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2013年3月7日 (木) 17:17時点における版

高柳 昌行(たかやなぎ まさゆき、1932年12月22日 - 1991年6月23日)は、日本ジャズギタリスト東京都出身。フリー・ジャズに影響を受け、実験的な即興演奏を追求した。

来歴

19歳でプロとして活動開始[1]。1950年代末期より、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、「新世紀音楽研究所」という音楽家集団の中心人物として活動[2]

1970年、ニュー・ディレクションというユニットを率いて、バンド・リーダーとしてのデビューを果たす。1980年には、ドイツメールスで行われたジャズ・フェスティバルに出演[3]。晩年は、「高柳昌行アクション・ダイレクト」というソロ・プロジェクトで活動し、複数のギターと様々な機材を駆使した独演を披露[3]。また、1986年にはジョン・ゾーンと共演した[1]

音楽に関しては妥協を許さない姿勢から、他のジャズミュージシャンと軋轢を生んだり、ライブハウスから締め出しを食らうなど、衝突は多々あった。

ジャズだけに限らず、クラシック、現代音楽、タンゴ、ボサノヴァ、ラテン音楽、インド音楽、民族音楽など世界のあらゆる音楽を深く研究していた事で知られる。

評価

ジャズ評論家の副島輝人は、高柳を日本フリー・ジャズの主要人物の一人として挙げ、「ダイナミックで闘争的なサウンドによって、抽象的でメタフィジカルな空間を描き出してみせた」と評している[4]

高柳に影響を受けたミュージシャンとしては、大友良英ジム・オルーク等が挙げられる[1]。俳優の殿山泰司も、高柳の熱烈なファンとして知られていた[5]

音楽作品

  • 「銀巴里セッション」 高柳昌行と新世紀音楽研究所
  • 「COOL JOJO」 レニー・トリスターノらのクールジャズのコンセプトでの演奏
  • 「解体的交感」 阿部薫との共作。
  • 「集団投射 Mass Projection」 阿部薫との共作。
  • 「フラワー・ガール~シオン・トミタ作品集」高柳昌行クインテット(1968)

など。

著書

高柳が生前に執筆した音楽論やアルバム・レビュー等をまとめたもの。

脚注

  1. ^ a b c 月曜社公式サイト
  2. ^ 『音楽CD検定公式ガイドブック上巻』(音楽出版社、ISBN 978-4-86171-029-2)p.218
  3. ^ a b 『中央線ジャズ決定盤101』(明田川荘之・監修、音楽出版社、ISBN 978-4-86171-039-1)p.70-71、82-83
  4. ^ 『現代ジャズの潮流』(副島輝人、丸善、ISBN 4-621-06004-X)p.42
  5. ^ 『みんながジャズに明け暮れた 私家版・日本ジャズ史』(奥成達、三一書房、ISBN 4-380-97298-4)p.30