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坂田貞

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坂田貞

坂田 貞(さかた ただす、1863年文久3年8月[1][2]) - 1937年(昭和12年)9月25日[2])は、明治から昭和時代戦前の政治家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

肥後国八代郡植柳村熊本県八代郡植柳村を経て現八代市)出身[1]。橋本寛の長男として生まれ、先代範英の養子となり1872年(明治5年)家督を相続する[1]

1891年(明治24年)以降、植柳村会議員、同村農会長、熊本県会議員、同県農会長、八代郡会議員、郡参事会員、同農会評議員、帝国農会議員のほか、九州商業銀行[注 1]取締役、九州新聞社監査役などを歴任した[2]

1925年(大正14年)9月には熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され、1932年(昭和7年)9月まで務めた[2]

親族

脚注

注釈

  1. ^ 肥後銀行の前身行のひとつ。

出典

参考文献