「四式七糎半高射砲」の版間の差分

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従来の[[八八式七糎野戦高射砲]]の威力および、運動性の不足を考慮し新しく研究する必要に迫られていたが、研究に割く時間がないなどの理由で、[[中国]]で鹵獲した[[ボフォース]]社の{{仮リンク|75mm Lvkan m/29|en|Bofors 75 mm Model 1929}}高射砲<ref>この砲はボフォース製であるが原設計は[[クルップ]]であり、[[8.8 cm FlaK 18/36/37|8.8 cm FlaK 18]]設計のための習作とも言えるものであった。</ref>を[[リバースエンジニアリング]]でコピーした。運行用の接続砲車についても原型を参考に操向性等に改良を施したものとしている。試製砲は[[1943年]]([[昭和]]18年)に完成し、[[1944年]](昭和19年)制式としたが、70門ほどしか生産できなかった。
従来の[[八八式七糎野戦高射砲]]の威力および、運動性の不足を考慮し新しく研究する必要に迫られていたが、研究に割く時間がないなどの理由で、[[中国]]で鹵獲した[[ボフォース]]社の{{仮リンク|75mm Lvkan m/29|en|Bofors 75 mm Model 1929}}高射砲<ref>この砲はボフォース製であるが原設計は[[クルップ]]であり、[[8.8 cm FlaK 18/36/37|8.8 cm FlaK 18]]設計のための習作とも言えるものであった。</ref>を[[リバースエンジニアリング]]でコピーした。運行用の接続砲車についても原型を参考に操向性等に改良を施したものとしている。試製砲は[[1943年]]([[昭和]]18年)に完成し、[[1944年]](昭和19年)制式としたが、70門ほどしか生産できなかった。


砲身は二層構造で、内管は[[銃砲身#製造方式|自己緊搾方式]]の自由交換砲身である<ref name="sayama2010">佐山二郎『日本陸軍の火砲 高射砲』 光人社、2010年、ISBN 978-4-7698-2660-6、pp.298-327</ref>。照準算定具は、電気式の二式高射算定具を使用する<ref name="sayama2010"/>。
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砲架は、砲の取り付けられた基筒砲架の下部周囲に十字形に4本の脚を有する構造である<ref name="sayama2010"/>。牽引式で、迅速簡単に運行姿勢と放列姿勢の転換ができる機能を備えている<ref name="taihou p376">「日本の大砲」 竹内昭・佐山二郎共著 出版共同社 昭和61年 p.376</ref>。牽引移動時には左右の脚を前方へ畳み、砲身と基筒砲架を後方へ倒して姿勢を低くし、基筒砲架のやや後方に砲架車を、前方に前車を装着する<ref name="sayama2010"/>。砲架車・前車はいずれも緩衝機を有し、実体タイヤを使用する<ref name="sayama2010"/>。基筒砲架と砲架車は、チェーンによる連動機構により、砲身と基筒砲架を倒す際の重量を利用して砲架後部を持ち上げ、砲架車を迅速に装着できる機能を備えている<ref name="sayama2010"/>。
八八式七糎野戦高射砲に比べて1トン以上も重いが、九八式六屯牽引車によって牽引され、運行速度は45km/hを記録し<ref name="taihou p376"></ref>

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また、[[四式中戦車]](チト)、[[五式中戦車]](チリ)、[[試製七糎半対戦車自走砲 ナト|試製七糎半対戦車自走砲]](ナト)などに搭載された、[[五式七糎半戦車砲]]の母体としても利用された。

2024年3月6日 (水) 11:09時点における版

制式名 四式七糎半高射砲
放列砲車重量 3,355kg
口径 75mm
全長 4.230m
砲身重量 837kg
初速 850m/s
最大射程 17,000m
最大射高 11,000m
高低射界 0〜+85度
方向射界 360度
後座長 550〜1000mm(規定後座長)
1200mm(設計上の最大後座長)
使用弾種 三式高射尖鋭弾
試製一式徹甲弾
牽引車 九八式六屯牽引車
使用勢力 大日本帝国陸軍

四式七糎半高射砲(よんしきななせんちはんこうしゃほう)とは太平洋戦争中に帝国陸軍が使用した 高射砲である。

概要

従来の八八式七糎野戦高射砲の威力および、運動性の不足を考慮し新しく研究する必要に迫られていたが、研究に割く時間がないなどの理由で、中国で鹵獲したボフォース社の75mm Lvkan m/29英語版高射砲[1]リバースエンジニアリングでコピーした。運行用の接続砲車についても原型を参考に操向性等に改良を施したものとしている。試製砲は1943年昭和18年)に完成し、1944年(昭和19年)制式としたが、70門ほどしか生産できなかった。

砲身は二層構造で、内管は自己緊搾方式の自由交換砲身である[2]。照準算定具は、電気式の二式高射算定具を使用する[2]

砲架は、砲の取り付けられた基筒砲架の下部周囲に十字形に4本の脚を有する構造である[2]。牽引式で、迅速簡単に運行姿勢と放列姿勢の転換ができる機能を備えている[3]。牽引移動時には左右の脚を前方へ畳み、砲身と基筒砲架を後方へ倒して姿勢を低くし、基筒砲架のやや後方に砲架車を、前方に前車を装着する[2]。砲架車・前車はいずれも緩衝機を有し、実体タイヤを使用する[2]。基筒砲架と砲架車は、チェーンによる連動機構により、砲身と基筒砲架を倒す際の重量を利用して砲架後部を持ち上げ、砲架車を迅速に装着できる機能を備えている[2]

八八式七糎野戦高射砲に比べて1トン以上も重いが、九八式六屯牽引車によって牽引され、45km/hでの高速牽引が可能であった[2][3]

また、四式中戦車(チト)、五式中戦車(チリ)、試製七糎半対戦車自走砲(ナト)などに搭載された、五式七糎半戦車砲の母体としても利用された。

脚注

  1. ^ この砲はボフォース製であるが原設計はクルップであり、8.8 cm FlaK 18設計のための習作とも言えるものであった。
  2. ^ a b c d e f g 佐山二郎『日本陸軍の火砲 高射砲』 光人社、2010年、ISBN 978-4-7698-2660-6、pp.298-327
  3. ^ a b 「日本の大砲」 竹内昭・佐山二郎共著 出版共同社 昭和61年 p.376

参考資料

関連項目