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1972年の中日ドラゴンズでは、1972年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、与那嶺要監督の1年目のシーズンである。
水原茂から与那嶺要に監督が交代したチームはヘッド兼投手コーチに近藤貞雄を迎えたが、コーチ陣も選手もほとんど変化はなかった。与那嶺新監督のもとチームは開幕から好調で、4月には開幕6連勝などの好調でAクラスにつけ、巨人や阪神に肉薄した。しかし、5月に入ると投手陣が総崩れで7勝14敗1分の借金7で4位に転落すると8月まで脱出できなかった。9月にそれまで3位の大洋を抜いてようやくAクラスに復帰したが時すでに遅く、巨人の8連覇を許し与那嶺監督の1年目は3位で終えた。投手陣はこの年20勝の稲葉光雄や13勝の松本幸行がチームを引っ張り、それ以外でも水谷寿伸や星野仙一や三沢淳がそれなりの成績を残し、チーム防御率3.29で阪神に次ぐ2位を記録した。この年星野はチーム3位の9勝をあげたが、すべてリリーフ登板での勝ち星だった。打撃陣では中利夫が衰えた一方で、前年急成長の大島康徳がレギュラーに定着するなど明るい話題はあったが、チーム本塁打が123本のリーグ4位に終わり、チーム打率と安打数もリーグ最下位に終わった。シーズン終了後、中は引退して二軍打撃コーチに就任した。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1972年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
|
中日 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
大洋 |
1.0
|
阪神
|
大洋 |
2.5
|
阪神
|
阪神 |
4.0
|
阪神 |
3.5
|
3位
|
巨人 |
2.0
|
大洋 |
1.5
|
阪神 |
3.0
|
大洋 |
4.0
|
大洋 |
8.5
|
中日 |
7.0
|
4位
|
広島 |
3.0
|
中日 |
5.0
|
中日 |
4.0
|
中日 |
5.0
|
中日 |
9.0
|
ヤクルト |
14.5
|
5位
|
阪神 |
4.0
|
広島 |
7.5
|
ヤクルト |
13.0
|
ヤクルト |
8.5
|
ヤクルト |
12.0
|
大洋 |
17.0
|
6位
|
ヤクルト |
5.0
|
ヤクルト |
10.0
|
広島 |
13.5
|
広島 |
12.5
|
広島 |
20.5
|
広島 |
24.0
|
オールスターゲーム1972[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[2]
表彰選手[編集]
ドラフト[編集]
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |