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2013年3月7日 (木) 17:21時点における版
田口 智治 | |
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生誕 | 1960年10月27日(63歳) |
出身地 |
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ジャンル | クラシック・ポップス |
職業 | キーボード奏者 |
担当楽器 | キーボード |
活動期間 | 1982年 - |
共同作業者 | C-C-B |
公式サイト | 田口智治公式サイト |
田口 智治(たぐち ともはる 1960年10月27日 - )は日本のキーボードプレイヤー。1980年代に活躍したC-C-Bのメンバー。身長169.5cm
現在は音楽活動の傍ら、地元である東京都足立区を中心にボランティア活動にも力を入れている。
人物・来歴
- キーボード奏者・ピアノ奏者としての評価が高く、クラシック、ポピュラー、ハードロック、プログレと、ジャンルを問わない。また、その感性豊かに奏でる音色を音楽療法やボランティア活動に活かし、音楽を通じての社会貢献を積極的に試みている。以前よりクリスチャンであったことを明言している。
- C-C-B加入前、学生時代に同じバンドで活動していた伊藤真視(1960)の誘いで、近藤真彦のバックバンド「ダブルス」に加入。既に武道館などの大舞台でコンサートを経験しているプロのキーボード奏者だった。その後メンバーの強い誘いにより1984年からC-C-Bに加入。卓越した演奏、作曲・編曲に垣間見える優れた感性は他の追随を許さないほど豊かに彩られている。
- C-C-B解散後は特定のバンドに所属することはなく、多くのアーティストやバンドとのセッションやユニットに参加している。
- 元メンバーのライブにゲストミュージシャンとして参加することもある。またユニットを結成してライブを行うことも多い。
- ファンキー末吉が経営するライブハウスでは「田口Bar」と銘打ち、ひとりでライブを行うこともある(歌とピアノとトーク(MC)と酒の相手をして、時には自ら肴を用意することもある)。
- 2011年7月、『ヨネタワタル』にファンキー末吉をサポートミュージシャンに迎え、『AJ-米田渡-』名義のユニットを組み、神戸CHICKEN GEORGE ・名古屋BOTTOM LINE・渋谷DUO MUSIC EXCHANGEで、C-C-B時代にメンバーが作った楽曲を主にセットリストにしたライブを行った。同年10月27日には同じメンバーで『田口智治Birthday Live「田口★祭」』を Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて行った。
- 2012年 2月1日に新宿BLAZEで行なわれた『AJ-米田渡- Presents渡辺英樹 BirthdayEvent「30周年リサイタル」』においても『AJ-米田渡-』のメンバーとして参加した。
- 2012年10月27日、『田口智治Birthday Live「田口★祭2」』をAJ-米田渡-のメンバーで開催。「田口★祭」が毎年恒例になるか、具体的には未定であるというが田口は「(出来れば)続けたい」とライブのMCで語った。同日、2013年2月1日から同年3月3日まで、『AJ-米田渡- TOUR 2013 「Let's Go Climax」』と銘打ったライブツアーを行う旨を発表した。
- 電子楽器のキーボードを演奏することから、機械全般に詳しいと思われがちだが、実際はあまり得意ではない。一台で何通りもの音色(おんしょく)を奏でるキーボードだと演奏中に手早く設定を変える操作などが必要になるが、田口はその操作が得意ではないため、必要な音色を設定してある複数のキーボードを配置して演奏をしている。設定を変える必要があるときは曲と曲の合間(MCタイム)や、共演者がソロ演奏をしている際に行なっている。AJ-米田渡-ではC-C-B時代に愛器としていたJupiter-8も使用している[1]。
- 酒も煙草も嗜む。また近年は甘い物も好んで食している。C-C-B時代はかなり痩身だったが中年期以降、やや豊かな体型になった。
- 家族と同居していた頃は、家事の一切を担っていた。
関連項目
脚注
- ^ C-C-B時代に使用していたキーボードは、解散後から当時のスタッフの実家の倉庫に預けられたままだったという。AJ-米田渡-でC-C-Bの楽曲を演奏するにあたって再び田口のもとに戻ってきた。キーボードに損傷や不備は一切無く、ミュージックシーケンサーに録音されていた音源もそのまま残っていた。ライブではその音源を多様に活用している。