浜田三郎

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浜田 三郎(はまだ さぶろう、1892年12月21日 - 1973年11月10日[1][2][3]は、日本の彫刻家

北海道函館市出身[2][3]。1918年(大正7年)に東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科本科塑造部を卒業した[3]。1926年(大正15年)の第7回帝展に「母」が初入選した[3]。1927年(昭和2年)に斎藤素巌らの構造社に参加した[1]。1932年にロサンゼルスオリンピックの芸術競技の造形種目に参加した[4]

1944年(昭和19年)から神奈川県湘南中学、1950年(昭和25年)から茅ケ崎高校で教鞭をとった[2]

1964年(昭和39年)に「楽人」で日展の菊華賞を受賞し、1966年(昭和41年)に日展会員となった[2][1]

出典[編集]

  1. ^ a b c "浜田三郎". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2024年5月14日閲覧
  2. ^ a b c d "浜田 三郎". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2024年5月14日閲覧
  3. ^ a b c d 日本美術年鑑 昭和49・50年版. p. 245. https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9300.html 
  4. ^ Saburo Hamada”. Olympedia. 2024年5月14日閲覧。