スーパーマン (1940年代のアニメ映画)

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スーパーマン』(Superman)は、1941年から1943年に製作された、DCコミックス社のヒーロー、スーパーマンアニメ映画。製作はフライシャー兄弟のフライシャー・スタジオ、およびその後身、フェイマス・スタジオ(Famous Studios)によるもので、「フライシャーのスーパーマン」の通称で呼ばれることもある。日本ではラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)で1955年から1956年にかけて日曜18時30分から18時45分まで放送、大阪テレビで1957年5月10日から同年11月20日まで放送[1]、その後『まんがスーパーマン』というタイトルで、1963年9月15日から9月29日までフジテレビでも放送された。1961年にも日曜朝9時30分から10時まで放送していた事がある[2]。放送時間は日曜18時00分 - 18時30分

シリーズの第一作「Superman」は1941年アカデミー短編アニメ賞にノミネートされた。なお、フライシャー・スタジオは1942年に、フェイマス・スタジオは1967年にそれぞれ破産しており、権利不継承のため、著作権の保護期間が50年の国ではパブリック・ドメインとして扱われている。日本でも大創産業などから激安VHS・DVDが発売されている。

概要[編集]

製作までの道のり[編集]

1939年12月22日に、フライシャー・スタジオ初の長編カラーアニメーション映画『ガリバー旅行記(原題:Gulliver's Travels)』が公開された。全米での興行収入は300万ドルを超えた他、『ガリバー』での音楽を担当したヴィクター・ヤングアカデミー作曲賞に、そして同作の挿入歌だった『まごころをいつまでも(Faithful Forever)』がアカデミー歌曲賞にそれぞれノミネートするなど、配給元であったパラマウント映画に大きな有益をもたらした。マイアミのスタジオと安定した制作体制を維持する約10万ドルの融資をパラマウントから受けていたフライシャー兄弟は、なんとか一応の成功は収めたものの、過去の融資分を返済するにはほど遠く、休む暇なく、短編アニメーションや長編第2作目『バッタ君町に行く(原題:Mr. Bug Goes to Town、1941年)』の制作に取りかかった。

『ガリバー』の成功に満足していたパラマウントは、興行面だけでなく確実な二次収益の見込まれるキャラクター主導のアニメ構造を模索していた。そして当時驚異的な読者数を獲得していたDCコミックスに連載されていた『スーパーマン』に着目、映画権を取得するや、フライシャー・スタジオにそのアニメーション作品を制作するように打診してきたのだ。フライシャー側は当初『スーパーマン』のアニメ化には難色を示していた。中よりも一番の拒否反応を示したのがデイヴ・フライシャーだった。クレジット上の監督とはいえ、品質及び、スケジュールを管理していたデイヴはスタジオの制作能力を知っていた。また、スタジオ側に著作権があったディズニーとは異なり、フライシャー作品は配給元であるパラマウント側に著作権があったので二次収益が見込まれないのも要因であった。そこでフライシャー兄弟は、パラマウントが計画を断念するような高額な予算を吹っ掛けた。それはシリーズ1本につき10万ドルという破格の予算をパラマウントに対し提示したのだ。

パラマウントはさすがに10万ドルの予算には納得できなかったが、交渉の余地ありと見て、初回作のみ5万ドル、それ以降は3万ドルという予算を持ちかけてきた。それでも色彩映画1本分の制作費を上回り財政的に潤いの少ないスタジオには魅力的な数字だった。結局フライシャーはパラマウントが継続的な財政援助とマーケティング・サポートをするという条件付きで制作に合意した。

日本語吹き替え[編集]

役名 俳優
TBSテレビ版 大陸書房版
(VHS&DVD)
IVC版
(VHS&DVD)
スーパーマン/クラーク・ケント バド・コルヤー 大平透 小林修 堀内賢雄
ロイス・レーン ジョーン・アレキサンダー 秋元千賀子 渡辺美佐
ジミー少年 ジャック・マーサー 愛川欽也[3]
ペリー・ホワイト ジュリアン・ノア 大平透
ナレーター ジャクソン・ベック 有本欽隆
その他 村山明 (偽スーパーマン役)
菱谷紘二
高宮俊介
藤木譲
藤城裕士
苦見純
辻村真人
石井敏郎
飯塚昭三 (ジャングルの悪人役)
長嶋雄一
高木渉
宝亀克寿
  • ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)版の大平透は1955年に『まんが・スーパーマン』の題で、日本のテレビ史上初の日本語吹替えを行う。当初は録音をせずに生放送の生吹替えで1人5役(スーパーマンの恋人ロイス・レーンを含む)を演じ分けていた。
  • 大陸書房から「ピラミッド名作アニメシリーズ」の題で1989年8月にVHSビデオが発売された。
吹き替え版は全17話中、9話がアフレコされた。
※コスミック出版より、一部のエピソードがDVD化
効果:赤塚不二夫
演出:伊藤吾郎
  • 2000年代に、大創産業が「ダイソーアニメシリーズ」の一つとしてVHSビデオ(NO.15〜NO.17。全3巻6話収録)を発売した。
  • 株式会社IVC(アイヴィーシー)から「世界クラシックアニメシリーズ」と題して発売されたVHSビデオは、フライシャースタジオ製作の9作品のみアフレコされた。
※2007年8月24日にDVD化
  • 上記の他に、株式会社ヴェルヴェット(全3巻11話収録)と大創産業(「CARTOON CRAZE スーパーマン-弾よりはやく-」(7話収録))から、それぞれ別の声のキャストで日本語版DVDが発売されているが、どちらも一部のエピソードのみの収録である。

上記のような理由から2014年現在、全17話全てを、日本語吹き替え版で見ることは出来ない。 ブルーレイ「スーパーマンⅡ冒険編」の特典映像で数話が高画質で収録されメイキングも収録された。

作品リスト[編集]

フライシャー・スタジオ製作[編集]

No. PD版サブタイトル サブタイトル
(フジテレビ版)
原題 公開日
1 スーパーマン誕生 Superman (The Mad Scientist) 1941年
10月26日
2 謎の現金強奪ロボット The Mechanical Monsters 11月28日
3 金塊輸送車を守れ! Billion Dollar Limited 1942年
1月9日
4 氷河の古代怪獣 The Arctic Giant 2月26日
5 弾丸ミサイルの襲撃 The Bulleteers 3月26日
6 磁気望遠鏡 The Magnetic Telescope 4月24日
7 電気地震 Electric Earthquake 5月15日
8 火山島危機一髪 Volcano 6月10日
9 サーカスの恐怖 恐怖の猛獣サーカス[4] Terror on the Midway 8月23日

フェイマス・スタジオ製作[編集]

No. PD版サブタイトル サブタイトル
(フジテレビ版)
原題 公開日
10 巨大爆撃機を追え! Japoteurs 1942年
9月18日
11 偽スーパーマン現わる! Showdown 10月16日
12 スーパーマンインヨコハマ Eleventh Hour 11月20日
13 テロリストは誰だ Destruction, Inc. 12月25日
14 よみがえるミイラ像 エジプトの秘密[5] The Mummy Strikes 1943年
2月19日
15 ジャングルの秘密 Jungle Drums 3月26日
16 恐怖の破壊光線 The Underground World 5月18日
17 暗黒組織をつぶせ! Secret Agent 7月30日

脚注[編集]

  1. ^ 出典:朝日放送の50年 III資料編174ページ
  2. ^ 参考:「愛蔵版 昭和のテレビ欄1954-1988」 (テレビ欄研究会) 1961年4月9日放送分より
  3. ^ 小川ぴい『こだわり声優事典'97』徳間書店、1997年、5頁。ISBN 4-19-720012-9  ※本書に"海外ドラマ"と書いてあるが、これは誤り。
  4. ^ 1961年8月21日 朝日新聞・東京版 朝刊(番組表)
  5. ^ 1961年8月21日 朝日新聞・東京版 夕刊(番組表)

関連項目[編集]

TBS 日曜日18:30 - 18:40枠
前番組 番組名 次番組
スーパーマン
(1955年10月09日 - 1956年06月03日)
フジテレビ 日曜18時台前半枠
忍者番号17
【ここまで関西テレビ制作】
【ここまでノーベル製菓一社提供枠】
まんがスーパーマン
(1963年09月15日 - 1963年09月29日)
【ここからフジテレビ制作枠】