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{{Otheruses|2011年発生した地震による震災|本震災を引き起こした地震|東北地方太平洋沖地震}}
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{{Otheruses|災害による被害・影響|地震の概要・全般|東北地方太平洋沖地震}}


[[画像:SH-60B helicopter flies over Sendai.jpg|thumb|280px|[[津波]]によって浸水した[[宮城県]][[仙台市]][[宮城野区]]沿岸(2011年3月12日)。[[津波火災]]も発生した。]]
[[画像:SH-60B helicopter flies over Sendai.jpg|thumb|280px|[[津波]]によって浸水した[[宮城県]][[仙台市]][[宮城野区]]沿岸(2011年3月12日)。[[津波火災]]も発生した。]]
[[画像:Distant view of Rikuzentakata.jpg|thumb|280px|津波によって壊滅した[[岩手県]][[陸前高田市]]小友町(2011年4月3日)]]
[[画像:Distant view of Rikuzentakata.jpg|thumb|280px|津波によって壊滅した[[岩手県]][[陸前高田市]]小友町(2011年4月3日)]]


'''東日本大震災'''(ひがしにほんだいしんさい、{{lang-en-short|''Great East Japan earthquake''}})は、[[2011年]]([[平成]]23年)[[3月11日]]14時46分18.1秒に発生した'''[[東北地方太平洋沖地震]]'''(加えて[[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部地震]]による災害を含む場合もある)およびこれに伴う[[福島第一原子力発電所事故]]による[[災害]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_00.htm |title=東日本大震災の被害状況 |work=平成24年版 防災白書 ||publisher=内閣府 |accessdate=2017-09-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h23/63/special_01.html |title=特集 東日本大震災 |publisher=内閣府 |accessdate=2021-02-14}}</ref>。大規模な[[震|地震災害]]であことから大震災と呼称される。
'''東日本大震災'''(ひがしにほんだいしんさい)は、[[2011年]]([[平成]]23年)[[3月11日]]14時46分に発生した'''[[東北地方太平洋沖地震]]'''およびこれに伴う[[福島第一原子力発電所事故]]による大規模な[[震災|地震災害]](震災)である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_00.htm |title=東日本大震災の被害状況 |work=平成24年版 防災白書 ||publisher=内閣府 |accessdate=2017-09-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h23/63/special_01.html |title=特集 東日本大震災 |publisher=内閣府 |accessdate=2021-02-14}}</ref>(加えて[[長野県北部地 (2011年)|長野県北部地震]]によ災害(栄村地震、栄村大震災)を含む場合もあ


[[東日本]]各地での大きな揺れや<ref>[https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1105/spe1_01.html 東日本大震災 地震と津波の被害状況] 農林水産省『aff(あふ)』2011年5月号(2020年1月18日閲覧)</ref>、大[[津波]]・[[火災]]などにより、[[東北地方]]を中心に12都道府県で2万2,318名の死者・行方不明者が発生した([[震災関連死]]を含む)<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/disaster/info/items/higashinihontorimatome163.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被害状況(令和5年3月1日現在) |date=2023-03-09|access-date=2023年3月11日 |publisher=消防庁}}</ref>。これは[[明治]]以降の[[日本]]の地震被害としては[[関東大震災]]、[[明治三陸地震]]に次ぐ'''3番目'''の規模の被害となった<ref name="hakusho-higai" />。
[[東日本]]各地での大きな揺れや<ref>[https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1105/spe1_01.html 東日本大震災 地震と津波の被害状況] 農林水産省『aff(あふ)』2011年5月号(2020年1月18日閲覧)</ref>、大[[津波]]・[[火災]]などにより、[[東北地方]]を中心に12都道府県で2万2,318名の死者・行方不明者が発生した([[震災関連死]]を含む)<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/disaster/info/items/higashinihontorimatome163.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被害状況(令和5年3月1日現在) |date=2023-03-09|access-date=2023年3月11日 |publisher=消防庁}}</ref>。これは[[明治]]以降の[[日本]]の地震被害としては[[関東大震災]]、[[明治三陸地震]]に次ぐ被害規模である(震災関連死を除い比較)<ref name="hakusho-higai" />。


発生した日付から、'''3.11'''(さんてんいちいちさんいちいち<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/jn/250285/meaning/m0u/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%84%E3%81%A1/ |title=さんてんいちいち【三一一】|work=goo辞書 |publisher=デジタル[[大辞泉]] |accessdate=2017-06-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.miyagi-sfk.net/community-welfare/page-3403/page-3432/page-3458/ |title=311(さんいちいち)ライブラリー |publisher=宮城県社会福祉協議会 |accessdate=2017-06-24}}</ref>)と称することもある。
発生した日付から、'''3.11'''(さんてんいちいち、もしくは、さんいちいち<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%89%E4%B8%80%E4%B8%80/#jn-250285 |title=さんてんいちいち【三一一】|work=goo辞書 |publisher=デジタル[[大辞泉]] |accessdate=2017-06-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.miyagi-sfk.net/community-welfare/page-3403/page-3432/page-3458/ |title=311(さんいちいち)ライブラリー |publisher=宮城県社会福祉協議会 |accessdate=2017-06-24}}</ref>)と称することもある。英称は {{lang|en|Great East Japan Earthquake}} など<ref group="注">英語版 [[:en:2011 Tōhoku earthquake and tsunami]] の記事も参照。</ref>


== 地震 ==
== 地震 ==
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{{Main|東北地方太平洋沖地震}}
{{Main|東北地方太平洋沖地震}}
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒([[日本標準時|日本時間]])<ref>
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒([[日本標準時|日本時間]])<ref>
[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/201103/monthly201103.pdf#page=63 平成23年3月 地震・火山月報(防災編)] p.60、ISSN 1343-4977、2011年3月、気象庁</ref>、[[宮城県]][[牡鹿半島]]の東南東沖130[[キロメートル]] (km)(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24 km)を[[震源]]とする'''東北地方太平洋沖地震'''が発生した<ref>{{Cite press release
[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/201103/monthly201103.pdf#page=63 平成23年3月 地震・火山月報(防災編)] p.60、ISSN 1343-4977、2011年3月、気象庁</ref>、[[宮城県]][[牡鹿半島]]の東南東沖130[[キロメートル]] (km)(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)を[[震源]]とする東北地方太平洋沖地震が発生した<ref>{{Cite press release
|和書
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|publisher = 気象庁
|publisher = 気象庁
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|title = 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について
|title = 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について
|date = 2011-03-11
|date = 2011-03-11
}}</ref>。地震の規模は[[モーメント・マグニチュード|モーメントマグニチュード]] (Mw) 9.0<ref>{{Cite web|和書|title=気象庁|震度データベース検索 |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.html#20110311144618|website=www.data.jma.go.jp |accessdate=2021-02-15}}</ref><ref group="注">[https://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/official20110311054624120_30/executive#executive U.S. Geological Survey](USGS)のデータでは、Mw9.1となっている。</ref>で、発生時点において'''日本周辺における観測史上最大の地震'''である。
}}</ref>。地震の規模は'''[[モーメント・マグニチュード|モーメントマグニチュード]] (Mw) 9.0'''<ref>{{Cite web|和書|title=気象庁|震度データベース検索 |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.html#20110311144618|website=www.data.jma.go.jp |accessdate=2021-02-15}}</ref><ref group="注">[https://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/official20110311054624120_30/executive#executive U.S. Geological Survey](USGS)のデータでは、Mw9.1となっている。</ref>で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。


[[震源域]]は広大で、[[岩手県]]沖から[[茨城県]]沖までの南北約500 km、東西約200 kmのおよそ10万[[平方キロメートル]] (km{{sup|2}}) に及ぶ<ref name="気象庁第15報">{{Cite press release
[[震源域]]は広大で、[[岩手県]]沖から[[茨城県]]沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万[[平方キロメートル]] (km{{sup|2}}) に及ぶ<ref name="気象庁第15報">{{Cite press release
|和書|title = 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第15報)PDFファイル含む
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|publisher = 気象庁
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|date = 2011-03-11
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|accessdate = 2015-03-12
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}}</ref>。最大[[気象庁震度階級|震度]]は宮城県[[栗原市]]で観測された[[震度7]]で、宮城・[[福島県|福島]]・茨城・[[栃木県|栃木]]の4県36市町村と[[仙台市]]内の1区で震度6強を観測した<ref>{{PDFlink|
}}</ref>。最大[[気象庁震度階級|震度]]は宮城県[[栗原市]]で観測された'''[[震度7]]'''で、宮城・[[福島県|福島]]・茨城・[[栃木県|栃木]]の4県36市町村と[[仙台市]]内の1区で震度6強を観測した<ref>{{PDFlink|
東京、横浜で震度5強を観測した。[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2011_03_11_tohoku/0311_shindo.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に関する観測・解析データなど -各地の震度-]}}気象庁</ref>。観測された最大[[加速度]]は宮城県[[栗原市]]のK-NET[[築館町|築館]] (MYG004) 観測点で記録された2,933[[ガル]]<ref>{{PDFlink|[https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/TOPICS_OLD/outreach/ul/EVENT/201103_NIED_0313.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による強震動]}} [[防災科学技術研究所]](2021年1月10日閲覧)</ref>。
東京、横浜で震度5強を観測した。[https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2011_03_11_tohoku/0311_shindo.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に関する観測・解析データなど -各地の震度-]}}気象庁</ref>。観測された最大[[加速度]]は宮城県[[栗原市]]のK-NET[[築館町|築館]] (MYG004) 観測点で記録された2,933[[ガル]]<ref>{{PDFlink|[https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/TOPICS_OLD/outreach/ul/EVENT/201103_NIED_0313.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による強震動]}} [[防災科学技術研究所]](2021年1月10日閲覧)</ref>。


== 名称 ==
== 名称 ==
{{See also|震災#現象の名称と震災の名称}}{{See also|東北地方太平洋沖地震#名称}}
{{see also|東北地方太平洋沖地震#名称|震災#地震の名称と震災の名称}}

発生当日(3月11日)の16時20分に[[気象庁]]は、この'''地震現象'''に対して「'''平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震'''」({{lang-en-short|The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake}})と[[気象庁が命名した自然現象の一覧|命名]]した<ref name="気象庁第2報">{{Cite press release
発生当日(3月11日)の16時20分に[[気象庁]]は、この地震現象に対して「'''平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震'''」({{lang-en-short|The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake}})と[[気象庁が命名した自然現象の一覧|命名]]した<ref name="気象庁第2報">{{Cite press release
|和書|title = 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第2報)
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|publisher = 気象庁
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|url = https://www.jma.go.jp/jma/press/1103/11c/201103111620.html
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|accessdate = 2011-03-13
|accessdate = 2011-03-13
}}</ref>。これに対し、[[マスメディア|メディア]]や組織・団体は、地震による津波や原子力事故などの災害(震災)に着目して、「東日本大震災」や「東北関東大震災」<!--、「太平洋沖東日本大震災」-->などの呼称を任意に用いていた。
}}</ref>。これに対し、[[マスメディア|メディア]]や組織・団体は、地震による津波や原子力事故などの災害に着目して、「東日本大震災」や「東北関東大震災」<!--、「太平洋沖東日本大震災」-->などの呼称を任意に用いていた。


同年[[4月1日]]に、[[日本国政府|日本政府]]([[菅直人内閣]])は持ち回り[[閣議]]で、福島第一原発事故を含め当地震によってもたらされた一連の'''災害'''([[震災]])を指す名称を「'''東日本大震災'''」とすることを了承し、[[内閣総理大臣]]の[[菅直人]]が平成23年度予算成立を受けての記者会見<!--(於:[[総理大臣官邸]])-->で発表した<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201104/01kaiken.html 菅内閣総理大臣記者会見 平成23年4月1日(金)]{{リンク切れ|date=2020年1月}}(首相官邸 2011年4月1日)</ref><ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201104/01kaiken.html 菅内閣総理大臣記者会見 平成23年4月1日](首相官邸 2011年4月1日)</ref><ref>[https://archive.is/20130501060414/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110401-OYT1T00701.htm 震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])『[[読売新聞]]』2011年4月1日付</ref>。これ以降、地震の'''現象'''を指す「東北地方太平洋沖地震」と、それによってもたらされた'''害'''を指す「東日本大震災」という2つの用語が並立した([[震災#現象の名称と震災の名称]]を参照)。ただし地震およびその活動を指して「東日本大震災」の名称を用いるメディアもあるが、福島第一原発事故を東日本大震災と切り離して単独の事象として取り上げる記事も多い。
同年[[4月1日]]に、[[日本国政府|日本政府]]([[菅直人内閣]])は持ち回り[[閣議]]で、福島第一原発事故を含め当地震によってもたらされた一連の災害を指す名称を「'''東日本大震災'''」とすることを了承し、[[内閣総理大臣]]の[[菅直人]]が平成23年度予算成立を受けての記者会見<!--(於:[[総理大臣官邸]])-->で発表した<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201104/01kaiken.html 菅内閣総理大臣記者会見 平成23年4月1日(金)]{{リンク切れ|date=2020年1月}}(首相官邸 2011年4月1日)</ref><ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201104/01kaiken.html 菅内閣総理大臣記者会見 平成23年4月1日](首相官邸 2011年4月1日)</ref><ref>[https://archive.is/20130501060414/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110401-OYT1T00701.htm 震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])『[[読売新聞]]』2011年4月1日付</ref>。これ以降、自然現象としての「地震を指す「東北地方太平洋沖地震」と、それにより引き起こされた「震を指す「東日本大震災」という2つの用語が並立した。ただしメディアにより、地震およびその活動を指して「東日本大震災」の名称を用いる、または福島第一原発事故を東日本大震災と切り離して単独の事象として取り上げる記事も多い。なお、気象庁は、自然現象としての「地震」の名称と、それにより引き起こされた「震災」の名称を区別している<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq7.html#17 2011年3月11日の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」は「東日本大震災」と同じですか?] 回答は、「違います。」となっている。</ref>

気象庁は、「『東北地方太平洋沖地震』は『東日本大震災』と同じですか?」との質問に「違います。前者は(中略)'''地震'''の名称です。後者は(中略)'''災害'''の名称です。」と答えている<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq7.html#17 気象庁 よくある質問集:2011年3月11日の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」は「東日本大震災」と同じですか?]</ref>。


政府による災害名統一以前に使用されていた、震災の主な名称として以下のものがある。「大震災」だけではなく、「大地震」や「[[巨大地震]]」も震災を指して使われていた。
政府による災害名統一以前に使用されていた、震災の主な名称として以下のものがある。「大震災」だけではなく、「大地震」や「[[巨大地震]]」も震災を指して使われていた。
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*「'''3.11大震災'''」(さんてんいちいちだいしんさい) - 『[[河北新報]]』(「東日本大震災」と併用で3月14日から)<ref>[https://archive.is/20120708112923/http://flat.kahoku.co.jp/u/flatblog01/FHPbeZy35wf8rD17RxuY 震災表記の変更について。](2012年7月8日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - ふらっと / 編集室から(河北新報)2011年3月14日</ref>
*「'''3.11大震災'''」(さんてんいちいちだいしんさい) - 『[[河北新報]]』(「東日本大震災」と併用で3月14日から)<ref>[https://archive.is/20120708112923/http://flat.kahoku.co.jp/u/flatblog01/FHPbeZy35wf8rD17RxuY 震災表記の変更について。](2012年7月8日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - ふらっと / 編集室から(河北新報)2011年3月14日</ref>
*「'''東北沖大地震'''」(とうほくおきだいじしん) - 『毎日新聞』が地震当日から3月14日まで使用<ref>[http://search.mainichi.jp/result?p=%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%B2%96%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87&sr=o&page=1 記事検索結果 - 毎日jp] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120114201431/http://search.mainichi.jp/result?p=%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%B2%96%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87&sr=o&page=1 |date=2012年1月14日}}</ref>
*「'''東北沖大地震'''」(とうほくおきだいじしん) - 『毎日新聞』が地震当日から3月14日まで使用<ref>[http://search.mainichi.jp/result?p=%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%B2%96%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87&sr=o&page=1 記事検索結果 - 毎日jp] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120114201431/http://search.mainichi.jp/result?p=%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%B2%96%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87&sr=o&page=1 |date=2012年1月14日}}</ref>
*「'''東北・関東大地震'''」(とうほくかんとうだいじしん) - 共同通信社<ref>[https://web.archive.org/web/20110312232111/http://www.kyodonews.jp/feature/news04/ 東北・関東大地震 - 一般社団法人 共同通信社 ニュース特集](2011年3月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、『東京新聞』<ref>{{cite news |title=収まらぬ余震 …不安 東北・関東大地震 |newspaper=東京新聞 |date=2011-03-12 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110312/CK2011031202000013.html |accessdate=2011-03-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110316002513/http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110312/CK2011031202000013.html |archivedate=2011-03-16}}</ref>など加盟社が地震当日の3月11日(翌12日朝に配達された朝刊やWeb公開された記事を含む)に使用
*「'''東北・関東大地震'''」(とうほくかんとうだいじしん) - 共同通信社<ref>[https://web.archive.org/web/20110312232111/http://www.kyodonews.jp/feature/news04/ 東北・関東大地震 - 一般社団法人 共同通信社 ニュース特集](2011年3月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、『東京新聞』<ref>{{cite news ja |title=収まらぬ余震 …不安 東北・関東大地震 |newspaper=東京新聞 |date=2011-03-12 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110312/CK2011031202000013.html |accessdate=2011-03-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110316002513/http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110312/CK2011031202000013.html |archivedate=2011-03-16}}</ref>など加盟社が地震当日の3月11日(翌12日朝に配達された朝刊やWeb公開された記事を含む)に使用
*「'''宮城・茨城沖大地震'''」(みやぎいばらきおきだいじしん) - [[日テレNEWS24]]が地震当日から3月12日まで使用<ref>[https://web.archive.org/web/20110314050832/http://www.news24.jp/articles/2011/03/11/07177816.html 日テレNEWS24 2011年3月11日「宮城・茨城沖大地震、32人死亡 NNN」](2011年3月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110315075818/http://www.news24.jp/articles/2011/03/12/07177984.html 日テレNEWS24 2011年3月12日「宮城・茨城沖大地震で238人死亡〜警察庁」](2011年3月15日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
*「'''宮城・茨城沖大地震'''」(みやぎいばらきおきだいじしん) - [[日テレNEWS24]]が地震当日から3月12日まで使用<ref>[https://web.archive.org/web/20110314050832/http://www.news24.jp/articles/2011/03/11/07177816.html 日テレNEWS24 2011年3月11日「宮城・茨城沖大地震、32人死亡 NNN」](2011年3月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110315075818/http://www.news24.jp/articles/2011/03/12/07177984.html 日テレNEWS24 2011年3月12日「宮城・茨城沖大地震で238人死亡〜警察庁」](2011年3月15日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
*「'''東日本巨大地震'''」(ひがしにほんきょだいじしん) - テレビ朝日(地震発生直後から暫定的に使用)、『読売新聞』([[ヤマト運輸]]CM)<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/ 東日本巨大地震 震災掲示板 :特集 :YOMIURI ONLINE(読売新聞)] {{webarchive|url=https://webcitation.org/5y2x8tebC?url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/ |date=2011年4月18日}}</ref>
*「'''東日本巨大地震'''」(ひがしにほんきょだいじしん) - テレビ朝日(地震発生直後から暫定的に使用)、『読売新聞』([[ヤマト運輸]]CM)<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/ 東日本巨大地震 震災掲示板 :特集 :YOMIURI ONLINE(読売新聞)] {{webarchive|url=https://webcitation.org/5y2x8tebC?url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/ |date=2011年4月18日}}</ref>
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閣議によって震災の名称が決定したので、日本赤十字社の[[寄付|義援金]]受付口座名も変更された。
閣議によって震災の名称が決定したので、日本赤十字社の[[寄付|義援金]]受付口座名も変更された。


また、この災で発生した[[津波]]に対して、地元紙を中心に一部で「明治三陸津波(地震)・明治三陸津波」や「昭和[[三陸津波]](地震)と並び'''平成三陸津波平成三陸大津波'''」、また今回の地震全体を通しての「'''平成三陸(大)地震'''」の呼称を使用している<ref>[https://web.archive.org/web/20110510120905/http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/shogen/shogen_top.html 岩手日報・企画 平成三陸大津波「記者の証言」]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110520064357/http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001105180001 asahi.com:検証・三陸大津波 1)宿命-マイタウン岩手](2011年5月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20111124013803/http://www.mbs.jp/pgm/timetable/daily/20110409.shtml 【MBS】2011年4月9日の番組表] 16:00放送『そのとき、人々は : 平成三陸大津波の証言』</ref>。しかし、政府など公的機関名称を定めていない。
また、とそれに伴う[[津波]]に対して、地元紙を中心に一部で「[[明治三陸地震]]」「明治[[三陸津波]]」や「[[昭和三陸地震]]」「昭和三陸津波」にならい「'''平成三陸)地震'''」「'''平成三陸(大)津波'''」の呼称を使用している<ref>[https://web.archive.org/web/20110510120905/http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/shogen/shogen_top.html 岩手日報・企画 平成三陸大津波「記者の証言」]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110520064357/http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001105180001 asahi.com:検証・三陸大津波 1)宿命-マイタウン岩手](2011年5月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20111124013803/http://www.mbs.jp/pgm/timetable/daily/20110409.shtml 【MBS】2011年4月9日の番組表] 16:00放送『そのとき、人々は : 平成三陸大津波の証言』</ref>。ただし、政府など公的機関が定めた名称ではない。


== 被害 ==
== 被害 ==
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この地震により、場所によっては波高10[[メートル]] (m) 以上、'''最大遡上高40.1 m'''にも上る巨大な津波が発生し、[[東北地方]]と[[関東地方]]の[[太平洋]]沿岸部に壊滅的な被害が発生した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震津波の概要(第3報) |publisher=日本気象協会 |date=2011-04-22 |accessdate=2011-05-21 |deadlinkdate=2014-10-27 |format=PDF |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111214180433/http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |archivedate=2011-12-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.coastal.jp/ttjt/index.php?%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C |title=現地調査結果 |publisher=東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ |date=2012-01-14 |accessdate=2012-02-09}}</ref>。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや[[液状化現象]]、[[地盤沈下]]、[[ダム]]の決壊などによって、[[北海道]]南岸から東北地方を経て[[東京湾]]を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種[[インフラストラクチャー|インフラ]]が寸断された。[[カメラ付き携帯電話]]・[[スマートフォン]]などの普及で数々の映像や写真が克明に記録され、沿岸部の街を津波が襲来し破壊し尽くす様子や、[[福島第一原子力発電所]]における[[メルトダウン]]発生は、全世界に大きな衝撃を与えた。
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| video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=jbvBsgoEAe0 地震の発生から津波の到達まで(提供:一般社団法人大船渡津波伝承館)] - [[岩手県]]公式動画チャンネル
}}
この地震により、場所によっては波高10[[メートル]] (m) 以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、[[東北地方]]と[[関東地方]]の[[太平洋]]沿岸部に壊滅的な被害が発生した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震津波の概要(第3報) |publisher=日本気象協会 |date=2011-04-22 |accessdate=2011-05-21 |url-status=dead |format=PDF |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111214180433/http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |archivedate=2011-12-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.coastal.jp/ttjt/index.php?%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C |title=現地調査結果 |publisher=東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ |date=2012-01-14 |accessdate=2012-02-09}}</ref>。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや[[液状化現象]]、[[地盤沈下]]、[[ダム]]の決壊などによって、[[北海道]]南岸から東北地方を経て[[東京湾]]を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種[[インフラストラクチャー|インフラ]]が寸断された。[[カメラ付き携帯電話]]・[[スマートフォン]]などの普及で数々の映像や写真が克明に記録され、沿岸部の街を津波が襲来し破壊し尽くす様子や、[[福島第一原子力発電所]]における[[メルトダウン]]発生は、全世界に大きな衝撃を与えた。


2023年([[令和]]5年)3月1日時点で、震災による死者・行方不明者は2万2318人、[[建築物]]の全壊・流失・半壊は合わせて40万6067戸<ref name=":2" />が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は約47万人<ref>https://www.fdma.go.jp/disaster/higashinihon/item/higashinihon001_21_03-06.pdf</ref>、[[停電]]世帯は800万戸以上<ref name="metipress800">経済産業省{{PDF|[https://web.archive.org/web/20110323114808/http://www.meti.go.jp/press/20110311020/20110311020.pdf 地震被害情報(第4報)3月11日18時45分現在]}}(2015年7月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、[[断水]]世帯は180万戸以上<ref>{{Cite web|和書|title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第17報) |url=https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015344-img/2r9852000001535l.pdf |publisher=厚生労働省 |format=PDF |date=2011-03-16 |accessdate=2015-03-12}}</ref>などの数値が報告されている。[[復興庁]]によると、20238月1日時点の避難者などの数は3115人となっており<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20230908_hinan.pdf |title=全国の避難者数 |accessdate=2023928日 |publisher=復興庁}}</ref>、避難が長期化していることが特徴的である。
2023年([[令和]]5年)3月1日時点で、震災による死者・行方不明者は2万2318人、[[建築物]]の全壊・流失・半壊は合わせて40万6067戸<ref name=":2" />が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は約47万人<ref>https://www.fdma.go.jp/disaster/higashinihon/item/higashinihon001_21_03-06.pdf</ref>、[[停電]]世帯は800万戸以上<ref name="metipress800">経済産業省{{PDF|[https://web.archive.org/web/20110323114808/http://www.meti.go.jp/press/20110311020/20110311020.pdf 地震被害情報(第4報)3月11日18時45分現在]}}(2015年7月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、[[断水]]世帯は180万戸以上<ref>{{Cite web|和書|title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第17報) |url=https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015344-img/2r9852000001535l.pdf |publisher=厚生労働省 |format=PDF |date=2011-03-16 |accessdate=2015-03-12}}</ref>などの数値が報告されている。[[復興庁]]によると、20242月1日時点の避難者などの数は29328人となっており<ref name=":0">{{Cite web|和書 |url=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20240301_hinan.pdf |title=全国の避難者数 |accessdate=202431日 |publisher=復興庁}}</ref>、避難が長期化していることが特徴的である。


*津波による[[浸水]]面積 - 561[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/common/000059939.pdf |title=津波による浸水範囲の面積(概略値)について(第5報) |publisher=[[国土地理院]] |date=2011-04-18 |format=PDF |accessdate=2016-05-28}}</ref>
*津波による[[浸水]]面積 - 561[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/common/000059939.pdf |title=津波による浸水範囲の面積(概略値)について(第5報) |publisher=[[国土地理院]] |date=2011-04-18 |format=PDF |accessdate=2016-05-28}}</ref>
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*[[漁港]]被害 - 319港<ref name="立法と調査353号"/>
*[[漁港]]被害 - 319港<ref name="立法と調査353号"/>


日本国政府は、震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している<ref name="月例経済報告">{{Cite web|和書|url=https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei-s/1103.pdf |title=月例経済報告等に関する関係閣僚会議 震災対応特別会合資料 |publisher=[[内閣府]] |format=PDF |date=2011-03-23 |accessdate=2011-05-23 |deadlinkdate=2014-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110410105029/http://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei-s/1103.pdf |archivedate=2011-04-10}}</ref>。この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3[[都道府県|県]]の[[県民経済計算|県内総生産]]の合計に匹敵する([[阪神・淡路大震災]]では[[兵庫県]]1県の県内総生産の半分ほどであった)。[[世界銀行]]の推計では、[[自然災害]]による経済損失額としては史上1位としている<ref>{{Cite web|和書|url=http://honkawa2.sakura.ne.jp/4375.html |title=図録▽世界の主な自然災害の経済損失額 |publisher=社会実情データ図録 |date=2012-01-23 |accessdate=2021-07-24}}</ref>。
日本国政府は、震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している<ref name="月例経済報告">{{Cite web|和書|url=https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei-s/1103.pdf |title=月例経済報告等に関する関係閣僚会議 震災対応特別会合資料 |publisher=[[内閣府]] |format=PDF |date=2011-03-23 |accessdate=2011-05-23 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110410105029/http://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei-s/1103.pdf |archivedate=2011-04-10}}</ref>。この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3[[都道府県|県]]の[[県民経済計算|県内総生産]]の合計に匹敵する([[阪神・淡路大震災]]では[[兵庫県]]1県の県内総生産の半分ほどであった)。[[世界銀行]]の推計では、[[自然災害]]による経済損失額としては史上1位としている<ref>{{Cite web|和書|url=http://honkawa2.sakura.ne.jp/4375.html |title=図録▽世界の主な自然災害の経済損失額 |publisher=社会実情データ図録 |date=2012-01-23 |accessdate=2021-07-24}}</ref>。


=== 死傷者 ===
=== 死傷者 ===
{{See also|東日本大震災における死者・行方不明者の推移}}
{{See also|東日本大震災における死者・行方不明者の推移}}
[[画像:Deaths and missing persons by prefecture from 2011 Tohoku Earthquake.png|thumb|平成23年東北地方太平洋沖地震による都道府県別死者・行方不明者数(2011年7月17日現在)<ref name="NPA">{{Cite press release|title=平成23年(2011 年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置|publisher=警察庁緊急災害警備本部|date=2023-03-10|url=https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijyoukyou2023.pdf|和書|accessdate=2023-04-17}}</ref>]]
[[画像:Deaths and missing persons by prefecture from 2011 Tohoku Earthquake.png|thumb|平成23年東北地方太平洋沖地震による都道府県別死者・行方不明者数(2011年7月17日現在)<ref name="NPA">{{Cite press release|title=平成23年(2011 年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置|publisher=警察庁緊急災害警備本部|date=2023-03-10|url=https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijyoukyou2023.pdf|和書|accessdate=2023-04-17}}</ref>]]
[[画像:Temporary cemetery in Ishinomaki.JPEG|thumb|都道府県別で犠牲者数が最多った宮城県では[[火葬]]の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な[[土葬]])が行われた。(宮城県石巻市、2011年6月7日撮影)]]
[[画像:Temporary cemetery in Ishinomaki.JPEG|thumb|都道府県別で犠牲者数が最多であった宮城県では[[火葬]]の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な[[土葬]])が行われた。(宮城県石巻市、2011年6月7日撮影)]]


[[警察庁]]は、2023年([[令和]]5年)2月末時点で、死者は12都道県で1万5900人(岩手4675人、宮城9544人、福島1614人、茨城24人、千葉21人、東京7人など)、行方不明者は6県で2523人(岩手1110人、宮城1213人、福島196人など)、東北の被災3県でいまも身元のわからない遺体は53人(岩手47人、宮城6人)と発表している<ref name="NPA2023">{{Cite web|和書|url=https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijyoukyou2023.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の警察措置と被害状況(令和5年2月末現在)|publisher=警察庁緊急災害警備本部 |date=2023-03-10|accessdate=2023-03-11
[[警察庁]]は、2023年([[令和]]5年)2月末時点で、死者は12都道県で1万5900人(岩手4675人、宮城9544人、福島1614人、茨城24人、千葉21人、東京7人など)、行方不明者は6県で2523人(岩手1110人、宮城1213人、福島196人など)、東北の被災3県でいまも身元のわからない遺体は53人(岩手47人、宮城6人)と発表している<ref name="NPA2023">{{Cite web|和書|url=https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijyoukyou2023.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の警察措置と被害状況(令和5年2月末現在)|publisher=警察庁緊急災害警備本部 |date=2023-03-10|accessdate=2023-03-11
}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15577421.html|title=不明者なお2523人、新たな判明なし 東日本大震災:朝日新聞デジタル|accessdate=2023-03-10|publisher=朝日新聞}}</ref>。消防庁によると、負傷者は6242人<ref name=":2" />。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは[[第二次世界大戦]]後初めてであり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |title=死者・行方不明者 1万人超に |publisher=NHK |date=2011-04-20 |accessdate=2010-04-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318055501/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |archivedate=2011年3月18日 |deadlinkdate=2017年10月}}</ref>、[[明治]]以降でも[[関東大震災]]、[[明治三陸地震]]に次ぐ被害規模であった<ref name="hakusho-higai">{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_01.htm |title=(1)人的被害 |publisher=内閣府 |accessdate=2016-10-22}}</ref>。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した<ref name="NPA" />。
}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15577421.html|title=不明者なお2523人、新たな判明なし 東日本大震災:朝日新聞デジタル|accessdate=2023-03-10|publisher=朝日新聞}}</ref>。消防庁によると、負傷者は6242人<ref name=":2" />。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは[[第二次世界大戦]]後初めてであり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |title=死者・行方不明者 1万人超に |publisher=NHK |date=2011-04-20 |accessdate=2010-04-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318055501/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |archivedate=2011年3月18日 |url-status=dead}}</ref>、[[明治]]以降でも[[関東大震災]]、[[明治三陸地震]]に次ぐ被害規模であった(震災関連死を除いた比較)<ref name="hakusho-higai">{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_01.htm |title=(1)人的被害 |publisher=内閣府 |accessdate=2016-10-22}}</ref>。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した<ref name="NPA" />。


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{|class="wikitable sortable" style="line-height:1.25em;text-align:right"
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:建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人、茨城県18人、宮城県13人、東京都7人など、分かっているだけで90人に上る<ref>[https://web.archive.org/web/20130612220714/http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1115/20130517_01.htm 「大震災・揺れの犠牲90人超 宮城・山形・福島など1都8県](2013年6月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 河北新報ニュース、2013年5月17日。</ref>。
:建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人、茨城県18人、宮城県13人、東京都7人など、分かっているだけで90人に上る<ref>[https://web.archive.org/web/20130612220714/http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1115/20130517_01.htm 「大震災・揺れの犠牲90人超 宮城・山形・福島など1都8県](2013年6月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 河北新報ニュース、2013年5月17日。</ref>。


岩手、宮城、福島の3県では、腕や脚などが見つかり身元が判明したものの、頭部未発見のために死者に計上されていない人が2016年6月10日時点で171人いる。「親指だけ見つかっても、亡くなっているとは限らない」などの理由による。この数を行方不明者数から除外するかどうかは3県で判断が分かれている<ref>{{Cite news |url=http://www.sankei.com/affairs/news/160610/afr1606100025-n1.html |title=頭部未発見で171人、死者に計上せず 3県警 |newspaper=[[産経デジタル|産経ニュース]] |date=2016-06-10 |accessdate=2016-12-16}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.nishinippon.co.jp/feature/earthquake/article/251153 |title=大震災の171人、死者計上せず 頭部未発見で、3県警 |newspaper=『[[西日本新聞]]』 |date=2016-06-10 |accessdate=2016-12-16}}</ref>。
岩手、宮城、福島の3県では、腕や脚などが見つかり身元が判明したものの、頭部未発見のために死者に計上されていない人が2016年6月10日時点で171人いる。「親指だけ見つかっても、亡くなっているとは限らない」などの理由による。この数を行方不明者数から除外するかどうかは3県で判断が分かれている<ref>{{Cite news ja |url=http://www.sankei.com/affairs/news/160610/afr1606100025-n1.html |title=頭部未発見で171人、死者に計上せず 3県警 |newspaper=[[産経デジタル|産経ニュース]] |date=2016-06-10 |accessdate=2016-12-16}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.nishinippon.co.jp/feature/earthquake/article/251153 |title=大震災の171人、死者計上せず 頭部未発見で、3県警 |newspaper=『[[西日本新聞]]』 |date=2016-06-10 |accessdate=2016-12-16}}</ref>。


[[静岡大学]]防災総合センターは、津波の浸水範囲の居住者数に対する死者、行方不明者数の割合をまとめ、[[明治三陸地震]]と比較した。それによると、最大は宮城県[[女川町]]の11.97%、次いで岩手県の[[大槌町]]と[[陸前高田市]]でともに11.72%となった。明治三陸地震については、浸水域ではなく市町村の人口に対する犠牲者の割合を出したが、岩手県[[釜石市]]で約50%になるなど11市町村で15%を超えており、今回の津波では防災対策に一定の効果があった可能性がある<ref>『朝日新聞』(大阪)2011年9月14日夕刊</ref><ref>[[牛山素行]]「[http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-8432.html 防災は様々な対策の積み重ね]」豪雨災害と防災情報を研究するdisaster-i.net別館/自然災害科学研究者 静岡大学防災総合センター教授 牛山素行による研究活動記録用[[ブログ]](2012年1月28日)2020年1月25日閲覧</ref>。
[[静岡大学]]防災総合センターは、津波の浸水範囲の居住者数に対する死者、行方不明者数の割合をまとめ、[[明治三陸地震]]と比較した。それによると、最大は宮城県[[女川町]]の11.97%、次いで岩手県の[[大槌町]]と[[陸前高田市]]でともに11.72%となった。明治三陸地震については、浸水域ではなく市町村の人口に対する犠牲者の割合を出したが、岩手県[[釜石市]]で約50%になるなど11市町村で15%を超えており、今回の津波では防災対策に一定の効果があった可能性がある<ref>『朝日新聞』(大阪)2011年9月14日夕刊</ref><ref>[[牛山素行]]「[http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-8432.html 防災は様々な対策の積み重ね]」豪雨災害と防災情報を研究するdisaster-i.net別館/自然災害科学研究者 静岡大学防災総合センター教授 牛山素行による研究活動記録用[[ブログ]](2012年1月28日)2020年1月25日閲覧</ref>。


==== 震災関連死 ====
==== 震災関連死 ====
東日本大震災では[[収容避難場所|避難所]]の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する例([[災害関連死|震災関連死]])が高齢者を中心に相次いでいる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110317/t10014747461000.html |title=避難所生活などで23人死亡 |publisher=NHK |date=2011-03-17 |accessdate=2010-03-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110320194902/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110317/t10014747461000.html |archivedate=2011-03-20 |deadlinkdate=2017-10}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110411-OYT1T00610.htm |title=避難所の不衛生、寒さ…震災関連死疑い282人 |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-11 |accessdate=2011-04-11 |archiveurl=https://archive.is/20130501070522/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110411-OYT1T00610.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。[[復興庁]]では震災関連死の死者を「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義している<ref>{{Cite web|和書|title=復興の現状と取組 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/20131129_gennjoutotorikumi.pdf |publisher=復興庁 |format=PDF |date=2013-11-29 |accessdate=2015-03-30}}</ref>。復興庁によると、2023年3月末時点での集計で'''3,794人'''(福島県2,337人、宮城県931人、岩手県470人など)が震災関連死に認定されている。死亡した時期別にみると、震災発生から1週間以内は472人、8日後以降1か月以内は743人、2か月目以降1年以内は1,587人で、5年目でも105人いる<ref>{{Cite web |url=東日本大震災における震災関連死の死者数 (令和 5 年 3 月 31 日現在調査結果) |title=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20230630_kanrenshi.pdf |access-date=2023年9月28日 |publisher=復興庁}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災における震災関連死の死者数 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20191227_kanrenshi.pdf |publisher=[[復興庁]] |format=PDF |date=2019-12-27 |accessdate=2020-02-29}}</ref>。福島県内の震災関連死による死者数は地震や津波による直接死者数を上回っている<ref name="mainichi20130908">{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/news/20131217k0000m040116000c.html |title=震災関連死:福島1605人…直接死上回る 避難長期化で |newspaper=『[[毎日新聞]]』 |date=2013-12-17 |accessdate=2013-12-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131217043311/http://mainichi.jp/select/news/20131217k0000m040116000c.html |archivedate=2013-12-17 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。福島県の震災関連死の大部分は、原発事故の避難の影響で体調が悪化するなどして死亡した「原発関連死」とみられ、『[[東京新聞]]』の2016年3月時点での集計によると、福島県内の少なくとも1,368人が原発関連死であった<ref>{{Cite news |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html |title=原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増 |newspaper=『東京新聞』 |date=2016-03-06 |accessdate=2016-08-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160306060111/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html |archivedate=2016-03-06}}</ref>。
東日本大震災では[[収容避難場所|避難所]]の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する例([[災害関連死|震災関連死]])が高齢者を中心に相次いでいる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110317/t10014747461000.html |title=避難所生活などで23人死亡 |publisher=NHK |date=2011-03-17 |accessdate=2010-03-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110320194902/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110317/t10014747461000.html |archivedate=2011-03-20 |url-status=dead}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110411-OYT1T00610.htm |title=避難所の不衛生、寒さ…震災関連死疑い282人 |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-11 |accessdate=2011-04-11 |archiveurl=https://archive.is/20130501070522/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110411-OYT1T00610.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。[[復興庁]]では震災関連死の死者を「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義している<ref>{{Cite web|和書|title=復興の現状と取組 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/20131129_gennjoutotorikumi.pdf |publisher=復興庁 |format=PDF |date=2013-11-29 |accessdate=2015-03-30}}</ref>。復興庁によると、2023年3月末時点での集計で3,794人(福島県2,337人、宮城県931人、岩手県470人など)が震災関連死に認定されている。死亡した時期別にみると、震災発生から1週間以内は472人、8日後以降1か月以内は743人、2か月目以降1年以内は1,587人で、5年目でも105人いる<ref>{{Cite web |url=東日本大震災における震災関連死の死者数 (令和 5 年 3 月 31 日現在調査結果) |title=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20230630_kanrenshi.pdf |access-date=2023年9月28日 |publisher=復興庁}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災における震災関連死の死者数 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20191227_kanrenshi.pdf |publisher=[[復興庁]] |format=PDF |date=2019-12-27 |accessdate=2020-02-29}}</ref>。福島県内の震災関連死による死者数は地震や津波による直接死者数を上回っている<ref name="mainichi20130908">{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/news/20131217k0000m040116000c.html |title=震災関連死:福島1605人…直接死上回る 避難長期化で |newspaper=『[[毎日新聞]]』 |date=2013-12-17 |accessdate=2013-12-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131217043311/http://mainichi.jp/select/news/20131217k0000m040116000c.html |archivedate=2013-12-17 |url-status=dead}}</ref>。福島県の震災関連死の大部分は、原発事故の避難の影響で体調が悪化するなどして死亡した「原発関連死」とみられ、『[[東京新聞]]』の2016年3月時点での集計によると、福島県内の少なくとも1,368人が原発関連死であった<ref>{{Cite news ja |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html |title=原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増 |newspaper=『東京新聞』 |date=2016-03-06 |accessdate=2016-08-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160306060111/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html |archivedate=2016-03-06}}</ref>。


=== 原子力発電所事故 ===
=== 原子力発電所事故 ===
{{see|福島第一原子力発電所事故}}
[[画像:VOA Herman - April 13 2011 Fukushima Nuclear Power Plant-05.jpg|200px|thumb|[[福島第一原子力発電所事故|原子力事故]]の収束に向けた作業が続く福島第一原子力発電所(2011年4月13日、福島県[[双葉郡]])]]
[[画像:VOA Herman - April 13 2011 Fukushima Nuclear Power Plant-05.jpg|200px|thumb|[[福島第一原子力発電所事故|原子力事故]]の収束に向けた作業が続く福島第一原子力発電所(2011年4月13日、福島県[[双葉郡]])]]
地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた[[東京電力ホールディングス|東京電力]][[福島第一原子力発電所]]は、1 - 5号機で全交流電源を喪失した。[[原子炉]]を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で[[炉心溶融]](メルトダウン)が発生。大量の[[放射性物質]]の漏洩を伴う重大な[[原子力事故]]に発展した(→'''[[福島第一原子力発電所事故]]''')。この事故は[[国際原子力事象評価尺度]]で最悪のレベル7、[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]と同等に位置づけられている。同原発の立地する福島県[[浜通り]]地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E9%82%84%E5%9B%B0%E9%9B%A3%E5%8C%BA%E5%9F%9F 帰還困難区域] [[コトバンク]](2020年1月25日閲覧)</ref>」「居住制限区域<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E4%BD%8F%E5%88%B6%E9%99%90%E5%8C%BA%E5%9F%9F 居住制限区域] コトバンク(2020年1月25日閲覧)</ref>」も設定された(→[[福島第一原子力発電所事故の影響]])。そのほか、[[火力発電所]]などでも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な[[電力]]不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに[[輪番停電|計画停電]]が実施された<ref name="electricity_supply">{{Cite web|和書|url=http://www.meti.go.jp/earthquake/electricity_supply/0408_electricity_supply_01_00.pdf |title=夏期の電力需給対策の骨格(案) |accessdate=2011-04-16 |date=2011-04-08 |format=PDF |publisher=電力需給緊急対策本部}}</ref>。計画停電は[[東北電力]]管内でも震災直後に実施されたほか、翌[[2012年]]の夏前には[[関西電力]]管内でも[[大飯発電所]](大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。
地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた[[東京電力ホールディングス|東京電力]][[福島第一原子力発電所]]は、1 - 5号機で全交流電源を喪失した。[[原子炉]]を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で[[炉心溶融]](メルトダウン)が発生。大量の[[放射性物質]]の漏洩を伴う重大な[[原子力事故]]に発展した。この事故は[[国際原子力事象評価尺度]]で最悪のレベル7、[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]と同等に位置づけられている。同原発の立地する福島県[[浜通り]]地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E9%82%84%E5%9B%B0%E9%9B%A3%E5%8C%BA%E5%9F%9F 帰還困難区域] [[コトバンク]](2020年1月25日閲覧)</ref>」「居住制限区域<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E4%BD%8F%E5%88%B6%E9%99%90%E5%8C%BA%E5%9F%9F 居住制限区域] コトバンク(2020年1月25日閲覧)</ref>」も設定された(→[[福島第一原子力発電所事故の影響]])。そのほか、[[火力発電所]]などでも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な[[電力]]不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに[[輪番停電|計画停電]]が実施された<ref name="electricity_supply">{{Cite web|和書|url=http://www.meti.go.jp/earthquake/electricity_supply/0408_electricity_supply_01_00.pdf |title=夏期の電力需給対策の骨格(案) |accessdate=2011-04-16 |date=2011-04-08 |format=PDF |publisher=電力需給緊急対策本部}}</ref>。計画停電は[[東北電力]]管内でも震災直後に実施されたほか、翌[[2012年]]の夏前には[[関西電力]]管内でも[[大飯発電所]](大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。


東日本大震災被災地には、福島第一のほか、以下の原子力発電所があった。いずれも結果的に重大な[[原子力事故|原子力災害]]には至らなかったが、外部電源喪失、非常用発電機の破損、原子炉冷却用海水ポンプ<ref group=注>他の冷却手段が絶たれた場合の最終ヒートシンクとなる。</ref>の破損など、重大な原子力災害一歩手前に追い込まれる発電所もあった。このうち福島第二原子力発電所では、第一原発と同様に冷却機能を喪失し、[[原子力災害対策特別措置法#「10条通報」|原子力災害対策特別措置法に基づく10条通報]]、[[原子力緊急事態宣言]]発令に至った。
東日本大震災被災地には、福島第一のほか、以下の原子力発電所があった。いずれも結果的に重大な[[原子力事故|原子力災害]]には至らなかったが、外部電源喪失、非常用発電機の破損、原子炉冷却用海水ポンプ<ref group=注>他の冷却手段が絶たれた場合の最終ヒートシンクとなる。</ref>の破損など、重大な原子力災害一歩手前に追い込まれる発電所もあった。このうち福島第二原子力発電所では、第一原発と同様に冷却機能を喪失し、[[原子力災害対策特別措置法#「10条通報」|原子力災害対策特別措置法に基づく10条通報]]、[[原子力緊急事態宣言]]発令に至った。
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==== 各種施設 ====
==== 各種施設 ====
{{main|東日本大震災による各種施設の被害}}
{{main|東日本大震災による各種施設の被害}}
千葉県[[市原市]]の「[[コスモ石油]]千葉製油所」[[液化石油ガス|LPG]]タンクが爆発炎上<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |title=震災で爆発した詳しい原因…コスモ石油のタンク |publisher=『読売新聞』 |date=2011-08-03 |accessdate=2013-01-08 |archiveurl=https://archive.is/20130501063541/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>、この影響で近隣の[[劣化ウラン]]保管施設に延焼<ref>[https://web.archive.org/web/20110707140024/http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1309498977 劣化ウラン保管施設も延焼コスモ石油のガスタンク火災で](2011年7月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>したほか、東北地方や茨城などでは、多くの[[製油所]]や[[工場]]で被災して操業を停止し、[[産業]]界にも幅広く影響が出た。また、北海道・東北・関東の多くの文教施設で、建物の損壊や浸水などの被害が発生した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |title=震災で大学の被害900億円超 最大級の加速器も破損 |publisher=共同通信 |date=2011-05-07 |accessdate=2011-05-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110510012813/http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |archivedate=2011-05-10}}</ref>。[[文化庁]]により被害が確認された[[文化財]]は744件であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/10/30/135089_091410_1.pdf |title=3.文部科学省関係の被害状況(文部科学省において把握できたもの)|accessdate=2021-04-12 |publisher=文部科学省}}</ref>。
千葉県[[市原市]]の「[[コスモ石油]]千葉製油所」[[液化石油ガス|LPG]]タンクが爆発炎上<ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |title=震災で爆発した詳しい原因…コスモ石油のタンク |publisher=『読売新聞』 |date=2011-08-03 |accessdate=2013-01-08 |archiveurl=https://archive.is/20130501063541/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>、この影響で近隣の[[劣化ウラン]]保管施設に延焼<ref>[https://web.archive.org/web/20110707140024/http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1309498977 劣化ウラン保管施設も延焼コスモ石油のガスタンク火災で](2011年7月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>したほか、東北地方や茨城などでは、多くの[[製油所]]や[[工場]]で被災して操業を停止し、[[産業]]界にも幅広く影響が出た。また、北海道・東北・関東の多くの文教施設で、建物の損壊や浸水などの被害が発生した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |title=震災で大学の被害900億円超 最大級の加速器も破損 |publisher=共同通信 |date=2011-05-07 |accessdate=2011-05-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110510012813/http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |archivedate=2011-05-10}}</ref>。[[文化庁]]により被害が確認された[[文化財]]は744件であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/10/30/135089_091410_1.pdf |title=3.文部科学省関係の被害状況(文部科学省において把握できたもの)|accessdate=2021-04-12 |publisher=文部科学省}}</ref>。


==== サプライチェーンの被害 ====
==== サプライチェーンの被害 ====
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=== 液状化現象および地盤沈下 ===
=== 液状化現象および地盤沈下 ===
関東・東北地方の広い範囲で[[液状化現象]]が発生し、千葉県[[千葉市]][[美浜区]]・[[浦安市]]・[[香取市]]・[[我孫子市]]、東京都[[江東区]]・[[江戸川区]]、[[神奈川県]][[横浜市]]の[[八景島]]周辺、茨城県ひたちなか市・[[潮来市]]、宮城県[[大崎市]]の[[江合川]]周辺などで、建築物の傾斜や断水、[[都市ガス|ガス]]供給停止、[[水田]]への土砂の堆積などの被害が生じた<ref name="産経0406液状化">{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110406/dst11040620440053-n1.htm |title=液状化範囲は過去最大 「危険低い」と自治体認定の我孫子でも |newspaper=[[産経新聞|産経ニュース]] |date=2011-04-06 |accessdate=2011-04-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110410180303/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110406/dst11040620440053-n1.htm |archivedate=2011-04-10}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103180170.html |title=傾く家・使えぬトイレ 首都圏の水辺、液状化のつめ跡 |newspaper=『朝日新聞』 |date=2011-03-18 |author=中村真理 |author2=小沢香 |author3=神田明美 |accessdate=2011-03-22}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.j-cast.com/2011/03/15090571.html |title=「水もガスもトイレも使えない」 東京湾岸「液状化」の惨状 |newspaper=[[ジェイ・キャスト|J-CASTニュース]] |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-18}}</ref>。東京湾岸の[[埋立地]]や千葉県北東部から茨城県[[鹿行]]地域南部にかけての[[利根川]]沿い([[水郷]]地帯)での被害が目立ち、自治体により液状化の危険度が低いと認定されていた地域でも被害が発生した<ref name="産経0406液状化" />。
関東・東北地方の広い範囲で[[液状化現象]]が発生し、千葉県[[千葉市]][[美浜区]]・[[浦安市]]・[[香取市]]・[[我孫子市]]、東京都[[江東区]]・[[江戸川区]]、[[神奈川県]][[横浜市]]の[[八景島]]周辺、茨城県ひたちなか市・[[潮来市]]、宮城県[[大崎市]]の[[江合川]]周辺などで、建築物の傾斜や断水、[[都市ガス|ガス]]供給停止、[[水田]]への土砂の堆積などの被害が生じた<ref name="産経0406液状化">{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110406/dst11040620440053-n1.htm |title=液状化範囲は過去最大 「危険低い」と自治体認定の我孫子でも |newspaper=[[産経新聞|産経ニュース]] |date=2011-04-06 |accessdate=2011-04-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110410180303/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110406/dst11040620440053-n1.htm |archivedate=2011-04-10}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103180170.html |title=傾く家・使えぬトイレ 首都圏の水辺、液状化のつめ跡 |newspaper=『朝日新聞』 |date=2011-03-18 |author=中村真理 |author2=小沢香 |author3=神田明美 |accessdate=2011-03-22}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=https://www.j-cast.com/2011/03/15090571.html |title=「水もガスもトイレも使えない」 東京湾岸「液状化」の惨状 |newspaper=[[ジェイ・キャスト|J-CASTニュース]] |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-18}}</ref>。東京湾岸の[[埋立地]]や千葉県北東部から茨城県[[鹿行]]地域南部にかけての[[利根川]]沿い([[水郷]]地帯)での被害が目立ち、自治体により液状化の危険度が低いと認定されていた地域でも被害が発生した<ref name="産経0406液状化" />。


東北地方から関東地方北部の太平洋沿岸では地震に伴う[[地盤沈下]]により、[[海岸]]や[[河口]]付近などで浸水や冠水のおそれが出ている<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031721000119-n1.htm |title=地盤沈下に大潮重なる 警戒を呼び掛け 被災地、浸水・冠水の恐れ |newspaper=産経ニュース |date=2011-03-17 |accessdate=2011-03-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110322195956/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031721000119-n1.htm |archivedate=2011-03-22}}</ref>。宮城県石巻市塩富町では、[[潮汐|満潮]]時に町全体が水没している<ref>[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00197754.html FNNニュース]{{リンク切れ|date=2012年3月}}</ref>。また津波によって東北・関東の6県で2万3600[[ヘクタール]]の農地が流失または冠水しており、[[塩害]]も発生したため、がれきの撤去や土中の塩分の除去が進められた<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY201104260554.html |title=水田の除塩完了に3年 2万ヘクタール 国が9割補助 |newspaper=『朝日新聞』 |date=2011-04-27 |accessdate=2011-05-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110426220553/http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY201104260554.html |archivedate=2011-04-26}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110430ddm003040086000c.html |title=東日本大震災:被災地の太平洋沿岸、進む地盤沈下 冠水被害招く |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-04-30 |accessdate=2011-05-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110504012056/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110430ddm003040086000c.html |archivedate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110425-OYT1T01386.htm |title=農地塩害、9地区1400世帯が集団移転検討 |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-26 |accessdate=2011-05-22 |archiveurl=https://archive.is/20130501065327/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110425-OYT1T01386.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。
東北地方から関東地方北部の太平洋沿岸では地震に伴う[[地盤沈下]]により、[[海岸]]や[[河口]]付近などで浸水や冠水のおそれが出ている<ref>{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031721000119-n1.htm |title=地盤沈下に大潮重なる 警戒を呼び掛け 被災地、浸水・冠水の恐れ |newspaper=産経ニュース |date=2011-03-17 |accessdate=2011-03-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110322195956/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031721000119-n1.htm |archivedate=2011-03-22}}</ref>。宮城県石巻市塩富町では、[[潮汐|満潮]]時に町全体が水没している<ref>[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00197754.html FNNニュース]{{リンク切れ|date=2012年3月}}</ref>。また津波によって東北・関東の6県で2万3600[[ヘクタール]]の農地が流失または冠水しており、[[塩害]]も発生したため、がれきの撤去や土中の塩分の除去が進められた<ref>{{Cite news ja |url=http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY201104260554.html |title=水田の除塩完了に3年 2万ヘクタール 国が9割補助 |newspaper=『朝日新聞』 |date=2011-04-27 |accessdate=2011-05-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110426220553/http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY201104260554.html |archivedate=2011-04-26}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110430ddm003040086000c.html |title=東日本大震災:被災地の太平洋沿岸、進む地盤沈下 冠水被害招く |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-04-30 |accessdate=2011-05-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110504012056/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110430ddm003040086000c.html |archivedate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110425-OYT1T01386.htm |title=農地塩害、9地区1400世帯が集団移転検討 |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-26 |accessdate=2011-05-22 |archiveurl=https://archive.is/20130501065327/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110425-OYT1T01386.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。
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Flooded with high-tide.JPG|満潮で冠水する[[国道398号]](2011年3月30日、宮城県石巻市湊町2丁目・吉野町付近)
Flooded with high-tide.JPG|満潮で冠水する[[国道398号]](2011年3月30日、宮城県石巻市湊町2丁目・吉野町付近)
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=== 火災 ===
=== 火災 ===
津波被害の大きかった宮城県を中心に、330件の火災が発生した<ref>[http://www.fdma.go.jp/bn/higaihou_new.html 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)被害報] 総務省消防庁</ref><ref>「[https://doi.org/10.2208/jscejseee.70.I_1107 2011年東北地方太平洋沖地震における地震型火災の特徴]」『地震工学論文集』第33巻 『土木学会論文集A1(構造・地震工学)』Vol.70 (2014) No.4 p.I_1107-I_1117</ref>。そのうち、出火原因の159件(約40%)が[[津波火災]]<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASFDZ5JBKFDZPTIL012.html |title=火災の4割、津波が原因 東日本大震災、学会調査 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |date=2014-01-13 |author=野呂雅之 |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://archive.is/20141111063824/http://www.asahi.com/articles/ASFDZ5JBKFDZPTIL012.html |archivedate=2014-11-11}}</ref>、約30%が[[電気火災]]であった<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASGB75K72GB7PIHB021.html|newspaper=朝日新聞|date=2014-10-12|author=赤井陽介|accessdate=2015-3-14|archiveurl=https://archive.is/3ZpZO|archivedate=2014-10-12|title=東日本大震災の出火、3割が電気火災 政府、対策検討へ}}</ref>。また、停電下の避難中に灯りとして使用していた[[蠟燭]]などからの火災による死者も報告されている<ref name="nilim140319-14">{{Cite web|和書|author=岩見達也 |url=http://www.nilim.go.jp/lab/bbg/saigai/h23tohoku/houkoku4/happyou/140319-14.pdf |title=東日本大震災における火災の実態と今後の取り組み |format=PDF |publisher=[[国土技術政策総合研究所|総合技術政策研究センター]] |date=2014-03-14 |accessdate=2015-03-17}}</ref>。他に、数日から数週間後に堆積していたがれきが[[バクテリア]]などによる[[発酵]]で加熱して発火<ref>「[https://doi.org/10.11196/kasai.62.49 発酵による発熱を原因とした瓦礫類の火災危険性について]」『日本火災学会論文集』Vol.62 (2012) No.2_3 p.49-57</ref>した事例や、海水に浸水した車両の[[電装]]部が劣化して発火した事例も報告された<ref name="nilim140319-14" />。
津波被害の大きかった宮城県を中心に、330件の火災が発生した<ref>[http://www.fdma.go.jp/bn/higaihou_new.html 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)被害報] 総務省消防庁</ref><ref>「[https://doi.org/10.2208/jscejseee.70.I_1107 2011年東北地方太平洋沖地震における地震型火災の特徴]」『地震工学論文集』第33巻 『土木学会論文集A1(構造・地震工学)』Vol.70 (2014) No.4 p.I_1107-I_1117</ref>。そのうち、出火原因の159件(約40%)が[[津波火災]]<ref>{{Cite news ja |url=http://www.asahi.com/articles/ASFDZ5JBKFDZPTIL012.html |title=火災の4割、津波が原因 東日本大震災、学会調査 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |date=2014-01-13 |author=野呂雅之 |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://archive.is/20141111063824/http://www.asahi.com/articles/ASFDZ5JBKFDZPTIL012.html |archivedate=2014-11-11}}</ref>、約30%が[[電気火災]]であった<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASGB75K72GB7PIHB021.html|newspaper=朝日新聞|date=2014-10-12|author=赤井陽介|accessdate=2015-3-14|archiveurl=https://archive.is/3ZpZO|archivedate=2014-10-12|title=東日本大震災の出火、3割が電気火災 政府、対策検討へ}}</ref>。また、停電下の避難中に灯りとして使用していた[[蠟燭]]などからの火災による死者も報告されている<ref name="nilim140319-14">{{Cite web|和書|author=岩見達也 |url=http://www.nilim.go.jp/lab/bbg/saigai/h23tohoku/houkoku4/happyou/140319-14.pdf |title=東日本大震災における火災の実態と今後の取り組み |format=PDF |publisher=[[国土技術政策総合研究所|総合技術政策研究センター]] |date=2014-03-14 |accessdate=2015-03-17}}</ref>。他に、数日から数週間後に堆積していたがれきが[[バクテリア]]などによる[[発酵]]で加熱して発火<ref>「[https://doi.org/10.11196/kasai.62.49 発酵による発熱を原因とした瓦礫類の火災危険性について]」『日本火災学会論文集』Vol.62 (2012) No.2_3 p.49-57</ref>した事例や、海水に浸水した車両の[[電装]]部が劣化して発火した事例も報告された<ref name="nilim140319-14" />。


;[[津波火災]]
;[[津波火災]]
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[[画像:Rokko-Bridge fell,Namegata-city,Japan.jpg|200px|thumb|崩落した[[鹿行大橋]](2011年3月27日、茨城県[[行方市]])]]
[[画像:Rokko-Bridge fell,Namegata-city,Japan.jpg|200px|thumb|崩落した[[鹿行大橋]](2011年3月27日、茨城県[[行方市]])]]


警察庁は2019年12月10日時点、4,198箇所で道路の損壊があったと発表している<ref name="NPA" />。岩手県[[山田町]]の船越半島や宮城県の[[南三陸町]]、[[牡鹿半島]]などにつながる道路が寸断され、岩手・宮城・福島の3県で少なくとも1万6000人<!--別の数字があれば修正を-->が孤立した<ref name="朝日0314-25" /><ref name="朝日0315-23">『朝日新聞』2011年3月15日23面</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月19日朝刊5面</ref>。また、茨城県では[[霞ヶ浦|北浦]]に架かる[[鹿行大橋]]の一部が崩落した<ref>{{Cite news |date=2011-04-30 |url=http://www.ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13040943427609 |title=鹿行大橋崩落 新橋完成、来夏に前倒し |publisher=『[[茨城新聞]]』 |accessdate=2011-07-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120517054212/http://www.ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13040943427609 |archivedate=2012-05-17}}</ref>。[[首都高速道路]]でも[[首都高速湾岸線|湾岸線]]を中心に被害が発生し<ref>[https://web.archive.org/web/20110318175556/http://www.shutoko.jp/company/press/h22/0314.html 東北地方太平洋沖地震による影響及び対応について(2011年3月14日)](2011年3月18日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、高架橋に破損箇所が発生した[[新木場]]出入口 - [[葛西ジャンクション]]間が3月22日、[[大黒ジャンクション]]連絡路が3月27日まで通行止めとなった。
警察庁は2019年12月10日時点、4,198箇所で道路の損壊があったと発表している<ref name="NPA" />。岩手県[[山田町]]の船越半島や宮城県の[[南三陸町]]、[[牡鹿半島]]などにつながる道路が寸断され、岩手・宮城・福島の3県で少なくとも1万6000人<!--別の数字があれば修正を-->が孤立した<ref name="朝日0314-25" /><ref name="朝日0315-23">『朝日新聞』2011年3月15日23面</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月19日朝刊5面</ref>。また、茨城県では[[霞ヶ浦|北浦]]に架かる[[鹿行大橋]]の一部が崩落した<ref>{{Cite news ja |date=2011-04-30 |url=http://www.ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13040943427609 |title=鹿行大橋崩落 新橋完成、来夏に前倒し |publisher=『[[茨城新聞]]』 |accessdate=2011-07-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120517054212/http://www.ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13040943427609 |archivedate=2012-05-17}}</ref>。[[首都高速道路]]でも[[首都高速湾岸線|湾岸線]]を中心に被害が発生し<ref>[https://web.archive.org/web/20110318175556/http://www.shutoko.jp/company/press/h22/0314.html 東北地方太平洋沖地震による影響及び対応について(2011年3月14日)](2011年3月18日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、高架橋に破損箇所が発生した[[新木場]]出入口 - [[葛西ジャンクション]]間が3月22日、[[大黒ジャンクション]]連絡路が3月27日まで通行止めとなった。


[[東日本高速道路]](NEXCO東日本)管内の[[高速道路]]では、広範囲の路線で通行止めとなった。[[東北自動車道]]の[[浦和インターチェンジ]] - [[碇ヶ関インターチェンジ]]間、[[秋田自動車道]]・[[釜石自動車道]]・[[八戸自動車道]]の一部、[[常磐自動車道]]の[[三郷ジャンクション]]以北<ref group="注">緊急交通路指定には[[首都高速6号三郷線|首都高三郷線]]・八潮南出口 - 三郷ジャンクション(下り)、三郷ジャンクション - 八潮入口(上り)を含む。</ref>、[[磐越自動車道]]の[[津川インターチェンジ]]以東などが[[公安委員会]]により[[緊急交通路]]に指定され、[[緊急自動車|緊急車両]]専用となった<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.e-nexco.co.jp/pressroom/kanto/2011/0311/00007791.html |title=(第18報)東北地方太平洋沖地震に伴う高速道路の状況について(関東支社) |publisher=東日本高速道路 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。3月24日6時に全区間で通行止めが解除され、一般車両の通行が可能となったが<ref>{{Cite news |date=2011-03-24 |url=http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210324010.html |title=【地震】東北道13日ぶり全線で通行止め解除 |publisher=テレビ朝日 |accessdate=2011-03-24}}{{リンク切れ|date=2014年10月27日}}</ref>、常磐自動車道の[[広野インターチェンジ]] - [[常磐富岡インターチェンジ]]間は、福島第一原子力発電所事故の旧[[警戒区域]]内が2014年2月22日3年ぶりに再開通(通行再開)した。当初2011年度に予定されていた常磐富岡インターチェンジ - [[相馬インターチェンジ]]間は、開通が延期された。なお、旧警戒区域外の[[南相馬インターチェンジ]]以北が2012年4月8日に先行開通した。その後、[[浪江インターチェンジ]] - 南相馬インターチェンジ間は[[2014年]]12月6日、常磐富岡インターチェンジ-浪江インターチェンジ間も[[2015年]][[3月1日]]に開通し、この日をもって常磐自動車道は全線開通した。
[[東日本高速道路]](NEXCO東日本)管内の[[高速道路]]では、広範囲の路線で通行止めとなった。[[東北自動車道]]の[[浦和インターチェンジ]] - [[碇ヶ関インターチェンジ]]間、[[秋田自動車道]]・[[釜石自動車道]]・[[八戸自動車道]]の一部、[[常磐自動車道]]の[[三郷ジャンクション]]以北<ref group="注">緊急交通路指定には[[首都高速6号三郷線|首都高三郷線]]・八潮南出口 - 三郷ジャンクション(下り)、三郷ジャンクション - 八潮入口(上り)を含む。</ref>、[[磐越自動車道]]の[[津川インターチェンジ]]以東などが[[公安委員会]]により[[緊急交通路]]に指定され、[[緊急自動車|緊急車両]]専用となった<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.e-nexco.co.jp/pressroom/kanto/2011/0311/00007791.html |title=(第18報)東北地方太平洋沖地震に伴う高速道路の状況について(関東支社) |publisher=東日本高速道路 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。3月24日6時に全区間で通行止めが解除され、一般車両の通行が可能となったが<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-24 |url=http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210324010.html |title=【地震】東北道13日ぶり全線で通行止め解除 |publisher=テレビ朝日 |accessdate=2011-03-24}}{{リンク切れ|date=2014年10月27日}}</ref>、常磐自動車道の[[広野インターチェンジ]] - [[常磐富岡インターチェンジ]]間は、福島第一原子力発電所事故の旧[[警戒区域]]内である2014年2月22日3年ぶりに再開通(通行再開)した。当初2011年度に予定されていた常磐富岡インターチェンジ - [[相馬インターチェンジ]]間は、開通が延期された。なお、旧警戒区域外の[[南相馬インターチェンジ]]以北が2012年4月8日に先行開通した。その後、[[浪江インターチェンジ]] - 南相馬インターチェンジ間は[[2014年]]12月6日、常磐富岡インターチェンジ-浪江インターチェンジ間も[[2015年]][[3月1日]]に開通し、この日をもって常磐自動車道は全線開通した。


[[東北地方整備局]]は沿岸部の都市への救援のため[[くしの歯作戦]]を実行した。
[[東北地方整備局]]は沿岸部の都市への救援のため[[くしの歯作戦]]を実行した。
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[[画像:Shinchi Sta 20110404.jpg|200px|thumb|津波により駅舎が全壊した[[新地駅]](2011年4月4日、福島県[[相馬郡]])]]
[[画像:Shinchi Sta 20110404.jpg|200px|thumb|津波により駅舎が全壊した[[新地駅]](2011年4月4日、福島県[[相馬郡]])]]
[[画像:津谷川橋 (被災後).jpg|200px|thumb|津波により落橋したJR気仙沼線の津谷川橋(2011年4月6日、宮城県[[気仙沼市]])]]
[[画像:津谷川橋 (被災後).jpg|200px|thumb|津波により落橋したJR気仙沼線の津谷川橋(2011年4月6日、宮城県[[気仙沼市]])]]
[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)管内の[[東北新幹線]]では、[[仙台駅]]など5つの[[鉄道駅|駅]]が被害を受けたほか<ref name="sankei0316">{{Cite news |date=2011-03-16 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031614280054-n1.htm |title=電柱折れや架線断線…東北新幹線、被害は約590カ所 |publisher=『産経新聞』 |accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110319163300/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031614280054-n1.htm |archivedate=2011-03-19}}</ref>、[[電柱]]や[[架線]]、[[高架橋]]の[[橋脚]]など約1,100箇所が損傷した<ref>{{Cite news |date=2011-03-17 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031722130140-n1.htm |title=新幹線の被害1100カ所 「復旧はかなりの時間」とJR |publisher=『産経新聞』 |accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321011940/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031722130140-n1.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。また、[[気仙沼線]]など[[在来線]]7線区で23駅が流失、[[線路 (鉄道)|線路]]が約60キロメートルにわたって流されるなどの被害が発生した<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110405-OYT1T00818.htm |title=廃線懸念の津波被害7路線、JR東が復旧明言 |publisher=『読売新聞』 |date=2011-04-05 |accessdate=2011-04-06 |archiveurl=https://archive.is/20120918153105/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110405-OYT1T00818.htm |archivedate=2012-09-18}}</ref>。
[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)管内の[[東北新幹線]]では、[[仙台駅]]など5つの[[鉄道駅|駅]]が被害を受けたほか<ref name="sankei0316">{{Cite news ja |date=2011-03-16 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031614280054-n1.htm |title=電柱折れや架線断線…東北新幹線、被害は約590カ所 |publisher=『産経新聞』 |accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110319163300/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031614280054-n1.htm |archivedate=2011-03-19}}</ref>、[[電柱]]や[[架線]]、[[高架橋]]の[[橋脚]]など約1,100箇所が損傷した<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-17 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031722130140-n1.htm |title=新幹線の被害1100カ所 「復旧はかなりの時間」とJR |publisher=『産経新聞』 |accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321011940/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031722130140-n1.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。また、[[気仙沼線]]など[[在来線]]7線区で23駅が流失、[[線路 (鉄道)|線路]]が約60キロメートルにわたって流されるなどの被害が発生した<ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110405-OYT1T00818.htm |title=廃線懸念の津波被害7路線、JR東が復旧明言 |publisher=『読売新聞』 |date=2011-04-05 |accessdate=2011-04-06 |archiveurl=https://archive.is/20120918153105/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110405-OYT1T00818.htm |archivedate=2012-09-18}}</ref>。


[[三陸鉄道]]は[[三陸鉄道北リアス線|北リアス線]]と[[三陸鉄道南リアス線|南リアス線]]が線路流出や高架橋の決壊などで、一時全線不通となった。その後、復旧工事が進められ順次営業を再開し<ref name="kahoku20111104">{{cite news |url=http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20111104_03.htm |title=三陸鉄道の復旧本格化 久慈―田野畑間、来春開通 |publisher=『河北新報』 |date=2011-11-04 |accessdate=2011-11-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111119193438/http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20111104_03.htm |archivedate=2011-11-19}}</ref>、2014年4月5日に南リアス線、翌6日に北リアス線が全区間で営業運転を再開した<ref>[https://web.archive.org/web/20140209152810/http://www.sanrikutetsudou.com/2014/01/%E4%B8%89%E9%99%B8%E9%89%84%E9%81%93%E5%85%A8%E7%B7%9A%E9%81%8B%E8%BB%A2%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%AD%89%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html 三陸鉄道公式サイト(2014年1月17日:全線運行再開等について)](2014年2月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。このほか、[[仙台空港]]へ押し寄せた津波により[[仙台空港鉄道仙台空港線]]の[[仙台空港駅]]も甚大な被害を受けた。
[[三陸鉄道]]は[[三陸鉄道北リアス線|北リアス線]]と[[三陸鉄道南リアス線|南リアス線]]が線路流出や高架橋の決壊などで、一時全線不通となった。その後、復旧工事が進められ順次営業を再開し<ref name="kahoku20111104">{{Cite news ja |url=http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20111104_03.htm |title=三陸鉄道の復旧本格化 久慈―田野畑間、来春開通 |publisher=『河北新報』 |date=2011-11-04 |accessdate=2011-11-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111119193438/http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20111104_03.htm |archivedate=2011-11-19}}</ref>、2014年4月5日に南リアス線、翌6日に北リアス線が全区間で営業運転を再開した<ref>[https://web.archive.org/web/20140209152810/http://www.sanrikutetsudou.com/2014/01/%E4%B8%89%E9%99%B8%E9%89%84%E9%81%93%E5%85%A8%E7%B7%9A%E9%81%8B%E8%BB%A2%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%AD%89%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html 三陸鉄道公式サイト(2014年1月17日:全線運行再開等について)](2014年2月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。このほか、[[仙台空港]]へ押し寄せた津波により[[仙台空港鉄道仙台空港線]]の[[仙台空港駅]]も甚大な被害を受けた。


地震発生直後より、JR東日本は[[新幹線]]と在来線の運転を終日運転見合わせ、関東・[[首都圏 (日本)|首都圏]]では[[私鉄]]と[[地下鉄]]の全線が運行を停止した<ref name="mainichi-20110311-1921">{{Cite news |date=2011-03-11 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040056000c.html |title=地震:運転見合わせ JR東、私鉄、地下鉄など |publisher=毎日jp(毎日新聞) |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313233716/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040056000c.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。このため、職場などから自宅へ帰宅することが困難となった[[帰宅困難者]]が首都圏で推計約515万人発生<ref name="msn1122">[https://web.archive.org/web/20111122210343/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/dst11112221500012-n1.htm 【東日本大震災】帰宅困難者 推計515万人 震災当日の首都圏 都は備蓄条例提案へ](2011年11月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - MSN産経ニュース、2011年11月22日。</ref>、そのうち自治体が用意した待機場所で11万人以上<ref name="nikkei-20110312-0035">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNNS0010012_R10C11A3000000/ |title=帰宅困難者、2万人超 都庁舎など避難所に |publisher=『日本経済新聞』 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref><ref>{{Cite news |title=大震災、都内の帰宅困難者は9万人以上 首都圏白書 |date=2011-06-14 |author=内藤尚志 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106140148.html |accessdate=2015-03-18}}</ref>、国などの公的施設も待機場所として開放され、そこでも多数が交通機関復帰まで留まった<ref>{{Cite news |date=2011-03-12 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040150000c.html |title=地震:国の施設を一時提供 帰宅困難者に |publisher=毎日jp(毎日新聞) |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313192700/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040150000c.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。首都圏の鉄道各線の運転再開時刻については「[[東日本大震災による帰宅困難者#首都圏の鉄道会社への影響]]」を参照。また、3月14日からは[[輪番停電|計画停電]]の影響などにより、各路線で列車の[[運転整理|運休]]、減便などが行われた<ref>{{Cite web|和書|date=2011-03-14 |url=http://gigazine.net/news/20110314_train_rolling_blackouts/ |title=計画停電での首都圏鉄道各社の運行予定まとめ |publisher=GIGAZINE |accessdate=2011-03-18}}</ref><ref>{{Cite news |title=計画停電に被災地「被災状況の考慮不足」と東電陳謝 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103140446.html |newspaper=『朝日新聞』 |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-26}}</ref><ref name="mutsu0318">{{Cite news |date=2011-03-18 |url=http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15540.html |title=JR五能線 一部再開へ |publisher=『[[陸奥新報]]』 |accessdate=2011-03-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110319174045/http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15540.html |archivedate=2011-03-19}}</ref>。
地震発生直後より、JR東日本は[[新幹線]]と在来線の運転を終日運転見合わせ、関東・[[首都圏 (日本)|首都圏]]では[[私鉄]]と[[地下鉄]]の全線が運行を停止した<ref name="mainichi-20110311-1921">{{Cite news ja |date=2011-03-11 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040056000c.html |title=地震:運転見合わせ JR東、私鉄、地下鉄など |publisher=毎日jp(毎日新聞) |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313233716/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040056000c.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。このため、職場などから自宅へ帰宅することが困難となった[[帰宅困難者]]が首都圏で推計約515万人発生<ref name="msn1122">[https://web.archive.org/web/20111122210343/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111122/dst11112221500012-n1.htm 【東日本大震災】帰宅困難者 推計515万人 震災当日の首都圏 都は備蓄条例提案へ](2011年11月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - MSN産経ニュース、2011年11月22日。</ref>、そのうち自治体が用意した待機場所で11万人以上<ref name="nikkei-20110312-0035">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNNS0010012_R10C11A3000000/ |title=帰宅困難者、2万人超 都庁舎など避難所に |publisher=『日本経済新聞』 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=大震災、都内の帰宅困難者は9万人以上 首都圏白書 |date=2011-06-14 |author=内藤尚志 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106140148.html |accessdate=2015-03-18}}</ref>、国などの公的施設も待機場所として開放され、そこでも多数が交通機関復帰まで留まった<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-12 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040150000c.html |title=地震:国の施設を一時提供 帰宅困難者に |publisher=毎日jp(毎日新聞) |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313192700/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110312k0000m040150000c.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。首都圏の鉄道各線の運転再開時刻については「[[東日本大震災による帰宅困難者#首都圏の鉄道会社への影響]]」を参照。また、3月14日からは[[輪番停電|計画停電]]の影響などにより、各路線で列車の[[運転整理|運休]]、減便などが行われた<ref>{{Cite web|和書|date=2011-03-14 |url=http://gigazine.net/news/20110314_train_rolling_blackouts/ |title=計画停電での首都圏鉄道各社の運行予定まとめ |publisher=GIGAZINE |accessdate=2011-03-18}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=計画停電に被災地「被災状況の考慮不足」と東電陳謝 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103140446.html |newspaper=『朝日新聞』 |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-26}}</ref><ref name="mutsu0318">{{Cite news ja |date=2011-03-18 |url=http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15540.html |title=JR五能線 一部再開へ |publisher=『[[陸奥新報]]』 |accessdate=2011-03-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110319174045/http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/03/15540.html |archivedate=2011-03-19}}</ref>。
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==== 航空 ====
==== 航空 ====
[[画像:SendaiAirportMarch16.jpg|200px|thumb|津波の影響で泥水が堆積している[[仙台空港]](2011年3月13日、宮城県名取市)]]
[[画像:SendaiAirportMarch16.jpg|200px|thumb|津波の影響で泥水が堆積している[[仙台空港]](2011年3月13日、宮城県名取市)]]
[[仙台空港]]は[[滑走路]]が津波で冠水し、[[空港ターミナルビル]]も大きな被害を受けたため、離着陸を停止した<ref>{{Cite news |title=【ドキュメント(1)】東北地方大地震 屋上に約100人取り残される |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201103110206.html |newspaper=『[[中国新聞]]』 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314165240/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201103110206.html |archivedate=2011-03-14}}</ref><ref name="mainichi-20110311-2307">{{Cite news |date=2011-03-11 |url=http://mainichi.jp/select/today/news/20110312k0000m040156000c.html |title=地震:1300人が救助待つ 仙台空港ビル |publisher=毎日jp(毎日新聞) |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314061651/http://mainichi.jp/select/today/news/20110312k0000m040156000c.html |archivedate=2011-03-14}}</ref>。津波により1階は完全に水没し、助けを待っていた約1,200人が孤立していたが、13日にほぼ全員が救出された<ref name="sendaikuukou">{{Cite news |title=一時は緊張の仙台空港ビル 1200人ほぼ全員救出 自衛隊、泥の海に阻まれ近づけず |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110313/dst11031319000085-n1.html |newspaper=産経新聞 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。また、ターミナルビルのほか、空港設備・作業車両なども大きな被害を受けた。津波により空港に駐機、および地上施設内で整備中の航空機がほぼ全滅することとなった<ref group="注">幸い、地震発生時は定期発着便の当発着時間を外れていたため、離着陸中の旅客機はおらず、それら乗客乗員の被害はなかった。</ref>。これらの被害機の中には、[[海上保安庁]]の第二管区海上保安本部仙台航空基地所属の航空機が多数含まれている。
[[仙台空港]]は[[滑走路]]が津波で冠水し、[[空港ターミナルビル]]も大きな被害を受けたため、離着陸を停止した<ref>{{Cite news ja |title=【ドキュメント(1)】東北地方大地震 屋上に約100人取り残される |url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201103110206.html |newspaper=『[[中国新聞]]』 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314165240/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201103110206.html |archivedate=2011-03-14}}</ref><ref name="mainichi-20110311-2307">{{Cite news ja |date=2011-03-11 |url=http://mainichi.jp/select/today/news/20110312k0000m040156000c.html |title=地震:1300人が救助待つ 仙台空港ビル |publisher=毎日jp(毎日新聞) |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314061651/http://mainichi.jp/select/today/news/20110312k0000m040156000c.html |archivedate=2011-03-14}}</ref>。津波により1階は完全に水没し、助けを待っていた約1,200人が孤立していたが、13日にほぼ全員が救出された<ref name="sendaikuukou">{{Cite news ja |title=一時は緊張の仙台空港ビル 1200人ほぼ全員救出 自衛隊、泥の海に阻まれ近づけず |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110313/dst11031319000085-n1.html |newspaper=産経新聞 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。また、ターミナルビルのほか、空港設備・作業車両なども大きな被害を受けた。津波により空港に駐機、および地上施設内で整備中の航空機がほぼ全滅することとなった<ref group="注">幸い、地震発生時は定期発着便の当発着時間を外れていたため、離着陸中の旅客機はおらず、それら乗客乗員の被害はなかった。</ref>。これらの被害機の中には、[[海上保安庁]]の第二管区海上保安本部仙台航空基地所属の航空機が多数含まれている。


4月13日から[[日本航空]]が国内線の一部で1か月ぶりに運航を再開し<ref>{{Cite news |title=仙台空港、13日から一部国内線の利用再開 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00491.htm |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-08 |accessdate=2011-04-08 |archiveurl=https://archive.is/20130501053755/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00491.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>、7月25日に約4か月半ぶりに国内線定期便の運航を再開<ref>{{Cite news |title=東日本大震災:4カ月半ぶり定期便、仙台空港が再出発 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110725dde041040019000c.html |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-07-25 |accessdate=2011-07-25}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。9月25日には空港ビルも完全復旧し、国際線定期便の運航が再開された<ref>{{Cite news |title=被災の仙台空港が全面復旧、国際定期便が再開 |url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/110925/trd11092517450008-n1.htm |newspaper=産経新聞 |date=2011-09-25 |accessdate=2011-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110925225223/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110925/trd11092517450008-n1.htm |archivedate=2011-09-25}}</ref>。仙台空港の機能回復のため[[国土交通省]]では、排水路などの障害物の除去による自然排水の促進のほか、国土交通省が全国に配備している排水ポンプ車25台を集め、3月20日より広範囲の浸水解消を重点的、機動的に実施した<ref>{{Cite web|和書|title=仙台空港再生の第一歩 |publisher=[[地方整備局|国土交通省東北地方整備局]] |format=PDF |url=http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/k00360/taiheiyouokijishinn/senndaikuukou/natoriiwanuma4.pdf |date=2011-03-24 |accessdate=2012-05-19}}</ref>。
4月13日から[[日本航空]]が国内線の一部で1か月ぶりに運航を再開し<ref>{{Cite news ja |title=仙台空港、13日から一部国内線の利用再開 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00491.htm |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-08 |accessdate=2011-04-08 |archiveurl=https://archive.is/20130501053755/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00491.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>、7月25日に約4か月半ぶりに国内線定期便の運航を再開<ref>{{Cite news ja |title=東日本大震災:4カ月半ぶり定期便、仙台空港が再出発 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110725dde041040019000c.html |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-07-25 |accessdate=2011-07-25}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。9月25日には空港ビルも完全復旧し、国際線定期便の運航が再開された<ref>{{Cite news ja |title=被災の仙台空港が全面復旧、国際定期便が再開 |url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/110925/trd11092517450008-n1.htm |newspaper=産経新聞 |date=2011-09-25 |accessdate=2011-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110925225223/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110925/trd11092517450008-n1.htm |archivedate=2011-09-25}}</ref>。仙台空港の機能回復のため[[国土交通省]]では、排水路などの障害物の除去による自然排水の促進のほか、国土交通省が全国に配備している排水ポンプ車25台を集め、3月20日より広範囲の浸水解消を重点的、機動的に実施した<ref>{{Cite web|和書|title=仙台空港再生の第一歩 |publisher=[[地方整備局|国土交通省東北地方整備局]] |format=PDF |url=http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/k00360/taiheiyouokijishinn/senndaikuukou/natoriiwanuma4.pdf |date=2011-03-24 |accessdate=2012-05-19}}</ref>。


[[花巻空港]](岩手県)は旅客の対応が当面不可能として定期便の運航を停止し、緊急輸送のみを対象に3月11日18時50分から運用を再開した。[[三沢飛行場|三沢空港]](青森県)も18時50分に運用を再開した。[[福島空港]]はタワーのガラスが全壊したものの運用可能であったため、閉鎖された仙台空港の代替として[[関西]]や[[札幌市|札幌]]([[北海道]])と結ぶ臨時便を運航することになった。[[山形空港]]は停電で運用を停止していたが、3月12日4時から運用を再開し、臨時的に24時間運用を開始した<ref>{{Cite news |url=http://yamagata-np.jp/news/201103/13/kj_2011031300283.php |title=県内の停電が全面復旧 山形空港、運用24時間化に |publisher=『[[山形新聞]]』 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314203724/http://yamagata-np.jp/news/201103/13/kj_2011031300283.php |archivedate=2011-03-14}}</ref>。茨城県[[小美玉市]]の[[百里飛行場|茨城空港]]はターミナルビルの天井の一部が落下<ref>{{Cite news |title=地震:成田空港の滑走路が全面閉鎖 羽田は着陸のみ運用 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110311k0000e040108000c.html |newspaper=毎日新聞 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313191515/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110311k0000e040108000c.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。3月12日には空港を閉鎖し、全ての便が欠航になった<ref>{{Cite news |title=茨城空港閉鎖し全便欠航に |newspaper=NHKニュース([[NHK水戸放送局]]) |url=http://www.nhk.or.jp/lnews/mito/1074617121.html |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。茨城空港は14日から定期便の発着を再開し、花巻空港も17日にターミナルビルの営業を再開した<ref>{{Cite news |title=茨城空港、14日再開=岩手・花巻も17日から |newspaper=時事通信 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031300355 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。
[[花巻空港]](岩手県)は旅客の対応が当面不可能として定期便の運航を停止し、緊急輸送のみを対象に3月11日18時50分から運用を再開した。[[三沢飛行場|三沢空港]](青森県)も18時50分に運用を再開した。[[福島空港]]はタワーのガラスが全壊したものの運用可能であったため、閉鎖された仙台空港の代替として[[関西]]や[[札幌市|札幌]]([[北海道]])と結ぶ臨時便を運航することになった。[[山形空港]]は停電で運用を停止していたが、3月12日4時から運用を再開し、臨時的に24時間運用を開始した<ref>{{Cite news ja |url=http://yamagata-np.jp/news/201103/13/kj_2011031300283.php |title=県内の停電が全面復旧 山形空港、運用24時間化に |publisher=『[[山形新聞]]』 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314203724/http://yamagata-np.jp/news/201103/13/kj_2011031300283.php |archivedate=2011-03-14}}</ref>。茨城県[[小美玉市]]の[[百里飛行場|茨城空港]]はターミナルビルの天井の一部が落下<ref>{{Cite news ja |title=地震:成田空港の滑走路が全面閉鎖 羽田は着陸のみ運用 |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110311k0000e040108000c.html |newspaper=毎日新聞 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313191515/http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110311k0000e040108000c.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。3月12日には空港を閉鎖し、全ての便が欠航になった<ref>{{Cite news ja |title=茨城空港閉鎖し全便欠航に |newspaper=NHKニュース([[NHK水戸放送局]]) |url=http://www.nhk.or.jp/lnews/mito/1074617121.html |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。茨城空港は14日から定期便の発着を再開し、花巻空港も17日にターミナルビルの営業を再開した<ref>{{Cite news ja |title=茨城空港、14日再開=岩手・花巻も17日から |newspaper=時事通信 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031300355 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。


空港内の震度計が震度5強を記録し、長距離を飛行して燃料残量が少ない多数の国際線航空機が向かっていた<ref group="注">当時の東京国際空港は本格的な再国際化が進んでおらず国内線と国際チャーター便だけであった。</ref>[[成田国際空港]]([[千葉県]][[成田市]])や、震度5強を記録した[[東京国際空港]]([[東京都]][[大田区]])安全確認のために地震発生直後にすべての離着陸を中止、空港を閉鎖したため、両空港に向かっていた航空機86機が降りられなくなり、[[中部国際空港]]([[愛知県]][[常滑市]])や[[関西国際空港]]([[大阪府]][[泉佐野市]])、[[新千歳空港]]([[北海道]][[千歳市]])や[[横田飛行場|横田基地]]([[東京都]][[立川市]]、[[昭島市]]、[[福生市]]、[[武蔵村山市]]、[[羽村市]]、[[瑞穂町]])へ[[ダイバート|ダイバート(代替着陸)]]した。茨城空港も滑走路には異常がなかったことと、自衛隊共用であるため有事の際には航空自衛隊の援助が受けられるとして2機を受け入れている<ref group="注">なお、自衛隊[[百里飛行場|百里航空基地]]としては上空からの監視のための[[F-2 (航空機)|F-2]]の発着や、陸上自衛隊の[[CH-47]][[ヘリコプター]]の中継基地として稼働している。</ref>。なお、このうちの14機は燃料不足で「緊急事態宣言」を出した。羽田空港は一部の施設に損傷が確認されたものの当日中に安全が確認され再開されたが、[[空港ターミナルビル|旅客ターミナル]]や施設の一部に損傷が起きた成田空港の再開は12日朝に持ち越された。しかし、[[京成電鉄]]とJR東日本が12日午後まで運休となった上、東京の都心部との間の[[リムジンバス]]の運行も12日夜まで運休するなど成田空港への[[公共交通機関]]によるアクセスが一時的に断絶した。なお、福島第一原子力発電所事故発生後に[[国際民間航空機関]] (ICAO)、[[国際航空運送協会]] (IATA)、および[[世界保健機関]] (WHO) から、日本への渡航について「健康上のリスクは認められない」とする声明が出された<ref>{{Cite news |title=国際機関等海外からのメッセージ |url=http://www.mlit.go.jp/koku/flyjapan/press.html |accessdate=2011-05-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110514121922/http://www.mlit.go.jp/koku/flyjapan/press.html |archivedate=2011-05-14}}</ref>にもかかわらず、[[ルフトハンザドイツ航空]]や[[アリタリア-イタリア航空]]などの一部の外国航空会社が、放射能の影響や余震を恐れて成田空港への発着便を中部国際空港や関西国際空港への発着に切り替えた。
空港内の震度計が震度5強を記録し、長距離を飛行して燃料残量が少ない多数の国際線航空機が向かっていた<ref group="注">当時の東京国際空港は本格的な再国際化が進んでおらず国内線と国際チャーター便だけであった。</ref>[[成田国際空港]]([[千葉県]][[成田市]])や、震度5強を記録した[[東京国際空港]]([[東京都]][[大田区]])安全確認のために地震発生直後にすべての離着陸を中止、空港を閉鎖したため、両空港に向かっていた航空機86機が降りられなくなり、[[中部国際空港]]([[愛知県]][[常滑市]])や[[関西国際空港]]([[大阪府]][[泉佐野市]])、[[新千歳空港]]([[北海道]][[千歳市]])や[[横田飛行場|横田基地]]([[東京都]][[立川市]]、[[昭島市]]、[[福生市]]、[[武蔵村山市]]、[[羽村市]]、[[瑞穂町]])へ[[ダイバート|ダイバート(代替着陸)]]した。茨城空港も滑走路には異常がなかったことと、自衛隊共用であるため有事の際には航空自衛隊の援助が受けられるとして2機を受け入れている<ref group="注">なお、自衛隊[[百里飛行場|百里航空基地]]としては上空からの監視のための[[F-2 (航空機)|F-2]]の発着や、陸上自衛隊の[[CH-47]][[ヘリコプター]]の中継基地として稼働している。</ref>。なお、このうちの14機は燃料不足で「緊急事態宣言」を出した。羽田空港は一部の施設に損傷が確認されたものの当日中に安全が確認され再開されたが、[[空港ターミナルビル|旅客ターミナル]]や施設の一部に損傷が起きた成田空港の再開は12日朝に持ち越された。しかし、[[京成電鉄]]とJR東日本が12日午後まで運休となった上、東京の都心部との間の[[リムジンバス]]の運行も12日夜まで運休するなど成田空港への[[公共交通機関]]によるアクセスが一時的に断絶した。なお、福島第一原子力発電所事故発生後に[[国際民間航空機関]] (ICAO)、[[国際航空運送協会]] (IATA)、および[[世界保健機関]] (WHO) から、日本への渡航について「健康上のリスクは認められない」とする声明が出された<ref>{{Cite news ja |title=国際機関等海外からのメッセージ |url=http://www.mlit.go.jp/koku/flyjapan/press.html |accessdate=2011-05-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110514121922/http://www.mlit.go.jp/koku/flyjapan/press.html |archivedate=2011-05-14}}</ref>にもかかわらず、[[ルフトハンザドイツ航空]]や[[アリタリア-イタリア航空]]などの一部の外国航空会社が、放射能の影響や余震を恐れて成田空港への発着便を中部国際空港や関西国際空港への発着に切り替えた。


=== 輸送 ===
=== 輸送 ===
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==== 水道 ====
==== 水道 ====
震災直後は、宮城・岩手・福島・茨城の4県を中心に北海道から愛知県まで広範囲にわたり、17道県の少なくとも約140万戸で[[断水]]が発生した。各地の水道事業者などで作る[[日本水道協会]]は、全国の応急[[給水車]]約210台に、東北・関東両地方の被災地への派遣を要請<ref>{{Cite news |title=断水、17道県140万戸 水道協会、給水車派遣を要請 |newspaper=[[共同通信|共同ニュース]] |url=http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031201000801.html |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130426183747/http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031201000801.html |archivedate=2013-04-26}}</ref>。[[中部地方|中部]]、[[近畿地方|近畿]]、[[中国地方|中国]]、[[四国]]、[[九州]]の主に西日本側の自治体の給水車が被災地へと派遣された。
震災直後は、宮城・岩手・福島・茨城の4県を中心に北海道から愛知県まで広範囲にわたり、17道県の少なくとも約140万戸で[[断水]]が発生した。各地の水道事業者などで作る[[日本水道協会]]は、全国の応急[[給水車]]約210台に、東北・関東両地方の被災地への派遣を要請<ref>{{Cite news ja |title=断水、17道県140万戸 水道協会、給水車派遣を要請 |newspaper=[[共同通信|共同ニュース]] |url=http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031201000801.html |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130426183747/http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031201000801.html |archivedate=2013-04-26}}</ref>。[[中部地方|中部]]、[[近畿地方|近畿]]、[[中国地方|中国]]、[[四国]]、[[九州]]の主に西日本側の自治体の給水車が被災地へと派遣された。


==== 物流 ====
==== 物流 ====
[[画像:東日本大震災 足立区内 コンビニエンスストア(セブンイレブン) 2014年3月11日.jpg|200px|thumb|配送停止により商品が激減したコンビニエンスストア(2011年3月11日、東京都[[足立区]]で撮影)]]
[[画像:東日本大震災 足立区内 コンビニエンスストア(セブンイレブン) 2014年3月11日.jpg|200px|thumb|配送停止により商品が激減したコンビニエンスストア(2011年3月11日、東京都[[足立区]]で撮影)]]
東北地方を中心に100局以上の[[郵便局]]に建物全壊や浸水などの大きな被害が出ており、また[[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部地震]]によるものや被害規模の小さいものも含め約600局の郵便局に被害が出た<ref name="600局">[https://archive.is/20130501173506/http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=1160 東日本大震災 長野県北部地震 郵便局 約600局が被害](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])『通信文化新報』2011年3月21日</ref><ref name="郵便ネットワーク">{{Cite news |title=東日本大震災/郵便ネットワーク、ダメージ深刻 |newspaper=『[[日刊工業新聞]]』 |page={{要ページ番号|date=2017年6月}} |date=2011-03-12 |accessdate=2015-03-18}}</ref>。このほか[[簡易郵便局]]、集配センターなどの郵便ネットワーク施設や、それら施設などで郵便業務に従事する者にも多くの被害が出た<ref name="600局" /><ref name="郵便ネットワーク" />。[[かんぽの宿]]松島には津波が3階まで押し寄せたが、130人以上の避難者とともに4階に移動し、12日には全員が救出された<ref name="600局" />。また、青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県で郵便物の配達が困難になり、北海道・東北6県・茨城県を差出元・差出先とする[[宅配便]]の引き受けを中止した<ref>{{Cite news |title=5県の太平洋岸で配達困難に=郵便物返却の場合も-東日本大震災 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2011031200603 |newspaper=時事通信 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。
東北地方を中心に100局以上の[[郵便局]]に建物全壊や浸水などの大きな被害が出ており、また[[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部地震]]によるものや被害規模の小さいものも含め約600局の郵便局に被害が出た<ref name="600局">[https://archive.is/20130501173506/http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=1160 東日本大震災 長野県北部地震 郵便局 約600局が被害](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]])『通信文化新報』2011年3月21日</ref><ref name="郵便ネットワーク">{{Cite news ja |title=東日本大震災/郵便ネットワーク、ダメージ深刻 |newspaper=『[[日刊工業新聞]]』 |page={{要ページ番号|date=2017年6月}} |date=2011-03-12}} {{accessdate|2015-03-18}}</ref>。このほか[[簡易郵便局]]、集配センターなどの郵便ネットワーク施設や、それら施設などで郵便業務に従事する者にも多くの被害が出た<ref name="600局" /><ref name="郵便ネットワーク" />。[[かんぽの宿]]松島には津波が3階まで押し寄せたが、130人以上の避難者とともに4階に移動し、12日には全員が救出された<ref name="600局" />。また、青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県で郵便物の配達が困難になり、北海道・東北6県・茨城県を差出元・差出先とする[[宅配便]]の引き受けを中止した<ref>{{Cite news ja |title=5県の太平洋岸で配達困難に=郵便物返却の場合も-東日本大震災 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2011031200603 |newspaper=時事通信 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。


[[ヤマト運輸]]は3月11日、北海道および東北6県への全商品の荷受け・集荷および関東への低温宅配サービスなどの荷受けを中止した<ref name="yamato">{{Cite news |title=地震:ヤマト運輸 北海道と東北6県行き荷受け中止 |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20110312k0000m020117000c.html |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317040944/http://mainichi.jp/select/biz/news/20110312k0000m020117000c.html |archivedate=2011-03-17}}</ref>。[[佐川急便]]も北海道・東北行きの集荷と関東行きの一部集荷を見合わせた<ref>{{Cite news |title=佐川急便、北海道や東北行きで集荷見合わせ 救援物資も出発 |url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110313/biz11031313470008-n1.htm |newspaper=『産経新聞』 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110316223251/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110313/biz11031313470008-n1.htm |archivedate=2011-03-16}}</ref>。[[日本郵船]]は、[[貨物船]]3隻が福島県で津波の被害に遭った<ref name="yamato" />。
[[ヤマト運輸]]は3月11日、北海道および東北6県への全商品の荷受け・集荷および関東への低温宅配サービスなどの荷受けを中止した<ref name="yamato">{{Cite news ja |title=地震:ヤマト運輸 北海道と東北6県行き荷受け中止 |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20110312k0000m020117000c.html |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317040944/http://mainichi.jp/select/biz/news/20110312k0000m020117000c.html |archivedate=2011-03-17}}</ref>。[[佐川急便]]も北海道・東北行きの集荷と関東行きの一部集荷を見合わせた<ref>{{Cite news ja |title=佐川急便、北海道や東北行きで集荷見合わせ 救援物資も出発 |url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110313/biz11031313470008-n1.htm |newspaper=『産経新聞』 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110316223251/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110313/biz11031313470008-n1.htm |archivedate=2011-03-16}}</ref>。[[日本郵船]]は、[[貨物船]]3隻が福島県で津波の被害に遭った<ref name="yamato" />。


[[電子商取引]]大手の[[Amazon.co.jp|アマゾンジャパン]]は、同社の流通設備における地震被害により、速達サービスを停止するとともに、北海道および東北への商品配送を停止した<ref>{{Cite news |title=アマゾンジャパン、流通設備に被害か-ジャスパー・チャン氏が声明 |url=http://japan.internet.com/busnews/20110312/3.html |newspaper=japan.internet.com |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314070739/http://japan.internet.com/busnews/20110312/3.html |archivedate=2011-03-14}}</ref>。
[[電子商取引]]大手の[[Amazon.co.jp|アマゾンジャパン]]は、同社の流通設備における地震被害により、速達サービスを停止するとともに、北海道および東北への商品配送を停止した<ref>{{Cite news ja |title=アマゾンジャパン、流通設備に被害か-ジャスパー・チャン氏が声明 |url=http://japan.internet.com/busnews/20110312/3.html |newspaper=japan.internet.com |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314070739/http://japan.internet.com/busnews/20110312/3.html |archivedate=2011-03-14}}</ref>。
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=== 通信 ===
=== 通信 ===
アジアの[[通信]]各社では、[[インターネット]]や[[電話]]に使用される[[海底ケーブル]]が一部損傷を受けた<ref>{{Cite news |url=http://jp.wsj.com/IT/node_199188 |title=海底ケーブルに一部損傷-アジア通信各社、影響阻止に全力 |newspaper=THE WALL STREET JOURNAL. |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317230307/http://jp.wsj.com/IT/node_199188 |archivedate=2011-03-17}}</ref>。[[東日本電信電話]](NTT東日本)は、地震の影響で電話が集中し、[[交換機]]の処理能力を超える恐れがあったため、最大90%の通話規制を実施した。また被災地周辺の[[公衆電話]]を無料で利用可能とした<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/today/news/m20110312k0000m040047000c.html |title=地震:NTT東が通話規制 宮城などでは公衆電話無料 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://archive.is/20120711134241/http://mainichi.jp/select/today/news/m20110312k0000m040047000c.html |archivedate=2012-07-11 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。[[NTTドコモ]]・東北支社は、[[携帯電話]]の無料充電や[[衛星電話|衛星携帯電話]]の貸与などのサービスを提供した。停電によって機能停止した携帯電話[[基地局]]は備えつけの自家発電により継続稼働させたが、停電が長時間に及んだため自家発電施設の燃料が枯渇、相次いで停波し通信サービスが停止した<ref name="jaee.12.5_55" />。そのため、移動[[電源車]]や可搬型[[発電機]]を配備した<ref>{{Cite news |url=http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1103/14/news094.html |title=ドコモ東北支社、被災者向けに無料充電サービスなどを提供 |newspaper=[[ITmedia]] |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-15}}</ref>。
アジアの[[通信]]各社では、[[インターネット]]や[[電話]]に使用される[[海底ケーブル]]が一部損傷を受けた<ref>{{Cite news ja |url=http://jp.wsj.com/IT/node_199188 |title=海底ケーブルに一部損傷-アジア通信各社、影響阻止に全力 |newspaper=THE WALL STREET JOURNAL. |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317230307/http://jp.wsj.com/IT/node_199188 |archivedate=2011-03-17}}</ref>。[[東日本電信電話]](NTT東日本)は、地震の影響で電話が集中し、[[交換機]]の処理能力を超える恐れがあったため、最大90%の通話規制を実施した。また被災地周辺の[[公衆電話]]を無料で利用可能とした<ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/today/news/m20110312k0000m040047000c.html |title=地震:NTT東が通話規制 宮城などでは公衆電話無料 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://archive.is/20120711134241/http://mainichi.jp/select/today/news/m20110312k0000m040047000c.html |archivedate=2012-07-11 |url-status=dead}}</ref>。[[NTTドコモ]]・東北支社は、[[携帯電話]]の無料充電や[[衛星電話|衛星携帯電話]]の貸与などのサービスを提供した。停電によって機能停止した携帯電話[[基地局]]は備えつけの自家発電により継続稼働させたが、停電が長時間に及んだため自家発電施設の燃料が枯渇、相次いで停波し通信サービスが停止した<ref name="jaee.12.5_55" />。そのため、移動[[電源車]]や可搬型[[発電機]]を配備した<ref>{{Cite news ja |url=http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1103/14/news094.html |title=ドコモ東北支社、被災者向けに無料充電サービスなどを提供 |newspaper=[[ITmedia]] |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-15}}</ref>。


移動体通信各社では[[輻輳|通信障害]]により電話がつながりにくい状況が生じ、音声通話について[[NTTドコモ]]では90%、[[KDDI]]では95%、[[ソフトバンクテレコム]]では70%の通信規制を実施した<ref name="jaee.12.5_55">「[https://doi.org/10.5610/jaee.12.5_55 東日本大震災における電気通信土木設備の被害状況に関する考察]」『日本地震工学会論文集』Vol.12 (2012) No.5 特集号「2011年東日本大震災」その2 p.5_55-5_68</ref>。音声通話の通信規制が続く中、インターネットを使った[[情報]]交換が活発となった。[[Twitter]]などの[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]] (SNS) では、被災者に対する呼びかけや、ボランティアや[[人道援助|人道支援]]に関する呼びかけ、[[医師]]による健康相談などが行われた。また、東京電力の電気供給能力の不足による停電の恐れがある中、[[節電]]を呼び掛ける活動も行われた<ref>{{Cite news |url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/12/news017.html |title=節電徹底へ「ヤシマ作戦」賛同者がTwitterで広がる |newspaper=ITmediaニュース |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。一方で、情報交換の容易さから[[噂#デマ|デマ]]情報も多く発信され、問題となった<ref>[https://archive.is/20110326213219/http://www.yomiuri.co.jp/net/security/goshinjyutsu/20110325-OYT8T00642.htm 「震災でのデマ・ガセ情報に踊らされるな :サイバー護身術」](2011年3月26日時点の[[archive.is|アーカイブ]])『読売新聞』3月25日</ref>。
移動体通信各社では[[輻輳|通信障害]]により電話がつながりにくい状況が生じ、音声通話について[[NTTドコモ]]では90%、[[KDDI]]では95%、[[ソフトバンクテレコム]]では70%の通信規制を実施した<ref name="jaee.12.5_55">「[https://doi.org/10.5610/jaee.12.5_55 東日本大震災における電気通信土木設備の被害状況に関する考察]」『日本地震工学会論文集』Vol.12 (2012) No.5 特集号「2011年東日本大震災」その2 p.5_55-5_68</ref>。音声通話の通信規制が続く中、インターネットを使った[[情報]]交換が活発となった。[[Twitter]]などの[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]] (SNS) では、被災者に対する呼びかけや、ボランティアや[[人道援助|人道支援]]に関する呼びかけ、[[医師]]による健康相談などが行われた。また、東京電力の電気供給能力の不足による停電の恐れがある中、[[節電]]を呼び掛ける活動も行われた<ref>{{Cite news ja |url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/12/news017.html |title=節電徹底へ「ヤシマ作戦」賛同者がTwitterで広がる |newspaper=ITmediaニュース |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。一方で、情報交換の容易さから[[噂#デマ|デマ]]情報も多く発信され、問題となった<ref>[https://archive.is/20110326213219/http://www.yomiuri.co.jp/net/security/goshinjyutsu/20110325-OYT8T00642.htm 「震災でのデマ・ガセ情報に踊らされるな :サイバー護身術」](2011年3月26日時点の[[archive.is|アーカイブ]])『読売新聞』3月25日</ref>。


また、一部のアマチュア無線にて7030KHzにて非常通信が行われ、情報伝達などの協力を行った。
また、一部のアマチュア無線にて7030KHzにて非常通信が行われ、情報伝達などの協力を行った。
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[[伝統宗教]]・[[新宗教]]ともに施設に被害を受けている。[[神社]]の被害報告は4,818件に上り、これは本殿の全壊・半壊を含む<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shirahata-jinja.jp/blog/?p=4840 |title=東日本大震災 神社被災状況 |accessdate=2015-03-25 |date=2011-08-02 |publisher=[[白旗神社 (藤沢市)|白旗神社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120522205718/http://www.shirahata-jinja.jp/blog/?p=4840 |archivedate=2012-05-22}}</ref>。国の[[登録有形文化財]]であった[[日本基督教団福島教会]]は被災後、修復費用が膨大になったことから取り壊された。
[[伝統宗教]]・[[新宗教]]ともに施設に被害を受けている。[[神社]]の被害報告は4,818件に上り、これは本殿の全壊・半壊を含む<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shirahata-jinja.jp/blog/?p=4840 |title=東日本大震災 神社被災状況 |accessdate=2015-03-25 |date=2011-08-02 |publisher=[[白旗神社 (藤沢市)|白旗神社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120522205718/http://www.shirahata-jinja.jp/blog/?p=4840 |archivedate=2012-05-22}}</ref>。国の[[登録有形文化財]]であった[[日本基督教団福島教会]]は被災後、修復費用が膨大になったことから取り壊された。


[[宗教法人]]や宗教家は震災直後から被災者への支援に乗り出しており、金銭・物資の提供、[[信者]]によるボランティア、宗教施設の避難所としての開放などが続けられた。新宗教の中には多額の[[寄付|義捐金]]を出したところもある<ref>{{Cite news |author=[[山田直樹 (ジャーナリスト)|山田直樹]] |date=2011-05-24 |newspaper=[[プレジデント社|PRESIDENT Online]] |title=これが宗教法人の「義援金ランキング」だ 「震災・原発と経済」の小さな大疑問 |url=http://president.jp/articles/-/2015 |accessdate=2015-03-25}}</ref>。
[[宗教法人]]や宗教家は震災直後から被災者への支援に乗り出しており、金銭・物資の提供、[[信者]]によるボランティア、宗教施設の避難所としての開放などが続けられた。新宗教の中には多額の[[寄付|義捐金]]を出したところもある<ref>{{Cite news ja |author=[[山田直樹 (ジャーナリスト)|山田直樹]] |date=2011-05-24 |newspaper=[[プレジデント社|PRESIDENT Online]] |title=これが宗教法人の「義援金ランキング」だ 「震災・原発と経済」の小さな大疑問 |url=http://president.jp/articles/-/2015 |accessdate=2015-03-25}}</ref>。


宗教学者の[[山折哲雄]]は、[[橋本五郎]]との対談で、ある意味「精神的[[末法]]」である震災後の世界の中での宗教の役割を問われ、「[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]](1995年)、東日本大震災の両方で宗教者は一生懸命やっていてもボランティアと同じレベルだった」という。「[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]が肥大化し、宗教者の言葉が現代の人々に届かなくなっているが、しっかりした言葉を発して欲しかった」とする<ref>「大震災 宗教の限界」『読売新聞』2016年1月1日4面</ref>。
宗教学者の[[山折哲雄]]は、[[橋本五郎]]との対談で、ある意味「精神的[[末法]]」である震災後の世界の中での宗教の役割を問われ、「[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]](1995年)、東日本大震災の両方で宗教者は一生懸命やっていてもボランティアと同じレベルだった」という。「[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]が肥大化し、宗教者の言葉が現代の人々に届かなくなっているが、しっかりした言葉を発して欲しかった」とする<ref>「大震災 宗教の限界」『読売新聞』2016年1月1日4面</ref>。
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特に多くの人が亡くなったのが地域の防災支援ボランティアの役割を持つ消防団員<ref group="注">ほかに生業を持ちながら「自らの町は自らで守る」という精神に基づいて、消防活動を行う権限責任を有する非常勤特別職の地方公務員=年額報酬5万円程度である</ref>で、発生時刻が平日の昼間の時間帯であり、地震から津波襲来までの時間に、防災マニュアル通りに防潮堤や水門閉鎖などの業務に従事したり、住民の避難誘導や情報収集、逃げ遅れた住民の救助などにあたったり、災害対応のため詰所へ参集途上の消防団員254人(2023年3月1日時点<ref name=":2" />)が死亡ないし行方不明となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/disaster/higashinihon/item/higashinihon001_29_04-04-01.pdf|title=4.4 被災地域の消防団の活動 第 4章|accessdate=2021-0318}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/disaster/higashinihon/item/higashinihon001_20_03-05-03.pdf |title=3.5.3 消防団の被害 |accessdate=2021-0318}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/kento001_03_shiryo_04.pdf |title=消防団の活動事例と地域の防災力 東日本大震災における消防団員の活躍 |accessdate=2021-0318}}</ref>。
特に多くの人が亡くなったのが地域の防災支援ボランティアの役割を持つ消防団員<ref group="注">ほかに生業を持ちながら「自らの町は自らで守る」という精神に基づいて、消防活動を行う権限責任を有する非常勤特別職の地方公務員=年額報酬5万円程度である</ref>で、発生時刻が平日の昼間の時間帯であり、地震から津波襲来までの時間に、防災マニュアル通りに防潮堤や水門閉鎖などの業務に従事したり、住民の避難誘導や情報収集、逃げ遅れた住民の救助などにあたったり、災害対応のため詰所へ参集途上の消防団員254人(2023年3月1日時点<ref name=":2" />)が死亡ないし行方不明となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/disaster/higashinihon/item/higashinihon001_29_04-04-01.pdf|title=4.4 被災地域の消防団の活動 第 4章|accessdate=2021-0318}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/disaster/higashinihon/item/higashinihon001_20_03-05-03.pdf |title=3.5.3 消防団の被害 |accessdate=2021-0318}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/kento001_03_shiryo_04.pdf |title=消防団の活動事例と地域の防災力 東日本大震災における消防団員の活躍 |accessdate=2021-0318}}</ref>。


2011年7月14日15時 (JST) 時点で、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っていた<ref>{{PDFlink|[http://www.fdma.go.jp/bn/data/%E5%B9%B3%E6%88%9023%E5%B9%B4%EF%BC%882011%E5%B9%B4%EF%BC%89%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87%EF%BC%88%E7%AC%AC132%E5%A0%B1%EF%BC%89.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(第132報)]}} 消防庁</ref>。
2011年7月14日15時 (JST) 時点で、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っていた<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20120717144259/http://www.fdma.go.jp/bn/data/%E5%B9%B3%E6%88%9023%E5%B9%B4%EF%BC%882011%E5%B9%B4%EF%BC%89%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87%EF%BC%88%E7%AC%AC132%E5%A0%B1%EF%BC%89.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(第132報)]}} 消防庁</ref>。


==== 青森県 ====
==== 青森県 ====
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[[陸前高田市]]では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ[[天井]]まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も{{分数|1|3}}弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県[[女川町]]に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。
[[陸前高田市]]では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ[[天井]]まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も{{分数|1|3}}弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県[[女川町]]に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。


[[大槌町]]では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、町長った[[加藤宏暉]]<ref>{{cite news |url=http://mainichi.jp/select/today/news/20110320k0000e040022000c.html |title=東日本大震災:不明の大槌町長、遺体で発見 岩手 |publisher=『毎日新聞』 |date=2011-03-20 |accessdate=2011-03-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321024932/http://mainichi.jp/select/today/news/20110320k0000e040022000c.html |archivedate=2011-03-21}}</ref>を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。
[[大槌町]]では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、町長であった[[加藤宏暉]]<ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/today/news/20110320k0000e040022000c.html |title=東日本大震災:不明の大槌町長、遺体で発見 岩手 |publisher=『毎日新聞』 |date=2011-03-20 |accessdate=2011-03-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321024932/http://mainichi.jp/select/today/news/20110320k0000e040022000c.html |archivedate=2011-03-21}}</ref>を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。


[[釜石市]]では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元[[釜石シーウェイブス|新日鉄釜石ラグビー部]]の選手で、釜石ラグビー協会会長った[[佐野正文]]や<ref>{{cite news |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20110323-OHT1T00281.htm |title=松尾雄治氏が釜石SWにエール…ラグビー |publisher=『[[スポーツ報知]]』 |date=2011-03-24 |accessdate=2011-03-26 |archiveurl=https://archive.is/20120709102731/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20110323-OHT1T00281.htm |archivedate=2012年7月9日 |deadlinkdate=2017年10月}}</ref>、[[陸上競技|マスターズ陸上]]で世界記録を持っていた104歳の[[下川原孝]]も犠牲となった<ref>{{cite news ||url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00802.htm |title=陸上マスターズ世界記録の104歳、津波で死亡 |publisher=『読売新聞』 |date=2011-03-23 |accessdate=2011-03-25 |archiveurl=https://archive.is/20130501090249/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00802.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。また、[[ギネス世界記録]]にも認定されていた世界最深の[[釜石港湾口防波堤]]が破壊された<ref>{{Cite news |title=ジャンボ機250機分の波、世界一の防波堤破壊 |url=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110320-OYT1T00777.htm |publisher=YOMIURI ONLINE |date=2011-03-21 |accessdate=2012-07-22 |archiveurl=https://archive.is/20130112020321/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110320-OYT1T00777.htm |archivedate=2013-01-12}}</ref>。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、「釜石の出来事(奇跡)」と呼ばれる津波教育の一部成功例もあった。[[釜石市立釜石東中学校|市立釜石東中学校]]では、地震発生直後に生徒らが自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の[[釜石市立鵜住居小学校|鵜住居小]]の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれない教育のもと、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10 mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事<ref>ただし、鵜住居小学校では、地震発生直後に<!---保護者に--->引き渡しされた児童1名が犠牲となった。{{PDFlink|[https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2015100900103/file_contents/2015100900103_www_city_kamaishi_iwate_jp_fukko_joho_torikumi_shinsai_kensyo_detail___icsFiles_afieldfile_2015_10_09_26shinsaitaioujyoukyou.pdf 東日本大震災における学校・子ども関連施設の震災対応状況一覧表]}} - 釜石市</ref>であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。
[[釜石市]]では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元[[釜石シーウェイブス|新日鉄釜石ラグビー部]]の選手で、釜石ラグビー協会会長であった[[佐野正文]]や<ref>{{Cite news ja |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20110323-OHT1T00281.htm |title=松尾雄治氏が釜石SWにエール…ラグビー |publisher=『[[スポーツ報知]]』 |date=2011-03-24 |accessdate=2011-03-26 |archiveurl=https://archive.is/20120709102731/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20110323-OHT1T00281.htm |archivedate=2012年7月9日 |url-status=dead}}</ref>、[[陸上競技|マスターズ陸上]]で世界記録を持っていた104歳の[[下川原孝]]も犠牲となった<ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00802.htm |title=陸上マスターズ世界記録の104歳、津波で死亡 |publisher=『読売新聞』 |date=2011-03-23 |accessdate=2011-03-25 |archiveurl=https://archive.is/20130501090249/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00802.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。また、[[ギネス世界記録]]にも認定されていた世界最深の[[釜石港湾口防波堤]]が破壊された<ref>{{Cite news ja |title=ジャンボ機250機分の波、世界一の防波堤破壊 |url=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110320-OYT1T00777.htm |publisher=YOMIURI ONLINE |date=2011-03-21 |accessdate=2012-07-22 |archiveurl=https://archive.is/20130112020321/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110320-OYT1T00777.htm |archivedate=2013-01-12}}</ref>。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、「釜石の出来事(奇跡)」と呼ばれる津波教育の一部成功例もあった。[[釜石市立釜石東中学校|市立釜石東中学校]]では、地震発生直後に生徒らが自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の[[釜石市立鵜住居小学校|鵜住居小]]の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれない教育のもと、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10 mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事<ref>ただし、鵜住居小学校では、地震発生直後に<!---保護者に--->引き渡しされた児童1名が犠牲となった。{{PDFlink|[https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2015100900103/file_contents/2015100900103_www_city_kamaishi_iwate_jp_fukko_joho_torikumi_shinsai_kensyo_detail___icsFiles_afieldfile_2015_10_09_26shinsaitaioujyoukyou.pdf 東日本大震災における学校・子ども関連施設の震災対応状況一覧表]}} - 釜石市</ref>であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。


[[山田町]]では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。[[船越村 (岩手県)|旧船越村]]では過去に高台移転をしていたのが、津波の記憶が薄れるにつれ低地に家が立つようになっていた<ref>[https://www.ibc.co.jp/ishibumi/20181217/#close 碑の記憶 | 高台移転の伝承誓う (山田町船越・田の浜地区) ] [[IBC岩手放送|岩手放送]]</ref>。
[[山田町]]では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。[[船越村 (岩手県)|旧船越村]]では過去に高台移転をしていたのであるが、津波の記憶が薄れるにつれ低地に家が立つようになっていた<ref>[https://www.ibc.co.jp/ishibumi/20181217/#close 碑の記憶 | 高台移転の伝承誓う (山田町船越・田の浜地区) ] [[IBC岩手放送|岩手放送]]</ref>。


宮古市の[[田老町|田老地区]]は、総延長2433 mのX字型、海抜10 mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。
宮古市の[[田老町|田老地区]]は、総延長2433 mのX字型、海抜10 mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。
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==== 宮城県 ====
==== 宮城県 ====
{{Commonscat|2011 Tōhoku earthquake damage and effects in Miyagi prefecture|東日本大震災による宮城県の被害状況}}
{{Commonscat|2011 Tōhoku earthquake damage and effects in Miyagi prefecture|東日本大震災による宮城県の被害状況}}
宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km{{sup|2}}と浸水域の人口約33万人はともに3県最大ったため、宮城県のみで[[阪神・淡路大震災]]を上回る犠牲者を出した。
宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km{{sup|2}}と浸水域の人口約33万人はともに3県最大であったため、宮城県のみで[[阪神・淡路大震災]]を上回る犠牲者を出した。


県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)がなされていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)がなされていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
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[[石巻市]]は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。
[[石巻市]]は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。


市内北東部、リアス式海岸にあたる旧[[雄勝町 (宮城県)|雄勝町]]、旧[[北上町]]、旧[[河北町 (宮城県)|河北町]]の沿岸はほぼ完全に壊滅した。[[雄勝湾]]の最奥狭部の入り江に立地した3階建ての雄勝病院は、職員が入院患者を屋上まで搬出しようと奮闘したものの、その屋上を数メートル超える津波により入院患者40人全員と職員30名中24名が死亡または行方不明<ref>{{Cite news |url=https://www.kahoku.co.jp/special/spe1114/20130103_01.html |title=あの日何が… 石巻市雄勝病院/迫る海、まさか屋上まで |publisher=『河北新報』 |date=2013-01-03 |accessdate=2020-12-18}}</ref>、[[北上川]]の[[河口]]北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する[[石巻市立大川小学校]](旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY201104280772.html?ref=rss |title=娘よ…この日に会えた 四十九日の供養直後に発見 |publisher=『朝日新聞』 |date=2011-04-29 |accessdate=2011-09-10}}{{リンク切れ|date=2014年10月27日}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041419270052-n1.htm |title=【東日本大震災】「死にものぐるいで上に行け」 津波で74人死亡・不明 宮城・大川小の「あの時」 |publisher=『産経新聞』|date=2011-04-15 |accessdate=2011-09-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110417073938/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041419270052-n1.htm |archivedate=2011-04-17}}</ref>。
市内北東部、リアス式海岸にあたる旧[[雄勝町 (宮城県)|雄勝町]]、旧[[北上町]]、旧[[河北町 (宮城県)|河北町]]の沿岸はほぼ完全に壊滅した。[[雄勝湾]]の最奥狭部の入り江に立地した3階建ての雄勝病院は、職員が入院患者を屋上まで搬出しようと奮闘したものの、その屋上を数メートル超える津波により入院患者40人全員と職員30名中24名が死亡または行方不明<ref>{{Cite news ja |url=https://www.kahoku.co.jp/special/spe1114/20130103_01.html |title=あの日何が… 石巻市雄勝病院/迫る海、まさか屋上まで |publisher=『河北新報』 |date=2013-01-03 |accessdate=2020-12-18}}</ref>、[[北上川]]の[[河口]]北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけであった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する[[石巻市立大川小学校]](旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった<ref>{{Cite news ja |url=http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY201104280772.html?ref=rss |title=娘よ…この日に会えた 四十九日の供養直後に発見 |publisher=『朝日新聞』 |date=2011-04-29 |accessdate=2011-09-10}}{{リンク切れ|date=2014年10月27日}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041419270052-n1.htm |title=【東日本大震災】「死にものぐるいで上に行け」 津波で74人死亡・不明 宮城・大川小の「あの時」 |publisher=『産経新聞』|date=2011-04-15 |accessdate=2011-09-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110417073938/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041419270052-n1.htm |archivedate=2011-04-17}}</ref>。


市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きのとれない[[交通]][[渋滞]]が発生し、そのまま津波に呑まれて犠牲になる者も非常に多かった。前市長であった[[土井喜美夫]]も犠牲となった<ref>{{Cite news |url=http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110318t13012.htm |title=前石巻市長土井氏、震災で犠牲 |publisher=『河北新報』 |date=2011-03-18 |accessdate=2011-03-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321012928/http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110318t13012.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。
市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きのとれない[[交通]][[渋滞]]が発生し、そのまま津波に呑まれて犠牲になる者も非常に多かった。前市長であった[[土井喜美夫]]も犠牲となった<ref>{{Cite news ja |url=http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110318t13012.htm |title=前石巻市長土井氏、震災で犠牲 |publisher=『河北新報』 |date=2011-03-18 |accessdate=2011-03-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321012928/http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110318t13012.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。


[[東松島市]]では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロメートル弱を横断し、西側の[[松島湾]]に流れ込んだ。野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊[[松島基地]]も冠水し、多くの航空機が破損した。その一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が自宅裏の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「[[佐藤山]]」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた<ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290226.html |title=手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 |publisher=『朝日新聞』 |date=2011-03-31 |accessdate=2014-01-16}}</ref><ref>[http://memory.ever.jp/tsunami/shogen_higasi-matusima.html 東松島市を襲った大津波の証言]</ref>。
[[東松島市]]では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロメートル弱を横断し、西側の[[松島湾]]に流れ込んだ。野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊[[松島基地]]も冠水し、多くの航空機が破損した。その一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が自宅裏の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「[[佐藤山]]」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた<ref>{{Cite news ja |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103290226.html |title=手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 |publisher=『朝日新聞』 |date=2011-03-31 |accessdate=2014-01-16}}</ref><ref>[http://memory.ever.jp/tsunami/shogen_higasi-matusima.html 東松島市を襲った大津波の証言]</ref>。


[[多賀城市]]は仙台市の[[ベッドタウン]]であり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川[[河口]]のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。
[[多賀城市]]は仙台市の[[ベッドタウン]]であり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川[[河口]]のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。


[[仙台市]]は104.7万人(2011年[[3月1日]][[推計人口]])<ref>[http://www.city.sendai.jp/kikaku/seisaku/toukei/index.html 統計情報せんだい](仙台市)</ref>を擁する[[政令指定都市]]であったが、沿岸部の[[仙台平野]]の大部分が開発が制限される[[市街化調整区域]]であり、田園地帯が広がっていたため<ref name="toshiseibi">{{Cite web|和書|date=2011-02-01 |url=http://www.city.sendai.jp/toshiseibi/1192376_2658.html |title=都市計画区域と市街化区域及び市街化調整区域 |publisher=仙台市 |accessdate=2015-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150426021646/http://www.city.sendai.jp/toshiseibi/1192376_2658.html |archivedate=2015-04-26}}</ref>、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である[[若林区]]荒浜地区や[[宮城野区]]中野蒲生地区が壊滅し、また[[仙台港]]一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60 %が浸水し、田園地帯を3 - 4 km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある[[仙台市消防ヘリポート]]も被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。
[[仙台市]]は104.7万人(2011年[[3月1日]][[推計人口]])<ref>[http://www.city.sendai.jp/kikaku/seisaku/toukei/index.html 統計情報せんだい](仙台市)</ref>を擁する[[政令指定都市]]であったが、沿岸部の[[仙台平野]]の大部分が開発が制限される[[市街化調整区域]]であり、田園地帯が広がっていたため<ref name="toshiseibi">{{Cite web|和書|date=2011-02-01 |url=http://www.city.sendai.jp/toshiseibi/1192376_2658.html |title=都市計画区域と市街化区域及び市街化調整区域 |publisher=仙台市 |accessdate=2015-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150426021646/http://www.city.sendai.jp/toshiseibi/1192376_2658.html |archivedate=2015-04-26}}</ref>、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である[[若林区]]荒浜地区や[[宮城野区]]中野蒲生地区が壊滅し、また[[仙台港]]一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある[[仙台市消防ヘリポート]]も被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。


[[名取市]]では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった[[閖上]]地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋で地震の揺れにより大型トラックが荷崩れし、対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生し通行止めとなったことで地区内で渋滞が起こったことも、犠牲者を増やす要因となった。[[仙台空港]]の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。
[[名取市]]では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった[[閖上]]地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋で地震の揺れにより大型トラックが荷崩れし、対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生し通行止めとなったことで地区内で渋滞が起こったことも、犠牲者を増やす要因となった。[[仙台空港]]の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。
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このほか、[[七ヶ浜町]]でも甚大な被害を受けた。
このほか、[[七ヶ浜町]]でも甚大な被害を受けた。


一方、[[松島町]]や[[塩竈市]]は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは[[浦戸諸島]]とその奥にある[[松島湾]]内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00077.htm |title=「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人 |publisher=読売新聞 |date=2011-03-23 |accessdate=2011-04-26 |archiveurl=https://archive.is/20120919115715/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00077.htm |archivedate=2012-09-19}}</ref>。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微ったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。
一方、[[松島町]]や[[塩竈市]]は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは[[浦戸諸島]]とその奥にある[[松島湾]]内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される<ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00077.htm |title=「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人 |publisher=読売新聞 |date=2011-03-23 |accessdate=2011-04-26 |archiveurl=https://archive.is/20120919115715/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00077.htm |archivedate=2012-09-19}}</ref>。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微であったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。
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Damage of Tsunami at Matsushima.JPG|[[日本三景]]・[[松島]]の主要観光地区である[[松島海岸駅]]前は、[[松島湾]]奥部にあるため被害は比較的小さかった。<br />([[宮城県]][[宮城郡]][[松島町]]、2011年3月13日撮影)
Damage of Tsunami at Matsushima.JPG|[[日本三景]]・[[松島]]の主要観光地区である[[松島海岸駅]]前は、[[松島湾]]奥部にあるため被害は比較的小さかった。<br />([[宮城県]][[宮城郡]][[松島町]]、2011年3月13日撮影)
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==== 秋田県 ====
==== 秋田県 ====
[[秋田県]]の被害は、建物の一部損壊6棟、負傷者12名を出したが'''東北6県で唯一死者がいない県'''となった。
[[秋田県]]の被害は、建物の一部損壊6棟、負傷者12名を出したが東北6県で唯一死者がいない県となった。


==== 山形県 ====
==== 山形県 ====
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津波の被害としては、浸水面積は112km{{sup|2}}と岩手県を上回っている。しかし、福島県の沿岸部は湾や入り江がなく、遠浅の地形のために[[漁港]]に適さず、港を中心とした市街地形成が成り立ちにくい県であった([[日本の漁港一覧]]によると、岩手県111か所と宮城県114か所に対して、福島県10か所)。沿岸市町村の中心市街地は、海岸線より数km内陸にあったため、浸水域人口は7万人弱、浸水域の人口密度は600人/km{{sup|2}}と、ともに3県で最も少なく、犠牲者数も比例して少なく済んだといえる(ただし、浸水域の人口が宮城県の{{分数|1|5}}で、犠牲者が{{分数|1|6}}であるため、犠牲率でみるとほぼ同じである)。
津波の被害としては、浸水面積は112km{{sup|2}}と岩手県を上回っている。しかし、福島県の沿岸部は湾や入り江がなく、遠浅の地形のために[[漁港]]に適さず、港を中心とした市街地形成が成り立ちにくい県であった([[日本の漁港一覧]]によると、岩手県111か所と宮城県114か所に対して、福島県10か所)。沿岸市町村の中心市街地は、海岸線より数km内陸にあったため、浸水域人口は7万人弱、浸水域の人口密度は600人/km{{sup|2}}と、ともに3県で最も少なく、犠牲者数も比例して少なく済んだといえる(ただし、浸水域の人口が宮城県の{{分数|1|5}}で、犠牲者が{{分数|1|6}}であるため、犠牲率でみるとほぼ同じである)。


福島県沿岸は、仙台市以南から千葉県まで続く遠浅で単調な海岸線であり、過去に津波の伝承すら皆無ったために、住民の意識が低い中で津波に襲われた。広大な震源域の中に存在した3か所の大きな[[断層]]破壊の1つが茨城県北部近海であり、福島県南部の[[いわき市]]にもっとも早く津波が到達して北上し、宮城県沖で発生して南下してきた津波の動きと複雑に交わったとみられる。福島第一原子力発電所付近([[大熊町]])で15 m、隣接する[[富岡町]]付近で20mと、周囲に比べても地形に特段の違いがないにもかかわらず極端に高い津波高を観測していることから、この付近では南北方向からの津波が増幅しあったと推測される。
福島県沿岸は、仙台市以南から千葉県まで続く遠浅で単調な海岸線であり、過去に津波の伝承すら皆無であったために、住民の意識が低い中で津波に襲われた。広大な震源域の中に存在した3か所の大きな[[断層]]破壊の1つが茨城県北部近海であり、福島県南部の[[いわき市]]にもっとも早く津波が到達して北上し、宮城県沖で発生して南下してきた津波の動きと複雑に交わったとみられる。福島第一原子力発電所付近([[大熊町]])で15 m、隣接する[[富岡町]]付近で20mと、周囲に比べても地形に特段の違いがないにもかかわらず極端に高い津波高を観測していることから、この付近では南北方向からの津波が増幅しあったと推測される。


漁港がある自治体で100人以上の犠牲者があり、[[相馬市]]で約450人、[[南相馬市]]で650人以上、いわき市で350人以上、[[浪江町]]で200人弱、[[新地町]]で100人以上が犠牲になるなど、甚大な被害を受けた。
漁港がある自治体で100人以上の犠牲者があり、[[相馬市]]で約450人、[[南相馬市]]で650人以上、いわき市で350人以上、[[浪江町]]で200人弱、[[新地町]]で100人以上が犠牲になるなど、甚大な被害を受けた。
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飯舘村や[[伊達郡]][[川俣町]]の一部は1か月後、伊達市の一部地域は3か月後に避難指定を受けたが、その指定から外れた福島市や伊達市などの中通り北部を中心に、母子避難や妊婦避難など数万人単位の自主避難者が発生することとなった。
飯舘村や[[伊達郡]][[川俣町]]の一部は1か月後、伊達市の一部地域は3か月後に避難指定を受けたが、その指定から外れた福島市や伊達市などの中通り北部を中心に、母子避難や妊婦避難など数万人単位の自主避難者が発生することとなった。


地震の揺れ自体でも福島県は被害が大きく、犠牲者数も最も多かった。内陸の[[中通り]]地方でも被害が目立ち、[[白河市]]では六反山が大規模に崩落して13人が犠牲に、[[須賀川市]]では[[藤沼ダム]]の高さ18m、長さ133mの堤が一気に決壊し、約150万tの水が、樹木を巻き込んだ高さ2 - 3 mの鉄砲水となって1 km以上離れた滝地区を襲い、8人が犠牲になった<ref>{{Cite news |title=3・11にダム決壊、濁流で7人死亡していた |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00139.htm |newspaper=読売新聞 |date=2011-05-30 |accessdate=2011-05-30 |archiveurl=https://archive.is/20130501112452/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00139.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。地震によるダムの決壊は日本初であり、世界的にも1999年の[[台湾]][[921大地震]]で決壊した石岡ダムなどについで稀有である。また、[[郡山市]]では市役所の一部が倒壊して1人犠牲になるなどした。
地震の揺れ自体でも福島県は被害が大きく、犠牲者数も最も多かった。内陸の[[中通り]]地方でも被害が目立ち、[[白河市]]では六反山が大規模に崩落して13人が犠牲に、[[須賀川市]]では[[藤沼ダム]]の高さ18m、長さ133mの堤が一気に決壊し、約150万tの水が、樹木を巻き込んだ高さ2 - 3 mの鉄砲水となって1km以上離れた滝地区を襲い、8人が犠牲になった<ref>{{Cite news ja |title=3・11にダム決壊、濁流で7人死亡していた |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00139.htm |newspaper=読売新聞 |date=2011-05-30 |accessdate=2011-05-30 |archiveurl=https://archive.is/20130501112452/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00139.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。地震によるダムの決壊は日本初であり、世界的にも1999年の[[台湾]][[921大地震]]で決壊した石岡ダムなどについで稀有である。また、[[郡山市]]では市役所の一部が倒壊して1人犠牲になるなどした。


この白河市から郡山市にかけての中通り中南部は他県の内陸市町村に比べて家屋損壊も際立っており、[[矢吹町]]では総戸数の30%の家屋が全半壊、[[鏡石町]]では総戸数の23 %の家屋が全半壊、郡山市では2万戸が全半壊、これらはともに津波被害のない内陸市町村としては最大級であった。
この白河市から郡山市にかけての中通り中南部は他県の内陸市町村に比べて家屋損壊も際立っており、[[矢吹町]]では総戸数の30%の家屋が全半壊、[[鏡石町]]では総戸数の23%の家屋が全半壊、郡山市では2万戸が全半壊、これらはともに津波被害のない内陸市町村としては最大級であった。


また1か月後の4月11日には、いわき市南部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震([[福島県浜通り地震]])が発生(震度6弱)した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十kmにわたってそれぞれずれ動き、市内の至る所で断層(最大落差2m)の出現や土砂崩れ、地割れが相次ぎ4人が犠牲となった。
また1か月後の4月11日には、いわき市南部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震([[福島県浜通り地震]])が発生(震度6弱)した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十kmにわたってそれぞれずれ動き、市内の至る所で断層(最大落差2m)の出現や土砂崩れ、地割れが相次ぎ4人が犠牲となった。
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そのため、揺れによる家屋損壊も福島県と宮城県に次いで大きく、犠牲者数も福島県に次ぐ多さであった。
そのため、揺れによる家屋損壊も福島県と宮城県に次いで大きく、犠牲者数も福島県に次ぐ多さであった。


[[東海村]]で[[常陸那珂火力発電所]]の煙突200m付近で作業員9人が作業中ったが、鋼鉄製の床板とともに転落した4人が犠牲に、[[行方市]]では[[鹿行大橋]]が崩落して1人が犠牲になるなどした。
[[東海村]]で[[常陸那珂火力発電所]]の煙突200m付近で作業員9人が作業中であったが、鋼鉄製の床板とともに転落した4人が犠牲に、[[行方市]]では[[鹿行大橋]]が崩落して1人が犠牲になるなどした。


津波の被害としては、浸水面積は23km{{sup|2}}であり、福島県と接する[[北茨城市]]で犠牲者が出た。また、[[高萩市]]、[[日立市]]、[[ひたちなか市]]、[[大洗町]]、[[神栖市]]などで市街地が浸水した。
津波の被害としては、浸水面積は23km{{sup|2}}であり、福島県と接する[[北茨城市]]で犠牲者が出た。また、[[高萩市]]、[[日立市]]、[[ひたちなか市]]、[[大洗町]]、[[神栖市]]などで市街地が浸水した。
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津波の被害としては、浸水面積は17km{{sup|2}}であり、[[旭市]]で14人の犠牲者(行方不明者2人)が出た。また、[[銚子市]]、[[山武市]]など北東の沿岸部が浸水、山武市で1人の犠牲者を出した。
津波の被害としては、浸水面積は17km{{sup|2}}であり、[[旭市]]で14人の犠牲者(行方不明者2人)が出た。また、[[銚子市]]、[[山武市]]など北東の沿岸部が浸水、山武市で1人の犠牲者を出した。


[[東京湾]]岸の[[埋立地]]や[[利根川]][[河川敷]]で液状化現象が相次ぎ、[[浦安市]]では市内の85%が液状化し<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00091.htm |title=液状化、東京・千葉・神奈川で1100棟損壊 |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-08 |accessdate=2011-04-08 |archiveurl=https://archive.is/20130111210223/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00091.htm|archivedate=2013-01-11}}</ref>、中町・新町地区で住宅や電柱の傾き、地割れ、陥没などが起こった。水道断水約4,000戸、下水道使用制限約11,900世帯、都市ガス供給停止約5,800件であり、市は被害額734億円と推計している(3月21日時点)<ref>『読売新聞』2011年3月22日千葉13版23面 [http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20110322-OYT8T00081.htm 液状化の浦安「三重苦」]</ref>。[[千葉市]]でも[[美浜区]]を中心に1,906戸<ref>[http://www.sankei.com/region/news/160305/rgn1603050035-n1.html 【震災5年】復旧・復興の現在地(2)千葉市、大半が液状化対策めど立たず] 産経2016年3月5日</ref>、[[我孫子市]][[布佐 (我孫子市)|布佐]](ふさ)東部地区<ref group="注">[[利根川]]沿いの埋め立て地を持つ。</ref>では119棟の家屋が全壊扱いとなり、2012年1月時点での倒壊恐れのある約50棟に解体を要請したが、修理して住み続ける人もいる<ref group="注">7戸が曳家(ひきや)で[[秋田市]]に移築され、高齢認知症者向けの[[グループホーム]]になる。</ref><ref>「液状化被害の民家 秋田で再生」『読売新聞』2013年2月25日朝刊38面</ref>。
[[東京湾]]岸の[[埋立地]]や[[利根川]][[河川敷]]で液状化現象が相次ぎ、[[浦安市]]では市内の85%が液状化し<ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00091.htm |title=液状化、東京・千葉・神奈川で1100棟損壊 |newspaper=『読売新聞』 |date=2011-04-08 |accessdate=2011-04-08 |archiveurl=https://archive.is/20130111210223/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110408-OYT1T00091.htm|archivedate=2013-01-11}}</ref>、中町・新町地区で住宅や電柱の傾き、地割れ、陥没などが起こった。水道断水約4,000戸、下水道使用制限約11,900世帯、都市ガス供給停止約5,800件であり、市は被害額734億円と推計している(3月21日時点)<ref>『読売新聞』2011年3月22日千葉13版23面 [http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20110322-OYT8T00081.htm 液状化の浦安「三重苦」]</ref>。[[千葉市]]でも[[美浜区]]を中心に1,906戸<ref>[http://www.sankei.com/region/news/160305/rgn1603050035-n1.html 【震災5年】復旧・復興の現在地(2)千葉市、大半が液状化対策めど立たず] 産経2016年3月5日</ref>、[[我孫子市]][[布佐 (我孫子市)|布佐]](ふさ)東部地区<ref group="注">[[利根川]]沿いの埋め立て地を持つ。</ref>では119棟の家屋が全壊扱いとなり、2012年1月時点での倒壊恐れのある約50棟に解体を要請したが、修理して住み続ける人もいる<ref group="注">7戸が曳家(ひきや)で[[秋田市]]に移築され、高齢認知症者向けの[[グループホーム]]になる。</ref><ref>「液状化被害の民家 秋田で再生」『読売新聞』2013年2月25日朝刊38面</ref>。


歴史的建造物への被害も多く[[香取市]]佐原(震度6)にある[[伊能忠敬]]旧宅<ref group="注">鉄筋コンクリート作りの[[伊能忠敬記念館]]が平成10年に完成し、2,345点の[[国宝]]資料を保存しているため、資料は無事であった。</ref>、歴史的建造物が並ぶ[[小野川 (千葉県)|小野川]]の護岸が一部崩れ、正文堂書店の屋根瓦が落ちる被害<ref>[http://www.city.katori.lg.jp/saigai/saigai_photo.html 東日本大震災における香取市内の被災状況写真] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140917181900/http://www.city.katori.lg.jp/saigai/saigai_photo.html |date=2014年9月17日}}</ref>、旭市の大原幽学遺跡旧宅で敷地の地割れや地盤沈下、[[佐倉市]]の[[旧堀田邸]]は漆喰に亀裂が入り、[[市川市]]の[[法華経寺]]では法華堂の天蓋の飾りの一部が落ちる被害が発生した<ref>「伊能忠敬旧宅も…佐原の伝統的町並み、被害深刻」2011年3月23日『読売新聞』</ref>。
歴史的建造物への被害も多く[[香取市]]佐原(震度6)にある[[伊能忠敬]]旧宅<ref group="注">鉄筋コンクリート作りの[[伊能忠敬記念館]]が平成10年に完成し、2,345点の[[国宝]]資料を保存しているため、資料は無事であった。</ref>、歴史的建造物が並ぶ[[小野川 (千葉県)|小野川]]の護岸が一部崩れ、正文堂書店の屋根瓦が落ちる被害<ref>[http://www.city.katori.lg.jp/saigai/saigai_photo.html 東日本大震災における香取市内の被災状況写真] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140917181900/http://www.city.katori.lg.jp/saigai/saigai_photo.html |date=2014年9月17日}}</ref>、旭市の大原幽学遺跡旧宅で敷地の地割れや地盤沈下、[[佐倉市]]の[[旧堀田邸]]は漆喰に亀裂が入り、[[市川市]]の[[法華経寺]]では法華堂の天蓋の飾りの一部が落ちる被害が発生した<ref>「伊能忠敬旧宅も…佐原の伝統的町並み、被害深刻」2011年3月23日『読売新聞』</ref>。
473行目: 477行目:
栃木県では、[[芳賀町]]にある[[本田技術研究所]]で[[壁]]が崩れて男性1人が犠牲に、[[那須烏山市]]神長地区で夫婦が[[山崩れ]]に巻き込まれて2人が犠牲に、[[日光市]]で女性が屋根から落ちて脳出血を起こして1人犠牲になるなど計4人が死亡した<ref>{{PDFlink|[https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/index_topics/jisin/201107_jisin_tochigi1.pdf 栃木県内における被害報告] 土木学会関東支部栃木地区}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.pref.tochigi.lg.jp/h02/kouhou/documents/documents/03_chapter3.pdf 第3章 東日本大震災からの復旧・復興] 栃木県}}</ref>。
栃木県では、[[芳賀町]]にある[[本田技術研究所]]で[[壁]]が崩れて男性1人が犠牲に、[[那須烏山市]]神長地区で夫婦が[[山崩れ]]に巻き込まれて2人が犠牲に、[[日光市]]で女性が屋根から落ちて脳出血を起こして1人犠牲になるなど計4人が死亡した<ref>{{PDFlink|[https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/index_topics/jisin/201107_jisin_tochigi1.pdf 栃木県内における被害報告] 土木学会関東支部栃木地区}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.pref.tochigi.lg.jp/h02/kouhou/documents/documents/03_chapter3.pdf 第3章 東日本大震災からの復旧・復興] 栃木県}}</ref>。


[[真岡市]]反町では数か所で地震の影響による液状化現象が発生し、割れ目から[[砂]]が噴出した。液状化が起こった地域はかつて旧河川あるいは河岸った場所であり、農地の下には砂の層で広がっているからであるという。
[[真岡市]]反町では数か所で地震の影響による液状化現象が発生し、割れ目から[[砂]]が噴出した。液状化が起こった地域はかつて旧河川あるいは河岸であった場所であり、農地の下には砂の層で広がっているからであるという。


[[宇都宮市]]では、板戸地区で[[国道408号線]]沿いにある地山が土砂崩れを起こし、道路が封鎖されるなどの被害が出た。
[[宇都宮市]]では、板戸地区で[[国道408号線]]沿いにある地山が土砂崩れを起こし、道路が封鎖されるなどの被害が出た。
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[[栃木市]][[岩舟町]]では、霊山[[岩船山]]の西側の峰がV字に崩れ、さらに別の部分でも山肌が崩れるなどしたが、人や家屋に被害はなかった。
[[栃木市]][[岩舟町]]では、霊山[[岩船山]]の西側の峰がV字に崩れ、さらに別の部分でも山肌が崩れるなどしたが、人や家屋に被害はなかった。


[[那珂川町]]では県内の主要道の一つである[[栃木県道52号矢板那珂川線]]にある新那珂橋が地震の影響で橋脚10基のうち4基の頭部に亀裂が見つかりうち2か所は沓が破断、上部工も破損しているなどの大きな被害<ref>{{Cite news|title=新那珂橋の延命化困難 県 地元説明経て方針決定へ |newspaper=『日刊建設新聞』|url=http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=4969}}</ref>を受け、撤去されることとなった<ref>{{Cite news |title=栃木県の新那珂橋 地震被害で築80年を前に苦渋の決断 |newspaper=日経アーキテクチュア |url=https://kenplatz.nikkeibp.co.jp/pdf/NCR/13/060200493/}}</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000062692.pdf 新那珂橋撤去工事について] 栃木県烏山土木事務所}}</ref>。
[[那珂川町]]では県内の主要道の一つである[[栃木県道52号矢板那珂川線]]にある新那珂橋が地震の影響で橋脚10基のうち4基の頭部に亀裂が見つかりうち2か所は沓が破断、上部工も破損しているなどの大きな被害<ref>{{Cite news|title=新那珂橋の延命化困難 県 地元説明経て方針決定へ |newspaper=『日刊建設新聞』|url=http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=4969}}</ref>を受け、撤去されることとなった<ref>{{Cite news ja |title=栃木県の新那珂橋 地震被害で築80年を前に苦渋の決断 |newspaper=日経アーキテクチュア |url=https://kenplatz.nikkeibp.co.jp/pdf/NCR/13/060200493/}}</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000062692.pdf 新那珂橋撤去工事について] 栃木県烏山土木事務所}}</ref>。


真岡市の[[井頭公園]][[一万人プール]]が震災の影響でウォータースライダーを支える支柱や配管などが壊れ営業が中止になり、2013年には完全復旧した<ref>{{Cite news |title=一万人プール完全復活 7月に3季ぶり 栃木・真岡 |newspaper=朝日新聞デジタル |url=http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201306020198.html |archiveurl=https://archive.is/20160415044409/http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201306020198.html |archivedate=2016-04-15}}</ref>。
真岡市の[[井頭公園]][[一万人プール]]が震災の影響でウォータースライダーを支える支柱や配管などが壊れ営業が中止になり、2013年には完全復旧した<ref>{{Cite news ja |title=一万人プール完全復活 7月に3季ぶり 栃木・真岡 |newspaper=朝日新聞デジタル |url=http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201306020198.html |archiveurl=https://archive.is/20160415044409/http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201306020198.html |archivedate=2016-04-15}}</ref>。


歴史的遺産の被害としては[[益子町]]の[[地蔵院 (栃木県益子町)|地蔵院]]の歴代[[宇都宮氏]]の墓所にある[[戦国大名]][[下野国|下野]]宇都宮氏17代当主[[宇都宮成綱]]、18代当主[[宇都宮忠綱]]の[[五輪塔]]が被害を受けた<ref>{{Cite book|和書 |author=市村高男|authorlink=市村高男 |year=2013 |title=中世宇都宮氏の世界 下野・豊前・伊予の時空を翔る |pages=248-249|publisher=[[彩流社]] |isbn=978-4-7791-1949-1}}</ref>。また、[[さくら市]]では観光スポットである[[喜連川城]][[城跡]]にある[[喜連川城|お丸山公園]]が地震の影響により敷地内に700メートルにわたる大規模な亀裂が生じたほか、公園内の各種施設が損壊するなどの被害を受け、立ち入り禁止となってしまった。現在は土地部分の復旧はしているが喜連川スカイタワーなどの施設はまだ復旧のめどが立っていない<ref>{{Cite news |title=避難やっと終わる さくら市喜連川地区 亀裂、豪雨で土砂崩れ |newspaper=[[47NEWS]] |url=http://www.47news.jp/photo/598064.php}}</ref>。日光市にある[[日光田母沢御用邸記念公園]]では石積みが破損するなどの被害が出た。
歴史的遺産の被害としては[[益子町]]の[[地蔵院 (栃木県益子町)|地蔵院]]の歴代[[宇都宮氏]]の墓所にある[[戦国大名]][[下野国|下野]]宇都宮氏17代当主[[宇都宮成綱]]、18代当主[[宇都宮忠綱]]の[[五輪塔]]が被害を受けた<ref>{{Cite book|和書 |author=市村高男|authorlink=市村高男 |year=2013 |title=中世宇都宮氏の世界 下野・豊前・伊予の時空を翔る |pages=248-249|publisher=[[彩流社]] |isbn=978-4-7791-1949-1}}</ref>。また、[[さくら市]]では観光スポットである[[喜連川城]][[城跡]]にある[[喜連川城|お丸山公園]]が地震の影響により敷地内に700メートルにわたる大規模な亀裂が生じたほか、公園内の各種施設が損壊するなどの被害を受け、立ち入り禁止となってしまった。現在は土地部分の復旧はしているが喜連川スカイタワーなどの施設はまだ復旧のめどが立っていない<ref>{{Cite news ja |title=避難やっと終わる さくら市喜連川地区 亀裂、豪雨で土砂崩れ |newspaper=[[47NEWS]] |url=http://www.47news.jp/photo/598064.php}}</ref>。日光市にある[[日光田母沢御用邸記念公園]]では石積みが破損するなどの被害が出た。


==== 神奈川県 ====
==== 神奈川県 ====
[[神奈川県]]では震災の影響で停電が相次ぎ、停電による酸素吸入装置の停止で女性1名が死亡したほか、[[横浜市]]や[[藤沢市]]、[[川崎市]]にて避難中などに転倒し女性2名、男性1名の死亡が確認されている。また、横須賀市で火災が2件発生し、男女2人が死亡している。計画停電で信号機が停止した厚木市内の県道交差点で、オートバイとワゴン車が衝突するなど、この死亡事故を含め、計画停電で信号機が止まった影響による事故は37件(人身12件、物損25件)となった。建物被害は横浜市内で多発し、住宅と住宅以外の建築物の被害は少なくとも198棟であった(建物全壊1棟、半壊7棟、一部破損151棟)。全壊した1棟は、新耐震基準が導入された1981年以前のビルった。また、横浜市内の埋立地では液状化による被害も多数報告されている<ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災1カ月:停電で火災や事故も、4人死亡128人負傷/神奈川 {{!}} 社会 |url=https://www.kanaloco.jp/article/entry-86686.html |website=カナロコ |accessdate=2019-06-18}}</ref>。
[[神奈川県]]では震災の影響で停電が相次ぎ、停電による酸素吸入装置の停止で女性1名が死亡したほか、[[横浜市]]や[[藤沢市]]、[[川崎市]]にて避難中などに転倒し女性2名、男性1名の死亡が確認されている。また、横須賀市で火災が2件発生し、男女2人が死亡している。計画停電で信号機が停止した厚木市内の県道交差点で、オートバイとワゴン車が衝突するなど、この死亡事故を含め、計画停電で信号機が止まった影響による事故は37件(人身12件、物損25件)となった。建物被害は横浜市内で多発し、住宅と住宅以外の建築物の被害は少なくとも198棟であった(建物全壊1棟、半壊7棟、一部破損151棟)。全壊した1棟は、新耐震基準が導入された1981年以前のビルであった。また、横浜市内の埋立地では液状化による被害も多数報告されている<ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災1カ月:停電で火災や事故も、4人死亡128人負傷/神奈川 {{!}} 社会 |url=https://www.kanaloco.jp/article/entry-86686.html |website=カナロコ |accessdate=2019-06-18}}</ref>。


[[川崎市]]では、[[ミューザ川崎シンフォニーホール]](大ホール)の[[天井]]板が大規模に崩落し、2年以上の長期間の休館を余儀なくされた。
[[川崎市]]では、[[ミューザ川崎シンフォニーホール]](大ホール)の[[天井]]板が大規模に崩落し、2年以上の長期間の休館を余儀なくされた。


==== 埼玉県 ====
==== 埼玉県 ====
[[埼玉県]][[久喜市]]など内陸部においても液状化が発生した。久喜市南栗橋地区で地区約2千戸のうち、11戸が全壊し、大規模半壊は41戸、半壊は54戸、一部破損71戸に上り<ref>{{Cite news |title=家傾き半年以上アパート生活 液状化被害の埼玉・久喜 |newspaper=朝日新聞 |date=2012-10-07 |accessdate=2019-06-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130521142706/http://www.asahi.com/national/intro/TKY201210050580.html |archivedate=2013-5-21 |url=http://www.asahi.com/national/intro/TKY201210050580.html}}</ref>、道路は21路線で隆起や側溝の破損が起き、水道管や電柱にも影響が及ぶなど被害は甚大となった<ref>{{Cite web|和書|title=【置き去りにされた被災地を歩く】第5回・埼玉県久喜市 内陸部の液状化、住民も驚いた 元は田んぼ、「再発対策」が急務 |url=https://www.j-cast.com/2012/03/20125935.html |website=J-CASTニュース |date=2012-03-20 |accessdate=2019-06-18}}</ref>。
[[埼玉県]][[久喜市]]など内陸部においても液状化が発生した。久喜市南栗橋地区で地区約2千戸のうち、11戸が全壊し、大規模半壊は41戸、半壊は54戸、一部破損71戸に上り<ref>{{Cite news ja |title=家傾き半年以上アパート生活 液状化被害の埼玉・久喜 |newspaper=朝日新聞 |date=2012-10-07 |accessdate=2019-06-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130521142706/http://www.asahi.com/national/intro/TKY201210050580.html |archivedate=2013-5-21 |url=http://www.asahi.com/national/intro/TKY201210050580.html}}</ref>、道路は21路線で隆起や側溝の破損が起き、水道管や電柱にも影響が及ぶなど被害は甚大となった<ref>{{Cite web|和書|title=【置き去りにされた被災地を歩く】第5回・埼玉県久喜市 内陸部の液状化、住民も驚いた 元は田んぼ、「再発対策」が急務 |url=https://www.j-cast.com/2012/03/20125935.html |website=J-CASTニュース |date=2012-03-20 |accessdate=2019-06-18}}</ref>。


==== 群馬県 ====
==== 群馬県 ====
[[群馬県]]では地震発生時に庭の草むしりをしていた女性が落ちてきた屋根瓦の直撃を受けて亡くなったのが県内唯一の犠牲者となった<ref>{{Cite news |url=https://mainichi.jp/articles/20210312/k00/00m/040/053000c |title=もっと生きたかったはず 東日本大震災、群馬県ただ一人の犠牲者 |date=2021-3-12 |accessdate=2021-09-10 |newspaper=毎日新聞|author=鈴木敦子}}</ref>。また、[[国道354号線]](当時、現[[群馬県道142号綿貫篠塚線|群馬県道142号線]])の五料橋において4[[センチメートル]] (cm) の段差が発生した<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gunma.jp/contents/000188126.pdf 第2節 群馬県内の地震による被害の状況] 群馬県}}</ref>。
[[群馬県]]では地震発生時に庭の草むしりをしていた女性が落ちてきた屋根瓦の直撃を受けて亡くなったのが県内唯一の犠牲者となった<ref>{{Cite news ja |url=https://mainichi.jp/articles/20210312/k00/00m/040/053000c |title=もっと生きたかったはず 東日本大震災、群馬県ただ一人の犠牲者 |date=2021-3-12 |accessdate=2021-09-10 |newspaper=毎日新聞|author=鈴木敦子}}</ref>。また、[[国道354号線]](当時、現[[群馬県道142号綿貫篠塚線|群馬県道142号線]])の五料橋において4[[センチメートル]] (cm) の段差が発生した<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.gunma.jp/contents/000188126.pdf 第2節 群馬県内の地震による被害の状況] 群馬県}}</ref>。


==== 日本国外 ====
==== 日本国外 ====
{{Main|東北地方太平洋沖地震#日本国外}}
{{Main|東北地方太平洋沖地震#日本国外}}
[[アメリカ合衆国]]の[[カリフォルニア州]][[クレセントシティ (カリフォルニア州)|クレセントシティ]]では5人が太平洋を渡った津波にさらわれ、うち1人が犠牲になった<ref>{{Cite news |url=http://www.news10.net/news/local/story.aspx?storyid=127779 |title=Waves sweep 4 out to sea in Crescent City as tsunami surges reach west coast &#124;News10.net &#124;Sacramento, California &#124;Local News |language=英語 |publisher=News10.net |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314162422/http://www.news10.net/news/local/story.aspx?storyid=127779 |archivedate=2011-03-14}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20589020110413 |title=米西海岸に到達した津波の不明者、480キロ先で遺体発見 |publisher=ロイター |date=2011-04-13 |accessdate=2015-03-13}}</ref>。
[[アメリカ合衆国]]の[[カリフォルニア州]][[クレセントシティ (カリフォルニア州)|クレセントシティ]]では5人が太平洋を渡った津波にさらわれ、うち1人が犠牲になった<ref>{{Cite news ja |url=http://www.news10.net/news/local/story.aspx?storyid=127779 |title=Waves sweep 4 out to sea in Crescent City as tsunami surges reach west coast &#124;News10.net &#124;Sacramento, California &#124;Local News |language=英語 |publisher=News10.net |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314162422/http://www.news10.net/news/local/story.aspx?storyid=127779 |archivedate=2011-03-14}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20589020110413 |title=米西海岸に到達した津波の不明者、480キロ先で遺体発見 |publisher=ロイター |date=2011-04-13 |accessdate=2015-03-13}}</ref>。


[[インドネシア]]の[[パプア州]]でも、津波により1人が犠牲になり、5人が行方不明となった<ref>{{Cite news |url=http://news24.jp/articles/2011/03/13/10178100.html |title=地震の津波、世界中で被害をもたらす |publisher=日テレNEWS24 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13}}</ref>。
[[インドネシア]]の[[パプア州]]でも、津波により1人が犠牲になり、5人が行方不明となった<ref>{{Cite news ja |url=https://web.archive.org/web/20110315090838/http://news24.jp/articles/2011/03/13/10178100.html |title=地震の津波、世界中で被害をもたらす |publisher=日テレNEWS24 |date=2011-03-13 |accessdate=2011-03-13}}</ref>。


太平洋の広い範囲に津波が到達したため、日本国外でも建造物の被害が発生した。[[ハワイ諸島]]では[[ハワイ島]]西岸に津波が押し寄せ、浸水などにより3軒のホテルが営業不能となるなど、数千万ドルに上る被害が発生した<ref>{{Cite news |title=Tsunami damage estimate for Hawaii now tens of millions |language=英語 |newspaper=[[ホノルル・スター・アドバタイザー]] |date=2011-03-14 |author=Dan Nakaso |url=http://www.staradvertiser.com/news/breaking/117965429.html |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110315014511/http://www.staradvertiser.com/news/breaking/117965429.html |archivedate=2011-03-15}}</ref>。カリフォルニア州のクレセントシティや[[サンタクルーズ (カリフォルニア州)|サンタクルーズ]]では港湾が損壊し、停泊していた船舶の損害と合わせて1,400万ドルの被害が出た<ref>{{Cite news |title=Tsunami: Santa Cruz harbor dock destroyed, man swept out to sea near Klamath River |language=英語 |newspaper=サンノゼ・マーキュリー・ニュース |date=2011-03-11 |author=Mark Gomez |author2=Paul Rogers |author3=Mike Rosenberg |author4=Joshua Melvin |author5=Julia Scott |url=http://www.mercurynews.com/central-coast/ci_17591372 |accessdate=2015-03-14}}</ref>。[[チリ]]では数十の住宅が損壊し、200人近くが住家を失った<ref>{{Cite news |title=Japón: Aumentan a 8.649 los muertos y a 12.877 los desaparecidos |language=スペイン語 |newspaper=Cooperativa.cl |date=2011-03-20 |url=http://www.cooperativa.cl/gobierno-cancelo-alarma-de-tsunami-para-isla-de-pascua/prontus_nots/2011-03-11/062730.html |accessdate=2015-03-14}}</ref>。インドネシアでは、パプア州にあるヨテーファ湾沿岸の複数の村で、住宅が損壊する被害が出た<ref>[https://archive.is/20120915113206/http://www.solopos.com/2011/03/12/tsunami-rusak-rumah-jembatan-di-tobati-jayapura-88859 Di Tobati Jayapura, tsunami rusak rumah - jayapura tobati tsunami|SOLOPOS.COM(インドネシア語)](2012年9月15日時点の[[archive.is|アーカイブ]])</ref>。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[オレゴン州]]などに流れ着いた漂流物への付着により、それまで現地では確認されていなかった[[ワカメ]]、[[コンブ|マコンブ]]、[[海苔]]などの[[海藻]]が漂着し、成長していることが確認されている。これらは漁業や環境に危害を与える心配がある<ref>{{Cite news |title=米オレゴンに日本のワカメ 震災で漂流、環境に影響懸念 |newspaper=『朝日新聞』 |date=2013-03-27 |url=http://www.asahi.com/international/update/0327/TKY201303270039.html |accessdate=2013-03-27 |archiveurl=https://archive.is/20130425000514/http://www.asahi.com/international/update/0327/TKY201303270039.html |archivedate=2013-04-25}}</ref>。
太平洋の広い範囲に津波が到達したため、日本国外でも建造物の被害が発生した。[[ハワイ諸島]]では[[ハワイ島]]西岸に津波が押し寄せ、浸水などにより3軒のホテルが営業不能となるなど、数千万ドルに上る被害が発生した<ref>{{Cite news ja |title=Tsunami damage estimate for Hawaii now tens of millions |language=英語 |newspaper=[[ホノルル・スター・アドバタイザー]] |date=2011-03-14 |author=Dan Nakaso |url=http://www.staradvertiser.com/news/breaking/117965429.html |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110315014511/http://www.staradvertiser.com/news/breaking/117965429.html |archivedate=2011-03-15}}</ref>。カリフォルニア州のクレセントシティや[[サンタクルーズ (カリフォルニア州)|サンタクルーズ]]では港湾が損壊し、停泊していた船舶の損害と合わせて1,400万ドルの被害が出た<ref>{{Cite news ja |title=Tsunami: Santa Cruz harbor dock destroyed, man swept out to sea near Klamath River |language=英語 |newspaper=サンノゼ・マーキュリー・ニュース |date=2011-03-11 |author=Mark Gomez |author2=Paul Rogers |author3=Mike Rosenberg |author4=Joshua Melvin |author5=Julia Scott |url=http://www.mercurynews.com/central-coast/ci_17591372 |accessdate=2015-03-14}}</ref>。[[チリ]]では数十の住宅が損壊し、200人近くが住家を失った<ref>{{Cite news ja |title=Japón: Aumentan a 8.649 los muertos y a 12.877 los desaparecidos |language=スペイン語 |newspaper=Cooperativa.cl |date=2011-03-20 |url=http://www.cooperativa.cl/gobierno-cancelo-alarma-de-tsunami-para-isla-de-pascua/prontus_nots/2011-03-11/062730.html |accessdate=2015-03-14}}</ref>。インドネシアでは、パプア州にあるヨテーファ湾沿岸の複数の村で、住宅が損壊する被害が出た<ref>[https://archive.is/20120915113206/http://www.solopos.com/2011/03/12/tsunami-rusak-rumah-jembatan-di-tobati-jayapura-88859 Di Tobati Jayapura, tsunami rusak rumah - jayapura tobati tsunami|SOLOPOS.COM(インドネシア語)](2012年9月15日時点の[[archive.is|アーカイブ]])</ref>。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[オレゴン州]]などに流れ着いた漂流物への付着により、それまで現地では確認されていなかった[[ワカメ]]、[[コンブ|マコンブ]]、[[海苔]]などの[[海藻]]が漂着し、成長していることが確認されている。これらは漁業や環境に危害を与える心配がある<ref>{{Cite news ja |title=米オレゴンに日本のワカメ 震災で漂流、環境に影響懸念 |newspaper=『朝日新聞』 |date=2013-03-27 |url=http://www.asahi.com/international/update/0327/TKY201303270039.html |accessdate=2013-03-27 |archiveurl=https://archive.is/20130425000514/http://www.asahi.com/international/update/0327/TKY201303270039.html |archivedate=2013-04-25}}</ref>。


== 影響 ==
== 影響 ==
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=== 人口変化 ===
=== 人口変化 ===
==== 避難者 ====
==== 避難者 ====
岩手県内の避難所は2011年10月に、宮城県内の避難所は2011年12月に、福島県内の避難所は2011年12月に全て閉鎖された<ref>[https://www.bousai.go.jp/taisaku/hinanjo/h24_kentoukai/1/pdf/8.pdf 東日本大震災の避難所生活者数の推移について] 内閣府。</ref><ref>[http://www.rescuenow.net/news/11091 福島県の震災避難所閉鎖] rescuenow.net</ref>。埼玉県[[加須市]]に設置された、福島県[[双葉町]]から集団避難した住民の避難所は、2013年12月まで続いた。一方、災害公営住宅や仮設住宅での避難生活は長期化。震災直後の避難者は推計47万人であったが、20238月1日時点で3115人になった。各県にいる避難者は、福島6099人、宮城703人、岩手305人。県外避難者は福島から2万704人、宮城1096人、岩手565人<ref name=":0" />。建設済み災害公営住宅3万77戸(計画3万200戸)、宅地造成済み4700戸(計画2万600戸)<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-2/210622_FukkoShihyo.pdf |title=公共インフラの本格復旧・復興の進捗状況 |accessdate=2021-07-27 |publisher=復興庁}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-2/20190228_FukkoShihyo.pdf |title=復興の現状と取り組み |accessdate=2019-03-12 |publisher=}}</ref><ref>「震災避難 20万人以下に」『日本経済新聞』2015年8月30日</ref>。
岩手県内の避難所は2011年10月に、宮城県内の避難所は2011年12月に、福島県内の避難所は2011年12月に全て閉鎖された<ref>[https://www.bousai.go.jp/taisaku/hinanjo/h24_kentoukai/1/pdf/8.pdf 東日本大震災の避難所生活者数の推移について] 内閣府。</ref><ref>[http://www.rescuenow.net/news/11091 福島県の震災避難所閉鎖] rescuenow.net</ref>。埼玉県[[加須市]]に設置された、福島県[[双葉町]]から集団避難した住民の避難所は、2013年12月まで続いた。一方、災害公営住宅や仮設住宅での避難生活は長期化。震災直後の避難者は推計47万人であったが、20242月1日時点で29328人になった。各県にいる避難者は、福島5993人、宮城703人、岩手304人。県外避難者は福島から2万279人、宮城889人、岩手545人<ref name=":0" />。建設済み災害公営住宅3万77戸(計画3万200戸)、宅地造成済み4700戸(計画2万600戸)<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-2/210622_FukkoShihyo.pdf |title=公共インフラの本格復旧・復興の進捗状況 |accessdate=2021-07-27 |publisher=復興庁}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-2/20190228_FukkoShihyo.pdf |title=復興の現状と取り組み |accessdate=2019-03-12 |publisher=}}</ref><ref>「震災避難 20万人以下に」『日本経済新聞』2015年8月30日</ref>。


*福島県の県外避難(20238月1日)(合計約2.1万人、県内避難は約6,100人)
*福島県の県外避難(20242月1日)(合計約2万300人、県内避難は約6,000人)<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/616196.pdf |title=福島県から県外への避難状況 |access-date=2024年3月11日 |publisher=福島県}}</ref>
*:(1) 茨城県(2,487人)(2) 埼玉県(2,387人)(3) 東京都(2,847人)(4) 新潟県(1,862人)(6) 宮城(703人)(7)千葉県(1,430人)(8) 神奈川県(1,241人)(9) 山形(1244人)(10)栃木県(1,159人)
*:(1) 茨城県(2,322人)(2) 東京都(2,250人)(3) 埼玉県(2,225人)(4) 新潟県(1,822人)(5)千葉(1,271人)(6) 宮城県(1,192人)(7) 神奈川県(1,175人)(9)栃木(1,150人)(10) 山形県(1,123人)


==== 推計人口 ====
==== 推計人口 ====
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被災地のうち、太平洋沿岸の青森県八戸市から福島県いわき市までおよび原発事故の避難地域の[[推計人口]](2010年(平成22年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]基準)を、震災前(2011年[[3月1日]])と最新とを比較して以下に記載する。
被災地のうち、太平洋沿岸の青森県八戸市から福島県いわき市までおよび原発事故の避難地域の[[推計人口]](2010年(平成22年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]基準)を、震災前(2011年[[3月1日]])と最新とを比較して以下に記載する。


最新の推計人口は、青森県が{{自治体人口/青森県|date}}現在、岩手県が{{自治体人口/岩手県|date}}現在、宮城県が{{自治体人口/宮城県|date}}現在、福島県が{{自治体人口/福島県|date}}現在。ただし、2015年(平成27年)国勢調査実施時点で全町・全村が原子力災害による避難指示区域となっている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、飯舘村、葛尾村および、2015年9月4日まで全町が避難指示区域った楢葉町については、福島県が最新の推計人口の発表をしていないため<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20160305045442/http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/152377.pdf 利用の手引き]}}(2016年3月5日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 福島県</ref>、平成27年国勢調査速報値(2015年10月1日時点の人口)<ref>[http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka.htm 平成27年国勢調査 調査の結果](総務省統計局)</ref>で代用する。
最新の推計人口は、青森県が{{自治体人口/青森県|date}}現在、岩手県が{{自治体人口/岩手県|date}}現在、宮城県が{{自治体人口/宮城県|date}}現在、福島県が{{自治体人口/福島県|date}}現在。ただし、2015年(平成27年)国勢調査実施時点で全町・全村が原子力災害による避難指示区域となっている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、飯舘村、葛尾村および、2015年9月4日まで全町が避難指示区域であった楢葉町については、福島県が最新の推計人口の発表をしていないため<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20160305045442/http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/152377.pdf 利用の手引き]}}(2016年3月5日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 福島県</ref>、平成27年国勢調査速報値(2015年10月1日時点の人口)<ref>[http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2015/kekka.htm 平成27年国勢調査 調査の結果](総務省統計局)</ref>で代用する。
{|class="wikitable sortable" style="text-align:right"
{|class="wikitable sortable" style="text-align:right"
|+震災前(2011年[[3月1日]])<ref>[http://www6.pref.aomori.lg.jp/tokei/document_view.php?sheet_no=2779 青森県人口移動統計調査 青森県の推計人口(平成23年)](青森県)</ref><ref>[http://www3.pref.iwate.jp/webdb/view/outside/s14Tokei/top.html いわての統計情報](岩手県)</ref><ref>[https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/toukei/suikei-top.html 統計データ/宮城県推計人口(月報)](宮城県)</ref><ref>[http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11045b/15847.html 過去の結果(福島県の推計人口 福島県現住人口調査月報)](福島県)</ref>と直近の[[推計人口]]の比較
|+震災前(2011年[[3月1日]])<ref>[http://www6.pref.aomori.lg.jp/tokei/document_view.php?sheet_no=2779 青森県人口移動統計調査 青森県の推計人口(平成23年)](青森県)</ref><ref>[http://www3.pref.iwate.jp/webdb/view/outside/s14Tokei/top.html いわての統計情報](岩手県)</ref><ref>[https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/toukei/suikei-top.html 統計データ/宮城県推計人口(月報)](宮城県)</ref><ref>[http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11045b/15847.html 過去の結果(福島県の推計人口 福島県現住人口調査月報)](福島県)</ref>と直近の[[推計人口]]の比較
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{{Main2|福島第一原子力発電所事故に関わる経済面への影響|福島第一原子力発電所事故の影響#経済などへの影響}}
{{Main2|福島第一原子力発電所事故に関わる経済面への影響|福島第一原子力発電所事故の影響#経済などへの影響}}
{{Main2|義援金振込の集中による2011年3月のみずほ銀行[[勘定系システム|システム]]障害|みずほ銀行#旧みずほ銀行が2011年3月に引き起こしたトラブル}}
{{Main2|義援金振込の集中による2011年3月のみずほ銀行[[勘定系システム|システム]]障害|みずほ銀行#旧みずほ銀行が2011年3月に引き起こしたトラブル}}
3月11日の[[東京証券取引所]]の大引けまであと14分という時間に震災が発生。株式市場には売りが殺到、10,350円前後で推移していた日経平均は10,254円43銭と前日比180円安まで急落し、安値引けとなった。週明け3月14日の東京市場は9時より通常通り取引を開始したが、ほとんどの銘柄が売り気配で始まった。日経平均は、始値は210円安の10,044円17銭で始まり、幅広い銘柄に売り注文が殺到し下げ幅を拡大、終値は9,620円49銭(633円94銭安 6.18%の下げ)と1万円を割りこんだ。更に翌3月15日には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大したことで日経平均は大幅続落、一時1,392円安の安値8,227円63銭まで下げ、終値は1,015円安の8,605円15銭と9,000円を割り込んだ。15日の[[日経平均株価]]は前日比-10.55%、過去3番目に高い下落率の大幅下落を記録する事となった。震災前と比べ、3営業日で2,361円87銭安(22.3%安)になった。その後、地震から4営業日目の16日に反発となり、488円高の9,093円まで戻した<ref>{{Cite news |date=2011-03-15 |title=東京株暴落 1300円超下げ 下落率は過去2番目 |url=http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110315/eca1103151310012-n1.htm |publisher=『産経新聞』 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318015910/http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110315/eca1103151310012-n1.htm |archivedate=2011-03-18}}</ref><ref name="sankeibiz110324">[https://web.archive.org/web/20110406001320/http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110324/eca1103242143013-n1.htm 【東日本大震災】株暴落、復興需要で円最高値](2011年4月6日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - SankeiBiz(サンケイビズ)、2011年3月24日。</ref><ref name="msnsankei110315">[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110315/fnc11031515250019-n1.htm 東京株1015円安 下落率、過去3位の10・55%] {{webarchive |url=https://archive.is/20130103204634/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110315/fnc11031515250019-n1.htm |date=2013年1月3日}} msn産経ニュース(2011年3月15日)</ref>。
3月11日の[[東京証券取引所]]の大引けまであと14分という時間に震災が発生。株式市場には売りが殺到、10,350円前後で推移していた日経平均は10,254円43銭と前日比180円安まで急落し、安値引けとなった。週明け3月14日の東京市場は9時より通常通り取引を開始したが、ほとんどの銘柄が売り気配で始まった。日経平均は、始値は210円安の10,044円17銭で始まり、幅広い銘柄に売り注文が殺到し下げ幅を拡大、終値は9,620円49銭(633円94銭安 6.18%の下げ)と1万円を割りこんだ。更に翌3月15日には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大したことで日経平均は大幅続落、一時1,392円安の安値8,227円63銭まで下げ、終値は1,015円安の8,605円15銭と9,000円を割り込んだ。15日の[[日経平均株価]]は前日比-10.55%、過去3番目に高い下落率の大幅下落を記録する事となった。震災前と比べ、3営業日で2,361円87銭安(22.3%安)になった。その後、地震から4営業日目の16日に反発となり、488円高の9,093円まで戻した<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-15 |title=東京株暴落 1300円超下げ 下落率は過去2番目 |url=http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110315/eca1103151310012-n1.htm |publisher=『産経新聞』 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318015910/http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110315/eca1103151310012-n1.htm |archivedate=2011-03-18}}</ref><ref name="sankeibiz110324">[https://web.archive.org/web/20110406001320/http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110324/eca1103242143013-n1.htm 【東日本大震災】株暴落、復興需要で円最高値](2011年4月6日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - SankeiBiz(サンケイビズ)、2011年3月24日。</ref><ref name="msnsankei110315">[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110315/fnc11031515250019-n1.htm 東京株1015円安 下落率、過去3位の10・55%] {{webarchive |url=https://archive.is/20130103204634/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110315/fnc11031515250019-n1.htm |date=2013年1月3日}} msn産経ニュース(2011年3月15日)</ref>。


一方、[[外国為替]]相場では、復興資金調達のために円の価値が高まるとの思惑から急激な円高が進行し、3月17日に一時1ドル = 76円台となって戦後最高値を更新した<ref>{{Cite news |date=2011-03-17 |newspaper=『読売新聞』 |title=円急騰、一時76円台…16年ぶり最高値更新 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110317-OYT1T00326.htm |accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://archive.is/20110321013606/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110317-OYT1T00326.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。これに対し、[[日本銀行]]やG7合意に基づく[[協調介入]]により市場の安定化を図ったため<ref>{{Cite news |date=2011-03-18 |title=日銀が11兆円供給、5日間で総額82兆円に |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110318-OYT1T00695.htm |accessdate=2011-03-23 |newspaper=『読売新聞』 |archiveurl=https://archive.is/20130111212530/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110318-OYT1T00695.htm |archivedate=2013-01-11}}</ref>、[[3月20日]]には80円台を回復し円高にも一応の歯止めがかかった<ref>{{Cite news |date=2011-03-20 |newspaper=『読売新聞』 |title=NY円は大幅反落、1ドル=80円55〜65銭 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20110320-OYT8T00406.htm?from=nwla |accessdate=2011-03-23}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。さらに、原子炉事故への対応の進展が伝えられると株価も反発し、3月22日には日経平均も9,600円台を回復した<ref>{{Cite news |date=2011-03-22 |newspaper=『読売新聞』 |title=日経平均大幅続伸、401円高の9608円 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110322-OYT1T00652.htm |accessdate=2011-03-23}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。
一方、[[外国為替]]相場では、復興資金調達のために円の価値が高まるとの思惑から急激な円高が進行し、3月17日に一時1ドル = 76円台となって戦後最高値を更新した<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-17 |newspaper=『読売新聞』 |title=円急騰、一時76円台…16年ぶり最高値更新 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110317-OYT1T00326.htm |accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://archive.is/20110321013606/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110317-OYT1T00326.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。これに対し、[[日本銀行]]やG7合意に基づく[[協調介入]]により市場の安定化を図ったため<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-18 |title=日銀が11兆円供給、5日間で総額82兆円に |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110318-OYT1T00695.htm |accessdate=2011-03-23 |newspaper=『読売新聞』 |archiveurl=https://archive.is/20130111212530/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110318-OYT1T00695.htm |archivedate=2013-01-11}}</ref>、[[3月20日]]には80円台を回復し円高にも一応の歯止めがかかった<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-20 |newspaper=『読売新聞』 |title=NY円は大幅反落、1ドル=80円55〜65銭 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20110320-OYT8T00406.htm?from=nwla |accessdate=2011-03-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323132349/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20110320-OYT8T00406.htm|archivedate=2011-03-23}}</ref>。さらに、原子炉事故への対応の進展が伝えられると株価も反発し、3月22日には日経平均も9,600円台を回復した<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-22 |newspaper=『読売新聞』 |title=日経平均大幅続伸、401円高の9608円 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110322-OYT1T00652.htm |accessdate=2011-03-23}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。


しかし、[[世界銀行]]が最大で2,350億ドル(約19兆円)、日本政府が16 - 25兆円の震災被害想定額を発表するなど、経済的影響の大きさが伝えられたほか<ref>{{Cite news |date=2011-03-22 |title=世銀 震災の被害額19兆円に |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110322/t10014818641000.html |publisher=NHKニュース |accessdate=2011-03-22}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110326223449/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110323/fnc11032320470016-n1.htm 【東日本大震災】被害総額16兆〜25兆円、政府試算 原発事故被害は含まず](2011年3月26日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])MSN産経ニュース(2011年3月23日)</ref>、[[全国企業短期経済観測調査|日銀短観]]や[[景気動向指数|景気動向]]調査でも景況感の悪化が伝えられた<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/today/news/20110406k0000m020074000c.html?inb=fa |title=景気動向:リーマン・ショックに次ぐ悪化 帝国データ調査 |accessdate=2011-04-05 |date=2011-04-05 |publisher=毎日新聞社}}{{リンク切れ|date=2014年10月27日}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20110405k0000m020088000c.html |title=日銀短観:景況感が悪化…震災影響、被災地以外にも拡大 |accessdate=2011-04-05 |date=2011-04-05 |publisher=毎日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110416060948/http://mainichi.jp/select/biz/news/20110405k0000m020088000c.html |archivedate=2011-04-16}}</ref>。工場の被災や部品不足により、国内外で生産停止や特定製品の品薄が発生した<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20110511ddm008040122000c.html |title=東日本大震災:発生2カ月 自動車部品なお不足 電子関連、塗料の供給不安定 |accessdate=2011-05-15 |date=2011-05-11 |publisher=毎日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110514083932/http://mainichi.jp/select/biz/news/20110511ddm008040122000c.html |archivedate=2011-05-14}}</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月26日朝刊6面</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.sankeibiz.jp/business/news/110404/bsc1104042303014-n2.htm |title=紙・インキ、供給不足の長期化懸念 被災で工場停止、新聞・出版など打撃 (2/2ページ) |accessdate=2011-04-09 |date=2011-04-05 |publisher=SankeiBiz |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110411001555/http://www.sankeibiz.jp/business/news/110404/bsc1104042303014-n2.htm |archivedate=2011-04-11}}</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月27日朝刊4面</ref>一方、「[[震災特需]]」「復興特需」による一部産業での景気の上向きが発生した<ref>[https://web.archive.org/web/20110316013638/http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/20eda5f3843165d731a411de3d39b412/ ゼネコンに震災特需は早計、インフラ工事で実績豊富な鹿島、大成など有利【震災関連速報】(1)](2011年3月16日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 東洋経済オンライン 2011年3月14日</ref><ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/Research/20110408/359253/ 震災後、意外と早かった「パソコンと家電」の市場回復] - ITpro 2011年4月8日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110925125031/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0409&f=business_0409_056.shtml 【復興特需関連株】帝国繊維は大地震を受け防災意識が高まり経営環境は追い風強まる](2011年9月25日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[SBIサーチナ|サーチナ]] 2011年4月9日</ref>。
しかし、[[世界銀行]]が最大で2,350億ドル(約19兆円)、日本政府が16 - 25兆円の震災被害想定額を発表するなど、経済的影響の大きさが伝えられたほか<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-22 |title=世銀 震災の被害額19兆円に |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110322/t10014818641000.html |publisher=NHKニュース |accessdate=2011-03-22}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110326223449/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110323/fnc11032320470016-n1.htm 【東日本大震災】被害総額16兆〜25兆円、政府試算 原発事故被害は含まず](2011年3月26日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])MSN産経ニュース(2011年3月23日)</ref>、[[全国企業短期経済観測調査|日銀短観]]や[[景気動向指数|景気動向]]調査でも景況感の悪化が伝えられた<ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/today/news/20110406k0000m020074000c.html?inb=fa |title=景気動向:リーマン・ショックに次ぐ悪化 帝国データ調査 |accessdate=2011-04-05 |date=2011-04-05 |publisher=毎日新聞社}}{{リンク切れ|date=2014年10月27日}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20110405k0000m020088000c.html |title=日銀短観:景況感が悪化…震災影響、被災地以外にも拡大 |accessdate=2011-04-05 |date=2011-04-05 |publisher=毎日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110416060948/http://mainichi.jp/select/biz/news/20110405k0000m020088000c.html |archivedate=2011-04-16}}</ref>。工場の被災や部品不足により、国内外で生産停止や特定製品の品薄が発生した<ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20110511ddm008040122000c.html |title=東日本大震災:発生2カ月 自動車部品なお不足 電子関連、塗料の供給不安定 |accessdate=2011-05-15 |date=2011-05-11 |publisher=毎日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110514083932/http://mainichi.jp/select/biz/news/20110511ddm008040122000c.html |archivedate=2011-05-14}}</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月26日朝刊6面</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.sankeibiz.jp/business/news/110404/bsc1104042303014-n2.htm |title=紙・インキ、供給不足の長期化懸念 被災で工場停止、新聞・出版など打撃 (2/2ページ) |accessdate=2011-04-09 |date=2011-04-05 |publisher=SankeiBiz |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110411001555/http://www.sankeibiz.jp/business/news/110404/bsc1104042303014-n2.htm |archivedate=2011-04-11}}</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月27日朝刊4面</ref>一方、「[[震災特需]]」「復興特需」による一部産業での景気の上向きが発生した<ref>[https://web.archive.org/web/20110316013638/http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/20eda5f3843165d731a411de3d39b412/ ゼネコンに震災特需は早計、インフラ工事で実績豊富な鹿島、大成など有利【震災関連速報】(1)](2011年3月16日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 東洋経済オンライン 2011年3月14日</ref><ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/Research/20110408/359253/ 震災後、意外と早かった「パソコンと家電」の市場回復] - ITpro 2011年4月8日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110925125031/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0409&f=business_0409_056.shtml 【復興特需関連株】帝国繊維は大地震を受け防災意識が高まり経営環境は追い風強まる](2011年9月25日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[SBIサーチナ|サーチナ]] 2011年4月9日</ref>。


10年後の2020年では復興特需の終了、帰還の諦め、人口流出など民間の自立的な成長が課題となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020600438&g=eco |title=被災地経済、伸び悩み 沿岸部は復興なお遠く―民間主導の成長課題・東北3県 |accessdate=2021-08-06 |publisher=時事通信社}}</ref>。
10年後の2020年では復興特需の終了、帰還の諦め、人口流出など民間の自立的な成長が課題となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20210206221116/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020600438&g=eco |title=被災地経済、伸び悩み 沿岸部は復興なお遠く―民間主導の成長課題・東北3県 |accessdate=2021-08-06 |publisher=時事通信社}}</ref>。


復興費用は10年間で32兆円で<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/54486.html |title=復興予算32兆円はどう使われた? |accessdate=2021-07-27 |publisher=NHK}}</ref>、[[復興債]]による補填も行われてた<ref>{{PDFlink|[http://www.reconstruction.go.jp/topics/doc/20110729houshin.pdf 東日本大震災からの復興の基本方針] 東日本大震災復興対策本部、平成23年7月29日。}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20111220021309/http://www.mof.go.jp/jgbs/issuance_plan/yoteigaku231021.pdf 平成23年度国債発行予定額](2011年12月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[財務省]]、2011年10月21日。</ref>。
復興費用は10年間で32兆円で<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/54486.html |title=復興予算32兆円はどう使われた? |accessdate=2021-07-27 |publisher=NHK}}</ref>、[[復興債]]による補填も行われてた<ref>{{PDFlink|[http://www.reconstruction.go.jp/topics/doc/20110729houshin.pdf 東日本大震災からの復興の基本方針] 東日本大震災復興対策本部、平成23年7月29日。}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20111220021309/http://www.mof.go.jp/jgbs/issuance_plan/yoteigaku231021.pdf 平成23年度国債発行予定額](2011年12月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[財務省]]、2011年10月21日。</ref>。
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{{Main|東日本大震災関連の犯罪・問題行為|福島第一原子力発電所事故の影響#風評被害・デマ}}
{{Main|東日本大震災関連の犯罪・問題行為|福島第一原子力発電所事故の影響#風評被害・デマ}}
[[画像:Queue to Seven-eleven at 2011 Sendai earthquake.jpg|200px|thumb|食料品や[[電池]]などを購入するため[[コンビニエンスストア]]に並ぶ仙台市民(2011年3月13日、宮城県仙台市[[若林区]][[荒町 (仙台市)|荒町]])]]
[[画像:Queue to Seven-eleven at 2011 Sendai earthquake.jpg|200px|thumb|食料品や[[電池]]などを購入するため[[コンビニエンスストア]]に並ぶ仙台市民(2011年3月13日、宮城県仙台市[[若林区]][[荒町 (仙台市)|荒町]])]]
震災に便乗した犯罪がなかったわけではないが、諸外国で見られるような略奪や暴動はなく、秩序は比較的保たれていた<ref>{{Cite news |author=ブローン菜美 |date=2011-03-23 |newspaper=TechinsightJapan |title=東北関東大震災、米メディアはどう見たか その1 困難に耐え回復する日本人の「レジリアンス」賞賛|url=http://japan.techinsight.jp/2011/03/221000braune_earthquake_resilience_nuclear_economy.html|accessdate=2015-03-25}}</ref>。しかし、首都圏を中心に不安を感じた市民が生活物資の買い貯めを行う動きが収まらず、物流の回復後も小売店の店頭では品薄状態が続き、震災の影響がなかった地域にも拡大した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110315/dst11031521260160-n1.htm 「都内で買いだめ収まらず 企業の対応も焼け石に水」]{{リンク切れ|date=2021年1月}}MSN産経ニュース(2011年3月15日)</ref>。震災だけでなく、東日本での電力不足なども加わったことなどから、日本全体が過度の自粛ムードに包まれ、経済への悪影響が懸念された<ref>[https://megalodon.jp/2011-0329-2114-38/sankei.jp.msn.com/world/news/110329/amr11032920100008-n1.htm NY紙「日本は自粛という強迫観念にとらわれている」] MSN産経ニュース(2011年3月29日)</ref>。
震災に便乗した犯罪がなかったわけではないが、諸外国で見られるような略奪や暴動はなく、秩序は比較的保たれていた<ref>{{Cite news ja |author=ブローン菜美 |date=2011-03-23 |newspaper=TechinsightJapan |title=東北関東大震災、米メディアはどう見たか その1 困難に耐え回復する日本人の「レジリアンス」賞賛|url=https://japan.techinsight.jp/2011/03/221000braune_earthquake_resilience_nuclear_economy.html|accessdate=2015-03-25}}</ref>。しかし、首都圏を中心に不安を感じた市民が生活物資の買い貯めを行う動きが収まらず、物流の回復後も小売店の店頭では品薄状態が続き、震災の影響がなかった地域にも拡大した<ref>[https://web.archive.org/web/20110317120154/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110315/dst11031521260160-n1.htm 「都内で買いだめ収まらず 企業の対応も焼け石に水」]{{リンク切れ|date=2021年1月}}MSN産経ニュース(2011年3月15日)</ref>。震災だけでなく、東日本での電力不足なども加わったことなどから、日本全体が過度の自粛ムードに包まれ、経済への悪影響が懸念された<ref>[https://megalodon.jp/2011-0329-2114-38/sankei.jp.msn.com/world/news/110329/amr11032920100008-n1.htm NY紙「日本は自粛という強迫観念にとらわれている」] MSN産経ニュース(2011年3月29日)</ref>。


;刑法犯罪
;刑法犯罪
:宮城県では、津波で大きな被害を受けた仙台市東部や多賀城市、石巻市などで、従業員のいない店舗や住宅、ガソリンスタンドや車などのガソリンを狙った窃盗事件が相次ぎ、地震発生から26日までに被害総額が約1億円に上った<ref>「被災地で窃盗被害相次ぎ警戒」NHKニュース(2011年3月30日)</ref>。また、全国的に義援金の募集が行われている中で[[募金詐欺]]も発生した<ref>「義援金名目の不審電話、ご用心 警視庁が注意呼びかけ」[[朝日新聞デジタル|asahi.com]]マイタウン東京(2011年3月18日)</ref><ref>「[https://web.archive.org/web/20110410123042/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110407/dms1104071636018-n1.htm 詐欺紳士、悪質業者がゾロゾロ…震災“便乗犯罪”もケタ外れ]」(2011年4月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - ZAKZAK 4月7日</ref>。
:宮城県では、津波で大きな被害を受けた仙台市東部や多賀城市、石巻市などで、従業員のいない店舗や住宅、ガソリンスタンドや車などのガソリンを狙った窃盗事件が相次ぎ、地震発生から26日までに被害総額が約1億円に上った<ref>「被災地で窃盗被害相次ぎ警戒」NHKニュース(2011年3月30日)</ref>。また、全国的に義援金の募集が行われている中で[[募金詐欺]]も発生した<ref>「義援金名目の不審電話、ご用心 警視庁が注意呼びかけ」[[朝日新聞デジタル|asahi.com]]マイタウン東京(2011年3月18日)</ref><ref>「[https://web.archive.org/web/20110410123042/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110407/dms1104071636018-n1.htm 詐欺紳士、悪質業者がゾロゾロ…震災“便乗犯罪”もケタ外れ]」(2011年4月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - ZAKZAK 4月7日</ref>。
:警察庁の発表によると、岩手、宮城、福島の被災3県で3月11日から6月末までに発生したATMからの現金窃盗事件は56件、被害総額は6億8400万円に上った。その内の34件は福島県で発生し、そのほとんどが福島原発から20km圏内での犯行った<ref>{{Cite web|和書|url=http://gendai.ismedia.jp/articles/print/13872 |title=こじあけられた被災地のATM6億円の記録 犯人グループは捕まらず |accessdate=2015-03-25 |date=2011-08-02 |publisher=週刊現代 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130426150958/http://gendai.ismedia.jp/articles/print/13872 |archivedate=2013-04-26}}</ref>。また、20 - 30km圏内でも大多数の住民が避難したため、[[空き巣]]の被害が相当数あった。20km圏内では住民の出入りが禁止されていたため、数か月後に順次開始された一時帰宅によって初めて空き巣が発覚する事案が多発した。
:警察庁の発表によると、岩手、宮城、福島の被災3県で3月11日から6月末までに発生したATMからの現金窃盗事件は56件、被害総額は6億8400万円に上った。その内の34件は福島県で発生し、そのほとんどが福島原発から20km圏内での犯行であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://gendai.ismedia.jp/articles/print/13872 |title=こじあけられた被災地のATM6億円の記録 犯人グループは捕まらず |accessdate=2015-03-25 |date=2011-08-02 |publisher=週刊現代 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130426150958/http://gendai.ismedia.jp/articles/print/13872 |archivedate=2013-04-26}}</ref>。また、20 - 30km圏内でも大多数の住民が避難したため、[[空き巣]]の被害が相当数あった。20km圏内では住民の出入りが禁止されていたため、数か月後に順次開始された一時帰宅によって初めて空き巣が発覚する事案が多発した。


;ペットの置き去り
;ペットの置き去り
:避難所などの関係から飼い主がペットを手放さざるを得なくなったり、飼い主が死去したりしたために引き取り先がないペットや野生化したペットが福島県を中心に多発している<ref>{{Cite news |author=小野田雄一 |date=2011-12-08 |newspaper=産経ニュース|title=「人間不信だ」置き去りペットたち 犬、猫“野生化”動物愛護団体、初の警戒区域入り |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111208/dst11120800340001-n1.htm |accessdate=2015-03-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111207235029/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111208/dst11120800340001-n1.htm |archivedate=2011-12-07 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。
:避難所などの関係から飼い主がペットを手放さざるを得なくなったり、飼い主が死去したりしたために引き取り先がないペットや野生化したペットが福島県を中心に多発し<ref>{{Cite news ja |author=小野田雄一 |date=2011-12-08 |newspaper=産経ニュース|title=「人間不信だ」置き去りペットたち 犬、猫“野生化”動物愛護団体、初の警戒区域入り |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111208/dst11120800340001-n1.htm |accessdate=2015-03-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111207235029/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111208/dst11120800340001-n1.htm |archivedate=2011-12-07 |url-status=dead}}</ref>。


;石油製品の供給難
;石油製品の供給難
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;体調不良
;体調不良
:[[2013年]]、[[東京大学]]の研究グループは、東日本大震災以来体調不良になっていると訴える者が多いことに着目し、対象を若年層に絞って全国調査を行った。その結果、当該症例数は有感余震回数と高い相関にあり、本震の震度、空間放射線量率、福島第一原子力発電所からの距離との相関性は低いことが判明したと発表した<ref>{{Cite journal |author=Takashi Sugimoto, Tomohiro Shinozaki and Yuki Miyamoto |year=2013 |title=Afters hocks Associated With Impaired Health Caused by the Great East Japan Disaster Among Youth Across Japan: A National Cross-Sectional Survey |url=http://www.i-jmr.org/2013/2/e31/|journal=Interactive Journal of Medical Research |volume=2|issue=2 |page=e31 |format=PDF |doi=10.2196/ijmr.2585}}</ref>。
:[[2013年]]、[[東京大学]]の研究グループは、東日本大震災以来体調不良になっていると訴える者が多いことに着目し、対象を若年層に絞って全国調査を行った。その結果、当該症例数は有感余震回数と高い相関にあり、本震の震度、空間放射線量率、福島第一原子力発電所からの距離との相関性は低いことが判明したと発表した<ref>{{Cite journal |author=Takashi Sugimoto, Tomohiro Shinozaki and Yuki Miyamoto |year=2013 |title=Afters hocks Associated With Impaired Health Caused by the Great East Japan Disaster Among Youth Across Japan: A National Cross-Sectional Survey |url=http://www.i-jmr.org/2013/2/e31/|journal=Interactive Journal of Medical Research |volume=2|issue=2 |page=e31 |format=PDF |doi=10.2196/ijmr.2585}}</ref>。
:[[2014年]][[1月26日]]、[[厚生労働省]]研究班は、岩手・宮城・福島の3県で震災当時に保育園児った子供を対象に「子どもの行動チェックリスト」(CBCL) を用いた調査を行ったところ、25.9%の子が精神的問題に関する医療的ケアが必要な状況と分かったと発表した<ref>{{Cite news |date=2014-01-27 |newspaper=[[毎日新聞社]] |title=東日本大震災:被災園児25%問題行動 引きこもり、暴力 長期ケア必要−−厚労省調査 |url=http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm001040207000c.html|accessdate=2014-01-27 |archiveurl=https://archive.is/20140127020715/http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm001040207000c.html |archivedate=2014-01-27 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。調査対象の子供の43.9%が津波を目撃している<ref>{{Cite news |date=2014-01-27 |newspaper=毎日新聞社 |title=クローズアップ2014:被災地の子ども調査 大人の心理、影響 |url=http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm003040071000c.html |accessdate=2014-01-27 |archiveurl=https://archive.is/20140127020648/http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm003040071000c.html |archivedate=2014-01-27 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。
:[[2014年]][[1月26日]]、[[厚生労働省]]研究班は、岩手・宮城・福島の3県で震災当時に保育園児であった子供を対象に「子どもの行動チェックリスト」(CBCL) を用いた調査を行ったところ、25.9%の子が精神的問題に関する医療的ケアが必要な状況と分かったと発表した<ref>{{Cite news ja |date=2014-01-27 |newspaper=[[毎日新聞社]] |title=東日本大震災:被災園児25%問題行動 引きこもり、暴力 長期ケア必要−−厚労省調査 |url=http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm001040207000c.html|accessdate=2014-01-27 |archiveurl=https://archive.is/20140127020715/http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm001040207000c.html |archivedate=2014-01-27 |url-status=dead}}</ref>。調査対象の子供の43.9%が津波を目撃している<ref>{{Cite news ja |date=2014-01-27 |newspaper=毎日新聞社 |title=クローズアップ2014:被災地の子ども調査 大人の心理、影響 |url=http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm003040071000c.html |accessdate=2014-01-27 |archiveurl=https://archive.is/20140127020648/http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm003040071000c.html |archivedate=2014-01-27 |url-status=dead}}</ref>。


;空港の混雑
;空港の混雑
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; 二重ローン
; 二重ローン
{{See also|二重ローン問題}}
{{See also|二重ローン問題}}
:二重ローン問題対策として、東日本大震災の影響により債務の返済が困難になった、個人の住宅ローンや、個人事業主のローンなどの債務を対象とした「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」(被災ローン減免制度)が2011年8月22日より運用開始された<ref>「[http://tohoku.mof.go.jp/b2_kinyu/shitekiseiriGL.html 「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」の適用が開始されました]」財務省[[東北財務局]]</ref><ref>「[https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201309/1.html 住宅ローンなど借入れの返済が困難な震災被災者の方へ 個人版私的整理ガイドラインをご存じですか。]」[[政府広報オンライン]](2013年9月2日)</ref><ref>[http://www.kgl.or.jp/guideline/pdf/guideline.pdf 個人債務者の私的整理に関するガイドライン](「[http://www.kgl.or.jp/guideline/ ガイドラインについて]」一般社団法人 個人版私的整理ガイドライン運営委員会。)</ref>。ただし、当ガイドラインの適用件数は2016年4月15日現在、1,347件にとどまっている<ref>「[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/243439.html 「積極的な活用を! 被災ローンの減免制度」(時論公論)]」[[NHKオンライン]](2016年4月27日)</ref><ref>「[http://www.sankei.com/region/news/160420/rgn1604200020-n1.html 熊本地震 債務減免で被災者支援 金融機関、二重ローン防止へ]」[[産経デジタル|産経ニュース]](2016年4月20日)</ref>。また、事業者向けの対策としては、同年11月に[[東日本大震災事業者再生支援機構]]法案(二重ローン救済法案)が成立している。
:二重ローン問題対策として、東日本大震災の影響により債務の返済が困難になった、個人の住宅ローンや、個人事業主のローンなどの債務を対象とした「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」(被災ローン減免制度)が2011年8月22日より運用開始された<ref>「[ 「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」の適用が開始されました]」財務省[[東北財務局]]</ref><ref>「[ 住宅ローンなど借入れの返済が困難な震災被災者の方へ 個人版私的整理ガイドラインをご存じですか。]」[[政府広報オンライン]](2013年9月2日)</ref><ref>[ 個人債務者の私的整理に関するガイドライン](「[ ガイドラインについて]」一般社団法人 個人版私的整理ガイドライン運営委員会。)</ref>。ただし、当ガイドラインの適用件数は2016年4月15日現在、1,347件にとどまっている<ref>「[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/243439.html 「積極的な活用を! 被災ローンの減免制度」(時論公論)]」[[NHKオンライン]](2016年4月27日)</ref><ref>「[http://www.sankei.com/region/news/160420/rgn1604200020-n1.html 熊本地震 債務減免で被災者支援 金融機関、二重ローン防止へ]」[[産経デジタル|産経ニュース]](2016年4月20日)</ref>。また、事業者向けの対策としては、同年11月に[[東日本大震災事業者再生支援機構]]法案(二重ローン救済法案)が成立している。


=== 裁判への影響 ===
=== 裁判への影響 ===
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=== 試験など ===
=== 試験など ===
==== 入学試験 ====
==== 入学試験 ====
[[宮城県教育委員会]]は、3月14日から18日までを[[休校]]とし、15日に予定していた[[高等学校]]一般[[入学試験]]の合格者発表を22日以降に延期することを決めた<ref>{{Cite news |date=2011-03-12 |newspaper=時事通信 |title=14日からの休校決定=宮城県教委-東日本大震災 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031200551 |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2017年6月}}</ref>。
[[宮城県教育委員会]]は、3月14日から18日までを[[休校]]とし、15日に予定していた[[高等学校]]一般[[入学試験]]の合格者発表を22日以降に延期することを決めた<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-12 |newspaper=時事通信 |title=14日からの休校決定=宮城県教委-東日本大震災 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031200551 |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2017年6月}}</ref>。


地震発生直後の2011年3月12日、13日には[[国公立大学]]の入学試験後期日程が予定されていたが、12日は被災地にある32校の[[大学]]([[私立大学]]含む)で試験が中止されることになった<ref>{{Cite news |date=2011-03-12 |newspaper=『毎日新聞』|title=地震:国公私立大入試が中止・延期 文科省 |url=http://mainichi.jp/life/edu/news/20110312k0000e040044000c.html |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。国立36大学・公立15大学・私立7大学が12日の試験の開始時間繰り下げや、地震の影響を受けた受験生の個別対応を行い<ref>{{Cite news |date=2011-03-12 |newspaper=MSN産経ニュース |title=東大が13日の2次試験開始を2時間繰り下げ |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031212220196-n1.htm |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317021046/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031212220196-n1.htm |archivedate=2011-03-17}}</ref>、[[追試]]の対応をした大学もある<ref>{{Cite news |date=2011-03-12 |newspaper=『毎日新聞』|title=東北沖大地震:国公立大2次後期、追試など対応 |url=http://mainichi.jp/life/edu/exam/news/20110312ddf041040016000c.html |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。[[文部科学省]]は、3月12日における国公立大学後期日程の受験者は6万5667人(昨年から2万604人減少)であり、この減少は地震の影響によるものであるとしている<ref name="daigaku">{{Cite news |date=2011-03-13 |newspaper=時事通信 |title=大震災で受験者2万人減=国公立大後期日程、103校が実施|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031300007 |accessdate=2011-03-13}}{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot}}</ref>。東北地方で同日に試験が実施された国公立大学は、全12校のうち[[秋田大学]]・[[秋田県立大学]]のみであった<ref name="daigaku" />。翌13日においても6校で試験を中止し、5校で繰り下げ実施または個別対応を行った<ref>{{Cite news |date=2011-03-13 |newspaper=『毎日新聞』 |title=東日本大震災:国公私立大入試が中止 13日も6校 文科省 |url=http://mainichi.jp/life/today/news/20110313mog00m040010000c.html |accessdate=2011-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110315024003/http://mainichi.jp/life/today/news/20110313mog00m040010000c.html |archivedate=2011-03-15}}</ref>。
地震発生直後の2011年3月12日、13日には[[国公立大学]]の入学試験後期日程が予定されていたが、12日は被災地にある32校の[[大学]]([[私立大学]]含む)で試験が中止されることになった<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-12 |newspaper=『毎日新聞』|title=地震:国公私立大入試が中止・延期 文科省 |url=http://mainichi.jp/life/edu/news/20110312k0000e040044000c.html |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。国立36大学・公立15大学・私立7大学が12日の試験の開始時間繰り下げや、地震の影響を受けた受験生の個別対応を行い<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-12 |newspaper=MSN産経ニュース |title=東大が13日の2次試験開始を2時間繰り下げ |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031212220196-n1.htm |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317021046/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031212220196-n1.htm |archivedate=2011-03-17}}</ref>、[[追試]]の対応をした大学もある<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-12 |newspaper=『毎日新聞』|title=東北沖大地震:国公立大2次後期、追試など対応 |url=http://mainichi.jp/life/edu/exam/news/20110312ddf041040016000c.html |accessdate=2011-03-12}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。[[文部科学省]]は、3月12日における国公立大学後期日程の受験者は6万5667人(昨年から2万604人減少)であり、この減少は地震の影響によるものであるとしている<ref name="daigaku">{{Cite news ja |date=2011-03-13 |newspaper=時事通信 |title=大震災で受験者2万人減=国公立大後期日程、103校が実施|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031300007 |accessdate=2011-03-13}}{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot}}</ref>。東北地方で同日に試験が実施された国公立大学は、全12校のうち[[秋田大学]]・[[秋田県立大学]]のみであった<ref name="daigaku" />。翌13日においても6校で試験を中止し、5校で繰り下げ実施または個別対応を行った<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-13 |newspaper=『毎日新聞』 |title=東日本大震災:国公私立大入試が中止 13日も6校 文科省 |url=http://mainichi.jp/life/today/news/20110313mog00m040010000c.html |accessdate=2011-03-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110315024003/http://mainichi.jp/life/today/news/20110313mog00m040010000c.html |archivedate=2011-03-15}}</ref>。


また、家屋の損壊した状況に応じて[[学費|入学金や授業料]]の免除を行う大学や、震災や計画停電の影響を考慮して[[授業]]開始を5月以降とする大学も増えている<ref>{{Cite news |date=2011-03-21 |newspaper=『朝日新聞』 |title=被災地の新入生、焦らないで 各地の大学、特例措置次々 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103200300.html |accessdate=2011-03-21}}</ref>。
また、家屋の損壊した状況に応じて[[学費|入学金や授業料]]の免除を行う大学や、震災や計画停電の影響を考慮して[[授業]]開始を5月以降とする大学もみられた<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-21 |newspaper=『朝日新聞』 |title=被災地の新入生、焦らないで 各地の大学、特例措置次々 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103200300.html |accessdate=2011-03-21}}</ref>。


==== 資格試験 ====
==== 資格試験 ====
地震発生2日後の3月13日に行われる予定であった第161回[[国際コミュニケーション英語能力テスト]] (TOEIC) は、地震の影響で会場が確保できなくなったことなどを理由に<ref name="toeic">{{Cite news |date=2011-03-12 |newspaper=『読売新聞』 |title=「TOEIC」会場確保できず13日は中止 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110312-OYT1T00398.htm |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://archive.is/20130111233815/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110312-OYT1T00398.htm |archivedate=2013-01-11}}</ref>、日本全国277会場すべてにおいて中止となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toeic.or.jp/info2/0000000054.html |title=緊急のお知らせ |accessdate=2011-03-12 |date=2011-03-12 |publisher=国際ビジネスコミュニケーション協会 |deadlinkdate=2014-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313084119/http://www.toeic.or.jp/info2/0000000054.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。受験予定人数は約16万人であった<ref name="toeic" />。
地震発生2日後の3月13日に行われる予定であった第161回[[国際コミュニケーション英語能力テスト]] (TOEIC) は、地震の影響で会場が確保できなくなったことなどを理由に<ref name="toeic">{{Cite news ja |date=2011-03-12 |newspaper=『読売新聞』 |title=「TOEIC」会場確保できず13日は中止 |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110312-OYT1T00398.htm |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://archive.is/20130111233815/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110312-OYT1T00398.htm |archivedate=2013-01-11}}</ref>、日本全国277会場すべてにおいて中止となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toeic.or.jp/info2/0000000054.html |title=緊急のお知らせ |accessdate=2011-03-12 |date=2011-03-12 |publisher=国際ビジネスコミュニケーション協会 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110313084119/http://www.toeic.or.jp/info2/0000000054.html |archivedate=2011-03-13}}</ref>。受験予定人数は約16万人であった<ref name="toeic" />。


4月17日に行われる予定であった平成23年度春期[[情報処理技術者試験]]は、地震の影響を考慮し延期が決定した<ref>{{Cite news |date=2011-03-15 |newspaper=情報処理推進機構 |title=平成23年度春期試験の延期について|url=http://www.jitec.jp/1_00topic/topic_20110315_h23h_schedule_01.html |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318012957/http://www.jitec.jp/1_00topic/topic_20110315_h23h_schedule_01.html |archivedate=2011-03-18 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。「平成23年度特別情報処理技術者試験」として、6月26日または7月10日に実施されることになった(受験する試験区分により日付が異なる)<ref>{{Cite news |date=2011-03-25 |newspaper=情報処理推進機構 |title=平成23年度特別情報処理技術者試験(仮称)の実施について |url=http://www.jitec.ipa.go.jp/1_00topic/topic_h23_tokubetsushiken.html |accessdate=2011-03-25}}</ref>。
4月17日に行われる予定であった平成23年度春期[[情報処理技術者試験]]は、地震の影響を考慮し延期が決定した<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-15 |newspaper=情報処理推進機構 |title=平成23年度春期試験の延期について|url=http://www.jitec.jp/1_00topic/topic_20110315_h23h_schedule_01.html |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318012957/http://www.jitec.jp/1_00topic/topic_20110315_h23h_schedule_01.html |archivedate=2011-03-18 |url-status=dead}}</ref>。「平成23年度特別情報処理技術者試験」として、6月26日または7月10日に実施されることになった(受験する試験区分により日付が異なる)<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-25 |newspaper=情報処理推進機構 |title=平成23年度特別情報処理技術者試験(仮称)の実施について |url=http://www.jitec.ipa.go.jp/1_00topic/topic_h23_tokubetsushiken.html |accessdate=2011-03-25}}</ref>。


このほか、各種資格試験において全国あるいは一部地域での日程変更が行われている。
このほか、各種資格試験において全国あるいは一部地域での日程変更が行われている。


==== 就職活動 ====
==== 就職活動 ====
大手[[企業]]を中心に、2012年春に入社予定の[[在籍者 (学習者)|学生]]を対象とした採用活動の開始時期を遅らせる動きが広がった<ref>{{Cite news |date=2011-03-17 |newspaper=読売新聞 |title=採用試験 延期相次ぐ |url=http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20110317-OYT8T00419.htm|accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://archive.is/20110321014341/http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20110317-OYT8T00419.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。また、地震の影響で東北地方を中心に[[内定]]取り消しや採用活動の中止などが相次ぎ、[[厚生労働省]]では緊急支援を検討した<ref>{{Cite news |date=2011-03-18 |newspaper=時事通信社 |title=大卒内定率、初の80%割れ=政府、被災地に緊急支援検討 - 2月時点|url=http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c2%e7%c2%b4%c6%e2%c4%ea%ce%a8&k=201103/2011031800238 |accessdate=2011-03-18}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref>{{Cite news |date=2011-09-21 |newspaper=YOMIURI ONLINE |title=震災も影響…内定取り消し、昨年の3・6倍に |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110921-OYT1T00999.htm |accessdate=2011-09-21 |archiveurl=https://archive.is/20130501113800/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110921-OYT1T00999.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。
大手[[企業]]を中心に、2012年春に入社予定の[[在籍者 (学習者)|学生]]を対象とした採用活動の開始時期を遅らせる動きが広がった<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-17 |newspaper=読売新聞 |title=採用試験 延期相次ぐ |url=http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20110317-OYT8T00419.htm|accessdate=2011-03-17 |archiveurl=https://archive.is/20110321014341/http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20110317-OYT8T00419.htm |archivedate=2011-03-21}}</ref>。また、地震の影響で東北地方を中心に[[内定]]取り消しや採用活動の中止などが相次ぎ、[[厚生労働省]]では緊急支援を検討した<ref>{{Cite news ja |date=2011-03-18 |newspaper=時事通信社 |title=大卒内定率、初の80%割れ=政府、被災地に緊急支援検討 - 2月時点|url=http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c2%e7%c2%b4%c6%e2%c4%ea%ce%a8&k=201103/2011031800238 |accessdate=2011-03-18}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref>{{Cite news ja |date=2011-09-21 |newspaper=YOMIURI ONLINE |title=震災も影響…内定取り消し、昨年の3・6倍に |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110921-OYT1T00999.htm |accessdate=2011-09-21 |archiveurl=https://archive.is/20130501113800/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110921-OYT1T00999.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。


=== イベント・スポーツ ===
=== イベント・スポーツ ===
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地震によって東北・関東地方を中心に大規模な停電が発生したため、停電した[[放送局]]の多くは自家発電によって放送を続けた。しかし、東北地方では電力の復旧が遅れたことから、自家発電機の燃料が尽きて停波する放送局が多数現れた。大手の放送局でも[[東北放送|東北放送(TBCラジオ)]]や[[東日本放送]]は[[親局]]が一時停波に追い込まれたが、数日中に復旧した。一方[[中継局]]も被災し、3月15日時点でテレビ63か所、ラジオ2か所が停波するなど、放送自体への影響が長引いた<ref>「東日本大震災:テレビ停波63カ所 中継局被災、ラジオも2カ所」『毎日新聞』2011年3月16日</ref>。
地震によって東北・関東地方を中心に大規模な停電が発生したため、停電した[[放送局]]の多くは自家発電によって放送を続けた。しかし、東北地方では電力の復旧が遅れたことから、自家発電機の燃料が尽きて停波する放送局が多数現れた。大手の放送局でも[[東北放送|東北放送(TBCラジオ)]]や[[東日本放送]]は[[親局]]が一時停波に追い込まれたが、数日中に復旧した。一方[[中継局]]も被災し、3月15日時点でテレビ63か所、ラジオ2か所が停波するなど、放送自体への影響が長引いた<ref>「東日本大震災:テレビ停波63カ所 中継局被災、ラジオも2カ所」『毎日新聞』2011年3月16日</ref>。


在京のテレビ・ラジオ各局は、地震発生直後に臨時ニュースを順次編成。その後は3月13日夜まで、ほぼ[[報道特別番組]]を中心とした特別編成を組んだ。レギュラーの報道番組も番組としての枠を外し、通常枠に近い時間帯の特別番組をキャスターやスタッフが担当して伝えるといった態勢がとられた。地震3日後の14日から[[地上波]]テレビ放送[[キー局]]では臨時報道特番の構成が緩和し、一部の情報番組とニュース番組のレギュラー番組が再開されたが、放送時間を拡大した特別版と緊急報道特番を組み合わせた構成の番組が主に放送された。[[テレビドラマ|ドラマ]]・[[テレビアニメ|アニメ]]・[[バラエティ番組|バラエティ]]・[[映画]]といったレギュラー番組の大多数が放送中止・繰り下げを継続したが<ref>{{Cite news |url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_030.shtml |title=大震災の影響で『笑っていいとも!』放送中止が決定 |publisher=サーチナ |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110319132557/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_030.shtml |archivedate=2011-03-19}}</ref>、15日未明から順次バラエティ・ドラマ・映画などのレギュラー番組も再開した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110315mog00m200011000c.html|title=民放テレビ:15日深夜までにバラエティー番組再開へ TBS「さしこの…」は見送り |date=2011-03-15 |accessdate=2021-9-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321070027/http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110315mog00m200011000c.html |archivedate=2011-3-21 |newspaper=毎日新聞}}</ref>。
在京のテレビ・ラジオ各局は、地震発生直後に臨時ニュースを順次編成。その後は3月13日夜まで、ほぼ[[報道特別番組]]を中心とした特別編成を組んだ。レギュラーの報道番組も番組としての枠を外し、通常枠に近い時間帯の特別番組をキャスターやスタッフが担当して伝えるといった態勢がとられた。地震3日後の14日から[[地上波]]テレビ放送[[キー局]]では臨時報道特番の構成が緩和し、一部の情報番組とニュース番組のレギュラー番組が再開されたが、放送時間を拡大した特別版と緊急報道特番を組み合わせた構成の番組が主に放送された。[[テレビドラマ|ドラマ]]・[[テレビアニメ|アニメ]]・[[バラエティ番組|バラエティ]]・[[映画]]といったレギュラー番組の大多数が放送中止・繰り下げを継続したが<ref>{{Cite news ja |url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_030.shtml |title=大震災の影響で『笑っていいとも!』放送中止が決定 |publisher=サーチナ |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110319132557/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_030.shtml |archivedate=2011-03-19}}</ref>、15日未明から順次バラエティ・ドラマ・映画などのレギュラー番組も再開した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110315mog00m200011000c.html|title=民放テレビ:15日深夜までにバラエティー番組再開へ TBS「さしこの…」は見送り |date=2011-03-15 |accessdate=2021-9-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110321070027/http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110315mog00m200011000c.html |archivedate=2011-3-21 |newspaper=毎日新聞}}</ref>。


またテレビ各局で、3月11日の地震発生直後からテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]は長時間にわたって放送が中止された。テレビ朝日の約74時間、TBSの62時間、日本テレビとフジテレビの61時間など、各局で長期間CM停止が継続し、CM総合研究所によると、在京民放キー局においては3月11日の14時50分に日本テレビで放送されてから、翌12日の23時56分にテレビ東京で再開されるまで、約33時間にわたってCMが一切放送されなかった<ref name="cmdb">{{Cite web|和書|date=2011-05-25 |url=http://www.cmdb.jp/service/pdf/release2011_spring.pdf |title=CM総研フォーラム 2011 |format=PDF |publisher=CM総合研究所 |accessdate=2011-05-31}}</ref><ref name="sankei p1">「CM自粛」でテレビ各局打撃 「減収額10億円台後半」の局も:MSN産経ニュース(2011年4月16日)</ref><ref group="注">テレビ東京を除く民放4系列が、[[1980年]]以降にCMを全面カットして放送した例としては、[[1989年]][[1月7日]]の[[昭和天皇]][[崩御]]における特別編成(局によって時間は異なるが、おおむね1月7日5時台から[[1月9日]]未明までの約42時間)がこれまでの最長であり、本震災の報道においてはそれを上回った。なお、[[1995年]][[1月17日]]の[[阪神・淡路大震災]]直後もほぼ2日間のCMを全面カットした局があったが、こちらはあくまで[[在阪テレビジョン放送局|在阪局]]の一部に限ったことで、系列全体を対象としたものではなかった。</ref>。
またテレビ各局で、3月11日の地震発生直後からテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]は長時間にわたって放送が中止された。テレビ朝日の約74時間、TBSの62時間、日本テレビとフジテレビの61時間など、各局で長期間CM停止が継続し、CM総合研究所によると、在京民放キー局においては3月11日の14時50分に日本テレビで放送されてから、翌12日の23時56分にテレビ東京で再開されるまで、約33時間にわたってCMが一切放送されなかった<ref name="cmdb">{{Cite web|和書|date=2011-05-25 |url=http://www.cmdb.jp/service/pdf/release2011_spring.pdf |title=CM総研フォーラム 2011 |format=PDF |publisher=CM総合研究所 |accessdate=2011-05-31}}</ref><ref name="sankei p1">「CM自粛」でテレビ各局打撃 「減収額10億円台後半」の局も:MSN産経ニュース(2011年4月16日)</ref><ref group="注">テレビ東京を除く民放4系列が、[[1980年]]以降にCMを全面カットして放送した例としては、[[1989年]][[1月7日]]の[[昭和天皇]][[崩御]]における特別編成(局によって時間は異なるが、おおむね1月7日5時台から[[1月9日]]未明までの約42時間)がこれまでの最長であり、本震災の報道においてはそれを上回った。なお、[[1995年]][[1月17日]]の[[阪神・淡路大震災]]直後もほぼ2日間のCMを全面カットした局があったが、こちらはあくまで[[在阪テレビジョン放送局|在阪局]]の一部に限ったことで、系列全体を対象としたものではなかった。</ref>。


CM枠が復帰してからも多くの企業が震災を考慮して自粛したため、大量に生じたCM枠の空きを埋めるために[[ACジャパン]]の公共広告4種類が高頻度で繰り返し放送される状態となった<ref>{{Cite news |url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_033.shtml |title=3月14日早朝からフジテレビがテレビコマーシャルの放送を再開 / マクドナルド等 |publisher=サーチナ |date=2011-03-14 |accessdate = 2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318100056/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_033.shtml |archivedate=2011-03-18}}</ref><ref name="AC">{{Cite web|和書|url=https://mdpr.jp/news/detail/1134974 |title=テレビCMが「AC」だらけに その真相に迫る「AC」担当者単独インタビュー |publisher=モデルプレス |date=2011-03-16 |accessdate=2011-03-18}}</ref>。この大量放送によって、視聴者からACジャパンへの問い合わせ・クレームが殺到した一方、CM好感度ランキングでACジャパンが首位を獲得するという現象もあった<ref name="cmdb" /><ref name="AC" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ad-c.or.jp/information.html |title=「東北地方太平洋沖地震」にあたって ACジャパンのCM放送についてのお詫びとお知らせ |publisher=ACジャパン |accessdate=2011-03-16 |deadlinkdate= 2014-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110320172846/http://www.ad-c.or.jp/information.html |archivedate=2011-03-20}}</ref>。この大規模な自粛は、震災以降日本国内に広まった「自粛ムード」のひとつではあるが、諸外国からは特異な現象として指摘される例もあったという<ref>「自粛ムード」国内蔓延(2)「連帯意識を復興に」:MSN産経ニュース(2011年4月1日)</ref><ref>{{Cite journal |和書 |year=2011 |month=5 |title=編集長インタビュー vol.33 震災と公共広告 |journal=[[日経トレンディ]] |issue=322 |page=9 |publisher=[[日経BP]]}}</ref>。
CM枠が復帰してからも多くの企業が震災を考慮して自粛したため、大量に生じたCM枠の空きを埋めるために[[ACジャパン]]の公共広告4種類が高頻度で繰り返し放送される状態となった<ref>{{Cite news ja |url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_033.shtml |title=3月14日早朝からフジテレビがテレビコマーシャルの放送を再開 / マクドナルド等 |publisher=サーチナ |date=2011-03-14 |accessdate = 2011-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110318100056/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0314&f=national_0314_033.shtml |archivedate=2011-03-18}}</ref><ref name="AC">{{Cite web|和書|url=https://mdpr.jp/news/detail/1134974 |title=テレビCMが「AC」だらけに その真相に迫る「AC」担当者単独インタビュー |publisher=モデルプレス |date=2011-03-16 |accessdate=2011-03-18}}</ref>。この大量放送によって、視聴者からACジャパンへの問い合わせ・クレームが殺到した一方、CM好感度ランキングでACジャパンが首位を獲得するという現象もあった<ref name="cmdb" /><ref name="AC" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ad-c.or.jp/information.html |title=「東北地方太平洋沖地震」にあたって ACジャパンのCM放送についてのお詫びとお知らせ |publisher=ACジャパン |accessdate=2011-03-16 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110320172846/http://www.ad-c.or.jp/information.html |archivedate=2011-03-20}}</ref>。この大規模な自粛は、震災以降日本国内に広まった「自粛ムード」のひとつではあるが、諸外国からは特異な現象として指摘される例もあったという<ref>「自粛ムード」国内蔓延(2)「連帯意識を復興に」:MSN産経ニュース(2011年4月1日)</ref><ref>{{Cite journal |和書 |year=2011 |month=5 |title=編集長インタビュー vol.33 震災と公共広告 |journal=[[日経トレンディ]] |issue=322 |page=9 |publisher=[[日経BP]]}}</ref>。


岩手・秋田・宮城・福島・茨城の各県では、[[臨時災害放送局]]として既存の[[コミュニティ放送]]局が出力を増力したほか、自治体が災害[[超短波放送|FMラジオ]]局を開設した<ref>被災者支える「声」 災害FM開設相次ぐ 最多の20局『産経新聞』2011年4月14日</ref>。そのほかでは、在京5局で史上初の[[ラジオ災害情報交差点]]発動が行われただけでなく、3月13日17時からインターネットサイマル配信サービス[[radiko]]のエリア制限を解除して全国で関東・[[関西]]地区の民放13局が聴取可能とし<ref group="注">当時、radikoサービスは東京都、[[愛知県]]、[[大阪府]]のラジオ局のみが参加しており、放送対象地域外への配信サービスも提供されていなかった。</ref>、3月25日10時からは中京地区の6局も加わった。この緊急対応は、関西・中京地区の12局で3月31日まで、関東地区の7局で4月11日まで継続された<ref>{{Cite press release |和書 |title=緊急 東北地方太平洋沖地震への緊急対応として |publisher=株式会社radiko |date=2011-03-13 |format=PDF |url=http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110313_radiko.pdf |accessdate=2015-03-22}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=中京地区のラジオ局が『radiko.jp』に参加 3月25日(金)10時より実用化試験配信を開始 |publisher=株式会社radiko |date=2011-03-23 |format=PDF |url=http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110323_001_pressrelease.pdf |accessdate=2015-03-22}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=東北地方太平洋沖地震への期間限定による緊急対応を段階的に終了 |publisher=株式会社radiko |date=2011-03-29 |format=PDF |url=http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110329_001_pressrelease.pdf |accessdate=2015-03-22}}</ref>。東北6県と関東地方の一部の民放FM局をパソコンやスマートフォンで無料聴取するサービスも提供された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1103/15/news072.html |title=KDDI、LISMO WAVEを利用した「東北地方太平洋沖地震支援サイト」開設 |publisher=ITmedia |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-17}}</ref>。民放[[中波放送#概要|AM放送]]でも、地震後1週間程度の期間、[[Ustream]]や[[ニコニコ動画]]([[ニコニコ生放送]])、自前のWebサイトなどでサイマル配信を実施した放送局があった<ref>{{Cite web|和書|date=2011-03-13 |url=http://twitter.com/ibs_radio/status/46738293550891008 |title=USTREAMで配信始めました! |publisher=[[茨城放送]]Twitter公式アカウント |accessdate=2015-03-22}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110319172125/http://www.tbc-sendai.co.jp/ TBC東北放送](2011年3月19日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])2011年3月16日閲覧</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tbsradio.jp/tbsradio/ |title=TBSラジオ災害情報 |publisher=TBSラジオ&コミュニケーションズ |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-14}}</ref>。短波放送でも被災地の放送を全国向けに提供する局があった<ref>{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/433031.html |title=ラジオNIKKEI、福島の地元ラジオ局の番組を放送-短波とradikoを使い、被災地から全国に情報発信 |publisher=AV Watch |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-16}}</ref>。
岩手・秋田・宮城・福島・茨城の各県では、[[臨時災害放送局]]として既存の[[コミュニティ放送]]局が出力を増力したほか、自治体が災害[[超短波放送|FMラジオ]]局を開設した<ref>被災者支える「声」 災害FM開設相次ぐ 最多の20局『産経新聞』2011年4月14日</ref>。そのほかでは、在京5局で史上初の[[ラジオ災害情報交差点]]発動が行われただけでなく、3月13日17時からインターネットサイマル配信サービス[[radiko]]のエリア制限を解除して全国で関東・[[関西]]地区の民放13局が聴取可能とし<ref group="注">当時、radikoサービスは東京都、[[愛知県]]、[[大阪府]]のラジオ局のみが参加しており、放送対象地域外への配信サービスも提供されていなかった。</ref>、3月25日10時からは中京地区の6局も加わった。この緊急対応は、関西・中京地区の12局で3月31日まで、関東地区の7局で4月11日まで継続された<ref>{{Cite press release |和書 |title=緊急 東北地方太平洋沖地震への緊急対応として |publisher=株式会社radiko |date=2011-03-13 |format=PDF |url=http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110313_radiko.pdf |accessdate=2015-03-22}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=中京地区のラジオ局が『radiko.jp』に参加 3月25日(金)10時より実用化試験配信を開始 |publisher=株式会社radiko |date=2011-03-23 |format=PDF |url=http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110323_001_pressrelease.pdf |accessdate=2015-03-22}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=東北地方太平洋沖地震への期間限定による緊急対応を段階的に終了 |publisher=株式会社radiko |date=2011-03-29 |format=PDF |url=http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20110329_001_pressrelease.pdf |accessdate=2015-03-22}}</ref>。東北6県と関東地方の一部の民放FM局をパソコンやスマートフォンで無料聴取するサービスも提供された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1103/15/news072.html |title=KDDI、LISMO WAVEを利用した「東北地方太平洋沖地震支援サイト」開設 |publisher=ITmedia |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-17}}</ref>。民放[[中波放送#概要|AM放送]]でも、地震後1週間程度の期間、[[Ustream]]や[[ニコニコ動画]]([[ニコニコ生放送]])、自前のWebサイトなどでサイマル配信を実施した放送局があった<ref>{{Cite web|和書|date=2011-03-13 |url=http://twitter.com/ibs_radio/status/46738293550891008 |title=USTREAMで配信始めました! |publisher=[[茨城放送]]Twitter公式アカウント |accessdate=2015-03-22}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110319172125/http://www.tbc-sendai.co.jp/ TBC東北放送](2011年3月19日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])2011年3月16日閲覧</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tbsradio.jp/tbsradio/ |title=TBSラジオ災害情報 |publisher=TBSラジオ&コミュニケーションズ |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-14}}</ref>。短波放送でも被災地の放送を全国向けに提供する局があった<ref>{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/433031.html |title=ラジオNIKKEI、福島の地元ラジオ局の番組を放送-短波とradikoを使い、被災地から全国に情報発信 |publisher=AV Watch |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-16}}</ref>。
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=== 新聞 ===
=== 新聞 ===
[[画像:Touhoku-Tsunami Shock 2011 (10).jpg|200px|thumb|地震の影響を報じるスポーツ新聞(2011年3月12日、[[大阪府]][[大阪市]])]]
[[画像:Touhoku-Tsunami Shock 2011 (10).jpg|200px|thumb|地震の影響を報じるスポーツ新聞(2011年3月12日、[[大阪府]][[大阪市]])]]
震災発生直後、[[全国紙]]や[[ブロック紙]]、[[地方紙]]数紙が一斉に[[号外]]を発行した。『[[中日新聞]]』は11日付[[夕刊]]の最終版であるE版に<!--特設の-->(2)という版を設けて<!--発生事実だけを-->1面トップで<!--短く-->報じた(ただし地震発生と(大)津波警報発令との事実のみ)。3月12日付の[[朝刊]]は[[スポーツ新聞|スポーツ紙]]を含めた各紙とも、1面から最終面まで最大級の見出しと写真で震災の状況を報道した。また、[[日曜日]]の夕刊は通常は休刊が、『読売新聞』と『朝日新聞』は3月13日(震災発生から3日目の日曜日)に「特別夕刊」を発行した。3月12日からしばらくの間、最終面に掲載されている[[番組表]]を中面に移設して震災関連の報道を優先した新聞社も数多く存在した(全国紙は3月末まで番組表を中面に移設)<ref>{{cite news |url=http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1094.html |title=《東日本大震災》在京各紙、特別態勢で状況伝える |date=2011-03-15 |accessdate=2011-05-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111017044404/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1094.html |archivedate=2011-10-17}}</ref>。震災直後に発行された新聞では紙面のほとんどが震災報道に当てられたほか、ページ数もおおよそ半分に削減され<ref group="注">『朝日新聞』東京版では通常40頁が20 - 24頁となった。</ref>、新聞広告も自粛された。
震災発生直後、[[全国紙]]や[[ブロック紙]]、[[地方紙]]数紙が一斉に[[号外]]を発行した。『[[中日新聞]]』は11日付[[夕刊]]の最終版であるE版に<!--特設の-->(2)という版を設けて<!--発生事実だけを-->1面トップで<!--短く-->報じた(ただし地震発生と(大)津波警報発表<!--気象庁はあくまで「発令」ではなく「発表」で表記を統一しているので、それに合わせる-->との事実のみ)。3月12日付の[[朝刊]]は[[スポーツ新聞|スポーツ紙]]を含めた各紙とも、1面から最終面まで最大級の見出しと写真で震災の状況を報道した。また、[[日曜日]]の夕刊は通常は休刊であるが、『読売新聞』と『朝日新聞』は3月13日(震災発生から3日目の日曜日)に「特別夕刊」を発行した。3月12日からしばらくの間、最終面に掲載されている[[番組表]]を中面に移設して震災関連の報道を優先した新聞社も数多く存在した(全国紙は3月末まで番組表を中面に移設)<ref>{{Cite news ja |url=http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1094.html |title=《東日本大震災》在京各紙、特別態勢で状況伝える |date=2011-03-15 |accessdate=2011-05-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111017044404/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1094.html |archivedate=2011-10-17}}</ref>。震災直後に発行された新聞では紙面のほとんどが震災報道に当てられたほか、ページ数もおおよそ半分に削減され<ref group="注">『朝日新聞』東京版では通常40頁が20 - 24頁となった。</ref>、新聞広告も自粛された。


被災地に立地する新聞社は、災害援助協定を結ぶ近隣地域の新聞社に制作・印刷を委託するなどして新聞発行を継続した<ref>{{Cite news |url=http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1099.html |title=《東日本大震災》新聞発行に甚大な被害 特別態勢で発行継続 計画停電、断水、燃料不足...予断許さず |publisher=[[日本新聞協会]] |date=2011-03-15 |accessdate=2011-04-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110628232217/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1099.html |archivedate=2011-06-28}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110322_1115.html |title=《東日本大震災》懸命に新聞発行を継続 北海道東南部にも被害 |publisher=日本新聞協会 |date=2011-03-22 |accessdate=2011-04-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110808101518/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110322_1115.html |archivedate=2011-08-08}}</ref>。岩手県盛岡市の[[岩手日報]]社は、東北地方の地方新聞社6社(河北新報社を除く)で締結する災害時相互支援協定の発動を初めて要請し、自家発電機を有する[[青森市]]の[[東奥日報]]社で4ページの紙面を印刷。宮城県仙台市に発行本社を置くブロック紙『河北新報』は、[[免震]]構造の[[輪転印刷機|輪転機]]で印刷した2頁の号外を地震発生当日の23時すぎに各避難所に届けた。翌日の朝刊は相互支援協定を締結していた[[新潟日報]]社に紙面制作を委託し、8頁の朝刊を発行。これらにより、停電のため映像として知られることのなかった沿岸部の深刻な津波被害の詳細を多くの市民が目にすることとなった<ref>{{Cite news |url=http://flat.kahoku.co.jp/u/flatblog01/nY7hzQlsfuSgA2IL9ZpE/ |title=河北新報、朝刊発行しました |newspaper=編集室から |date=2011-03-12 |accessdate=2011-04-05 |archiveurl=https://archive.is/20120708084314/http://flat.kahoku.co.jp/u/flatblog01/nY7hzQlsfuSgA2IL9ZpE/ |archivedate=2012-07-08}}</ref>。石巻市の地方紙『[[石巻日日新聞]]』は本社が津波で浸水して輪転機や編集作業用のコンピュータなどを全て失った。水に浸からずに済んだ印刷用ロールから切り出した紙に油性フェルトペンで集めた情報を手書きした壁新聞を作成し、震災翌日から市内の避難所に張り出して情報提供を6日間にわたって実施した<ref>{{Cite news |url=https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1103/21/news002_3.html |title=その報道は誰のため? 被災した子どもにマイクを向けるな |date=2011-03-21 |accessdate=2021-8-29 |newspaper=Business Media 誠 |publisher=ITmedia |last=相場 |first=英雄 |page=3}}</ref>。7日目には入手した複合コピー機を使用して印刷した新聞の配布を開始し、2週間後には関係者が応急復旧させた古い輪転機で印刷を再開した。この壁新聞は[[アメリカ合衆国|米国]][[ワシントンD.C.]]にあるニュース総合博物館「[[ニュージアム]]」からの要請により、6日分全てが寄贈された。
被災地に立地する新聞社は、災害援助協定を結ぶ近隣地域の新聞社に制作・印刷を委託するなどして新聞発行を継続した<ref>{{Cite news ja |url=http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1099.html |title=《東日本大震災》新聞発行に甚大な被害 特別態勢で発行継続 計画停電、断水、燃料不足...予断許さず |publisher=[[日本新聞協会]] |date=2011-03-15 |accessdate=2011-04-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110628232217/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110315_1099.html |archivedate=2011-06-28}}</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110322_1115.html |title=《東日本大震災》懸命に新聞発行を継続 北海道東南部にも被害 |publisher=日本新聞協会 |date=2011-03-22 |accessdate=2011-04-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110808101518/http://www.pressnet.or.jp/news/headline/110322_1115.html |archivedate=2011-08-08}}</ref>。岩手県盛岡市の[[岩手日報]]社は、東北地方の地方新聞社6社(河北新報社を除く)で締結する災害時相互支援協定の発動を初めて要請し、自家発電機を有する[[青森市]]の[[東奥日報]]社で4ページの紙面を印刷。宮城県仙台市に発行本社を置くブロック紙『河北新報』は、[[免震]]構造の[[輪転印刷機|輪転機]]で印刷した2頁の号外を地震発生当日の23時すぎに各避難所に届けた。翌日の朝刊は相互支援協定を締結していた[[新潟日報]]社に紙面制作を委託し、8頁の朝刊を発行。これらにより、停電のため映像として知られることのなかった沿岸部の深刻な津波被害の詳細を多くの市民が目にすることとなった<ref>{{Cite news ja |url=http://flat.kahoku.co.jp/u/flatblog01/nY7hzQlsfuSgA2IL9ZpE/ |title=河北新報、朝刊発行しました |newspaper=編集室から |date=2011-03-12 |accessdate=2011-04-05 |archiveurl=https://archive.is/20120708084314/http://flat.kahoku.co.jp/u/flatblog01/nY7hzQlsfuSgA2IL9ZpE/ |archivedate=2012-07-08}}</ref>。石巻市の地方紙『[[石巻日日新聞]]』は本社が津波で浸水して輪転機や編集作業用のコンピュータなどを全て失った。水に浸からずに済んだ印刷用ロールから切り出した紙に油性フェルトペンで集めた情報を手書きした壁新聞を作成し、震災翌日から市内の避難所に張り出して情報提供を6日間にわたって実施した<ref>{{Cite news ja |url=https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1103/21/news002_3.html |title=その報道は誰のため? 被災した子どもにマイクを向けるな |date=2011-03-21 |accessdate=2021-8-29 |newspaper=Business Media 誠 |publisher=ITmedia |last=相場 |first=英雄 |page=3}}</ref>。7日目には入手した複合コピー機を使用して印刷した新聞の配布を開始し、2週間後には関係者が応急復旧させた古い輪転機で印刷を再開した。この壁新聞は[[アメリカ合衆国|米国]][[ワシントンD.C.]]にあるニュース総合博物館「[[ニュージアム]]」からの要請により、6日分全てが寄贈された。


東北や関東の被災地では、交通インフラの損壊や燃料不足によって配達が遅延し、復旧までに4 - 5日以上を要した。『[[岩手東海新聞]]』(岩手県釜石市、宮古市などを中心とする夕刊紙)は、本社にあった唯一の輪転機が水没し、読者の多くも被災したため収入の確保が難しくなり、3月29日付で全従業員を解雇し、休刊となった。現在も発行再開の見通しは立っていない<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/photo/news/20110420k0000e040063000c.html |title=東日本大震災:輪転機水没、記者2人失う 岩手の夕刊紙 |date=2011-04-20 |accessdate=2011-04-21}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。このほか、『[[いわき民報]]』(福島県いわき市の夕刊紙)<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110323ddlk07040090000c.html |title=東日本大震災:「いわき民報」22日付で復刊 避難所で配布 /福島 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-23 |accessdate=2011-04-01 |archiveurl=https://archive.is/20120712031035/http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110323ddlk07040090000c.html |archivedate=2012-07-12 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>、『[[しんぶん赤旗]]』東北版([[日本共産党]]の機関紙)<ref>{{Cite news |url=http://www.jcp.or.jp/akahata/info.html |title=東北地方の読者のみなさんへ おわびとお知らせ |newspaper=しんぶん赤旗 |date=2011-03-27 |accessdate=2011-04-05}}</ref>、『[[大崎タイムス]]』(宮城県[[大崎市]]の日刊紙)、『[[三陸新報]]』(宮城県[[気仙沼市]]の日刊紙)などが数日休刊となった。その一方で『[[東海新報]]』(岩手県[[大船渡市]]の日刊紙)のように自家発電装置で輪転機を回して発行を継続した新聞もあった。
東北や関東の被災地では、交通インフラの損壊や燃料不足によって配達が遅延し、復旧までに4 - 5日以上を要した。『[[岩手東海新聞]]』(岩手県釜石市、宮古市などを中心とする夕刊紙)は、本社にあった唯一の輪転機が水没し、読者の多くも被災したため収入の確保が難しくなり、3月29日付で全従業員を解雇し、休刊となった。現在も発行再開の見通しは立っていない<ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/photo/news/20110420k0000e040063000c.html |title=東日本大震災:輪転機水没、記者2人失う 岩手の夕刊紙 |date=2011-04-20 |accessdate=2011-04-21}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>。このほか、『[[いわき民報]]』(福島県いわき市の夕刊紙)<ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110323ddlk07040090000c.html |title=東日本大震災:「いわき民報」22日付で復刊 避難所で配布 /福島 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-23 |accessdate=2011-04-01 |archiveurl=https://archive.is/20120712031035/http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110323ddlk07040090000c.html |archivedate=2012-07-12 |url-status=dead}}</ref>、『[[しんぶん赤旗]]』東北版([[日本共産党]]の機関紙)<ref>{{Cite news ja |url=http://www.jcp.or.jp/akahata/info.html |title=東北地方の読者のみなさんへ おわびとお知らせ |newspaper=しんぶん赤旗 |date=2011-03-27 |accessdate=2011-04-05}}</ref>、『[[大崎タイムス]]』(宮城県[[大崎市]]の日刊紙)、『[[三陸新報]]』(宮城県[[気仙沼市]]の日刊紙)などが数日休刊となった。その一方で『[[東海新報]]』(岩手県[[大船渡市]]の日刊紙)のように自家発電装置で輪転機を回して発行を継続した新聞もあった。


3月11日付の米紙『[[ニューヨーク・タイムズ]]』では「日本の厳しい[[耐震]]基準や[[防災]]教育により、多くの人命が救われた」とする記事が掲載されたほか、3月15日付では「非常事態に陥っても他者への気遣いや礼節を守り続ける日本人の国民性に学ぶべきものがある」とする記事も掲載された<ref>{{Cite news |title=Japan’s Strict Building Codes Saved Lives |newspaper=ニューヨーク・タイムズ(電子版) |date=2011-03-11 |author=James Glanz |author2=Norimitsu Onishi |url=http://www.nytimes.com/2011/03/12/world/asia/12codes.html |accessdate=2015-03-22 |language=英語}}</ref><ref>{{Cite news |title=Sympathy for Japan, and Admiration |newspaper=ニューヨーク・タイムズ(電子版) |date=2011-03-11 |author=NICHOLAS Kristof |url=http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-japan-and-admiration/ |accessdate=2015-03-22 |language=英語}}</ref>。また『[[ワシントン・ポスト]]』でも救助・復興活動に当たる消防団員や自衛官、警察官の様子を「能率的」と評したほか、被災者についても「冷静で礼儀正しく、驚くほどけなげに対処している」としている<ref>{{Cite news |title=If the Japanese can’t build a safe reactor, who can? |newspaper=ワシントン・ポスト(電子版) |date=2011-03-14 |author=Anne Applebaum |url=http://www.washingtonpost.com/opinions/if-the-japanese-cant-build-a-safe-reactor-who-can/2011/03/14/ABCJvuV_story.html |accessdate=2015-03-22 |language=英語}}</ref>。
3月11日付の米紙『[[ニューヨーク・タイムズ]]』では「日本の厳しい[[耐震]]基準や[[防災]]教育により、多くの人命が救われた」とする記事が掲載されたほか、3月15日付では「非常事態に陥っても他者への気遣いや礼節を守り続ける日本人の国民性に学ぶべきものがある」とする記事も掲載された<ref>{{Cite news ja |title=Japan’s Strict Building Codes Saved Lives |newspaper=ニューヨーク・タイムズ(電子版) |date=2011-03-11 |author=James Glanz |author2=Norimitsu Onishi |url=http://www.nytimes.com/2011/03/12/world/asia/12codes.html |accessdate=2015-03-22 |language=英語}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=Sympathy for Japan, and Admiration |newspaper=ニューヨーク・タイムズ(電子版) |date=2011-03-11 |author=NICHOLAS Kristof |url=http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-japan-and-admiration/ |accessdate=2015-03-22 |language=英語}}</ref>。また『[[ワシントン・ポスト]]』でも救助・復興活動に当たる消防団員や自衛官、警察官の様子を「能率的」と評したほか、被災者についても「冷静で礼儀正しく、驚くほどけなげに対処している」としている<ref>{{Cite news ja |title=If the Japanese can’t build a safe reactor, who can? |newspaper=ワシントン・ポスト(電子版) |date=2011-03-14 |author=Anne Applebaum |url=http://www.washingtonpost.com/opinions/if-the-japanese-cant-build-a-safe-reactor-who-can/2011/03/14/ABCJvuV_story.html |accessdate=2015-03-22 |language=英語}}</ref>。


=== 出版・印刷 ===
=== 出版・印刷 ===
[[画像:Paper mill after Tsunami.JPG|200px|thumb|津波の被害を受けた日本製紙 石巻工場<br />(2011年6月7日、宮城県石巻市)]]
[[画像:Paper mill after Tsunami.JPG|200px|thumb|津波の被害を受けた日本製紙 石巻工場<br />(2011年6月7日、宮城県石巻市)]]
臨海部に所在する日本製紙の石巻工場(宮城県石巻市)と[[三菱製紙]]の八戸工場(青森県[[八戸市]])が津波により被災、また内陸部にある日本製紙の岩沼工場(宮城県[[岩沼市]])、[[勿来]]工場(福島県いわき市)も津波の影響は受けなかったが、これらの工場を含む太平洋沿岸部にある製紙工場の生産設備、製品在庫の多くが損壊した。また、燃料不足などにより、これらの工場からの出荷が困難となり、全国的に印刷用紙の需給が逼迫した。[[日本雑誌協会]]によると、3月18日の時点で発行を休止・中止または発売を延期した雑誌は、『[[週刊少年ジャンプ]]』ほか191誌に及んだ<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD1808O_Y1A310C1000000/ |title=雑誌、発売延期相次ぐ 印刷用紙不足・配送に遅れ |newspaper=日本経済新聞 |date=2011-03-18 |accessdate=2011-04-01}}</ref>。このため、[[集英社]]をはじめとした各出版社は、緊急措置として『週刊少年ジャンプ』<ref>{{Cite web|和書|url=http://event.yahoo.co.jp/shonenjump/special/ |title=週刊少年ジャンプ 特別無料配信について|accessdate=2021-09-10 |website=Yahoo! JAPAN |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110326191617/http://event.yahoo.co.jp/shonenjump/special/ |archivedate=2011-03-26 |deadlinkdate=2021-9}}</ref>や『[[週刊アスキー]]』<ref>[https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/604/2604557/?r=1 週刊アスキー読者の皆様、東北地方太平洋沖地震の被災地の皆様へ]</ref>などの一部雑誌の最新号をインターネット上で無料配信した。また、震災後しばらくは印刷用紙不足が続いたため、一部の雑誌ではページ数の削減や紙質の変更などの措置が取られた。中小印刷会社の中にはこれにより営業が不可能になり、短期間で倒産する企業も現れた。
臨海部に所在する日本製紙の石巻工場(宮城県石巻市)と[[三菱製紙]]の八戸工場(青森県[[八戸市]])が津波により被災、また内陸部にある日本製紙の岩沼工場(宮城県[[岩沼市]])、[[勿来]]工場(福島県いわき市)も津波の影響は受けなかったが、これらの工場を含む太平洋沿岸部にある製紙工場の生産設備、製品在庫の多くが損壊した。また、燃料不足などにより、これらの工場からの出荷が困難となり、全国的に印刷用紙の需給が逼迫した。[[日本雑誌協会]]によると、3月18日の時点で発行を休止・中止または発売を延期した雑誌は、『[[週刊少年ジャンプ]]』ほか191誌に及んだ<ref>{{Cite news ja |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD1808O_Y1A310C1000000/ |title=雑誌、発売延期相次ぐ 印刷用紙不足・配送に遅れ |newspaper=日本経済新聞 |date=2011-03-18 |accessdate=2011-04-01}}</ref>。このため、[[集英社]]をはじめとした各出版社は、緊急措置として『週刊少年ジャンプ』<ref>{{Cite web|和書|url=http://event.yahoo.co.jp/shonenjump/special/ |title=週刊少年ジャンプ 特別無料配信について|accessdate=2021-09-10 |website=Yahoo! JAPAN |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110326191617/http://event.yahoo.co.jp/shonenjump/special/ |archivedate=2011-03-26 |url-status=dead}}</ref>や『[[週刊アスキー]]』<ref>[https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/604/2604557/?r=1 週刊アスキー読者の皆様、東北地方太平洋沖地震の被災地の皆様へ]</ref>などの一部雑誌の最新号をインターネット上で無料配信した。また、震災後しばらくは印刷用紙不足が続いたため、一部の雑誌ではページ数の削減や紙質の変更などの措置が取られた。中小印刷会社の中にはこれにより営業が不可能になり、短期間で倒産する企業も現れた。


=== インターネット ===
=== インターネット ===
情報提供の手段としてインターネットを利用した対応が行われ、テレビではNHKと民放各局(日本テレビとテレビ東京を除く)で「停電などでテレビを見られない視聴者への配慮」として、番組をニコニコ動画(ニコニコ生放送)、Ustream、[[Yahoo! JAPAN]]でリアルタイム配信した<ref name="hodo5">{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110312-OYT1T00587.htm |title=TVは12日も特別番組…民放各局CM抜き |publisher=[[読売新聞社]] |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://archive.is/20110314140148/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110312-OYT1T00587.htm |archivedate=2011-03-14}}</ref>。ニコニコ生放送では、NHK、フジテレビ、TBSニュースバードの許諾を得た上で、ライブストリーミング配信(NHKは総合テレビジョン・[[NHKワールドTV]]をリアルタイム配信)を行うとともに<ref name="hodo6">{{Cite news |url=https://news.mynavi.jp/news/2011/03/11/074/ |title=ニコ動、東北地震の緊急特番放映--NHK/フジのネット配信、専用投稿サイトも |publisher=[[毎日コミュニケーションズ]] |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317032620/http://journal.mycom.co.jp/news/2011/03/11/074/ |archivedate=2011-03-17}}</ref>独自の緊急生特番も実施し<ref name="hodo6" />、これらの配信はアカウントなしで視聴が可能になっていた<ref name="hodo6" />。Ustreamでは、NHK(総合テレビジョン・NHKワールドTV)、テレビ朝日、TBS(TBSニュースバード)、フジテレビ、[[テレビ神奈川]]、Yahoo! JAPANでは、NHK(総合テレビジョン・教育テレビジョン)のライブストリーミング配信を行った<ref>{{Cite news |url=http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20110312_432722.html |title=Ustream Asia、民放TV各局の東北地方太平洋沖地震報道番組を同時配信 |author=工藤ひろえ |publisher=[[ケータイ Watch]] |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。なお、インターネットでの報道特別番組の配信が行われたきっかけは、広島県に住む学生が午後3時過ぎから行っていた、Ustream上でのNHKの報道特別番組の無断配信であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.softbank.jp/corp/news/sbnews/director/2011/20111118_01/ |title=震災報道で「Ustream」が果たした役割 その特性を活かして放送メディアを補完 |author=Ustream Asia株式会社 |publisher=Softbank |date=2011-11-18 |accessdate=2014-04-07}}</ref><ref>{{Cite web |title=数多くの英断が生み出した、テレビ番組のネット配信 – 東日本大震災と情報、インターネット、Google |url=https://www.google.org/crisisresponse/kiroku311/chapter_10.html |website=www.google.org |access-date=2023-12-04}}</ref>。<!--支援活動は「2011年東北地方太平洋沖地震に対する支援活動」項目がありますので、そちらに記入してください-->
情報提供の手段としてインターネットを利用した対応が行われ、テレビではNHKと民放各局(日本テレビとテレビ東京を除く)で「停電などでテレビを見られない視聴者への配慮」として、番組をニコニコ動画(ニコニコ生放送)、Ustream、[[Yahoo! JAPAN]]でリアルタイム配信した<ref name="hodo5">{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110312-OYT1T00587.htm |title=TVは12日も特別番組…民放各局CM抜き |publisher=[[読売新聞社]] |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://archive.is/20110314140148/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110312-OYT1T00587.htm |archivedate=2011-03-14}}</ref>。ニコニコ生放送では、NHK、フジテレビ、TBSニュースバードの許諾を得た上で、ライブストリーミング配信(NHKは総合テレビジョン・[[NHKワールドTV]]をリアルタイム配信)を行うとともに<ref name="hodo6">{{Cite news ja |url=https://news.mynavi.jp/news/2011/03/11/074/ |title=ニコ動、東北地震の緊急特番放映--NHK/フジのネット配信、専用投稿サイトも |publisher=[[毎日コミュニケーションズ]] |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110317032620/http://journal.mycom.co.jp/news/2011/03/11/074/ |archivedate=2011-03-17}}</ref>独自の緊急生特番も実施し<ref name="hodo6" />、これらの配信はアカウントなしで視聴が可能になっていた<ref name="hodo6" />。Ustreamでは、NHK(総合テレビジョン・NHKワールドTV)、テレビ朝日、TBS(TBSニュースバード)、フジテレビ、[[テレビ神奈川]]、Yahoo! JAPANでは、NHK(総合テレビジョン・教育テレビジョン)のライブストリーミング配信を行った<ref>{{Cite news ja |url=http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20110312_432722.html |title=Ustream Asia、民放TV各局の東北地方太平洋沖地震報道番組を同時配信 |author=工藤ひろえ |publisher=[[ケータイ Watch]] |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。なお、インターネットでの報道特別番組の配信が行われたきっかけは、広島県に住む学生が午後3時過ぎから行っていた、Ustream上でのNHKの報道特別番組の無断配信であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.softbank.jp/corp/news/sbnews/director/2011/20111118_01/ |title=震災報道で「Ustream」が果たした役割 その特性を活かして放送メディアを補完 |author=Ustream Asia株式会社 |publisher=Softbank |date=2011-11-18 |accessdate=2014-04-07}}</ref><ref>{{Cite web |title=数多くの英断が生み出した、テレビ番組のネット配信 – 東日本大震災と情報、インターネット、Google |url=https://www.google.org/crisisresponse/kiroku311/chapter_10.html |website=www.google.org |access-date=2023-12-04}}</ref>。<!--支援活動は「2011年東北地方太平洋沖地震に対する支援活動」項目がありますので、そちらに記入してください-->


=== 報道規制 ===
=== 報道規制 ===
震災発生当時の[[菅直人内閣 (第2次改造)|民主党政権]]は福島第一原発における事故について[[炉心溶融]](メルトダウン)であった事実を認識しながら、この事実の公表に伴うパニックや混乱を避けるとの判断から公式発表ではこの言葉の使用を避け続けた。そして、事故の状況について公式発表の席で正確な事実を伝えなかった。そうした姿勢がかえって海外(おもに欧米の主要メディア)を中心に日本政府に対する不信感となり、「福島および首都圏が深刻な放射能被害を受けているが日本政府は事実を隠蔽している」との憶測が広まり、各国の大使館が自国民に日本国内からの退避を呼びかける事態に繋がった。のちに客観的事実からそうした認識は単なる憶測の域を出ておらず、心配されるような事態ではないと判明。震災報道に携わった主要メディアは社説などを通じて、過剰な不安を煽った責任について一定の反省を示す一方、政府発表の不正確さがこうした憶測を呼んだとして日本政府を批判した。
震災発生当時の[[菅直人内閣 (第2次改造)|民主党政権]]は福島第一原発における事故について[[炉心溶融]](メルトダウン)であった事実を認識しながら、この事実の公表に伴うパニックや混乱を避けるとの判断から公式発表ではこの言葉の使用を避け続けた。そして、事故の状況について公式発表の席で正確な事実を伝えなかった。そうした姿勢がかえって海外(おもに欧米の主要メディア)を中心に日本政府に対する不信感となり、「福島および首都圏が深刻な放射能被害を受けているが日本政府は事実を隠蔽している」との憶測が広まり、各国の大使館が自国民に日本国内からの退避を呼びかける事態に繋がった。のちに客観的事実からそうした認識は単なる憶測の域を出ておらず、心配されるような事態ではないと判明。震災報道に携わった主要メディアは社説などを通じて、過剰な不安を煽った責任について一定の反省を示す一方、政府発表の不正確さがこうした憶測を呼んだとして日本政府を批判した。


2012年1月25日、[[国境なき記者団]]は東日本大震災の被災地や東京電力福島第一原発事故で過剰な報道規制が敷かれたことなどを理由に、「世界の報道自由度ランキング」において日本を前年の11位から22位へと格付けした<ref name="jijihoudou">{{Cite news |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012012500930 |title=日本は22位に後退=「アラブの春」で変動も-報道自由度ランク |newspaper=時事ドットコム |publisher=時事通信社 |date=2012-01-25 |accessdate=2011-01-27}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。
2012年1月25日、[[国境なき記者団]]は東日本大震災の被災地や東京電力福島第一原発事故で過剰な報道規制が敷かれたことなどを理由に、「世界の報道自由度ランキング」において日本を前年の11位から22位へと格付けした<ref name="jijihoudou">{{Cite news ja |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012012500930 |title=日本は22位に後退=「アラブの春」で変動も-報道自由度ランク |newspaper=時事ドットコム |publisher=時事通信社 |date=2012-01-25 |accessdate=2011-01-27}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。


== 災害対策の動き ==
== 災害対策の動き ==
日本国政府は地震発生から28分後の15時14分、史上初の'''[[災害対策本部#緊急災害対策本部|緊急災害対策本部]]'''を設置した。[[3月12日]]夜の持ち回り[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議]]で、[[政令]]により「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震等による災害」を[[激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律]](激甚災害法)に基づく'''激甚災害'''に指定し、同じく政令により[[特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律|特定非常災害特別措置法]]に基づく特定非常災害に指定した(いずれの政令も[[3月13日]]公布)。また、青森・岩手・宮城・福島・茨城・栃木・千葉・東京の各都県は[[災害救助法]]の適用を決定した(適用市町村は都県ごとに指定)。[[3月22日]]、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の各県と[[内閣府]]は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害について[[被災者生活再建支援法]]を適用することを決定した(適用地域は青森・岩手・宮城・福島・茨城・栃木・千葉の7県)。ただし、国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めず、福島県には適用していない。
日本国政府は地震発生から28分後の15時14分、史上初の[[災害対策本部#緊急災害対策本部|緊急災害対策本部]]を設置した。[[3月12日]]夜の持ち回り[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議]]で、[[政令]]により「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震等による災害」を[[激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律]](激甚災害法)に基づく激甚災害に指定し、同じく政令により[[特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律|特定非常災害特別措置法]]に基づく特定非常災害に指定した(いずれの政令も[[3月13日]]公布)。また、青森・岩手・宮城・福島・茨城・栃木・千葉・東京の各都県は[[災害救助法]]の適用を決定した(適用市町村は都県ごとに指定)。[[3月22日]]、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の各県と[[内閣府]]は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害について[[被災者生活再建支援法]]を適用することを決定した(適用地域は青森・岩手・宮城・福島・茨城・栃木・千葉の7県)。ただし、国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めず、福島県には適用していない。


=== 救助・支援活動 ===
=== 救助・支援活動 ===
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[[画像:Lt. Gen. Eiji Kimizuka on_board USS Ronald Reagan -31 Mar. 2011 a.jpg|thumb|200px|米空母[[ロナルド・レーガン (空母)|ロナルド・レーガン]]艦内で支援の状況を確認する[[君塚栄治]][[東北方面隊|東北方面総監]](2011年3月31日)]]
[[画像:Lt. Gen. Eiji Kimizuka on_board USS Ronald Reagan -31 Mar. 2011 a.jpg|thumb|200px|米空母[[ロナルド・レーガン (空母)|ロナルド・レーガン]]艦内で支援の状況を確認する[[君塚栄治]][[東北方面隊|東北方面総監]](2011年3月31日)]]
[[画像:CH-47 at Ōshima (Kesennuma), -1 Apr. 2011 a.jpg|200px|thumb|孤立した住民を入浴支援のため[[ひゅうが (護衛艦)|護衛艦ひゅうが]]に空輸する[[陸上自衛隊]]のヘリコプター (2011年4月1日、[[大島 (宮城県気仙沼市)|気仙沼大島]])]]
[[画像:CH-47 at Ōshima (Kesennuma), -1 Apr. 2011 a.jpg|200px|thumb|孤立した住民を入浴支援のため[[ひゅうが (護衛艦)|護衛艦ひゅうが]]に空輸する[[陸上自衛隊]]のヘリコプター (2011年4月1日、[[大島 (宮城県気仙沼市)|気仙沼大島]])]]
震災発生を受けて同日15時14分に設置された内閣府緊急災害対策本部は2011年5月17日、同日までに2万6708人が警察庁、[[消防庁]]、[[海上保安庁]]、[[自衛隊]]の派遣部隊によって救出されたと発表した<ref name="緊急災害対策本部0517">{{Cite web|和書|url=http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/201105171700jisin.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について |publisher=内閣府緊急災害対策本部 |date=2011-05-17 |accessdate=2011-05-21 |deadlinkdate= 2014-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110519005818/http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/201105171700jisin.pdf |archivedate=2011-05-19}}</ref>。機関別では自衛隊が19,286名、消防が5,064名、警察が3,749名をそれぞれ救出した。
震災発生を受けて同日15時14分に設置された内閣府緊急災害対策本部は2011年5月17日、同日までに2万6708人が警察庁、[[消防庁]]、[[海上保安庁]]、[[自衛隊]]の派遣部隊によって救出されたと発表した<ref name="緊急災害対策本部0517">{{Cite web|和書|url=http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/201105171700jisin.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について |publisher=内閣府緊急災害対策本部 |date=2011-05-17 |accessdate=2011-05-21 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110519005818/http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/201105171700jisin.pdf |archivedate=2011-05-19}}</ref>。機関別では自衛隊が19,286名、消防が5,064名、警察が3,749名をそれぞれ救出した。


また、日本国外の156の国・地域と41の機関が支援を表明し、28の国・地域・機関から救助隊を、53の国・地域・機関から救援物資を受け入れている<ref name="緊急災害対策本部0517" />。
また、日本国外の156の国・地域と41の機関が支援を表明し、28の国・地域・機関から救助隊を、53の国・地域・機関から救援物資を受け入れている<ref name="緊急災害対策本部0517" />。


被災地では、県や市などの物流の拠点まで輸送された食料や燃料、水、薬品などが隅々まで届かず、[[阪神・淡路大震災]]発生時と比較して物資が大幅に不足した。その理由として、各地の港湾が被災し道路網が寸断されたこと、市や町の職員が犠牲になるなどして被災地側の受け入れ態勢が整わなかったこと、輸送車両の燃料が不足したこと、被害が広範囲に及び、避難者が指定避難所以外の施設に分散したことなどが挙げられる。特に燃料が不足し、被災地では自動車で移動したり暖を取ったりすることも困難な状態が長く続いた。また福島県では、[[福島第一原子力発電所事故]]による[[被曝]]を恐れてトラックが引き返すなどし、沿岸部を中心に物資が届きにくくなった<ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月17日朝刊1 - 4面、3月19日朝刊5面、3月20日朝刊29面。</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110317-OYT1T00099.htm?from=top |title=避難所目前なのに…燃料なく物資の山も運べず |publisher=『読売新聞』 |date=2011-03-17 |accessdate=2011-05-21 |archiveurl=https://archive.is/20130501094243/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110317-OYT1T00099.htm?from=top |archivedate=2013-05-01}}</ref>。[[奥羽山脈]]を越える[[国道347号]]をはじめとするいくつかの道路は例年通り冬季閉鎖であったが、その情報を知らずに日本海側から救援に向かった車両が引き返す例が見られた<ref>[https://web.archive.org/web/20120501064314/http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120501t71020.htm 「宮城、山形両県またぐ国道347号 通年化へ改良促進」](2012年5月1日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])『河北新報』2012年5月1日</ref>。
被災地では、県や市などの物流の拠点まで輸送された食料や燃料、水、薬品などが隅々まで届かず、[[阪神・淡路大震災]]発生時と比較して物資が大幅に不足した。その理由として、各地の港湾が被災し道路網が寸断されたこと、市や町の職員が犠牲になるなどして被災地側の受け入れ態勢が整わなかったこと、輸送車両の燃料が不足したこと、被害が広範囲に及び、避難者が指定避難所以外の施設に分散したことなどが挙げられる。特に燃料が不足し、被災地では自動車で移動したり暖を取ったりすることも困難な状態が長く続いた。また福島県では、[[福島第一原子力発電所事故]]による[[被曝]]を恐れてトラックが引き返すなどし、沿岸部を中心に物資が届きにくくなった<ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月17日朝刊1 - 4面、3月19日朝刊5面、3月20日朝刊29面。</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110317-OYT1T00099.htm?from=top |title=避難所目前なのに…燃料なく物資の山も運べず |publisher=『読売新聞』 |date=2011-03-17 |accessdate=2011-05-21 |archiveurl=https://archive.is/20130501094243/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110317-OYT1T00099.htm?from=top |archivedate=2013-05-01}}</ref>。[[奥羽山脈]]を越える[[国道347号]]をはじめとするいくつかの道路は例年通り冬季閉鎖であったが、その情報を知らずに日本海側から救援に向かった車両が引き返す例が見られた<ref>[https://web.archive.org/web/20120501064314/http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120501t71020.htm 「宮城、山形両県またぐ国道347号 通年化へ改良促進」](2012年5月1日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])『河北新報』2012年5月1日</ref>。


[[ロイター]]の編集者である[[:en:Felix Salmon|Felix Salmon]]は日本に[[義援金]]を送るべきではない<ref>{{Cite web |author=Felix Salmon |date=2011-03-14 |url=http://blogs.reuters.com/felix-salmon/2011/03/14/dont-donate-money-to-japan/ |title=Don't donate money to Japan |publisher=Reuters opinion |language=英語 |accessdate=2015-03-19}}</ref>と主張している。日本は金満な国家であり、何千億ドルに相当するお金を刷って財源を捻出できるからである。金銭の国際援助は発展途上国にすべきものであり、[[:en:net foreign assets|対外純資産]]世界一である日本<ref>{{Cite news |title=Japan's net foreign assets hit the record high |newspaper=Reuters |date=2010-05-24 |url=http://www.reuters.com/article/2010/05/24/japan-economy-assets-idUSTOE64N07320100524 |language=英語 |accessdate=2015-03-19}}</ref>に国際援助モデルを適用するのは納得がいかないとしている<ref>http://36524news.jp から{{リンク切れ|date=2018年3月}}</ref>。
[[ロイター]]の編集者である[[:en:Felix Salmon|Felix Salmon]]は日本に[[義援金]]を送るべきではない<ref>{{Cite web |author=Felix Salmon |date=2011-03-14 |url=http://blogs.reuters.com/felix-salmon/2011/03/14/dont-donate-money-to-japan/ |title=Don't donate money to Japan |publisher=Reuters opinion |language=英語 |accessdate=2015-03-19}}</ref>と主張している。日本は金満な国家であり、何千億ドルに相当するお金を刷って財源を捻出できるからである。金銭の国際援助は発展途上国にすべきものであり、[[:en:net foreign assets|対外純資産]]世界一である日本<ref>{{Cite news ja |title=Japan's net foreign assets hit the record high |newspaper=Reuters |date=2010-05-24 |url=http://www.reuters.com/article/2010/05/24/japan-economy-assets-idUSTOE64N07320100524 |language=英語 |accessdate=2015-03-19}}</ref>に国際援助モデルを適用するのは納得がいかないとしている<ref>http://36524news.jp から{{リンク切れ|date=2018年3月}}</ref>。


また、[[台湾]]の寄付総額は少なくとも73億6400万[[台湾ドル]](約200億円、2億5200万米ドル)に達した。また、米軍の後に到着し、最初の救援物資を被災地に持ち込んだのは、2番目の外国人救助隊であった。
また、[[台湾]]の寄付総額は少なくとも73億6400万[[台湾ドル]](約200億円、2億5200万米ドル)に達した。また、米軍の後に到着し、最初の救援物資を被災地に持ち込んだのは、2番目の外国人救助隊であった。
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==== 自衛隊 ====
==== 自衛隊 ====
{{See also|東日本大震災に対する自衛隊の対応}}
{{See also|東日本大震災に対する自衛隊の対応}}
[[防衛省]]は、地震発生から4分後の3月11日14時50分に「災害対策本部」を設置し、52分に[[自衛艦隊]]司令官(当時は[[倉本憲一]])による出動可能全艦艇への出港命令が下令され、護衛艦「[[たかなみ (護衛艦・2代)|たかなみ]]」(艦長<ref>{{Cite web|和書|title=米丸 祥一|招待講演者|第4回国際ユニヴァーサルデザイン会議 2012 in 福岡 |url=https://www.iaud.net/ud2012/speaker/speaker-yonemaru.html |website=www.iaud.net |accessdate=2019-04-12}}</ref>[http://www.jpsn.org/free/interview/2011/1110_rescuefromthesea/ 米丸祥一]<ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災出動指揮官インタビュー(2) 「レスキュー・フロム・ザ・シーを念頭に」 護衛艦たかなみ艦長2等海佐 米丸 祥一|url=http://www.jpsn.org/free/interview/2011/1110_rescuefromthesea/|website=www.jpsn.org |accessdate=2019-04-30}}</ref>)が石巻沖での救助の先陣を切った。[[大湊基地|大湊航空基地]]からの[[UH-60J (航空機)|UH-60J]]発進を皮切りに、陸海空自衛隊が救助や偵察のために[[ヘリコプター]]や[[戦闘機]]・[[対潜哨戒機|哨戒機]]などを[[スクランブル]]発進させた。陸上自衛隊の[[UH-1 (航空機)|UH-1]]が撮影した何波にもわたって襲来する津波の映像は、報道機関を通じて全国に放送されている<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/11c.html |title=平成23年東北地方太平洋沖地震に係る防衛省・自衛隊の対応について(17時00分現在) |publisher=防衛省・自衛隊 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。また迅速、効果的に救助・支援活動を行うため、14日に陸海空自衛隊の各部隊による[[統合任務部隊 (自衛隊)|統合任務部隊]]として、[[君塚栄治]][[東北方面総監]]を指揮官とする「災統合任務部隊」(JTF-TH) を編成。自衛隊創設以来最大規模の[[災害派遣]]を行った<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/27a.html |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震自衛隊の活動状況(09時00分現在) |publisher=防衛省・自衛隊 |date=2011-03-27 |accessdate=2011-03-28}}</ref>。27日時点で、人員約10万6900名(陸約7万、海空約3万6000)と回転翼217機、固定翼326機、艦船53隻が救援活動を行っている。また[[福島第一原子力発電所|福島第一原発]]の対処には[[中央特殊武器防護隊]]を中心とした[[中央即応集団]]が中心となって対応し、他の部隊とは異なる指揮系統の下で活動している。
[[防衛省]]は、地震発生から4分後の3月11日14時50分に「災害対策本部」を設置し、52分に[[自衛艦隊]]司令官(当時は[[倉本憲一 (自衛官)|倉本憲一]])による出動可能全艦艇への出港命令が下令され、護衛艦「[[たかなみ (護衛艦・2代)|たかなみ]]」(艦長<ref>{{Cite web|和書|title=米丸 祥一|招待講演者|第4回国際ユニヴァーサルデザイン会議 2012 in 福岡 |url=https://www.iaud.net/ud2012/speaker/speaker-yonemaru.html |website=www.iaud.net |accessdate=2019-04-12}}</ref>[http://www.jpsn.org/free/interview/2011/1110_rescuefromthesea/ 米丸祥一]<ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災出動指揮官インタビュー(2) 「レスキュー・フロム・ザ・シーを念頭に」 護衛艦たかなみ艦長2等海佐 米丸 祥一|url=http://www.jpsn.org/free/interview/2011/1110_rescuefromthesea/|website=www.jpsn.org |accessdate=2019-04-30}}</ref>)が石巻沖での救助の先陣を切った。[[大湊基地|大湊航空基地]]からの[[UH-60J (航空機)|UH-60J]]発進を皮切りに、陸海空自衛隊が救助や偵察のために[[ヘリコプター]]や[[戦闘機]]・[[対潜哨戒機|哨戒機]]などを[[スクランブル]]発進させた。陸上自衛隊の[[UH-1 (航空機)|UH-1]]が撮影した何波にもわたって襲来する津波の映像は、報道機関を通じて全国に放送されている<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/11c.html |title=平成23年東北地方太平洋沖地震に係る防衛省・自衛隊の対応について(17時00分現在) |publisher=防衛省・自衛隊 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。また迅速、効果的に救助・支援活動を行うため、14日に陸海空自衛隊の各部隊による[[統合任務部隊 (自衛隊)|統合任務部隊]]として、[[君塚栄治]][[東北方面総監]]を指揮官とする「災統合任務部隊」(JTF-TH) を編成。自衛隊創設以来最大規模の[[災害派遣]]を行った<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/27a.html |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震自衛隊の活動状況(09時00分現在) |publisher=防衛省・自衛隊 |date=2011-03-27 |accessdate=2011-03-28}}</ref>。27日時点で、人員約10万6900名(陸約7万、海空約3万6000)と回転翼217機、固定翼326機、艦船53隻が救援活動を行っている。また[[福島第一原子力発電所|福島第一原発]]の対処には[[中央特殊武器防護隊]]を中心とした[[中央即応集団]]が中心となって対応し、他の部隊とは異なる指揮系統の下で活動している。


日々拡大する被害の復興のため、防衛省は3月16日に、防衛省・自衛隊創設以来初となる[[即応予備自衛官]]および[[予備自衛官]]の災害招集命令を発令した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/16c.html |title=予備自衛官・即応予備自衛官の災害招集について |accessdate=2011-03-17 |date=2011-03-16 |publisher=防衛省}}</ref><ref>平成22年3月16日閣議決定事項</ref>。
日々拡大する被害の復興のため、防衛省は3月16日に、防衛省・自衛隊創設以来初となる[[即応予備自衛官]]および[[予備自衛官]]の災害招集命令を発令した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/16c.html |title=予備自衛官・即応予備自衛官の災害招集について |accessdate=2011-03-17 |date=2011-03-16 |publisher=防衛省}}</ref><ref>平成22年3月16日閣議決定事項</ref>。
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2011年に動員した自衛隊員は「延べ」1,058万人<ref group=注>[[阪神・淡路大震災]]は225万人。</ref>(1日の最大派遣人員約10万7000人)である<ref>[https://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/12/26b.pdf 東日本大震災(平成23年3月11日)における災害派遣活動] 2011年3月26日、防衛省</ref>。自衛隊員23万人のほぼ半数を投入した。
2011年に動員した自衛隊員は「延べ」1,058万人<ref group=注>[[阪神・淡路大震災]]は225万人。</ref>(1日の最大派遣人員約10万7000人)である<ref>[https://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/12/26b.pdf 東日本大震災(平成23年3月11日)における災害派遣活動] 2011年3月26日、防衛省</ref>。自衛隊員23万人のほぼ半数を投入した。


自衛隊<ref>当時の幹部は[[統合幕僚長]] [[折木良一]][[陸将]]、副長[[河野克俊]][[海将]]、[[陸上幕僚長]][[火箱芳文]]、[[海上幕僚長]][[杉本正彦]]、[[航空幕僚長]][[岩﨑茂]]。</ref>は発災から2か月間、10万人態勢で復興支援を行ってきたが、2011年[[5月2日]]に国際テロ組織[[アルカーイダ]]の指導者[[ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害|ウサーマ・ビン・ラーディンの米軍による暗殺]]が発表されたことを受け、国内でのテロ活動の阻止にも隊力を使用する必要が生じたことから、段階的に派遣の規模を縮小する方針とした。航空自衛隊は当初の規模の半分に縮小している<ref>{{Cite news |date=2011-06-02 |newspaper=『[[朝雲新聞]]』 |title=空自災派部隊半減、通常の訓練等へ移行 |url=http://www.asagumo-news.com/news/201105/110526/11052602.html |accessdate=2011-06-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111125000447/http://www.asagumo-news.com/news/201105/110526/11052602.html |archivedate=2011-11-25}}</ref>。
自衛隊<ref>当時の幹部は[[統合幕僚長]] [[折木良一]][[陸将]]、副長[[河野克俊]][[海将]]、[[陸上幕僚長]][[火箱芳文]]、[[海上幕僚長]][[杉本正彦]]、[[航空幕僚長]][[岩﨑茂]]。</ref>は発災から2か月間、10万人態勢で復興支援を行ってきたが、2011年[[5月2日]]に国際テロ組織[[アルカーイダ]]の指導者[[ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害|ウサーマ・ビン・ラーディンの米軍による暗殺]]が発表されたことを受け、国内でのテロ活動の阻止にも隊力を使用する必要が生じたことから、段階的に派遣の規模を縮小する方針とした。航空自衛隊は当初の規模の半分に縮小している<ref>{{Cite news ja |date=2011-06-02 |newspaper=『[[朝雲新聞]]』 |title=空自災派部隊半減、通常の訓練等へ移行 |url=http://www.asagumo-news.com/news/201105/110526/11052602.html |accessdate=2011-06-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111125000447/http://www.asagumo-news.com/news/201105/110526/11052602.html |archivedate=2011-11-25}}</ref>。


派遣勢力は最大時で、人員約107,000人(陸上自衛隊約70,000人、海上自衛隊約15,000人、航空自衛隊約21,600人、福島第一原発対処約500人)、航空機約540機、艦艇59隻った。発災から6月11日までの3か月の派遣規模は、人員延べ約868万7000人、航空機同約4万1000機、艦艇同約4,100隻に達した。主な成果は、人命救助1万9286人、遺体収容は9,487体。物資などの輸送は約11,500 [[トン|t]]、医療チームなどの輸送は18,310人、患者輸送175人。被災者の生活支援面では、給水支援が約32,820t、給食支援が約4,477,440食、燃料支援が約1,400 [[リットル|kL]]。このほか入浴支援は約854,980人、衛生など支援は約23,370人となっている<ref>{{Cite news |date=2011-06-16 |newspaper=『朝雲新聞』 |title=派遣人員 延べ868万人に |url=http://www.asagumo-news.com/news/201106/110616/11061602.html |accessdate=2011-06-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111125005005/http://www.asagumo-news.com/news/201106/110616/11061602.html |archivedate=2011-11-25}}</ref>。震災を目撃した[[アメリカ海兵隊]]幹部たちは、もしアメリカ海兵隊のような軍事能力を持つ組織が日本にあったなら、数千名の命を救えたと指摘した<ref>{{cite news |author=北村淳 |authorlink=北村淳 (軍事評論家)|date=2014-03-13 |newspaper=[[日本ビジネスプレス]] |title=震災から3年、ようやく誕生しつつある水陸両用能力 「強襲上陸部隊」と捉えるのは勘違い |url=http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40145 |accessdate=2014-03-13}}</ref>。
派遣勢力は最大時で、人員約107,000人(陸上自衛隊約70,000人、海上自衛隊約15,000人、航空自衛隊約21,600人、福島第一原発対処約500人)、航空機約540機、艦艇59隻であった。発災から6月11日までの3か月の派遣規模は、人員延べ約868万7000人、航空機同約4万1000機、艦艇同約4,100隻に達した。主な成果は、人命救助1万9286人、遺体収容は9,487体。物資などの輸送は約11,500 [[トン|t]]、医療チームなどの輸送は18,310人、患者輸送175人。被災者の生活支援面では、給水支援が約32,820t、給食支援が約4,477,440食、燃料支援が約1,400 [[リットル|kL]]。このほか入浴支援は約854,980人、衛生など支援は約23,370人となっている<ref>{{Cite news ja |date=2011-06-16 |newspaper=『朝雲新聞』 |title=派遣人員 延べ868万人に |url=http://www.asagumo-news.com/news/201106/110616/11061602.html |accessdate=2011-06-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111125005005/http://www.asagumo-news.com/news/201106/110616/11061602.html |archivedate=2011-11-25}}</ref>。震災を目撃した[[アメリカ海兵隊]]幹部たちは、もしアメリカ海兵隊のような軍事能力を持つ組織が日本にあったなら、数千名の命を救えたと指摘した<ref>{{Cite news ja |author=北村淳 |authorlink=北村淳 (軍事評論家)|date=2014-03-13 |newspaper=[[日本ビジネスプレス]] |title=震災から3年、ようやく誕生しつつある水陸両用能力 「強襲上陸部隊」と捉えるのは勘違い |url=http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40145 |accessdate=2014-03-13}}</ref>。


7月1日に防衛相の[[北澤俊美]]が君塚東北方面総監に対し、災統合任務部隊の解散を命じた<ref>{{cite news |date=2011-07-01 |newspaper=MSN産経 |title=災統合任務部隊を解散、陸自中心の生活支援は継続 |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110701/plc11070119070022-n1.htm |accessdate=2011-07-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110704225830/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110701/plc11070119070022-n1.htm |archivedate=2011-07-04}}</ref>。災統合任務部隊の編成解組後現地で支援任務を行ってきた[[第9師団 (陸上自衛隊)|第9師団]]は7月26日に岩手県内<ref>{{cite news |date=2011-07-28 |newspaper=『朝雲新聞』 |title=岩手県下災派終わる、9師団が撤収 |url=http://www.asagumo-news.com/news/201107/110728/11072802.html |accessdate=2011-08-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110929082420/http://www.asagumo-news.com/news/201107/110728/11072802.html |archivedate=2011-09-29}}</ref>、[[第6師団 (陸上自衛隊)|第6師団]]は7月31日付けで宮城県内での支援任務を終了した<ref>読売online(2011年8月1日、2011年8月2日閲覧)</ref>。中央即応集団司令官を長として福島第一原子力発電所事故の対応に当たってきた部隊は2011年12月26日をもって撤収し、防衛省・自衛隊による一連の派遣が終了した<ref>[http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/12/26b.html 東日本大震災の災害派遣終了について] 防衛省報道資料・2011年12月28日閲覧</ref>。
7月1日に防衛相の[[北澤俊美]]が君塚東北方面総監に対し、災統合任務部隊の解散を命じた<ref>{{Cite news ja |date=2011-07-01 |newspaper=MSN産経 |title=災統合任務部隊を解散、陸自中心の生活支援は継続 |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110701/plc11070119070022-n1.htm |accessdate=2011-07-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110704225830/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110701/plc11070119070022-n1.htm |archivedate=2011-07-04}}</ref>。災統合任務部隊の編成解組後現地で支援任務を行ってきた[[第9師団 (陸上自衛隊)|第9師団]]は7月26日に岩手県内<ref>{{Cite news ja |date=2011-07-28 |newspaper=『朝雲新聞』 |title=岩手県下災派終わる、9師団が撤収 |url=http://www.asagumo-news.com/news/201107/110728/11072802.html |accessdate=2011-08-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110929082420/http://www.asagumo-news.com/news/201107/110728/11072802.html |archivedate=2011-09-29}}</ref>、[[第6師団 (陸上自衛隊)|第6師団]]は7月31日付けで宮城県内での支援任務を終了した<ref>読売online(2011年8月1日、2011年8月2日閲覧)</ref>。中央即応集団司令官を長として福島第一原子力発電所事故の対応に当たってきた部隊は2011年12月26日をもって撤収し、防衛省・自衛隊による一連の派遣が終了した<ref>[http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/12/26b.html 東日本大震災の災害派遣終了について] 防衛省報道資料・2011年12月28日閲覧</ref>。


[[ロシア連邦軍]]および[[中国人民解放軍]]は、東日本大震災の発災直後から[[偵察機]]、[[戦闘機]]を波状的に日本の[[防空識別圏]]内に飛来させた。自衛隊は、災害派遣と並行して戦闘機による[[スクランブル]]発進を実施して対処した。両国軍用機による日本の防空識別圏内への飛来はその後も発生し、特にロシア軍は放射能測定を理由に東北地方沖合に何回も航空機を飛来させている。
[[ロシア連邦軍]]および[[中国人民解放軍]]は、東日本大震災の発災直後から[[偵察機]]、[[戦闘機]]を波状的に日本の[[防空識別圏]]内に飛来させた。自衛隊は、災害派遣と並行して戦闘機による[[スクランブル]]発進を実施して対処した。両国軍用機による日本の防空識別圏内への飛来はその後も発生し、特にロシア軍は放射能測定を理由に東北地方沖合に何回も航空機を飛来させている。


===== 自衛隊の損害 =====
===== 自衛隊の損害 =====
陸上自衛隊[[東北方面隊]]管内にある宮城県の[[多賀城駐屯地]]<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm |title=写真とメールが物語る、黙して語らぬ自衛隊員の姿 |accessdate=2011-03-28 |date=2011-03-17 |publisher=MSN産経ニュース |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722013011/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm |archivedate=2011-07-22}}</ref>や航空自衛隊[[松島基地]]は、震災後の津波によって浸水し、施設や装備に大きな被害を受けた。そのほか東北地方に所在する他の陸海空自衛隊の基地・駐屯地においても、施設や設備に多数の損害を受けた。
陸上自衛隊[[東北方面隊]]管内にある宮城県の[[多賀城駐屯地]]<ref>{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm |title=写真とメールが物語る、黙して語らぬ自衛隊員の姿 |accessdate=2011-03-28 |date=2011-03-17 |publisher=MSN産経ニュース |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722013011/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm |archivedate=2011-07-22}}</ref>や航空自衛隊[[松島基地]]は、震災後の津波によって浸水し、施設や装備に大きな被害を受けた。そのほか東北地方に所在する他の陸海空自衛隊の基地・駐屯地においても、施設や設備に多数の損害を受けた。


松島基地では駐機場および格納庫に駐機していた航空機28機([[F-2 (航空機)|F-2B戦闘機]]×18機、T-4練習機×4機、[[U-125 (航空機)|U-125救難捜索機]]×2機、UH-60J救難ヘリコプター×4機)すべてが水没するなどの被害を受けた<ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103110818.html |title=F2戦闘機18機など水没 松島基地、1機120億円 |accessdate=2011-03-12 |date=2011-03-12 |publisher=朝日新聞}}</ref>。これにより[[第4航空団]]は救援活動を行おうにも手も足も出ない状況に陥った。
松島基地では駐機場および格納庫に駐機していた航空機28機([[F-2 (航空機)|F-2B戦闘機]]×18機、T-4練習機×4機、[[U-125 (航空機)|U-125救難捜索機]]×2機、UH-60J救難ヘリコプター×4機)すべてが水没するなどの被害を受けた<ref>{{Cite news ja |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103110818.html |title=F2戦闘機18機など水没 松島基地、1機120億円 |accessdate=2011-03-12 |date=2011-03-12 |publisher=朝日新聞}}</ref>。これにより[[第4航空団]]は救援活動を行おうにも手も足も出ない状況に陥った。


また、[[仙台空港]]において整備中であった、陸上自衛隊[[第1ヘリコプター団#部隊編成|第1ヘリコプター団特別輸送ヘリコプター隊]]所属の[[ユーロコプター EC 225|EC225LP]]型1機が津波による空港の浸水によって水没し、全損となった。
また、[[仙台空港]]において整備中であった、陸上自衛隊[[第1ヘリコプター団#部隊編成|第1ヘリコプター団特別輸送ヘリコプター隊]]所属の[[ユーロコプター EC 225|EC225LP]]型1機が津波による空港の浸水によって水没し、全損となった。
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===== 自衛隊員の災害関連死 =====
===== 自衛隊員の災害関連死 =====
震災発生翌日の12日に駐屯地を出発し、15日から作業に従事していた50歳代の[[曹長]](陸上自衛隊・[[旭川駐屯地]]所属)が、4月1日、死亡している<ref>{{cite news |date=2011-04-02 |newspaper=[[サンケイスポーツ]] |title=陸自隊員、災害派遣初の死亡「誠に残念」 |url=http://www.sanspo.com/shakai/news/110402/sha1104020504006-n1.htm |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110404112505/http://www.sanspo.com/shakai/news/110402/sha1104020504006-n1.htm |archivedate=2011-04-04}}</ref><ref>{{Cite news |date=2011-04-02 |newspaper=『[[北海道新聞]]』 |title=岩手に震災派遣 旭川の陸曹長が死亡 |url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/282931.html |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110404014354/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/282931.html |archivedate=2011-04-04}}</ref>。死因は[[過労死]]の可能性があるとされている<ref>{{cite news |date=2011-04-01 |newspaper=[[テレビ朝日]] |title=【地震】震災支援の陸自隊員が死亡 過労が原因か |url=http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210401057.html |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110404113942/http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210401057.html |archivedate=2011-04-04}}</ref>。曹長が所属していた[[第2特科連隊]]の[[日本の連隊|連隊長]]は曹長の死亡について、「誠に残念で、ご冥福をお祈りする。災害派遣活動との因果関係を調査し、原因を究明したい」と述べた<ref>{{cite news |date=2011-04-02 |newspaper=『[[日刊スポーツ]]』 |title=自衛官初の殉職 50代陸曹長体調崩し病死 |url=http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110402-755839.html |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110405164956/http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110402-755839.html |archivedate=2011-04-05}}</ref>。[[4月2日]]、防衛省は同曹長を1日付で[[准士官|准尉]]に特別昇任させることを決めた<ref>{{Cite news |date=2011-04-02 |newspaper=時事ドットコム(時事通信) |title=派遣中死亡の隊員、特別昇任=防衛省 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011040200356 |accessdate=2011-04-03 |deadlinkdate=2015-03}}{{リンク切れ|date=2021年2月}}</ref>。15日には遠野市の指揮所で運用調整に当たっていた[[第9施設大隊]]所属の1等陸曹が[[脳内出血|脳幹出血]]で死亡<ref>[https://web.archive.org/web/20110418151632/http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY201104150404.html 岩手へ災害派遣の自衛隊員死亡 大震災で2人目](2015年7月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 朝日新聞、2011年4月15日。</ref>、防衛省は同日付で1曹を曹長に特別昇任させた<ref name="mutu20110416" />。1曹が所属していた第9施設大隊の大隊長は、「大変残念。倒れた隊員の復興に懸ける気持ちを受け継ぎ、全力で活動するとともに、隊員の健康管理に万全を期す」と述べた<ref name="mutu20110416">{{cite news |date=2011-04-16 |newspaper=『[[陸奥新報]]』 |title=災害派遣の自衛隊員死亡/陸自八戸 |url=http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/04/15884.html |accessdate=2011-04-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110421013545/http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/04/15884.html |archivedate=2011-04-21}}</ref>。5月27日未明には[[第18普通科連隊]]所属の3等陸曹が死亡。本震災における自衛隊員の[[災害関連死]]は3人目となった<ref>『朝雲新聞』2011年6月2日号</ref>。
震災発生翌日の12日に駐屯地を出発し、15日から作業に従事していた50歳代の[[曹長]](陸上自衛隊・[[旭川駐屯地]]所属)が、4月1日、死亡している<ref>{{Cite news ja |date=2011-04-02 |newspaper=[[サンケイスポーツ]] |title=陸自隊員、災害派遣初の死亡「誠に残念」 |url=http://www.sanspo.com/shakai/news/110402/sha1104020504006-n1.htm |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110404112505/http://www.sanspo.com/shakai/news/110402/sha1104020504006-n1.htm |archivedate=2011-04-04}}</ref><ref>{{Cite news ja |date=2011-04-02 |newspaper=『[[北海道新聞]]』 |title=岩手に震災派遣 旭川の陸曹長が死亡 |url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/282931.html |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110404014354/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/282931.html |archivedate=2011-04-04}}</ref>。死因は[[過労死]]の可能性があるとされている<ref>{{Cite news ja |date=2011-04-01 |newspaper=[[テレビ朝日]] |title=【地震】震災支援の陸自隊員が死亡 過労が原因か |url=http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210401057.html |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110404113942/http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210401057.html |archivedate=2011-04-04}}</ref>。曹長が所属していた[[第2特科連隊]]の[[日本の連隊|連隊長]]は曹長の死亡について、「誠に残念で、ご冥福をお祈りする。災害派遣活動との因果関係を調査し、原因を究明したい」と述べた<ref>{{Cite news ja |date=2011-04-02 |newspaper=『[[日刊スポーツ]]』 |title=自衛官初の殉職 50代陸曹長体調崩し病死 |url=http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110402-755839.html |accessdate=2011-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110405164956/http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110402-755839.html |archivedate=2011-04-05}}</ref>。[[4月2日]]、防衛省は同曹長を1日付で[[准士官|准尉]]に特別昇任させることを決めた<ref>{{Cite news ja |date=2011-04-02 |newspaper=時事ドットコム(時事通信) |title=派遣中死亡の隊員、特別昇任=防衛省 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011040200356 |accessdate=2011-04-03 |url-status=dead}}{{リンク切れ|date=2021年2月}}</ref>。15日には遠野市の指揮所で運用調整に当たっていた[[第9施設大隊]]所属の1等陸曹が[[脳内出血|脳幹出血]]で死亡<ref>[https://web.archive.org/web/20110418151632/http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY201104150404.html 岩手へ災害派遣の自衛隊員死亡 大震災で2人目](2015年7月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 朝日新聞、2011年4月15日。</ref>、防衛省は同日付で1曹を曹長に特別昇任させた<ref name="mutu20110416" />。1曹が所属していた第9施設大隊の大隊長は、「大変残念。倒れた隊員の復興に懸ける気持ちを受け継ぎ、全力で活動するとともに、隊員の健康管理に万全を期す」と述べた<ref name="mutu20110416">{{Cite news ja |date=2011-04-16 |newspaper=『[[陸奥新報]]』 |title=災害派遣の自衛隊員死亡/陸自八戸 |url=http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/04/15884.html |accessdate=2011-04-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110421013545/http://www.mutusinpou.co.jp/news/2011/04/15884.html |archivedate=2011-04-21}}</ref>。5月27日未明には[[第18普通科連隊]]所属の3等陸曹が死亡。本震災における自衛隊員の[[災害関連死]]は3人目となった<ref>『朝雲新聞』2011年6月2日号</ref>。


==== 緊急消防援助隊 ====
==== 緊急消防援助隊 ====
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地震が発生した当日、菅直人は自身を本部長とする[[緊急災害対策本部]]を設置した。これは大規模な災害が発生した場合に[[内閣府]]に設置することと法律で定められている臨時の機関であるが、これまでに設置された例はなく、東日本大震災の発生によって初めて設置されることとなった。
地震が発生した当日、菅直人は自身を本部長とする[[緊急災害対策本部]]を設置した。これは大規模な災害が発生した場合に[[内閣府]]に設置することと法律で定められている臨時の機関であるが、これまでに設置された例はなく、東日本大震災の発生によって初めて設置されることとなった。


[[菅直人内閣 (第2次改造)|菅直人第2次改造内閣]]は、平成23年度本予算案を[[衆議院]][[本会議]]で賛成多数で可決させたものの予算関連法案は成立させるめどが立たず、[[与党|与]][[野党]]間の対立も激しさを増していたが<ref>{{Cite news |url=https://r.nikkei.com/article/DGXNASFS2802S_Y1A220C1MM8001 |title=予算案、衆院を通過 小沢系16人欠席、関連法案の再可決は絶望的 |newspaper=『日本経済新聞』 |date=2011-02-01 |accessdate=2017-06-10}}</ref>、震災発生から間もなく菅直人が[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]に集めて与野党党首会談を行い、「救国」のための協力を要請。野党側も対立姿勢を修正した<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110311 plc11031122480043-n1.htm |title=与野党は一時政治休戦 補正予算でも協力へ |newspaper=産経ニュース |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314190055/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110311/plc11031122480043-n1.htm |archivedate=2011-03-14}}</ref>。14日には震災対応特措法の早期成立が与野党内で合意された<ref>{{Cite news |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011031400654 |title=与野党、震災対応特措法で合意=補正財源、予算減額で捻出も |newspaper=時事ドットコム |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-16}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。
[[菅直人内閣 (第2次改造)|菅直人第2次改造内閣]]は、平成23年度本予算案を[[衆議院]][[本会議]]で賛成多数で可決させたものの予算関連法案は成立させるめどが立たず、[[与党|与]][[野党]]間の対立も激しさを増していたが<ref>{{Cite news ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2802S_Y1A220C1MM8001/ |title=予算案、衆院を通過 小沢系16人欠席、関連法案の再可決は絶望的 |newspaper=『日本経済新聞』 |date=2011-02-01 |accessdate=2017-06-10}}</ref>、震災発生から間もなく菅直人が[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]に集めて与野党党首会談を行い、「救国」のための協力を要請。野党側も対立姿勢を修正した<ref>{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110311/plc11031122480043-n1.htm |title=与野党は一時政治休戦 補正予算でも協力へ |newspaper=産経ニュース |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314190055/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110311/plc11031122480043-n1.htm |archivedate=2011-03-14}}</ref>。14日には震災対応特措法の早期成立が与野党内で合意された<ref>{{Cite news ja |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011031400654 |title=与野党、震災対応特措法で合意=補正財源、予算減額で捻出も |newspaper=時事ドットコム |date=2011-03-14 |accessdate=2011-03-16}}{{リンク切れ|date=2015年3月}}</ref>。


2011年(平成23年)4月11日の[[閣議 (日本)|閣議]]決定により、[[東日本大震災復興構想会議]]が設置された。同年6月24日に[[東日本大震災復興基本法]]が公布・施行され、[[東日本大震災復興対策本部]]が[[内閣 (日本)|内閣]]に設置された。7月25日、東日本大震災の復旧・復興関連経費を盛り込んだ平成23年度第二次補正予算(1兆9,988億円)が成立。11月20日、東日本大震災関係経費11兆7,335億円などを柱とする平成23年度第三次補正予算(12兆1,025億円)が成立。12月7日、東日本大震災復興特別区域法が成立。12月9日、[[復興庁設置法]]が成立し、震災からの復興を目的として期間を定めて設置される復興庁の所掌事務、組織が具体化された<ref>[http://www.reconstruction.go.jp/topics/2011/12/000348.html 復興庁設置法 (12月9日成立)] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120118015227/http://www.reconstruction.go.jp/topics/2011/12/000348.html |date=2012年1月18日}} - 東日本大震災復興対策本部、2011年12月17日閲覧</ref>。2012年(平成24年)2月10日、復興庁が発足<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20120210-OYT1T00558.htm |title=復興庁発足、専任・平野復興相に辞令交付 |date=2012-02-10 |accessdate=2012-02-18 |newspaper=読売新聞 |archiveurl=https://archive.is/20130501053625/http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20120210-OYT1T00558.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。
2011年(平成23年)4月11日の[[閣議 (日本)|閣議]]決定により、[[東日本大震災復興構想会議]]が設置された。同年6月24日に[[東日本大震災復興基本法]]が公布・施行され、[[東日本大震災復興対策本部]]が[[内閣 (日本)|内閣]]に設置された。7月25日、東日本大震災の復旧・復興関連経費を盛り込んだ平成23年度第二次補正予算(1兆9,988億円)が成立。11月20日、東日本大震災関係経費11兆7,335億円などを柱とする平成23年度第三次補正予算(12兆1,025億円)が成立。12月7日、東日本大震災復興特別区域法が成立。12月9日、[[復興庁設置法]]が成立し、震災からの復興を目的として期間を定めて設置される復興庁の所掌事務、組織が具体化された<ref>[http://www.reconstruction.go.jp/topics/2011/12/000348.html 復興庁設置法 (12月9日成立)] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20120118015227/http://www.reconstruction.go.jp/topics/2011/12/000348.html |date=2012年1月18日}} - 東日本大震災復興対策本部、2011年12月17日閲覧</ref>。2012年(平成24年)2月10日、復興庁が発足<ref>{{Cite news ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20120210-OYT1T00558.htm |title=復興庁発足、専任・平野復興相に辞令交付 |date=2012-02-10 |accessdate=2012-02-18 |newspaper=読売新聞 |archiveurl=https://archive.is/20130501053625/http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20120210-OYT1T00558.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。


2012年(平成24年)1月27日、東日本大震災に関する15組織のうち、''<code>「原子力災害対策本部」「政府・東京電力統合対策室」「原発事故経済被害対応チーム」「緊急災害対策本部」「被災者生活支援チーム」「[[緊急参集チーム|官邸緊急参集チーム]]」「[[各府省連絡会議]]」「経済情勢に関する検討会合」「電力需要に関する検討会合」「電力改革及び東京電力に関する閣僚会合」</code>''の10組織が[[公文書等の管理に関する法律|公文書管理法]]が主旨とする議事録を未作成、そのうち5組織では議事概要も未作成または一部作成であったとする調査結果を発表した。内閣総理大臣の[[野田佳彦]]は午前の[[参議院]]本会議で「文書で随時記録されなかったのは遺憾。会議の意志決定過程を把握できる文書作成は[[国民]]への説明責任を果たすため極めて重要」と答弁した<ref>『読売新聞』2012年1月27日夕刊3版1面および翌28日朝刊13S版1, 2, 3, 4面、[https://archive.is/20130111175222/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120127-OYT1T00596.htm 震災関連会議、10組織で議事録作らず](2013年1月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110512220637/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110511/plc11051120460023-n1.htm 原発事故の議事録ほとんどなし 枝野長官「多分、記憶に基づく証言求められる」](2011年5月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 産経ニュース、2011年5月11日。</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2011-01-27 |url=http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201201/27_a.html |title=平成24年1月27日(金)午前 官房長官記者会見 閣議の概要について(齋藤勁 内閣官房副長官) |publisher=首相官邸ホームページ |accessdate=2015-03-21}}{{Cite web|和書|date=2011-01-27 |url=http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg5751.html |title=平成24年1月27日(金)午前-内閣官房長官記者会見(斎藤勁内閣官房副長官) |publisher=政府インターネットテレビ |accessdate=2015-03-21}}</ref>。
2012年(平成24年)1月27日、東日本大震災に関する15組織のうち、「原子力災害対策本部」「政府・東京電力統合対策室」「原発事故経済被害対応チーム」「緊急災害対策本部」「被災者生活支援チーム」「[[緊急参集チーム|官邸緊急参集チーム]]」「[[各府省連絡会議]]」「経済情勢に関する検討会合」「電力需要に関する検討会合」「電力改革及び東京電力に関する閣僚会合」の10組織が[[公文書等の管理に関する法律|公文書管理法]]が主旨とする議事録を未作成、そのうち5組織では議事概要も未作成または一部作成であったとする調査結果を発表した。内閣総理大臣の[[野田佳彦]]は午前の[[参議院]]本会議で「文書で随時記録されなかったのは遺憾。会議の意志決定過程を把握できる文書作成は[[国民]]への説明責任を果たすため極めて重要」と答弁した<ref>『読売新聞』2012年1月27日夕刊3版1面および翌28日朝刊13S版1, 2, 3, 4面、[https://archive.is/20130111175222/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120127-OYT1T00596.htm 震災関連会議、10組織で議事録作らず](2013年1月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20110512220637/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110511/plc11051120460023-n1.htm 原発事故の議事録ほとんどなし 枝野長官「多分、記憶に基づく証言求められる」](2011年5月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 産経ニュース、2011年5月11日。</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2011-01-27 |url=http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201201/27_a.html |title=平成24年1月27日(金)午前 官房長官記者会見 閣議の概要について(齋藤勁 内閣官房副長官) |publisher=首相官邸ホームページ |accessdate=2015-03-21}}{{Cite web|和書|date=2011-01-27 |url=http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg5751.html |title=平成24年1月27日(金)午前-内閣官房長官記者会見(斎藤勁内閣官房副長官) |publisher=政府インターネットテレビ |accessdate=2015-03-21}}</ref>。


==== 政党の動き ====
==== 政党の動き ====
{{Main2|この節では政策・政局的な内容を扱っている。金銭・物質的な支援活動については「[[東日本大震災に対する個人・その他各種団体の支援活動#政治団体]]」を}}
{{Main2|この節では政策・政局的な内容を扱っている。金銭・物質的な支援活動については「[[東日本大震災に対する個人・その他各種団体の支援活動#政治団体]]」を}}
* [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]は、3月11日に[[民主党幹事長|幹事長]]の[[岡田克也]]を本部長として、党本部に「民主党東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した<ref>{{Cite news |url=http://www.dpj.or.jp/news/?num=19864 |title=「民主党東北地方太平洋沖地震対策本部」の設置について |newspaper=民主党 |date=2011-03-11 |accessdate=2010-03-12}}</ref>。
* [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]は、3月11日に[[民主党幹事長|幹事長]]の[[岡田克也]]を本部長として、党本部に「民主党東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した<ref>{{Cite news ja |url=http://www.dpj.or.jp/news/?num=19864 |title=「民主党東北地方太平洋沖地震対策本部」の設置について |newspaper=民主党 |date=2011-03-11 |accessdate=2010-03-12}}</ref>。
* [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]は、3月11日に[[自由民主党総裁|総裁]]の[[谷垣禎一]]を本部長とする「平成23年3月11日地震緊急対策本部」を設置した<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110311/dst11031115330018-n1.htm |title=自民党が対策本部設置 |newspaper=『産経新聞』 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314190001/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110311/dst11031115330018-n1.htm |archivedate=2011-03-14}}</ref>。
* [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]は、3月11日に[[自由民主党総裁|総裁]]の[[谷垣禎一]]を本部長とする「平成23年3月11日地震緊急対策本部」を設置した<ref>{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110311/dst11031115330018-n1.htm |title=自民党が対策本部設置 |newspaper=『産経新聞』 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314190001/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110311/dst11031115330018-n1.htm |archivedate=2011-03-14}}</ref>。
* [[公明党]]は、3月11日午後に[[公明党代表|代表]]の[[山口那津男]]を総本部長とする「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.komei.or.jp/news/detail/20110312_4700 |title=結束し国民の救難に全力 |publisher=公明党 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314023022/http://www.komei.or.jp/news/detail/20110312_4700 |archivedate=2011-03-14 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。
* [[公明党]]は、3月11日午後に[[公明党代表|代表]]の[[山口那津男]]を総本部長とする「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.komei.or.jp/news/detail/20110312_4700 |title=結束し国民の救難に全力 |publisher=公明党 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110314023022/http://www.komei.or.jp/news/detail/20110312_4700 |archivedate=2011-03-14 |url-status=dead}}</ref>。
* [[みんなの党]]は、代表の[[渡辺喜美]]を本部長とする「地震被害対策本部」を設置したと発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.your-party.jp/news/office/000681/ |title=地震被害対策本部を設置しました |publisher=みんなの党 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110919105745/http://www.your-party.jp/news/office/000681/ |archivedate=2011-09-19 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。
* [[みんなの党]]は、代表の[[渡辺喜美]]を本部長とする「地震被害対策本部」を設置したと発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.your-party.jp/news/office/000681/ |title=地震被害対策本部を設置しました |publisher=みんなの党 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110919105745/http://www.your-party.jp/news/office/000681/ |archivedate=2011-09-19 |url-status=dead}}</ref>。
* [[日本共産党]]は、3月11日に[[日本共産党中央委員会幹部会委員長|委員長]]の[[志位和夫]]を本部長とする「日本共産党東北地方太平洋沖地震対策本部」の設置を発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110313_touhokusinsai.html |title=東北地方太平洋沖地震による災害への救援を訴えます |publisher=日本共産党 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kokuta-keiji.jp/cat1/post_1720.html |title=日本共産党は、志位和夫委員長を本部長とする「東北地方・太平洋沖震災対策本部」を設置。|publisher=穀田恵二 |date=2011-03-11 |accessdate=2015-03-21}}</ref>。
* [[日本共産党]]は、3月11日に[[日本共産党中央委員会幹部会委員長|委員長]]の[[志位和夫]]を本部長とする「日本共産党東北地方太平洋沖地震対策本部」の設置を発表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110313_touhokusinsai.html |title=東北地方太平洋沖地震による災害への救援を訴えます |publisher=日本共産党 |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kokuta-keiji.jp/cat1/post_1720.html |title=日本共産党は、志位和夫委員長を本部長とする「東北地方・太平洋沖震災対策本部」を設置。|publisher=穀田恵二 |date=2011-03-11 |accessdate=2015-03-21}}</ref>。
* [[たちあがれ日本]]は、3月12日に代表の[[平沼赳夫]]が緊急会見「東北地方太平洋沖地震対策について」を行った<ref>{{Cite news |url=https://www.youtube.com/watch?v=Z9TBKjTQnDY |title=3月12日・平沼赳夫緊急会見「東北地方太平洋沖地震対策について」 |newspaper=YouTube |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。
* [[たちあがれ日本]]は、3月12日に代表の[[平沼赳夫]]が緊急会見「東北地方太平洋沖地震対策について」を行った<ref>{{Cite news ja |url=https://www.youtube.com/watch?v=Z9TBKjTQnDY |title=3月12日・平沼赳夫緊急会見「東北地方太平洋沖地震対策について」 |newspaper=YouTube |date=2011-03-12 |accessdate=2011-03-12}}</ref>。
* [[国民新党]]と[[新党日本]]は共同で、3月11日17時に国民新党代表の[[亀井静香]]を本部長、新党日本代表の[[田中康夫]]を本部長代行とする「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kokumin.or.jp/news/news_20110311_01.shtml |title=東北地方太平洋沖地震対策本部設置 |publisher=国民新党Webサイト |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110524084148/http://www.kokumin.or.jp/news/news_20110311_01.shtml |archivedate=2011-05-24}}</ref>。
* [[国民新党]]と[[新党日本]]は共同で、3月11日17時に国民新党代表の[[亀井静香]]を本部長、新党日本代表の[[田中康夫]]を本部長代行とする「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kokumin.or.jp/news/news_20110311_01.shtml |title=東北地方太平洋沖地震対策本部設置 |publisher=国民新党Webサイト |date=2011-03-11 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110524084148/http://www.kokumin.or.jp/news/news_20110311_01.shtml |archivedate=2011-05-24}}</ref>。
* [[沖縄社会大衆党]]委員長の[[糸数慶子]]は、被災者に弔意とお見舞いの意を表した<ref>{{Cite news |url=http://itokazu.exblog.jp/15663506/ |title=地震救済の街頭募金活動-社大党と有志で |newspaper=糸数慶子ブログ「うみないび2」 |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-16}}</ref>。
* [[沖縄社会大衆党]]委員長の[[糸数慶子]]は、被災者に弔意とお見舞いの意を表した<ref>{{Cite news ja |url=http://itokazu.exblog.jp/15663506/ |title=地震救済の街頭募金活動-社大党と有志で |newspaper=糸数慶子ブログ「うみないび2」 |date=2011-03-15 |accessdate=2011-03-16}}</ref>。
* [[新党大地]]代表代行の[[浅野貴博]]は、3月11日付の自身のブログの中で、政府に迅速かつ的確な対応を求めるとともに被災者へのお見舞いの言葉を載せた(代表の[[鈴木宗男]]は当時収監中)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20160305145135/http://ameblo.jp/asanotakahiro/entry-10827782659.html |title=政府の迅速かつ的確な対応を望みます。|publisher=浅野貴博ブログ |date=2011-03-11 |accessdate=2015-03-21}}</ref>。
* [[新党大地]]代表代行の[[浅野貴博]]は、3月11日付の自身のブログの中で、政府に迅速かつ的確な対応を求めるとともに被災者へのお見舞いの言葉を載せた(代表の[[鈴木宗男]]は当時収監中)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20160305145135/http://ameblo.jp/asanotakahiro/entry-10827782659.html |title=政府の迅速かつ的確な対応を望みます。|publisher=浅野貴博ブログ |date=2011-03-11 |accessdate=2015-03-21}}</ref>。
* [[日本創新党]]党首の[[山田宏]]は、3月12日に党首声明として、被災者およびすべての国民に対してお悔やみとお見舞いの言葉を述べた。またその中で、党としても被災者の支援に全力で努めると発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nippon-soushin.jp/news/other/post-58.html |title=【党首声明】東北地方太平洋地震で被災された皆さまとすべての国民の皆さま |publisher=日本創新党 |date=2010-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111124232037/http://www.nippon-soushin.jp/news/other/post-58.html |archivedate=2011-11-24}}</ref>。
* [[日本創新党]]党首の[[山田宏]]は、3月12日に党首声明として、被災者およびすべての国民に対してお悔やみとお見舞いの言葉を述べた。またその中で、党としても被災者の支援に全力で努めると発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nippon-soushin.jp/news/other/post-58.html |title=【党首声明】東北地方太平洋地震で被災された皆さまとすべての国民の皆さま |publisher=日本創新党 |date=2010-03-12 |accessdate=2011-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111124232037/http://www.nippon-soushin.jp/news/other/post-58.html |archivedate=2011-11-24}}</ref>。
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==== 地方行政 ====
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{{Main2|日本での選挙|第17回統一地方選挙}}
{{Main2|日本での選挙|第17回統一地方選挙}}
岩手県陸前高田市や宮城県南三陸町、同県女川町など各地で役所・役場が津波によって[[水害|冠水]]・損壊し、岩手県大槌町では町長が死亡するなど、津波被害を受けた東北太平洋岸や原発事故のあった福島県浜通りでは職員の多くが被災したため人手不足に陥ったり、役場・議会や行政書類が被害を受けたりしたことなどにより、行政機能が麻痺する自治体も出た<ref name="朝日0314-25">『朝日新聞』(大阪)2011年3月14日朝刊25面</ref><ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110319ddm012040105000c.html |title=東日本大震災:発生1週間 沿岸部、傷深く--37市町村・毎日新聞調査 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-19 |accessdate=2011-03-23}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月13日朝刊28面</ref><ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031206110077-n1.htm |title=宮城・女川町、役場水没、陸の孤島状態 死者33人、不明73人 |newspaper=『産経新聞』 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-05-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110316051455/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031206110077-n1.htm |archivedate=2011-03-16}}</ref>。
岩手県陸前高田市や宮城県南三陸町、同県女川町など各地で役所・役場が津波によって[[水害|冠水]]・損壊し、岩手県大槌町では町長が死亡するなど、津波被害を受けた東北太平洋岸や原発事故のあった福島県浜通りでは職員の多くが被災したため人手不足に陥ったり、役場・議会や行政書類が被害を受けたりしたことなどにより、行政機能が麻痺する自治体も出た<ref name="朝日0314-25">『朝日新聞』(大阪)2011年3月14日朝刊25面</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110319ddm012040105000c.html |title=東日本大震災:発生1週間 沿岸部、傷深く--37市町村・毎日新聞調査 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2011-03-19 |accessdate=2011-03-23}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref>『朝日新聞』(大阪)2011年3月13日朝刊28面</ref><ref>{{Cite news ja |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031206110077-n1.htm |title=宮城・女川町、役場水没、陸の孤島状態 死者33人、不明73人 |newspaper=『産経新聞』 |date=2011-03-12 |accessdate=2011-05-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110316051455/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031206110077-n1.htm |archivedate=2011-03-16}}</ref>。


2011年4月に第17回統一地方選挙が実施されたが、震災地域については[[地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律|被災地選挙延期法]]で延期されている。
2011年4月に第17回統一地方選挙が実施されたが、震災地域については[[地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律|被災地選挙延期法]]で延期されている。
*千葉県浦安市では、市内の{{sfrac|3|4}}を占める埋立地で液状化現象による甚大な被害が発生したにもかかわらず、千葉県が予定通り実施するとしたことから、同市のみ最大2か月の延期をすべきと主張し反発した。[[期日前投票制度|期日前投票]]<ref>{{Cite news |title=浦安市 期日前投票始めず |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110402/k10015063851000.html |newspaper=NHKニュース(日本放送協会) |date=2011-04-02 |accessdate=2011-04-02}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>を含めた全ての投開票事務が行われなかったため、5月に[[再選挙]]が実施されるまで、[[日本の地方議会議員|県議会議員]]2人が欠けた状態となった<ref>{{Cite news |title=浦安市「災害復旧中、統一選できない」 県選管と対立中 |url=http://www.asahi.com/senkyo/local2011/news/TKY201103300101.html |newspaper=asahi.com(朝日新聞) |date=2011-03-30 |accessdate=2011-04-01}}</ref><ref>{{Cite news |title=TDRの舞浜地区も液状化…浦安市「選挙ムリ」 |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news/20110324-OYT1T00054.htm |newspaper=YOMIURI ONLINE(読売新聞) |date=2011-03-24 |accessdate=2011-04-01}}</ref><ref>{{Cite news |title=県選管「執行の責務がある」 浦安市選管に実施求める |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110331/CK2011033102000072.html |newspaper=TOKYO Web(東京新聞) |date=2011-03-31 |accessdate=2011-04-01 |archiveurl=https://archive.is/20120913135144/http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110331/CK2011033102000072.html |archivedate=2012年9月13日 |deadlinkdate=2017年10月}}</ref><ref>{{Cite news |title=投票の見通し立たない選挙戦へ |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110401/k10015049651000.html |newspaper=NHKニュース(日本放送協会) |date=2011-04-01 |accessdate=2011-04-02}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref name="urayasu5">{{Cite news |date=2011-04-11 |url=http://news24.jp/articles/2011/04/11/04180586.html |title=浦安市、千葉県議選の投票実施されず |publisher=[[日テレニュース24]] |accessdate=2011-04-11}}</ref>。
*千葉県浦安市では、市内の{{sfrac|3|4}}を占める埋立地で液状化現象による甚大な被害が発生したにもかかわらず、千葉県が予定通り実施するとしたことから、同市のみ最大2か月の延期をすべきと主張し反発した。[[期日前投票制度|期日前投票]]<ref>{{Cite news ja |title=浦安市 期日前投票始めず |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110402/k10015063851000.html |newspaper=NHKニュース(日本放送協会) |date=2011-04-02 |accessdate=2011-04-02}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>を含めた全ての投開票事務が行われなかったため、5月に[[再選挙]]が実施されるまで、[[日本の地方議会議員|県議会議員]]2人が欠けた状態となった<ref>{{Cite news ja |title=浦安市「災害復旧中、統一選できない」 県選管と対立中 |url=http://www.asahi.com/senkyo/local2011/news/TKY201103300101.html |newspaper=asahi.com(朝日新聞) |date=2011-03-30 |accessdate=2011-04-01}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=TDRの舞浜地区も液状化…浦安市「選挙ムリ」 |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news/20110324-OYT1T00054.htm |newspaper=YOMIURI ONLINE(読売新聞) |date=2011-03-24 |accessdate=2011-04-01}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=県選管「執行の責務がある」 浦安市選管に実施求める |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110331/CK2011033102000072.html |newspaper=TOKYO Web(東京新聞) |date=2011-03-31 |accessdate=2011-04-01 |archiveurl=https://archive.is/20120913135144/http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110331/CK2011033102000072.html |archivedate=2012年9月13日 |url-status=dead}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=投票の見通し立たない選挙戦へ |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110401/k10015049651000.html |newspaper=NHKニュース(日本放送協会) |date=2011-04-01 |accessdate=2011-04-02}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref><ref name="urayasu5">{{Cite news ja |date=2011-04-11 |url=http://news24.jp/articles/2011/04/11/04180586.html |title=浦安市、千葉県議選の投票実施されず |publisher=[[日テレニュース24]] |accessdate=2011-04-11}}</ref>。


間接的な影響ではあるが、[[ドイツ]]・[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]で3月27日に行われた州議会選挙では、福島第一原子力発電所事故による[[原子力撤廃|反原発]]運動の高まりなどにより、[[同盟90/緑の党]]が第2党に躍進して[[ドイツ社会民主党]]と連立与党を組むに至るなど<ref>{{Cite news |title=独州議会選 反原発「緑の党」躍進 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011032802000172.html |newspaper=TOKYO Web(東京新聞) |date=2011-03-27 |accessdate=2011-04-01 |archiveurl=https://archive.is/20110827014030/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011032802000172.html |archivedate=2011-08-27 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>、国外の政局でも日本の震災の影響を受けたところがあった。
間接的な影響ではあるが、[[ドイツ]]・[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]で3月27日に行われた州議会選挙では、福島第一原子力発電所事故による[[原子力撤廃|反原発]]運動の高まりなどにより、[[同盟90/緑の党]]が第2党に躍進して[[ドイツ社会民主党]]と連立与党を組むに至るなど<ref>{{Cite news ja |title=独州議会選 反原発「緑の党」躍進 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011032802000172.html |newspaper=TOKYO Web(東京新聞) |date=2011-03-27 |accessdate=2011-04-01 |archiveurl=https://archive.is/20110827014030/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011032802000172.html |archivedate=2011-08-27 |url-status=dead}}</ref>、国外の政局でも日本の震災の影響を受けたところがあった。


=== 皇室 ===
=== 皇室 ===
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被災地内での処理を進める方針から、仮設焼却炉の増設が計画されているほか<ref name="recon130110">{{Cite web|和書|date=2013-01-10 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/20130110_sanko03.pdf |format=PDF |title=復興の現状と取組 |pages=25-29 |publisher=復興庁 |accessdate=2015-03-25}}</ref>、被災地以外での処理(広域処理)も行われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://kouikishori.env.go.jp/archive/h23_shinsai/implementation/wide_area_processing/processing_accepted_municipality/ |title=受入自治体の処理について|accessdate=2021-04-12 |publisher=環境庁}}</ref>。
被災地内での処理を進める方針から、仮設焼却炉の増設が計画されているほか<ref name="recon130110">{{Cite web|和書|date=2013-01-10 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/20130110_sanko03.pdf |format=PDF |title=復興の現状と取組 |pages=25-29 |publisher=復興庁 |accessdate=2015-03-25}}</ref>、被災地以外での処理(広域処理)も行われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://kouikishori.env.go.jp/archive/h23_shinsai/implementation/wide_area_processing/processing_accepted_municipality/ |title=受入自治体の処理について|accessdate=2021-04-12 |publisher=環境庁}}</ref>。


津波により海へ押し流され[[海底]]に沈んがれきは、震災発生から10年経っても処理が続いている。一部は専門業者が[[サルベージ|引き揚げ]]ているほか、[[漁網]]にかかって発見・回収されることも多い<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG031EP0T00C21A1000000/ 「海の震災がれき490トン超回収 宮城・福島、19年度以降」]『日本経済新聞』2021年1月4日([[共同通信]]配信記事)2021年1月10日閲覧</ref>。
津波により海へ押し流され[[海底]]に沈んでしまったがれきは、震災発生から10年経っても処理が続いている。一部は専門業者が[[サルベージ|引き揚げ]]ているほか、[[漁網]]にかかって発見・回収されることも多い<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG031EP0T00C21A1000000/ 「海の震災がれき490トン超回収 宮城・福島、19年度以降」]『日本経済新聞』2021年1月4日([[共同通信]]配信記事)2021年1月10日閲覧</ref>。


津波により市街地あるいは集落単位で建物やインフラが破壊され都市機能が失われた、岩手・宮城・福島3県沿岸などの地域では、復興の方向性をめぐる議論が行われ、一部は事業が開始されている。具体的なアイデアには以下のようなものがある<ref name="recon130110" /><ref name="miy111110">{{Cite web|和書|date=2011-11-10 |url=http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/36636.pdf |format=PDF |title=宮城県震災復興計画 |pages=11 - 20, 63 - 67, 69 - 72 |publisher=宮城県 |accessdate=2014-03-25}}</ref>。
津波により市街地あるいは集落単位で建物やインフラが破壊され都市機能が失われた、岩手・宮城・福島3県沿岸などの地域では、復興の方向性をめぐる議論が行われ、一部は事業が開始されている。具体的なアイデアには以下のようなものがある<ref name="recon130110" /><ref name="miy111110">{{Cite web|和書|date=2011-11-10 |url=http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/36636.pdf |format=PDF |title=宮城県震災復興計画 |pages=11 - 20, 63 - 67, 69 - 72 |publisher=宮城県 |accessdate=2014-03-25}}</ref>。
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*津波避難行動支援の強化 - 津波からの避難を啓発する防災教育、震災経験の継承など<ref name="miy111110" />。
*津波避難行動支援の強化 - 津波からの避難を啓発する防災教育、震災経験の継承など<ref name="miy111110" />。


福島県は2012年7月に「ふくしま観光復興支援センター<ref>[http://ふくしま観光復興支援センター.jp/ ふくしま観光復興支援センター]</ref>」を設立し、口演者(語り部、2014年9月現在176人)、視察先、ボランティア先、モデルコースの紹介などを行っている。2013年度にセンターが仲介した口演者は1.3万人った<ref name="nikkei20140927">「福島の体験 旅行者に」『日本経済新聞』2014年9月27日朝刊</ref>。
福島県は2012年7月に「ふくしま観光復興支援センター<ref>[http://ふくしま観光復興支援センター.jp/ ふくしま観光復興支援センター]</ref>」を設立し、口演者(語り部、2014年9月現在176人)、視察先、ボランティア先、モデルコースの紹介などを行っている。2013年度にセンターが仲介した口演者は1.3万人であった<ref name="nikkei20140927">「福島の体験 旅行者に」『日本経済新聞』2014年9月27日朝刊</ref>。
*主な視察受け入れ先<ref name="nikkei20140927" />
*主な視察受け入れ先<ref name="nikkei20140927" />
**[[福島市]] - 避難所で[[炊き出し]]支援、交流
**[[福島市]] - 避難所で[[炊き出し]]支援、交流
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震災10年後の2021年3月末集計の事業完了割合<ref>[https://archive.is/20150510033343/http://www.asahi.com/articles/ASH594RT9H59ULZU008.html?iref=comtop_list_pol_n01 被災地の住宅・学校、再建費確保へ 復興庁、今年度分で](2015年5月10日時点の[[archive.is|アーカイブ]])朝日新聞デジタル(2015年5月10日)</ref>。
震災10年後の2021年3月末集計の事業完了割合<ref>[https://archive.is/20150510033343/http://www.asahi.com/articles/ASH594RT9H59ULZU008.html?iref=comtop_list_pol_n01 被災地の住宅・学校、再建費確保へ 復興庁、今年度分で](2015年5月10日時点の[[archive.is|アーカイブ]])朝日新聞デジタル(2015年5月10日)</ref>。


災害公営住宅 100%、民間住宅等用宅 100%、地海岸工事 96%、海岸防災林 95%、河川対策(直轄区間)100%、河川対策(地方自治体区間)99%、高台移転 100%、道路(直轄区間)100%、道路(地方自治体区間)99%、復興道路 100%、港湾 100%、漁港 100%、農地 95%、鉄道100%、学校 99%、水道施設 99%、下水道 100%、災害廃棄物の処理 100%(1843万t)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/0230227_genjou.pdf |title=復興の状 |access-date=2023年321日 |publisher=復興庁}}</ref><ref name=":1" />
災害公営住宅 100%、民間住宅等用宅 100%、地海岸工事 99%、海岸防災林 98%、河川対策(直轄区間)100%、河川対策(地方自治体区間)99%、高台移転 100%、道路(直轄区間)100%、道路(地方自治体区間)99%、復興道路 100%、港湾 100%、漁港 100%、農地 96%、鉄道100%、学校 99%、水道施設 99%、下水道 100%、災害廃棄物の処理 100%(1843万t)<ref>{{Cite web |url=https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat7/sub-cat7-2/20231122_shiryou2_2.pdf |title=東日本大震災からの復興の状況に関する報告 (案) 令和5年○月 |access-date=2023年1212日 |publisher=復興庁}}</ref><ref name=":1" />


=== 問題点・課題 ===
=== 問題点・課題 ===
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== 震災後の様々な動き ==
== 震災後の様々な動き ==
=== 追悼・慰霊 ===
=== 追悼・慰霊 ===
被害が大きかった東北3県が復興祈念公園をそれぞれ整備し、政府が公園内に国営の追悼施設を設けた。追悼施設は岩手県は陸前高田市、宮城県は石巻市、福島県では[[浪江町]]での建設(復興祈念公園は[[双葉町]]にまたがる含むエリア)が2017年9月1日に閣議決定された<ref>[https://www.minpo.jp/news/detail/2017090244746追悼施設を閣議決定 浪江・両竹地区」]{{リンク切れ|date=2020年2月}}『[[福島民報]]』朝刊2017年9月2日</ref>。
被害が大きかった東北3県が復興祈念公園をそれぞれ整備し、政府が公園内に国営の追悼施設を設けた。追悼施設は岩手県は陸前高田市、宮城県は石巻市、福島県では[[浪江町]]での建設(復興祈念公園は[[双葉町]]にまたがる含むエリア)が2017年9月1日に閣議決定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.minpo.jp/news/detail/2017090244746|title=追悼施設を閣議決定 浪江・両竹地区|website=[[福島民報]]|publisher=福島民報社|date=2017-09-02|accessdate=2024-03-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170902054255/https://www.minpo.jp/news/detail/2017090244746|archivedate=2017-09-02}}</ref>。


被災自治体の多くは翌年の2012年から毎年3月11日、震災犠牲者の追悼式を開いている。日本国政府も2021年まで[[国立劇場]]で開いていたが<ref name="nikkan20210301">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/news/202103010000774.html |title=政府、東日本大震災の追悼式を2年ぶり開催へ |work=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2021-03-01 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302031718/https://www.nikkansports.com/general/news/202103010000774.html |archivedate=2021-03-02 |deadlink=2021-04-08}}</ref>、2020年1月21日に[[内閣官房長官|官房長官]]の[[菅義偉]]は定例記者会見の場で、節目の10年目となる2021年をもって政府主催としての追悼式を終了する考えを示した<ref>{{Cite news |title=東日本大震災の政府主催追悼式、来年で最後の方針 |date=2020-1-21 |url=https://www.asahi.com/articles/ASN1P3SJNN1PUTFK00F.html |publisher=朝日新聞デジタル |accessdate=2020-02-03}}</ref>。2020年3月3日、[[第4次安倍内閣 (第2次改造)|安倍内閣]]は[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの影響]]を受け、政府主催の追悼式の中止を発表し<ref>{{Cite news |title=11日の東日本大震災追悼式、中止へ 政府方針 |date=2020-03-03 |url=https://www.sankei.com/politics/news/200303/plt2003030058-n1.html |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=2020-03-04}}</ref>、同年3月6日の閣議にて中止が決定<ref>{{Cite news |title=東日本大震災追悼式 中止を決定 政府 |date=2020-03-06 |url=https://www.sankei.com/politics/news/200306/plt2003060005-n1.html |publisher=『産経新聞』|accessdate=2020-03-06}}</ref>。追悼式の代わりに[[内閣総理大臣官邸|総理大臣官邸]]献花式が執り行われた<ref name="sankei20200311">{{Cite news |title=政府が官邸で献花式 追悼式中止で首相ら参加 |date=2020-3-11 |url=https://www.sankei.com/affairs/news/200311/afr2003110022-n1.html |work=産経ニュース |publisher=産経新聞社 |accessdate=2020-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210309113437/https://www.sankei.com/affairs/news/200311/afr2003110022-n1.html |archivedate=2021-03-09}}</ref>。2021年3月2日、同年の追悼式についてはコロナウイルスの感染対策を踏まえ、参列者を限定することで開催することを閣議にて決定した。内閣総理大臣が務める実行委員長は、1年となった2012年は[[野田佳彦]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS20012_Q2A120C1MM0000/ |title=震災1年に追悼式 政府主催、国立劇場で |work=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2012-01-20 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302091437/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS20012_Q2A120C1MM0000/ |archivedate=2021-03-02}}</ref>、2013年から2019年までは[[安倍晋三]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201303/11tsuito.html |title=平成25年3月11日 東日本大震災二周年追悼式 |publisher=首相官邸 |date=2013-03-11 |accessdate=2021-03-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170519030131/https://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201303/11tsuito.html |archivedate=2017-05-19}}</ref>、10年となった2021年は菅義偉が出席した<ref name="nikkan20210301" />。安倍は2020年には総理大臣官邸献花式に出席した<ref name="sankei20200311" />。2021年は[[今上天皇]][[徳仁]]と[[皇后雅子]]も出席した<ref name="jiji20210302">{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021030200504&g=pol |title=震災10年、11日に追悼式 開催2年ぶり、両陛下が出席―政府 |work=時事通信 |publisher=時事通信社 |date=2021-03-02 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302032402/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021030200504&g=pol |archivedate=2021-03-02|deadlink=2022-03-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210302/k10012892931000.html |title=東日本大震災 追悼式 招待者減で開催決定 天皇陛下がおことば |publisher=NHK |date=2021-03-02 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302033655/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210302/k10012892931000.html |archivedate=2021-03-02}}</ref>。同時点で天皇が出席するのは皇太子時代を含めると初めてであった<ref name="jiji20210302" />。なお、参列者はコロナウイルス感染防止用に[[マスク]]を着用して出席し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG106SN0Q1A310C2000000 |title=東日本大震災10年で追悼式 首相「復興総仕上げに全力」 |work=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2021-03-11 |accessdate=2021-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210311064841/https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG106SN0Q1A310C2000000/ |archivedate=2021-03-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/amp/k10012909491000.html|title= 東日本大震災発生から10年で追悼式 東京 国立劇場 |publisher=NHK |date=2021-03-11 |accessdate=2021-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210311065332/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/amp/k10012909491000.html |archivedate=2021-03-11}}</ref>、2019年まで行っていた一般参加者の献花は見送られた<ref name="jiji20210302" />。
被災自治体の多くは翌年の2012年から毎年3月11日、震災犠牲者の追悼式を開いている。日本国政府も2021年まで[[国立劇場]]で開いていたが<ref name="nikkan20210301">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/news/202103010000774.html |title=政府、東日本大震災の追悼式を2年ぶり開催へ |work=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2021-03-01 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302031718/https://www.nikkansports.com/general/news/202103010000774.html |archivedate=2021-03-02 |url-status=dead}}</ref>、2020年1月21日に[[内閣官房長官|官房長官]]の[[菅義偉]]は定例記者会見の場で、節目の10年目となる2021年をもって政府主催としての追悼式を終了する考えを示した<ref>{{Cite news ja |title=東日本大震災の政府主催追悼式、来年で最後の方針 |date=2020-1-21 |url=https://www.asahi.com/articles/ASN1P3SJNN1PUTFK00F.html |publisher=朝日新聞デジタル |accessdate=2020-02-03}}</ref>。また、被災自治体から東北での開催を求める声も寄せられたことから、2022年以降は自治体主催の追悼式に政府代表が出席することも検討されていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20210311-4XW567PRINIR5B2TRSSMTYS75I/|title=政府主催の追悼式、今年が最後 今後は地元に政府代表が出席|work=産経ニュース|publisher=産経新聞社|date=2021-03-11|accessdate=2024-03-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20240222053121/https://www.sankei.com/article/20210311-4XW567PRINIR5B2TRSSMTYS75I/|archivedate=2024-02-22}}</ref>。2020年3月3日、[[第4次安倍内閣 (第2次改造)|安倍内閣]]は[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの影響]]を受け、政府主催の追悼式の中止を発表し<ref>{{Cite news ja |title=11日の東日本大震災追悼式、中止へ 政府方針 |date=2020-03-03 |url=https://www.sankei.com/politics/news/200303/plt2003030058-n1.html |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=2020-03-04}}</ref>、同年3月6日の閣議にて中止が決定<ref>{{Cite news ja |title=東日本大震災追悼式 中止を決定 政府 |date=2020-03-06 |url=https://www.sankei.com/politics/news/200306/plt2003060005-n1.html |publisher=『産経新聞』|accessdate=2020-03-06}}</ref>。追悼式の代わりに[[内閣総理大臣官邸|総理大臣官邸]]献花式が執り行われた<ref name="sankei20200311">{{Cite news ja |title=政府が官邸で献花式 追悼式中止で首相ら参加 |date=2020-3-11 |url=https://www.sankei.com/affairs/news/200311/afr2003110022-n1.html |work=産経ニュース |publisher=産経新聞社 |accessdate=2020-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210309113437/https://www.sankei.com/affairs/news/200311/afr2003110022-n1.html |archivedate=2021-03-09}}</ref>。2021年3月2日、同年の追悼式についてはコロナウイルスの感染対策を踏まえ、参列者を限定することで開催することを閣議にて決定した。内閣総理大臣が務める実行委員長は、1年となった2012年は[[野田佳彦]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS20012_Q2A120C1MM0000/ |title=震災1年に追悼式 政府主催、国立劇場で |work=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2012-01-20 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302091437/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS20012_Q2A120C1MM0000/ |archivedate=2021-03-02}}</ref>、2013年から2019年までは[[安倍晋三]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201303/11tsuito.html |title=平成25年3月11日 東日本大震災二周年追悼式 |publisher=首相官邸 |date=2013-03-11 |accessdate=2021-03-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170519030131/https://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201303/11tsuito.html |archivedate=2017-05-19}}</ref>、10年となった2021年は菅義偉が出席した<ref name="nikkan20210301" />。安倍は2020年には総理大臣官邸献花式に出席した<ref name="sankei20200311" />。2021年は[[今上天皇]][[徳仁]]と[[皇后雅子]]も出席した<ref name="jiji20210302">{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021030200504&g=pol |title=震災10年、11日に追悼式 開催2年ぶり、両陛下が出席―政府 |work=時事通信 |publisher=時事通信社 |date=2021-03-02 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302032402/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021030200504&g=pol |archivedate=2021-03-02|url-status=dead}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210302/k10012892931000.html |title=東日本大震災 追悼式 招待者減で開催決定 天皇陛下がおことば |publisher=NHK |date=2021-03-02 |accessdate=2021-03-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210302033655/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210302/k10012892931000.html |archivedate=2021-03-02}}</ref>。同時点で天皇が出席するのは皇太子時代を含めると初めてであった<ref name="jiji20210302" />。なお、参列者はコロナウイルス感染防止用に[[マスク]]を着用して出席し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG106SN0Q1A310C2000000 |title=東日本大震災10年で追悼式 首相「復興総仕上げに全力」 |work=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2021-03-11 |accessdate=2021-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210311064841/https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG106SN0Q1A310C2000000/ |archivedate=2021-03-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/amp/k10012909491000.html|title= 東日本大震災発生から10年で追悼式 東京 国立劇場 |publisher=NHK |date=2021-03-11 |accessdate=2021-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210311065332/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/amp/k10012909491000.html |archivedate=2021-03-11}}</ref>、2019年まで行っていた一般参加者の献花は見送られた<ref name="jiji20210302" />。


2022年2月25日、[[復興大臣]]の[[西銘恒三郎]]は閣議にて11年目となる同年3月11日に政府主催としての追悼式を行わないことを正式表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.minyu-net.com/news/news/FM20220226-687687.php|title=政府主催の追悼式、今年は実施せず 復興相が正式表明|work=福島民友新聞社 みんゆうNet|publisher=福島民友新聞社|date=2022-02-26|accessdate=2022-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220226032538/https://www.minyu-net.com/news/news/FM20220226-687687.php|archivedate=2022-02-26}}</ref>。2022年以降は内閣総理大臣をはじめとする政府関係者が福島県主催の「東日本大震災追悼復興祈念式」に出席している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230210/6050021728.html|title=福島県 東日本大震災の追悼式典 コロナ禍前の規模で開催へ|work=NHK 福島 NEWS WEB|publisher=NHK|date=2023-02-10|accessdate=2023-02-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230221051900/https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230210/6050021728.html|archivedate=2023-02-21}}</ref>。11年となった2022年3月11日には内閣総理大臣の[[岸田文雄]]が福島県を訪問し、同県主催の追悼式に出席し黙祷を捧げたほか、同月12日には岩手県と宮城県の追悼祈念施設を訪問し献花を行うとともに黙祷を捧げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220225/k10013501751000.html|title=東日本大震災から11年 岸田首相 3月 東北の被災地訪問へ|publisher=NHK|date=2022-02-25|accessdate=2022-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220226033219/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220225/k10013501751000.html|archivedate=2022-02-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/330380|title=岸田首相が被災地で追悼 東日本大震災から11年|work=FNNプライムオンライン|publisher=フジニュースネットワーク|date=2022-03-12|accessdate=2022-03-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220313023432/https://www.fnn.jp/articles/-/330380|archivedate=2022-03-13}}</ref>。また、政府主催としての追悼式が終了したことや節目の10年の区切りを過ぎたことを理由に、2022年以降は岩手、宮城、福島の被災3県では追悼式を継続する自治体もあれば、開催しない自治体に分かれる動きも出た<ref name="kahoku20220205">{{Cite web|和書|url=https://kahoku.news/articles/20220205khn000041.html|title=追悼式典、今年は開催しない被災自治体も 「10年」境に分かれる対応|work=河北新報オンラインニュース|publisher=河北新報社|date=2022-02-05|accessdate=2022-02-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220205224151/https://kahoku.news/articles/20220205khn000041.html|archivedate=2022-02-06}}</ref>。
2022年2月25日、[[復興大臣]]の[[西銘恒三郎]]は閣議にて11年目となる同年3月11日に政府主催としての追悼式を行わないことを正式表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.minyu-net.com/news/news/FM20220226-687687.php|title=政府主催の追悼式、今年は実施せず 復興相が正式表明|work=福島民友新聞社 みんゆうNet|publisher=福島民友新聞社|date=2022-02-26|accessdate=2022-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220226032538/https://www.minyu-net.com/news/news/FM20220226-687687.php|archivedate=2022-02-26}}</ref>。2022年以降は内閣総理大臣をはじめとする政府関係者が福島県主催の「東日本大震災追悼復興祈念式」に出席している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230210/6050021728.html|title=福島県 東日本大震災の追悼式典 コロナ禍前の規模で開催へ|work=NHK 福島 NEWS WEB|publisher=NHK|date=2023-02-10|accessdate=2023-02-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230221051900/https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230210/6050021728.html|archivedate=2023-02-21}}</ref>。11年となった2022年3月11日には内閣総理大臣の[[岸田文雄]]が福島県を訪問し、同県主催の追悼式に出席し黙祷を捧げたほか、同月12日には岩手県と宮城県の追悼祈念施設を訪問し献花を行うとともに黙祷を捧げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220225/k10013501751000.html|title=東日本大震災から11年 岸田首相 3月 東北の被災地訪問へ|publisher=NHK|date=2022-02-25|accessdate=2022-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220226033219/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220225/k10013501751000.html|archivedate=2022-02-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/330380|title=岸田首相が被災地で追悼 東日本大震災から11年|work=FNNプライムオンライン|publisher=フジニュースネットワーク|date=2022-03-12|accessdate=2022-03-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220313023432/https://www.fnn.jp/articles/-/330380|archivedate=2022-03-13}}</ref>。また、政府主催としての追悼式が終了したことや節目の10年の区切りを過ぎたことを理由に、2022年以降は岩手、宮城、福島の被災3県では追悼式を継続する自治体もあれば、開催しない自治体に分かれる動きも出た<ref name="kahoku20220205">{{Cite web|和書|url=https://kahoku.news/articles/20220205khn000041.html|title=追悼式典、今年は開催しない被災自治体も 「10年」境に分かれる対応|work=河北新報オンラインニュース|publisher=河北新報社|date=2022-02-05|accessdate=2022-02-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220205224151/https://kahoku.news/articles/20220205khn000041.html|archivedate=2022-02-06}}</ref>。
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**[[南三陸311メモリアル]]:[[2022年]][[10月1日]]にオープン。
**[[南三陸311メモリアル]]:[[2022年]][[10月1日]]にオープン。
*石巻市
*石巻市
**[[石巻市立大川小学校]]:2016年3月、石巻市は被災した大川小学校の旧校舎を存置という形でその全体を保存することとなった<ref name="kahoku201603">{{Cite news |title=<震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部 |newspaper=河北新報 |date=2016-10-26 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160326_11009.html |accessdate=2016-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160328162151/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160326_11009.html |archivedate=2016-03-28}}</ref>。遺族の中には「校舎を見たくない」という意見もあるため周辺を公園化して植栽などで囲むことが検討されている<ref name="kahoku201603" />。2019年度より公園整備が開始され、周囲には桜を植林し、展示スペースを持った管理棟や、慰霊碑・花壇・芝生広場などが設置される<ref name="kensetsu"/>。2020年度末(2021年3月末)までの完成を目標としていたが<ref name="kensetsu"/>、延期を経て、2021年7月18日に一般公開された<ref>{{Cite web|和書|title=大川小の震災遺構、公開 84人犠牲の教訓考える場に|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE182BK0Y1A710C2000000/ |website=日本経済新聞(共同通信記事の転載) |date=2021-07-18 |accessdate=2021-07-18}}</ref>。
**[[石巻市立大川小学校]]:2016年3月、石巻市は被災した大川小学校の旧校舎を存置という形でその全体を保存することとなった<ref name="kahoku201603">{{Cite news ja |title=<震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部 |newspaper=河北新報 |date=2016-10-26 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160326_11009.html |accessdate=2016-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160328162151/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160326_11009.html |archivedate=2016-03-28}}</ref>。遺族の中には「校舎を見たくない」という意見もあるため周辺を公園化して植栽などで囲むことが検討されている<ref name="kahoku201603" />。2019年度より公園整備が開始され、周囲には桜を植林し、展示スペースを持った管理棟や、慰霊碑・花壇・芝生広場などが設置される<ref name="kensetsu"/>。2020年度末(2021年3月末)までの完成を目標としていたが<ref name="kensetsu"/>、延期を経て、2021年7月18日に一般公開された<ref>{{Cite web|和書|title=大川小の震災遺構、公開 84人犠牲の教訓考える場に|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE182BK0Y1A710C2000000/ |website=日本経済新聞(共同通信記事の転載) |date=2021-07-18 |accessdate=2021-07-18}}</ref>。
**[[石巻市立門脇小学校]]:校舎については震災遺構として部分的な保存が図られることとなった。保存場所は同校跡地および[[南浜町 (石巻市)|南浜地区]]に整備された復興祈念公園である[[石巻南浜津波復興祈念公園]]となった<ref>[https://web.archive.org/web/20150324063416/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201411/20141121_13040.html 「門脇小、震災遺構に」検討委が提言へ]『河北新報』2014年11月21日(2015年3月8日閲覧)2015年3月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20160328162151/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160326_11009.html <震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部]『河北新報』2016年3月26日(2016年3月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。校庭は近隣の学校が運動場として使うために2013年時点、整備が進んでいる。校舎の整備は2019年度より開始され、校舎は中央部の6教室分以外は解体して残部は補強(観察棟を設けて内部は非公開)、特別教室棟と体育館を公開・展示スペースとする<ref name="kensetsu">{{Cite news |url=http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=22713 |title=来年度から遺構整備 門脇と大川の旧学校施設(石巻市) |newspaper=『日刊建設新聞』 |date=2018-12-28 |accessdate=2019-07-14}}</ref>。2018年12月時点では2020年度末(2021年3月末)までの完成を目標と報じられたが<ref name="kensetsu"/>、実際には約1年遅れた2022年4月に公開されることになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://kahoku.news/articles/20220226khn000012.html |title=震災遺構の旧門脇小、4月3日から公開 石巻市 |publisher=河北新報 |accessdate=2022-03-26}}</ref>。
**[[石巻市立門脇小学校]]:校舎については震災遺構として部分的な保存が図られることとなった。保存場所は同校跡地および[[南浜町 (石巻市)|南浜地区]]に整備された復興祈念公園である[[石巻南浜津波復興祈念公園]]となった<ref>[https://web.archive.org/web/20150324063416/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201411/20141121_13040.html 「門脇小、震災遺構に」検討委が提言へ]『河北新報』2014年11月21日(2015年3月8日閲覧)2015年3月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20160328162151/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160326_11009.html <震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部]『河北新報』2016年3月26日(2016年3月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。校庭は近隣の学校が運動場として使うために2013年時点、整備が進んでいる。校舎の整備は2019年度より開始され、校舎は中央部の6教室分以外は解体して残部は補強(観察棟を設けて内部は非公開)、特別教室棟と体育館を公開・展示スペースとする<ref name="kensetsu">{{Cite news ja |url=http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=22713 |title=来年度から遺構整備 門脇と大川の旧学校施設(石巻市) |newspaper=『日刊建設新聞』 |date=2018-12-28 |accessdate=2019-07-14}}</ref>。2018年12月時点では2020年度末(2021年3月末)までの完成を目標と報じられたが<ref name="kensetsu"/>、実際には約1年遅れた2022年4月に公開されることになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://kahoku.news/articles/20220226khn000012.html |title=震災遺構の旧門脇小、4月3日から公開 石巻市 |publisher=河北新報 |accessdate=2022-03-26}}</ref>。
*女川町
*女川町
**旧女川[[交番]]:保存に向け2011年6月から寄付を募集。女川町では周囲も含めて「メモリアル公園」として整備する方針を定め<ref>{{Cite news |url=https://www.sankei.com/life/news/171216/lif1712160027-n1.html |title=宮城の旧女川交番を震災遺構として保存へ メモリアル公園も整備 32年の完成目指す |newspaper=産経新聞 |date=2017-12-16 |accessdate=2019-07-13}}</ref>、2020年2月に整備工事が完工した<ref>{{Cite news |url=https://www.kahoku.co.jp/special/spe1000/20200304_05.html |title=震災の教訓と再起、後世に伝える 遺構「旧女川交番」完成 |newspaper=河北新報 |date=2020-03-04 |accessdate=2020-07-18}}</ref>。
**旧女川[[交番]]:保存に向け2011年6月から寄付を募集。女川町では周囲も含めて「メモリアル公園」として整備する方針を定め<ref>{{Cite news ja |url=https://www.sankei.com/life/news/171216/lif1712160027-n1.html |title=宮城の旧女川交番を震災遺構として保存へ メモリアル公園も整備 32年の完成目指す |newspaper=産経新聞 |date=2017-12-16 |accessdate=2019-07-13}}</ref>、2020年2月に整備工事が完工した<ref>{{Cite news ja |url=https://www.kahoku.co.jp/special/spe1000/20200304_05.html |title=震災の教訓と再起、後世に伝える 遺構「旧女川交番」完成 |newspaper=河北新報 |date=2020-03-04 |accessdate=2020-07-18}}</ref>。
*東松島市
*東松島市
**JR旧[[野蒜駅]]
**JR旧[[野蒜駅]]
943行目: 947行目:
*富岡町
*富岡町
**JR[[富岡駅]]:解体後、一部保存
**JR[[富岡駅]]:解体後、一部保存
**津波被災[[パトロールカー]]:移動後<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000305/20141217-OYT1T50014.html 「津波の避難誘導、2警官殉職したパトカー保存へ」] 読売オンライン(2014年12月18日)2016年6月8日閲覧</ref>、保存<ref>[https://www.sankei.com/photo/movie/news/150317/mov1503170002-n1.html 「富岡町の被災パトカー 震災の記憶を伝える遺産へ」]産経ニュース(2015年3月17日)2016年6月8日閲覧</ref>
**津波被災[[パトロールカー]]:移動後<ref>[https://web.archive.org/web/20160629091057/http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000305/20141217-OYT1T50014.html 「津波の避難誘導、2警官殉職したパトカー保存へ」] 読売オンライン(2014年12月18日)2016年6月8日閲覧</ref>、保存<ref>[https://www.sankei.com/photo/movie/news/150317/mov1503170002-n1.html 「富岡町の被災パトカー 震災の記憶を伝える遺産へ」]産経ニュース(2015年3月17日)2016年6月8日閲覧</ref>
*双葉町
*双葉町
**[[東日本大震災・原子力災害伝承館]](2020年9月20日に開館。約24万点の資料のうち、約170点を展示<ref>{{Cite web|和書|title=震災・原発事故の伝承館開館 福島 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020092000280&g=soc |work=jiji.com |date=2020-09-20 |accessdate=2020-09-20}}</ref>)
**[[東日本大震災・原子力災害伝承館]](2020年9月20日に開館。約24万点の資料のうち、約170点を展示<ref>{{Cite web|和書|title=震災・原発事故の伝承館開館 福島 |url=https://web.archive.org/web/20200922044818/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020092000280&g=soc |work=jiji.com |date=2020-09-20 |accessdate=2020-09-20}}</ref>)


震災から3年の時点で保存が検討されているのは、宮城県で15か所ほど、岩手県で8か所ある<ref>[https://web.archive.org/web/20140311093617/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140310/k10015845141000.html 「震災遺構の保存 住民の理解などが課題」]NHK NEWS WEB(2014年3月10日配信)2014年3月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]</ref>。2014年5月時点、宮城県では7市町の12施設が検討対象である<ref>{{Cite news |title=震災遺構保存 旧女川交番議論進まず |newspaper=河北新報オンラインニュース |date=2014-05-16 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140516_13024.html |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140613185726/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140516_13024.html |archivedate=2014-06-13}}</ref>。
震災から3年の時点で保存が検討されているのは、宮城県で15か所ほど、岩手県で8か所ある<ref>[https://web.archive.org/web/20140311093617/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140310/k10015845141000.html 「震災遺構の保存 住民の理解などが課題」]NHK NEWS WEB(2014年3月10日配信)2014年3月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]</ref>。2014年5月時点、宮城県では7市町の12施設が検討対象である<ref>{{Cite news ja |title=震災遺構保存 旧女川交番議論進まず |newspaper=河北新報オンラインニュース |date=2014-05-16 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140516_13024.html |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140613185726/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140516_13024.html |archivedate=2014-06-13}}</ref>。


=== 小惑星の命名 ===
=== 小惑星の命名 ===
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地震、津波そのものの理科学的考察が主であるものは含まない。(理科学的考察は「[[東北地方太平洋沖地震]]」へ)
地震、津波そのものの理科学的考察が主であるものは含まない。(理科学的考察は「[[東北地方太平洋沖地震]]」へ)
* [[齊藤誠 (経済学者)|齊藤誠]]著『震災復興の政治経済学』[[日本評論社]]
* [[齊藤誠 (経済学者)|齊藤誠]]著『震災復興の政治経済学』[[日本評論社]]
*:16-25兆円という政府発表の被害額見積もりが過大ったとし、それに基づく復興予算が経済に及ぼす影響を検証している<ref name="「震災からの復興 活字の海で」日本経済新聞2016年1月31日21面">「震災からの復興 活字の海で」『日本経済新聞』「2016年1月31日21面</ref>。
*:16-25兆円という政府発表の被害額見積もりが過大であったとし、それに基づく復興予算が経済に及ぼす影響を検証している<ref name="「震災からの復興 活字の海で」日本経済新聞2016年1月31日21面">「震災からの復興 活字の海で」『日本経済新聞』「2016年1月31日21面</ref>。
* [[澤田康幸]]編『巨大災害・リスクと経済』日本経済新聞出版社。
* [[澤田康幸]]編『巨大災害・リスクと経済』日本経済新聞出版社。
* [[エマニュエル・トッド]]著、石崎晴巳編訳『トッド 自身を語る』[[藤原書店]]
* [[エマニュエル・トッド]]著、石崎晴巳編訳『トッド 自身を語る』[[藤原書店]]
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*[[くしまちみなと]]『おとめ桜の伝説〜小峰シロの物ノ怪事件簿〜』2012年。序章が福島県[[白河市]]の震災描写。[[白河小峰城]]崩落などがある。
*[[くしまちみなと]]『おとめ桜の伝説〜小峰シロの物ノ怪事件簿〜』2012年。序章が福島県[[白河市]]の震災描写。[[白河小峰城]]崩落などがある。
*[[照井翠]]『龍宮』[[角川学芸出版]]、2012年<ref name="「癒せぬ 3月の喪失」読売新聞2016年3月11日">「癒せぬ 3月の喪失」『読売新聞』2016年3月11日</ref>。
*[[照井翠]]『龍宮』[[角川学芸出版]]、2012年<ref name="「癒せぬ 3月の喪失」読売新聞2016年3月11日">「癒せぬ 3月の喪失」『読売新聞』2016年3月11日</ref>。
*[[有川浩]]『[[空飛ぶ広報室]]』 - 単行本書き下ろしの後日談(ドラマ版最終話)で東日本大震災時とその後の松島基地の様子が描かれている(主人公はかつて[[ブルーインパルス]]候補ったという設定)。2012年。
*[[有川浩]]『[[空飛ぶ広報室]]』 - 単行本書き下ろしの後日談(ドラマ版最終話)で東日本大震災時とその後の松島基地の様子が描かれている(主人公はかつて[[ブルーインパルス]]候補であったという設定)。2012年。
*[[乃南アサ]]『いちばん長い夜に』新潮社、2013年1月。震災により2人の人生に与えた大きな変化が描かれている。
*[[乃南アサ]]『いちばん長い夜に』新潮社、2013年1月。震災により2人の人生に与えた大きな変化が描かれている。
*[[友井羊]]『ボランティアバスで行こう!』[[宝島社]]、2013年4月。[[災害ボランティア]]を題材にしている。
*[[友井羊]]『ボランティアバスで行こう!』[[宝島社]]、2013年4月。[[災害ボランティア]]を題材にしている。
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*[[廣木隆一]]『[[彼女の人生は間違いじゃない]]』河出書房新社、2015年。
*[[廣木隆一]]『[[彼女の人生は間違いじゃない]]』河出書房新社、2015年。
*[[彩瀬まる]]『[[やがて海へと届く]]』講談社、2016年。
*[[彩瀬まる]]『[[やがて海へと届く]]』講談社、2016年。
*[[天童荒太]]『ムーンナイト・ダイバー』文藝春秋、2016年<ref>{{Cite news |title=自分が変われば、世界が変わる 作家・天童荒太、被災地に立つ |newspaper=[[Yahoo!ニュース]] |date=2016-2-19 |author=吉田大助 |url=https://news.yahoo.co.jp/feature/109/ |accessdate=2021-9-10}}</ref><ref>[http://hon.bunshun.jp/articles/-/4479 3.11後のフクシマを舞台に、原発が間近に見える波に手をつけて「書かせていただきます」と誓った] - 文藝春秋、2016年1月31日、インタビュー・対談 本の話WEB</ref>。
*[[天童荒太]]『ムーンナイト・ダイバー』文藝春秋、2016年<ref>{{Cite news ja |title=自分が変われば、世界が変わる 作家・天童荒太、被災地に立つ |newspaper=[[Yahoo!ニュース]] |date=2016-2-19 |author=吉田大助 |url=https://news.yahoo.co.jp/feature/109/ |accessdate=2021-9-10}}</ref><ref>[http://hon.bunshun.jp/articles/-/4479 3.11後のフクシマを舞台に、原発が間近に見える波に手をつけて「書かせていただきます」と誓った] - 文藝春秋、2016年1月31日、インタビュー・対談 本の話WEB</ref>。
*[[柳広司]]『象は忘れない』短編集、文藝春秋、2016年。
*[[柳広司]]『象は忘れない』短編集、文藝春秋、2016年。
*[[桐野夏生]]『バラカ』集英社、2016年。
*[[桐野夏生]]『バラカ』集英社、2016年。
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* [[ギリギリの女たち]] - 2012年7月公開。[[小林政広]]監督。
* [[ギリギリの女たち]] - 2012年7月公開。[[小林政広]]監督。
* [[希望の国]] - 2012年10月公開。園子温監督。震災および福島第一原発事故後、架空の県でさらに発生した原発事故を描いている。
* [[希望の国]] - 2012年10月公開。園子温監督。震災および福島第一原発事故後、架空の県でさらに発生した原発事故を描いている。
* [[おだやかな日常]] - 2012年12月公開。[[内田伸輝]]監督。福島原発事故による放射能被害を心配する東京の家族を描く<ref>{{Cite news |title=(被爆国から2014)広島出身 背負って生きる |newspaper=朝日新聞デジタル |date=2014-05-31 |author=花房吾早子 |url=http://www.asahi.com/articles/ASG5R5V37G5RPTIL02J.html?iref=com_fbox_u01 |accessdate=2015-03-11 |archiveurl=https://archive.is/20140531193446/http://www.asahi.com/articles/ASG5R5V37G5RPTIL02J.html?iref=com_fbox_u01 |archivedate=2014-05-31}}</ref>。
* [[おだやかな日常]] - 2012年12月公開。[[内田伸輝]]監督。福島原発事故による放射能被害を心配する東京の家族を描く<ref>{{Cite news ja |title=(被爆国から2014)広島出身 背負って生きる |newspaper=朝日新聞デジタル |date=2014-05-31 |author=花房吾早子 |url=http://www.asahi.com/articles/ASG5R5V37G5RPTIL02J.html?iref=com_fbox_u01 |accessdate=2015-03-11 |archiveurl=https://archive.is/20140531193446/http://www.asahi.com/articles/ASG5R5V37G5RPTIL02J.html?iref=com_fbox_u01 |archivedate=2014-05-31}}</ref>。
* [[遺体 明日への十日間]] - 2013年2月公開。[[君塚良一]]監督。岩手県釜石市の遺体安置所に取材した[[石井光太]]のルポ『遺体―震災、津波の果てに』(2011年11月、新潮社)が原作。
* [[遺体 明日への十日間]] - 2013年2月公開。[[君塚良一]]監督。岩手県釜石市の遺体安置所に取材した[[石井光太]]のルポ『遺体―震災、津波の果てに』(2011年11月、新潮社)が原作。
* [[海辺の町で]] - 2013年3月公開。廣木隆一監督。
* [[海辺の町で]] - 2013年3月公開。廣木隆一監督。
1,173行目: 1,177行目:
* ともに<ref>[http://www.ox-tv.co.jp/tomoni/ 東日本大震災 特別企画「ともに」] - 仙台放送</ref> - 折原裕プロデューサー。[[仙台放送]]が毎月1回宮城県内の一人一人の復興のあゆみを紹介する30分番組。2011年4月23日から放送中、2016年2月13日で第59回。
* ともに<ref>[http://www.ox-tv.co.jp/tomoni/ 東日本大震災 特別企画「ともに」] - 仙台放送</ref> - 折原裕プロデューサー。[[仙台放送]]が毎月1回宮城県内の一人一人の復興のあゆみを紹介する30分番組。2011年4月23日から放送中、2016年2月13日で第59回。
* [[衝撃の瞬間]]([[ナショナルジオグラフィック (テレビチャンネル)|ナショナルジオグラフィック]])シーズン5第1話「FUKUSHIMA」(初回放送は[[2012年]]3月11日<!---「衝撃の瞬間」内部リンクの記載より--->)
* [[衝撃の瞬間]]([[ナショナルジオグラフィック (テレビチャンネル)|ナショナルジオグラフィック]])シーズン5第1話「FUKUSHIMA」(初回放送は[[2012年]]3月11日<!---「衝撃の瞬間」内部リンクの記載より--->)
** この放送では、「再現シーン」で、地震発生直前からの様子が放送され、当時福島県内で保育士った女性や原子力保安院職員った男性、[[川崎市消防局]]消防司長った男性および内閣官房内閣広報室内閣審議官った[[下村健一]]の証言などが放送された。
** この放送では、「再現シーン」で、地震発生直前からの様子が放送され、当時福島県内で保育士であった女性や原子力保安院職員であった男性、[[川崎市消防局]]消防司長であった男性および内閣官房内閣広報室内閣審議官であった[[下村健一]]の証言などが放送された。


===== ドラマ =====
===== ドラマ =====
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*ア・ソング・フォー・ジャパンプロジェクト「A SONG FOR JAPAN ~日本に捧ぐ歌~」2011年5月。[[ベルギー]]出身の[[トロンボーン]]奏者S.フェルヘルストが作曲、楽譜はネットで無償で公開されている<ref>[http://www.trombones.jp/ A SONG FOR JAPAN] 公式サイト</ref>。
*ア・ソング・フォー・ジャパンプロジェクト「A SONG FOR JAPAN ~日本に捧ぐ歌~」2011年5月。[[ベルギー]]出身の[[トロンボーン]]奏者S.フェルヘルストが作曲、楽譜はネットで無償で公開されている<ref>[http://www.trombones.jp/ A SONG FOR JAPAN] 公式サイト</ref>。
*「東北のためのエレジー 〜吹奏楽のための」2011年5月。オランダ人作曲家・A.コミタス作曲。
*「東北のためのエレジー 〜吹奏楽のための」2011年5月。オランダ人作曲家・A.コミタス作曲。
* [[EXILE]] 「[[Rising Sun/いつかきっと…|Rising Sun]]」2011年9月。東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティーソング<ref>{{cite news | url = https://natalie.mu/music/news/53236 | title =EXILEが10周年記念ソング配信、印税は全額義援金に | publisher =音楽ナタリー| date = 2011-07-17 | accessdate = 2023-03-12 }}</ref>。
* [[EXILE]] 「[[Rising Sun/いつかきっと…|Rising Sun]]」2011年9月。東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティーソング<ref>{{Cite news ja | url = https://natalie.mu/music/news/53236 | title =EXILEが10周年記念ソング配信、印税は全額義援金に | publisher =音楽ナタリー| date = 2011-07-17 | accessdate = 2023-03-12 }}</ref>。
*[[AKB48]]「[[風は吹いている]]」2011年10月
*[[AKB48]]「[[風は吹いている]]」2011年10月
*花は咲くプロジェクト「[[花は咲く]]」- 2012年。震災支援プロジェクト「[[NHK東日本大震災プロジェクト]]」のテーマソング。多数の歌手がさまざまな形で歌っている。2017年現在でも多数回放送されている。
*花は咲くプロジェクト「[[花は咲く]]」- 2012年。震災支援プロジェクト「[[NHK東日本大震災プロジェクト]]」のテーマソング。多数の歌手がさまざまな形で歌っている。2017年現在でも多数回放送されている。
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* [[佐野正文]] - 元[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手。元釜石ラグビー協会会長。津波に巻き込まれて死亡。享年63。
* [[佐野正文]] - 元[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手。元釜石ラグビー協会会長。津波に巻き込まれて死亡。享年63。
* [[山下文男]](当時87歳) - 元[[日本共産党中央委員会]]文化部長、災害史家。大船渡市(旧[[綾里村 (岩手県)|綾里村]])出身。1980年代以降は三陸地方を中心とした津波被害の研究に専念する。陸前高田病院に入院中に津波に襲われたが九死に一生を得た。大震災を機に再版された自著に追加した序文において、明治三陸地震や昭和三陸地震の教訓として指摘してきた「互いに助け合おうとしての共倒れ」「津波のスピードと引き潮の猛威を無視した逃げ遅れ」「一度は逃げたのに物慾のために家に戻ってしまう」ことで犠牲者を増やしてしまう悲劇が今回も繰り返されたことを嘆いている<ref>{{Cite book|title=『哀史三陸大津波』|author=山下文男|publisher=[[河出書房新社]]|date=2011|page=2-4}}</ref>。震災から9か月後の2011年12月に転院先にて死去。
* [[山下文男]](当時87歳) - 元[[日本共産党中央委員会]]文化部長、災害史家。大船渡市(旧[[綾里村 (岩手県)|綾里村]])出身。1980年代以降は三陸地方を中心とした津波被害の研究に専念する。陸前高田病院に入院中に津波に襲われたが九死に一生を得た。大震災を機に再版された自著に追加した序文において、明治三陸地震や昭和三陸地震の教訓として指摘してきた「互いに助け合おうとしての共倒れ」「津波のスピードと引き潮の猛威を無視した逃げ遅れ」「一度は逃げたのに物慾のために家に戻ってしまう」ことで犠牲者を増やしてしまう悲劇が今回も繰り返されたことを嘆いている<ref>{{Cite book|title=『哀史三陸大津波』|author=山下文男|publisher=[[河出書房新社]]|date=2011|page=2-4}}</ref>。震災から9か月後の2011年12月に転院先にて死去。
* [[黄川田徹]](当時57歳) - [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員、陸前高田市出身・選出、元陸前高田市役所職員。震災で義理の両親(本人は婿養子)と妻(51歳)、長男(29歳)、公設第二秘書の男性を亡くし、本人とたまたま高台の教習所に通っていた娘1人が生き残る。自宅は海岸から2kmった。2013年8月に仮設住宅に入居した。
* [[黄川田徹]](当時57歳) - [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員、陸前高田市出身・選出、元陸前高田市役所職員。震災で義理の両親(本人は婿養子)と妻(51歳)、長男(29歳)、公設第二秘書の男性を亡くし、本人とたまたま高台の教習所に通っていた娘1人が生き残る。自宅は海岸から2kmであった。2013年8月に仮設住宅に入居した。
* [[照井翠]](当時48歳) - 俳人。岩手県立[[釜石高校]]<ref group=注>海岸から7km。</ref>で被災、1か月間体育館と合宿所で生活した<ref name="「癒せぬ 3月の喪失」読売新聞2016年3月11日"/>。その経験を句集「龍宮」などで表現する。
* [[照井翠]](当時48歳) - 俳人。岩手県立[[釜石高校]]<ref group=注>海岸から7km。</ref>で被災、1か月間体育館と合宿所で生活した<ref name="「癒せぬ 3月の喪失」読売新聞2016年3月11日"/>。その経験を句集「龍宮」などで表現する。
* [[スコット・ファーディー]](当時26歳) - [[ラグビーオーストラリア代表]]([[ラグビーワールドカップ2015]]出場)。2009年(平成21年)より[[釜石シーウェイブス]]に所属していた選手で、[[釜石市]]において被災。母国より退避が呼びかけられたが同市に留まり、支援のためボランティア活動を行った。
* [[スコット・ファーディー]](当時26歳) - [[ラグビーオーストラリア代表]]([[ラグビーワールドカップ2015]]出場)。2009年(平成21年)より[[釜石シーウェイブス]]に所属していた選手で、[[釜石市]]において被災。母国より退避が呼びかけられたが同市に留まり、支援のためボランティア活動を行った。
* [[土村芳]](当時20歳、[[京都芸術大学|京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)]]2年) - 女優。[[盛岡市]]出身。大学から実家に帰省の途中、[[東北新幹線]]の車内で被災、仙台駅を過ぎたトンネル内で約9時間閉じ込められた<ref name="daily20170311">{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/11/0009988762.shtml |title=土村芳、震災から6年の故郷思い涙 トンネル内の新幹線で9時間後に救出 |newspaper=[[デイリースポーツ]] |accessdate=2017-03-11 |date=2017-03-11}}</ref>。
* [[土村芳]](当時20歳、[[京都芸術大学|京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)]]2年) - 女優。[[盛岡市]]出身。大学から実家に帰省の途中、[[東北新幹線]]の車内で被災、仙台駅を過ぎたトンネル内で約9時間閉じ込められた<ref name="daily20170311">{{Cite news ja |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/11/0009988762.shtml |title=土村芳、震災から6年の故郷思い涙 トンネル内の新幹線で9時間後に救出 |newspaper=[[デイリースポーツ]] |accessdate=2017-03-11 |date=2017-03-11}}</ref>。
* [[久慈暁子]](当時16歳、高校1年生) - モデル、元・[[フジテレビ]]アナウンサー。
* [[久慈暁子]](当時16歳、高校1年生) - モデル、元・[[フジテレビ]]アナウンサー。
* [[小川千奈]](当時11歳) - [[ウェザーニューズ]]所属気象キャスター。[[ミス・ジャパン (株式会社HDR)|ミス・ジャパン2020グランプリ]]チャンピオン。
* [[小川千奈]](当時11歳) - [[ウェザーニューズ]]所属気象キャスター。[[ミス・ジャパン (株式会社HDR)|ミス・ジャパン2020グランプリ]]チャンピオン。
* [[佐々木朗希]](当時9歳) - [[千葉ロッテマリーンズ]]投手。陸前高田市出身。父と祖父母がこの震災による津波で死亡し、自宅が流された<ref>{{Cite web |title=佐々木朗希、父遺影に毎朝「行ってきます」母が回想 - 高校野球夏の地方大会 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201907250000841.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>。震災後は大船渡市に引っ越し、一時は老人ホームでの生活を余儀なくされた<ref>{{Cite web |title=【侍ジャパン】佐々木朗希、父を祖父母を失った「3・11」に世界デビュー…チェコ戦先発「できることを最大限」 |url=https://hochi.news/articles/20230310-OHT1T51273.html |website=スポーツ報知 |date=2023-03-11 |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>。震災から丸12年となる2023年3月11日に行われた[[2023 ワールド・ベースボール・クラシック]]の[[野球日本代表|日本]]対[[野球チェコ代表|チェコ]]戦に日本代表の先発投手として登板し、勝利投手となった事が話題になった。<ref>{{Cite web |title=WBC 侍ジャパン 佐々木朗希「何か感じてくれたら」東日本大震災12年 {{!}} NHK |url=https://web.archive.org/web/20230311225050/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230312/k10014005821000.html |website=NHKニュース |date=2023-03-12 |access-date=2024-01-02 |last=日本放送協会}}</ref><ref>{{Cite web |title=佐々木朗希 忘れない3.11世界1勝8K 父と祖父母亡くした9歳の少年がWBC侍最年少21歳勝利投手 - スポニチ Sponichi Annex 野球 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/03/12/kiji/20230312s00001004068000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref>
* [[佐々木朗希]](当時9歳) - [[千葉ロッテマリーンズ]]投手。父と祖父母がこの震災による津波で死亡。


=== 宮城県 ===
=== 宮城県 ===
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* [[さとう宗幸]](当時62歳) - [[シンガーソングライター]]。仙台市在住。司会を担当する[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]「[[OH!バンデス]]」に出演するため同局に向かっていた途上で被災。さとうの代表曲で仙台の[[ご当地ソング]]でもある「[[青葉城恋唄]]」が、[[1978年]](昭和53年)6月12日発生の[[宮城県沖地震 (1978年)|宮城県沖地震]]直後にヒットした経緯から、当震災でもさとうが様々な場面で同曲を歌い、[[桑田佳祐]]らも宮城県でのコンサートで歌った。さとうをはじめ、[[稲垣潤一]]・[[遊佐未森]]・[[山寺宏一]]らみやぎびっきの会のメンバーらが歌う復興支援ソング「虹を架けよう」の収益金は、震災で被災した子供たちの支援活動に寄付されている。
* [[さとう宗幸]](当時62歳) - [[シンガーソングライター]]。仙台市在住。司会を担当する[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]「[[OH!バンデス]]」に出演するため同局に向かっていた途上で被災。さとうの代表曲で仙台の[[ご当地ソング]]でもある「[[青葉城恋唄]]」が、[[1978年]](昭和53年)6月12日発生の[[宮城県沖地震 (1978年)|宮城県沖地震]]直後にヒットした経緯から、当震災でもさとうが様々な場面で同曲を歌い、[[桑田佳祐]]らも宮城県でのコンサートで歌った。さとうをはじめ、[[稲垣潤一]]・[[遊佐未森]]・[[山寺宏一]]らみやぎびっきの会のメンバーらが歌う復興支援ソング「虹を架けよう」の収益金は、震災で被災した子供たちの支援活動に寄付されている。
* [[伊集院静]](当時61歳) - 作家。仙台市の自宅にて被災(十数年前に大補強し、突っ張り棒をしていた)<ref>「被災地・宮城から見たこの国」『[[週刊現代]]』2011年4月2日号</ref>。のちに東日本大震災をテーマにして『男の流儀入門【震災編】』を執筆・刊行し、[[大友康平]](宮城県[[塩竈市]]出身)とのコンビでチャリティソング『ハガネのように 花のように』を制作した<ref>[http://dbookfactory.jp/otoko_shinsai/ 伊集院静『男の流儀入門』] DIGITAL BOOK FACTORY</ref>。
* [[伊集院静]](当時61歳) - 作家。仙台市の自宅にて被災(十数年前に大補強し、突っ張り棒をしていた)<ref>「被災地・宮城から見たこの国」『[[週刊現代]]』2011年4月2日号</ref>。のちに東日本大震災をテーマにして『男の流儀入門【震災編】』を執筆・刊行し、[[大友康平]](宮城県[[塩竈市]]出身)とのコンビでチャリティソング『ハガネのように 花のように』を制作した<ref>[http://dbookfactory.jp/otoko_shinsai/ 伊集院静『男の流儀入門』] DIGITAL BOOK FACTORY</ref>。
* [[クミコ]](当時56歳) - [[シャンソン]][[歌手]]。3月11日夕方から石巻市民会館にてコンサート出演予定ったため、同館地下の控室にいたときに地震が発生した<ref name="blogos20110405">[http://blogos.com/article/11846/ 被災地--石巻を歩く(4)「歌手クミコさんの被災」]([[BLOGOS]] 2011年04月05日){{リンク切れ|date=2023年5月}}</ref>。裏山の[[採石場]]に避難したため津波を逃れたが同館は水没、クミコらは裏山で一夜を過ごすことになった<ref name="blogos20110405" />。翌日、仙台まで移動したが東京に行くすべがなく、[[タクシー]]で山形県の[[庄内空港]]まで移動し、羽田便で[[3月13日]]夜に東京に戻った<ref name="blogos20110405" /><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110314-748104.html クミコ「財布と携帯だけ。あとは泥の中」](日刊スポーツ 2011年3月14日)</ref>(太平洋側の石巻から仙台を経て日本海側の庄内空港まで200 km以上の横断)。その後は石巻をはじめ、被災地で無料コンサートなどを精力的に行っている。
* [[クミコ]](当時56歳) - [[シャンソン]][[歌手]]。3月11日夕方から石巻市民会館にてコンサート出演予定であったため、同館地下の控室にいたときに地震が発生した<ref name="blogos20110405">[http://blogos.com/article/11846/ 被災地--石巻を歩く(4)「歌手クミコさんの被災」]([[BLOGOS]] 2011年04月05日){{リンク切れ|date=2023年5月}}</ref>。裏山の[[採石場]]に避難したため津波を逃れたが同館は水没、クミコらは裏山で一夜を過ごすことになった<ref name="blogos20110405" />。翌日、仙台まで移動したが東京に行くすべがなく、[[タクシー]]で山形県の[[庄内空港]]まで移動し、羽田便で[[3月13日]]夜に東京に戻った<ref name="blogos20110405" /><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110314-748104.html クミコ「財布と携帯だけ。あとは泥の中」](日刊スポーツ 2011年3月14日)</ref>(太平洋側の石巻から仙台を経て日本海側の庄内空港まで200km以上の横断)。その後は石巻をはじめ、被災地で無料コンサートなどを精力的に行っている。
* [[俵万智]](当時48歳) - [[歌人]]。2006年(平成18年)より自宅が仙台市にあり、両親・長男とともに住んでいた<ref name="Chunichi20130306">[http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130306102523277 「俵万智さん 母として沖縄避難]」『中日新聞』2013年3月6日</ref>。震災発生時は仕事で東京におり、5日かかって仙台に戻った<ref name="Chunichi20130306" />。福島第一原子力発電所事故による放射線被害から逃れようと考え、子供を連れて震災後も運航を続けていた隣県の[[山形空港]]に行き、[[那覇空港|那覇]]便で[[自主避難]]した<ref name="Chunichi20130306" />。その後、[[石垣島]]に渡り、そのまま定住した<ref name="Chunichi20130306" />。この自主避難の経験を含め、震災発生から1年間の短歌を集めた『あれから―俵万智3・11短歌集』を2012年3月に出版した。
* [[俵万智]](当時48歳) - [[歌人]]。2006年(平成18年)より自宅が仙台市にあり、両親・長男とともに住んでいた<ref name="Chunichi20130306">[http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130306102523277 「俵万智さん 母として沖縄避難]」『中日新聞』2013年3月6日</ref>。震災発生時は仕事で東京におり、5日かかって仙台に戻った<ref name="Chunichi20130306" />。福島第一原子力発電所事故による放射線被害から逃れようと考え、子供を連れて震災後も運航を続けていた隣県の[[山形空港]]に行き、[[那覇空港|那覇]]便で[[自主避難]]した<ref name="Chunichi20130306" />。その後、[[石垣島]]に渡り、そのまま定住した<ref name="Chunichi20130306" />。この自主避難の経験を含め、震災発生から1年間の短歌を集めた『あれから―俵万智3・11短歌集』を2012年3月に出版した。
* [[瀬名秀明]](当時43歳) - 作家。仙台市の自宅マンションで被災。
* [[瀬名秀明]](当時43歳) - 作家。仙台市の自宅マンションで被災。
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* [[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]](当時34歳) - [[ブラジル人]]プロサッカー選手。ベガルタ仙台に所属していたが、震災で精神的ショックを受け、退団して母国ブラジルに帰国した。翌シーズンより、他の[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]球団に復帰した。
* [[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]](当時34歳) - [[ブラジル人]]プロサッカー選手。ベガルタ仙台に所属していたが、震災で精神的ショックを受け、退団して母国ブラジルに帰国した。翌シーズンより、他の[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]球団に復帰した。
* [[近藤修司]](当時33歳) - プロレスラー。試合会場の石巻へ移動するため記者と共に[[仙石線]]の快速列車に乗車中に列車内で被災。電車内で一夜を明かした<ref>{{Cite web|和書|title=【2011.3.11東日本大震災被災体験談】~あの時を振り返って~【1日目仙石線 仙台駅~野蒜駅そして・・・】 |url=http://www.kondoshuji.net/archives/1021382463.html |website=近藤修司公式ブログ~free spirit~ |access-date=2022-11-11 |language=ja}}</ref>。翌々日、タクシーなどで新潟に移動し新幹線で帰京した<ref>{{Cite web|和書|title=【2011.3.11東日本大震災被災体験談】~あの時を振り返って~【3日目マンガ喫茶→山形→新潟→帰京】その後・・・ |url=http://www.kondoshuji.net/archives/1021535621.html |website=近藤修司公式ブログ~free spirit~ |access-date=2022-11-11 |language=ja}}</ref>。なお列車の乗客は高台で列車が停車していたため、全員無事であった。
* [[近藤修司]](当時33歳) - プロレスラー。試合会場の石巻へ移動するため記者と共に[[仙石線]]の快速列車に乗車中に列車内で被災。電車内で一夜を明かした<ref>{{Cite web|和書|title=【2011.3.11東日本大震災被災体験談】~あの時を振り返って~【1日目仙石線 仙台駅~野蒜駅そして・・・】 |url=http://www.kondoshuji.net/archives/1021382463.html |website=近藤修司公式ブログ~free spirit~ |access-date=2022-11-11 |language=ja}}</ref>。翌々日、タクシーなどで新潟に移動し新幹線で帰京した<ref>{{Cite web|和書|title=【2011.3.11東日本大震災被災体験談】~あの時を振り返って~【3日目マンガ喫茶→山形→新潟→帰京】その後・・・ |url=http://www.kondoshuji.net/archives/1021535621.html |website=近藤修司公式ブログ~free spirit~ |access-date=2022-11-11 |language=ja}}</ref>。なお列車の乗客は高台で列車が停車していたため、全員無事であった。
* [[鈴木みのる]](当時42歳) - プロレスラー。試合会場の石巻へ移動するため[[全日本プロレス]]の巡業バスに乗車中、[[仙台南部道路]]上で被災。安全な場所に待避しバス内で一夜を明かす。翌日約17時間かけてバスで帰京した<ref>{{Cite web|和書|title=鈴木みのる『あれから3年』 |url=https://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-11793267364.html |website=鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba |access-date=2022-11-11 |language=ja}}</ref>。
* [[鈴木みのる]](当時42歳) - プロレスラー。試合会場の石巻へ移動するため[[全日本プロレス]]の巡業バスに乗車中、[[仙台南部道路]]上で被災。安全な場所に待避しバス内で一夜を明かす。翌日約17時間かけてバスで帰京した<ref name=":3">{{Cite web|和書|title=鈴木みのる『あれから3年』 |url=https://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-11793267364.html |website=鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba |access-date=2022-11-11 |language=ja}}</ref>。なお、このバスには同じくレスラーの[[SANADA]](当時23歳)や[[諏訪魔]](当時35歳)などが乗車していた<ref>{{Cite web |title=【SANADA選手の“自伝”最新話を更新! 】第8回「東日本大震災を経験して痛感したこと、『ALL TOGETHER』での内藤哲也、棚橋弘至との遭遇などについて語る!」 |url=https://www.njpw.co.jp/451055 |website=www.njpw.co.jp |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref><ref name=":4" />。
* [[木原文人]](当時44歳) - リングアナウンサー。試合会場の石巻へ移動するため全日本プロレスの外国人選手用の巡業バスに乗車中、[[仙台東部道路]]上で被災。避難中、津波の被害が大きい地域を通過したが、なんとか高台にバスごと避難し事なきを得た。その後、安全な場所で一夜を明かした後、帰京した<ref>{{Cite web|和書|title=【コラム】諏訪魔、大森隆男、和田京平、木原リングアナ、神林レフェリーの証言で綴る、全日本プロレス『10年目の』東日本大震災 |url=https://battle-news.com/?p=68636 |website=バトル・ニュース |access-date=2022-11-14 |language=ja}}</ref>。
* [[木原文人]](当時44歳) - リングアナウンサー。試合会場の石巻へ移動するため全日本プロレスの外国人選手用の巡業バスに乗車中、[[仙台東部道路]]上で被災。避難中、津波の被害が大きい地域を通過したが、なんとか高台にバスごと避難し事なきを得た。その後、安全な場所で一夜を明かした後、帰京した<ref name=":4">{{Cite web|和書|title=【コラム】諏訪魔、大森隆男、和田京平、木原リングアナ、神林レフェリーの証言で綴る、全日本プロレス『10年目の』東日本大震災 |url=https://battle-news.com/?p=68636 |website=バトル・ニュース |access-date=2022-11-14 |language=ja}}</ref>。
* [[神林大介]](当時31歳) - プロレスのレフェリー。石巻で会場の設営中に被災。大会は中止となり、リングや椅子を片して体育館で夜を明かした。翌朝、会場となるはずった体育館が遺体安置所となったため、近くの避難所へ移動した<ref>{{Cite web|和書|title=【コラム】諏訪魔、大森隆男、和田京平、木原リングアナ、神林レフェリーの証言で綴る、全日本プロレス『10年目の』東日本大震災 |url=https://battle-news.com/?p=68636 |website=バトル・ニュース |access-date=2022-11-14 |language=ja}}</ref>。
* [[神林大介]](当時31歳) - プロレスのレフェリー。石巻で会場の設営中に被災。大会は中止となり、リングや椅子を片して体育館で夜を明かした。翌朝、会場となるはずであった体育館が遺体安置所となったため、近くの避難所へ移動した<ref name=":5">{{Cite web|和書 |title=【コラム】諏訪魔、大森隆男、和田京平、木原リングアナ、神林レフェリーの証言で綴る、全日本プロレス『10年目の』東日本大震災 |url=https://battle-news.com/?p=68636 |website=バトル・ニュース |access-date=2022-11-14 |language=ja}}</ref>。
* その他、この日石巻た全日本プロレスの選手、スタッフは全員無事であった。
* その他、この日被災地た全日本プロレスの選手、スタッフは全員無事であった<ref name=":3" /><ref name=":5" />


* [[MONKEY MAJIK]](当時30歳代) - [[カナダ人]]と日本人による[[ロックバンド]]。仙台在住。被災地にて泥かきやがれき撤去などボランティア活動を続けた。チャリティーライブ「SEND愛」を開催し、売上を寄付した。[[外務省]]から「震災復興発信使」(KIZUNA大使)に任命された。
* [[MONKEY MAJIK]](当時30歳代) - [[カナダ人]]と日本人による[[ロックバンド]]。仙台在住。被災地にて泥かきやがれき撤去などボランティア活動を続けた。チャリティーライブ「SEND愛」を開催し、売上を寄付した。[[外務省]]から「震災復興発信使」(KIZUNA大使)に任命された。
* [[Rake (シンガーソングライター)|Rake]](年齢不詳) - シンガーソングライター。仙台市出身・在住。同市の自宅にて被災した。震災を機に「素晴らしき世界」を創作し、「誓い」は震災を機に始まった第1回[[東北六魂祭]]のテーマ曲となった。
* [[Rake (シンガーソングライター)|Rake]](年齢不詳) - シンガーソングライター。仙台市出身・在住。同市の自宅にて被災した。震災を機に「素晴らしき世界」を創作し、「誓い」は震災を機に始まった第1回[[東北六魂祭]]のテーマ曲となった。
* [[仙名彩世]](当時22歳、[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]) - [[俳優|女優]]。宝塚大劇場公演終了後、名取市へ帰省中に被災、本人はじめ家族・親戚は無事であったが連絡が取れない状態が続いた。仙名は東京公演出演の為、山形県の避難所で過ごした後、宝塚市に戻った<ref>{{Cite news |title=【東日本大震災10年語り継ぐ】元宝塚娘役・仙名彩世、公演に「罪悪感」…舞台続けることがメッセージ |url=https://hochi.news/articles/20210223-OHT1T50333.html |publisher=スポーツ報知 |date=2021-2-23 |accessdate=2021-3-11}}</ref>。
* [[仙名彩世]](当時22歳、[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]) - [[俳優|女優]]。宝塚大劇場公演終了後、名取市へ帰省中に被災、本人はじめ家族・親戚は無事であったが連絡が取れない状態が続いた。仙名は東京公演出演の為、山形県の避難所で過ごした後、宝塚市に戻った<ref>{{Cite news ja |title=【東日本大震災10年語り継ぐ】元宝塚娘役・仙名彩世、公演に「罪悪感」…舞台続けることがメッセージ |url=https://hochi.news/articles/20210223-OHT1T50333.html |publisher=スポーツ報知 |date=2021-2-23 |accessdate=2021-3-11}}</ref>。
* [[羽生結弦]](当時16歳、[[東北高等学校|東北高校]]1年) - [[フィギュアスケート]]選手。「[[アイスリンク仙台]]」(仙台市[[泉区 (仙台市)|泉区]])で練習中に建物が大きく揺れ、スケート靴を履いたまま外へ逃げた。羽生は、氷が波打ち、死の恐怖を感じて泣きながら逃げ出した、と語った。自宅も被害を受け、[[ライフライン]]が止まったため、4日間避難所暮らしをした。練習場が使えず、約60回のアイスショー公演で練習と感覚の維持をした<ref>{{Cite news |title=ストーリーfromSOCHI:羽生結弦の精神的成長 「被災」と向き合った3年間 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2014-02-16 |author=芳賀竜也 |url=http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20140216ddm035050152000c.html |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140215200523/http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20140216ddm035050152000c.html |archivedate=2014-02-15}}</ref><ref>「羽生選手、震災を語る」『読売新聞』2014年3月10日</ref><ref>[https://archive.is/20140310065033/http://www.yomiuri.co.jp/sports/winter/news/20140310-OYT1T00226.htm 被災地のこと忘れないで…羽生選手、震災を語る : ウインタースポーツ : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)](2014年3月10日時点の[[Archive.is|アーカイブ]])</ref>。
* [[羽生結弦]](当時16歳、[[東北高等学校|東北高校]]1年) - [[フィギュアスケート]]選手。「[[アイスリンク仙台]]」(仙台市[[泉区 (仙台市)|泉区]])で練習中に建物が大きく揺れ、スケート靴を履いたまま外へ逃げた。羽生は、氷が波打ち、死の恐怖を感じて泣きながら逃げ出した、と語った。自宅も被害を受け、[[ライフライン]]が止まったため、4日間避難所暮らしをした。練習場が使えず、約60回のアイスショー公演で練習と感覚の維持をした<ref>{{Cite news ja |title=ストーリーfromSOCHI:羽生結弦の精神的成長 「被災」と向き合った3年間 |newspaper=『毎日新聞』 |date=2014-02-16 |author=芳賀竜也 |url=http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20140216ddm035050152000c.html |accessdate=2015-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140215200523/http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20140216ddm035050152000c.html |archivedate=2014-02-15}}</ref><ref>「羽生選手、震災を語る」『読売新聞』2014年3月10日</ref><ref>[https://archive.is/20140310065033/http://www.yomiuri.co.jp/sports/winter/news/20140310-OYT1T00226.htm 被災地のこと忘れないで…羽生選手、震災を語る : ウインタースポーツ : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)](2014年3月10日時点の[[Archive.is|アーカイブ]])</ref>。
* [[Dorothy Little Happy]](当時10歳代) - アイドルグループ。メンバーは仙台市在住。2011年3月16日に[[avex trax]]から[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャー・デビュー]]の予定で準備していたが震災が発生、CDは被災地以外で予定通りの発売となったものの、デビューイベントがすべて中止または延期となり、被災地では1か月ほどCDを発売することができなかった。8月27日・28日開催の「[[TOKYO IDOL FESTIVAL]]2011〜Eco & Smile〜」にて注目を浴びた<ref>[https://nikkan-spa.jp/81857 デビュー直前に震災が… "東北復興アイドル" Dorothy Little Happy](日刊[[SPA!]] 2011年11月5日)</ref>。
* [[Dorothy Little Happy]](当時10歳代) - アイドルグループ。メンバーは仙台市在住。2011年3月16日に[[avex trax]]から[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャー・デビュー]]の予定で準備していたが震災が発生、CDは被災地以外で予定通りの発売となったものの、デビューイベントがすべて中止または延期となり、被災地では1か月ほどCDを発売することができなかった。8月27日・28日開催の「[[TOKYO IDOL FESTIVAL]]2011〜Eco & Smile〜」にて注目を浴びた<ref>[https://nikkan-spa.jp/81857 デビュー直前に震災が… "東北復興アイドル" Dorothy Little Happy](日刊[[SPA!]] 2011年11月5日)</ref>。
* [[岩田華怜]](当時12歳) - アイドルグループ:[[AKB48]]のメンバー。震災当日は体調不良で小学校を早退し、仙台市内の自宅で静養しているときに震度6強の地震に遭遇。震災後に開かれたAKB48研究生セレクションを受験して合格し、芸能活動を始めることとなる<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/03/12/kiji/K20130312005375010.html 岩田華怜 仙台出身――震災から2年、故郷に届けた歌声] スポーツニッポン 2013年3月12日閲覧</ref>。
* [[岩田華怜]](当時12歳) - アイドルグループ:[[AKB48]]のメンバー。震災当日は体調不良で小学校を早退し、仙台市内の自宅で静養しているときに震度6強の地震に遭遇。震災後に開かれたAKB48研究生セレクションを受験して合格し、芸能活動を始めることとなる<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/03/12/kiji/K20130312005375010.html 岩田華怜 仙台出身――震災から2年、故郷に届けた歌声] スポーツニッポン 2013年3月12日閲覧</ref>。
* 佐藤七海(当時11歳) - アイドルグループ:[[AKB48#チーム8|AKB48チーム8]]の岩手県代表メンバー。仙台市在住時に震災に遭い、自宅が全壊したため避難所暮らしをした<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/104850 AKB48「チーム8」 佐藤七海が自宅全壊を振り返る] [[東京スポーツ]](2015年3月11日)</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1445399.html たかみな釜石訪問「AKBとして最後の3月11日」][[日刊スポーツ]](2015年3月11日)</ref>。その後、岩手県に移住し、AKB48チーム8の岩手県代表に選ばれた。
* 佐藤七海(当時11歳) - アイドルグループ:[[AKB48#チーム8|AKB48チーム8]]の岩手県代表メンバー。仙台市在住時に震災に遭い、自宅が全壊したため避難所暮らしをした<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/104850 AKB48「チーム8」 佐藤七海が自宅全壊を振り返る] [[東京スポーツ]](2015年3月11日)</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/1445399.html たかみな釜石訪問「AKBとして最後の3月11日」][[日刊スポーツ]](2015年3月11日)</ref>。その後、岩手県に移住し、AKB48チーム8の岩手県代表に選ばれた。
* [[佐々木莉佳子]](当時9歳) - アイドルグループ:[[アンジュルム]](旧・スマイレージ)のメンバー。気仙沼市出身。自宅を津波で流され避難生活を余儀なくされる<ref>{{Cite web|和書|date=2013-01-29 |url=https://web.archive.org/web/20130131201539/http://wpb.shueisha.co.jp/2013/01/29/16826/ |title=【2013年HOPE美女】気仙沼で活躍する小学生アイドル・佐々木莉佳子(SCK GIRLS) |publisher=[[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |accessdate=2015-03-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-03-23 |url=https://web.archive.org/web/20131029190637/http://wpb.shueisha.co.jp/2013/03/23/17875/1/ |title=気仙沼で活動する小学生アイドル・佐々木莉佳子親子の2年「思い出は流れたけど、私たちには未来がある」 |publisher=週プレNEWS |accessdate=2015-03-14}}</ref>。このことが芸能活動を始めるきっかけとなった。
* [[佐々木莉佳子]](当時9歳) - アイドルグループ:[[アンジュルム]](旧・スマイレージ)のメンバー。気仙沼市出身。自宅を津波で流され避難生活を余儀なくされる<ref>{{Cite web|和書|date=2013-01-29 |url=https://web.archive.org/web/20130131201539/http://wpb.shueisha.co.jp/2013/01/29/16826/ |title=【2013年HOPE美女】気仙沼で活躍する小学生アイドル・佐々木莉佳子(SCK GIRLS) |publisher=[[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |accessdate=2015-03-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-03-23 |url=https://web.archive.org/web/20131029190637/http://wpb.shueisha.co.jp/2013/03/23/17875/1/ |title=気仙沼で活動する小学生アイドル・佐々木莉佳子親子の2年「思い出は流れたけど、私たちには未来がある」 |publisher=週プレNEWS |accessdate=2015-03-14}}</ref>。このことが芸能活動を始めるきっかけとなった。
* [[宮世琉弥]](当時7歳)- 俳優。石巻市出身。小学校にて被災し、自宅が全壊する。また、母と車で避難中に津波に巻き込まれたものの、斜面に流れ着いて事なきを得た。<ref>{{Cite web |title=BOYSぴあSelection 第34回 宮世琉弥(PART1)宮世琉弥 Part1「被災者の自分だから伝えられることが、きっとある」 |url=https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_d1b528c0-4148-44f8-94a8-6075be1cd574.html |website=ぴあ |date=2020-03-21 |access-date=2024-01-02 |language=ja}}</ref><ref>{{Citation|title=「自分だけが助かって良かったのか」俳優・宮世琉弥さん “震災当時の地元”12年ぶりにたどる…“自分のいのち、なぜ守られたか”【つなぐ、つながる】|TBS NEWS DIG|url=https://www.youtube.com/watch?v=UOoGJ1dKcj8|language=ja-JP|access-date=2024-01-02}}</ref>
* [[伊達花彩]](当時5歳)- アイドルグループ:[[いぎなり東北産]]のメンバー。幼稚園にて被災し、自宅が全壊する。被災後、アイドルを題材としたゲームをしたことでアイドルに興味を持つ。<ref>{{Cite web |title=東日本大震災 いぎなり東北産 伊達花彩さんが語る"あの日" |url=https://www.nhk.or.jp/sendai-blog/tokushu/311densho/488436.html |website=www.nhk.or.jp |access-date=2024-01-02 |language=ja |first=NHK(Japan Broadcasting |last=Corporation)}}</ref>


=== 福島県 ===
=== 福島県 ===
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* [[栞菜智世]](当時17歳) - 女優、歌手。いわき市出身。地震発生時には高校の校庭が「まっ二つに割れた」瞬間を目撃、その夜は水と[[チョコレート]]だけで一夜を凌ぐ。不自由な生活が続く中で、携帯プレイヤーにダウンロードしてあった[[J-POP]]が心の支えとなった<ref>{{Cite web|和書|author=内田正樹 |url=http://kannachise.com/upch89261-liner |title=栞菜智世 ライナーノーツ vol.1 |work=栞菜 智世 -KANNA CHISE- 公式サイト |publisher=[[ホリプロ]] |accessdate=2017-03-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160319042921/http://kannachise.com/upch89261-liner |archivedate=2016-03-19}}</ref>。「第39回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを獲得し、歌手としてデビュー。
* [[栞菜智世]](当時17歳) - 女優、歌手。いわき市出身。地震発生時には高校の校庭が「まっ二つに割れた」瞬間を目撃、その夜は水と[[チョコレート]]だけで一夜を凌ぐ。不自由な生活が続く中で、携帯プレイヤーにダウンロードしてあった[[J-POP]]が心の支えとなった<ref>{{Cite web|和書|author=内田正樹 |url=http://kannachise.com/upch89261-liner |title=栞菜智世 ライナーノーツ vol.1 |work=栞菜 智世 -KANNA CHISE- 公式サイト |publisher=[[ホリプロ]] |accessdate=2017-03-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160319042921/http://kannachise.com/upch89261-liner |archivedate=2016-03-19}}</ref>。「第39回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを獲得し、歌手としてデビュー。
* 舞木香純(当時13歳) - アイドルグループ:AKB48チーム8の福島県代表メンバー。双葉郡[[広野町]]出身<ref>[https://web.archive.org/web/20160304130537/http://www.sanspo.com/geino/news/20150426/akb15042620340001-n1.html AKB、福島の新高校を激励 地元出身の舞木「今後も応援したい」](2016年3月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[サンケイスポーツ]] 2015年4月26日</ref>。福島第一原子力発電所事故の影響により、[[広野町立広野中学校]]からいわき市立湯本第三中学校に転校<ref>[http://hironochuweb.blog.fc2.com/blog-date-20110721.html 2011/07/21 Thu. 09:12 それぞれの想い 〜1学期を振り返って〜](福島県双葉郡広野町立広野中学校ホームページ 2011年07月21日)</ref><ref>[http://www.minpo.jp/pub/topics/ekiden/2012/results/area.php?id=36 市町村別成績(広野町)]([[福島民友]]「ふくしま駅伝2012」)</ref>。AKB48チーム8の福島県代表に選ばれた。
* 舞木香純(当時13歳) - アイドルグループ:AKB48チーム8の福島県代表メンバー。双葉郡[[広野町]]出身<ref>[https://web.archive.org/web/20160304130537/http://www.sanspo.com/geino/news/20150426/akb15042620340001-n1.html AKB、福島の新高校を激励 地元出身の舞木「今後も応援したい」](2016年3月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[サンケイスポーツ]] 2015年4月26日</ref>。福島第一原子力発電所事故の影響により、[[広野町立広野中学校]]からいわき市立湯本第三中学校に転校<ref>[http://hironochuweb.blog.fc2.com/blog-date-20110721.html 2011/07/21 Thu. 09:12 それぞれの想い 〜1学期を振り返って〜](福島県双葉郡広野町立広野中学校ホームページ 2011年07月21日)</ref><ref>[http://www.minpo.jp/pub/topics/ekiden/2012/results/area.php?id=36 市町村別成績(広野町)]([[福島民友]]「ふくしま駅伝2012」)</ref>。AKB48チーム8の福島県代表に選ばれた。
* [[優希美青]](当時11歳) - 女優。南相馬市在住時に被災した<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2016262/full/ 第37回ホリプロTSC、グランプリは13歳の菅野莉奈さん 芸名「優希美青」で活動へ](オリコン 2012年8月29日)</ref><ref>[http://book.asahi.com/booknews/update/2012110100009.html ぼくらの3・11 絵本に](ブック・アサヒ・コム 2012年10月31日)</ref>。山形県の中学校在校時った2012年、「第37回[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]」でグランプリとなり、芸能界デビューした<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/08/29/kiji/K20120829004001280.html ホリプロスカウトキャラバン 13歳・菅野莉奈さんがグランプリ](スポーツニッポン 2012年8月29日)</ref>。岩手県を舞台の1つとする[[連続テレビ小説]]『[[あまちゃん]]』において、宮城県の[[ローカルアイドル]]グループ「仙台牛たんガールズ」のセンター・小野寺薫子役を演じた。
* [[優希美青]](当時11歳) - 女優。南相馬市在住時に被災した<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2016262/full/ 第37回ホリプロTSC、グランプリは13歳の菅野莉奈さん 芸名「優希美青」で活動へ](オリコン 2012年8月29日)</ref><ref>[http://book.asahi.com/booknews/update/2012110100009.html ぼくらの3・11 絵本に](ブック・アサヒ・コム 2012年10月31日)</ref>。山形県の中学校在校時であった2012年、「第37回[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]」でグランプリとなり、芸能界デビューした<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/08/29/kiji/K20120829004001280.html ホリプロスカウトキャラバン 13歳・菅野莉奈さんがグランプリ](スポーツニッポン 2012年8月29日)</ref>。岩手県を舞台の1つとする[[連続テレビ小説]]『[[あまちゃん]]』において、宮城県の[[ローカルアイドル]]グループ「仙台牛たんガールズ」のセンター・小野寺薫子役を演じた。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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* {{YouTube|user=FNN311|FNN東日本大震災アーカイブ(FNN311)}} - フジテレビ
* {{YouTube|user=FNN311|FNN東日本大震災アーカイブ(FNN311)}} - フジテレビ
*; NHK
*; NHK
** [https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/ NHK東日本大震災アーカイブス 証言webドキュメント] 記録映像や人々の証言をまとめたサイト
** {{Wayback|url=https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/ |title=NHK東日本大震災アーカイブス 証言webドキュメント |date=20170330064630}} 記録映像や人々の証言をまとめたサイト
*** [https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/72hours/ 特集 地震発生から72時間|NHK災害アーカイブス]
*** {{Wayback|url=https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/72hours/ |title=特集 地震発生から72時間|NHK災害アーカイブス |date=20170329063948}}
** {{NHK災害アーカイブス|D0026010006_00000|2011年 東日本大震災}}
** {{NHK災害アーカイブス|D0026010006_00000|2011年 東日本大震災}}
**[https://www.nhk.or.jp/archives/search/?keyword=NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB+%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD&ag=all&type=all NHKスペシャル 東日本大震災] [[NHKスペシャル]]で東日本大震災を題材にした番組集
**[https://www.nhk.or.jp/archives/search/?keyword=NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB+%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD&ag=all&type=all NHKスペシャル 東日本大震災] [[NHKスペシャル]]で東日本大震災を題材にした番組集
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[[Category:日本の警察官が殉職した事件・事故]]
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[[Category:消防士が殉職した事件・事故]]
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[[Category:特定非常災害]]

2024年5月15日 (水) 13:34時点における版

津波によって浸水した宮城県仙台市宮城野区沿岸(2011年3月12日)。津波火災も発生した。
津波によって壊滅した岩手県陸前高田市小友町(2011年4月3日)

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年平成23年)3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による大規模な地震災害(震災)である[1][2](加えて長野県北部地震による災害(栄村地震、栄村大震災)を含む場合もある)。

東日本各地での大きな揺れや[3]、大津波火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2,318名の死者・行方不明者が発生した(震災関連死を含む)[4]。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災明治三陸地震に次ぐ被害規模である(震災関連死を除いた比較)[5]

発生した日付から、3.11(さんてんいちいち、もしくは、さんいちいち[6][7])と称することもある。英称は Great East Japan Earthquake など[注 1]

地震

津波で流出し、太平洋を漂う家屋(2011年3月14日)。津波の引き潮により多くの行方不明者も出した。
津波と地盤沈下で海中に水没した宮城県気仙沼市の建物(2014年3月8日)
宮城県東松島市の指定避難所を襲った津波の犠牲者(2011年3月17日)
津波で変わってしまった砂浜(2011年11月19日、千葉県銚子市

2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒(日本時間[8]宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル (km)(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した[9]。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0[10][注 2]で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。

震源域は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万平方キロメートル (km2) に及ぶ[11][12]。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した[13]。観測された最大加速度は宮城県栗原市のK-NET築館 (MYG004) 観測点で記録された2,933ガル[14]

名称

発生当日(3月11日)の16時20分に気象庁は、この地震現象に対して「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」(: The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake)と命名した[15]。これに対し、メディアや組織・団体は、地震による津波や原子力事故などの災害に着目して、「東日本大震災」や「東北関東大震災」などの呼称を任意に用いていた。

同年4月1日に、日本政府菅直人内閣)は持ち回り閣議で、福島第一原発事故を含め当地震によってもたらされた一連の災害を指す名称を「東日本大震災」とすることを了承し、内閣総理大臣菅直人が平成23年度予算成立を受けての記者会見で発表した[16][17][18]。これ以降、自然現象としての「地震」を指す「東北地方太平洋沖地震」と、それにより引き起こされた「震災」を指す「東日本大震災」という2つの用語が並立した。ただしメディアにより、地震およびその活動を指して「東日本大震災」の名称を用いる、または福島第一原発事故を東日本大震災と切り離して単独の事象として取り上げる記事も多い。なお、気象庁は、自然現象としての「地震」の名称と、それにより引き起こされた「震災」の名称を区別している[19]

政府による災害名統一以前に使用されていた、震災の主な名称として以下のものがある。「大震災」だけではなく、「大地震」や「巨大地震」も震災を指して使われていた。

閣議によって震災の名称が決定したので、日本赤十字社の義援金受付口座名も変更された。

また、地震とそれに伴う津波に対して、地元紙を中心に一部で「明治三陸地震」「明治三陸津波」や「昭和三陸地震」「昭和三陸津波」にならい「平成三陸(大)地震」「平成三陸(大)津波」の呼称を使用している[46][47][48]。ただし、政府など公的機関が定めた名称ではない。

被害

映像外部リンク
地震の発生から津波の到達まで(提供:一般社団法人大船渡津波伝承館) - 岩手県公式動画チャンネル

この地震により、場所によっては波高10メートル (m) 以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方関東地方太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した[49][50]。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象地盤沈下ダムの決壊などによって、北海道南岸から東北地方を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラが寸断された。カメラ付き携帯電話スマートフォンなどの普及で数々の映像や写真が克明に記録され、沿岸部の街を津波が襲来し破壊し尽くす様子や、福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生は、全世界に大きな衝撃を与えた。

2023年(令和5年)3月1日時点で、震災による死者・行方不明者は2万2318人、建築物の全壊・流失・半壊は合わせて40万6067戸[4]が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は約47万人[51]停電世帯は800万戸以上[52]断水世帯は180万戸以上[53]などの数値が報告されている。復興庁によると、2024年2月1日時点の避難者などの数は2万9328人となっており[54]、避難が長期化していることが特徴的である。

日本国政府は、震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している[58]。この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては史上1位としている[59]

死傷者

平成23年東北地方太平洋沖地震による都道府県別死者・行方不明者数(2011年7月17日現在)[60]
都道府県別で犠牲者数が最多であった宮城県では火葬の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な土葬)が行われた。(宮城県石巻市、2011年6月7日撮影)

警察庁は、2023年(令和5年)2月末時点で、死者は12都道県で1万5900人(岩手4675人、宮城9544人、福島1614人、茨城24人、千葉21人、東京7人など)、行方不明者は6県で2523人(岩手1110人、宮城1213人、福島196人など)、東北の被災3県でいまも身元のわからない遺体は53人(岩手47人、宮城6人)と発表している[61][62]。消防庁によると、負傷者は6242人[4]。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは第二次世界大戦後初めてであり[63]明治以降でも関東大震災明治三陸地震に次ぐ被害規模であった(震災関連死を除いた比較)[5]。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した[60]

人的被害
(2023年3月10日 時点)[60]
都道府県 死亡 行方不明 負傷
00/合計 15,900 2,523 6,157 24,582
01/北海道 1 - 3 4
02/青森県 3 0001 112 116
03/岩手県 4,675 1,110 213 5,999
04/宮城県 9,544 1,213 4,145 14,903
05/秋田県 - - 11 11
06/山形県 2 - 29 31
07/福島県 1,614 0196 183 1,993
08/茨城県 24 0001 712 737
09/栃木県 4 - 133 137
10/群馬県 1 - 42 43
11/埼玉県 - - 45 45
12/千葉県 21 0002 263 286
13/東京都 7 - 117 125
14/神奈川県 4 - 138 142
15/新潟県 - - 3 3
19/山梨県 - - 2 2
20/長野県 - - 1 1
22/静岡県 - - 3 3
24/三重県 - - 1 1
39/高知県 - - 1 1

死者の内訳と死因

警察庁は2012年3月11日までに、岩手県、宮城県、福島県で検死された1万5786人の詳細を発表した。

年齢
  • 0 - 9歳:2.95%(496人)
  • 10 - 19歳:2.65%(419人)
  • 20 - 29歳:3.26%(515人)
  • 30 - 39歳:5.37%(847人)
  • 40 - 49歳:7.07%(1,116人)
  • 50 - 59歳:11.93%(1,883人)
  • 60 - 69歳:18.66%(2,945人)
  • 70 - 79歳:23.81%(3,759人)
  • 80歳以上:21.42%(3,381人)
  • 年齢不詳:2.48%(392人)
男性【7,360人 (46.62%)】女性【8,363人 (52.98%)】性別不詳【63人 (0.40%)】
死因[64]
  • 溺死:90.64%(14,308人)
  • 圧死等:4.23%(667人)
  • 焼死:0.92%(145人)
  • 不詳:4.22%(666人)
この震災での犠牲者の死因のほとんどが、津波に巻き込まれたことによる水死であった。津波の中には、大量の砂や海底のヘドロ、港湾施設の重油などの有害物質などが含まれていた。砂などの異物がに入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵し、その場合ほとんど助からなかった。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、がれきが当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ったりなど、様々な経緯もあったと考えられる。
圧死、損傷死も、ほとんどが津波によるがれきが要因とみられる[65][66]
建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人、茨城県18人、宮城県13人、東京都7人など、分かっているだけで90人に上る[67]

岩手、宮城、福島の3県では、腕や脚などが見つかり身元が判明したものの、頭部未発見のために死者に計上されていない人が2016年6月10日時点で171人いる。「親指だけ見つかっても、亡くなっているとは限らない」などの理由による。この数を行方不明者数から除外するかどうかは3県で判断が分かれている[68][69]

静岡大学防災総合センターは、津波の浸水範囲の居住者数に対する死者、行方不明者数の割合をまとめ、明治三陸地震と比較した。それによると、最大は宮城県女川町の11.97%、次いで岩手県の大槌町陸前高田市でともに11.72%となった。明治三陸地震については、浸水域ではなく市町村の人口に対する犠牲者の割合を出したが、岩手県釜石市で約50%になるなど11市町村で15%を超えており、今回の津波では防災対策に一定の効果があった可能性がある[70][71]

震災関連死

東日本大震災では避難所の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する例(震災関連死)が高齢者を中心に相次いでいる[72][73]復興庁では震災関連死の死者を「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義している[74]。復興庁によると、2023年3月末時点での集計で3,794人(福島県2,337人、宮城県931人、岩手県470人など)が震災関連死に認定されている。死亡した時期別にみると、震災発生から1週間以内は472人、8日後以降1か月以内は743人、2か月目以降1年以内は1,587人で、5年目でも105人いる[75][76]。福島県内の震災関連死による死者数は地震や津波による直接死者数を上回っている[77]。福島県の震災関連死の大部分は、原発事故の避難の影響で体調が悪化するなどして死亡した「原発関連死」とみられ、『東京新聞』の2016年3月時点での集計によると、福島県内の少なくとも1,368人が原発関連死であった[78]

原子力発電所事故

原子力事故の収束に向けた作業が続く福島第一原子力発電所(2011年4月13日、福島県双葉郡

地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、1 - 5号機で全交流電源を喪失した。原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置づけられている。同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域[79]」「居住制限区域[80]」も設定された(→福島第一原子力発電所事故の影響)。そのほか、火力発電所などでも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施された[81]。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施されたほか、翌2012年の夏前には関西電力管内でも大飯発電所(大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。

東日本大震災被災地には、福島第一のほか、以下の原子力発電所があった。いずれも結果的に重大な原子力災害には至らなかったが、外部電源喪失、非常用発電機の破損、原子炉冷却用海水ポンプ[注 3]の破損など、重大な原子力災害一歩手前に追い込まれる発電所もあった。このうち福島第二原子力発電所では、第一原発と同様に冷却機能を喪失し、原子力災害対策特別措置法に基づく10条通報原子力緊急事態宣言発令に至った。

建造物

消防庁は2023年3月1日時点、全壊12万2039戸、半壊28万3698戸、一部破損75万0020戸の被害が出たと発表している[4]

各種施設

千葉県市原市の「コスモ石油千葉製油所」LPGタンクが爆発炎上[82]、この影響で近隣の劣化ウラン保管施設に延焼[83]したほか、東北地方や茨城などでは、多くの製油所工場で被災して操業を停止し、産業界にも幅広く影響が出た。また、北海道・東北・関東の多くの文教施設で、建物の損壊や浸水などの被害が発生した[84]文化庁により被害が確認された文化財は744件であった[85]

サプライチェーンの被害

  • 自動車用燃料噴射システムなどを製造するケーヒンが被災し、現地仕入れ先4社が被災した。供給を受けていたホンダが一時操業停止した。
  • 自動車エンジンオイルシールの国内シェア1割を持つNOK福島工場(福島市)が被災した。特に大きな被害はなかったがインフラ停止のため20日ほど操業を停止した。
  • シリコンウェハーの世界シェア6割をもつ2工場、信越半導体白河工場(福島県西郷村)とSUMCO米沢事業所(山形県米沢市)が操業停止した。
  • 自動車用マイクロコンピュータ[注 4]大手のルネサスエレクトロニクス那珂工場(茨城県ひたちなか市)が被災した。復旧に1年から2年の期間がかかると言われたが、完成車メーカーや半導体製造装置メーカーなどから赤字覚悟で応援が出て延べ17万人が協力し、80日で復旧した。
  • 建築ガラスの3割を生産する旭硝子鹿島工場(のちのAGC)がある(鹿島臨海工業地帯)が被災した上、神栖市にある専用港も破壊された。
  • 国内最大のタイヤ工場である住友ゴム工業白河工場(福島県白河市)が破壊された。
  • 日量80万トン (t) の用紙生産をする日本製紙石巻工場が被災した。他にも岩沼工場(宮城県岩沼市)、勿来工場(福島県いわき市)も被災した。さらに津波で紙が流れ、泥と混ざり干上がった田んぼの土のようにひび割れが発生した[86]
  • 日本の石油化学製品の一次原料であるエチレンの1割(80万t)を生産する三菱化学(現三菱ケミカル)鹿島事業所(茨城事業所)が被災した上、コスモ石油千葉製油所の火災による影響を受けた丸善石油化学千葉工場のエチレン生産がストップした。鹿島コンビナートには三菱化学からエチレンの供給を受けている工場が20社以上ある。
  • 甲状腺機能低下症治療薬「チラーヂンS」国内流通の98%を製造販売していた、あすか製薬いわき工場が被災し、生産がストップした。
  • キリンビールの仙台工場が被災し、本格稼働まで1年かかった。
  • 三菱製紙八戸工場(青森県八戸市)が被災した。復旧は11月。
  • 日産自動車いわき工場が被災、復旧は5月。

液状化現象および地盤沈下

関東・東北地方の広い範囲で液状化現象が発生し、千葉県千葉市美浜区浦安市香取市我孫子市、東京都江東区江戸川区神奈川県横浜市八景島周辺、茨城県ひたちなか市・潮来市、宮城県大崎市江合川周辺などで、建築物の傾斜や断水、ガス供給停止、水田への土砂の堆積などの被害が生じた[87][88][89]。東京湾岸の埋立地や千葉県北東部から茨城県鹿行地域南部にかけての利根川沿い(水郷地帯)での被害が目立ち、自治体により液状化の危険度が低いと認定されていた地域でも被害が発生した[87]

東北地方から関東地方北部の太平洋沿岸では地震に伴う地盤沈下により、海岸河口付近などで浸水や冠水のおそれが出ている[90]。宮城県石巻市塩富町では、満潮時に町全体が水没している[91]。また津波によって東北・関東の6県で2万3600ヘクタールの農地が流失または冠水しており、塩害も発生したため、がれきの撤去や土中の塩分の除去が進められた[92][93][94]

火災

津波被害の大きかった宮城県を中心に、330件の火災が発生した[95][96]。そのうち、出火原因の159件(約40%)が津波火災[97]、約30%が電気火災であった[98]。また、停電下の避難中に灯りとして使用していた蠟燭などからの火災による死者も報告されている[99]。他に、数日から数週間後に堆積していたがれきがバクテリアなどによる発酵で加熱して発火[100]した事例や、海水に浸水した車両の電装部が劣化して発火した事例も報告された[99]

津波火災
大津波によって倒壊した建造物や車両ががれきとなって内陸部に押し込まれ、浸水域の端や地形や風の影響で堆積(集積)した箇所では、がれきが内在している暖房用石油燃料(灯油重油)タンク、ガスボンベ、自動車用燃料タンクから漏出した可燃物質に何らかの火花が原因となって発火した。特に、切れ目なく積み重なったがれきは市街地から山林へと延焼を拡大させた。また、延焼しているがれきが海上を漂流し、対岸や離れた場所にも拡大した[99]。住民や消防関係者への聞き取り調査を行った結果からは、津波火災現場では消防水利確保や移動手段の確保が困難で、津波や延焼に巻き込まれる二次被害から逃れるため、消火作業を中止し現場を放棄せざるを得ない状況が生じ、火災が急速に拡大していった[101]
地震火災
過去に発生した地震による火災と同様に、倒壊した家屋や建造物中の暖房器具、調理器具、電気配線や破損した電気器具が停電の復旧(復電)後に発火して火災となった[99]

交通

道路

崩落した鹿行大橋(2011年3月27日、茨城県行方市

警察庁は2019年12月10日時点、4,198箇所で道路の損壊があったと発表している[60]。岩手県山田町の船越半島や宮城県の南三陸町牡鹿半島などにつながる道路が寸断され、岩手・宮城・福島の3県で少なくとも1万6000人が孤立した[102][103][104]。また、茨城県では北浦に架かる鹿行大橋の一部が崩落した[105]首都高速道路でも湾岸線を中心に被害が発生し[106]、高架橋に破損箇所が発生した新木場出入口 - 葛西ジャンクション間が3月22日、大黒ジャンクション連絡路が3月27日まで通行止めとなった。

東日本高速道路(NEXCO東日本)管内の高速道路では、広範囲の路線で通行止めとなった。東北自動車道浦和インターチェンジ - 碇ヶ関インターチェンジ間、秋田自動車道釜石自動車道八戸自動車道の一部、常磐自動車道三郷ジャンクション以北[注 5]磐越自動車道津川インターチェンジ以東などが公安委員会により緊急交通路に指定され、緊急車両専用となった[107]。3月24日6時に全区間で通行止めが解除され、一般車両の通行が可能となったが[108]、常磐自動車道の広野インターチェンジ - 常磐富岡インターチェンジ間は、福島第一原子力発電所事故の旧警戒区域内であるが、2014年2月22日、3年ぶりに再開通(通行再開)した。当初2011年度に予定されていた常磐富岡インターチェンジ - 相馬インターチェンジ間は、開通が延期された。なお、旧警戒区域外の南相馬インターチェンジ以北が2012年4月8日に先行開通した。その後、浪江インターチェンジ - 南相馬インターチェンジ間は2014年12月6日、常磐富岡インターチェンジ-浪江インターチェンジ間も2015年3月1日に開通し、この日をもって常磐自動車道は全線開通した。

東北地方整備局は沿岸部の都市への救援のためくしの歯作戦を実行した。

2019年6月時点、福島県浪江町請戸の旧請戸小学校近くの道路には津波の引き波によるアスファルトの表層部分の変位(海側へのずれ)が明瞭に残っている。東北地方太平洋沖地震による津波の痕跡がこのように見られる場所は非常に限られており、防災学習などの分野としても貴重である[109]

鉄道

津波により駅舎が全壊した新地駅(2011年4月4日、福島県相馬郡
津波により落橋したJR気仙沼線の津谷川橋(2011年4月6日、宮城県気仙沼市

東日本旅客鉄道(JR東日本)管内の東北新幹線では、仙台駅など5つのが被害を受けたほか[110]電柱架線高架橋橋脚など約1,100箇所が損傷した[111]。また、気仙沼線など在来線7線区で23駅が流失、線路が約60キロメートルにわたって流されるなどの被害が発生した[112]

三陸鉄道北リアス線南リアス線が線路流出や高架橋の決壊などで、一時全線不通となった。その後、復旧工事が進められ順次営業を再開し[113]、2014年4月5日に南リアス線、翌6日に北リアス線が全区間で営業運転を再開した[114]。このほか、仙台空港へ押し寄せた津波により仙台空港鉄道仙台空港線仙台空港駅も甚大な被害を受けた。

地震発生直後より、JR東日本は新幹線と在来線の運転を終日運転見合わせ、関東・首都圏では私鉄地下鉄の全線が運行を停止した[115]。このため、職場などから自宅へ帰宅することが困難となった帰宅困難者が首都圏で推計約515万人発生[116]、そのうち自治体が用意した待機場所で11万人以上[117][118]、国などの公的施設も待機場所として開放され、そこでも多数が交通機関復帰まで留まった[119]。首都圏の鉄道各線の運転再開時刻については「東日本大震災による帰宅困難者#首都圏の鉄道会社への影響」を参照。また、3月14日からは計画停電の影響などにより、各路線で列車の運休、減便などが行われた[120][121][122]

航空

津波の影響で泥水が堆積している仙台空港(2011年3月13日、宮城県名取市)

仙台空港滑走路が津波で冠水し、空港ターミナルビルも大きな被害を受けたため、離着陸を停止した[123][124]。津波により1階は完全に水没し、助けを待っていた約1,200人が孤立していたが、13日にほぼ全員が救出された[125]。また、ターミナルビルのほか、空港設備・作業車両なども大きな被害を受けた。津波により空港に駐機、および地上施設内で整備中の航空機がほぼ全滅することとなった[注 6]。これらの被害機の中には、海上保安庁の第二管区海上保安本部仙台航空基地所属の航空機が多数含まれている。

4月13日から日本航空が国内線の一部で1か月ぶりに運航を再開し[126]、7月25日に約4か月半ぶりに国内線定期便の運航を再開[127]。9月25日には空港ビルも完全復旧し、国際線定期便の運航が再開された[128]。仙台空港の機能回復のため国土交通省では、排水路などの障害物の除去による自然排水の促進のほか、国土交通省が全国に配備している排水ポンプ車25台を集め、3月20日より広範囲の浸水解消を重点的、機動的に実施した[129]

花巻空港(岩手県)は旅客の対応が当面不可能として定期便の運航を停止し、緊急輸送のみを対象に3月11日18時50分から運用を再開した。三沢空港(青森県)も18時50分に運用を再開した。福島空港はタワーのガラスが全壊したものの運用可能であったため、閉鎖された仙台空港の代替として関西札幌北海道)と結ぶ臨時便を運航することになった。山形空港は停電で運用を停止していたが、3月12日4時から運用を再開し、臨時的に24時間運用を開始した[130]。茨城県小美玉市茨城空港はターミナルビルの天井の一部が落下[131]。3月12日には空港を閉鎖し、全ての便が欠航になった[132]。茨城空港は14日から定期便の発着を再開し、花巻空港も17日にターミナルビルの営業を再開した[133]

空港内の震度計が震度5強を記録し、長距離を飛行して燃料残量が少ない多数の国際線航空機が向かっていた[注 7]成田国際空港千葉県成田市)や、震度5強を記録した東京国際空港東京都大田区)安全確認のために地震発生直後にすべての離着陸を中止、空港を閉鎖したため、両空港に向かっていた航空機86機が降りられなくなり、中部国際空港愛知県常滑市)や関西国際空港大阪府泉佐野市)、新千歳空港北海道千歳市)や横田基地東京都立川市昭島市福生市武蔵村山市羽村市瑞穂町)へダイバート(代替着陸)した。茨城空港も滑走路には異常がなかったことと、自衛隊共用であるため有事の際には航空自衛隊の援助が受けられるとして2機を受け入れている[注 8]。なお、このうちの14機は燃料不足で「緊急事態宣言」を出した。羽田空港は一部の施設に損傷が確認されたものの当日中に安全が確認され再開されたが、旅客ターミナルや施設の一部に損傷が起きた成田空港の再開は12日朝に持ち越された。しかし、京成電鉄とJR東日本が12日午後まで運休となった上、東京の都心部との間のリムジンバスの運行も12日夜まで運休するなど成田空港への公共交通機関によるアクセスが一時的に断絶した。なお、福島第一原子力発電所事故発生後に国際民間航空機関 (ICAO)、国際航空運送協会 (IATA)、および世界保健機関 (WHO) から、日本への渡航について「健康上のリスクは認められない」とする声明が出された[134]にもかかわらず、ルフトハンザドイツ航空アリタリア-イタリア航空などの一部の外国航空会社が、放射能の影響や余震を恐れて成田空港への発着便を中部国際空港や関西国際空港への発着に切り替えた。

輸送

震災によって道路・線路などの交通網が被害を受けたことから、郵便運送などにも大きな影響が出ている。

石油

震災の影響により、東北・北関東太平洋岸に立地する2製油所JX日鉱日石エネルギー仙台製油所鹿島石油鹿島製油所)および16油槽所のすべてが稼働停止または出荷不可能状態となり、京浜・千葉地区においても7製油所の内4製油所が稼働を停止し、国内原油処理能力(約450万BD)が約3割(約140万BD)減少した。加えて、東北6県でサービスステーション約220箇所が被災により営業困難となり、また、石油製品輸送用タンクローリー約150台被災するなど多大な被害が発生した[135]ことで、被災地は深刻な燃料不足に陥った。

政府は当初石油の生産量の方に気を取られており、石油の物流の問題への対応が遅れた[136]。3月17日になり海江田万里経済産業大臣は「タンクローリーを西日本から300台移す」と発表。同日、JR貨物によりJX日鉱日石エネルギー根岸製油所から日本海側の鉄道路線を利用し盛岡貨物ターミナル駅への石油列車の運行が行われる。3月23日には国鉄DD51形ディーゼル機関車二重連での磐越西線経由による郡山オイルターミナルへの石油輸送も行われた[137]。3月19日には仙台港に入港した海上自衛隊輸送艦おおすみ灯油入りドラム缶70本(14kl)を輸送したほか、3月21日には仙台塩釜港塩釜港区油槽所にオイルタンカーの第一船が入港している。また3月23日までに被災10港で暫定の航路が確保され、海上からの緊急物資の搬入が可能となった[138]

水道

震災直後は、宮城・岩手・福島・茨城の4県を中心に北海道から愛知県まで広範囲にわたり、17道県の少なくとも約140万戸で断水が発生した。各地の水道事業者などで作る日本水道協会は、全国の応急給水車約210台に、東北・関東両地方の被災地への派遣を要請[139]中部近畿中国四国九州の主に西日本側の自治体の給水車が被災地へと派遣された。

物流

配送停止により商品が激減したコンビニエンスストア(2011年3月11日、東京都足立区で撮影)

東北地方を中心に100局以上の郵便局に建物全壊や浸水などの大きな被害が出ており、また長野県北部地震によるものや被害規模の小さいものも含め約600局の郵便局に被害が出た[140][141]。このほか簡易郵便局、集配センターなどの郵便ネットワーク施設や、それら施設などで郵便業務に従事する者にも多くの被害が出た[140][141]かんぽの宿松島には津波が3階まで押し寄せたが、130人以上の避難者とともに4階に移動し、12日には全員が救出された[140]。また、青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県で郵便物の配達が困難になり、北海道・東北6県・茨城県を差出元・差出先とする宅配便の引き受けを中止した[142]

ヤマト運輸は3月11日、北海道および東北6県への全商品の荷受け・集荷および関東への低温宅配サービスなどの荷受けを中止した[143]佐川急便も北海道・東北行きの集荷と関東行きの一部集荷を見合わせた[144]日本郵船は、貨物船3隻が福島県で津波の被害に遭った[143]

電子商取引大手のアマゾンジャパンは、同社の流通設備における地震被害により、速達サービスを停止するとともに、北海道および東北への商品配送を停止した[145]

電力

地震直後、東北電力管内では、青森県・岩手県・秋田県の全域、山形県・宮城県のほぼ全域、福島県の一部で合わせて440万戸、東京電力管内では茨城県全域などの404万6千戸が停電した[52]。その後、東京電力では3月19日1時までに停電が解消した。東北電力管内では、4月7日16時までに停電世帯は16万戸まで減ったが、7日夜に起きた余震の直後に再び401万戸が停電した[146]

複数の発電所が停止したことによる電力不足を受け、東京電力管内では地域を分けて順に停電させる輪番停電(計画停電)が3月28日まで実施された。夏場には電力需要の高まりから再び電力不足が予想されたため、東京電力と東北電力の管内で大口需要家へ15%以上の節電を義務付ける電力使用制限令が発動され、節電努力により計画停電は回避された。しかし事故の影響から、定期検査に入った各地の原子力発電所の再稼働を地元の自治体が認めなくなったため、全国の原発が次々と運転を停止。関西電力九州電力北海道電力などでも夏季と冬季を中心に電力不足となって節電が呼びかけられた。

通信

アジアの通信各社では、インターネット電話に使用される海底ケーブルが一部損傷を受けた[147]東日本電信電話(NTT東日本)は、地震の影響で電話が集中し、交換機の処理能力を超える恐れがあったため、最大90%の通話規制を実施した。また被災地周辺の公衆電話を無料で利用可能とした[148]NTTドコモ・東北支社は、携帯電話の無料充電や衛星携帯電話の貸与などのサービスを提供した。停電によって機能停止した携帯電話基地局は備えつけの自家発電により継続稼働させたが、停電が長時間に及んだため自家発電施設の燃料が枯渇、相次いで停波し通信サービスが停止した[149]。そのため、移動電源車や可搬型発電機を配備した[150]

移動体通信各社では通信障害により電話がつながりにくい状況が生じ、音声通話についてNTTドコモでは90%、KDDIでは95%、ソフトバンクテレコムでは70%の通信規制を実施した[149]。音声通話の通信規制が続く中、インターネットを使った情報交換が活発となった。Twitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) では、被災者に対する呼びかけや、ボランティアや人道支援に関する呼びかけ、医師による健康相談などが行われた。また、東京電力の電気供給能力の不足による停電の恐れがある中、節電を呼び掛ける活動も行われた[151]。一方で、情報交換の容易さからデマ情報も多く発信され、問題となった[152]

また、一部のアマチュア無線にて7030KHzにて非常通信が行われ、情報伝達などの協力を行った。

宗教

伝統宗教新宗教ともに施設に被害を受けている。神社の被害報告は4,818件に上り、これは本殿の全壊・半壊を含む[153]。国の登録有形文化財であった日本基督教団福島教会は被災後、修復費用が膨大になったことから取り壊された。

宗教法人や宗教家は震災直後から被災者への支援に乗り出しており、金銭・物資の提供、信者によるボランティア、宗教施設の避難所としての開放などが続けられた。新宗教の中には多額の義捐金を出したところもある[154]

宗教学者の山折哲雄は、橋本五郎との対談で、ある意味「精神的末法」である震災後の世界の中での宗教の役割を問われ、「阪神大震災(1995年)、東日本大震災の両方で宗教者は一生懸命やっていてもボランティアと同じレベルだった」という。「SNSが肥大化し、宗教者の言葉が現代の人々に届かなくなっているが、しっかりした言葉を発して欲しかった」とする[155]

地域別の被害状況

東日本大震災により、多数の殉職者が出た。消防隊員および消防団員262名、警察官25名、自衛官2名のほかにも、役場の職員、教職員、医療機関や介護施設の職員などを含めると、津波により数百名が在職中に犠牲になった。

特に多くの人が亡くなったのが地域の防災支援ボランティアの役割を持つ消防団員[注 9]で、発生時刻が平日の昼間の時間帯であり、地震から津波襲来までの時間に、防災マニュアル通りに防潮堤や水門閉鎖などの業務に従事したり、住民の避難誘導や情報収集、逃げ遅れた住民の救助などにあたったり、災害対応のため詰所へ参集途上の消防団員254人(2023年3月1日時点[4])が死亡ないし行方不明となった[156][157][158]

2011年7月14日15時 (JST) 時点で、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っていた[159]

青森県

青森県内での死者の数は八戸市で1名、三沢市で2名の計3名、行方不明者は八戸市の1名であった。いずれも地震に伴い発生した津波によるものである。負傷者は、重傷者18名、軽傷者77名の計95名であった。

私立学校関係の被害は、3市町16校(園)に及び、その被害額は約9,000万円であった。このうち、幼稚園が1市7園、約300万円、中学校が1市1校、8万円、高等学校が1市5校、約8,500万円、専修学校が3市町3校、約200万円となっている。

県庁舎関係の被害額は約100万円であった。このうち、県庁舎が約50万円、合同庁舎が約50万円となっている。県庁舎では、南棟、東棟に廊下のひび割れや床の一部破損などが生じたほか、西棟立体駐車場でも車両の入庫ができない程度の破損が生じた。合同庁舎では、むつ合同庁舎に被害が見られ、壁のひび割れなどが主なものである。

廃棄物処理施設関係では、八戸地域広域市町村圏事務組合のし尿処理施設2施設の地下ポンプ室が津波により冠水し、その被害額は約11億8,100万円であった[160]

岩手県

岩手県の被害は津波によるものが中心であった。被害が特に大きかったことから宮城県、福島県とともに被災3県として総称される。

岩手県沿岸は海岸線近くまで山地が迫り、平地が狭いという地形のため、津波による浸水面積は58km2と3県では最も小さかった。しかし、その狭い平地に漁港と市街地が広がっていたため、浸水域の人口は約11万人であり、浸水域の人口密度は1,900人/km2と3県で最も大きかった。

県中南部は津波高が増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤防潮堤)の規模は日本随一であった。過去の津波の伝承や石碑(自然災害伝承碑)が至るところに残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。

陸前高田市では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ天井まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も13弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。

大槌町では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、町長であった加藤宏暉[161]を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。

釜石市では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元新日鉄釜石ラグビー部の選手で、釜石ラグビー協会会長であった佐野正文[162]マスターズ陸上で世界記録を持っていた104歳の下川原孝も犠牲となった[163]。また、ギネス世界記録にも認定されていた世界最深の釜石港湾口防波堤が破壊された[164]。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、「釜石の出来事(奇跡)」と呼ばれる津波教育の一部成功例もあった。市立釜石東中学校では、地震発生直後に生徒らが自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の鵜住居小の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれない教育のもと、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10 mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事[165]であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。

山田町では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。旧船越村では過去に高台移転をしていたのであるが、津波の記憶が薄れるにつれ低地に家が立つようになっていた[166]

宮古市の田老地区は、総延長2433 mのX字型、海抜10 mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。

大船渡市では、特別養護老人ホーム「さんりくの園」で62人が亡くなるなどし、延べ400人以上が犠牲となった。

この他に、野田村田野畑村でも甚大な被害を受けた。

宮城県

宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km2と浸水域の人口約33万人はともに3県最大であったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。

県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)がなされていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。

県中南部は単調な海岸線であったが、水深の浅い仙台湾で津波の速度が落ち、後の津波が追いついて津波高が増した。速度が落ちたため襲来まで1時間あったが、北部に比べて中南部は過去の津波が数百年前であり、住民の意識が低い中で想像だにしない津波に襲われた。平野が広がっていたため数キロメートル内陸まで浸水し、甚大な被害を受けた。

気仙沼市では、介護老人保健施設「リバーサイド春圃」で59人が、杉の下地区の住民が避難した海抜12 mの高台で93人が亡くなるなど、犠牲者は1,350人以上に及んだ。また、津波により漁船用燃料タンクが倒壊して広範囲に重油が流出して出火、大火災が発生し夜通し燃え続けた。火がついた大量のがれきが気仙沼湾内を漂い、東北最大の有人島である大島にも燃え移り、島民たちが総出で延焼を食い止めた。「津波火災」も参照。

南三陸町では、3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、入院患者107人中72人と職員3人が死亡。また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホーム「慈恵園」も1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となった。

女川町は震源に最も近いリアス式海岸の町の一つであり、猛烈な津波が町を襲い、中心部は海抜20mの高さまでほぼ水没、強い引き波により鉄筋の建物の倒壊も目立った。指定避難所であった町立女川病院(女川町地域医療センター)は、海抜16mの高台にあったにもかかわらず、1階が完全に水没した。七十七銀行女川支店では屋上に避難していた行員13人が流され12人が亡くなるなど、犠牲者は約900人であり、浸水域人口に対する犠牲者率は当震災において最大の11.97%であった。一方で5階建ての生涯学習センターでは、屋根付近まで水没したにもかかわらず、鉄扉で密閉され窓もなかったボイラー室に避難した30人弱が無事であった。

石巻市は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。

市内北東部、リアス式海岸にあたる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸はほぼ完全に壊滅した。雄勝湾の最奥狭部の入り江に立地した3階建ての雄勝病院は、職員が入院患者を屋上まで搬出しようと奮闘したものの、その屋上を数メートル超える津波により入院患者40人全員と職員30名中24名が死亡または行方不明[167]北上川河口北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけであった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する石巻市立大川小学校(旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった[168][169]

市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きのとれない交通渋滞が発生し、そのまま津波に呑まれて犠牲になる者も非常に多かった。前市長であった土井喜美夫も犠牲となった[170]

東松島市では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロメートル弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ。野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。その一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が自宅裏の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「佐藤山」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた[171][172]

多賀城市は仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。

仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口[173]を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていたため[174]、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある仙台市消防ヘリポートも被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。

名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋で地震の揺れにより大型トラックが荷崩れし、対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生し通行止めとなったことで地区内で渋滞が起こったことも、犠牲者を増やす要因となった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。

岩沼市は市域の48%が浸水して200人弱が、亘理町でも町域の48%が浸水して300人弱が犠牲となった。仙台市や名取市同様に中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部の集落が壊滅した。亘理町では元女子サッカー選手の佐藤恵利子[175]も犠牲となった。

山元町では町域の38%が浸水した。養護老人ホーム「梅香園」と併設するケアハウスで82人が犠牲になり、また常磐山元自動車学校の送迎バス5台が津波に飲まれ、教習生と教官の39人が犠牲になるなど[176]、700人弱が犠牲となった。

このほか、七ヶ浜町でも甚大な被害を受けた。

一方、松島町塩竈市は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは浦戸諸島とその奥にある松島湾内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される[177]。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微であったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。

秋田県

秋田県の被害は、建物の一部損壊6棟、負傷者12名を出したが東北6県で唯一死者がいない県となった。

山形県

山形県の被害は、死者3名、負傷者29名、建物の全壊が37棟、半壊が80棟であった。

福島県

福島県は、沖合の全域が震源域となり、宮城県や茨城県とともに激震であった。

津波の被害としては、浸水面積は112km2と岩手県を上回っている。しかし、福島県の沿岸部は湾や入り江がなく、遠浅の地形のために漁港に適さず、港を中心とした市街地形成が成り立ちにくい県であった(日本の漁港一覧によると、岩手県111か所と宮城県114か所に対して、福島県10か所)。沿岸市町村の中心市街地は、海岸線より数km内陸にあったため、浸水域人口は7万人弱、浸水域の人口密度は600人/km2と、ともに3県で最も少なく、犠牲者数も比例して少なく済んだといえる(ただし、浸水域の人口が宮城県の15で、犠牲者が16であるため、犠牲率でみるとほぼ同じである)。

福島県沿岸は、仙台市以南から千葉県まで続く遠浅で単調な海岸線であり、過去に津波の伝承すら皆無であったために、住民の意識が低い中で津波に襲われた。広大な震源域の中に存在した3か所の大きな断層破壊の1つが茨城県北部近海であり、福島県南部のいわき市にもっとも早く津波が到達して北上し、宮城県沖で発生して南下してきた津波の動きと複雑に交わったとみられる。福島第一原子力発電所付近(大熊町)で15 m、隣接する富岡町付近で20mと、周囲に比べても地形に特段の違いがないにもかかわらず極端に高い津波高を観測していることから、この付近では南北方向からの津波が増幅しあったと推測される。

漁港がある自治体で100人以上の犠牲者があり、相馬市で約450人、南相馬市で650人以上、いわき市で350人以上、浪江町で200人弱、新地町で100人以上が犠牲になるなど、甚大な被害を受けた。

このほか、双葉郡の双葉町大熊町富岡町楢葉町広野町の沿岸も大きな被害が出たが、沿岸集落がごく小規模かほとんどなかったため、それぞれ数十人の犠牲者であった。

双葉郡は漁港が未発達で産業に乏しかった過去から、積極的に東京電力の電力供給地となり、福島第一原子力発電所福島第二原子力発電所広野火力発電所と日本有数の電力供給源になっていた。震災により、日本がかつて経験したことのない全電源喪失による福島第一原子力発電所事故の発生へとつながっていく。

大熊町では、双葉病院に入院中の認知症患者と、隣接する老人介護施設の高齢者のうち227人が一時取り残された。原子炉が水素爆発して20 - 30km圏内の住民10万人以上が各地の避難所へ避難する混乱の中、132人は医師・看護師を同乗させないまま観光用バスに乗せられ、13時間かけて200km移動した。残りの95人は5日後に自衛隊によって救助されたが、最終的に50人が衰弱死した。

このように、福島県では強制的な避難によって避難所を転々とする中で高齢者が犠牲になる事例が多く、震災関連死の認定者数も最も多い。

また、福島第一原子力発電所事故により発生した放射性物質の拡散は双葉郡に留まらず福島県の広範囲に広がった。12日20時には25km北の南相馬市で20μSV/h、15日4時には40km南のいわき市で24μSV/hの最大値を計測した。晴れていたため風とともに通り過ぎる一時的な上昇であり、時間が経過するにつれて低減していった。放射性物質の放出は3月15日にピークを迎え、9時には正門付近で11,930μSv/hを計測した。15日午後には南東からの風に乗り、北西方面へと流れた。40km離れた飯舘村では16時に23μSV/hと急上昇し18時半には45μSV/h、伊達市を経由し、60km離れた福島市でも17時に22μSV/hと急上昇し19時半には24μSV/hを計測した。南東の風が長時間続き、高濃度の放射性物質が流れ込んでいる所に、不運なことに17時頃から県内各地で雨(雪)が降り始めたため、放射性物質は地面に落ちて土壌に沈着した。このため、北西方面に伸びるように深刻な土壌汚染を引き起こした。

飯舘村や伊達郡川俣町の一部は1か月後、伊達市の一部地域は3か月後に避難指定を受けたが、その指定から外れた福島市や伊達市などの中通り北部を中心に、母子避難や妊婦避難など数万人単位の自主避難者が発生することとなった。

地震の揺れ自体でも福島県は被害が大きく、犠牲者数も最も多かった。内陸の中通り地方でも被害が目立ち、白河市では六反山が大規模に崩落して13人が犠牲に、須賀川市では藤沼ダムの高さ18m、長さ133mの堤が一気に決壊し、約150万tの水が、樹木を巻き込んだ高さ2 - 3 mの鉄砲水となって1km以上離れた滝地区を襲い、8人が犠牲になった[178]。地震によるダムの決壊は日本初であり、世界的にも1999年の台湾921大地震で決壊した石岡ダムなどについで稀有である。また、郡山市では市役所の一部が倒壊して1人犠牲になるなどした。

この白河市から郡山市にかけての中通り中南部は他県の内陸市町村に比べて家屋損壊も際立っており、矢吹町では総戸数の30%の家屋が全半壊、鏡石町では総戸数の23%の家屋が全半壊、郡山市では2万戸が全半壊、これらはともに津波被害のない内陸市町村としては最大級であった。

また1か月後の4月11日には、いわき市南部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震(福島県浜通り地震)が発生(震度6弱)した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十kmにわたってそれぞれずれ動き、市内の至る所で断層(最大落差2m)の出現や土砂崩れ、地割れが相次ぎ4人が犠牲となった。

茨城県

茨城県は沖合が震源域となり、その上関東平野の弱い地盤も重なって、宮城県や福島県とともに広範囲で激震を観測した。

地震の揺れ自体による被害としては、震度6以上の揺れを観測した市町村は29市町村であり、これは宮城県26市町村、福島県33市町村と並んで多かった。NEXCO東日本の各インターチェンジに設置された震度計で震度6強相当以上を観測したのも、宮城県6地点と福島県6地点に次いで茨城県3地点であり、その中でも最大震度を観測したのは水戸南ICであった。

そのため、揺れによる家屋損壊も福島県と宮城県に次いで大きく、犠牲者数も福島県に次ぐ多さであった。

東海村常陸那珂火力発電所の煙突200m付近で作業員9人が作業中であったが、鋼鉄製の床板とともに転落した4人が犠牲に、行方市では鹿行大橋が崩落して1人が犠牲になるなどした。

津波の被害としては、浸水面積は23km2であり、福島県と接する北茨城市で犠牲者が出た。また、高萩市日立市ひたちなか市大洗町神栖市などで市街地が浸水した。

液状化現象の被害も広範囲であり、特に霞ヶ浦・北浦南岸から利根川下流一帯の潮来市、神栖市、鹿嶋市稲敷市などで被害が大きく、1万戸弱が被害を受けた。

小美玉市与沢にある茨城空港空港ターミナルビルでは、設置した吊り天井が崩落する被害が発生した。

千葉県

東日本大震災で落下し壊れたに書きこまれた応援メッセージ(千葉県香取市佐原)

津波の被害としては、浸水面積は17km2であり、旭市で14人の犠牲者(行方不明者2人)が出た。また、銚子市山武市など北東の沿岸部が浸水、山武市で1人の犠牲者を出した。

東京湾岸の埋立地利根川河川敷で液状化現象が相次ぎ、浦安市では市内の85%が液状化し[179]、中町・新町地区で住宅や電柱の傾き、地割れ、陥没などが起こった。水道断水約4,000戸、下水道使用制限約11,900世帯、都市ガス供給停止約5,800件であり、市は被害額734億円と推計している(3月21日時点)[180]千葉市でも美浜区を中心に1,906戸[181]我孫子市布佐(ふさ)東部地区[注 10]では119棟の家屋が全壊扱いとなり、2012年1月時点での倒壊恐れのある約50棟に解体を要請したが、修理して住み続ける人もいる[注 11][182]

歴史的建造物への被害も多く香取市佐原(震度6)にある伊能忠敬旧宅[注 12]、歴史的建造物が並ぶ小野川の護岸が一部崩れ、正文堂書店の屋根瓦が落ちる被害[183]、旭市の大原幽学遺跡旧宅で敷地の地割れや地盤沈下、佐倉市旧堀田邸は漆喰に亀裂が入り、市川市法華経寺では法華堂の天蓋の飾りの一部が落ちる被害が発生した[184]

印西市(震度6弱)で負傷者7名、建物全壊12棟、半壊56棟、一部損壊874棟[185]市原市にあるコスモ石油千葉製油所では大規模なコンビナート火災が発生した。

東京都

東京都江東区新木場での液状化(2011年3月12日)

東京都では、千代田区にある九段会館の天井仕上げ材の一部が崩落して2人が犠牲に、江東区の金属加工工場では化学薬品トリクロロエチレンを含んだガスが充満し、吸い込んだ従業員2人が犠牲に、町田市にあるコストコ多摩境の駐車場のスロープが崩落して男女2人が犠牲になる[注 13]など計7人が死亡した[60]。津波による死者はいなかった。

また、江東区青海の国土交通省青海総合庁舎で火災が発生したほか、江東区新木場江戸川区清新町などの埋め立て地を中心に液状化現象が発生した。

栃木県

栃木県では、芳賀町にある本田技術研究所が崩れて男性1人が犠牲に、那須烏山市神長地区で夫婦が山崩れに巻き込まれて2人が犠牲に、日光市で女性が屋根から落ちて脳出血を起こして1人犠牲になるなど計4人が死亡した[187][188]

真岡市反町では数か所で地震の影響による液状化現象が発生し、割れ目からが噴出した。液状化が起こった地域はかつて旧河川あるいは河岸であった場所であり、農地の下には砂の層で広がっているからであるという。

宇都宮市では、板戸地区で国道408号線沿いにある地山が土砂崩れを起こし、道路が封鎖されるなどの被害が出た。

那須塩原市国道400号線では、地震の影響で落石が発生し通行止めになる被害が出た。

栃木市岩舟町では、霊山岩船山の西側の峰がV字に崩れ、さらに別の部分でも山肌が崩れるなどしたが、人や家屋に被害はなかった。

那珂川町では県内の主要道の一つである栃木県道52号矢板那珂川線にある新那珂橋が地震の影響で橋脚10基のうち4基の頭部に亀裂が見つかりうち2か所は沓が破断、上部工も破損しているなどの大きな被害[189]を受け、撤去されることとなった[190][191]

真岡市の井頭公園一万人プールが震災の影響でウォータースライダーを支える支柱や配管などが壊れ営業が中止になり、2013年には完全復旧した[192]

歴史的遺産の被害としては益子町地蔵院の歴代宇都宮氏の墓所にある戦国大名下野宇都宮氏17代当主宇都宮成綱、18代当主宇都宮忠綱五輪塔が被害を受けた[193]。また、さくら市では観光スポットである喜連川城城跡にあるお丸山公園が地震の影響により敷地内に700メートルにわたる大規模な亀裂が生じたほか、公園内の各種施設が損壊するなどの被害を受け、立ち入り禁止となってしまった。現在は土地部分の復旧はしているが喜連川スカイタワーなどの施設はまだ復旧のめどが立っていない[194]。日光市にある日光田母沢御用邸記念公園では石積みが破損するなどの被害が出た。

神奈川県

神奈川県では震災の影響で停電が相次ぎ、停電による酸素吸入装置の停止で女性1名が死亡したほか、横浜市藤沢市川崎市にて避難中などに転倒し女性2名、男性1名の死亡が確認されている。また、横須賀市で火災が2件発生し、男女2人が死亡している。計画停電で信号機が停止した厚木市内の県道交差点で、オートバイとワゴン車が衝突するなど、この死亡事故を含め、計画停電で信号機が止まった影響による事故は37件(人身12件、物損25件)となった。建物被害は横浜市内で多発し、住宅と住宅以外の建築物の被害は少なくとも198棟であった(建物全壊1棟、半壊7棟、一部破損151棟)。全壊した1棟は、新耐震基準が導入された1981年以前のビルであった。また、横浜市内の埋立地では液状化による被害も多数報告されている[195]

川崎市では、ミューザ川崎シンフォニーホール(大ホール)の天井板が大規模に崩落し、2年以上の長期間の休館を余儀なくされた。

埼玉県

埼玉県久喜市など内陸部においても液状化が発生した。久喜市南栗橋地区で地区約2千戸のうち、11戸が全壊し、大規模半壊は41戸、半壊は54戸、一部破損71戸に上り[196]、道路は21路線で隆起や側溝の破損が起き、水道管や電柱にも影響が及ぶなど被害は甚大となった[197]

群馬県

群馬県では地震発生時に庭の草むしりをしていた女性が落ちてきた屋根瓦の直撃を受けて亡くなったのが県内唯一の犠牲者となった[198]。また、国道354号線(当時、現群馬県道142号線)の五料橋において4センチメートル (cm) の段差が発生した[199]

日本国外

アメリカ合衆国カリフォルニア州クレセントシティでは5人が太平洋を渡った津波にさらわれ、うち1人が犠牲になった[200][201]

インドネシアパプア州でも、津波により1人が犠牲になり、5人が行方不明となった[202]

太平洋の広い範囲に津波が到達したため、日本国外でも建造物の被害が発生した。ハワイ諸島ではハワイ島西岸に津波が押し寄せ、浸水などにより3軒のホテルが営業不能となるなど、数千万ドルに上る被害が発生した[203]。カリフォルニア州のクレセントシティやサンタクルーズでは港湾が損壊し、停泊していた船舶の損害と合わせて1,400万ドルの被害が出た[204]チリでは数十の住宅が損壊し、200人近くが住家を失った[205]。インドネシアでは、パプア州にあるヨテーファ湾沿岸の複数の村で、住宅が損壊する被害が出た[206]アメリカオレゴン州などに流れ着いた漂流物への付着により、それまで現地では確認されていなかったワカメマコンブ海苔などの海藻が漂着し、成長していることが確認されている。これらは漁業や環境に危害を与える心配がある[207]

影響

人口変化

避難者

岩手県内の避難所は2011年10月に、宮城県内の避難所は2011年12月に、福島県内の避難所は2011年12月に全て閉鎖された[208][209]。埼玉県加須市に設置された、福島県双葉町から集団避難した住民の避難所は、2013年12月まで続いた。一方、災害公営住宅や仮設住宅での避難生活は長期化。震災直後の避難者は推計47万人であったが、2024年2月1日時点で2万9328人になった。各県にいる避難者は、福島5993人、宮城703人、岩手304人。県外避難者は福島から2万279人、宮城889人、岩手545人[54]。建設済み災害公営住宅3万77戸(計画3万200戸)、宅地造成済み4700戸(計画2万600戸)[210][211][212]

  • 福島県の県外避難(2024年2月1日)(合計約2万300人、県内避難は約6,000人)[213]
    (1) 茨城県(2,322人)(2) 東京都(2,250人)(3) 埼玉県(2,225人)(4) 新潟県(1,822人)(5)千葉県(1,271人)(6) 宮城県(1,192人)(7) 神奈川県(1,175人)(9)栃木県(1,150人)(10) 山形県(1,123人)

推計人口

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML

被災地のうち、太平洋沿岸の青森県八戸市から福島県いわき市までおよび原発事故の避難地域の推計人口(2010年(平成22年)国勢調査基準)を、震災前(2011年3月1日)と最新とを比較して以下に記載する。

最新の推計人口は、青森県が2024年4月1日現在、岩手県が2024年5月1日現在、宮城県が2024年5月1日現在、福島県が2024年5月1日現在。ただし、2015年(平成27年)国勢調査実施時点で全町・全村が原子力災害による避難指示区域となっている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、飯舘村、葛尾村および、2015年9月4日まで全町が避難指示区域であった楢葉町については、福島県が最新の推計人口の発表をしていないため[214]、平成27年国勢調査速報値(2015年10月1日時点の人口)[215]で代用する。

震災前(2011年3月1日[216][217][218][219]と直近の推計人口の比較
市町村 位置 震災前
推計人口
(人)
最新
推計人口
(人)
増減率
(%)
青森県

1,369,747 1,170,622 -14.54
青森県 八戸市 北緯40度30分44.2秒 東経141度29分18.2秒 237,205 213,919 -9.82
三戸郡階上町 北緯40度27分8.9秒 東経141度37分15秒 14,655 12,830 -12.45
岩手県

1,326,643 1,149,758 -13.33
岩手県 九戸郡洋野町 北緯40度17分3.3秒 東経141度37分29.4秒 17,775 13,900 -21.80
久慈市 北緯40度11分25.8秒 東経141度46分32.1秒 36,789 30,322 -17.58
九戸郡野田村 北緯40度6分36.9秒 東経141度49分3.6秒 4,606 3,666 -20.41
下閉伊郡普代村 北緯40度0分18.6秒 東経141度53分9.2秒 3,065 2,224 -27.44
下閉伊郡田野畑村 北緯39度55分49.6秒 東経141度53分19.9秒 3,838 2,764 -27.98
下閉伊郡岩泉町 北緯39度50分35.6秒 東経141度47分47.2秒 10,708 7,759 -27.54
宮古市 北緯39度38分29.1秒 東経141度57分25.7秒 59,229 45,770 -22.72
下閉伊郡山田町 北緯39度28分3.5秒 東経141度56分56.2秒 18,506 13,223 -28.55
上閉伊郡大槌町 北緯39度21分35.5秒 東経141度54分24秒 15,222 10,125 -33.48
釜石市 北緯39度16分32.9秒 東経141度53分8.4秒 39,399 29,385 -25.42
大船渡市 北緯39度4分54.8秒 東経141度42分30.7秒 40,579 31,864 -21.48
陸前高田市 北緯39度0分54.4秒 東経141度37分46.1秒 23,221 17,002 -26.78
宮城県

2,346,853 2,251,867 -4.05
宮城県 気仙沼市 北緯38度54分29秒 東経141度34分11.9秒 73,154 56,449 -22.84
本吉郡南三陸町 北緯38度40分38.4秒 東経141度26分46.8秒 17,378 11,400 -34.40
牡鹿郡女川町 北緯38度26分43.6秒 東経141度26分39.8秒 9,932 6,020 -39.39
石巻市 北緯38度26分3.5秒 東経141度18分9.6秒 160,394 132,523 -17.38
東松島市 北緯38度25分34.2秒 東経141度12分36.8秒 42,840 37,659 -12.09
宮城郡松島町 北緯38度22分48.4秒 東経141度4分2秒 15,014 12,608 -16.03
宮城郡利府町 北緯38度19分48.9秒 東経140度58分32.8秒 34,279 34,951 +1.96
塩竈市 北緯38度18分51.7秒 東経141度1分19.3秒 56,221 50,502 -10.17
宮城郡七ヶ浜町 北緯38度18分16.6秒 東経141度3分33秒 20,353 17,375 -14.63
多賀城市 北緯38度17分37.8秒 東経141度0分15.2秒 62,990 62,534 -0.72
仙台市 北緯38度16分5.5秒 東経140度52分9.8秒 1,046,737 1,096,091 +4.72
仙台市宮城野区 北緯38度15分58.3秒 東経140度54分35.7秒 190,806 194,150 +1.75
仙台市若林区 北緯38度14分39.2秒 東経140度54分2.7秒 132,159 142,360 +7.72
名取市 北緯38度10分17.4秒 東経140度53分30.5秒 73,603 78,986 +7.31
岩沼市 北緯38度6分15.4秒 東経140度52分12.5秒 44,160 43,472 -1.56
亘理郡亘理町 北緯38度2分15.9秒 東経140度51分9.1秒 34,795 32,561 -6.42
亘理郡山元町 北緯37度57分42秒 東経140度52分40.1秒 16,608 11,484 -30.85
福島県

2,024,401 1,750,485 -13.53
福島県 相馬郡新地町 北緯37度52分34.8秒 東経140度55分10.5秒 8,178 7,571 -7.42
相馬市 北緯37度47分47.9秒 東経140度55分10.6秒 37,721 32,970 -12.60
南相馬市 北緯37度38分31.6秒 東経140度57分26.2秒 70,752 55,902 -20.99
相馬郡飯舘村 北緯37度40分44.4秒 東経140度44分6.8秒 6,132 629[注 14] -99.11
双葉郡葛尾村 北緯37度30分12.7秒 東経140度45分51.5秒 1,524 295[注 14] -80.64
双葉郡浪江町 北緯37度29分40.5秒 東経141度0分2.3秒 20,854 0[注 14] -100.00
双葉郡双葉町 北緯37度26分56.8秒 東経141度0分44.1秒 6,891 0[注 14] -100.00
双葉郡大熊町 北緯37度24分15.9秒 東経140度59分0.2秒 11,570 0[注 14] -100.00
双葉郡富岡町 北緯37度20分43.4秒 東経141度0分31.6秒 15,959 0[注 14] -100.00
双葉郡楢葉町 北緯37度16分57.3秒 東経140度59分36.4秒 7,676 3,407[注 14] -55.61
双葉郡広野町 北緯37度12分52.4秒 東経140度59分40秒 5,386 5,241 -2.69
いわき市 北緯37度3分1.5秒 東経140度53分15.6秒 341,463 318,961 -6.59

経済

3月11日の東京証券取引所の大引けまであと14分という時間に震災が発生。株式市場には売りが殺到、10,350円前後で推移していた日経平均は10,254円43銭と前日比180円安まで急落し、安値引けとなった。週明け3月14日の東京市場は9時より通常通り取引を開始したが、ほとんどの銘柄が売り気配で始まった。日経平均は、始値は210円安の10,044円17銭で始まり、幅広い銘柄に売り注文が殺到し下げ幅を拡大、終値は9,620円49銭(633円94銭安 6.18%の下げ)と1万円を割りこんだ。更に翌3月15日には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大したことで日経平均は大幅続落、一時1,392円安の安値8,227円63銭まで下げ、終値は1,015円安の8,605円15銭と9,000円を割り込んだ。15日の日経平均株価は前日比-10.55%、過去3番目に高い下落率の大幅下落を記録する事となった。震災前と比べ、3営業日で2,361円87銭安(22.3%安)になった。その後、地震から4営業日目の16日に反発となり、488円高の9,093円まで戻した[220][221][222]

一方、外国為替相場では、復興資金調達のために円の価値が高まるとの思惑から急激な円高が進行し、3月17日に一時1ドル = 76円台となって戦後最高値を更新した[223]。これに対し、日本銀行やG7合意に基づく協調介入により市場の安定化を図ったため[224]3月20日には80円台を回復し円高にも一応の歯止めがかかった[225]。さらに、原子炉事故への対応の進展が伝えられると株価も反発し、3月22日には日経平均も9,600円台を回復した[226]

しかし、世界銀行が最大で2,350億ドル(約19兆円)、日本政府が16 - 25兆円の震災被害想定額を発表するなど、経済的影響の大きさが伝えられたほか[227][228]日銀短観景気動向調査でも景況感の悪化が伝えられた[229][230]。工場の被災や部品不足により、国内外で生産停止や特定製品の品薄が発生した[231][232][233][234]一方、「震災特需」「復興特需」による一部産業での景気の上向きが発生した[235][236][237]

10年後の2020年では復興特需の終了、帰還の諦め、人口流出など民間の自立的な成長が課題となっている[238]

復興費用は10年間で32兆円で[239]復興債による補填も行われてた[240][241]

地震の混乱から発生した問題

食料品や電池などを購入するためコンビニエンスストアに並ぶ仙台市民(2011年3月13日、宮城県仙台市若林区荒町

震災に便乗した犯罪がなかったわけではないが、諸外国で見られるような略奪や暴動はなく、秩序は比較的保たれていた[242]。しかし、首都圏を中心に不安を感じた市民が生活物資の買い貯めを行う動きが収まらず、物流の回復後も小売店の店頭では品薄状態が続き、震災の影響がなかった地域にも拡大した[243]。震災だけでなく、東日本での電力不足なども加わったことなどから、日本全体が過度の自粛ムードに包まれ、経済への悪影響が懸念された[244]

刑法犯罪
宮城県では、津波で大きな被害を受けた仙台市東部や多賀城市、石巻市などで、従業員のいない店舗や住宅、ガソリンスタンドや車などのガソリンを狙った窃盗事件が相次ぎ、地震発生から26日までに被害総額が約1億円に上った[245]。また、全国的に義援金の募集が行われている中で募金詐欺も発生した[246][247]
警察庁の発表によると、岩手、宮城、福島の被災3県で3月11日から6月末までに発生したATMからの現金窃盗事件は56件、被害総額は6億8400万円に上った。その内の34件は福島県で発生し、そのほとんどが福島原発から20km圏内での犯行であった[248]。また、20 - 30km圏内でも大多数の住民が避難したため、空き巣の被害が相当数あった。20km圏内では住民の出入りが禁止されていたため、数か月後に順次開始された一時帰宅によって初めて空き巣が発覚する事案が多発した。
ペットの置き去り
避難所などの関係から飼い主がペットを手放さざるを得なくなったり、飼い主が死去したりしたために引き取り先がないペットや野生化したペットが福島県を中心に多発した[249]
石油製品の供給難
JX仙台製油所や東京湾岸の製油施設、各地油槽所の稼働停止による供給不足と津波によるタンクローリーの被災・遺失による輸送手段喪失が発生し、ガソリン、灯油、軽油の供給が滞った。これに対し政府は、西日本地域の石油製品在庫取り崩し(民間備蓄義務日数70日分を45日分に引き下げ)、製油所の稼働率上昇による増産、流通業者および地域間の融通を円滑化を指示し[250]、被災地域において特に重要な拠点ガソリンサービスステーション(SS)を指定し、重点的なガソリンなどの供給が行われた。しかし、一般のSSでは元売りからの供給を受けられないため、給油量に制限を設けるなどの対応が行われた。西日本地域から300台のタンクローリーの追加投入や製油所、油槽所の稼働再開により3月21日ごろから次第に供給不足は解消した。
体調不良
2013年東京大学の研究グループは、東日本大震災以来体調不良になっていると訴える者が多いことに着目し、対象を若年層に絞って全国調査を行った。その結果、当該症例数は有感余震回数と高い相関にあり、本震の震度、空間放射線量率、福島第一原子力発電所からの距離との相関性は低いことが判明したと発表した[251]
2014年1月26日厚生労働省研究班は、岩手・宮城・福島の3県で震災当時に保育園児であった子供を対象に「子どもの行動チェックリスト」(CBCL) を用いた調査を行ったところ、25.9%の子が精神的問題に関する医療的ケアが必要な状況と分かったと発表した[252]。調査対象の子供の43.9%が津波を目撃している[253]
空港の混雑
空港が再開した直後から被曝を恐れて日本から避難するために多くの外国人観光客が空港に殺到し、チェックインカウンターには長い列ができた[254]
二重ローン
二重ローン問題対策として、東日本大震災の影響により債務の返済が困難になった、個人の住宅ローンや、個人事業主のローンなどの債務を対象とした「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」(被災ローン減免制度)が2011年8月22日より運用開始された[255][256][257]。ただし、当ガイドラインの適用件数は2016年4月15日現在、1,347件にとどまっている[258][259]。また、事業者向けの対策としては、同年11月に東日本大震災事業者再生支援機構法案(二重ローン救済法案)が成立している。

裁判への影響

東京都中野区暴力団組員殺害事件の裁判が中断された。

試験など

入学試験

宮城県教育委員会は、3月14日から18日までを休校とし、15日に予定していた高等学校一般入学試験の合格者発表を22日以降に延期することを決めた[260]

地震発生直後の2011年3月12日、13日には国公立大学の入学試験後期日程が予定されていたが、12日は被災地にある32校の大学私立大学含む)で試験が中止されることになった[261]。国立36大学・公立15大学・私立7大学が12日の試験の開始時間繰り下げや、地震の影響を受けた受験生の個別対応を行い[262]追試の対応をした大学もある[263]文部科学省は、3月12日における国公立大学後期日程の受験者は6万5667人(昨年から2万604人減少)であり、この減少は地震の影響によるものであるとしている[264]。東北地方で同日に試験が実施された国公立大学は、全12校のうち秋田大学秋田県立大学のみであった[264]。翌13日においても6校で試験を中止し、5校で繰り下げ実施または個別対応を行った[265]

また、家屋の損壊した状況に応じて入学金や授業料の免除を行う大学や、震災や計画停電の影響を考慮して授業開始を5月以降とする大学もみられた[266]

資格試験

地震発生2日後の3月13日に行われる予定であった第161回国際コミュニケーション英語能力テスト (TOEIC) は、地震の影響で会場が確保できなくなったことなどを理由に[267]、日本全国277会場すべてにおいて中止となった[268]。受験予定人数は約16万人であった[267]

4月17日に行われる予定であった平成23年度春期情報処理技術者試験は、地震の影響を考慮し延期が決定した[269]。「平成23年度特別情報処理技術者試験」として、6月26日または7月10日に実施されることになった(受験する試験区分により日付が異なる)[270]

このほか、各種資格試験において全国あるいは一部地域での日程変更が行われている。

就職活動

大手企業を中心に、2012年春に入社予定の学生を対象とした採用活動の開始時期を遅らせる動きが広がった[271]。また、地震の影響で東北地方を中心に内定取り消しや採用活動の中止などが相次ぎ、厚生労働省では緊急支援を検討した[272][273]

イベント・スポーツ

この震災によって、2011年(平成23年)度春の褒章並びに叙勲日本プロ野球開幕戦Jリーグ名古屋国際女子マラソン競馬競輪など、多くの公的行事イベントが中止または延期となったほか、映画の公開延期や商品の発売中止が起きるなど、様々な分野に少なからざる影響が生じた。

報道

テレビ・ラジオ

地震によって東北・関東地方を中心に大規模な停電が発生したため、停電した放送局の多くは自家発電によって放送を続けた。しかし、東北地方では電力の復旧が遅れたことから、自家発電機の燃料が尽きて停波する放送局が多数現れた。大手の放送局でも東北放送(TBCラジオ)東日本放送親局が一時停波に追い込まれたが、数日中に復旧した。一方中継局も被災し、3月15日時点でテレビ63か所、ラジオ2か所が停波するなど、放送自体への影響が長引いた[274]

在京のテレビ・ラジオ各局は、地震発生直後に臨時ニュースを順次編成。その後は3月13日夜まで、ほぼ報道特別番組を中心とした特別編成を組んだ。レギュラーの報道番組も番組としての枠を外し、通常枠に近い時間帯の特別番組をキャスターやスタッフが担当して伝えるといった態勢がとられた。地震3日後の14日から地上波テレビ放送キー局では臨時報道特番の構成が緩和し、一部の情報番組とニュース番組のレギュラー番組が再開されたが、放送時間を拡大した特別版と緊急報道特番を組み合わせた構成の番組が主に放送された。ドラマアニメバラエティ映画といったレギュラー番組の大多数が放送中止・繰り下げを継続したが[275]、15日未明から順次バラエティ・ドラマ・映画などのレギュラー番組も再開した[276]

またテレビ各局で、3月11日の地震発生直後からテレビCMは長時間にわたって放送が中止された。テレビ朝日の約74時間、TBSの62時間、日本テレビとフジテレビの61時間など、各局で長期間CM停止が継続し、CM総合研究所によると、在京民放キー局においては3月11日の14時50分に日本テレビで放送されてから、翌12日の23時56分にテレビ東京で再開されるまで、約33時間にわたってCMが一切放送されなかった[277][278][注 15]

CM枠が復帰してからも多くの企業が震災を考慮して自粛したため、大量に生じたCM枠の空きを埋めるためにACジャパンの公共広告4種類が高頻度で繰り返し放送される状態となった[279][280]。この大量放送によって、視聴者からACジャパンへの問い合わせ・クレームが殺到した一方、CM好感度ランキングでACジャパンが首位を獲得するという現象もあった[277][280][281]。この大規模な自粛は、震災以降日本国内に広まった「自粛ムード」のひとつではあるが、諸外国からは特異な現象として指摘される例もあったという[282][283]

岩手・秋田・宮城・福島・茨城の各県では、臨時災害放送局として既存のコミュニティ放送局が出力を増力したほか、自治体が災害FMラジオ局を開設した[284]。そのほかでは、在京5局で史上初のラジオ災害情報交差点発動が行われただけでなく、3月13日17時からインターネットサイマル配信サービスradikoのエリア制限を解除して全国で関東・関西地区の民放13局が聴取可能とし[注 16]、3月25日10時からは中京地区の6局も加わった。この緊急対応は、関西・中京地区の12局で3月31日まで、関東地区の7局で4月11日まで継続された[285][286][287]。東北6県と関東地方の一部の民放FM局をパソコンやスマートフォンで無料聴取するサービスも提供された[288]。民放AM放送でも、地震後1週間程度の期間、Ustreamニコニコ動画ニコニコ生放送)、自前のWebサイトなどでサイマル配信を実施した放送局があった[289][290][291]。短波放送でも被災地の放送を全国向けに提供する局があった[292]

このほか、末端のアマチュア無線では多くの無線家が非常通信に呼び出しを行い、7.030MHz(指定非常通信周波数)にて情報収集、7.043MHzでの安否確認に協力しており、これによって孤立した集落が救われた例もあった[293][294][295]

一方、地震動・液状化現象・津波により広範囲で被災した茨城県と千葉県では、地震直後の計画停電の対象エリアに茨城県潮来市や千葉県旭市が含まれるなどしたが、原因の一つとして被災状況が十分に報道されなかったことが挙げられた[296][297][298]

また、震災によって被災地では共同アンテナが破損したほか、地上デジタル放送の普及活動が停止したため、対策として地デジ難視対策衛星放送を行った上で、2011年7月24日に予定されていた地上デジタル放送への全面移行を、岩手・宮城・福島の3県については2012年3月31日に延期した[299]

日本国外でも、各メディアが地震関連のニュースを大きく報じた[300][301][302]

新聞

地震の影響を報じるスポーツ新聞(2011年3月12日、大阪府大阪市

震災発生直後、全国紙ブロック紙地方紙数紙が一斉に号外を発行した。『中日新聞』は11日付夕刊の最終版であるE版に(2)という版を設けて1面トップで報じた(ただし地震発生と(大)津波警報発表との事実のみ)。3月12日付の朝刊スポーツ紙を含めた各紙とも、1面から最終面まで最大級の見出しと写真で震災の状況を報道した。また、日曜日の夕刊は通常は休刊であるが、『読売新聞』と『朝日新聞』は3月13日(震災発生から3日目の日曜日)に「特別夕刊」を発行した。3月12日からしばらくの間、最終面に掲載されている番組表を中面に移設して震災関連の報道を優先した新聞社も数多く存在した(全国紙は3月末まで番組表を中面に移設)[303]。震災直後に発行された新聞では紙面のほとんどが震災報道に当てられたほか、ページ数もおおよそ半分に削減され[注 17]、新聞広告も自粛された。

被災地に立地する新聞社は、災害援助協定を結ぶ近隣地域の新聞社に制作・印刷を委託するなどして新聞発行を継続した[304][305]。岩手県盛岡市の岩手日報社は、東北地方の地方新聞社6社(河北新報社を除く)で締結する災害時相互支援協定の発動を初めて要請し、自家発電機を有する青森市東奥日報社で4ページの紙面を印刷。宮城県仙台市に発行本社を置くブロック紙『河北新報』は、免震構造の輪転機で印刷した2頁の号外を地震発生当日の23時すぎに各避難所に届けた。翌日の朝刊は相互支援協定を締結していた新潟日報社に紙面制作を委託し、8頁の朝刊を発行。これらにより、停電のため映像として知られることのなかった沿岸部の深刻な津波被害の詳細を多くの市民が目にすることとなった[306]。石巻市の地方紙『石巻日日新聞』は本社が津波で浸水して輪転機や編集作業用のコンピュータなどを全て失った。水に浸からずに済んだ印刷用ロールから切り出した紙に油性フェルトペンで集めた情報を手書きした壁新聞を作成し、震災翌日から市内の避難所に張り出して情報提供を6日間にわたって実施した[307]。7日目には入手した複合コピー機を使用して印刷した新聞の配布を開始し、2週間後には関係者が応急復旧させた古い輪転機で印刷を再開した。この壁新聞は米国ワシントンD.C.にあるニュース総合博物館「ニュージアム」からの要請により、6日分全てが寄贈された。

東北や関東の被災地では、交通インフラの損壊や燃料不足によって配達が遅延し、復旧までに4 - 5日以上を要した。『岩手東海新聞』(岩手県釜石市、宮古市などを中心とする夕刊紙)は、本社にあった唯一の輪転機が水没し、読者の多くも被災したため収入の確保が難しくなり、3月29日付で全従業員を解雇し、休刊となった。現在も発行再開の見通しは立っていない[308]。このほか、『いわき民報』(福島県いわき市の夕刊紙)[309]、『しんぶん赤旗』東北版(日本共産党の機関紙)[310]、『大崎タイムス』(宮城県大崎市の日刊紙)、『三陸新報』(宮城県気仙沼市の日刊紙)などが数日休刊となった。その一方で『東海新報』(岩手県大船渡市の日刊紙)のように自家発電装置で輪転機を回して発行を継続した新聞もあった。

3月11日付の米紙『ニューヨーク・タイムズ』では「日本の厳しい耐震基準や防災教育により、多くの人命が救われた」とする記事が掲載されたほか、3月15日付では「非常事態に陥っても他者への気遣いや礼節を守り続ける日本人の国民性に学ぶべきものがある」とする記事も掲載された[311][312]。また『ワシントン・ポスト』でも救助・復興活動に当たる消防団員や自衛官、警察官の様子を「能率的」と評したほか、被災者についても「冷静で礼儀正しく、驚くほどけなげに対処している」としている[313]

出版・印刷

津波の被害を受けた日本製紙 石巻工場
(2011年6月7日、宮城県石巻市)

臨海部に所在する日本製紙の石巻工場(宮城県石巻市)と三菱製紙の八戸工場(青森県八戸市)が津波により被災、また内陸部にある日本製紙の岩沼工場(宮城県岩沼市)、勿来工場(福島県いわき市)も津波の影響は受けなかったが、これらの工場を含む太平洋沿岸部にある製紙工場の生産設備、製品在庫の多くが損壊した。また、燃料不足などにより、これらの工場からの出荷が困難となり、全国的に印刷用紙の需給が逼迫した。日本雑誌協会によると、3月18日の時点で発行を休止・中止または発売を延期した雑誌は、『週刊少年ジャンプ』ほか191誌に及んだ[314]。このため、集英社をはじめとした各出版社は、緊急措置として『週刊少年ジャンプ』[315]や『週刊アスキー[316]などの一部雑誌の最新号をインターネット上で無料配信した。また、震災後しばらくは印刷用紙不足が続いたため、一部の雑誌ではページ数の削減や紙質の変更などの措置が取られた。中小印刷会社の中にはこれにより営業が不可能になり、短期間で倒産する企業も現れた。

インターネット

情報提供の手段としてインターネットを利用した対応が行われ、テレビではNHKと民放各局(日本テレビとテレビ東京を除く)で「停電などでテレビを見られない視聴者への配慮」として、番組をニコニコ動画(ニコニコ生放送)、Ustream、Yahoo! JAPANでリアルタイム配信した[317]。ニコニコ生放送では、NHK、フジテレビ、TBSニュースバードの許諾を得た上で、ライブストリーミング配信(NHKは総合テレビジョン・NHKワールドTVをリアルタイム配信)を行うとともに[318]独自の緊急生特番も実施し[318]、これらの配信はアカウントなしで視聴が可能になっていた[318]。Ustreamでは、NHK(総合テレビジョン・NHKワールドTV)、テレビ朝日、TBS(TBSニュースバード)、フジテレビ、テレビ神奈川、Yahoo! JAPANでは、NHK(総合テレビジョン・教育テレビジョン)のライブストリーミング配信を行った[319]。なお、インターネットでの報道特別番組の配信が行われたきっかけは、広島県に住む学生が午後3時過ぎから行っていた、Ustream上でのNHKの報道特別番組の無断配信であった[320][321]

報道規制

震災発生当時の民主党政権は福島第一原発における事故について炉心溶融(メルトダウン)であった事実を認識しながら、この事実の公表に伴うパニックや混乱を避けるとの判断から公式発表ではこの言葉の使用を避け続けた。そして、事故の状況について公式発表の席で正確な事実を伝えなかった。そうした姿勢がかえって海外(おもに欧米の主要メディア)を中心に日本政府に対する不信感となり、「福島および首都圏が深刻な放射能被害を受けているが日本政府は事実を隠蔽している」との憶測が広まり、各国の大使館が自国民に日本国内からの退避を呼びかける事態に繋がった。のちに客観的事実からそうした認識は単なる憶測の域を出ておらず、心配されるような事態ではないと判明。震災報道に携わった主要メディアは社説などを通じて、過剰な不安を煽った責任について一定の反省を示す一方、政府発表の不正確さがこうした憶測を呼んだとして日本政府を批判した。

2012年1月25日、国境なき記者団は東日本大震災の被災地や東京電力福島第一原発事故で過剰な報道規制が敷かれたことなどを理由に、「世界の報道自由度ランキング」において日本を前年の11位から22位へと格付けした[322]

災害対策の動き

日本国政府は地震発生から28分後の15時14分、史上初の「緊急災害対策本部」を設置した。3月12日夜の持ち回り閣議で、政令により「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震等による災害」を激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(激甚災害法)に基づく「激甚災害」に指定し、同じく政令により特定非常災害特別措置法に基づく特定非常災害に指定した(いずれの政令も3月13日公布)。また、青森・岩手・宮城・福島・茨城・栃木・千葉・東京の各都県は災害救助法の適用を決定した(適用市町村は都県ごとに指定)。3月22日、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の各県と内閣府は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害について被災者生活再建支援法を適用することを決定した(適用地域は青森・岩手・宮城・福島・茨城・栃木・千葉の7県)。ただし、国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めず、福島県には適用していない。

救助・支援活動

生存者を捜索する愛媛県今治市消防本部の消防隊員(2011年3月17日、釜石市鵜住居地区)
米空母ロナルド・レーガン艦内で支援の状況を確認する君塚栄治東北方面総監(2011年3月31日)
孤立した住民を入浴支援のため護衛艦ひゅうがに空輸する陸上自衛隊のヘリコプター (2011年4月1日、気仙沼大島

震災発生を受けて同日15時14分に設置された内閣府緊急災害対策本部は2011年5月17日、同日までに2万6708人が警察庁、消防庁海上保安庁自衛隊の派遣部隊によって救出されたと発表した[323]。機関別では自衛隊が19,286名、消防が5,064名、警察が3,749名をそれぞれ救出した。

また、日本国外の156の国・地域と41の機関が支援を表明し、28の国・地域・機関から救助隊を、53の国・地域・機関から救援物資を受け入れている[323]

被災地では、県や市などの物流の拠点まで輸送された食料や燃料、水、薬品などが隅々まで届かず、阪神・淡路大震災発生時と比較して物資が大幅に不足した。その理由として、各地の港湾が被災し道路網が寸断されたこと、市や町の職員が犠牲になるなどして被災地側の受け入れ態勢が整わなかったこと、輸送車両の燃料が不足したこと、被害が広範囲に及び、避難者が指定避難所以外の施設に分散したことなどが挙げられる。特に燃料が不足し、被災地では自動車で移動したり暖を取ったりすることも困難な状態が長く続いた。また福島県では、福島第一原子力発電所事故による被曝を恐れてトラックが引き返すなどし、沿岸部を中心に物資が届きにくくなった[324][325]奥羽山脈を越える国道347号をはじめとするいくつかの道路は例年通り冬季閉鎖であったが、その情報を知らずに日本海側から救援に向かった車両が引き返す例が見られた[326]

ロイターの編集者であるFelix Salmonは日本に義援金を送るべきではない[327]と主張している。日本は金満な国家であり、何千億ドルに相当するお金を刷って財源を捻出できるからである。金銭の国際援助は発展途上国にすべきものであり、対外純資産世界一である日本[328]に国際援助モデルを適用するのは納得がいかないとしている[329]

また、台湾の寄付総額は少なくとも73億6400万台湾ドル(約200億円、2億5200万米ドル)に達した。また、米軍の後に到着し、最初の救援物資を被災地に持ち込んだのは、2番目の外国人救助隊であった。

救援物資

みやぎ生協幸町店に並ぶ仙台市民(2011年3月18日、宮城県仙台市宮城野区幸町)

救援物資の調達では水や食料は農林水産省、日用品と燃料は経済産業省、医薬品は厚生労働省がそれぞれ各業界から集め、それを自衛隊や、国土交通省が依頼した運送業者が輸送する(日本通運などの運送業者や全日本トラック協会は政府の指定公共機関となっている)という体制がとられた[330]。物資は自衛隊や在日米軍の各基地や駐屯地から、航空自衛隊松島基地や米軍により復旧された仙台空港福島空港花巻空港(岩手県)へ空輸され、陸路で県の一次物資集積拠点に搬入されたのち、民間業者により荷卸し・仕分け・搬出され市町村の二次集積所へ運ばれ、陸上自衛隊のトラックで各避難所へ運ぶという方式がとられた(※岩手方式[331])。自衛隊以外では東京消防庁航空隊のヘリコプターや[332]海上保安庁の巡視船や航空機を利用した物資輸送が行われ、さらに国土交通省の大型浚渫兼油回収船「清龍丸」「海翔丸」「白山」による緊急物資輸送、航海訓練所所属の航海練習船銀河丸」「海王丸 (2代)」による医薬品などの緊急物資輸送、調査捕鯨船日新丸」、水産庁所属の漁業取締船水産総合研究センター調査船などを利用した物資供給も行われた[333]。また(社)海外まき網漁業協会所属のまき網漁船は、3月13日以降に計26隻が被災地へ向かい、船に搭載された小型艇(レッコボート)を用いて大型船が接岸できない地域に食料、軽油、毛布などを搬入した。また全日本海員組合はチャーターした200トン型イカ釣り漁船を用いて、函館港(北海道)から三陸各港(宮古港気仙沼港、石巻港)への物資輸送を行っている[334]

自衛隊

防衛省は、地震発生から4分後の3月11日14時50分に「災害対策本部」を設置し、52分に自衛艦隊司令官(当時は倉本憲一)による出動可能全艦艇への出港命令が下令され、護衛艦「たかなみ」(艦長[335]米丸祥一[336])が石巻沖での救助の先陣を切った。大湊航空基地からのUH-60J発進を皮切りに、陸海空自衛隊が救助や偵察のためにヘリコプター戦闘機哨戒機などをスクランブル発進させた。陸上自衛隊のUH-1が撮影した何波にもわたって襲来する津波の映像は、報道機関を通じて全国に放送されている[337]。また迅速、効果的に救助・支援活動を行うため、14日に陸海空自衛隊の各部隊による統合任務部隊として、君塚栄治東北方面総監を指揮官とする「災統合任務部隊」(JTF-TH) を編成。自衛隊創設以来最大規模の災害派遣を行った[338]。27日時点で、人員約10万6900名(陸約7万、海空約3万6000)と回転翼217機、固定翼326機、艦船53隻が救援活動を行っている。また福島第一原発の対処には中央特殊武器防護隊を中心とした中央即応集団が中心となって対応し、他の部隊とは異なる指揮系統の下で活動している。

日々拡大する被害の復興のため、防衛省は3月16日に、防衛省・自衛隊創設以来初となる即応予備自衛官および予備自衛官の災害招集命令を発令した[339][340]

2011年に動員した自衛隊員は「延べ」1,058万人[注 18](1日の最大派遣人員約10万7000人)である[341]。自衛隊員23万人のほぼ半数を投入した。

自衛隊[342]は発災から2か月間、10万人態勢で復興支援を行ってきたが、2011年5月2日に国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンの米軍による暗殺が発表されたことを受け、国内でのテロ活動の阻止にも隊力を使用する必要が生じたことから、段階的に派遣の規模を縮小する方針とした。航空自衛隊は当初の規模の半分に縮小している[343]

派遣勢力は最大時で、人員約107,000人(陸上自衛隊約70,000人、海上自衛隊約15,000人、航空自衛隊約21,600人、福島第一原発対処約500人)、航空機約540機、艦艇59隻であった。発災から6月11日までの3か月の派遣規模は、人員延べ約868万7000人、航空機同約4万1000機、艦艇同約4,100隻に達した。主な成果は、人命救助1万9286人、遺体収容は9,487体。物資などの輸送は約11,500 t、医療チームなどの輸送は18,310人、患者輸送175人。被災者の生活支援面では、給水支援が約32,820t、給食支援が約4,477,440食、燃料支援が約1,400 kL。このほか入浴支援は約854,980人、衛生など支援は約23,370人となっている[344]。震災を目撃したアメリカ海兵隊幹部たちは、もしアメリカ海兵隊のような軍事能力を持つ組織が日本にあったなら、数千名の命を救えたと指摘した[345]

7月1日に防衛相の北澤俊美が君塚東北方面総監に対し、災統合任務部隊の解散を命じた[346]。災統合任務部隊の編成解組後現地で支援任務を行ってきた第9師団は7月26日に岩手県内[347]第6師団は7月31日付けで宮城県内での支援任務を終了した[348]。中央即応集団司令官を長として福島第一原子力発電所事故の対応に当たってきた部隊は2011年12月26日をもって撤収し、防衛省・自衛隊による一連の派遣が終了した[349]

ロシア連邦軍および中国人民解放軍は、東日本大震災の発災直後から偵察機戦闘機を波状的に日本の防空識別圏内に飛来させた。自衛隊は、災害派遣と並行して戦闘機によるスクランブル発進を実施して対処した。両国軍用機による日本の防空識別圏内への飛来はその後も発生し、特にロシア軍は放射能測定を理由に東北地方沖合に何回も航空機を飛来させている。

自衛隊の損害

陸上自衛隊東北方面隊管内にある宮城県の多賀城駐屯地[350]や航空自衛隊松島基地は、震災後の津波によって浸水し、施設や装備に大きな被害を受けた。そのほか東北地方に所在する他の陸海空自衛隊の基地・駐屯地においても、施設や設備に多数の損害を受けた。

松島基地では駐機場および格納庫に駐機していた航空機28機(F-2B戦闘機×18機、T-4練習機×4機、U-125救難捜索機×2機、UH-60J救難ヘリコプター×4機)すべてが水没するなどの被害を受けた[351]。これにより第4航空団は救援活動を行おうにも手も足も出ない状況に陥った。

また、仙台空港において整備中であった、陸上自衛隊第1ヘリコプター団特別輸送ヘリコプター隊所属のEC225LP型1機が津波による空港の浸水によって水没し、全損となった。

自衛隊の派遣場所
自衛隊員の災害関連死

震災発生翌日の12日に駐屯地を出発し、15日から作業に従事していた50歳代の曹長(陸上自衛隊・旭川駐屯地所属)が、4月1日、死亡している[352][353]。死因は過労死の可能性があるとされている[354]。曹長が所属していた第2特科連隊連隊長は曹長の死亡について、「誠に残念で、ご冥福をお祈りする。災害派遣活動との因果関係を調査し、原因を究明したい」と述べた[355]4月2日、防衛省は同曹長を1日付で准尉に特別昇任させることを決めた[356]。15日には遠野市の指揮所で運用調整に当たっていた第9施設大隊所属の1等陸曹が脳幹出血で死亡[357]、防衛省は同日付で1曹を曹長に特別昇任させた[358]。1曹が所属していた第9施設大隊の大隊長は、「大変残念。倒れた隊員の復興に懸ける気持ちを受け継ぎ、全力で活動するとともに、隊員の健康管理に万全を期す」と述べた[358]。5月27日未明には第18普通科連隊所属の3等陸曹が死亡。本震災における自衛隊員の災害関連死は3人目となった[359]

緊急消防援助隊

消防庁の指示で全国の消防本部から緊急消防援助隊のべ10万9919人が派遣されて5064人を救出した[360]

  • 派遣期間 - 平成23年3月11日 - 平成23年6月6日(88日間)
  • 部隊・隊員数 - 1都1道2府40県 総人員30,684人(8,854隊) 延べ人員109,919人(31,166隊)
  • 活動地域 - 岩手県、宮城県、福島県、千葉県
  • 活動内容 - 航空部隊は人命救助、空中消火、情報収集などに、陸上部隊は消火、救助、救急活動などに従事した。

政治・行政

国政

2011年3月11日17時、地震発生を受けて記者会見する菅直人内閣総理大臣

地震が発生した当日、菅直人は自身を本部長とする緊急災害対策本部を設置した。これは大規模な災害が発生した場合に内閣府に設置することと法律で定められている臨時の機関であるが、これまでに設置された例はなく、東日本大震災の発生によって初めて設置されることとなった。

菅直人第2次改造内閣は、平成23年度本予算案を衆議院本会議で賛成多数で可決させたものの予算関連法案は成立させるめどが立たず、野党間の対立も激しさを増していたが[361]、震災発生から間もなく菅直人が首相官邸に集めて与野党党首会談を行い、「救国」のための協力を要請。野党側も対立姿勢を修正した[362]。14日には震災対応特措法の早期成立が与野党内で合意された[363]

2011年(平成23年)4月11日の閣議決定により、東日本大震災復興構想会議が設置された。同年6月24日に東日本大震災復興基本法が公布・施行され、東日本大震災復興対策本部内閣に設置された。7月25日、東日本大震災の復旧・復興関連経費を盛り込んだ平成23年度第二次補正予算(1兆9,988億円)が成立。11月20日、東日本大震災関係経費11兆7,335億円などを柱とする平成23年度第三次補正予算(12兆1,025億円)が成立。12月7日、東日本大震災復興特別区域法が成立。12月9日、復興庁設置法が成立し、震災からの復興を目的として期間を定めて設置される復興庁の所掌事務、組織が具体化された[364]。2012年(平成24年)2月10日、復興庁が発足[365]

2012年(平成24年)1月27日、東日本大震災に関する15組織のうち、「原子力災害対策本部」「政府・東京電力統合対策室」「原発事故経済被害対応チーム」「緊急災害対策本部」「被災者生活支援チーム」「官邸緊急参集チーム」「各府省連絡会議」「経済情勢に関する検討会合」「電力需要に関する検討会合」「電力改革及び東京電力に関する閣僚会合」の10組織が公文書管理法が主旨とする議事録を未作成、そのうち5組織では議事概要も未作成または一部作成であったとする調査結果を発表した。内閣総理大臣の野田佳彦は午前の参議院本会議で「文書で随時記録されなかったのは遺憾。会議の意志決定過程を把握できる文書作成は国民への説明責任を果たすため極めて重要」と答弁した[366][367][368]

政党の動き

地方行政

岩手県陸前高田市や宮城県南三陸町、同県女川町など各地で役所・役場が津波によって冠水・損壊し、岩手県大槌町では町長が死亡するなど、津波被害を受けた東北太平洋岸や原発事故のあった福島県浜通りでは職員の多くが被災したため人手不足に陥ったり、役場・議会や行政書類が被害を受けたりしたことなどにより、行政機能が麻痺する自治体も出た[102][380][381][382]

2011年4月に第17回統一地方選挙が実施されたが、震災地域については被災地選挙延期法で延期されている。

  • 千葉県浦安市では、市内の3/4を占める埋立地で液状化現象による甚大な被害が発生したにもかかわらず、千葉県が予定通り実施するとしたことから、同市のみ最大2か月の延期をすべきと主張し反発した。期日前投票[383]を含めた全ての投開票事務が行われなかったため、5月に再選挙が実施されるまで、県議会議員2人が欠けた状態となった[384][385][386][387][388]

間接的な影響ではあるが、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州で3月27日に行われた州議会選挙では、福島第一原子力発電所事故による反原発運動の高まりなどにより、同盟90/緑の党が第2党に躍進してドイツ社会民主党と連立与党を組むに至るなど[389]、国外の政局でも日本の震災の影響を受けたところがあった。

皇室

多国籍企業や公館の対応

原発被害などを受けて、イタリアフランスアメリカ合衆国オーストラリアなどの政府が、日本に駐在している会社員や外交官学生や旅行者などを一時的に国外へ避難させるために政府専用機や民間チャーター機などを日本国内の空港に派遣した。無償で自国民を国外に避難させると同時に、放射能の影響を受けないと思われる地域への一時避難を奨励する勧告を行った。また在日外国人の中には、本国政府や所属企業からの避難勧告が出ていないにもかかわらず、「自主的に」国外へ逃れる者もいた[390]

これらの在日外国人の避難や逃亡を受けて、これらの国の企業の日本法人や支店などの中には通常の業務に障害をきたすものや、操業を一時的に停止せざるを得なくなるものもあった[390]。その後も一部の外国企業は、日本法人の本社や支店を「原発被害を受けにくい」とされた関西地方や九州地方などに一時的に移転させることを検討し、実際にアリコジャパンなど、一時的に地方に移転させた企業もあった。

また同様の理由から、ルフトハンザ航空エールフランス航空などは、原発事故がある程度鎮静化し放射能被害が及ばないことが確認されるまで成田国際空港への乗り入れを停止したり、関西国際空港などへ一時的に目的地を移す措置を行った。また、関西国際空港や韓国経由で成田国際空港へ運航し、その日のうちにこれらの空港に引き返させることで、成田国際空港での乗務員の宿泊および機内食の積み込みが発生しないようにする航空会社もあった[391]

復興

岩手・宮城・福島3県の沿岸で発生した大量の災害廃棄物(がれき)と津波堆積物(土砂など)の処理は2017年3月末までに完了した、総量は1843万tであった[395]

被災地内での処理を進める方針から、仮設焼却炉の増設が計画されているほか[396]、被災地以外での処理(広域処理)も行われた[397]

津波により海へ押し流され海底に沈んでしまったがれきは、震災発生から10年経っても処理が続いている。一部は専門業者が引き揚げているほか、漁網にかかって発見・回収されることも多い[398]

津波により市街地あるいは集落単位で建物やインフラが破壊され都市機能が失われた、岩手・宮城・福島3県沿岸などの地域では、復興の方向性をめぐる議論が行われ、一部は事業が開始されている。具体的なアイデアには以下のようなものがある[396][399]

  • 高台への移転 - 消失した市街地や集落を、従来の津波浸水地域ではなく、高台に移転して再建するもの。被災地の土地を国・自治体が買い上げる形で公費負担により集団移転を行うことが計画されている[396]
  • 地盤のかさ上げを伴う現地での再建 - 従来の津波浸水地域内で、地盤のかさ上げを行って津波のリスクを低減した上で再建するもの。区画整理方式や、拠点となる市街地を国・自治体が買い上げて一括整備する事業などが計画されている[396]
  • 職住分離 - 住宅、行政庁舎、高台、病院などは高台・地盤かさ上げ地に移転する一方、産業に関連する施設は従来の津波浸水地域内に残すもの。水産や観光が主産業で全面的な移転が難しい地域で検討されている[399]
  • 復興事業を機会とする新たな事業の展開 - 漁業・水産業の協業化、農業への民間投資、省エネルギー再生可能エネルギースマートグリッドの導入(エコタウン)など[399]
  • 津波防御施設の強化 - 防潮堤の復旧や強化のほか、幹線道路や鉄道を高い盛土として堤防としての機能を付加するものや、防災林緑地などの防災用地を設けるものなど。宮城県の復興計画では、仙台湾岸南部は海岸線沿いに防潮堤、その内側に防災林・緑地、農地、盛土道路、産業用地、盛土鉄道、住宅地の順で帯状にゾーンを形成する多重防御とすることを構想している[399]
  • 津波避難施設の強化 - 津波の緊急避難のためのビルやタワーを設けるものや、津波避難のための道路、一次・二次・収容避難場所を復旧強化するものなど。宮城県の復興計画では、特に職住分離を計画している地域の産業地域(低地)で緊急避難施設を強化することを構想している[399]
  • 津波避難行動支援の強化 - 津波からの避難を啓発する防災教育、震災経験の継承など[399]

福島県は2012年7月に「ふくしま観光復興支援センター[400]」を設立し、口演者(語り部、2014年9月現在176人)、視察先、ボランティア先、モデルコースの紹介などを行っている。2013年度にセンターが仲介した口演者は1.3万人であった[401]

震災10年後の2021年3月末集計の事業完了割合[402]

災害公営住宅 100%、民間住宅等用宅 100%、地海岸工事 99%、海岸防災林 98%、河川対策(直轄区間)100%、河川対策(地方自治体区間)99%、高台移転 100%、道路(直轄区間)100%、道路(地方自治体区間)99%、復興道路 100%、港湾 100%、漁港 100%、農地 96%、鉄道100%、学校 99%、水道施設 99%、下水道 100%、災害廃棄物の処理 100%(1843万t)[403][210]

問題点・課題

震災後、ボランティア活動に対する保健衛生上の規制や支援車両に対する道路交通法の規制など、現在の法令による制限が復興の障害となっていることが明らかになった。復興の遅れにより経済や生活に二次的な被害が生じているため、関係自治体では災害特区指定や特別立法への期待も大きい。市街地が壊滅した岩手県陸前高田市などでは、集落ごと高台に移転するといった大規模な対策が検討されているが、課題も山積している。

震災以後も、2011年9月には戦後最大級の勢力をもって上陸した台風15号によって被災地が広範囲で浸水し、福島第一原発では汚染水の水位上昇などの被害が起きている。

国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めていないことから、原発事故の長期避難に伴う災害関連死(特に「原発関連死」と呼ばれる)対策や原発避難者生活再建支援施策が求められている。

三陸海岸沿岸市町村では、防潮堤など復興・防災工事が完了するにつれ土木作業員が引き揚げたり雇用が減ったりして、人口減少が進んでいる。福島第一原発事故が起きた福島県浜通りなどでも避難して戻らない元住民が多い。流入先となっている仙台市は2011年から転入超過が続いている[404]

震災後の様々な動き

追悼・慰霊

被害が大きかった東北3県が復興祈念公園をそれぞれ整備し、政府が公園内に国営の追悼施設を設けた。追悼施設は岩手県は陸前高田市、宮城県は石巻市、福島県では浪江町での建設(復興祈念公園は双葉町にまたがる含むエリア)が2017年9月1日に閣議決定された[405]

被災自治体の多くは翌年の2012年から毎年3月11日、震災犠牲者の追悼式を開いている。日本国政府も2021年まで国立劇場で開いていたが[406]、2020年1月21日に官房長官菅義偉は定例記者会見の場で、節目の10年目となる2021年をもって政府主催としての追悼式を終了する考えを示した[407]。また、被災自治体から東北での開催を求める声も寄せられたことから、2022年以降は自治体主催の追悼式に政府代表が出席することも検討されていた[408]。2020年3月3日、安倍内閣新型コロナウイルスの影響を受け、政府主催の追悼式の中止を発表し[409]、同年3月6日の閣議にて中止が決定[410]。追悼式の代わりに総理大臣官邸献花式が執り行われた[411]。2021年3月2日、同年の追悼式についてはコロナウイルスの感染対策を踏まえ、参列者を限定することで開催することを閣議にて決定した。内閣総理大臣が務める実行委員長は、1年となった2012年は野田佳彦[412]、2013年から2019年までは安倍晋三[413]、10年となった2021年は菅義偉が出席した[406]。安倍は2020年には総理大臣官邸献花式に出席した[411]。2021年は今上天皇徳仁皇后雅子も出席した[414][415]。同時点で天皇が出席するのは皇太子時代を含めると初めてであった[414]。なお、参列者はコロナウイルス感染防止用にマスクを着用して出席し[416][417]、2019年まで行っていた一般参加者の献花は見送られた[414]

2022年2月25日、復興大臣西銘恒三郎は閣議にて11年目となる同年3月11日に政府主催としての追悼式を行わないことを正式表明した[418]。2022年以降は内閣総理大臣をはじめとする政府関係者が福島県主催の「東日本大震災追悼復興祈念式」に出席している[419]。11年となった2022年3月11日には内閣総理大臣の岸田文雄が福島県を訪問し、同県主催の追悼式に出席し黙祷を捧げたほか、同月12日には岩手県と宮城県の追悼祈念施設を訪問し献花を行うとともに黙祷を捧げた[420][421]。また、政府主催としての追悼式が終了したことや節目の10年の区切りを過ぎたことを理由に、2022年以降は岩手、宮城、福島の被災3県では追悼式を継続する自治体もあれば、開催しない自治体に分かれる動きも出た[422]

震災遺構・震災伝承施設

津波の水が引いた跡地に、半ば破壊されて残った建物が被災地沿岸の各所に存在する。これらのうち「震災遺構」に認定されると、教訓を後世に伝えるため公費で保存される。公費投入は「1自治体1施設」が原則であるため、公式の遺構認定は公共施設が優先されており、2017年12月時点で民間建物はたろう観光ホテル(岩手県宮古市)のみである。所有者が自費保存を決めているもの以外の“民間遺構”は、取り壊しが懸念される建物もある[423]

他にも自然災害伝承碑の再評価やそれに類似したモニュメント・施設の新設も見られる。国土交通省東北地方整備局などによる「震災伝承ネットワーク協議会」はこれら震災伝承施設を220件以上登録している[424]ほか、東北経済連合会などは一般財団法人「3・11伝承ロード推進機構」を設立して震災遺構のネットワーク化を進めている[425]

主な震災遺構を以下に示す[426]

岩手県

  • 宮古市
  • 釜石市
    • 鵜住居(うのすまい)地区防災センター:2014年2月解体終了[428]
  • 大槌町
    • 役場旧庁舎:一部保存の方針[注 19]を検討。町長室があった部分は2014年4月から解体予定[429]。2014年6月4日、保存検討中である本庁舎以外の解体開始[430]。2016年12月、町議会の東日本大震災復興まちづくり特別委員会は、最終報告書に基づく意見書をまとめた。保存または解体すべきだとする見解を示さず、防災教育やまちづくりを進める中で、旧庁舎を含めて考えることを求めた[431]
    • 観光船「はまゆり」:既に解体されたが、復元のための寄付を集めている[432]。しかし、2019年の時点で集まった寄付額は必要額を大幅に下回り、模型展示や拡張現実(AR)などでの伝承を模索している[433]
  • 陸前高田市
    いずれも「高田松原津波復興祈念公園」エリアに位置する[434]

宮城県

  • 気仙沼市
  • 南三陸町
  • 石巻市
    • 石巻市立大川小学校:2016年3月、石巻市は被災した大川小学校の旧校舎を存置という形でその全体を保存することとなった[438]。遺族の中には「校舎を見たくない」という意見もあるため周辺を公園化して植栽などで囲むことが検討されている[438]。2019年度より公園整備が開始され、周囲には桜を植林し、展示スペースを持った管理棟や、慰霊碑・花壇・芝生広場などが設置される[439]。2020年度末(2021年3月末)までの完成を目標としていたが[439]、延期を経て、2021年7月18日に一般公開された[440]
    • 石巻市立門脇小学校:校舎については震災遺構として部分的な保存が図られることとなった。保存場所は同校跡地および南浜地区に整備された復興祈念公園である石巻南浜津波復興祈念公園となった[441][442]。校庭は近隣の学校が運動場として使うために2013年時点、整備が進んでいる。校舎の整備は2019年度より開始され、校舎は中央部の6教室分以外は解体して残部は補強(観察棟を設けて内部は非公開)、特別教室棟と体育館を公開・展示スペースとする[439]。2018年12月時点では2020年度末(2021年3月末)までの完成を目標と報じられたが[439]、実際には約1年遅れた2022年4月に公開されることになった[443]
  • 女川町
    • 旧女川交番:保存に向け2011年6月から寄付を募集。女川町では周囲も含めて「メモリアル公園」として整備する方針を定め[444]、2020年2月に整備工事が完工した[445]
  • 東松島市
  • 仙台市
    • 仙台市立荒浜小学校[446]2015年5月保存決定[注 21][447]。2017年4月30日より一般公開開始。隣接して鎮魂モニュメント「荒浜記憶の鐘」が建てられているほか、津波で破壊された住宅6戸の基礎も震災遺構としている[448]
  • 名取市
  • 山元町
    • 山元町立中浜小学校。2020年9月26日より一般公開開始。2020年グッドデザイン賞、グッドデザイン・ベスト100、特別賞グッドフォーカス賞[防災・復興デザイン]受賞。

福島県

震災から3年の時点で保存が検討されているのは、宮城県で15か所ほど、岩手県で8か所ある[453]。2014年5月時点、宮城県では7市町の12施設が検討対象である[454]

小惑星の命名

震災復興を祈り、国際天文学連合の「小惑星・彗星・流星2012」(2012年5月に新潟市朱鷺メッセで開催)をきっかけとして、小惑星に被災地の地名が命名された。これは国立天文台ローウェル天文台に依頼してつけたものである[455][456]

その他、以下の震災関連で命名された小惑星がある。

題材とした作品

この震災は被害・被災の規模が極めて大きく、社会全体に広範な影響をもたらしたことから、東日本大震災に関連して数多くの作品・表現が発表された。その内容は災害ドキュメンタリールポルタージュ、体験記といったノンフィクション作品をはじめ、鎮魂の思いを込めたもの、東日本大震災からの復興をテーマにしたもの、被災体験やボランティア体験を契機とした創作作品など多岐にわたる。

以下に東日本大震災に直接関連するものを挙げる。一般的な概念としての「絆」や「復興」を扱ったものは、ここでは取り上げない。

研究書・学術論文・評論

地震、津波そのものの理科学的考察が主であるものは含まない。(理科学的考察は「東北地方太平洋沖地震」へ)

  • 齊藤誠著『震災復興の政治経済学』日本評論社
    16-25兆円という政府発表の被害額見積もりが過大であったとし、それに基づく復興予算が経済に及ぼす影響を検証している[457]
  • 澤田康幸編『巨大災害・リスクと経済』日本経済新聞出版社。
  • エマニュエル・トッド著、石崎晴巳編訳『トッド 自身を語る』藤原書店
    「東日本大震災は日本の一部だけを襲い、その背後に日本の巨大な工業力がある」と指摘[457]
  • 畑村洋太郎『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』講談社現代新書、2011年。
  • 森一郎『死を超えるもの: 3・11以後の哲学の可能性』東京大学出版会、2013年。
  • リチャード・J・サミュエルズ著,プレシ南日子他訳『3.11 震災は日本を変えたのか』英治出版、2016年3月。
  • 国土交通省 東北地方整備局『東日本大震災の実体験に基づく 災害初動期指揮心得』2015年2月

文学

ノンフィクション、ルポ、写真集ほか
フィクション

映画

時系列順に表記し、月が不明なものはその年の最後に付した。年月不明の作品は最後に付した。自主制作作品も含む。

ノンフィクション、ドキュメンタリー
相馬看花 第二部『祭の馬』[465] - 松林要樹監督[466]
フタバから遠く離れて 第2部[468] - 2014年11月公開。
フタバから遠く離れて スピンオフ短編 放射能[469] - 2014年
フタバから遠く離れて 2016 総集編 - 2016年
フィクション

テレビ

ノンフィクション、ドキュメンタリー
  • 負げねど!津波〜被災旅館再生記〜[495] - 2013年、仙台放送。第22回FNSドキュメンタリー大賞にて大賞を受賞した[496]
  • ウォッチン!プラスSP 海風に舞う 石巻・十三浜 神楽とともに生きる人々[497] - テレビ制作部専任部長川村和弘、松本真理子ディレクタ一、TBC(東北放送)2015年6月初回放送。「第35回『地方の時代』映像祭2015」でグランプリ[498]。石巻の人々が神楽を通して復興する人々を3年間追ったドキュメンタリー[499]
  • 忘れない3.11 わたしの一言〜ヨシさんの“てんでんこ”〜[500] - 総合プロデューサー 角舘郁也、プロデューサー中村好子、プロデューサー堀米道太郎、撮影・構成 千葉佳史。IBC岩手放送が2011年から続ける震災復興キャンペーンテレビCMのうちの一本。日本民間放送連盟賞 / 2013年(平成25年)テレビCM部門 優秀賞[501]。2013年2月から月一本。「津波てんでんこ」で逃げた赤沼ヨシ(97歳、女性、田老町)が「復興はてんでんこではできない」と語る。
  • きぼう〜ふくしまのめばえ〜 - 福島中央テレビ日本テレビ系列)の平日夕方の情報番組『ゴジてれ Chu !』の75秒のコーナー。丸淳也報道部部長、村上正信報道部デスク。県内で生まれた赤ちゃんを応援。2012年1月から始まり、2016年2月現在1,000回を数える。
  • ともに[502] - 折原裕プロデューサー。仙台放送が毎月1回宮城県内の一人一人の復興のあゆみを紹介する30分番組。2011年4月23日から放送中、2016年2月13日で第59回。
  • 衝撃の瞬間ナショナルジオグラフィック)シーズン5第1話「FUKUSHIMA」(初回放送は2012年3月11日)
    • この放送では、「再現シーン」で、地震発生直前からの様子が放送され、当時福島県内で保育士であった女性や原子力保安院職員であった男性、川崎市消防局消防司長であった男性および内閣官房内閣広報室内閣審議官であった下村健一の証言などが放送された。
ドラマ

演劇

  • 『東の風が吹くとき』作・演出高木達[注 28][503]青年座
  • 『「ノクターン-夜想曲」(2015) -Nocturne 2015-』[504]。作・演出:倉本聰、音楽:倉田信雄、美術:横島憲夫、出演:富良野GROUP。
    2015年1月10日 - 3月15日まで全国公演。舞台が福島であり、東日本大震災と原発事故の被災者に寄り添いたいと思って創ったという[505]
  • 井伏銀太郎[506]いぶしぎんたろう。Gin's Bar主宰。1958年5月24日生まれ 宮城県出身、仙台市立仙台高校、仙台デザイン専門学校卒業。井伏銀太郎『White-あの日、白い雪が舞った』(2012年初演)、『イーハトーブの雪』(2015年初演)、『あの年』(2016年初演予定)[507]
  • 国立能楽堂能楽『名取ノ老女』2016年3月。主演(シテ)は梅若玄祥大槻文蔵。共演宝生和英、金剛龍謹。梅若玄祥が閖上(宮城県名取市)の浜などを入れた「名所教え」などを入れて新作した。梅若玄祥はいずれ名取市でも上演したいと述べている[508]
  • 柳美里改訂版『静物画』1991年も自身の作品の生死のテーマに生徒たちの被災定見を盛り込み2018年9月柳が主宰する演劇ユニット「青春五月党」で劇場上演した[509]

漫画

アニメ

  • Wake Up, Girls! - 2014年1月10日および2015年9月25日、同12月11日公開のアニメーション映画および2014年1月10日から3月28日までテレビ東京系で放送されたテレビアニメ。震災後の仙台を拠点に活動するアイドルグループの姿を描く。テレビアニメ第9話は被災した気仙沼の街を舞台としている。
  • 浪江町消防団物語「無念」[513] - いくまさ鉄平監督。浪江町まち物語つたえ隊(小澤是寛代表)、まち物語制作委員会(広島県。新澤孝重代表)。声の出演大地康雄、浪江町長・馬場有、浪江町消防団・高野仁久、浪江シンガー門馬よし彦ほか。音楽:門馬よし彦(浪江町在住)、上綱克彦(柳ジョージとレイニーウッド)、秋津智承(チェリスト)。
助けを求める人々の声を聞き「必ず来る」と伝えながら、原発事故の避難命令が出て救助に戻れなかった消防団の無念を描く[514]
  • 岬のマヨイガ - 2021年8月27日公開のアニメーション映画。前記小説のアニメ映画化作品。
  • すずめの戸締まり - 2022年11月11日公開のアニメーション映画。主人公が本震災の被災者であることが語られ、それが物語に大きく関係している。
短編アニメ

紙芝居

音楽

美術

  • プロジェクトFUKUSHIMA! - 福島の現状を伝えることを目的に、2011年5月8日に設立されたアートプロジェクト。
  • 竹内公太『指差し作業員』(2011年) - パフォーマンスアート
  • 柿崎順一Chim↑Pom被曝花』(2011年)
  • 加藤翼『The Lighthouses - 11.3 PROJECT』(2011年) - 500人の参加者が、いわき市で塩屋埼灯台の模型を引き起こした。
  • 開発好明『政治家の家』(2012年)
  • 志賀理江子『螺旋海岸』(2012年)
  • 藤井光『沿岸部風景記録』シリーズ(2012年-) - 定点カメラで被災地の海岸や森林を記録する。
  • 田中功起『振る舞いとしてのステイトメント』(2013年)
  • ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館(2013年) - 会場から福島第1原発までの距離を表す「9478.57km」というネオンサインを掲示した。この年の代表は田中功起。
  • 荒川医『このスープ、アンビバレントな味がする?』(2014年) - 福島野菜のスープをイギリスのフリーズ・アート・フェアでふるまうパフォーマンスアート。
  • 小森はるか、瀬尾夏美『波のした、土のうえ』(2014年) - インスタレーション
  • 川久保ジョイ『千の太陽の光が一時に天空に輝きを放ったならば』(2014年) - 大熊町の地面にフィルムを埋めて現像した。
  • 畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(2015年)
  • 『ドント・フォロー・ザ・ウィンド』(2015年-) - 帰還困難区域を会場として開催中の国際展。

著名人の被災

岩手県

  • 加藤宏暉 - 大槌町長。地震発生直後、役場前で緊急対策会議を行っていた際に津波に巻き込まれて死亡。町職員の多くも被災した。享年69。
  • 下川原孝 - 陸上競技選手。陸前高田市出身。100歳を超えてもなお陸上競技選手として活動していた。釜石市の自宅で津波に襲われ死亡。享年104。
  • 佐野正文 - 元ラグビー選手。元釜石ラグビー協会会長。津波に巻き込まれて死亡。享年63。
  • 山下文男(当時87歳) - 元日本共産党中央委員会文化部長、災害史家。大船渡市(旧綾里村)出身。1980年代以降は三陸地方を中心とした津波被害の研究に専念する。陸前高田病院に入院中に津波に襲われたが九死に一生を得た。大震災を機に再版された自著に追加した序文において、明治三陸地震や昭和三陸地震の教訓として指摘してきた「互いに助け合おうとしての共倒れ」「津波のスピードと引き潮の猛威を無視した逃げ遅れ」「一度は逃げたのに物慾のために家に戻ってしまう」ことで犠牲者を増やしてしまう悲劇が今回も繰り返されたことを嘆いている[520]。震災から9か月後の2011年12月に転院先にて死去。
  • 黄川田徹(当時57歳) - 民主党衆議院議員、陸前高田市出身・選出、元陸前高田市役所職員。震災で義理の両親(本人は婿養子)と妻(51歳)、長男(29歳)、公設第二秘書の男性を亡くし、本人とたまたま高台の教習所に通っていた娘1人が生き残る。自宅は海岸から2kmであった。2013年8月に仮設住宅に入居した。
  • 照井翠(当時48歳) - 俳人。岩手県立釜石高校[注 31]で被災、1か月間体育館と合宿所で生活した[460]。その経験を句集「龍宮」などで表現する。
  • スコット・ファーディー(当時26歳) - ラグビーオーストラリア代表ラグビーワールドカップ2015出場)。2009年(平成21年)より釜石シーウェイブスに所属していた選手で、釜石市において被災。母国より退避が呼びかけられたが同市に留まり、支援のためボランティア活動を行った。
  • 土村芳(当時20歳、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)2年) - 女優。盛岡市出身。大学から実家に帰省の途中、東北新幹線の車内で被災、仙台駅を過ぎたトンネル内で約9時間閉じ込められた[521]
  • 久慈暁子(当時16歳、高校1年生) - モデル、元・フジテレビアナウンサー。
  • 小川千奈(当時11歳) - ウェザーニューズ所属気象キャスター。ミス・ジャパン2020グランプリチャンピオン。
  • 佐々木朗希(当時9歳) - 千葉ロッテマリーンズ投手。陸前高田市出身。父と祖父母がこの震災による津波で死亡し、自宅が流された[522]。震災後は大船渡市に引っ越し、一時は老人ホームでの生活を余儀なくされた[523]。震災から丸12年となる2023年3月11日に行われた2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本チェコ戦に日本代表の先発投手として登板し、勝利投手となった事が話題になった。[524][525]

宮城県

  • 佐藤恵利子 - サッカー選手亘理町出身。津波に巻き込まれて行方不明となり、4月2日に家族により遺体が確認された。享年31。
  • 土井喜美夫 - 元石巻市長。石巻市出身。津波に巻き込まれて妻とともに行方不明となり、3月17日に石巻市総合体育館に安置された遺体から身元が確認された。享年67。
  • さとう宗幸(当時62歳) - シンガーソングライター。仙台市在住。司会を担当するミヤギテレビOH!バンデス」に出演するため同局に向かっていた途上で被災。さとうの代表曲で仙台のご当地ソングでもある「青葉城恋唄」が、1978年(昭和53年)6月12日発生の宮城県沖地震直後にヒットした経緯から、当震災でもさとうが様々な場面で同曲を歌い、桑田佳祐らも宮城県でのコンサートで歌った。さとうをはじめ、稲垣潤一遊佐未森山寺宏一らみやぎびっきの会のメンバーらが歌う復興支援ソング「虹を架けよう」の収益金は、震災で被災した子供たちの支援活動に寄付されている。
  • 伊集院静(当時61歳) - 作家。仙台市の自宅にて被災(十数年前に大補強し、突っ張り棒をしていた)[526]。のちに東日本大震災をテーマにして『男の流儀入門【震災編】』を執筆・刊行し、大友康平(宮城県塩竈市出身)とのコンビでチャリティソング『ハガネのように 花のように』を制作した[527]
  • クミコ(当時56歳) - シャンソン歌手。3月11日夕方から石巻市民会館にてコンサート出演予定であったため、同館地下の控室にいたときに地震が発生した[528]。裏山の採石場に避難したため津波を逃れたが同館は水没、クミコらは裏山で一夜を過ごすことになった[528]。翌日、仙台まで移動したが東京に行くすべがなく、タクシーで山形県の庄内空港まで移動し、羽田便で3月13日夜に東京に戻った[528][529](太平洋側の石巻から仙台を経て日本海側の庄内空港まで200km以上の横断)。その後は石巻をはじめ、被災地で無料コンサートなどを精力的に行っている。
  • 俵万智(当時48歳) - 歌人。2006年(平成18年)より自宅が仙台市にあり、両親・長男とともに住んでいた[530]。震災発生時は仕事で東京におり、5日かかって仙台に戻った[530]。福島第一原子力発電所事故による放射線被害から逃れようと考え、子供を連れて震災後も運航を続けていた隣県の山形空港に行き、那覇便で自主避難した[530]。その後、石垣島に渡り、そのまま定住した[530]。この自主避難の経験を含め、震災発生から1年間の短歌を集めた『あれから―俵万智3・11短歌集』を2012年3月に出版した。
  • 瀬名秀明(当時43歳) - 作家。仙台市の自宅マンションで被災。
  • 手倉森誠(当時43歳) - サッカー選手、監督。ベガルタ仙台監督時代に、仙台のクラブハウス2階で被災する。天井が崩壊し、窓ガラスは割れ、家具が転倒する中を脱出した。夜星が見え「希望の光」だと思ったという。震災37分後にコーチの瀬川誠の第1子が生まれたことを後から知った[531]
  • 大口玲子(当時41歳) - 詩人。仙台市で被災、原発事故を受け宮崎市に移住。
  • サンドウィッチマン(当時36歳) - お笑いコンビ。気仙沼港市場で東北放送 (TBC)『サンドのぼんやり〜ぬTV』のロケ中に被災した。2013年3月7日正午から運用開始した津波警報の啓発ポスターに起用された。
  • 平野啓一郎(当時35歳) - 作家。女川町で津波被害を目にして「人生でもっとも衝撃的な光景だった」と述べる。時間の流れが東京と被害地で違うことにヒントを得て、短編「透明な迷宮」(『新潮』2013年7月号)を発表[532]
  • マルキーニョス(当時34歳) - ブラジル人プロサッカー選手。ベガルタ仙台に所属していたが、震災で精神的ショックを受け、退団して母国ブラジルに帰国した。翌シーズンより、他のJリーグ球団に復帰した。
  • 近藤修司(当時33歳) - プロレスラー。試合会場の石巻へ移動するため記者と共に仙石線の快速列車に乗車中に列車内で被災。電車内で一夜を明かした[533]。翌々日、タクシーなどで新潟に移動し新幹線で帰京した[534]。なお列車の乗客は高台で列車が停車していたため、全員無事であった。
  • 鈴木みのる(当時42歳) - プロレスラー。試合会場の石巻へ移動するため全日本プロレスの巡業バスに乗車中、仙台南部道路上で被災。安全な場所に待避しバス内で一夜を明かす。翌日約17時間かけてバスで帰京した[535]。なお、このバスには同じくレスラーのSANADA(当時23歳)や諏訪魔(当時35歳)などが乗車していた[536][537]
  • 木原文人(当時44歳) - リングアナウンサー。試合会場の石巻へ移動するため全日本プロレスの外国人選手用の巡業バスに乗車中、仙台東部道路上で被災。避難中、津波の被害が大きい地域を通過したが、なんとか高台にバスごと避難して事なきを得た。その後、安全な場所で一夜を明かした後、帰京した[537]
  • 神林大介(当時31歳) - プロレスのレフェリー。石巻で会場の設営中に被災。大会は中止となり、リングや椅子を片して体育館で夜を明かした。翌朝、会場となるはずであった体育館が遺体安置所となったため、近くの避難所へ移動した[538]
  • その他、この日被災地にいた全日本プロレスの選手、スタッフは全員無事であった[535][538]
  • MONKEY MAJIK(当時30歳代) - カナダ人と日本人によるロックバンド。仙台在住。被災地にて泥かきやがれき撤去などボランティア活動を続けた。チャリティーライブ「SEND愛」を開催し、売上を寄付した。外務省から「震災復興発信使」(KIZUNA大使)に任命された。
  • Rake(年齢不詳) - シンガーソングライター。仙台市出身・在住。同市の自宅にて被災した。震災を機に「素晴らしき世界」を創作し、「誓い」は震災を機に始まった第1回東北六魂祭のテーマ曲となった。
  • 仙名彩世(当時22歳、宝塚歌劇団花組) - 女優。宝塚大劇場公演終了後、名取市へ帰省中に被災、本人はじめ家族・親戚は無事であったが連絡が取れない状態が続いた。仙名は東京公演出演の為、山形県の避難所で過ごした後、宝塚市に戻った[539]
  • 羽生結弦(当時16歳、東北高校1年) - フィギュアスケート選手。「アイスリンク仙台」(仙台市泉区)で練習中に建物が大きく揺れ、スケート靴を履いたまま外へ逃げた。羽生は、氷が波打ち、死の恐怖を感じて泣きながら逃げ出した、と語った。自宅も被害を受け、ライフラインが止まったため、4日間避難所暮らしをした。練習場が使えず、約60回のアイスショー公演で練習と感覚の維持をした[540][541][542]
  • Dorothy Little Happy(当時10歳代) - アイドルグループ。メンバーは仙台市在住。2011年3月16日にavex traxからメジャー・デビューの予定で準備していたが震災が発生、CDは被災地以外で予定通りの発売となったものの、デビューイベントがすべて中止または延期となり、被災地では1か月ほどCDを発売することができなかった。8月27日・28日開催の「TOKYO IDOL FESTIVAL2011〜Eco & Smile〜」にて注目を浴びた[543]
  • 岩田華怜(当時12歳) - アイドルグループ:AKB48のメンバー。震災当日は体調不良で小学校を早退し、仙台市内の自宅で静養しているときに震度6強の地震に遭遇。震災後に開かれたAKB48研究生セレクションを受験して合格し、芸能活動を始めることとなる[544]
  • 佐藤七海(当時11歳) - アイドルグループ:AKB48チーム8の岩手県代表メンバー。仙台市在住時に震災に遭い、自宅が全壊したため避難所暮らしをした[545][546]。その後、岩手県に移住し、AKB48チーム8の岩手県代表に選ばれた。
  • 佐々木莉佳子(当時9歳) - アイドルグループ:アンジュルム(旧・スマイレージ)のメンバー。気仙沼市出身。自宅を津波で流され避難生活を余儀なくされる[547][548]。このことが芸能活動を始めるきっかけとなった。
  • 宮世琉弥(当時7歳)- 俳優。石巻市出身。小学校にて被災し、自宅が全壊する。また、母と車で避難中に津波に巻き込まれたものの、斜面に流れ着いて事なきを得た。[549][550]
  • 伊達花彩(当時5歳)- アイドルグループ:いぎなり東北産のメンバー。幼稚園にて被災し、自宅が全壊する。被災後、アイドルを題材としたゲームをしたことでアイドルに興味を持つ。[551]

福島県

  • 和合亮一(当時43歳) - 高校国語教師、詩人。福島県立保原高等学校(福島県伊達市)で入試の合否判定会議中であった。震災を題材にした「詩の礫」をtwitterで発信し続け、のちに出版した。
  • GReeeeN(当時30歳前後) - ボーカルグループ(メンバーは歯科医師)。当時、福島県在住[552]。メンバーのHIDEは、震災死亡者の身元特定作業(検視)に参加した。東日本大震災復興プロジェクト『Green boys Project』を実施した[553]
  • 今井正人(当時26歳) - 陸上競技長距離走マラソン)選手。南相馬市小高区(旧・相馬郡小高町)出身。震災当時、本人はトヨタ自動車九州陸上競技部に所属しており直接の被災はしていないが、実家が津波の被害に遭い、駅伝関係の賞状などの多くが失われたほか、地元の友人らとも連絡がつかない状態にあったという。このことから、同年に結婚したRKB毎日放送元アナウンサーの川添麻美は、当初結婚を機に退職し、専業主婦として今井を支えることにしていたが、夫婦で話し合った結果「互いの仕事を続けていくことが周囲のためにできることだ」という結論に至り、退職を撤回した[554]
  • 栞菜智世(当時17歳) - 女優、歌手。いわき市出身。地震発生時には高校の校庭が「まっ二つに割れた」瞬間を目撃、その夜は水とチョコレートだけで一夜を凌ぐ。不自由な生活が続く中で、携帯プレイヤーにダウンロードしてあったJ-POPが心の支えとなった[555]。「第39回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを獲得し、歌手としてデビュー。
  • 舞木香純(当時13歳) - アイドルグループ:AKB48チーム8の福島県代表メンバー。双葉郡広野町出身[556]。福島第一原子力発電所事故の影響により、広野町立広野中学校からいわき市立湯本第三中学校に転校[557][558]。AKB48チーム8の福島県代表に選ばれた。
  • 優希美青(当時11歳) - 女優。南相馬市在住時に被災した[559][560]。山形県の中学校在校時であった2012年、「第37回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリとなり、芸能界デビューした[561]。岩手県を舞台の1つとする連続テレビ小説あまちゃん』において、宮城県のローカルアイドルグループ「仙台牛たんガールズ」のセンター・小野寺薫子役を演じた。

脚注

注釈

  1. ^ 英語版 en:2011 Tōhoku earthquake and tsunami の記事も参照。
  2. ^ U.S. Geological Survey(USGS)のデータでは、Mw9.1となっている。
  3. ^ 他の冷却手段が絶たれた場合の最終ヒートシンクとなる。
  4. ^ 自動車制御の中心部。汎用品ではなく、機種ごとに作り直す。製造装置は小さな振動も嫌う。[要出典]
  5. ^ 緊急交通路指定には首都高三郷線・八潮南出口 - 三郷ジャンクション(下り)、三郷ジャンクション - 八潮入口(上り)を含む。
  6. ^ 幸い、地震発生時は定期発着便の当発着時間を外れていたため、離着陸中の旅客機はおらず、それら乗客乗員の被害はなかった。
  7. ^ 当時の東京国際空港は本格的な再国際化が進んでおらず国内線と国際チャーター便だけであった。
  8. ^ なお、自衛隊百里航空基地としては上空からの監視のためのF-2の発着や、陸上自衛隊のCH-47ヘリコプターの中継基地として稼働している。
  9. ^ ほかに生業を持ちながら「自らの町は自らで守る」という精神に基づいて、消防活動を行う権限責任を有する非常勤特別職の地方公務員=年額報酬5万円程度である
  10. ^ 利根川沿いの埋め立て地を持つ。
  11. ^ 7戸が曳家(ひきや)で秋田市に移築され、高齢認知症者向けのグループホームになる。
  12. ^ 鉄筋コンクリート作りの伊能忠敬記念館が平成10年に完成し、2,345点の国宝資料を保存しているため、資料は無事であった。
  13. ^ うち、男性1名は救出されたが[186]、後に挫滅症候群により死亡した。
  14. ^ a b c d e f g 2015年(平成27年)国勢調査速報値の値。
  15. ^ テレビ東京を除く民放4系列が、1980年以降にCMを全面カットして放送した例としては、1989年1月7日昭和天皇崩御における特別編成(局によって時間は異なるが、おおむね1月7日5時台から1月9日未明までの約42時間)がこれまでの最長であり、本震災の報道においてはそれを上回った。なお、1995年1月17日阪神・淡路大震災直後もほぼ2日間のCMを全面カットした局があったが、こちらはあくまで在阪局の一部に限ったことで、系列全体を対象としたものではなかった。
  16. ^ 当時、radikoサービスは東京都、愛知県大阪府のラジオ局のみが参加しており、放送対象地域外への配信サービスも提供されていなかった。
  17. ^ 『朝日新聞』東京版では通常40頁が20 - 24頁となった。
  18. ^ 阪神・淡路大震災は225万人。
  19. ^ 全部残すと3 - 8億円かかるため、壁の一部を残し1.65億円。
  20. ^ 300人の高齢者園芸大会参加者などが社員の判断で帰宅をやめ、地上高17mの屋上に避難したが、屋上も津波が襲い、さらに上の非常スペースに避難し助かった。その後1日ペットボトル10本の水を分け合った。
  21. ^ 旧住所は 仙台市若林区荒浜新堀端32-1。
  22. ^ a b 大震災翌日の2011年3月12日の長野県北部地震
  23. ^ 1972年生まれ、写真家、テレビディレクター。
  24. ^ 著者のフェイスブックの題名『北野慶(反原発・安倍打倒)
  25. ^ ろう者。映像作家。名古屋在住。
  26. ^ 映画は一時打ち切られ、関係者や監督によると、過激派組織の「中核派」が、映画に出た1人の女性と、子どもの甲状腺を検査した福島県内の診療所と関係していると外部から指摘されたことが理由だという。女性は原発事故後に中核派になり、映画では2分半インタビューに応じていた。診療所によると中核派のメンバーが中心となって診療所の設立が呼びかけられ、映画には診療所での様子は1分半入っていた。
  27. ^ 1980年生、兵庫県出身。大阪芸術大学映像学科卒。
  28. ^ たかぎ とおる。1950年福島県いわき市久之浜生まれ。震災時には家の1階に津波が入り、その後3日間放射能から逃れて避難所にいた。明治大学卒。1972 - 2013青年座。福島第一原発近くの架空の村が金で荒廃する『風の家』(NHK) で1989年度イタリア放送協会賞受賞。老夫婦が放射能で衰弱していく様子を描いた『風が吹くとき』(2011年)の脚本。
  29. ^ 愛知県岡崎市本宿町に住む。
  30. ^ ごらいみか、29歳。シンガーソングライター。浪江町出身、群馬県太田市で避難生活中。
  31. ^ 海岸から7km。

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関連項目

外部リンク

映像外部リンク
NHK東日本大震災アーカイブス - 日本放送協会(NHK)
FNN東日本大震災アーカイブ - フジテレビ - YouTubeチャンネル(3.11忘れない)
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