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10代から95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、[[ローマ]]・[[ヴェネツィア]]・[[モスクワ]]等より名誉作家として認定される。
10代から95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、[[ローマ]]・[[ヴェネツィア]]・[[モスクワ]]等より名誉作家として認定される。

==経歴==
* アルバ・ガッタ・[[ローマ]]芸術家協会名誉会員
* ヌーベル・[[ルネッサンス]]認定名誉作家
* ACEA[[バルセロナ]]芸術国際サロン正会員
* [[メディチ]]文化協会正会員
* [[ヴェネチア]]国際芸術協会認定作家
* [[パース]]市名誉芸術家認定作家
* [[モスクワ]]国際芸術文化親善名誉作家  
* [[日墺]]文化親善認定名誉作家


== 書籍 ==
== 書籍 ==

2017年4月24日 (月) 06:08時点における版

梶原 しげよ
(かじわら しげよ)
生誕 梶原 しげよ
(1920-04-23) 1920年4月23日
日本の旗 日本 宮城県気仙沼市唐桑町
死没 (2015-11-08) 2015年11月8日(95歳没)
千葉県柏市
墓地 宮城県気仙沼市唐桑町 早馬神社墓苑
国籍 日本の旗 日本
出身校 宮城県鼎が浦高等学校
職業 詩人
親戚 梶原正雄(父)
公式サイト 詩人梶原しげよ/早馬神社
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梶原 しげよ(かじわらしげよ、本名・髙村しげよ(たかむらしげよ)、1920年(大正9年)4月23日 - 2015年(平成27年)11月8日)は宮城県気仙沼市唐桑町、早馬神社生まれの詩人

10代から95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、ローマヴェネツィアモスクワ等より名誉作家として認定される。

経歴

書籍

詩集

  • 第一詩集『生と死のうた』(1959年、書肆ユリイカ)
  • 第二詩集『連絡船』(1963年、氾濫社)
  • 第三詩集『鎮魂歌』(1965年、中央公論事業出版)
  • 第四詩集『樹木』(1968年、思潮社)
  • 第五詩集『消えてゆく森について』(1971年、思潮社)
  • 第六詩集『流れのなかで』(1975年、詩学社)
  • 第七詩集『残照』(1979年、思潮社)
  • 第八詩集『ある場所から』(1983年、思潮社)
  • 第九詩集『海』(1985年、思潮社)
  • 『女たちの名詩集』(1986年、思潮社・編者新川和江)
  • 第十詩集『再会』(1990年、書肆山田)
  • 第十一詩集『いつも 何かとともに』(1996年、詩学社)
  • 第十二詩集『旅立ち』(2001年、詩学社)
  • 第十三詩集『まひるの月』(2004年、美研インターナショナル)
  • 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(2005年、美研インターナショナル)
  • 第十五詩集『夕映えの旅びと』(2006年、美研インターナショナル)
  • 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(2011年、美研インターナショナル)

外部リンク