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神田明神

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神田明神(かんだみょうじん)は東京都千代田区外神田2丁目にある神社江戸時代には神田明神と呼ばれたが、明治維新以降は神田神社が正式名称となっている。

神田はもと伊勢神宮の御田があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。当初の祭神は大己貴(おおなむち)命であったが、平将門の首塚が近くにあったので、将門神も合祀されるようになった。将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。また明治維新後、少彦名命も合祀されるようになった。

江戸時代初めには江戸城鬼門除けとして尊崇され、神田祭の神輿は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、一名「天下祭」とも言われた。現在、神田祭は祇園祭大阪天神祭とともに日本三大祭とされ、とくに「神田囃子」は無形文化財に指定されている。

江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年関東大震災で焼失した。その後再建され、1945年東京大空襲では本殿・拝殿などは焼失を免れた。