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利用者:Lutheraner futhark

利用者:Lutheraner futhark
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ドイツ語
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この利用者はルター派ルーテル教会の信者です
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Lutheraner futharkと申します。札幌市在住の日本人です。 ルター派信徒で、ドイツの歴史、社会全般に関心を持っています。 小学生の時、ドイツ軍戦車のプラモデルの製作を始めた時から、 ドイツに興味を持ち始めました。特に、ドイツの思想、歴史、宗教、文学が好きです。加えて、小学校在学時の恩師からの影響も残っています。『滝山コミューン一九七四』という東京多摩地区の戦後共産主義教育を取り上げた原武史先生の著書がありますが、私は北海道で多摩地域を凌駕するより徹底した共産主義教育を受けました。私の恩師は大学でソビエト教育学を専攻した東独に憧れていた共産主義者で、授業も文部省検定済み教科書を使わず、ソ連、東独の教科書を翻訳して使っていました。体育の授業ではソ連、東独風の歩調を揃えた集団行進やマスゲームを繰り返しました。東独の青少年音楽祭や体育祭の映像がYouTubeにはありますが、それを見ると小学校の体育の授業を思い出します。あの集団行進こそ共産主義でした。社会の授業では日本向けモスクワ放送のラジオ番組聴収が奨励され、恩師の指導通り、私は毎晩のようにモスクワ放送を聴いていました。放送で流されたソ連や東独、ベトナム等の各地の共産党機関紙の論説をまとめて、先生の提出して褒められました。少し前、モスクワ放送日本語番組のオープニングの受信音インターバルシグナルをYouTubeで聞きましたが、懐かしくて涙が出てきました。

ドイツ語Wikipedia項目を日本語に翻訳し続けています。それはドイツそのものに興味を持っているからです。その翻訳は教会、神学関係がメインですが、注目に値すると判断したなら、ドイツの政治家たちも紹介しています。そのベクトルは幅広く、極右とされるドイツのための選択肢の政治家から、左翼党、果てはドイツ赤軍指導者まで日本語に翻訳しています。ドイツ人そのものに惹かれているからだと思います。ドイツ青年(Deutsche Jugend )という語があるように、ドイツは本当に青くさい国だと思います。いつまでも、老いることなく、青年であり続ける。そんな国ですね。いつまでも、青年の心を持って、神の存在やイエスの言葉を問い続ける。だからこそ、ドイツ人は信仰するのではなく、キリスト教神学、とりわけ聖書そのものに熱中するのでしょう。

私はルター派キリスト教徒です。したがって、『アウクスブルク信仰告白』とマルティン・ルターの『小教理問答』による信仰を保ちたいと願っています。ルター派の信条こそが、私の信仰の中心です。 この背景には、マルクス主義に接近していた青年時代の自分があるのかもしれません。高校生の時、始業時間よりも1時間ほど早く登校して、マルクス・エンゲルス著『ドイツ・イデオロギー』の所要部分をノートに書き写して、暗記しようとしました。『ドイツ・イデオロギー』を理解することで、マルクス主義者になりたかったのです。この時分、『ドイツ・イデオロギー』こそが党の基本的文献でした。後になって、中国共産党の青年党員と話をした時がありましたが、入党前に『ドイツ・イデオロギー』を徹底して読み込んだと語っていました。世界の共産党において、これは基本中の基本だったのです。 その後、私はマルクス主義から離れ、ルター主義を信じることになりました。ルター主義に親近感を持った背景には、アウクスブルク信仰告白とマルティン・ルターの小教理問答という基本信条があったことでした。『ドイツ・イデオロギー』を否定した私は、新たな基本的文献を探してたのでした。それが、『アウクスブルク信仰告白』とマルティン・ルターの『小教理問答』だったのです。どちらも、ドイツ人によるものであり、ドイツから離れられない自分がいます。

2014年11月にドイツを訪問。ドイツ福音主義教会(EKD)総会や各地のルター派、合同教会を見てきました。資料(州教会が発行している教会新聞)等もドイツで入手しましたので、今後ドイツの福音主義教会の最新状況を翻訳活動に反映させたいと思っています。 Wikipediaの発展を願って微弱ながら貢献する所存です。よろしくお願いします。


翻訳した項目

以下の項目を翻訳した上で立ち上げましたが、今後も加筆していく予定です。

ドイツ福音主義教会、ルター派教会関連項目

ドイツ福音主義教会ドイツ合同福音ルター派教会福音主義合同教会ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会北ドイツ福音ルター派教会中部ドイツ福音主義教会バイエルン福音ルター派教会ルター派世界連盟メクレンブルク福音ルター派州教会オーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派フィンランド福音ルター派教会ザクセン福音ルター派州教会ヴュルテンベルク福音主義州教会バーデン福音主義州教会バーデン福音ルター派教会生ける信徒共同体開かれた教会福音と教会アメリカ福音ルター派教会古プロイセン合同福音主義教会‎、ケルン大聖堂中央建築協会‎、ヘッセン=ナッサウ福音主義教会古パンコウ福音書記者教区教会シオン教会 (ドレスデン)ルーカス教会 (ドレスデン)イエス=キリスト=教会 (ダーレム)フランツェーズィシュ・ブーフホルツ福音主義教会聖アンネン教会 (ダーレム)明日のための教会リッペ州教会ヴェストファーレン福音主義教会ラインラント福音主義教会ルター派シュタット教会 (ウィーン)福音主義教会ザクセン信仰告白運動福音ルター派自由教会ブレーメン福音主義教会クーアヘッセン=ヴァルデック福音主義教会ハノーファー福音ルター派州教会シャウムブルク=リッペ福音ルター派州教会ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会オルデンブルク福音ルター派教会

キリスト教神学、神学者、牧師関連項目

マルゴート・ケースマンドロテー・ゼレラルフ・マイスターイルゼ・ユンカーマンヴォルフガング・フーバーハインリヒ・ベッドフォード=ストロームフランク・オトフリート・ユリーマンフレート・リコウスキーヨッヘン・ボールニコラウス・シュナイダー‎、ゲルハルト・ウルリヒ‎、マルクス・ドレーゲ‎、ノートガー・スレンチカ‎、テュービンゲン大学福音主義神学部‎、エリザベート・グレーブ=シュミットクリストフ・ラントメッサーペーター・シュトゥールマッハーマルティン・ヘンゲルユルゲン・ロロフビルギット・ヴァイルアルブレヒト=ベンゲル=ハウスアネッテ・クーアシュスカルステン・レンツィングキルステン・フェールスマティアス・コンラートホルスト・ゴールスキートビアス・ビルツアンナ=ニコル・ハインリヒハンフリート・ミュラーディーター・フリーリングハウスクリスティアン・シュテーブラインクリスティーナ・キューンバウム=シュミットフリードリヒ・クラーマーヨゼフィーネ・テスケエルンスト=ヴィルヘルム・ゴールハイケ・スプリングハルトベアテ・ホフマンカール=ヒンリヒ・マンツケ

政治関連項目

マヌエラ・シュヴェーズィヒグドルン・エンスリンドイツキリスト教民主同盟・バーデン=ヴュルテンベルク州支部トーマス・ストローブルカトリン・ゲーリング=エッカルトアルミン・ラシェットユリア・クレックナー‎、ドロテー・ベアフラウケ・ペトリーイェルク・モイテンフェルキッシュマルクス・ゼーダーミヒャエル・クレッチマーアンナレーナ・ベアボックロベルト・ハーベックフィリップ・マーダーターナーケビン・キューネルトジャニーン・ウィスラーズザンネ・ヘニッヒ=ウィロービョルン・ヘッケリカルダ・ラングザーラ・ヴァーゲンクネヒト

加筆した項目

最近の翻訳

ブレーメン福音主義教会

ブレーメン福音主義教会 (Bremische Evangelische Kirche)の記事をドイツ語WikipediaからLutheraner futharkの利用者名で日本語Wikipediaに翻訳しました。

ブレーメンは北ドイツの港湾都市です。ハンザ同盟都市としての市民自治の伝統があり、政治的にも昔からリベラルです。そのため、ヒトラーは一度もブレーメンを訪れなかったと言われています。国民社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスはドイツ全土で等しく支持を得たのではなく、金城湯池とする特定地域、例えばバイエルン州北部のニュルンベルクやその周辺、ザクセン州テューリンゲン州等で圧倒的支持を得て政権を奪取しています。ブレーメン、ハンブルクベルリンではナチスは振るわず、第1党にはなっていません。

市民自治の伝統があるブレーメンでは、福音主義教会のあり方も他の地域とは大きく異なっています。ブレーメン州教会はリベラルな運営をおこなっており、教会のトップは牧師ではなく、常に信徒です。これはブレーメンだけであり、ドイツの他の州教会はすべて牧師が監督や議長として代表になっています。州教会に属している地域の教会共同体も、それぞれ独立した法人として自立しています。独立した存在ゆえに、各個教会ごとに信仰告白や教会規則も制定できます。地域にある教会共同体の持つ独立性も、ブレーメンだけの特徴です。

ブレーメン福音主義教会はドイツの州教会のなかで、最もリベラルな組織運営と神学路線で有名です。傘下の教会共同体は当初は多数の改革派教会と少数のルター派で構成されていましたが、19世紀に自由主義神学が浸透し、加盟する教会共同体に改革派教会ルター派信条を折半した合同教会が出現しました。この傾向はさらに強まり、歴史的信条を全く言及しない信仰告白を制定する教会共同体も出て来ました。「バルメン宣言」だけを信仰告白にしている合同派教会共同体もあります。

ブレーメン州教会指導部は神学的にはリベラルそのもので、その路線に合致する合同派教会共同体も多く存在しています。しかしながら、ルター派と改革派の伝統的信仰告白を頑な守っている信条主義的保守派もブレーメンにはしぶとく残っています。

ルター派ではブレーメン市の中心部にあるブレーメン大聖堂が有名です。この大聖堂は、ブレーメン州教会を代表する教会としてよくマスコミに登場します。ブレーメン大聖堂はカトリック時代、司教座聖堂として、ハンザ都市として独立志向を持つブレーメン市とその市民と対峙する存在でした。その後も、デンマークスウェーデンというルター派王国がブレーメン大聖堂の宗主権を持ち、ルター派信仰を守りました。改革派が多数派になったブレーメン市民にとっては、いつまでもルター派であり続ける大聖堂は目の上のたんこぶ的存在でした。

ブレーメンの改革派を代表するのが、聖マルティーニ教会です。その固い改革派信仰は昔からドイツ全土に知られていました。マルクスの親友エンゲルスは生まれ育ったバルメン・ヴッパータールの敬虔主義的改革派信仰を窮屈に感じ、自由主義的な都市ブレーメンで暮らすようになりました。エンゲルスはブレーメンでダーフィト・シュトラウスの『イエスの生涯』という革新的書物を見て、敬虔主義に支配され保守派の本しか置かれていないバルメン・ヴッパータールとの違いを痛感しました。その時、改革派信仰を持つ父はブレーメンでは聖マルティーニ教会に頼るようにエンゲルスに指示したと言われています。 改革派の聖マルティーニ教会はその保守的改革派信仰から、同性婚カップルへの祝福を拒んでいることで有名です。この改革派教会はハンザ同盟都市ブレーメン市民と共に歩んで来た歴史を持ち、常にルター派のブレーメン大聖堂と対峙してきました。同性婚カップルへの祝福に関しても、聖マルティーニ教会とブレーメン大聖堂は真っ向から対立しています。

ドイツの政治状況に関して、ビョルン・ヘッケ

ドイツの右派政党であるドイツのための選択肢 (AfD)の政治家ビョルン・ヘッケのドイツ語Wikipedia項目の一部をLutheraner futharkの利用者名で日本語Wikipediaに翻訳しました。政治的経歴に関してはある程度まで訳しましたが、彼の政治的スタンスについては今後の抄訳になります。ドイツ語版での分量が膨大で、翻訳に際しても、相当な時間を費やす必要があります。

ドイツの主流マスコミでは極右は無視されるのが、通例です。しかしながら、一部の学者、ジャーナリスト、ウィキペディア関係者は、極右、とりわけ、ビョルン・ヘッケに強い関心を持っています。彼の思想、主張の多くはドイツ新右翼から来ています。ただ、注目されるのは、ヘッケの持つカリスマ性です。いつの間にか、党内でヘッケに向けた個人崇拝が目立ちだし、ドイツ極右の世界において傑出した存在になっています。ヘッケは左派的な色彩を帯びていたマールブルク大学で歴史を専攻し、進学校ギムナジウムの教師だった経歴を持ちます。ドイツ史に登場するエピソードや人物を散りばめた彼の文章を読めば、相当なインテリであることがわかります。従来のドイツ極右のマッチョなイメージとは程遠い、青白きインテリという印象が強烈です。

私がヘッケに関して注目しているところは、彼の住んでいる場所です。旧東ドイツ南部のテューリンゲン州アイクスフェルト郡という山間部です。ドイツ中部ヘッセン州に住んでいたヘッケは、わざわざこの山間へき地を選んで移住した後で、極右政治活動を本格的に開始しました。ここは、カトリシズムが支配する地で、ルター宗教改革も、東ドイツマルクス主義もほとんど浸透しませんでした。政治においても、つい最近まで、キリスト教民主同盟 (CDU)が70%から80%の票を獲得していた地域でした。極右にとっても、不毛な地と言っていいところです。居住地と選挙区の選択に、彼の政治的深謀と野心があると、私は見ています。ヘッケは住んでいるアイクスフェルト郡選挙区ではキリスト教民主同盟 (CDU)には勝てず、比例区リストでテューリンゲン州議会議員に当選しています。それでも、この地で21,4%の票を得ました。彼の将来的目標はこの地の因習的カトリシズムを打ち負かすことなのでしょう。ルター主義者もマルクス主義者も入り込めなかったこのテューリンゲン州の地方自治体で、右派民族主義者として勢力を得ようとしているのです。恐れ多いことです。

テューリンゲン州アイクスフェルト郡のようなカトリシズムの支配された地域が東ドイツにあったことを、日本のアカデミズムにいた東ドイツ研究者たちは語りませんでした。左派的視座に支配されていたためか、彼らの注目するところは東ドイツにおける社会主義建設のプロセスでした。同様に、ルター主義がしぶとく力を持ち続けていた東ドイツ南東部ザクセン州エルツ山地周辺も、日本の東ドイツ研究者たちから無視されていました。進歩的神学者たちも、東独というとベルリンのボンヘッファーばかりを注目していました。日本の東ドイツ理解が一方的で浅かったのは残念でした。 このような宗教的保守主義が強い東ドイツにあって、社会主義建設を指揮した社会主義統一党ウルブリヒト第1書記は、統治能力の本当に優れた政治家だったと言えます。この超保守的地域で社会主義を定着させたのは驚異的でした。

翻訳の個人的指針

ドイツルター派の神学、教会の姿を客観的に紹介することです。日本ではドイツの神学は確かに紹介されてきました。しかし、実際のドイツ教会の姿はあまり紹介されていません。紹介する日本人学者の傾向に影響され、バルト神学や改革派系の神学を中心に紹介されています。しかし、実際、ドイツで主流であるルター派系神学が聖書学関係以外はあまり紹介されていません。説教集もよく翻訳されていますが、これも誤解につながる恐れがあります。ドイツルター派の礼拝は、説教中心ではなく、式文に基づくものです。ルター派式文にある祈祷に、ルター派の霊性が隠されていると私は考えています。ブルトマンの神学も、ルター派の礼拝の中で語られていることに目を向ける必要があります。文章だけではラジカルな神学のように思えますが、ルター派礼拝式文の中に組み込まれると、独特の神秘主義的な傾向が見えてきます。説教集だけを読んでも、ルター派の礼拝に触れなければ、本当の意味は理解できないと思います。ルター派という文脈で、ドイツの現代神学を読むと、そこに新たな霊性を見出すことが出来ると思っています。そのために、ルター派教会の組織、神学、礼拝を客観的に紹介しようと考えています。