石島雉子郎
石島 雉子郎(いしじま きじろう、1887年8月26日 - 1941年4月18日[1])は、日本の俳人。救世軍大佐。
人物
埼玉県北埼玉郡行田町(現・行田市)の青縞問屋に生まれた[1]。本名は亀次郎[1]、雉子郎は俳号。熊谷中学時代から俳句に興味をもち、川島奇北から俳句の指導助言を受ける。後に中学は中退[2]。1910年、救世軍士官学校に入学する。山室軍平の認めるところとなり、1913年、姪の恵子と結婚。同年秋朝鮮半島への伝導活動のため京城に赴く。京城では京城日報の選者として活躍する。1921年に東京に戻り、川島奇北の句集「田園」の刊行を祝す[3]。俳誌「浮城」発刊[4]。救世軍清瀬療養所事務所長を務める。郷土史家で、田山花袋の「田舎教師」に登場する石川機山のモデルでもある石島薇山は兄[5]。