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山内佐太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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山内佐太郎(やまうち さたろう、1874年7月4日1945年11月1日)は、明治時代から昭和時代前期の教育者従五位勲六等兵庫県出身。

旧制宮津中学旧制佐倉中学旧制関西中学旧制明石中学などの校長を歴任。兵庫師範学校(現在の神戸大学発達科学部)、東京高等師範学校研究科(現在の筑波大学大学院)卒。著書に「国民教育之精神」「米国教育概観」など。

旧制明石中学の校長時代に、当時まだおよその位置でしか分からなかった子午線について、天文学的に観測し正確に測定することを提唱した。そして京都大学野満隆治博士に委嘱され測量され、その結果、子午線が通過する市町村は沢山あるなか、明石が「子午線のまち」と呼ばれることになった。

略歴

主な著書

参考文献

  • 『明中10年』明石中学校
  • 『明石を科学する』神戸新聞明石総局編

外部リンク