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'''隠岐の海 歩'''(おきのうみ あゆみ、[[1985年]][[7月29日]] - )は、[[島根県]][[隠岐郡]][[隠岐の島町]]出身で[[八角部屋]]所属の現役[[大相撲]][[力士]]。[[身長]]190cm、[[体重]]1650kg、[[ABO式血液型|血液型]]はO型。[[島根県立隠岐水産高等学校]]出身。本名は福岡歩(ふくおか あゆみ)、愛称はあゆみ。長身に胴長短足、深い懐を活かした右四つ・寄りが持ち味<ref>『大相撲ジャーナル』2014年2月号58頁</ref><ref>『大相撲ジャーナル』2014年2月号15頁</ref>。最高位は、西[[関脇]]([[2015年]]3月場所)。
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==来歴==
==来歴==

2015年12月10日 (木) 06:48時点における版

隠岐の海歩
基礎情報
四股名 隠岐の海 歩
本名 福岡 歩
愛称 あゆみ
生年月日 (1985-07-29) 1985年7月29日(38歳)
出身 島根県隠岐郡隠岐の島町
身長 190cm
体重 165kg
BMI 45.71
所属部屋 八角部屋
得意技 右四つ・寄り
成績
現在の番付 西前頭2枚目
最高位 西関脇
生涯戦歴 386勝342敗32休(65場所)
幕内戦歴 229勝234敗32休(33場所)
優勝 幕下優勝1回
敢闘賞2回
データ
初土俵 2005年1月場所
入幕 2010年3月場所
備考
金星1個(日馬富士1個)
2015年10月26日現在

隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身で八角部屋所属の現役大相撲力士身長190cm、体重165kg、血液型はO型。島根県立隠岐水産高等学校出身。本名は福岡歩(ふくおか あゆみ)、愛称はあゆみ。長身に胴長短足、深い懐を活かした右四つ・寄りが持ち味[1][2]。最高位は、西関脇2015年3月場所)。

来歴

入門まで

島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)で生まれる。出身の隠岐島には、神社の改修などの慶事があれば夕方から翌日の昼まで相撲を取り続ける「古典相撲」の風習があり、本人もそれに親しみ4歳から廻しをつけていた。本格的に相撲を始めたのは西郷小学校4年生からで、兄や周囲の友達が始めた影響で中学3年まで近くの相撲クラブに通った。地域の相撲クラブに通って稽古で鍛えた結果、全国大会にも小学校4年生から小学校6年生まで出場するなど結果を残した。しかし相撲にそれほど興味もなく「正直、行くのが嫌で嫌で仕方なかった」そうだったが、稽古が終わった後に一緒に食べる食事などが楽しかったと後に当時を語っている[3]。相撲以外でも小学校・中学校とバスケットボール部に所属し、小学校2年生から小学校6年生まで柔道をしていた。また兄と共に海で素潜りをし、サザエアワビを突いていた。

西郷中学校でも相撲を続け、3年生の時には全国中学校体育大会にも出場した。進学した隠岐水産高校では3年連続でインターハイにも出場し、ベスト32の実績を持っている。しかし、後に同期生となる豪栄道(埼玉栄)と栃煌山(高知・明徳義塾)が高校横綱を始めとして数々のタイトルを手にしたことに比べて実績に劣っていたことから力士になりたいという憧れはなく、代わりに船を操舵する航海士を目指し、実習船に乗りハワイへ航海に出た[3]。同じく高校在学中に3級海技士の筆記試験に合格、同校卒業後は2年間の専攻コースに進学し再び実習船に乗り、3ヶ月ほど航海をしたが集団生活になじめなかったことで今後航海士としてやっていけるか心配になり、同年11月に高校の専攻コースを中退した。

将来に漠然とした不安を感じていたとき、高校相撲部の顧問から電話がかかってきた。八角親方(元横綱北勝海)とその知人が高校相撲部の後輩の竹谷(現・隠岐の富士)をスカウトしに島を訪れるので、食事会に一緒に来ないかという。「旅行感覚だった」という八角に「軽い気持ちで」参加した隠岐の海であったが、親方の知人に熱心に勧誘され「ここで終わる人間じゃない。やっぱり夢を見たい」とその気になった。父も後押ししてくれたことで1週間で八角部屋への入門を決断し、新弟子検査の2日前に上京した[4]。ちなみに八角親方の現役時代は全く知らず、師匠に出会っていなければ力士になっていなかったという。2005年1月場所に初土俵を踏んだ同期には、豪栄道豊響栃煌山、同部屋の朱雀らがいる。

新十両へ

2008年11月場所で、西幕下筆頭で十両昇進の目安である5勝を挙げるも十両下位に大きく負け越した力士が少なく、十両昇進は見送られた。幕下筆頭で5勝を挙げながら十両昇進を見送られたのは1966年9月場所の代官山(東幕下筆頭)以来42年ぶり。

2009年1月場所では、東幕下筆頭で登場し、7戦全勝で幕下優勝を果たし、場所後の番付編成会議において十両昇進が決定。同時に、四股名を本名の「福岡」から「隠岐の海」と改めた。島根県出身の関取は、忍の山春日野部屋1976年11月場所十両最終在位)以来33年ぶり、戦後6人目。また隠岐島出身の新十両は1958年9月場所の隠岐ノ島時津風部屋1960年3月場所まで十両に在位)以来、51年ぶり2人目。2009年3月2日に発表された3月場所番付で東十両7枚目と発表された。新十両が7枚目となるのは、2001年1月場所の朝青龍以来の高番付である。

新十両で迎えた3月場所は初日に清瀬海の変化で敗れた時に右肩を負傷、これが大きく響き、4勝11敗という十両デビューとなった。翌5月場所も5勝10敗に終わり、十両2場所で一度も勝ち越すことなく幕下へ陥落となった。幕下陥落にあたり、再び四股名を本名の「福岡」に戻した。その7月場所は4勝3敗と勝ち越し、1場所で十両復帰を決め、四股名を再び「隠岐の海」に戻した。十両復帰の9月場所は、12日目に十文字を寄り切りで破り、十両初の勝ち越しを決め、最終的に優勝次点となる10勝5敗の好成績を収めた。

新入幕へ

2010年3月場所の番付編成会議で東前頭12枚目と発表され、新入幕が決まった。島根県出身の関取では、1922年春場所(当時1月場所)で新入幕を果たした若常陸太刀ノ海以来88年ぶり。また隠岐の島出身力士としては初めての幕内力士の誕生である[5]。その3月場所の初日、新入幕となってから初めて幕内の土俵に立ち、時天空との初顔合わせでは、肩透かしで敗れた。3日目、玉乃島に寄り切りで勝ち、入幕後初白星を飾った。中盤まで負けが先行していたが終盤3連勝し、千秋楽で8勝7敗と勝ち越しを決めた。

2010年6月23日大相撲野球賭博問題日本相撲協会の調査に自己申告した力士29人の中に、隠岐の海も含まれていると報じられた[6]6月28日に開かれた日本相撲協会の臨時理事会で野球賭博に関与した隠岐の海らを謹慎処分にすることを決めた。

幕内定着へ

2011年1月場所は、5日目から9連勝と好調で13日目まで優勝争いに加わり、11勝4敗の好成績で敢闘賞を初受賞した。5月技量審査場所は、大関魁皇(現浅香山親方)との初顔の一番で勝利している(魁皇は翌場所引退したため土俵上ではこの1戦のみ。翌場所も割が組まれたが不戦勝)。9月場所は、西前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、三役昇進の可能性もあったが番付編成会議で東前頭筆頭と発表され、昇進はならなかった。[7]

2012年5月場所は、千秋楽まで10勝4敗と好成績であり、横綱白鵬ら5人と優勝を争っていた。千秋楽に敗れて10勝5敗に終わり優勝を逃した。9月場所は、自身最速となる9日目で勝ち越しを決め、最終的に11勝4敗の好成績を挙げた。11月場所は、2日目に新横綱の日馬富士から自身初の金星を獲得し、同時に幕内100勝を達成した。しかし8日目の豪栄道戦で負傷し、10日目から左第三趾骨折により休場することとなった[8]。休場は2010年7月場所以来2度目で、負傷による休場は初めて。

2013年3月場所は、12日目まで2敗で全勝の白鵬を追っていたが13日目に敗れ、優勝争いから脱落(白鵬は優勝を決めた)。しかし、千秋楽の妙義龍戦に勝ち、11勝4敗の好成績で2回目の敢闘賞を受賞した。翌5月場所で新三役(西小結)に昇進した。島根県からの新三役は、1892年6月場所の谷ノ音以来、約121年ぶりのことである。重症の痛風(詳細は後述)を治療する中で迎えたこの場所[9] 7日目に琴欧洲から三役で初白星を挙げたが、4勝11敗と大きく負け越した。9月場所は、7勝7敗で千秋楽を迎えたが対戦相手の安美錦が休場で不戦勝となり、8勝7敗と勝ち越しを決めた。場所後の10月16日には年寄名跡『君ヶ濱』を前君ケ浜親方(元関脇北瀬海)から取得した[10]。翌11月場所は、2013年5月場所以来3場所ぶりに三役復帰(西小結)した。その場所は7勝8敗と負け越した。

2014年7月場所は、13日目に左脚を痛め、14日目から左膝屈筋腱損傷により休場することとなった。休場は、2011年11月場所以来3度目。最終的に6勝8敗1休の成績で終えた。9月場所は、2日目から6連勝するなど星を伸ばし、10日目に1年ぶりの勝ち越しを決め、12日目には2013年3月場所以来の二桁10勝目を上げた。

2015年1月場所は、2012年9月場所以来となる初日から5連勝のスタート。14日目に勝ち越し、最終的に9勝6敗。翌3月場所は、新関脇に昇進。島根県からの新関脇は、1894年5月場所の谷ノ音以来121年ぶりのことである[11]。この場所は、初日から3連敗。4日目の朝の稽古で左脚を痛め、同日から左腓腹筋内側頭損傷、筋肉内血腫により休場することとなった。休場は、2014年7月場所以来4度目[12]。新関脇の白星なしは15日制においては1971年1月場所の福の花孝一以来2例目[13]。西小結で迎えた9月場所では、初日に白鵬に初めて勝利。7日目に豪栄道、9日目に稀勢の里の両大関を破ったが、最終的に6勝9敗と負け越した。翌11月場所では、初日から8連敗で負け越しが決まったあと5連勝したが5勝10敗の成績で終えた。

合い口

いずれも2015年11月場所現在。
  • 横綱・白鵬には1勝13敗。2015年7月場所まで12戦全敗だったが、9月場所で初白星を挙げた。
  • 横綱・日馬富士には3勝10敗。2012年11月場所では日馬富士の連勝記録を32で止める初金星を挙げた。
  • 横綱・鶴竜には4勝9敗。鶴竜の横綱昇進後は2敗。
  • 大関・琴奨菊には3勝10敗。直近では2015年11月場所で勝利した。
  • 大関・稀勢の里には2勝13敗。2013年7月場所まで9戦全敗だったが、9月場所で初白星を挙げた。
  • 大関・豪栄道には5勝11敗。豪栄道の大関昇進後は2勝2敗。
  • 大関・照ノ富士には5戦全敗。
  • 元大関・琴欧洲には7勝3敗と勝ち越し、3連勝を2度するなど相性が良かった。
  • 元大関・把瑠都には1勝5敗だった。把瑠都の大関昇進後に初白星を挙げた。
  • 元大関・魁皇には2勝0敗だった。初対戦で勝利している。もう1勝は不戦勝だった。

人物・評価

  • 2009年の大相撲界を総括するNHK総合テレビ『大相撲・とことん言います!2009』の番組で、パネラーのデーモン閣下から期待の若手力士として挙げられた。端正な顔立ちから一部からは「イケメン力士」と言われている。また、NHK専属相撲解説者北の富士勝昭舞の海秀平も期待の若手力士として挙げ「顔つきに色気がある」「華がある」などと評価している。
  • 筋金入りの稽古嫌いであり、解説者の北の富士勝昭は、「師匠が行ってきた稽古の3分の1で横綱になれる大器」などと話している。[14]新三役会見の席では師匠や記者の前で稽古嫌いを自認しており、本人曰く「稽古、大っ嫌いですもん。実りのある稽古ならいいけど、やらされているような稽古はやりたくない。」とのことである。[15]ところが2015年3月場所に隠岐の海が新関脇となった際に八角は「よく稽古が足りないと言われるが、努力したからこそ、今の番付があると思う。私に比べてしていないというだけで、言い過ぎた部分もある。稽古は休まないですし。私にとっては不十分だが…」と、物足りなさを指摘しつつも、ほめていた。[16]
  • 稽古嫌いである一方、高校時代は航海士を目指し10種の資格を取得した努力家という一面もある。同部屋の兄弟子である大岩戸とは同じ水産高校出身者として、船を操縦する免許や資格の話で盛り上がったこともある[17]
  • 幕内で9場所、千秋楽を7勝7敗で迎えており、そのうち、7場所勝ち越している。2013年9月場所は、不戦勝で勝ち越しを決めている。
  • 普段は青系の締め込みで本場所の土俵に上がるが、2012年7月場所では9日目から茶色の廻しで取組を行った。サガリがすべて切れてしまったためと、本人は答えていた。[18]
  • 2020年東京オリンピックの招致ビデオ「Cool Japan Tokyo for Olympics 2020」に出演している。[19]
  • 寿司好きであり、1週間連続で同じ店に通ったことがある。だがしかし寿司の食べ過ぎが原因となり一時期は尿酸値8.6を記録し、ビール1杯飲むと症状が忽ち現れるほどの痛風に襲われてしまった。2013年5月場所前には1日2回の痛み止めや尿酸値を抑える治療薬を服用し、寿司も絶つなど治療に努めた。[9]
  • 以前は筋トレやプロテインと並行して増量を試みたが、効果が無かったので食事一本での増量に転換した。本人はこれについて、寿司を好きなだけ食べるのも増量法の一環であるという趣旨の主張をしている。[20]
  • 父親は、秋田県仙北郡西木村(現在の仙北市)出身である。
  • 2014年10月28日に一般女性との婚約を発表し、29日に入籍した[21]
  • 豪風と仲が良く、場所前にはずっと尾車部屋に出稽古に出掛け、巡業中にはほとんど豪風としか話さない。豪風にはトレーニング方法などを聞くという。[22]

主な成績

2015年11月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:386勝342敗32休(65場所)
  • 通算勝率:.530
  • 幕内成績:229勝234敗32休(33場所)
  • 幕内勝率:.495
  • 三役成績:17勝32敗11休(4場所)
  • 三役勝率:.347
    • 関脇成績:0勝4敗11休(1場所)
    • 関脇勝率:.000
    • 小結成績:17勝28敗(3場所)
    • 小結勝率:.378
  • 十両成績:47勝43敗(6場所)
  • 幕下成績:80勝53敗(19場所)
  • 三段目成績:15勝6敗(3場所)
  • 序二段成績:11勝3敗(2場所)
  • 序ノ口成績:4勝3敗(1場所)

各段優勝

  • 幕下優勝:1回(2009年1月場所)

三賞・金星

  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:2回(2011年1月場所、2013年3月場所)
  • 金星:1個(日馬富士1個)

場所別成績

隠岐の海歩
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
(前相撲) 西序ノ口33枚目
4–3 
東序二段112枚目
6–1 
東序二段30枚目
5–2 
東三段目95枚目
4–3 
西三段目77枚目
6–1 
2006年
(平成18年)
西三段目21枚目
5–2 
東幕下58枚目
4–3 
西幕下48枚目
5–2 
東幕下29枚目
2–5 
西幕下48枚目
5–2 
西幕下33枚目
5–2 
2007年
(平成19年)
東幕下21枚目
4–3 
東幕下16枚目
3–4 
東幕下24枚目
3–4 
西幕下32枚目
2–5 
西幕下47枚目
5–2 
西幕下31枚目
5–2 
2008年
(平成20年)
東幕下19枚目
2–5 
西幕下33枚目
5–2 
東幕下18枚目
5–2 
西幕下9枚目
4–3 
西幕下7枚目
5–2 
西幕下筆頭
5–2 
2009年
(平成21年)
東幕下筆頭
優勝
7–0
東十両7枚目
4–11 
東十両13枚目
5–10 
東幕下4枚目
4–3 
西十両14枚目
10–5 
西十両5枚目
8–7 
2010年
(平成22年)
東十両2枚目
10–5 
東前頭12枚目
8–7 
西前頭10枚目
5–10 
西前頭14枚目
出場停止[23]
0–0–15
東十両8枚目
10–5 
西前頭16枚目
8–7 
2011年
(平成23年)
東前頭13枚目
11–4
八百長問題
により中止
東前頭4枚目
7–8 
東前頭4枚目
8–7 
西前頭筆頭
8–7 
東前頭筆頭
7–8 
2012年
(平成24年)
東前頭2枚目
4–11 
東前頭9枚目
8–7 
東前頭5枚目
10–5 
西前頭2枚目
4–11 
西前頭8枚目
11–4 
東前頭筆頭
2–8–5[24]
2013年
(平成25年)
西前頭10枚目
8–7 
東前頭7枚目
11–4
西小結
4–11 
西前頭6枚目
9–6 
東前頭2枚目
8–7 
西小結
7–8 
2014年
(平成26年)
西前頭筆頭
7–8 
東前頭2枚目
4–11 
西前頭9枚目
6–9 
東前頭13枚目
6–8–1[25] 
西前頭15枚目
10–5 
東前頭7枚目
8–7 
2015年
(平成27年)
東前頭6枚目
9–6 
西関脇
0–4–11[26] 
西前頭10枚目
9–6 
東前頭5枚目
11–4 
西小結
6–9 
西前頭2枚目
5–10 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

主な力士との幕内対戦成績

2015年11月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
碧山 7 6 朝赤龍 2 0 旭日松 1 1 安美錦 6(1) 6
阿夢露 3 0 荒鷲 1 2 阿覧 4 3 2 3
逸ノ城 0 2 遠藤 2 1 大砂嵐 3(1) 2 魁皇 2(1) 0
魁聖 3 3 鏡桜 2 1 臥牙丸 3 1 鶴竜 4 9
稀勢の里 2 13 北太樹 9 3 旭秀鵬 3 2 旭天鵬 6 8
豪栄道 4 11 光龍 3 0 琴欧洲 7 3 琴奨菊 3 10
琴勇輝 2 0 磋牙司 0 1 佐田の海 6 1 佐田の富士 4 1
常幸龍 2 1 翔天狼 4 2 松鳳山 2 5 蒼国来 2 2
大道 2 0 貴ノ岩 2 0 高見盛 2 1 髙安 2 7
宝富士 4 5 豪風 9 6 玉乃島 2 0 玉鷲 8 5(1)
千代鳳 2(1) 0 千代大龍 4 3 千代の国 1 1 千代丸 1 1
照ノ富士 0 5 天鎧鵬 1 0 時天空 4 4 德勝龍 1 3
德瀬川 1 1 土佐豊 0 2 栃煌山 8 7(1) 栃ノ心 2 5
栃乃洋 3 0 栃乃若 4 4 豊ノ島 6 9(1) 豊響 8 6
白馬 2 0 白鵬 1 13 把瑠都 1 5 日馬富士 3 10
富士東 2 1 武州山 2 0 豊真将 1 3 誉富士 1 1
舛ノ山 2 0 雅山 2 2 妙義龍 6 6 猛虎浪 1 2
嘉風 6 5 若荒雄 2 4 若の里 6 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太字は2015年9月場所終了現在、現役力士)

改名歴

  • 福岡 歩(ふくおか あゆみ)2005年1月場所 - 2009年1月場所、2009年7月場所
  • 隠岐の海 歩(おきのうみ -)2009年3月場所 - 5月場所、2009年9月場所 -

関連項目

脚注

  1. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号58頁
  2. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号15頁
  3. ^ a b 島の伝統、土俵が身近に 大相撲・隠岐の海歩(中) 日本経済新聞 2010/4/21 7:00
  4. ^ 大相撲・隠岐の海歩(下) 日本経済新聞 2010/4/21 16:02
  5. ^ 88年ぶり島根出身新入幕イケメン隠岐の海(日刊スポーツニュース)
  6. ^ 大相撲の野球賭博問題 垣添と隠岐の海も自己申告(朝日新聞社ニュース)
  7. ^ この場所の三役のうち、翌11月場所に阿覧が平幕に陥落して琴奨菊が大関に昇進した。それに対して西筆頭で8勝7敗の隠岐の海は翌場所東筆頭どまりであり、東筆頭で10勝の豊真将が西小結に昇進するに留まった。この番付編成に関しては隠岐の海も不服を感じているようであり、『相撲』2012年1月号43頁の記事では「関脇3人にすれば丸く収まるのに。」と豊真将の地位と成績の兼ね合いを理由に11月場所の番付に関脇2枚目(かつての張出制度)を設けるべきであったと主張し、新三役を逸したことを大いに悔しがった。
  8. ^ 隠岐の海が右足指骨折で休場/九州場所(日刊スポーツニュース)
  9. ^ a b 【大相撲】隠岐の海「すし禁」で打倒白鵬 うにいくら、うにいくら、ガマン 中日スポーツ2013年5月10日
  10. ^ 隠岐の海が年寄名跡取得中日スポーツ 2013年10月23日 紙面から
  11. ^ “隠岐の海、島根121年ぶり新関脇”. 日刊スポーツ. (2015年2月23日). http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/1438255.html 2015年2月24日閲覧。 
  12. ^ 新関脇隠岐の海 左ふくらはぎ痛め休場 ― スポニチ Sponichi Annex 相撲
  13. ^ 『大相撲ジャーナル』2015年4月号30頁
  14. ^ 朝日新聞2013年3月20日23面
  15. ^ 無類の稽古嫌いで努力家 新三役・隠岐の海のホンネ。 ~五月場所、マイペースな主役候補Number Web 2013/05/12 08:00
  16. ^ 隠岐の海、島根121年ぶり新関脇 nikkansports.com 2015年2月23日19時20分
  17. ^ 10資格取得の隠岐の海が白鵬追う/春場所 nikkansports.com 2013年3月20日9時39分 紙面から
  18. ^ 『相撲』 2012年8月号61頁
  19. ^ Cool Japan Tokyo for Olympics 2020
  20. ^ 隠岐の海、想定外の日馬戦も大きい自信 nikkansports.com 2013年5月11日8時23分 紙面から
  21. ^ 隠岐の海が婚約発表 29日に入籍へ/スポーツ/デイリースポーツ online
  22. ^ 『大相撲ジャーナル』2015年4月号67頁から68頁
  23. ^ 2010年7月場所は大相撲野球賭博問題による謹慎休場
  24. ^ 左第三趾骨折により10日目から途中休場
  25. ^ 左膝屈筋腱損傷により14日目から途中休場
  26. ^ 左腓腹筋内側頭損傷、筋肉内血腫により4日目から途中休場

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