コンテンツにスキップ

利用者:Quark Logo/sandbox3下り衆


下り衆(くだりしゅう)とは、鎌倉時代幕府から西国九州[1]荘園地頭職を与えられた東国御家人が、下向して在地領主となった氏族集団および武士団をさす。西遷御家人(または西遷地頭、西遷武士団)とも言う。有力御家人の家臣として従って下向した郎党、東国住人の子孫も含まれる。

概要[編集]

御家人の中には拝領してもすぐには移らず、何代か経た後に移住した場合もあり、一族の次男以下の分家だけが移転して定住した場合もある。彼らは坂東武士としてのプライドを持ち、犬追物のような文化も持ち込んだ。平家とも戦ってきたという経緯から、(しばしば平家と縁があった)土着武士と軋轢を起こし、南北朝時代から室町時代にかけてはそれぞれの陣営に分かれて戦い、止むことの無かった九州での騒乱のもとにもなったが、この中から土着豪族として成長し、さらには戦国大名にまで発展した氏族もあった。

またこれとは別に承久の乱の後に京都から東国に下ったものは「東下り」と言い、奥州藤原氏の滅亡により東北・北関東に移転した者たちは東遷御家人(北遷御家人)と呼ぶ。

代表的な下り衆(西遷御家人)[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 安芸国に入国した熊谷氏のような例もあるが、一般的には「下り衆」という称は、専ら九州に移住した御家人をさす。その他の地域については西遷御家人の方を用いることが多い。

参考文献[編集]

  • 外山幹夫『大名領国形成過程の研究』雄山閣、1995年。ISBN 4639002246 
  • 瀬野精一郎『鎮西御家人の研究』吉川弘文館、1975年。 
  • 学習研究社 編『戦国九州軍記 : 群雄苛烈なる生き残り血戦』学習研究社、1989年、34頁, 155頁。 

外部リンク[編集]