リガ
リガ Riga | |||||
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ダウガワ川左岸から見たリガ | |||||
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位置 | |||||
座標 : 北緯56度57分0秒 東経24度6分0秒 / 北緯56.95000度 東経24.10000度 | |||||
歴史 | |||||
建設 | 1225年 | ||||
行政 | |||||
国 | ラトビア | ||||
行政区画 | 直轄市 | ||||
市 | リガ | ||||
市長 | Jānis Birks | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 307,17 km2 | ||||
標高 | 7 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2008年現在) | ||||
市域 | 719,613人 | ||||
人口密度 | 2.342,72人/km2 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | LV-10(01-84) | ||||
市外局番 | (+371) 67 | ||||
公式ウェブサイト : http://www.riga.lv |
リーガ/リガ(ラトビア語:Rīga 、 ロシア語:Рига 、エストニア語:Riia 、リトアニア語:Ryga 、ドイツ語:Riga)は、ラトビア共和国の首都で、同国最大の人口を持つ都市で、人口は71万7000人(2008年現在)
日本語では「リガ」と表記する場合が多いが、これはドイツ語の発音に基づいたもので、ラトビア語では「リーガ」という。
「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町、その旧市街地はユネスコ世界文化遺産に登録されている。
概要
世界遺産に登録されている旧市街「リガ歴史地区」はアールヌーボー調の建築の宝庫として著名である。新市街は官庁やオフィスが集まる。郊外には、ラトビア民俗博物館があり、野外博物館も兼ねている。また、保養地として知られる海岸、ユールマーラも西方にある。 人口約80万人のリーガ市はラトビア国内はもとより、バルト三国最大の都市でもある。市内で最も高い建築物はリガラジオ&テレビタワーである。
日本の神戸市とは姉妹都市である。神戸市は2001年のリガ市建都800年祭などにも参加している。 「バルト海の真珠」と讃えられる風光明媚な港と神戸港は、相通じる部分が多い。
歴史
リガの記録は既に2世紀には見られる。長くヴァリャーグによるビザンティンへの交易ルートとして、ダウガヴァ川は古来より利用されており、河口から15キロに広がるリガは、天然の良港であった。リガという名称もリヴォニア語の「円」という意味から由来する、とされる。(港の形状が円形だった。) 12世紀までには交易だけでなく漁業や畜産の拠点となり、ドイツ人商人の入植も12世紀半ばから盛んになる。教皇インノケンティウス3世の命を受けたアルベルトが、1200年に東方十字軍を組織しリヴォニアに侵攻、23隻の軍艦と1500人の十字軍兵でリガを制圧し、リーヴ人の服属と改宗を行った。1202年に、アルベルトは、刀剣騎士修道会をリガで創立。以降、リガはバルト海とロシアの中継貿易拠点として重きをなしてくる。1282年にはハンザ同盟に加盟。経済発展の地歩を固めるが、同時にリガの繁栄は侵略者を招くこととなる。1522年には、プロテスタントを受容。1561年のドイツ騎士団の解散で、それ以後の20年間は帝国自由都市となる。1581年から、リガはポーランド・リトアニア共和国の支配を、1621年からはグスタフ2世アドルフのスウェーデン王国の支配を受ける。リガはスウェーデン王国最大の都市であった。大北方戦争が起こると、ロシアのピョートル1世が、リガに侵攻、スウェーデン時代は終焉を迎える。ニスタット条約で、リガはロシアに割譲され、第一次世界大戦までロシア領として、ロシアの重要な交易拠点とされた。20世紀まで、ロシアでモスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ第3の都市はリガであった。しかし、支配者の変遷にかかわらず、リガの住民の多くは、バルト・ドイツ人であった。そうした中で、19世紀後半には、ラトビアの民族主義が覚醒。1918年にはラトビアはブレスト=リトフスク条約でドイツに割譲されるも、第一次世界大戦の終結でラトビアは独立を宣言。第二次世界大戦までの数年間は、リガが外交・文化的に英国に接近した時代だった。第二次世界大戦が始めると、リガはまずソ連に、そしてナチス・ドイツの軍事占領を経験する。大戦中、バルト・ドイツ人はドイツ本国に脱出し、リガのゲットーにいたユダヤ人は収容所送りとなった。1945年にソ連の赤軍が再度リガに軍事侵攻。ラトビア人を大量に処刑、シベリア送りにしたことから、市の人口は3分の1にまで激減することになった。代わりに、ソ連政府はロシア人をリガに集団移住させ、リガ市の民族構成は一変してしまう。1991年、ラトビアは独立を回復、リガも首都に返り咲いた。
気候
リガの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | −2.3 (27.9) |
−1.7 (28.9) |
2.7 (36.9) |
9.8 (49.6) |
16.2 (61.2) |
20.1 (68.2) |
21.7 (71.1) |
21.0 (69.8) |
16.3 (61.3) |
10.4 (50.7) |
3.9 (39) |
0.3 (32.5) |
9.87 (49.76) |
平均最低気温 °C (°F) | −7.8 (18) |
−7.6 (18.3) |
−4.7 (23.5) |
1.0 (33.8) |
5.9 (42.6) |
10.0 (50) |
12.3 (54.1) |
11.8 (53.2) |
8.0 (46.4) |
4.0 (39.2) |
−0.5 (31.1) |
−4.4 (24.1) |
2.33 (36.19) |
降水量 mm (inch) | 34 (1.34) |
27 (1.06) |
28 (1.1) |
41 (1.61) |
44 (1.73) |
63 (2.48) |
85 (3.35) |
73 (2.87) |
75 (2.95) |
60 (2.36) |
57 (2.24) |
46 (1.81) |
633 (24.9) |
出典:World Weather Information Service 11.11.2008 |
人口構成
リガの人口719,613人(2008年)であり、バルト三国で最大である。しかし独立を回復した1991年以降は減少に転じている。低い出生率と(主にロシア系住民の)海外移住が原因で、このままだと2050年には現在の半分にまで減少するという調査結果もある。 住民の民族構成は以下の通りである。
- ラトビア人 - 43.3%
- ロシア人 - 41.7%
- ベラルーシ人 - 4.3%
- ウクライナ人 - 3.9%
- ポーランド人- 2.0%
- その他 - 5.8%
ラトビア全体では、 ラトビア人 - 59.0%、ロシア人 - 28.5%、である。 独立回復では、ソ連時代にラトビアに移住してきた者、及びその独立以前に出生したその子孫(つまり主にロシア人)には、ラトビアの市民権は自動的に付与されておらず、リガの人口低下の一因でもある。2008年の調査では、リガのロシア人の比率は、1989年には47.3%であったが、2007年には42.1%に減少し、2006年にリガ市においては、ラトビア人の数がロシア人を上回った。
交通
リガの旧市街からは、8.5km程離れており、バス路線の22番線又は22A番線に乗るとリガ駅に辿り着くことができる。バルト三国で最大の空港で、エア・バルティックなどがハブとしている。この8年ほどの間に利用者数が倍増しており、継続的に大規模な近代化・拡張工事が進行している。
市の中心、旧市街の東にある。(旧市街へは徒歩5分)。近年、改装工事が終わり近代的駅舎に生まれ変わった。 モスクワ(リーシスキー駅)やサンクトペテルブルグ(ヴィチェプスク駅)への国際列車が毎日運行される。季節によってはシンフェロポリなどウクライナ方面への国際列車も運行される。
旧市街の北1km。徒歩10分で旧市街へ。港の先にあるトラム停留所からトラム利用も可。Tallink Silja Line(シリヤライン)等によりストックホルム、リューベックなどへの定期便が就航している。
旧市街の南東にある。中央市場の入り口。タリンやヴィリニュスへ毎日何便も国際バスがある。モスクワ、サンクトペテルブルグへも毎日数便。タルトゥ、カナウス、シャウレイ、クライペダへも毎日便がある。ポーランド、ベラルーシ方面への国際バスも多い。
市内交通は、リガ交通局Rīgas Satiksmeによって運営され、トラム(11路線)、トロリーバス(20路線)、市内バス(40路線)、ミニバス、などがある。
リガ旧市街
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冬のリガ旧市街 | |||
英名 | Historic Centre of Riga | ||
仏名 | Centre historique de Riga | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1),(2) | ||
登録年 | 1997年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
使用方法・表示 |
リガ旧市街は、南縁にリーガ駅と中央市場、西縁がダウガヴァ川と河港、そして東側が新市街である。
「ドイツよりもドイツらしい」と言われるような中世ドイツらしさが残るのは、ドイツ人によって都市の基礎が形作られたという歴史ゆえであろう。旧市街は中世ドイツの商業都市の特徴が多く見られ、とりわけハンザ同盟時代の街並みがよく残されている。世界遺産に登録されたのも、ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式が混在する、歴史的学術的価値の高さによる。ソ連支配の時代に旧市街の開発が行われなかったことで、街並み保存に寄与していたとしたら皮肉なことではある。
見所
- リガ城
- リガ大聖堂(世界最古のパイプオルガンがある。ステンドグラスでも知られる)
- ロシア正教会
- 聖ペテロ教会
- 城壁
- スウェーデン門
- ギルドハウス(ブラックヘッドのギルド)
- 三人兄弟の家(特徴のある三軒の民家)
- 独立記念塔
- リガ市庁舎
- 工芸博物館(刀剣騎士団旧址、リーガ最古の建物)
- リガ自動車博物館
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
リガ出身の人物
- ミハイル・バリシニコフ:バレエダンサー
- アイザイア・バーリン:政治哲学者
- セルゲイ・エイゼンシュテイン:映画監督
- ユリス・ハルトマニス:科学者
- ヨハネス・ヘルダー:詩人・哲学者
- ヴィルヘルム・オストヴァルト:化学者
- ミハイル・タリ:チェス・プレイヤー
- アンドリス・ビエドリンシュ:バスケットボール選手
姉妹都市