「円光寺 (京都市左京区)」の版間の差分
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'''円光寺'''(えんこうじ)は、[[京都市]][[左京区]]一乗寺にある[[臨済宗南禅寺派]]の寺院。山号は瑞巌山(ずいがんさん) |
'''円光寺'''(えんこうじ)は、[[京都市]][[左京区]]一乗寺にある[[臨済宗南禅寺派]]の[[寺院]]。[[山号]]は瑞巌山(ずいがんさん)。[[本尊]]は[[千手観音]]。開基(創立者)は[[徳川家康]]。正式には圓光寺と表記する。当寺では徳川家康の命により、日本における初期の活字本の一つである「[[伏見版]]」の印刷事業が行われた。秋は[[紅葉]]の名所となり多くの人が訪れる。 |
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==歴史== |
== 歴史 == |
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徳川家康により[[慶長]]6年([[1601年]])に[[足利学校]]の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶が招かれ、[[伏見城]]下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まる。 |
[[徳川家康]]により[[慶長]]6年([[1601年]])に[[足利学校]]の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶が招かれ、[[伏見城]]下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まる。 |
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当寺は学校でもあったので、家康から与えられた木活字を用いて、『[[孔子家語]]』(こうしけご)『[[貞観政要]]』(じょうがんせいよう)、『[[三略]]』などの[[儒学]]・兵法関連の書物を刊行した。これらの書物は[[伏見版]]、あるいは円光寺版と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されている。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり[[重要文化財]]となっている<ref>『月刊文化財』346号、p.47</ref>。 |
当寺は学校でもあったので、家康から与えられた木活字を用いて、『[[孔子家語]]』(こうしけご)『[[貞観政要]]』(じょうがんせいよう)、『[[三略]]』などの[[儒学]]・兵法関連の書物を刊行した。これらの書物は[[伏見版]]、あるいは円光寺版と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されている。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり[[重要文化財]]となっている<ref>『月刊文化財』346号、p.47</ref>。 |
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その後、当寺は[[相国寺]]山内に移り、[[寛文]]7年([[1667年]])に現在地に移された<ref>『京都の禅寺散歩』、p.90</ref>。 |
その後、当寺は[[相国寺]]山内に移り、更に三世澤雲祖兌禅師のとき、[[寛文]]7年([[1667年]])に現在地に移された<ref>『京都の禅寺散歩』、p.90</ref>。 |
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[[明治]]以降、臨済宗南禅寺派の尼僧の修行道場となっていた時もあった。 |
[[明治]]時代以降、[[臨済宗南禅寺派]]の尼僧の修行道場となっていた時もあった。 |
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==境内== |
== 境内 == |
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*本堂 |
* 本堂 |
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*十牛之庭 - 洛北で最も古いといわれる栖龍池(せいりゅうち)と[[水琴窟]]がある。 |
* 庭園「十牛之庭」 - 洛北で最も古いといわれる栖龍池(せいりゅうち)と[[水琴窟]]がある。 |
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*庫裏 |
* 庫裏 |
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*茶室「待月庵」 |
* 茶室「待月庵」 |
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*中門 |
* 中門 |
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*奔龍庭 - [[枯山水]]庭園。 |
* 庭園「奔龍庭」 - [[枯山水]]庭園。 |
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*坐禅堂 |
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*応挙竹林 |
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*[[東照宮]] - 開基堂。ここからの洛北地域の展望は良い。 |
* [[東照宮]] - 開基堂。ここからの洛北地域の展望は良い。 |
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*[[徳川家康]]の墓 - 家康の歯を埋めたとされる。 |
* [[徳川家康]]の墓 - 家康の歯を埋めたとされる。 |
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*[[村山たか]](たか女)の墓 - 最初の[[大河ドラマ]]とされる『[[花の生涯]]』ヒロイン。大老[[井伊直弼]]と親しく[[安政の大獄]]に加担、晩年を近隣の[[金福寺]]にて尼僧として過ごした。 |
* [[村山たか]](たか女)の墓 - 最初の[[大河ドラマ]]とされる『[[花の生涯]]』ヒロイン。大老[[井伊直弼]]と親しく[[安政の大獄]]に加担、晩年を近隣の[[金福寺]]にて尼僧として過ごした。 |
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*[[サイド・オマール]]の墓 - [[第二次世界大戦]]中に日本に留学していた[[マレーシア]]出身の留学生(南方特別留学生)で、[[広島市|広島]]で被爆し京都で死去した。 |
* [[サイド・オマール]]の墓 - [[第二次世界大戦]]中に日本に留学していた[[マレーシア]]出身の留学生(南方特別留学生)で、[[広島市|広島]]で被爆し京都で死去した。 |
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*山門 |
* 山門 |
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ファイル:Enkō-ji in Kyoto Japan01-r.jpg|山門 |
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ファイル:Enkō-ji in Kyoto Japan02-r.jpg|奔龍庭と奥に中門と本堂 |
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ファイル:Enkō-ji in Kyoto Japan03-r.jpg|瑞雲閣と奔龍庭 |
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ファイル:Enkō-ji, Zazen Hall 01.jpg|坐禅堂内部 |
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ファイル:Enkō-ji in Kyoto Japan08-r.jpg|書院と十牛之庭 |
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ファイル:Enkō-ji in Kyoto Japan07-r.jpg|十牛之庭 |
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ファイル:Enkō-ji in Kyoto Japan09-r.jpg|手水鉢と水琴窟 |
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==文化財== |
== 文化財 == |
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===重要文化財=== |
=== 重要文化財 === |
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*紙本墨画竹図(雨竹風竹図) |
* 紙本墨画竹図(雨竹風竹図) - 六曲屏風一双、円山応挙筆。 |
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*絹本著着色元佶和尚像 |
* 絹本著着色元佶和尚像 - 自賛あり。 |
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*伏見版木活字 52,320個(附 |
* 伏見版木活字 52,320個(附:摺刷盤2面) |
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==拝観== |
== 拝観 == |
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拝観料は大人500円・中高校生400円・小学生300円。9時から17時まで開門。 |
拝観料は大人500円・中高校生400円・小学生300円。9時から17時まで開門。 |
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要予約・有料([[2017年]]現在1000円)で紅葉期のみ7時30分から約1時間の早朝拝観ができる。坐禅堂では日曜日の朝6時から2時間にわたり日曜坐禅会が行われており、要予約・志納でだれでも座禅だけでなく、作務(境内掃除の修行)や法話・粥坐(朝粥を食べるのも修行のひとつとされている)を体験できる。 |
要予約・有料([[2017年]]現在1000円)で紅葉期のみ7時30分から約1時間の早朝拝観ができる。坐禅堂では日曜日の朝6時から2時間にわたり日曜坐禅会が行われており、要予約・志納でだれでも座禅だけでなく、作務(境内掃除の修行)や法話・粥坐(朝粥を食べるのも修行のひとつとされている)を体験できる。 |
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==近隣== |
== 近隣 == |
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*[[詩仙堂]] |
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*[[狸谷山不動院]] |
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*[[八大神社]] |
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*[[鷺森神社]] |
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== 交通アクセス == |
== 交通アクセス == |
2024年3月26日 (火) 08:13時点における最新版
圓光寺 | |
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枯山水の奔龍庭 | |
所在地 | 京都府京都市左京区一乗寺小谷町13 |
位置 | 北緯35度2分42秒 東経135度47分49秒 / 北緯35.04500度 東経135.79694度座標: 北緯35度2分42秒 東経135度47分49秒 / 北緯35.04500度 東経135.79694度 |
山号 | 瑞巌山(ずいがんさん) |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 慶長6年(1601年) |
開山 | 閑室元桔 |
開基 | 徳川家康 |
文化財 | 円山応挙筆 紙本墨画竹図、絹本着色元佶和尚像、伏見版木活字52,320個(重要文化財) |
法人番号 | 6130005001099 |
円光寺(えんこうじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は瑞巌山(ずいがんさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は徳川家康。正式には圓光寺と表記する。当寺では徳川家康の命により、日本における初期の活字本の一つである「伏見版」の印刷事業が行われた。秋は紅葉の名所となり多くの人が訪れる。
歴史[編集]
徳川家康により慶長6年(1601年)に足利学校の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶が招かれ、伏見城下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まる。
当寺は学校でもあったので、家康から与えられた木活字を用いて、『孔子家語』(こうしけご)『貞観政要』(じょうがんせいよう)、『三略』などの儒学・兵法関連の書物を刊行した。これらの書物は伏見版、あるいは円光寺版と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されている。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり重要文化財となっている[1]。
その後、当寺は相国寺山内に移り、更に三世澤雲祖兌禅師のとき、寛文7年(1667年)に現在地に移された[2]。
明治時代以降、臨済宗南禅寺派の尼僧の修行道場となっていた時もあった。
境内[編集]
- 本堂
- 庭園「十牛之庭」 - 洛北で最も古いといわれる栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟がある。
- 庫裏
- 茶室「待月庵」
- 中門
- 庭園「奔龍庭」 - 枯山水庭園。
- 瑞雲閣 - 展示室。伏見版木活字や円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」などがある。
- 坐禅堂
- 鐘楼
- 応挙竹林
- 東照宮 - 開基堂。ここからの洛北地域の展望は良い。
- 徳川家康の墓 - 家康の歯を埋めたとされる。
- 村山たか(たか女)の墓 - 最初の大河ドラマとされる『花の生涯』ヒロイン。大老井伊直弼と親しく安政の大獄に加担、晩年を近隣の金福寺にて尼僧として過ごした。
- サイド・オマールの墓 - 第二次世界大戦中に日本に留学していたマレーシア出身の留学生(南方特別留学生)で、広島で被爆し京都で死去した。
- 山門
-
山門
-
奔龍庭と奥に中門と本堂
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瑞雲閣と奔龍庭
-
坐禅堂内部
-
書院と十牛之庭
-
十牛之庭
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手水鉢と水琴窟
文化財[編集]
重要文化財[編集]
- 紙本墨画竹図(雨竹風竹図) - 六曲屏風一双、円山応挙筆。
- 絹本著着色元佶和尚像 - 自賛あり。
- 伏見版木活字 52,320個(附:摺刷盤2面)
拝観[編集]
拝観料は大人500円・中高校生400円・小学生300円。9時から17時まで開門。
要予約・有料(2017年現在1000円)で紅葉期のみ7時30分から約1時間の早朝拝観ができる。坐禅堂では日曜日の朝6時から2時間にわたり日曜坐禅会が行われており、要予約・志納でだれでも座禅だけでなく、作務(境内掃除の修行)や法話・粥坐(朝粥を食べるのも修行のひとつとされている)を体験できる。
近隣[編集]
交通アクセス[編集]
- 車 拝観者専用の無料駐車場がある。途中の道が狭隘なので注意を要する。
- バス 京都市営バス5・北8系統、京都バス18・56系統 「一乗寺下り松町」下車 東へ約400m。詩仙堂前を左折してすぐ。
- 鉄道 叡山電鉄叡山本線一乗寺駅下車 東へ約700m
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 竹貫元勝『京都の禅寺散歩』、雄山閣、1994
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』346号、1992
- 「京都の出版」(京都市歴史資料館サイト)