コンテンツにスキップ

「梶原しげよ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
brタグ除去等
33行目: 33行目:
}}
}}
'''梶原 しげよ'''(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら しげよ)、[[1920年]](大正9年)[[4月23日]] - [[2015年]](平成27年)[[11月8日]])は[[日本]]の[[詩人]]。[[宮城県]]生まれ。
'''梶原 しげよ'''(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら しげよ)、[[1920年]](大正9年)[[4月23日]] - [[2015年]](平成27年)[[11月8日]])は[[日本]]の[[詩人]]。[[宮城県]]生まれ。

==来歴==
==来歴==
宮城県[[気仙沼市]][[唐桑町]]出身。実家は[[神社]]。気仙沼実科高等女学校([[宮城県鼎が浦高等学校]]、統合され現 [[気仙沼高等学校]])卒業。<br />
宮城県[[気仙沼市]][[唐桑町]]出身。実家は[[神社]]。気仙沼実科高等女学校([[宮城県鼎が浦高等学校]]、統合され現 [[気仙沼高等学校]])卒業。
10代から短歌や詩を書き始め、高等女学校卒業後、<!--教員として-->小学校に勤務してから短歌と詩の投稿をはじめる。1953年に[[高村智|髙村智]](フランス文学者で、のちの東京都立大教授)と結婚。<br />
1959年に 第一詩集『生と死のうた』を出版し、2011年までに十六の詩集を残す。95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、[[ローマ]]・[[ヴェネツィア]]・[[モスクワ]]等より名誉作家として認定される。


10代から短歌や詩を書き始め、高等女学校卒業後、<!--教員として-->小学校に勤務してから短歌と詩の投稿をはじめる。1953年に[[高村智|髙村智]](フランス文学者で、のちの東京都立大教授)と結婚。
==略歴==
1920(大正9)4月23日 唐桑村宿([[早馬神社]])に、二男七女、9人兄弟の末っ子として生まれる<br />
1927(昭和2)  唐桑尋常小学校入学<br />
1933(昭和8)  唐桑高等小学校入学<br />
1935(昭和10) 気仙沼実科高等女学校(旧鼎が浦高校)入学  短歌、詩を書き始める<br />
1939(昭和14) 津山町柳津小学校に勤務  短歌、詩の投稿を始める<br />
1942(昭和17) 唐桑国民学校に勤務<br />
1944(昭和19) 女子挺身隊入隊 陸軍造兵廠勤務<br />
1946(昭和21) [[函館市]]立新川中学校に勤務<br />
1953(昭和28) フランス文学者の[[高村智|髙村智]](のちの東京都立大教授)と結婚。[[浦和]]に転居<br />
1959(昭和34)  [[千葉県]]流山に転居<br />
         第一詩集『生と死のうた』(書肆ユリイカ)<br />
1963(昭和38) 第二詩集『連絡船』(氾濫社)<br />
1965(昭和40) 第三詩集『鎮魂歌』(中央公論事業出版)<br />
1968(昭和43) 第四詩集『樹木』(思潮社)<br />
1971(昭和46) 第五詩集『消えてゆく森について』(思潮社)<br />
1975(昭和50) 第六詩集『流れのなかで』(詩学社)<br />
1979(昭和54) 第七詩集『残照』(思潮社)<br />
1983(昭和58) 第八詩集『ある場所から』(思潮社)<br />
1985(昭和60) 第九詩集『海』(思潮社)<br />
1986(昭和61) 『女たちの名詩集』(思潮社・編者新川和江)<br />
1988(昭和63) [[柏市]]に転居<br />
1990(平成2)  第十詩集『再会』(書肆山田)<br />
1996(平成8)  第十一詩集『いつも 何かとともに』(詩学社)<br />
1998(平成10) 夫、髙村智 死去<br />
2001(平成13) 第十二詩集『旅立ち』(詩学社)<br />
2004(平成16) 第十三詩集『まひるの月』(美研インターナショナル)<br />
2005(平成17) 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(美研インターナショナル)<br />
2006(平成18) 第十五詩集『夕映えの旅びと』(美研インターナショナル)<br />
2011(平成23) 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(美研インターナショナル)<br />


1959年に 第一詩集『生と死のうた』を出版し、2011年までに十六の詩集を残す。95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、[[ローマ]]・[[ヴェネツィア]]・[[モスクワ]]等より名誉作家として認定される。
2015(平成27)11月8日、95歳で生涯を閉じる


==略歴==
*1920年(大正9)4月23日 唐桑村宿([[早馬神社]])に、二男七女、9人兄弟の末っ子として生まれる
*1927年(昭和2年) 唐桑尋常小学校入学
*1933年(昭和8年) 唐桑高等小学校入学
*1935年(昭和10年) 気仙沼実科高等女学校入学短歌、詩を書き始める
*1939年(昭和14年) 津山町柳津小学校に勤務短歌、詩の投稿を始める
*1942年(昭和17年) 唐桑国民学校に勤務
*1944年(昭和19年) [[女子挺身隊]]入隊、[[陸軍造兵廠]]勤務
*1946年(昭和21年) [[函館市]]立新川中学校に勤務
*1953年(昭和28年) フランス文学者の[[高村智|髙村智]](のちの東京都立大教授)と結婚。[[浦和]]に転居
*1959年(昭和34年)
**[[千葉県]][[流山市|流山]]に転居
**第一詩集『生と死のうた』(書肆ユリイカ)
*1963年(昭和38年) 第二詩集『連絡船』(氾濫社)
*1965年(昭和40年) 第三詩集『鎮魂歌』(中央公論事業出版)
*1968年(昭和43年) 第四詩集『樹木』(思潮社)
*1971年(昭和46年) 第五詩集『消えてゆく森について』(思潮社)
*1975年(昭和50年) 第六詩集『流れのなかで』(詩学社)
*1979年(昭和54年) 第七詩集『残照』(思潮社)
*1983年(昭和58年) 第八詩集『ある場所から』(思潮社)
*1985年(昭和60年) 第九詩集『海』(思潮社)
*1986年(昭和61年) 『女たちの名詩集』(思潮社・編者新川和江)
*1988年(昭和63年) [[柏市]]に転居
*1990年(平成2年) 第十詩集『再会』(書肆山田)
*1996年(平成8年) 第十一詩集『いつも 何かとともに』(詩学社)
*1998年(平成10年) 夫、髙村智 死去
*2001年(平成13年) 第十二詩集『旅立ち』(詩学社)
*2004年(平成16年) 第十三詩集『まひるの月』(美研インターナショナル)
*2005年(平成17年) 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(美研インターナショナル)
*2006年(平成18年) 第十五詩集『夕映えの旅びと』(美研インターナショナル)
*2011年(平成23年) 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(美研インターナショナル)
*2015年(平成27年)11月8日、95歳で生涯を閉じる


* アルバ・ガッタ・[[ローマ]]芸術家協会名誉会員
* アルバ・ガッタ・[[ローマ]]芸術家協会名誉会員
* ヌーベル・[[ルネッサンス]]認定名誉作家
* ヌーベル・[[ルネッサンス]]認定名誉作家
* ACEA[[バルセロナ]]芸術国際サロン正会員
* ACEA[[バルセロナ]]芸術国際サロン正会員
* [[メディチ]]文化協会正会員
* [[メディチ]]文化協会正会員
* [[ヴェネチア]]国際芸術協会認定作家
* [[ヴェネチア]]国際芸術協会認定作家
* [[パース]]市名誉芸術家認定作家
* [[パース]]市名誉芸術家認定作家
* [[モスクワ]]国際芸術文化親善名誉作家  
* [[モスクワ]]国際芸術文化親善名誉作家  
* [[日墺]]文化親善認定名誉作家
* [[日墺]]文化親善認定名誉作家


== 作品 ==
== 作品 ==
* 第一詩集『生と死のうた』(1959年、書肆ユリイカ)。{{全国書誌番号|60016160}}、{{NCID|BA86935262}}。
* 第一詩集『生と死のうた』(1959年、書肆ユリイカ)。{{全国書誌番号|60016160}}、{{NCID|BA86935262}}。
* 第二詩集『連絡船』(1963年、氾濫社){{NCID|BA88958178}}
* 第二詩集『連絡船』(1963年、氾濫社){{NCID|BA88958178}}
* 第三詩集『鎮魂歌』(1965年、中央公論事業出版){{NCID|BB04757283}}
* 第三詩集『鎮魂歌』(1965年、中央公論事業出版){{NCID|BB04757283}}
* 第四詩集『樹木』(1968年、思潮社)
* 第四詩集『樹木』(1968年、思潮社)
* 第五詩集『消えてゆく森について』(1971年、思潮社){{NCID|BA50036025}}
* 第五詩集『消えてゆく森について』(1971年、思潮社){{NCID|BA50036025}}
* 第六詩集『流れのなかで』(1975年、詩学社)
* 第六詩集『流れのなかで』(1975年、詩学社)
* 第七詩集『残照』(1979年、思潮社){{NCID|BB08285346}}
* 第七詩集『残照』(1979年、思潮社){{NCID|BB08285346}}
* 第八詩集『ある場所から』(1983年、思潮社)
* 第八詩集『ある場所から』(1983年、思潮社)
* 第九詩集『海』(1985年、思潮社)
* 第九詩集『海』(1985年、思潮社)
* 第十詩集『再会』(1990年、書肆山田)
* 第十詩集『再会』(1990年、書肆山田)
* 第十一詩集『いつも 何かとともに』(1996年、詩学社)ISBN 4883120899
* 第十一詩集『いつも 何かとともに』(1996年、詩学社)ISBN 4883120899
* 第十二詩集『旅立ち』(2001年、詩学社)ISBN 4883121828
* 第十二詩集『旅立ち』(2001年、詩学社)ISBN 4883121828
* 第十三詩集『まひるの月』(2004年、美研インターナショナル)ISBN 443404186X
* 第十三詩集『まひるの月』(2004年、美研インターナショナル)ISBN 443404186X
* 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(2005年、美研インターナショナル)ISBN 4434057138
* 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(2005年、美研インターナショナル)ISBN 4434057138
* 第十五詩集『夕映えの旅びと』(2006年、美研インターナショナル)ISBN 4434078968
* 第十五詩集『夕映えの旅びと』(2006年、美研インターナショナル)ISBN 4434078968
* 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(2011年、美研インターナショナル){{全国書誌番号|22051454}}、{{OCLC|816915900}}。
* 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(2011年、美研インターナショナル){{全国書誌番号|22051454}}、{{OCLC|816915900}}。
== 関連作品 ==
== 関連作品 ==
108行目: 110行目:


{{Writer-substub}}
{{Writer-substub}}
{{DEFAULTSORT:かわら しよ}}
{{DEFAULTSORT:かわら しよ}}
[[Category:日本の詩人]]
[[Category:日本の詩人]]
[[Category:宮城県出身の人物]]
[[Category:宮城県出身の人物]]

2017年8月19日 (土) 01:40時点における版

梶原 しげよ
(かじわら しげよ)
生誕 梶原 しげよ
(1920-04-23) 1920年4月23日
日本の旗 日本 宮城県気仙沼市唐桑町
死没 (2015-11-08) 2015年11月8日(95歳没)
千葉県柏市
墓地 宮城県気仙沼市唐桑町 早馬神社墓苑
国籍 日本の旗 日本
出身校 宮城県鼎が浦高等学校
職業 詩人
親戚 梶原正雄(父)
公式サイト 詩人梶原しげよ/早馬神社
テンプレートを表示

梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら しげよ)、1920年(大正9年)4月23日 - 2015年(平成27年)11月8日)は日本詩人宮城県生まれ。

来歴

宮城県気仙沼市唐桑町出身。実家は神社。気仙沼実科高等女学校(宮城県鼎が浦高等学校、統合され現 気仙沼高等学校)卒業。

10代から短歌や詩を書き始め、高等女学校卒業後、小学校に勤務してから短歌と詩の投稿をはじめる。1953年に髙村智(フランス文学者で、のちの東京都立大教授)と結婚。

1959年に 第一詩集『生と死のうた』を出版し、2011年までに十六の詩集を残す。95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、ローマヴェネツィアモスクワ等より名誉作家として認定される。

略歴

  • 1920年(大正9年)4月23日 唐桑村宿(早馬神社)に、二男七女、9人兄弟の末っ子として生まれる
  • 1927年(昭和2年) 唐桑尋常小学校入学
  • 1933年(昭和8年) 唐桑高等小学校入学
  • 1935年(昭和10年) 気仙沼実科高等女学校入学。短歌、詩を書き始める
  • 1939年(昭和14年) 津山町柳津小学校に勤務。短歌、詩の投稿を始める
  • 1942年(昭和17年) 唐桑国民学校に勤務
  • 1944年(昭和19年) 女子挺身隊入隊、陸軍造兵廠勤務
  • 1946年(昭和21年) 函館市立新川中学校に勤務
  • 1953年(昭和28年) フランス文学者の髙村智(のちの東京都立大教授)と結婚。浦和市に転居
  • 1959年(昭和34年)
    • 千葉県流山に転居
    • 第一詩集『生と死のうた』(書肆ユリイカ)
  • 1963年(昭和38年) 第二詩集『連絡船』(氾濫社)
  • 1965年(昭和40年) 第三詩集『鎮魂歌』(中央公論事業出版)
  • 1968年(昭和43年) 第四詩集『樹木』(思潮社)
  • 1971年(昭和46年) 第五詩集『消えてゆく森について』(思潮社)
  • 1975年(昭和50年) 第六詩集『流れのなかで』(詩学社)
  • 1979年(昭和54年) 第七詩集『残照』(思潮社)
  • 1983年(昭和58年) 第八詩集『ある場所から』(思潮社)
  • 1985年(昭和60年) 第九詩集『海』(思潮社)
  • 1986年(昭和61年) 『女たちの名詩集』(思潮社・編者新川和江)
  • 1988年(昭和63年) 柏市に転居
  • 1990年(平成2年) 第十詩集『再会』(書肆山田)
  • 1996年(平成8年) 第十一詩集『いつも 何かとともに』(詩学社)
  • 1998年(平成10年) 夫、髙村智 死去
  • 2001年(平成13年) 第十二詩集『旅立ち』(詩学社)
  • 2004年(平成16年) 第十三詩集『まひるの月』(美研インターナショナル)
  • 2005年(平成17年) 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(美研インターナショナル)
  • 2006年(平成18年) 第十五詩集『夕映えの旅びと』(美研インターナショナル)
  • 2011年(平成23年) 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(美研インターナショナル)
  • 2015年(平成27年)11月8日、95歳で生涯を閉じる

作品

  • 第一詩集『生と死のうた』(1959年、書肆ユリイカ)。全国書誌番号:60016160NCID BA86935262
  • 第二詩集『連絡船』(1963年、氾濫社)NCID BA88958178
  • 第三詩集『鎮魂歌』(1965年、中央公論事業出版)NCID BB04757283
  • 第四詩集『樹木』(1968年、思潮社)
  • 第五詩集『消えてゆく森について』(1971年、思潮社)NCID BA50036025
  • 第六詩集『流れのなかで』(1975年、詩学社)
  • 第七詩集『残照』(1979年、思潮社)NCID BB08285346
  • 第八詩集『ある場所から』(1983年、思潮社)
  • 第九詩集『海』(1985年、思潮社)
  • 第十詩集『再会』(1990年、書肆山田)
  • 第十一詩集『いつも 何かとともに』(1996年、詩学社)ISBN 4883120899
  • 第十二詩集『旅立ち』(2001年、詩学社)ISBN 4883121828
  • 第十三詩集『まひるの月』(2004年、美研インターナショナル)ISBN 443404186X
  • 第十四詩集『私は門もとびらも持っていない』(2005年、美研インターナショナル)ISBN 4434057138
  • 第十五詩集『夕映えの旅びと』(2006年、美研インターナショナル)ISBN 4434078968
  • 第十六詩集『ゆうぐれの野路』(2011年、美研インターナショナル)全国書誌番号:22051454OCLC 816915900

関連作品

外部リンク