角田三男
角田三男 八段 | |
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1939年ごろ | |
名前 | 角田三男 |
生年月日 | 1910年2月2日 |
没年月日 | 1985年5月6日(75歳没) |
プロ入り年月日 | 1934年10月1日(24歳)[注 1] |
引退年月日 | 1985年3月(75歳) |
棋士番号 | 13 |
出身地 | 鳥取県西伯郡岸本町[注 2](現・伯耆町) |
所属 |
日本将棋連盟(関西) →将棋大成会(関西) →日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 木見金治郎九段 |
弟子 | 賀集正三 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 角田三男 |
順位戦最高クラス | B級2組(1期) |
2017年8月21日現在 |
角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985年5月6日)は、将棋棋士。棋士番号13。鳥取県西伯郡岸本町[注 2](現・伯耆町)出身。木見金治郎九段門下。
生涯[編集]
第5期(1964年度)王位戦で予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグに進出。リーグ戦白組では1勝3敗に終わった。
順位戦はB級2組に1期在籍。第37期(1978年度)昇降級リーグ4組(順位戦C級2組)は0勝10敗で3つ目の降級点がつき、リーグ陥落するも、1985年3月まで現役を続行した。
1985年5月6日に死去。同日に八段を追贈。
エピソード[編集]
- 『近代将棋』の講座で加藤治郎が「打ち歩回避のナラズは実戦ではない」と書いたところ、読者に1958年度C級1組順位戦12回戦、佐藤庄平五段-角田六段戦で74手目の△同角不成という実戦例があるという指摘がなされ、棋譜が注目されたことがある。
- 「角田流ひねり飛車」(角田流空中戦法)と呼ばれる戦法の創始者。
- 作家藤沢桓夫が『小説棋士銘々伝』において角田を主人公にした小説『角田流空中戦法』を著している。
昇段履歴[編集]
- 1929年 入門
- 1934年10月1日 四段
- 1948年 4月1日 五段
- 1954年 4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1973年11月3日 七段(表彰感謝の日表彰)
- 1985年 3月 引退
- 1985年 5月6日 死去(享年75)
- 1985年 5月6日 八段(追贈)
将棋大賞[編集]
- 第10回(1982年度) 東京記者会賞