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'''清山 知憲'''(きよやま とものり、[[1981年]][[10月31日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[医師]]、[[医療法人]]理事長。[[宮崎県]][[宮崎市]]長(1期)。
'''清山 知憲'''(きよやま とものり、[[1981年]]〈[[昭和]]56年〉[[10月31日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[医師]]、[[医療法人]]理事長。[[宮崎県]][[宮崎市]]長(1期)。


== 経歴・人物 ==
== 経歴・人物 ==

2022年9月3日 (土) 07:14時点における版

清山 知憲
きよやま とものり
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1981-10-31) 1981年10月31日(42歳)
出生地 日本の旗 日本 宮崎県宮崎市
出身校 東京大学医学部
前職 医療法人理事長
所属政党無所属→)
自由民主党→)
無所属

当選回数 1回
在任期間 2022年2月6日 -

選挙区 宮崎市選挙区
当選回数 2回
在任期間 2011年 - 2018年
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清山 知憲(きよやま とものり、1981年昭和56年〉10月31日 - )は、日本政治家医師医療法人理事長。宮崎県宮崎市長(1期)。

経歴・人物

宮崎県宮崎市出身。宮崎市立宮崎小学校宮崎大学附属中学校宮崎県立宮崎西高等学校東京大学医学部卒業。

実家は蕎麦店で、多忙な両親に代わって自分の面倒を見てくれた祖母への思いが医師を志す礎となったという[1]

東京大学医学部卒業後、沖縄県立中部病院に赴任し、初期研修医として教育を受ける[2]

2008年にアメリカ合衆国へ渡り、ベス・イスラエル・メディカルセンター内科レジデンシー・プログラムを1年間履修[2]。アメリカ留学中に故郷宮崎の医師不足のニュースを耳にし、「自分に何か出来ないか」という思いから帰国を決意し、宮崎大学医学部附属病院内科医として入職[3]

2011年、「宮崎の医師を増やすには政治の力が必要」との思いから政治家になることを決断[1]。この年の第17回統一地方選挙にて執行された宮崎県議会議員選挙に出馬し、宮崎市選挙区で1位当選を果たした[4]。以来、医師と政治家の二足のワラジを履きながらの活動となる。

2015年の第18回統一地方選挙での宮崎県議会議員選挙に2期目の立候補を行い、自由民主党公認候補として再選を果たす[5]

2018年、「日本一健康な町づくり」を旗印に、県議を辞職して宮崎市長選挙に出馬[6]。この時は現職の戸敷正に敗れた[7]

2018年の市長選挙で敗れた後、宮崎市内にて「きよやまクリニック」を開業する[3]。新クリニックでは在宅医療に力を入れる[3]。その後クリニックを「ひなた在宅クリニック」を改めた上、東京都品川区に進出させ、「ひなた在宅クリニック山王」として開院させる[8]

2022年1月23日執行の宮崎市長選挙に2度目の挑戦を敢行、市政のクリーン化とコロナ対策の充実を旗印に支持を訴え、56,943票を獲得して戸敷正の4選を阻止して初当選を果たした[9]

脚注

外部リンク