豊島将之
豊島将之 三冠(名人・王位・棋聖) | |
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名前 | 豊島将之 |
生年月日 | 1990年4月30日(34歳) |
プロ入り年月日 | 2007年4月1日(16歳) |
棋士番号 | 264 |
出身地 | 愛知県一宮市 |
師匠 | 桐山清澄 |
保持タイトル | 三冠(名人・王位・棋聖) |
段位 | 九段 |
棋士DB | 豊島将之 |
戦績 | |
タイトル獲得合計 | 3回 |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
2019年5月17日現在 |
豊島 将之(とよしま まさゆき、1990年4月30日 - ) は、将棋棋士。桐山清澄九段門下。棋士番号は264。愛知県一宮市出身[1]。関西大学第一高等学校卒、関西大学中退。
棋歴
史上初の平成生まれのプロ棋士である。
2018年現在、豊島・菅井竜也(王位1期)・稲葉陽・糸谷哲郎(竜王1期)・斎藤慎太郎(王座1期)・佐藤天彦(もともと関西奨励会所属)の6名が「関西若手6強」とされる[2][注釈 1]。
プロ入り前
4歳の頃、テレビで見かけたことをきっかけに将棋を始める。5歳で大阪府豊中市に転居後は[6]、関西将棋会館道場で腕を磨き[7]、小学1年でアマ四段となり[7]、脇謙二に指導対局を受けて飛香落ちで完勝した[7]。1998年には豊島を紹介する「恐るべき天才少年」というカラー写真入りの記事が週刊将棋の1面トップを飾った[7]。9歳でアマ六段となった[8]。
小学3年の9月に6級で奨励会に入会。成績には波があったが、小5の9月までに1級に昇級するというスピード出世で、史上初の小学生プロ棋士の期待がかかった。しかし、そこから初段昇段までに1年半を要した。それでも三段昇段は中2の4月で史上最も早かった(後に藤井聡太が更新)、2007年3月に三段リーグを14勝4敗の1位で抜けるまでに2年半(5期)かかり、プロ入りは関西大学第一高等学校2年になってからであった[9]。
公式戦への登場は、第36期新人王戦における14歳6か月で,これは藤井聡太の14歳5か月に次ぐ史上2番目の年少記録である[10]。
プロ入り後
プロ1年目の2007年度は、8月3日から10月9日まで9連勝(王位戦の予選で谷川浩司を破った一局も含まれている)。10月23日に1敗を喫した後、さらに、10月30日から1月11日まで10連勝する。いわば、良いとこ取りで19勝1敗で、年度勝率も全棋士中3位の0.714という活躍を見せる。
2009年度の初戦も白星となり、連勝を12に伸ばしたものの、次の対局(5月1日、第35期棋王戦予選、対・稲葉陽)で敗れ、その後に阿久津主税が13連勝したため連勝賞を逃した。しかしその後も破竹の勢いを見せ、5月から6月にかけて10連勝、8月から10月にかけても10連勝している。また第22期竜王ランキング戦5組で優勝。初参加からの2年連続優勝は、行方尚史に次ぎ14年ぶり2人目。その後の竜王戦本戦トーナメントでは、当時絶好調の稲葉陽と久々のタイトル挑戦を狙う田中寅彦を破り、ベスト9に入った。また第59期王将戦において、一次・二次予選のトーナメントを7連勝で駆け抜け、初のリーグ入りを果たす。王将リーグは定員7名、残留4名という棋界随一の難関であり、十代でのリーグ入りは加藤一二三、屋敷伸之に続く史上3人目で、谷川浩司、羽生善治もなし得なかった快挙である。リーグ表にタイトルホルダー、永世称号者がずらりと5名並ぶ中で2勝を挙げる健闘を見せたが、残留はできなかった。順位戦では、初参加から3期目となる第68期C級2組で開幕から8連勝。2戦を残して早々とC級1組への昇級を決めた(最終成績は10勝0敗)。2009年度は全棋士中1位の45勝(14敗)と勝率0.763を記録する大活躍で、第37回将棋大賞の最多勝利賞と勝率1位賞を受賞[11]。
2010年度は、第60期王将戦で二次予選を勝ち抜き、2年連続で王将リーグ入り。羽生、森内俊之等の並み居る強豪を破り、最終局で佐藤康光との1敗同士の直接対決を制して5勝1敗で挑戦権獲得、六段に昇段[12]。自身初のタイトル挑戦となる。久保利明王将との七番勝負は2勝4敗に終わり、タイトル奪取はならず。2010年度は、第38回将棋大賞の新人賞を受賞[13]。
2011年度は、第70期順位戦C級1組で、7勝3敗で2位となり、B級2組への昇級を決める。
2012年度は、4月19日に竜王ランキング戦連続2回昇級により七段昇段。また、第71期順位戦B級2組で9勝1敗で2位となり、B級1組への二年連続昇級を決めた。
タイトルの壁
2014年度、第62期王座戦挑戦者決定戦で丸山忠久を破り、羽生王座への挑戦権を獲得するも、2勝3敗で奪取ならず。
2014年3月29日、第3回将棋電王戦第3局にてYSSと対局し、83手で勝利した。
2015年度、第86期棋聖戦挑戦者決定戦で佐藤天彦を破り、再び羽生棋聖に挑むも、1勝3敗で敗れる。
2016年10月23日にJT将棋日本シリーズで佐藤天彦名人に勝ち棋戦初優勝。
2016年度の第75期順位戦B級1組にてA級昇格のかかった最終戦で糸谷哲郎に勝利し、8勝4敗の成績で終了し、同じくA級昇級のかかった山崎隆之と阿久津主税の直接対決は山崎が敗れて、今期の順位の差で豊島が2位の成績で自身初のA級昇級を果たし、同時に八段昇段となった。
2017年度は、第67期王将戦・挑戦者決定リーグ戦において5勝1敗で1位となり、久保利明王将への挑戦を決めた[14]ものの、2勝4敗の成績でタイトル奪取とはならなかった。第76期順位戦A級では、前半に5連勝するも、後半失速して6勝4敗に終わり、自身も含めた6人によるプレーオフとなる。王将戦の番勝負を合間に挟むほどの過密スケジュールの中、プレーオフで久保利明・佐藤康光・広瀬章人に連続勝利するも、羽生善治に敗れて名人挑戦権獲得はならなかった。
悲願の初タイトル獲得と名人就位
2018年度には、第89期棋聖戦挑戦者決定戦で三浦弘行を破り、羽生棋聖への挑戦権を獲得する。五番勝負は7月17日の第5局で豊島の3勝2敗で決着し、豊島は初タイトルとなる棋聖を獲得[15][16]、8大タイトルを8人が分け合う群雄割拠に突入した[17]。その棋聖戦第1局が行われる2日前の6月4日に、第59期王位戦の挑戦者決定戦で羽生善治を破り、菅井竜也王位への挑戦権を獲得し、七番勝負では9月27日の第7局で豊島の4勝3敗で決着し王位を獲得。自らの手で作り出した群雄割拠状態を、これまた自分の手で早々と終止符を打った[18]。第77期順位戦A級では、後半で広瀬章人に1敗したのみで8勝1敗の成績を挙げ、佐藤天彦名人への挑戦権を獲得した。これらの成績により、第46回将棋大賞にて最優秀棋士賞を初受賞した[19]。第77期名人戦七番勝負では、豊島が4勝0敗のストレート勝ちで名人(第十四代)を獲得し、同時に九段への昇段も果たした。関西所属棋士による名人位獲得は1997年の谷川浩司以来、22年ぶりである。また、豊島が名人を獲得するまでは唯一歴代の全実力制名人と対局したことのあった加藤一二三と対局したことはないため、歴代の全実力制名人と対局したことのある棋士はいなくなった。
棋風
居飛車(対・振り飛車、矢倉、角換わり、後手番一手損角換わり、横歩取りなど)、振り飛車(三間飛車、向かい飛車、中飛車など)、相振り飛車のいずれも指しこなし、また、攻め合いの将棋も持久戦も指すという、序盤、中盤、終盤と隙のない典型的なオールラウンドプレーヤーであり、「豊島?強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ」と同じ棋士の佐藤紳哉からも評価されている。電王戦での二つ名は「若き天才オールラウンダー」。
また力戦形も得意としていて、最速の勝ちを目指すよりは抜群の大局観で押し切る将棋が豊島の真骨頂である。
人物・エピソード
- 趣味はバドミントンと読書。好きな作家は東野圭吾と綾辻行人。プロ野球は阪神タイガースのファン[20]。
- 真部一男(2007年11月24日に死去)にとっての最後の対局(同年10月30日)の相手となった。この一局は33手で後手の真部が投了したものであった。実は真部は、次の34手目に幻の△4二角と打つ妙手を発見していたが、その手を指すと豊島が長考に沈み、自分の体が持たないであろうと考えたから投了したという[21]。
- 関西大学第一高等学校から関西大学文学部に進学したが、対局で多忙なため1年で自主退学[22]。
- 2016年10月30日、東京・将棋会館で行われる第2期叡王戦本戦で久保利明と対局するため、関西所属の豊島は前日に東京入りし、14時の対局開始を待っていた[23]。一方、同じく関西所属の久保は14時開始を19時開始と勘違いし、当日に東京入りして19時からの対局に臨む予定であった[23]。当日になり、勘違いに気づいた久保は、急遽、飛行機で東京に向かおうとしたが、14時30分発の伊丹 - 羽田便に乗るのが限度であった[23]。この対局は主催社であるドワンゴのニコニコ生放送で生中継されており、久保の到着を待って対局を実施することも検討されたが、規定どおりに久保の遅刻が1時間に達した時点で豊島の不戦勝とすることに決まった[23]。豊島は、対局開始の14時になると自分の駒と久保の駒を全て並べ、15時になって不戦勝が決まるまで正座を崩さなかった[23]。一部始終がネットで生中継されたこともあり、この対局のことはテレビニュースで取り上げられた[23]。
- 2014年の王座挑戦の頃から「一人で研究した方がいい」と感じて研究会等から遠のき[24]、以降は将棋ソフトを用いて一人で研究している。
- 尼崎市在住(2018年2月現在)であることを、2018年2月19 - 20日に同市で開催された第67期王将戦第4局の前夜祭における挨拶で明らかにした[25]。尼崎市に住んでいることを秘密にしていた訳ではないが、公にする機会がそれまでなかったとのこと[25]。
- 愛称は「きゅん」。ただし本人は名人初獲得時に「もう30近いのでどうかと思う。個人的には微妙な感じ」としているが、呼ぶことそのものは「楽しんでもらえれば」と忌避してはいない[26][27]。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1999年9月 6級(小学3年) = 奨励会入会
- 2000年2月 5級( 〃 )
- 2000年5月 4級(小学4年)
- 2001年1月 3級( 〃 )
- 2001年5月 2級(小学5年)
- 2001年9月 1級( 〃 )
- 2003年2月 初段(小学6年)
- 2003年9月 二段(中学1年)
- 2004年4月 三段(中学2年の4月 = 当時史上最速[28]) - 2004年度後期より三段リーグ
- 2007年4月1日 四段 = プロ入り
- 2009年5月8日 五段(竜王ランキング戦連続2回昇級 = 第22期5組決勝進出を決めた日付での昇段)[29]
- 2010年11月29日 六段(タイトル挑戦 = 王将戦)
- 2012年4月19日 七段(竜王ランキング戦連続2回昇級 = 第25期3組決勝進出を決めた日付での昇段)[30]
- 2017年3月10日 八段(順位戦A級昇級)
- 2019年5月17日 九段(名人位獲得)
主な成績
獲得タイトル
- 登場回数7回 獲得3期
一般棋戦優勝
- 将棋日本シリーズ 1回(第37回 = 2016年度)
- 優勝合計 1回
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
- 竜王ランキング戦
- 第21期(2008年度)6組優勝
- 第22期(2009年度)5組優勝
- 初参加から2期連続優勝は、行方尚史以来史上2人目
- 第25期(2012年度)3組優勝
将棋大賞
- 第37回(2009年度) 最多勝利賞、勝率一位賞 (※:連勝は1勝差で2位、対局数は2局差で2位)
- 第38回(2010年度) 新人賞
- 第39回(2011年度) 最多勝利賞[31]
- 第42回(2014年度) 最多対局賞、名局賞(羽生善治と対局した第62期王座戦第5局)
- 第44回(2016年度) 連勝賞
- 第45回(2017年度) 敢闘賞
- 第46回(2018年度) 最優秀棋士賞
コンピューター将棋
- 2014年3月29日、第3回電王戦のプロ側3番手としてコンピュータ将棋ソフトのYSSと対戦。序盤から中終盤まで圧倒する内容で佐藤紳哉ら前2局の敗戦の雪辱を果たし、プロ側に初勝利をもたらした。
著書
単著
- マイコミ将棋BOOKS 豊島将之の定跡研究(2011年1月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 978-4839937942)
- 豊島の将棋 実戦と研究(マイナビ将棋BOOKS)(2014年1月、マイナビ、ISBN 978-4839950484)
共著
- 関西新鋭棋士実戦集(マイコミ将棋BOOKS)(糸谷哲郎、村田智弘共著、2008年7月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 978-4839929060)
脚注
注釈
出典
- ^ 「豊島将之|棋士データベース|日本将棋連盟」『日本将棋連盟』。2018年9月27日閲覧。オリジナルの2018年9月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ 鈴木宏彦「緊急座談会 井上慶太九段 X 脇謙二八段 X 畠山鎮七段 元奨励会幹事が語る 光輝いていた天才少年たち」、『将棋世界』(2018年10月号)、日本将棋連盟 pp. 25-40
- ^ 倉沢鉄也 (2011年6月9日). “羽生世代がもたらした、速さと若さの時代”. WEBRONZA. 2018年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ “【甘口辛口】羽生永世七冠が演出する世代交代…1棋士1冠時代で群雄割拠” (日本語). サンケイスポーツ. (2018年7月19日). オリジナルの2018年7月19日時点におけるアーカイブ。 2018年9月28日閲覧。
- ^ “藤井六段、怪物くんも“退治” 元竜王・糸谷八段破り16連勝/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ. (2018年3月23日). オリジナルの2018年9月29日時点におけるアーカイブ。 2018年9月28日閲覧。
- ^ “雑記帳:豊島六段に着物プレゼント 出身地の将棋愛好家ら”. 毎日新聞. 2011年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c d 鈴木宏彦「緊急座談会 井上慶太九段 X 脇謙二八段 X 畠山鎮七段 元奨励会幹事が語る 光輝いていた天才少年たち」、『将棋世界』(2018年10月号)、日本将棋連盟 pp. 25-40
- ^ “KANSAI UNIVERSITY NEWS LETTER No.14 July 2008” (PDF). 関西大学. 2016年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ 豊島将之・金井恒太 新四段誕生のお知らせ 日本将棋連盟 2007年3月17日
- ^ 読売新聞「豊島将之三段が14歳6か月で公式戦初出場の最年少記録」 東京朝刊2004年10月28日14面。
- ^ 第37回将棋大賞が決まる! 日本将棋連盟 2010年4月1日
- ^ 豊島将之五段が六段に昇段 日本将棋連盟 2010年11月30日
- ^ 第38回将棋大賞が決まる! 日本将棋連盟 2011年3月31日
- ^ 日本将棋連盟公式web・棋戦トピックス「第67期王将戦挑戦者は豊島将之八段に決定」(2017年11月22日)
- ^ 「豊島将之八段が羽生善治棋聖に勝ち、初タイトル獲得 第89期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第5局|将棋ニュース|日本将棋連盟」『』。2018年10月6日閲覧。
- ^ “豊島将之八段が棋聖位奪取で初タイトル!羽生竜王はタイトル獲得100期お預け” (日本語). スポーツ報知. (2018年7月17日) 2018年10月6日閲覧。
- ^ 「豊島将之八段が羽生善治棋聖に勝ち、初タイトル獲得 第89期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第5局|将棋ニュース|日本将棋連盟」『』。2018年10月6日閲覧。
- ^ 「豊島将之棋聖が菅井竜也王位を破り王位獲得 第59期王位戦七番勝負第7局|将棋ニュース|日本将棋連盟」『』。2018年10月6日閲覧。
- ^ “最優秀棋士賞に豊島将之二冠、第46回将棋大賞決まる|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年4月11日閲覧。
- ^ 将棋界・20代の逆襲 -ライブドアニュース ・2018年5月30日
- ^ ちなみに、真部が指さなかった「幻の△4二角」に対して、死去後の真部に升田幸三賞特別賞が贈られている。
- ^ 将棋世界2011年3月号
- ^ a b c d e f “対局は意外な結末 久保九段―豊島七段:第2期 叡王戦本戦観戦記(筆者:君島 俊介)” (日本語). ニコニコ生放送. (2016年11月4日). オリジナルの2018年7月26日時点におけるアーカイブ。 2018年7月26日閲覧。
- ^ INC., SANKEI DIGITAL. “【マンスリー将棋】豊島、タイトル挑戦3度目「結果を」” (日本語). 産経ニュース 2018年10月6日閲覧。
- ^ a b “王将戦中継ブログ 第67期七番勝負第4局 前夜祭(5)”. 日本将棋連盟. (2018年2月18日). オリジナルの2018年7月26日時点におけるアーカイブ。 2018年7月26日閲覧。
- ^ “豊島新名人「藤井七段と戦ってみたい」 対局から一夜:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年5月18日閲覧。
- ^ “将棋の豊島将之新名人が一夜明け取材に臨む ファンによる愛称「きゅん」について語る”. スポーツ報知 (2019年5月18日). 2019年5月18日閲覧。
- ^ 4年後の2008年に、佐々木勇気がこの記録に並ぶ。現在は藤井聡太の中学1年の10月が最速。
- ^ 豊島将之四段が五段に昇段(5月8日付) 日本将棋連盟 2009年5月9日
- ^ 豊島将之六段が七段に昇段 日本将棋連盟 2012年4月20日
- ^ 第39回将棋大賞が決まる! 日本将棋連盟 2012年4月3日