ノート:中馬庚

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中馬庚の読みについて[編集]

「中馬庚」の読みは、「ちゅうまん かなえ」ではなく「ちゅうま かのえ」です。姓も名もともに読みが間違っています。訂正してください。--White-point会話2012年8月5日 (日) 07:42 (UTC)white-point[返信]

  • white-pointさんコメントありがとうございます。さて記事では、「名前は『ちゅうま・かのえ』とも読まれるが、『ちゅうまん・かなえ』と読むのが正しいようである。」と断定せず、下記文献を脚注に挙げています。著者の城井さんも断定しておらず、見解・説を披露しているに過ぎないので、わたくしとしましては、どちらが正しいかということではなく、読みの併記を視野に入れるのがよいかと。なお、野球体育博物館サイトにおいて「ちゅうま かのえ」と記されていることは確認済みです。

「ここで、中馬庚の呼び方についてふれておきたい。中馬の姓については、鹿児島では、誰でも、なんのためらいもなく『ちゅうまん』と呼ぶ。だからこう呼ぶのが、正しいと思う。

だが『名乗辞典』(東京堂出版)には、『ちゅうま』と出ている。そして、中馬も、校長として赴任した、新潟、大館、脇町などの教え子たちからは、『ちゅうま』先生と呼ばれていたようだ。そのためか、鹿児島においでの篠崎氏(=篠崎五三六氏。中馬庚の甥。鹿児島二中卒で、鹿二中最後の校長・甲南高校第四代校長を歴任した。引用者註)をのぞき、他県に在住の中馬の縁につながる方々は、いずれも中馬を『ちゅうま』と読んでおられるようである。

また名前の庚については、明治三年庚午の生まれ故の命名だろうから、『かのえ』と呼ぶのが正しいのかも知れない。しかし、中馬は、幼時から『かのえ』と呼ばれていたようだ。だから成人後も自らを『かなえ』といい、一高時代の友人たちも、そう読んでいたと思われる。

中馬庚を『ちゅうまん・かなえ』と書いているのは、『日本野球創世記』(君島一郎)『スポーツ文献解題』(木村毅)『ああボッケモン』(後藤善猛)、それに、南日本新聞社が出した『鹿児島大百科』くらいだ。そして、『日本野球史』(国民新聞運動部編)をはじめ、ほかの本は、『ちゅうま・こう』とか『ちゅうま・かのえ』とよませている。

『日本野球創世記』は、著者の君島が、一高時代の中馬の僚友、青井鉞男の話をもとに書いているので、青井の呼ぶままに『ちゅうまん・かなえ』と読ませたのだろう。また『スポーツ文献解題』は、中馬が教鞭をとった、鹿児島一中出身の医師、鮫島近二の文を引用してあるので、鹿児島で呼ばれているとおりに書いているわけだ。また、『ああ、ボッケモン』の著者も、前記二者にしたがい、正しい呼び名を採用したのであろう。

鹿児島出身で、建設大臣をつとめた中馬辰猪氏は、七高造士館の先輩にあたるので、親しくさせていただいているが、うかがうところによると、ご自身は『ちゅうまん』と名乗られるのに、他県のかたは、それを耳にしながら、しばらくすると『ちゅうま』さんと呼ばれることが多いそうである。ちがいますというのは、失礼ではないかと思うので、あえて訂正しないのだと話してくださった。他県ですごすことの多かった中馬庚の場合も同じようなことで、『ちゅうま』と呼ばれることが多かったのではなかったろうか。』

参考文献

  • 城井睦夫,『"野球"の名付け親 中馬庚伝』,ベースボール・マガジン社,1989年,pp20-21.