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セガのゲームミュージックを黎明期から支えた作曲者であり、国内ゲームミュージックシーンにおける著名な作曲者の一人である。
セガのゲームミュージックを黎明期から支えた作曲者であり、国内ゲームミュージックシーンにおける著名な作曲者の一人である。
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== 来歴 ==
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=== セガ入社前 ===
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[[千葉県]][[銚子市]]の出身であり、幼少期は鬼ごっこ/かくれんぼといった外遊びや、[[レゴ|レゴ・ブロック]]遊びに親しんでいた<ref name="SegaInteractiveInterview1">{{Cite interview|和書|url=http://sega-interactive.co.jp/special/interview/vol8-1/|title=川口博史(Hiro)【前篇】1/3|work=株式会社セガ・インタラクティブ|suject=川口博史|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161122073039/http://sega-interactive.co.jp/special/interview/vol8-1/|archivedate=2016-11-22}}</ref>。小学生の頃、ボウリング場で稼働していたアタリの『ポン』に触れる。また、デパートではセガの『GRAND PRIX』や、[[関西精機製作所|KASCO]]の『ミニドライブ』といったレースをテーマにしたエレメカに親しんでいた。また、お年玉と小遣いを貯めて当時珍しかった家庭用ゲーム機[[カラーテレビゲーム15]]([[任天堂]])を購入することもあった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。中学生から高校生の頃はコモドールのVIC-1001によるプログラミングに親しみ、『[[PiO]]』や『[[I/O (雑誌)|I/O]]』といった専門誌に自作のプログラムが掲載されることもあった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。また、中学生のころは[[フォークロック|フォーク]]好きだった友人の影響でアコースティックギターを購入し、当時流行していたミュージシャンの曲や自作曲の演奏にのめりこんだ。さらに、高校時代は[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]にのめりこみ、友人たちと組んだバンドでイベントに参加する機会もあった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。当初はエレキギター担当だったが、やがてキーボードも手掛けるようになった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。当時のバンドメンバーにはのちに『[[スーパーハングオン]]』の作曲などで知られる[[並木晃一]]もいた。加えて、ナムコの『[[ラリーX|ニューラリーX]]』を通じて「ゲームには音楽があるべき」という考えに至り、自作ゲームに取り入れることもあった{{R|4Gamer.net20201203}}
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中学生から高校生の頃はコモドールのVIC-1001によるプログラミングに親しみ、『[[PiO]]』や『[[I/O (雑誌)|I/O]]』といった専門誌に自作のプログラムが掲載されることもあった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。
また、中学生のころは[[フォークロック|フォーク]]好きだった友人の影響でアコースティックギターを購入し、当時流行していたミュージシャンの曲や自作曲の演奏にのめりこんだ。さらに、高校時代は[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]にのめりこみ、友人たちと組んだバンドでイベントに参加する機会もあった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。当初はエレキギター担当だったが、やがてキーボードも手掛けるようになった{{R|SegaInteractiveInterview1}}。当時のバンドメンバーにはのちに『[[スーパーハングオン]]』の作曲などで知られる[[並木晃一]]もいた。
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=== セガ時代 ===
=== セガ時代 ===
[[1984年]]にセガ・エンタープライゼスに入社。当初は[[プログラマ]]で、入社1年目に同期の[[中裕司]]、[[林克洋]]と共に、セガ家庭用ゲーム機[[SG-1000]]用ソフト『[[ガールズガーデン]]』を制作<ref>{{Cite web|url=http://sega.jp/fb/album/01_gg/home.html|title=名作アルバム - 『ガールズガーデン』|work=[[セガ]]|accessdate=2017-03-15}}</ref>。高校時代からバンドを組んでいた事が当時『[[ハングオン (ゲーム)|ハングオン]]』を開発していた[[鈴木裕]]に伝わり、鈴木からの依頼でメインテーマ曲を作曲したことがきっかけで、[[サウンドクリエイター]]に転身し、以来セガの黎明期から数多くの名作に関わっている<ref name="4Gamer.net20201203">{{Cite interview|title=「アストロシティミニ」発売目前! Hiro師匠&光吉猛修氏に聞く,FM音源に彩られた1980~1990年代セガ・サウンドの裏側|url=https://www.4gamer.net/games/518/G051828/20201111024/|program=[[4gamer.net]],Aetas|date=2020-12-03|accessdate=2020-12-05|interviewer=早苗月 ハンバーグ食べ男|subject=川口博史|subject2=光吉猛修}}</ref>。
[[1984年]]にセガ・エンタープライゼスに入社。当初は[[プログラマ]]で、入社1年目に同期の[[中裕司]]、[[林克洋]]と共に、セガ家庭用ゲーム機[[SG-1000]]用ソフト『[[ガールズガーデン]]』を制作<ref>{{Cite web|和書|url=http://sega.jp/fb/album/01_gg/home.html|title=名作アルバム - 『ガールズガーデン』|work=[[セガ]]|accessdate=2017-03-15}}</ref>。高校時代からバンドを組んでいた事が当時『[[ハングオン (ゲーム)|ハングオン]]』を開発していた[[鈴木裕]]に伝わり、鈴木からの依頼でメインテーマ曲を作曲したことがきっかけで、[[サウンドクリエイター]]に転身し、以来セガの黎明期から数多くの名作に関わっている<ref name="4Gamer.net20201203">{{Cite interview|和書|title=「アストロシティミニ」発売目前! Hiro師匠&光吉猛修氏に聞く,FM音源に彩られた1980~1990年代セガ・サウンドの裏側|url=https://www.4gamer.net/games/518/G051828/20201111024/|work=[[4gamer.net]],Aetas|date=2020-12-03|accessdate=2020-12-05|interviewer=早苗月 ハンバーグ食べ男|subject=川口博史|subject2=光吉猛修}}</ref>。


[[1988年]]結成のセガのゲームミュージックバンド「[[S.S.T.BAND]]」には、ステージデビュー時([[1989年]])から[[キーボード (楽器)|キーボード]]担当として参加していたが、[[1991年]]に[[光吉猛修]]と交代してS.S.T.BANDを脱退。
[[1988年]]結成のセガのゲームミュージックバンド「[[S.S.T.BAND]]」には、ステージデビュー時([[1989年]])から[[キーボード (楽器)|キーボード]]担当として参加していたが、[[1991年]]に[[光吉猛修]]と交代してS.S.T.BANDを脱退。


[[2001年]]からセガオフィシャルサウンドユニット「[[H.]]」のリーダーとして、不定期にライブ活動している。[[2015年]]1月からは、とものかつみ・[[景山将太]]とのユニットである「H.K.S(ハイパー・カッコイイ・システム)」のメンバーとしても活動<ref>{{Cite web|url=http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20150825020/|title=即興演奏で楽曲を作り上げていく! H.K.S(ハイパー・カッコイイ・システム)の2ndライブをレポート|date=2015-08-26|work=[[4gamer.net]]|accessdate=2017-03-15}}</ref>。
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[[2015年]]2月には、セガ入社30周年記念となるCDアルバム『Hiro 30th Anniversary Album Thank you for listening!』を発売した。同年4月に行われたセガグループ再編に伴い、光吉猛修と共にアーケードゲームを手掛ける新会社である[[セガ・インタラクティブ]]へ一時移籍していたが<ref name="dengeki" />、[[2020年]]4月にセガへ復帰した。
[[2015年]]2月には、セガ入社30周年記念となるCDアルバム『Hiro 30th Anniversary Album Thank you for listening!』を発売した。同年4月に行われたセガグループ再編に伴い、光吉猛修と共にアーケードゲームを手掛ける新会社である[[セガ・インタラクティブ]]へ一時移籍していたが<ref name="dengeki" />、[[2020年]]4月にセガへ復帰した。
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* [[ソニックフロンティア]](2022年)
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<!--サントラは同じゲームの曲が何度も発売されてきりがなく、かつ作品リストがあれば記載する意味が薄いと思われるため、一旦コメントアウト
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川口 博史(Hiro)
出生名 宮内 博史
別名 Hiro
生誕 (1965-04-12) 1965年4月12日(59歳)
出身地 日本の旗 日本 千葉県
ジャンル ゲームミュージック
職業 作曲家
担当楽器 キーボード
活動期間 1985年 -

川口 博史(かわぐち ひろし、1965年4月12日 - )は、セガ所属のゲームミュージック作曲家[1]。2016年現在、セガ・インタラクティブ第一研究開発本部 AMR&E研究開発部サウンドセクションセクションマネージャー。旧姓は宮内千葉県銚子市出身。別名HiroHiro師匠のニックネームで知られる。

セガのゲームミュージックを黎明期から支えた作曲者であり、国内ゲームミュージックシーンにおける著名な作曲者の一人である。

来歴[編集]

セガ入社前[編集]

千葉県銚子市の出身であり、幼少期は鬼ごっこ/かくれんぼといった外遊びや、レゴ・ブロック遊びに親しんでいた[2]。小学生の頃、ボウリング場で稼働していたアタリの『ポン』に触れる。また、デパートではセガの『GRAND PRIX』や、KASCOの『ミニドライブ』といったレースをテーマにしたエレメカに親しんでいた。また、お年玉と小遣いを貯めて当時珍しかった家庭用ゲーム機カラーテレビゲーム15任天堂)を購入することもあった[2]。中学生から高校生の頃はコモドールのVIC-1001によるプログラミングに親しみ、『PiO』や『I/O』といった専門誌に自作のプログラムが掲載されることもあった[2]。また、中学生のころはフォーク好きだった友人の影響でアコースティックギターを購入し、当時流行していたミュージシャンの曲や自作曲の演奏にのめりこんだ。さらに、高校時代はフュージョンにのめりこみ、友人たちと組んだバンドでイベントに参加する機会もあった[2]。当初はエレキギター担当だったが、やがてキーボードも手掛けるようになった[2]。当時のバンドメンバーにはのちに『スーパーハングオン』の作曲などで知られる並木晃一もいた。加えて、ナムコの『ニューラリーX』を通じて「ゲームには音楽があるべき」という考えに至り、自作ゲームに取り入れることもあった[3]

セガ時代[編集]

1984年にセガ・エンタープライゼスに入社。当初はプログラマで、入社1年目に同期の中裕司林克洋と共に、セガ家庭用ゲーム機SG-1000用ソフト『ガールズガーデン』を制作[4]。高校時代からバンドを組んでいた事が当時『ハングオン』を開発していた鈴木裕に伝わり、鈴木からの依頼でメインテーマ曲を作曲したことがきっかけで、サウンドクリエイターに転身し、以来セガの黎明期から数多くの名作に関わっている[3]

1988年結成のセガのゲームミュージックバンド「S.S.T.BAND」には、ステージデビュー時(1989年)からキーボード担当として参加していたが、1991年光吉猛修と交代してS.S.T.BANDを脱退。

2001年からセガオフィシャルサウンドユニット「H.」のリーダーとして、不定期にライブ活動している。2015年1月からは、とものかつみ・景山将太とのユニットである「H.K.S(ハイパー・カッコイイ・システム)」のメンバーとしても活動[5]

2015年2月には、セガ入社30周年記念となるCDアルバム『Hiro 30th Anniversary Album Thank you for listening!』を発売した。同年4月に行われたセガグループ再編に伴い、光吉猛修と共にアーケードゲームを手掛ける新会社であるセガ・インタラクティブへ一時移籍していたが[1]2020年4月にセガへ復帰した。

作品[編集]


脚注[編集]

出典[編集]

外部サイト[編集]