利用者:Sethemhat/sandbox3

サプタハ
Saptah
サプタハ
サプタハ
古代エジプト ファラオ
統治期間 紀元前1193年頃 - 紀元前1187年頃エジプト第19王朝
前王 セティ2世
次王 タウセレト
メルエンプタハ
アメンメセス
セティ2世
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死去 紀元前1187年頃
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サプタハの墓KV47から発見されたアラバスター製のカノプス壺の破片には、『王の妻、ティアア』[注釈 1]と読める文字が描かれていた。ここで、アメンホテプ2世の妃にもティアアという人物はいるが、カノプス壺の製造様式と出土場所の特殊さ[注釈 2]から、この可能性はありえないという。さらに、もう一つの木片には、青字で『王の母、ティアア』との文字があるのが見つかった。この二つの遺物より、ティアアは王の妻であるだけでなく、王の母でもあったことがわかり、サプタハの息子が即位した記録はないことから、ティアアはサプタハの妻ではなく、サプタハの母であると確定できるという。

ここで、サプタハの父の特定が開始される。Medinet Habuの大神殿の第2の中庭の壁にあるレリーフには、ラメセス3世が自身の「正当な祖先」とみなす第19王朝の王たちの名が刻まれている。ここには、メルエンプタハ→セティ2世→セトナクトとあり、アメンメセス、サプタハ、タウセレト、『簒奪者』イルス[注釈 3]は除外されている。

前述のレリーフに名前がないことから、セティ2世よりもサプタハが保有する王位継承権はそれほど大きくなかったことがうかがえる。これより、サプタハがセティ2世の息子であったとは考えにくく、不十分な王位継承権と、同出典で紹介されているアラン・ガーディナーの宰相バイへの高い依存度を示す説より、サプタハは宰相バイに擁立され未成年のうちに即位した可能性がある。この王位への即き方は、王位継承権を持つ女性と結婚するという方法以外にありえず、この女性こそがセティ2世の直系の相続人タウセレトなのだとする。

このような背景を踏まえて、タウセレトの墓KV14のレリーフを解釈すると、彼女はサプタハ在位2年においてサプタハの夫として描かれていることがわかるとする。しかし、サプタハの死後にはタウセレトの最初の夫、セティ2世へと墓の主題が変更されたとする。もしタウセレトがサプタハよりも権力を持っていたとするならば、「夫に従属する姿」を描かなかっただろうと。


  • Cyril Aldred (1963-12). “The Parentage of King Siptaḥ”. The Journal of Egyptian Archaeology 49 (Sage Publications, Inc.): 41-48. NAID 110002070219. 
  • Aidan Dodson; Dyan Hilton (2004) (English). The complete royal families of ancient Egypt. Cairo : The American University in Cairo Press. ISBN 9789774249570 
  • Lundström, Peter (2011), Hatshepsut, https://pharaoh.se/pharaoh/Hatshepsut 
  • Leprohon, Ronald J. (2013) (英語). The Great Name: Ancient Egyptian Royal Titulary. SBL Press. ISBN 978-1-58983-736-2 
  1. ^ a b Lundström (2011).
  2. ^ Leprohon (2013), p. 124.
  3. ^ 松本 (1998), p. 256.


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