダイトウ
- 沖縄ツーリスト
- 特定
道路
- 本土復帰後、1978年(昭和53年)7月29日までは、車輌は右側通行だった。※ 730 (交通)も参照。
- 沖縄本島、特に那覇都市圏では渋滞が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は三大都市圏の都府県に次いで大きい[90]。
- 他の都道府県と比べ県の特性上、レンタカーを示す「わ」ナンバーや「れ」ナンバー、米軍関係者の使用車であることを示す「Y」ナンバーや「A」ナンバーの車が非常に多い。
- 県の自動車保有台数は約100万台である。
- 高速道路
- 一般国道
- 県道
港湾
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。
生活
警察
医療・福祉
教育
2007年度より開始された小学6年生および中学3年生を対象にした全国学力・学習状況調査では、2011年度、沖縄県は全ての科目で最下位[91] となったが、2014年度の調査では沖縄県は小学6年生算数で全国2位となった。
- 沖縄大学(那覇市)
- 沖縄国際大学(宜野湾市)
- 沖縄キリスト教学院大学(西原町)
- 沖縄科学技術大学院大学(国頭郡恩納村。2011年設立)
- 沖縄女子短期大学(与那原町)
私立
- 沖縄キリスト教短期大学(西原町)
私立
- 放送大学 沖縄学習センター(西原町)
- 沖縄工業高等専門学校(名護市)
- その他教育機関
- 農業大学校
マスメディア
新聞
2大県紙のシェアが合わせて約7割弱に達し、全国紙(一般紙)は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い[92]。また、先島諸島では独自の地域紙が発行されている。
- 県紙
- 先島諸島の地域紙
- 地方紙その他
西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、2009年(平成21年)に発行を停止した。同新聞は1967年(昭和42年)-1977年(昭和52年)と2000年(平成12年)-2009年(平成21年)に那覇支局を設けていた。
- 全国紙
読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞の各社が県に総局・支局を設置している。2008年(平成20年)11月1日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、全国紙では唯一、朝夕刊(2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。)とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、世界日報[注釈 19] は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(前日の夕刊と同時配達)。また先島諸島や大東諸島については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。
- スポーツ紙
スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が県で現地印刷を行っているが、両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり、10〜12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。
放送局
デジタルテレビの親局送信所は、NHKと沖縄テレビが豊見城市高安に共用し、RBCとQABは1kmほど離れた豊見城市嘉数に共用している。NHK-FMの親局とRBCのFM補完放送のメイン中継局は、それぞれ兼営するデジタルテレビ送信所に設置。単独局のFM沖縄は南風原町の新川に単独で、ラジオ沖縄のFM補完放送のメイン中継局はそこに近接するおきなわTOWERに設置されている。
- NHK沖縄放送局 - 旧沖縄放送協会
- 琉球放送 (RBC)(テレビ:JNN ラジオ:JRN)
- 通常時終夜放送実施局
- 沖縄テレビ放送 (OTV) (FNN/FNS)
- 琉球朝日放送 (QAB) (ANN)
- 一部業務を琉球放送に委託
- 通常時終夜放送実施局
- ラジオ沖縄 (ROK) (NRN)
- エフエム沖縄 (JFN)
- AFN - 在日米軍放送。本州や長崎県にある各局と違い、中波 (AM) ラジオだけでなくテレビおよびFMラジオでも番組を制作し放送している。
テレビ放送における特記事項
- 先島諸島・大東諸島における特記事項
- 大東諸島では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では関東広域圏を放送対象とするテレビ局のうち日本テレビ・テレビ東京を除く各局の放送を、小笠原諸島向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた(このほか、NHK衛星第1・NHK衛星第2テレビも地上波で中継)。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、2011年(平成23年)初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本島からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった(詳細は大東諸島#テレビ放送を参照)。
- 先島諸島に関しても、テレビ放送の開始当初は先発3社4局(NHK・民放2チャンネルずつ)の中継局が整備されておらず、那覇本局からの電波を直接受信、ないしはケーブルテレビの中継回線を介した受信も技術的に不可能であったので、1993年(平成5年)12月の中継局開設までは在那地上波の受信が全くできなかった。そのため、宮古テレビ、石垣ケーブルテレビの自主放送で、在那局、及び三大都市圏のいわゆるキー局などからの番組販売を独自に購入した番組をネットするという状態が続いた。
- なお、琉球朝日放送 (QAB) は、1995年(平成7年)に開局後も先島諸島での中継局が整備されなかったため、宮古・石垣では引き続きケーブルテレビの自主放送によりテレビ朝日の番組を時差放送していたが、2009年(平成21年)10月21日にデジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。これに伴い、宮古・石垣のケーブルテレビにおいても、中継局非設置の代替として、デジアナ変換[注釈 20] による補完再放送を行っていた。
- ネットワーク系列局の空白
- 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない(佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある)が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTVでは、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の『24時間テレビ』、『高校生クイズ』および年末年始の『全国高等学校サッカー選手権大会』の中継(沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合)にも参加している他、日本テレビ系が放送権を獲得したFIFAワールドカップの日本代表戦や夏季オリンピックの女子マラソン競技の中継の沖縄県でのネットを担当する。(放送時間がフジテレビ系列の全国放送番組の時間帯に被った場合、その番組については臨時にネット返上するか後日振替放送を行う。)
- 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で日本テレビ那覇支局を設置している。なお、同局系列の放送局については1990年代に南西放送が開局予定だったが実現しなかった。
- 他県と隔絶しているゆえの事象
- 県内の全てのケーブルテレビ局では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、県外民放の再配信は一切行われていなかったが、2019年8月1日からは沖縄ケーブルネットワークの自主放送「テレビにらい」で、2022年10月1日からは宮古テレビの自主放送で、鹿児島読売テレビ(日本テレビ系列)の一部番組のネットを開始した。2020年10月3日から「日テレ系ライブ配信」(現・日テレ系リアルタイム配信)で時間帯限定であるが日本テレビ系列の番組が視聴可能になる[94]。また琉球新報・沖縄タイムスの番組表も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない[注釈 21]。
AMラジオ局について
- 沖縄本島北部、先島諸島および大東諸島では夜間〜早朝を中心に近隣国の混信をまともに受けやすいため、FM電波を使って中継放送が行われている。
- FM沖縄は1984年に転換するまではAMラジオ局極東放送として放送されていた。
- 沖縄返還後もしばらく民間放送による英語放送が続けられ、琉球放送による放送(KSBK→返還時にJORO)が1973年まで、Far East Broadcasting Company(アメリカ法人。日本語放送は1972年12月に上記極東放送へ引き継ぎ)による放送が1977年まで続けられた。
FMラジオ局について
- FM沖縄は、現在先島諸島の多良間島以南、大東諸島では中継局がないため直接受信不可[注釈 22]。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可である[注釈 23]。
- またコミュニティFM局は県下全ての市にあり、2020年8月現在で計19局が放送を行う[注釈 24]。
インターネットラジオでの再放送
- radikoでは、沖縄県内の無料配信、及びそれ以外の県での有料会員制「radiko.jpプレミアム(エリアフリー聴取)」のサービスでは、RBC iラジオ、ラジオ沖縄、FM沖縄を配信している。
- NHKネットラジオ らじる★らじるでは、東京・名古屋・大阪・札幌・福岡・仙台・広島・松山の各放送局の県域放送を選択してラジオ第1・2、FMが聴取できるが、沖縄県の県域ローカル放送は選択できないため同アプリでは聴取できない(2018年からradikoでも提供しているが、ラジオ第1は福岡局、FMは東京本部局のみ聴取可能。タイムフリー聴取不可=番組ごとの聞き逃し配信サービスは一部を除きらじるらじるにて聴取可能)。
コールサインについて
アメリカ合衆国の施政権下では KSxx を用いていたが、本土復帰(1972年(昭和47年))以降は JOxx を用いている。
ケーブルテレビ
- 沖縄県のケーブルテレビ局を参照。なお大東諸島にはケーブルテレビ局が現状[いつ?]ない。
文化・スポーツ
琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ、中国大陸や東アジアの文化も受け入れ、混ざり合う文化を築き上げてきた[95]。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカ合衆国の文化も多岐にわたって浸透している。
宗教
アニミズムを基本としており、日本本土の神道の原形(古神道)に近いと言われる。琉球神道とも言われ、県外の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。
仏教は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒(檀家)の数は、県外に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、県外のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。
墓は、自然のほら穴などを使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする独特の風習があったが、近年では保健所などの指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。
戦後は、米軍の影響でキリスト教信仰も盛んである。その多くはプロテスタント派に属する。県内には約210か所のキリスト教会が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。[要出典]
言語・方言
沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに区分できる。県民の中でも、団塊の世代より後に生まれた世代では、共通語化が著しく、平成以降(特に2000年以降)に生まれた世代になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特別な保護政策などはとられていない。
- 琉球語 - 日本政府の立場としては、日本語の方言である琉球方言として扱われることが多いものの、ユネスコなどの国際機関の間では日本語とは異なる日琉語族に属した独立した言語であるとされる。伝統的な沖縄の言語であるが、日常的な使用はほぼ高齢者層に限られる。明治から昭和中期まで方言札を使った強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、本土復帰運動や戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて、琉球語を軽視する反面、標準語に接する機会が圧倒的に増えたため、琉球語が使われることは非常に少なくなっている。特に平成以降に生まれた世代では大半が理解することすら難しいほど衰退している。おおまかに、国頭語(国頭方言)、沖縄語(沖縄方言)、宮古語(宮古方言)、八重山語(八重山方言)、与那国語(与那国方言)に区分される。それら諸言語(諸方言)の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがあり、いずれもユネスコにより絶滅危機言語とされている。
- ウチナーヤマトグチ - 沖縄県民の大半が日常的に使用する言葉であり、日本語の共通語を基盤に琉球語や英語の要素を混合させた新方言とされる。沖縄弁とも言われる。しかし、ウチナーヤマトグチと言えども、平成以降に生まれた世代でも年齢が下がるほどに衰退傾向が著しい(特に2000年生まれ以降はその傾向が強い)。アクセント面で影響が残る程度となっており、語彙面では共通語や首都圏方言と差異がほとんどみられない場合も少なくない。
- 日本語共通語 - マスメディア・学校教育や公的機関などで使われている。昭和初期まで(概ね1930年代まで)に生まれた高齢者層では琉球語、沖縄弁、共通語とのトライリンガル、戦後から昭和末期まで(概ね1940年代から1980年代まで)に生まれた世代では沖縄弁と共通語のバイリンガルが大半であり使い分けができる。一方、平成以降(概ね1990年代以降)の生まれの世代においては共通語(もしくは首都圏方言)とほぼ変わらない言葉を話す傾向が強く、ほぼ共通語のみのモノリンガルに近い。また年々その傾向も年齢が下がるにつれて強くなりつつある[96]。このように、北日本や東日本の諸地域と同様、日本国内でも特に共通語化(首都圏方言化)が進みつつある地域とされており、危惧されている。
- 英語 - アメリカの統治下にあった沖縄では英語が事実上[注釈 25]の第二公用語であった。現在でも英語教育を受けた高齢者や、復帰後に生まれた世代でも、米軍基地雇用員や米軍や兵士相手の商売をしている者や、米国人と結婚した者など英語を解す人は多い。また、前述のウチナーヤマトグチにも英語からの影響は少なからずみられる。
人種・民族
人種的には先史時代から10世紀にかけて九州以北の本土住民が沖縄の地に移住したとされる。分子生物学の研究では、沖縄県民の遺伝的構成は、東アジア大陸部の主要集団とは異なり、日本列島人種(大和人)の遺伝的構成に近く、同じ祖先を持つことが確かめられている[98][99]。沖縄の地に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、考古学などの研究を含めると大東諸島民を除く沖縄県民の先祖は、比較的新しい時期(10世紀から12世紀ごろ)に農耕をする人々が九州南部から沖縄の地に南下して定住したとされる[100][101]。
沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的、歴史的および文化的な経緯から「琉球民族」であるとする立場がある。日本政府は琉球民族を沖縄の「先住民族」とは認定していないが、2014年8月に人種差別撤廃委員会は「国連教育科学文化機関が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史、文化、伝統を認めている」と言う理由で「先住民族」であるとした[102]。これに対して、日本政府は撤回を働きかけるとし、自民党系議員は「民族分断工作」であると反発した[103]。
名字
沖縄の名字の多くは、地名に由来する。琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する家名を名乗り、領地が変わるたびにそれも変化した。薩摩藩による侵攻以降、薩摩藩の政策と琉球王府の施策により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。
建築
沖縄県の伝統的な建築技術は、主に琉球王国時代後期(近世)に発展した。多くの建造物は、建築様式や素材、技術などの面で周辺地域の建築様式(主に日本建築・中国建築)との類似点が多く見られるが、資源の状況や風土などが異なるため沖縄独自の発展が見られる。
王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立小屋に住居を構えていた。また住居以外には、城壁や橋梁などの石造建築物に琉球石灰岩が多く使用されたが、沖縄戦により失われた建築物も多い。戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し、大量の職人と資材が失われ、復興をアメリカ軍が主導するかたちでツーバイフォー構造の建物が多く建てられた。
現在では、台風やシロアリに強い鉄筋コンクリート構造に給水タンク(大きな河川がなく幾度と水不足を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている[104][105]。
在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で基地外に建築された外人住宅も多数存在しており、県外の基地縮小とは裏腹に復帰後も戸数は拡大していった。増加する米軍人員を収容するための住宅需要が高まり、民間投資によるアメリカ人向けの大規模な土地造成と住宅地建築が行われた。現在も宜野湾市、北中城村、沖縄市、うるま市、北谷町などに「外人住宅街」が存在し、独特の街並みを形成している。
伝統工芸
芸能など
エイサーは浄土宗の念仏が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない創作エイサーへも発展している。
アメリカ統治時代に、コザ市(現沖縄市)では、朝鮮戦争やベトナム戦争に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、米ドルの相対価値の下落、Aサインバーの閉鎖など、環境の変化に伴い衰えたものの、現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い。
現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、沖縄アクターズスクールの卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。
衣装
伝統的衣装である琉装のほか、近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる。
戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された。収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され、現在に至るまで[要出典]販売されている。
武術
以前から存在していた沖縄固有の武術「手(ティー)」と、琉球王国時代に伝来した中国武術により融合して誕生したのが、唐手(からて、トゥーディー)であり、後の空手道に発展した[106]。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った空手家により、次第に世界へと普及した。
広義の琉球古武術は、徒手空拳術(空手)と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある[107][108]。棒術、トンファー術など様々だが、中でもヌンチャクを用いた武器術は世界的にも有名である。
馬術
速さではなく、美しさを競う古式競馬。琉球競馬(ンマハラシー)は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となり太平洋戦争中までは琉球競馬が盛んに行われていた。 2013年から琉球競馬の復活事業として沖縄こどもの国にて行われる。
料理
日本本土においては7世紀以降、稲作を神聖視する一方で、肉食は穢れとみなされ、表向き禁忌とされた。しかし沖縄はこの思想がなく、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に豚肉料理が伝統的に発達している。牛、馬、猪、鳥の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。海洋交易立国の伝統から、琉球料理には、遠い北海道産の昆布も古くから使われる[109]。
かつては国内有数の長寿地域であった理由に健康的な伝統的食文化があるのでは無いかと考えられている。他方、米軍統治時代に発展したファーストフードやアメリカ料理も根付いており、食の欧米化も進んでいる。
また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている[110]。
差別、圧政
この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2019年12月) |
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
琉球人による差別
琉球王国時代、中山王府(琉球王国王府)の管轄下にあったニンブチャー(念仏者、チョンダラー:京太郎)以外には被差別民がいなかった[111] ため、大和の部落差別にあたるものはないものの、王族や士族と庶民(農奴)の格差が甚だしく大きい身分制度社会であった。また都市部以外ではシマ社会の旧習が今も色濃く残っており、男尊女卑や、部外者排斥の傾向が見られる。「シマ」とは「島嶼」のほかに「村落」や「分領」をも意味する。日本本土の村社会に似た構図がある。
大和人による差別
日本本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった(詳細は人類館事件を参照)。大正から昭和初期にかけて沖縄から県外への出稼ぎが増加した際には、県外の言語や慣習、例えば標準語や時間感覚などに不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。
在沖米軍による圧政
戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人などの事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まった。特にポール・W・キャラウェイ琉球列島高等弁務官時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した(キャラウェイ旋風)。1970年12月には、米軍人による交通事故を発端にコザ暴動にまで発展した。
奄美出身者への差別
地理的、文化的に近い奄美群島は、琉球王国の侵略を受け15世紀から17世紀初頭にかけて服属していたが、その琉球王国が薩摩藩の間接支配を受け幕藩体制下に入り、明治維新から琉球処分を経て併合された後もなお、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の公職追放、参政権剥奪、財産権の制限など基本的人権を大幅に制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、民間に差別感情が広まった。沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った。
先島諸島民への圧政
琉球王国時代に服属した先島諸島に対して中山王府(琉球王国王府)は過酷な人頭税を導入し圧政を強いた。薩摩藩、および王府に加え、先島諸島の現地支配層による農民の二重搾取、強制賦役、弾圧や迫害の歴史は琉球王国の滅亡まで連綿と続き、さらに明治維新を経て琉球処分後も旧慣温存政策に基づいた現地支配層による強制的な搾取構造は20世紀まで連綿と続いた[112]。薩摩や王府の権威による圧政に、王府や支配層による農民の強制移住、干魃や暴風雨による不作、さらに大津波などの自然災害、疫病の流行や飢饉の発生が追い打ちをかけ人口の大減少をもたらした(詳細は「八重山地震」参照)。
先島諸島の人頭税は1637年から制度化され、重税であり収穫が少ない年でも徴収され島民を苦しめたと言われる。人頭税は琉球処分後も旧琉球王国の既得権益層への懐柔のために執られた旧慣温存策により存続した。1893年(明治26年)に中村十作、城間正安、平良真牛、西里蒲ら4人により、沖縄本島の官憲や士族らの妨害を乗り越えて、国会請願書が当時内務大臣であった井上馨に届けられた。中村の同郷(新潟県)の読売新聞記者である増田義一の記事で国民に周知されるところとなり、世論の後押しも受け第8回帝国議会[113] において1903年(明治36年)廃止され、日本本土と同様の地租に切り替えられた[114]。
混血児への差別
この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。(2019年12月) |
アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもはアメラジアンと呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人や軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多く、そういう点では一般の沖縄県民と何ら変わる面はない[115]。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえない[116] といった差別を受けている。特にアフリカ系アメリカ人との混血児に対してはその傾向が強い。慰霊の日の前後に公立校では反米的な学習が展開されるため、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と迫害されるいじめを浴びる[117]。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別、偏見のまなざしが向けられている[118]。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が産廃の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症いった健康被害が多発した時には、沖縄県はダイオキシンやPCBの検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった[119][120]。
ハンセン病者への差別
沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている[121][122] が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった[123]。シマではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは乞食を意味する琉球方言である)をガマ、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった[124]。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう呪いをかけた[125]。昭和50年代に火葬場が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まった[126] が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている[127]。
近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した[128]。国立ハンセン病療養所設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた青木恵哉ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の国立療養所沖縄愛楽園)は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。
感染性への誤解も根強く、琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し(後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される)、またらい予防法廃止(1996年)の前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている[129]。
精神障害者への差別
復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が県外の2倍との結果が得られ[130]、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである[131]。
その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、県外では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった[132][133]。精神障害は悪霊(マジムン)によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている[134][135]。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある[136]。
一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い[137]。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる[138]。
自衛官への差別
職業差別として、自衛官に対する差別がある。本土復帰に伴い自衛隊が沖縄に配置されると、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し、ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった。那覇ハーリーで自衛隊を名乗って参加することが許されたのは2001年のことであった[139]。
2017年3月9日には宮古島市の市議である石嶺香織が、自身のFacebookに「(アメリカ)海兵隊から訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる」などと投稿し炎上したため、「自衛隊全体を批判しているわけではない」と謝罪し「戦争のための軍隊という仕組みに対して(批判した)」などと言及したところ、再度炎上する事態となり、石嶺は2つの投稿をFacebookから削除した[140]。宮古島市議会は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」などとして石嶺に対する辞職勧告決議(賛成20、反対3、欠席1)を可決した。石嶺は「私は議会が選んだ議員ではない」などとして辞職を拒否している[141]。
スポーツ
スポーツチーム
- クリード安仁屋ベースボールクラブ(野球)
- FC琉球(サッカー Jリーグ)
- 琉球ゴールデンキングス(バスケットボール Bリーグ)
- 琉球コラソン(ハンドボール 日本ハンドボールリーグ)
- 琉球アスティーダ(卓球 Tリーグ)
- 琉球ボクシングジム(ボクシング)
主なスポーツイベント
スポーツ施設
雪が降らないため、プロ野球の春季キャンプ地が沖縄県に集中しており、2011年(平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園および野球場を挙げた。
観光
沖縄県を舞台とした作品
- 映画
- ひめゆりの塔 (1953年、東映)
- 電光空手打ち(1956年、東映)
- 狼やくざ 殺しは俺がやる (1971年、東映)
- 激動の昭和史 沖縄決戦 (1971年、東宝)
- 夏の妹 (1972年、日本ATG)
- ゴジラ対メカゴジラ(1974年、東宝)
- 沖縄やくざ戦争(1976年、東映)
- 空手バカ一代 (1977年、東映)
- 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 (1980年、松竹)
- 友よ、静かに瞑れ(1985年、東映セントラルフィルム)
- ベスト・キッド2(1986年)
- マリリンに逢いたい(1988年、松竹富士)
- Aサインデイズ (1989年、大映)
- 3-4X10月(1990年、松竹)
- ソナチネ(1993年、松竹)
- モスラ2 海底の大決戦(1997年、東宝)
- 釣りバカ日誌イレブン(2000年、松竹)
- ニライカナイからの手紙(2005年、IMJエンタテインメント=ザナドゥー=エルゴ・ブレインズ=ビジュアルアート研究所配給)
- 涙そうそう(2006年、東宝)
- カフーを待ちわびて(2009年、エイベックス)
- てぃだかんかん(2010年)
- 絶壁の上のトランペット(2016年)
- 返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す(2018年)
- 劇場版 のんのんびより ばけーしょん(2018年、KADOKAWA)
- 風が通り抜ける道 (2024年)沖縄県後援、イオンエンターテイメント
- テレビドラマ
- 十字路 (1978年、NHK)
- 大河ドラマ 琉球の風(1993年、NHK)
- 連続テレビ小説(NHK)
- さとうきび畑の唄(2003年、TBS)
- 返還交渉人 -いつか、沖縄を取り戻す-(2017年、NHK BSプレミアム)
- 文芸
- アニメ
- 対馬丸 —さようなら沖繩—(1982年、対馬丸製作委員会)
- 白旗の少女 琉子(1988年、共同映画全国系列会議)
- かんからさんしん(1989年、かんからさんしん製作委員会)
- ストラトス・フォー(2003年、UHFアニメ)
- BLOOD+(2005年、MBS)
- スティッチ!(2008年、テレビ東京)
- あそびにいくヨ!(2010年)
- エウレカセブンAO(2012年、MBS)
- はいたい七葉(2012年、QAB)
- ラブライブ!(2期)(2014年、那覇市・恩納村・本部町)
- 生徒会役員共*(第2期)(2014年、那覇市・竹富町)
- 白い砂のアクアトープ(2021年、南城市他)
- はるかなレシーブ(2018年、RBC、那覇市・うるま市)
- ゲーム
- 夏空カナタ(与那国島)
- Dolphin Divers(波照間島)
- 南の島に降る雪
- MaYA 〜微睡島ノ眠姫〜
- 龍が如く3
- ぼくは航空管制官 エアポートヒーロー3D 那覇 PREMIUM
- ぼくは航空管制官 4 那覇
人物
沖縄県名誉県民
沖縄県名誉県民の称号は、2003年(平成15年)3月31日に制定された沖縄県名誉県民条例(平成15年3月31日沖縄県条例第1号)に基づき、「社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)[144]。対象者は「沖縄県の出身者、沖縄県に居住したことがある者又は沖縄県にゆかりのある者で、社会福祉の向上、学術文化若しくはスポーツ又は産業経済の振興その他の社会の発展に貢献したもの」であり、沖縄県知事が沖縄県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)[144]。名誉県民に選定された者には、沖縄県名誉県民称号記と沖縄県名誉県民章および記念品が贈呈される(条例第3条)[144]。
受賞者氏名 | 職業 | 選定年月日 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
山中貞則 | 政治家 | 2003年12月17日 | 初代沖縄開発庁長官 | [145] |
沖縄県県民栄誉賞受賞者
沖縄県県民栄誉賞は、1999年(平成11年)4月8日に制定された沖縄県県民栄誉賞表彰規則(平成11年4月8日沖縄県規則第45号)に基づき、「広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったもの」へ、沖縄県知事から贈られる(規則第1条・第2条)[146]。
受賞者氏名 | 職業 | 授賞式開催年月日 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
沖縄尚学高等学校野球部 | 1999年4月19日 | 第71回選抜高等学校野球大会において沖縄県勢初の甲子園優勝。 | [147] | |
上与那原寛和 | 車いすレース選手 | 2008年10月23日 | 北京パラリンピック車いすマラソンで銀メダル獲得。 | [148] |
興南高等学校野球部 | 2010年9月13日 | 第82回選抜高等学校野球大会および第92回全国高等学校野球選手権大会で優勝。史上6校目の甲子園春夏連覇。 | [149] | |
宮里藍 | プロゴルファー | 2010年12月27日 | 同年の米女子ゴルフツアーで5勝をあげる。 | [150] |
仲里進 | 車いすラグビー選手 | 2016年11月22日 | リオデジャネイロパラリンピックウィルチェアーラグビー日本代表選手。チームの銅メダル獲得に貢献。 | [151] |
安室奈美恵 | 歌手 | 2018年5月23日 | 25年間にわたり日本を代表するアーティストとして活躍。 | [152] |
脚注
注釈
- ^ 2019年の首里城火災で焼失。
- ^ 海を隔てて隣接。
- ^ 日本最南端は東京都に属する沖ノ鳥島であるが、人は住んでおらず民間人が自由に立ち入ることはできない。
- ^ なお「漂着」とする説が見られるが、文献、研究書で漂着と解しているものは見られず、原文も単に『同到阿児奈波』としているだけである。
- ^ 14地域:北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄[9]。
- ^ 国土交通省では、島国(領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852島を、本土5島と離島6,847島に区分している[10]。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。
- ^ 日本の島の面積順上位10島:本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬[11]。
- ^ 次の「沖縄本島に属する市町村の位置」図に掲載。
- ^ すなわち、この時点の間切制が琉球王国時代末期(最終)の間切制をほぼ継承していたと考えられる。
- ^ なお、この間切制の大きな区分として、沖縄本島は「国頭方」「中頭方」「島尻方」の3つに大分されていた。これは古琉球14 - 15世紀の三山時代の国界に由来している(多少の相違はある)。「地下三方諸離(じじさんぽーしゅはなり)」の「地下三方」が国頭方・中頭方・島尻方を指す。「諸離」は本島の周囲離島、周辺離島を概ね指す。
- ^ 郡役所などにより行政実体として機能していた時代を指す。郡制廃止以降、郡は単なる地理的名称と残っている。沖縄県外でも同様だが、沖縄県では時代的経緯は異なる。
- ^ ただし首里区は旧郡制下の一時期、中頭郡役所が置かれるなど中頭の一部として機能した時代もあった。沖縄戦後に那覇市に編入された。
- ^ ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は奄美群島の歴史を参照。
- ^ 当時、内地(非植民地である日本本土)であった樺太庁及び千島でもソ連軍と激戦が繰り広げられたため、「唯一の地上戦」ではない[50]。
- ^ 大隅諸島および上三島を除く。
- ^ 「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」では、形式上、戦前の沖縄県および戦前の県内の市町村制から、戦後の地方自治法に基づく沖縄県および市町村に継承されるものとした。あくまでも法律上の形式的継承の問題である。
- ^ なお復帰に際して日本は米国に対し総額3億2000万ドルを支払っている(現在の為替レート(2016年10月時点)で約5000億円)。
- ^ 八重山日報は2017年4月1日に沖縄本島で沖縄本島版の発行と朝刊配達を開始したが、2019年2月末を以て八重山版と統合するとともに配達を中止して郵送に切り替えた[93]。
- ^ 大韓民国の「家庭連合」(世界平和統一家庭連合=旧統一教会)系全国紙の日本語版。
- ^ 宮古・石垣のケーブルテレビでは先発3社・4局もアナログ放送を配信していたが、4:3の通常画質だったそれらとは異なりQABははじめからレターボックス16:9を使っていた。
- ^ 以前は他地域での経営上の理由(ケーブルテレビ局側における設備上のコストや県内既存局の圧力)などで再送信されなかったケースもたびたびあったが本土の県庁所在地の中心部のケーブルテレビ局は4大系列とも再送信されることが一般的である。なお2紙では県内の主要ケーブルテレビの独自チャンネルの番組表を掲載しているため、前記鹿児島読売テレビを一部再送信している「テレビにらい」の番組表は掲載されている
- ^ 2019年1月に伊良部島に中継局が開局し、宮古島とその周辺の離島ではFM沖縄が受信可能になった。
- ^ ただし、NHK-FM は2011年(平成23年)9月からラジオ第1・第2とともにインターネットを通じた同時配信により聴取可能となったが、すべて東京からの放送となるため本来の沖縄県域および九州・沖縄ブロックの番組と権利上の理由で同時配信されない番組がある場合は中継局が整備されない限り聴取不可。なお、2012年度に東京都小笠原諸島の父島・母島両中継局が開設されたが、大東諸島では依然として開局のめどが立たず、全国で唯一 NHK-FM のラジオ放送による直接受信ができない地域となった。なお、後述のインターネットラジオの配信サービス(radiko・らじるらじる)で聴取可能であるが、条件や特記事項がある
- ^ 沖縄本島に16局(那覇市・沖縄市・宜野湾市に2局、浦添市・豊見城市・糸満市・南城市・うるま市・名護市・与那原町・北谷町・本部町・読谷村に1局)、久米島(久米島町)・宮古島(宮古島市)・石垣島(石垣市)にそれぞれ1局設置。
- ^ 琉球政府章典や各種法令で公用語は定められていないが、琉球政府章典や各種法令には日本語、米軍からの布令布告には英語が使用されている[97]。
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関連項目
- Category:沖縄県
- 沖縄慰霊の日 - 条例によって沖縄戦の慰霊の日と定められた沖縄県の休日。
- 沖縄県の観光地
- 日本の地方公共団体一覧
- 日本の地理、日本の地域
- 日本列島、南西諸島、琉球諸島
- 本土、離島
- 島、島国、島の一覧
- 大正区 - 大阪府大阪市の区。沖縄県からの移住者が多い地域であり、沖縄料理や食材が多く扱われている事から「リトル沖縄」と呼ばれている。
- 鶴見区 (横浜市) - 神奈川県横浜市の区。大阪市大正区と同様沖縄県からの移住者が多い地域で、鶴見駅の南東にある仲通地区は「リトル沖縄」と呼ばれる。
- オキナワ移住地(コロニア・オキナワ、西: Colonia Okinawa) - ボリビアサンタ・クルス県にある沖縄県からの移住者によって設けられた入植地。
- 沖縄県(琉球語版ウィキペディア)
外部リンク
- 沖縄県に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 公式ウェブサイト
- 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語 - 沖縄観光コンベンションビューロー
- 沖縄県の島しょ別面積一覧 沖縄県を構成する160の島の名称と面積の一覧表 - 沖縄県土地対策課
先代 琉球藩 |
行政区の変遷 1879年 - 1945年 (第1次沖縄県) |
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先代 琉球列島米国民政府 |
行政区の変遷 1972年 - (第2次沖縄県) |
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