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Infobox mapfram。Japan Nagano Prefecture
 
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|名称 = 野尻湖
|名称 = 野尻湖
|画像 = [[ファイル:20090621野尻湖.jpg|300px|野尻湖空撮]]<br />野尻湖空撮
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|Japan#Japan Nagano Prefecture
|河川 =
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|面積 = 4.45<ref name="menseki">{{Cite web|author=国土地理院|authorlink=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/kosyo.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-24}}</ref>
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|所在地 = {{JPN}}<br />[[長野県]][[上水内郡]][[信濃町 (代表的なトピック)|信濃町]]
| 緯度度 = 36 | 緯度分 = 49 | 緯度秒 = 30 | N(北緯)及びS(南緯) = N
| 経度度 = 138 |経度分 = 13 | 経度秒 = 20 | E(東経)及びW(西経) = E
| 地図国コード = JP-20
|河川 =
|面積 = 4.45<ref name="menseki">{{Cite web|和書|author=国土地理院|authorlink=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/backnumber/GSI-menseki20141001.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-24}}</ref>
|周囲長 = 16
|周囲長 = 16
|最大水深 = 38.5
|最大水深 = 39.1
|平均水深 = 21
|平均水深 = 21
|貯水量 = 0.096
|貯水量 = 0.096
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|淡汽 = [[淡水]]
|淡汽 = [[淡水]]
|湖沼型 = 中栄養湖
|湖沼型 = 中栄養湖
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|透明度 = 5〜7
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}}

{{mapplot|138.2220|36.8264|野尻湖}}
[[ファイル:20081003KubikiSankai&FujiSanTagged.jpg|thumb|[[斑尾山]]・[[黒姫山 (長野県)|黒姫山]]間の[[高原]]に位置する野尻湖空撮]]
[[ファイル:20081003KubikiSankai&FujiSanTagged.jpg|thumb|[[斑尾山]]・[[黒姫山 (長野県)|黒姫山]]間の[[高原]]に位置する野尻湖空撮]]
[[ファイル:kurohime3.JPG|thumb|[[黒姫高原スノーパーク]]からの野尻湖(後方は斑尾山)]]
'''野尻湖'''(のじりこ)は、[[長野県]][[上水内郡]][[信濃町]]にある[[湖]]。古くは'''信濃尻湖'''(しなのじりこ)と呼ばれた。'''芙蓉湖'''(ふようこ)とも呼ばれる。[[ナウマンゾウ]]化石が出土する湖としても知られており、[[発掘調査]]が行われる。[[湖沼水質保全特別措置法]]指定湖沼。天然湖で、[[妙高高原]]、[[黒姫高原]]とともに[[上信越国立公園]]に指定されている。
[[ファイル:Lake Nojiri survey 1976.jpg|thumb|野尻湖空撮<ref>{{国土航空写真}}(1976年度撮影)。</ref>]]
[[ファイル:Lake Nojiri.JPG|thumb|野尻湖(後方は黒姫山)]]

'''野尻湖'''(のじりこ)は、[[長野県]][[上水内郡]][[信濃町 (代表的なトピック)|信濃町]]にある[[湖]]。古くは'''信濃尻湖'''(しなのじりこ)と呼ばれた。'''芙蓉湖'''(ふようこ)とも呼ばれる。[[ナウマンゾウ]]化石や[[日本の旧石器時代|旧石器時代]]の[[遺物]]が出土する湖としても知られており([[野尻湖遺跡群]])、[[発掘調査]]が行われてい{{Sfn|長野県立歴史館|2008}}。[[湖沼水質保全特別措置法]]指定湖沼。天然湖で、[[妙高高原]]、[[黒姫高原]]とともに[[戸隠連山国立公園]]に指定されている。


== 地理 ==
== 地理 ==
東の[[斑尾山]]と西の[[黒姫山 (長野県)|黒姫山]]に挟まれた[[標高]]654メートルの[[高原]]に位置する。面積は4.56平方キロメートルで、長野県の天然湖としては[[諏訪湖]]に次いで2番目に大きい。水深は38.5メートルあり、貯水量では諏訪湖を上回る。湖の水は[[池尻川]]を通じて流出し、[[関川]]へ合流して[[日本海]]に注ぐ。
東の[[斑尾山]]と西の[[黒姫山 (長野県)|黒姫山]]に挟まれた[[標高]]'''654'''メートルの[[高原]]に位置する。面積は4.56平方キロメートルで、長野県の天然湖としては[[諏訪湖]]に次いで2番目に大きい。水深は39.1メートル(2017年4月調査)あり、貯水量では諏訪湖を上回る。湖の水は[[池尻川]]を通じて流出し、[[関川 (信越)|関川]]へ合流して[[日本海]]に注ぐ。


成因には諸説が存在し、[[斑尾山]]の噴出物によってせき止められたという説と、[[黒姫山 (長野県)|黒姫山]]の噴火により発生した、池尻川泥流によりせき止められ、その後、湖の西側が隆起したと言う説がある<ref>[http://dx.doi.org/10.5575/geosoc.16.411 大橋 良一:野尻湖の成因に就て]質学雑誌 Vol.16 (1909) No.193 P411-413</ref><ref>[http://www.ycf.nanet.co.jp/~skato/nojiriko/1overview/index.html 立ヶ鼻遺跡]野尻湖仮想博物館</ref>。
成因には諸説が存在し、[[斑尾山]]の噴出物によってせき止められたという説と、[[黒姫山 (長野県)|黒姫山]]の噴火により発生した、池尻川泥流によりせき止められ、その後、湖の西側が隆起したと言う説がある<ref>[https://doi.org/10.5575/geosoc.16.411 大橋 良一:野尻湖の成因に就て]質学雑誌 Vol.16 (1909) No.193 P411-413</ref><ref>[http://www.ycf.nanet.co.jp/~skato/nojiriko/1overview/index.html 立ヶ鼻遺跡]野尻湖仮想博物館</ref>。


== 名称 ==
'''野尻湖'''という名称は、古く'''信濃尻湖'''と呼ばれたものが変化したものであり、また湖の形状から'''芙蓉湖'''という別名が付けられた。以下に『[[角川日本地名大辞典]]』より[[引用]]する<ref name="kadokawa885">『角川地名大辞典 20 長野県』885ページ。</ref>。
'''野尻湖'''という名称は、古く'''信濃尻湖'''と呼ばれたものが変化したものであり、また湖の形状から'''芙蓉湖'''という別名が付けられた。以下に『[[角川日本地名大辞典]]』より[[引用]]する<ref name="kadokawa885">『角川地名大辞典 20 長野県』885ページ。</ref>。


{{Quotation|県最北端にあることから,古来,信濃尻湖と呼んでいたものが,略されて野尻湖と呼ばれるようになったという(中略)湖岸線が出入りに富み,その形が[[芙蓉]]の[[花]]に似ていることから芙蓉湖とも呼ばれる。}}
{{Quotation|県最北端にあることから,古来,信濃尻湖と呼んでいたものが,略されて野尻湖と呼ばれるようになったという(中略)湖岸線が出入りに富み,その形が[[芙蓉]]の[[花]]に似ていることから芙蓉湖とも呼ばれる。}}


[[1933年]](昭和8年)4月付の史蹟名勝天然紀念物調査報告 第拾四輯に収録されている「名勝野尻湖」の項([[八木貞助]]著)には以下のようにあるので引用する<ref>『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第四巻』219ページ。文中の「信濃尻」には[[片仮名]]で「シナノジリ」と[[ルビ]]が振られている。また、「通」の字は[[チャク部#二点之繞|二点之繞]](辶)である。</ref>。
[[1933年]](昭和8年)4月付の史蹟名勝天然紀念物調査報告 第拾四輯に収録されている「名勝野尻湖」の項([[八木貞助]]著)には以下のようにあるので引用する<ref>『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第四巻』219ページ。文中の「信濃尻」には[[片仮名]]で「シナノジリ」と[[ルビ]]が振られている。また、「通」の字は[[部#二点之繞|二点之繞]](辶)である。</ref>。


{{Quotation|古來「信濃尻湖」と呼びたるものが略されて野尻湖と稱するに至たので、雅名を芙蓉湖と云ふ。卽ち湖岸線の突出が著しく、八崎を數へる處から 八朶の芙蓉に通はせたものである。}}
{{Quotation|古來「信濃尻湖」と呼びたるものが略されて野尻湖と稱するに至たので、雅名を芙蓉湖と云ふ。卽ち湖岸線の突出が著しく、八崎を數へる處から 八朶の芙蓉に通はせたものである。}}


[[1937年]](昭和12年)発行の『高日本風光』には芙蓉湖のほか'''蓮湖'''とも呼ばれるとあるので以下に引用する<ref>『[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108566/153 高日本風光]』243ページ。</ref>。
[[1937年]](昭和12年)発行の『高日本風光』には芙蓉湖のほか'''蓮湖'''とも呼ばれるとあるので以下に引用する<ref>『[{{NDLDC|1108566/153}} 高日本風光]』243ページ。</ref>。


{{Quotation|此湖形蓮花に似たりとて、芙蓉湖又は蓮湖とも呼ばる。}}
{{Quotation|此湖形蓮花に似たりとて、芙蓉湖又は蓮湖とも呼ばる。}}
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=== 水力発電 ===
=== 水力発電 ===
[[東北電力]]の[[水力発電]]所・'''池尻川発電所'''は、野尻湖の水を取り入れ、最大2,340キロ[[ワット]]の[[電力]]を発生したのち、関川に放流する。野尻湖に流入する水が少なくなる冬の間は、発電所の運転により野尻湖の水位が低下してしまう。野尻湖は関川下流域の農地を潤す水がめであるから、春先に関川を流れる豊富な雪解け水を[[発電所]]に設置された[[ポンプ]]で野尻湖にくみ上げ、農業用水が必要となり始める時期を前に水位を回復させる。こうした運用ができる水力発電所を[[揚水発電]]所という。[[1932年]]([[昭和]]7年)、東北電力の前身となった[[企業]]の一つ・[[中央電気]]の国友末蔵が、自身の経験([[ヨーロッパ]]を流れる[[ライン川]]における水力発電所の視察)をもとに[[内務省 (日本)|内務省]]からの助言を得つつ池尻川発電所建設計画を立案し、日本初の揚水発電所として[[1934年]]([[昭和]]9年)に完成した。
[[東北電力]]の[[水力発電]]所・'''池尻川発電所'''は、野尻湖の水を取り入れ、最大2,340キロ[[ワット]]の[[電力]]を発生したのち、関川に放流する。野尻湖に流入する水が少なくなる冬の間は、発電所の運転により野尻湖の水位が低下してしまう。野尻湖は関川下流域の農地を潤す水がめであるから、春先に関川を流れる豊富な雪解け水を[[発電所]]に設置された[[ポンプ]]で野尻湖にくみ上げ、農業用水が必要となり始める時期を前に水位を回復させる。こうした運用ができる水力発電所を[[揚水発電]]所という。[[1932年]]([[昭和]]7年)、東北電力の前身となった[[企業]]の一つ・[[中央電気]]の[[国友末蔵]]が、自身の経験([[ヨーロッパ]]を流れる[[ライン川]]における水力発電所の視察)をもとに[[内務省 (日本)|内務省]]からの助言を得つつ池尻川発電所建設計画を立案し、日本初の揚水発電所として[[1934年]]([[昭和]]9年)に完成した。


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ファイル:Ikejirigawa power station.jpg|池尻川発電所
ファイル:Ikejirigawa power station.jpg|池尻川発電所
ファイル:Ikejirigawa reservoir.jpg|関川沿いに設けられた池尻川調整池
ファイル:Ikejirigawa reservoir.jpg|関川沿いに設けられた池尻川調整池
ファイル:Lake Nojiri survey 1976.jpg|野尻湖空撮<ref>{{国土航空写真}}(1976年度撮影)。</ref>
ファイル:20090621野尻湖広域.jpg|野尻湖広域空撮画像
ファイル:20090621野尻湖広域.jpg|野尻湖広域空撮画像
ファイル:Kunitomo Suezo.JPG|国友末蔵(1953年)
ファイル:Kunitomo Suezo.JPG|国友末蔵(1953年)
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=== 観光 ===
=== 観光 ===
[[ファイル:Lake Nojiri.JPG|thumb|野尻湖(後方は黒姫山)]]
[[ファイル:Lake Nojiri Biwa Island.jpg|thumb|琵琶島]]
[[ファイル:230806 Lake Nojiri view from Nojiriko Terrace Shinano Nagano pref Japan01s3.jpg|thumb|野尻湖テラス]]
[[ファイル:kurohime3.JPG|thumb|[[黒姫高原スノーパーク]]からの野尻湖(後方は斑尾山)]]
夏季には[[マリンスポーツ]]が盛ん。他方、寒冷地にあるにもかかわらず冬季でも結氷しない湖であり、冬季には「[[ドーム船]]」と呼ばれる[[ストーブ]]を備えた[[船]]で行う[[ワカサギ]][[釣り]]が楽しめる。湖畔の一部に[[避暑地#日本三大外国人避暑地|日本三大外国人避暑地]]の1つに数えられる{{ウィキ座標|36|49|20.42|N|138|12|7.35|E|scale:10000|'''神山国際村'''}}があり、大正10年([[1921年]])から野尻湖協会 (Nojiri Lake Association)によって管理されている。
夏季には[[マリンスポーツ]]が盛ん。他方、寒冷地にあるにもかかわらず冬季でも結氷しない湖であり、冬季には「[[ドーム船]]」と呼ばれる[[ストーブ]]を備えた[[船]]で行う[[ワカサギ]][[釣り]]が楽しめる。湖畔の一部に[[避暑地#日本三大外国人避暑地|日本三大外国人避暑地]]の1つに数えられる{{ウィキ座標|36|49|20.42|N|138|12|7.35|E|scale:10000|'''神山国際村'''}}があり、大正10年([[1921年]])から野尻湖協会 (Nojiri Lake Association)によって管理されている。


野尻湖観光汽船野尻湖定期船会社によって3隻の[[遊覧船]]とレンタルボートが運営されており、これを利用することによって湖上に浮かぶ琵琶島を訪れることが出来る。同島には、[[宇賀神社]]と戦国武将の[[宇佐美定満]]のものとされる墓が存在する。
* 観光汽船 - 野尻湖定期船会社によって3隻の[[遊覧船]]とレンタルボートが運営されており、これを利用することによって湖上に浮かぶ琵琶島{{Efn|[[吉田篁墩]]『近聞寓談』によれば、この島の近くで息をひそめて静聴すれば楽声がするという理由で名づけられたという<ref>{{Cite book|和書|author=吉田篁墩|year=1823|title=近聞寓談_乾|publisher=東都書林|pages=巻一_1-2}}</ref>。}}を訪れることが出来る。同島には、[[宇賀神社 (信濃町)|宇賀神社]]と戦国武将の[[宇佐美定満]]のものとされる墓が存在する。


*野尻湖テラス - [[東急リゾート]]により[[斑尾山]]中腹に野尻湖を展望する施設として設けられた。
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ファイル:Lake Nojiri Biwa Island.jpg|野尻湖に浮かぶ琵琶島
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== 学術調査 ==
==野尻湖遺跡群==
[[ファイル:Nojiri-ko Museum.jpg|thumb|[[野尻湖ナウマンゾウ博物館]]]]
[[ファイル:Nojiri-ko Museum.jpg|thumb|[[野尻湖ナウマンゾウ博物館]]]]
[[ファイル:Nojiri-ko Museum Palaeoloxodon naumanni.jpg|thumb|ナウマンゾウ]]
[[ファイル:230807 Lake Nojiri Shinano Nagano pref Japan02s3.jpg|thumb|湖畔のナウマンゾウ化石発掘地]]
野尻湖の湖底および湖畔、また周囲の[[丘陵]]部では、[[日本の旧石器時代|旧石器時代]]から[[縄文時代]]草創期にかけての[[遺跡]]([[周知の埋蔵文化財包蔵地]])が38箇所ほど集中して分布しており、'''[[野尻湖遺跡群]]'''と総称されている{{Sfn|野尻湖人類考古グループ|1994|pp=1-3}}。野尻湖湖底には'''立が鼻遺跡'''や'''[[杉久保遺跡]]'''があり、[[ナウマンゾウ]]・[[オオツノジカ]]等の骨のほか、[[石器]]・[[骨角器]]が出土している{{Sfn|長野県立歴史館|2008}}。
この湖底遺跡は出土した[[石器]]の特徴から見て、[[旧石器時代|中期石器時代]]の末に位置づけられ、堆積層を上部・中部・下部に分けると約50,000年前から3,3000年前までに形成されたと考えられている。

=== ナウマンゾウなどの発掘調査 ===
[[1948年]]に地元住民が偶然ナウマンゾウの[[臼歯]]を発見(発見当初は、凸凹の形状から「湯たんぽの化石」と言っていた)したことにより、[[1962年]]から湖底や湖畔での発掘調査が始まった。発掘が行われるのは、野尻湖の西岸の立が鼻という岬付近の湖底とその周辺である。地名を取って「'''立が鼻遺跡'''」と呼ばれるキルサイト(狩猟した大型哺乳動物の解体場)の[[遺跡]]である。発掘調査は3年に一回3月に行われ、発電所の取水による湖水面の低下のため湖岸が沖合に後退する時期に合わせて、世界的にも珍しい「大衆発掘」という形態で行われている<ref>[http://www2.ueda.ne.jp/~moa/nojiriko.html 野尻湖]長野県理化学会 地学部会 編 長野県の地学</ref>。

==== 発掘の歴史 ====
1962年の70名が参加した第1次発掘では、ナウマンゾウとヤベオオツノジカの化石発掘により、3 - 5万年前の最後の[[氷河時代]]のものであることが確認された。1964年の第3次発掘では、旧石器の剥片が発見され、ナウマンゾウと人類の関係が問題となった。1973年の第5次発掘では、参加者が千人を超えた。ナウマンゾウの[[切歯]]とオオツノジカの掌状角をはじめ、ナイフ形石器、骨製基部加工剥片(ナイフ形骨器)などが発見され、ナウマンゾウと[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]の人類が共存していたことが証明された。

[[2008年]]の第17次の発掘までに約22,800人が参加し、約67,000点の化石遺物が発見されており<ref>[http://www.avis.ne.jp/~nojiriko/ayumi.html 野尻湖発掘の歩み] 野尻湖ナウマンゾウ博物館</ref>、出土品のほとんどは湖畔の[[野尻湖ナウマンゾウ博物館]]に収蔵され、一部が展示されている。

発掘を組織しているのは、野尻湖発掘調査団(本部は野尻湖ナウマンゾウ博物館)で、民間の学術団体である。
全国23カ所に、発掘の参加者を募集し、そのための学習を行う「野尻湖友の会」という組織が作られ、老若男女誰でも友の会の会員になれば発掘に参加できる。発掘の運営は、参加者の参加費によって賄われている。

[[1997年]]12月、長野県信濃町の野尻湖発掘調査団は、同年3月の第13次発掘調査で約4万年前の中期旧石器時代の地層から発見された「木葉型尖頭器(もくようがたせんとうき)」が偽物だったと公表した。調査の結果、95年夏、近くの別の遺跡で発掘直後に盗まれたものだったと判明した。
調査団長の酒井潤一・信州大教授らは、再発防止策を2年半かけて検討した。その結果、[[2000年]]3月の第14次発掘調査から『確かめ掘り』を採用した。遺物を掘り当てた時点で作業を止め、周辺の地層を複数の人間が入念に調査し、地層と遺物の関係を現場で確認する。
偽物を見抜けなかった責任を取り、酒井教授は再発防止の道筋がついた[[1999年]]11月、団長を辞任した。

==== 考古遺物 ====
この遺跡からは、珍しく人類遺物と動物遺体が同一層中から出土している。多くの小型の削片石器が主体のナイフ形[[石器]]、ナウマンゾウの象牙を加工したビーナスの[[骨器]]、ナウマンゾウや[[オオツノシカ|ヤベオオツノシカ]]の[[化石]]などが出土した。これらの大型哺乳動物が人類によって狩猟の対象にされた可能性が指摘されている。この外に、[[ニホンジカ]]、[[イノシシ]]、[[アナグマ]]、[[ノウサギ]]などの中・小型の哺乳動物の化石も発見されている。また、遺跡やその周辺から検出されたマツ科の[[チョウセンゴヨウ]]の花粉及び植物遺体は旧石器人の植物食料源となったと推測されており、[[オニグルミ]]、[[ツノハシバミ]]も出土している<ref>[http://www.kaf.or.jp/downroad/H19(5)youkoso.pdf ナウマン象に出会った 石器たち]財団法人 かながわ考古学財団</ref>。


{{main|野尻湖遺跡群}}
その他、ナウマンゾウの足跡や貝のもぐり跡などの[[生痕化石]]と思われるものも見つかっている。また、[[地層]]中の[[珪藻]]、[[花粉]]の[[微化石]]を採取したり[[古地磁気]]を測定するための湖底堆積物のサンプリングや[[火山灰]]の分析などを通して、[[年代測定]]や古環境の研究も行われた。これらのことからも、今から約4万年前の[[石器時代|旧石器時代]]に、野尻湖の周辺には人が住んでおり、大型[[哺乳類]]の狩猟をしていたとみられていることが判明した。


=== 湖底堆積物 ===
== 湖底堆積物 ==
地球環境的な観点から重要な研究対象で、周辺で大きな工業活動がされていない為人間の活動の影響が少ないと考えられるほか、大きな流入河川が無く数万年間の気候変動と、周辺環境の変化を湖底に堆積物として残しているため多くの研究がされている。
地球環境的な観点から重要な研究対象で、周辺で大きな工業活動がされていない為人間の活動の影響が少ないと考えられるほか、大きな流入河川が無く数万年間の気候変動と、周辺環境の変化を湖底に堆積物として残しているため多くの研究がされている。
その主な成果として、
その主な成果として、
#野尻湖の湖面水位変動は過去4.5万年間で8回の大きな変動があり+5mから-30mの変動幅で、地球規模の気候変動に対応しており、寒冷期には周辺降雪量が増加するため水位上昇していたこと考えられている<ref>[http://dx.doi.org/10.4116/jaqua.52.203 長野県野尻湖における過去約4.5万年の湖水位変動とその要因] 第四紀研究 Vol.52 (2013) No.5 p.203-212</ref>
#野尻湖の湖面水位変動は過去4.5万年間で8回の大きな変動があり+5mから-30mの変動幅で、地球規模の気候変動に対応しており、寒冷期には周辺降雪量が増加するため水位上昇していたこと考えられている{{Sfn|中村|2013|pp=203-212}}
#湖底の泥の分析により、人口密集域に近い湖底ほど、[[銅]]、[[鉛]]、[[亜鉛]]などの濃度が高く離れるほど濃度が低くなる。つまり、野尻湖に於いても人間の経済活動による影響が大きいことを示した。
#湖底の泥の分析により、人口密集域に近い湖底ほど、[[銅]]、[[鉛]]、[[亜鉛]]などの濃度が高く離れるほど濃度が低くなる。つまり、野尻湖に於いても人間の経済活動による影響が大きいことを示した。


== 交通アクセス ==
== 交通アクセス ==
* [[しなの鉄道]][[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]の[[黒姫駅]]から[[長電バス]]による路線バス(急行バス、周遊バス、[[長電バス#信濃町新交通バス|信濃町新交通バス]])に乗車、野尻湖下車<ref name="nagaden_exp">{{Cite web|url=http://www.nagadenbus.co.jp/express.html|publisher=[[長電バス]]|title=ながでんバス|急行バス||date=|accessdate=2015-04-03}}</ref><ref name="nagaden_loc">{{Cite web|url=http://www.nagadenbus.co.jp/local_index.html|publisher=[[長電バス]]|title=ながでんバス|路線バス||date=|accessdate=2015-04-03}}</ref>。
* [[しなの鉄道]][[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]の[[黒姫駅]]から[[長電バス]]による路線バス(急行バス、周遊バス、[[長電バス#信濃町新交通バス|信濃町新交通バス]])に乗車、野尻湖下車<ref name="nagaden_exp">{{Cite web|和書|url=http://www.nagadenbus.co.jp/express.html|publisher=[[長電バス]]|title=ながでんバス|急行バス||date=|accessdate=2015-04-03}}</ref><ref name="nagaden_loc">{{Cite web|和書|url=http://www.nagadenbus.co.jp/local_index.html|publisher=[[長電バス]]|title=ながでんバス|路線バス||date=|accessdate=2015-04-03}}</ref>。
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[北陸新幹線]]・[[飯山線]]の[[飯山駅]]から長電バスによる路線バス(急行バス)に乗車、野尻湖下車<ref name="nagaden_exp" />。
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[北陸新幹線]]・[[飯山線]]の[[飯山駅]]から長電バスによる路線バス(急行バス)に乗車、野尻湖下車<ref name="nagaden_exp" />。

==注釈==
{{Notelist}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 藤原鎌兄著『[{{NDLDC|1108566/1}} 高日本風光]』高日本社、[[1937年]][[8月14日]]。
*「角川日本地名大辞典」編纂委員会編著『角川地名大辞典 20 長野県』[[角川書店]]、[[1990年]]。
* 信濃町誌編纂委員会編集『信濃町誌』信濃町、[[1968年]][[12月25日]]。
* 信濃町誌編纂委員会編集『信濃町誌』信濃町、[[1968年]][[12月25日]]。
* 長野県文化財保護協会復刻『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第四巻』長野県文化財保護協会、[[1974年]][[11月20日]]。
* 長野県文化財保護協会復刻『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第四巻』長野県文化財保護協会、[[1974年]][[11月20日]]。
* 曽武川政雄編、東北電力株式会社高田営業所監修『ながれ 上越地方電気事業のあゆみ』電友会上越連合会、[[1982年]]。
* 曽武川政雄編、東北電力株式会社高田営業所監修『ながれ 上越地方電気事業のあゆみ』電友会上越連合会、[[1982年]]。
*「角川日本地名大辞典」編纂委員会編著『角川地名大辞典 20 長野県』[[角川書店]]、[[1990年]]。
* 藤原鎌兄著『[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108566/1 高日本風光]』高日本社、[[1937年]][[8月14日]]。
*{{Cite journal|和書|author=野尻湖人類考古グループ|journal=野尻湖博物館研究報告|title=野尻湖遺跡群における文化層と旧石器文化|url=http://nojiriko-museum.com/?page_id=93|issue=2|publisher=[[野尻湖ナウマンゾウ博物館]]|year=1994|date=1994-03-31|ncid=BA37164086|pages=1-16|ref=harv}}

*{{Cite book|和書|author=長野県立歴史館|authorlink=長野県立歴史館|title=よみがえる氷河時代の狩人|year=2008|date=2008-09-01|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/8652|ncid=BA88249379|doi=10.24484/sitereports.8652|ref=harv}}
== 脚注 ==
*{{Cite journal|和書|last=中村|first=祐貴ほか|journal=第四紀研究|title=長野県野尻湖における過去約4.5万年の湖水位変動とその要因|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua/52/5/52_203/_article/-char/ja|issue=52-5|publisher=[[日本第四紀学会]]|year=2013|date=2013-10|ncid=AN10016048|pages=203-212|ref=harv}}
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Lake Nojiri}}
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* [[日本の湖沼一覧]]
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* [[関川]]
* [[関川 (信越)|関川]]
* [[笹ヶ峰ダム]]
* [[笹ヶ峰ダム]]
* [[東北電力]]
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* [[芙蓉]]
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* [[ナウマンゾウ]]
* [[ナウマンゾウ]]
*[[杉久保遺跡]]

*[[野尻湖遺跡群]]
*熊坂長範
== 外部リンク ==
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* [http://www.avis.ne.jp/~nojiriko/ 野尻湖ナウマンゾウ博物館]
* [http://www.avis.ne.jp/~nojiriko/ 野尻湖ナウマンゾウ博物館]
* [http://nojiriko-hakkutsu.org// 野尻湖発掘調査団]
* [http://nojiriko-hakkutsu.info/ 野尻湖発掘調査団]
* [http://www.nojiriko.com/forum/ 野尻湖フォーラム]
* [https://lakenojiri.com/ 野尻湖英語]
* [http://www.nojiriko.co.jp/index.html 野尻湖観光汽船/野尻湖定期船会社]
* [http://www.nojiriko-gyokyo.com/ 野尻湖漁業協同組合]
* [http://www.nojiriko-gyokyo.com/ 野尻湖漁業協同組合]
* [http://www.kagakueizo.org/movie/animal/293/ 野尻湖文化を求めて 第13次野尻湖発掘 1997年 野尻湖発掘調査団]
* [http://www.kagakueizo.org/movie/animal/293/ 野尻湖文化を求めて 第13次野尻湖発掘 1997年 野尻湖発掘調査団]
; (湖底堆積物)<!--参考文献として使用されたのかも…とりあえずここへ移動。-->
; (湖底堆積物)<!--参考文献として使用されたのかも…とりあえずここへ移動。-->
:* [http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0007307241 野尻湖湖底堆積物に記録された千年規模の高分解能湖水面変動史]
:* 井内美郎、公文富士夫、近藤洋一 ほか、[https://doi.org/10.14863/geosocabst.2005.0_330_1 野尻湖湖底堆積物に記録された千年規模の高分解能湖水面変動史] 日本地質学会 第112年学術大会(2005京都)セッションID:P-246, {{doi|10.14863/geosocabst.2005.0_330_1}}
:* {{PDFlink|[http://www.gsj.jp/Pub/Bull/vol_40/40-03_01.pdf 野尻湖底表層堆積物におけるマンガン,銅,鉛,亜鉛の挙動]}}
:* 寺島滋 ほか、{{PDFlink|[https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/40-03_01.pdf 野尻湖底表層堆積物におけるマンガン,銅,鉛,亜鉛の挙動]}} 地質調査所月報 40(3), p113-124, 1989-03, {{naid|40002357980}}
:* 公文富士夫、河合小百合、井内美郎、[https://doi.org/10.4116/jaqua.42.13 野尻湖湖底堆積物中の有機炭素・全窒素含有率および花粉分析に基づく約25,000~6,000年前の気候変動] 第四紀研究 Vol.42 (2003) No.1 P.13-26, {{doi|10.4116/jaqua.42.13}}
:* [http://ja-tec.com/E/E01/content11753.html 野尻湖湖底堆積物の古生態学的研究]
:* [https://staff.aist.go.jp/miyagi.iso14000/Works/Review/coop/0007/723.html 野尻湖地質グループ に関する なかよし論文データベース]
:* [http://www-jm.eps.s.u-tokyo.ac.jp/2001cd-rom/pdf/gn/gn-005.pdf 野尻湖底堆積物の有機炭素・窒素含有率から見た完新世後半の気候変動]
:* [http://staff.aist.go.jp/miyagi.iso14000/Works/Review/coop/0007/723.html 野尻湖地質グループ に関する なかよし論文データベース]


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野尻湖

野尻湖空撮
野尻湖空撮 地図

野尻湖の位置(日本内)
野尻湖
野尻湖 (日本)
野尻湖の位置(長野県内)
野尻湖
野尻湖 (長野県)
所在地 日本の旗 日本
長野県上水内郡信濃町
位置 北緯36度49分30秒 東経138度13分20秒 / 北緯36.82500度 東経138.22222度 / 36.82500; 138.22222座標: 北緯36度49分30秒 東経138度13分20秒 / 北緯36.82500度 東経138.22222度 / 36.82500; 138.22222
面積 4.45[1] km2
周囲長 16 km
最大水深 39.1 m
平均水深 21 m
貯水量 0.096 km3
水面の標高 657 m
成因 堰止湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 中栄養湖
透明度 5〜7 m
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
斑尾山黒姫山間の高原に位置する野尻湖空撮
黒姫高原スノーパークからの野尻湖(後方は斑尾山)
野尻湖空撮[2]
野尻湖(後方は黒姫山)

野尻湖(のじりこ)は、長野県上水内郡信濃町にある。古くは信濃尻湖(しなのじりこ)と呼ばれた。芙蓉湖(ふようこ)とも呼ばれる。ナウマンゾウ化石や旧石器時代遺物が出土する湖としても知られており(野尻湖遺跡群)、発掘調査が行われている[3]湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。天然湖で、妙高高原黒姫高原とともに妙高戸隠連山国立公園に指定されている。

地理[編集]

東の斑尾山と西の黒姫山に挟まれた標高654メートルの高原に位置する。面積は4.56平方キロメートルで、長野県の天然湖としては諏訪湖に次いで2番目に大きい。水深は39.1メートル(2017年4月調査)あり、貯水量では諏訪湖を上回る。湖の水は池尻川を通じて流出し、関川へ合流して日本海に注ぐ。

成因には諸説が存在し、斑尾山の噴出物によってせき止められたという説と、黒姫山の噴火により発生した、池尻川泥流によりせき止められ、その後、湖の西側が隆起したと言う説がある[4][5]

名称[編集]

野尻湖という名称は、古く信濃尻湖と呼ばれたものが変化したものであり、また湖の形状から芙蓉湖という別名が付けられた。以下に『角川日本地名大辞典』より引用する[6]

県最北端にあることから,古来,信濃尻湖と呼んでいたものが,略されて野尻湖と呼ばれるようになったという(中略)湖岸線が出入りに富み,その形が芙蓉に似ていることから芙蓉湖とも呼ばれる。

1933年(昭和8年)4月付の『史蹟名勝天然紀念物調査報告 第拾四輯』に収録されている「名勝野尻湖」の項(八木貞助著)には以下のようにあるので引用する[7]

古來「信濃尻湖」と呼びたるものが略されて野尻湖と稱するに至たので、雅名を芙蓉湖と云ふ。卽ち湖岸線の突出が著しく、八崎を數へる處から 八朶の芙蓉に通はせたものである。

1937年(昭和12年)発行の『高日本風光』には芙蓉湖のほか蓮湖とも呼ばれるとあるので以下に引用する[8]

此湖形蓮花に似たりとて、芙蓉湖又は蓮湖とも呼ばる。

また、『信濃町誌』では芙蓉の「葉」に由来するとあるので当該部分を引用する[9]

野尻湖には俗に四十八崎があるといわれ、湖岸線の出入りの多いことを示している。またこの出入りの多いことが芙蓉のに似ていることから「芙蓉湖」ともよばれている。

なお、野尻湖の西には「野尻」という地名があるが、これは山に囲まれた野尻湖で唯一西側のみが開けており、そこからまず「沼尻」という地名が生まれ、やがて野尻に変化したとされる[10]

利用[編集]

農業[編集]

笹ヶ峰ダム(乙見湖)とともに、関川下流域に広がる農地灌漑する農業用水の水源として利用されている。

漁業と魚類の変遷[編集]

約80年前にはナマズギギドジョウフナタナゴコイウグイ等15種類の生息が記録されている。地元漁協は遊漁などを目的としてワカサギヒメマスヘラブナなどを遊漁目的で放流している。

  • 1900年代初頭 車軸藻類ホシツリモコカナダモなど20数種類もの豊富な水草が確認されていた。
  • 1978年 増え過ぎた水草が船の航行や漁業の障害になるとして、水草除去を目的に5,000匹のソウギョが放流された。3年間で水草は食べ尽くされ、ホシツリモは全滅したが、同時にエビやフナ類も激減した。
  • 1980年代まで 専門漁業者による夏期のウグイ刺し網漁が行われたほか、冬季は全面結氷する年もありワカサギの穴釣りが行われたが、結氷しなくなったことから「カマボコ船」と呼ばれる船による釣りに変化した[11]
  • 1980年代後半 特定外来生物オオクチバス1990年代ブルーギルコクチバスが確認された。
  • 1995年 オオクチバス及びコクチバスは観光資源が少なかった地域の振興目的でルアーフィッシングの対象魚に指定され[11]2009年4月1日からは長野県内水面漁場管理委員会指示により3年間の再放流禁止指示が解除されている[12]
  • 1996年に水草を復元をしようと長野県衛生公害研究所、野尻湖ナウマンゾウ博物館を中心に地元ボランティアが参加して活動を開始した[13]。ソウギョは野尻湖では自然繁殖しないが寿命が長く、水草の復元に対して大きな影響力を与え続けている。現在野尻湖に生息しているソウギョが放流当初の個体なのかは確認されていない。

水力発電[編集]

東北電力水力発電所・池尻川発電所は、野尻湖の水を取り入れ、最大2,340キロワット電力を発生したのち、関川に放流する。野尻湖に流入する水が少なくなる冬の間は、発電所の運転により野尻湖の水位が低下してしまう。野尻湖は関川下流域の農地を潤す水がめであるから、春先に関川を流れる豊富な雪解け水を発電所に設置されたポンプで野尻湖にくみ上げ、農業用水が必要となり始める時期を前に水位を回復させる。こうした運用ができる水力発電所を揚水発電所という。1932年昭和7年)、東北電力の前身となった企業の一つ・中央電気国友末蔵が、自身の経験(ヨーロッパを流れるライン川における水力発電所の視察)をもとに内務省からの助言を得つつ池尻川発電所建設計画を立案し、日本初の揚水発電所として1934年昭和9年)に完成した。

観光[編集]

琵琶島
野尻湖テラス

夏季にはマリンスポーツが盛ん。他方、寒冷地にあるにもかかわらず冬季でも結氷しない湖であり、冬季には「ドーム船」と呼ばれるストーブを備えたで行うワカサギ釣りが楽しめる。湖畔の一部に日本三大外国人避暑地の1つに数えられる神山国際村があり、大正10年(1921年)から野尻湖協会 (Nojiri Lake Association)によって管理されている。

  • 観光汽船 - 野尻湖定期船会社によって3隻の遊覧船とレンタルボートが運営されており、これを利用することによって湖上に浮かぶ琵琶島[注釈 1]を訪れることが出来る。同島には、宇賀神社と戦国武将の宇佐美定満のものとされる墓が存在する。


野尻湖遺跡群[編集]

野尻湖ナウマンゾウ博物館
湖畔のナウマンゾウ化石発掘地

野尻湖の湖底および湖畔、また周囲の丘陵部では、旧石器時代から縄文時代草創期にかけての遺跡周知の埋蔵文化財包蔵地)が38箇所ほど集中して分布しており、野尻湖遺跡群と総称されている[15]。野尻湖湖底には立が鼻遺跡杉久保遺跡があり、ナウマンゾウオオツノジカ等の骨のほか、石器骨角器が出土している[3]

湖底堆積物[編集]

地球環境的な観点から重要な研究対象で、周辺で大きな工業活動がされていない為人間の活動の影響が少ないと考えられるほか、大きな流入河川が無く数万年間の気候変動と、周辺環境の変化を湖底に堆積物として残しているため多くの研究がされている。 その主な成果として、

  1. 野尻湖の湖面水位変動は過去4.5万年間で8回の大きな変動があり+5mから-30mの変動幅で、地球規模の気候変動に対応しており、寒冷期には周辺降雪量が増加するため水位上昇していたこと考えられている[16]
  2. 湖底の泥の分析により、人口密集域に近い湖底ほど、亜鉛などの濃度が高く離れるほど濃度が低くなる。つまり、野尻湖に於いても人間の経済活動による影響が大きいことを示した。

交通アクセス[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 吉田篁墩『近聞寓談』によれば、この島の近くで息をひそめて静聴すれば楽声がするという理由で名づけられたという[14]

脚注[編集]

  1. ^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2015年3月24日閲覧。
  2. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1976年度撮影)。
  3. ^ a b 長野県立歴史館 2008.
  4. ^ 大橋 良一:野尻湖の成因に就て質学雑誌 Vol.16 (1909) No.193 P411-413
  5. ^ 立ヶ鼻遺跡野尻湖仮想博物館
  6. ^ 『角川地名大辞典 20 長野県』885ページ。
  7. ^ 『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第四巻』219ページ。文中の「信濃尻」には片仮名で「シナノジリ」とルビが振られている。また、「通」の字は二点之繞(辶)である。
  8. ^ 高日本風光』243ページ。
  9. ^ 『信濃町誌』23 - 24ページ。
  10. ^ 『角川地名大辞典 20 長野県』884ページ。
  11. ^ a b 横山貴史:野尻湖におけるブラックバスフィッシングの導入とその地域的意義 地域研究年報 31, 2009 99-110 (PDF)
  12. ^ 密放流禁止! ブラックバス等は、3「ない」の徹底を!!! 長野県水産試験場
  13. ^ 野尻湖水草復元研究会
  14. ^ 吉田篁墩『近聞寓談_乾』東都書林、1823年、巻一_1-2頁。 
  15. ^ 野尻湖人類考古グループ 1994, pp. 1–3.
  16. ^ 中村 2013, pp. 203–212.
  17. ^ a b ながでんバス|急行バス|”. 長電バス. 2015年4月3日閲覧。
  18. ^ ながでんバス|路線バス|”. 長電バス. 2015年4月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 藤原鎌兄著『高日本風光』高日本社、1937年8月14日
  • 信濃町誌編纂委員会編集『信濃町誌』信濃町、1968年12月25日
  • 長野県文化財保護協会復刻『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第四巻』長野県文化財保護協会、1974年11月20日
  • 曽武川政雄編、東北電力株式会社高田営業所監修『ながれ 上越地方電気事業のあゆみ』電友会上越連合会、1982年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編著『角川地名大辞典 20 長野県』角川書店1990年
  • 野尻湖人類考古グループ「野尻湖遺跡群における文化層と旧石器文化」『野尻湖博物館研究報告』第2号、野尻湖ナウマンゾウ博物館、1994年3月31日、1-16頁。 
  • 長野県立歴史館よみがえる氷河時代の狩人』2008年9月1日。doi:10.24484/sitereports.8652NCID BA88249379https://sitereports.nabunken.go.jp/8652 
  • 中村, 祐貴ほか「長野県野尻湖における過去約4.5万年の湖水位変動とその要因」『第四紀研究』第52-5号、日本第四紀学会、2013年10月、203-212頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

(湖底堆積物)