Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/山の水族館 20130311

山の水族館 - ノート[編集]

選考終了日時:2013年3月25日 (月) 10:26 (UTC)

  • (自動推薦)2013年2月度の月間新記事賞受賞記事。--まさふゆ会話2013年3月11日 (月) 10:26 (UTC)[返信]
  • 賛成 小さな水族館の記事ですが、丹念に資料を集めることによって、ディテールを表現する手法を用い、水族館や動物園の記述の在り方の一例を示せたかもしれないかも。--べあぱーく(Bearpark)会話2013年3月11日 (月) 16:24 (UTC)[返信]
  • コメント よく調べられており、検証可能性・出典の明記にも配慮されていますが、構成に問題があります。
    • まず「概要」の節が「山の水水族館」のリニューアルにいたるまでの経緯と人気の獲得すべてを網羅する節となってしまっており、「概要」の態をなしていません。この記事は節をつくるほどの長大な概要が必要なほどの量がある記事ではありませんので、現在「概要」とされている節は「沿革」や「来歴」などとして、設立からリニューアル、人気獲得までの歴史を記述する節としてまとめなおすべきです。その上で、1978年に設立、2012年にリニューアルされて人気施設となったことおよび展示内容の概略などを1~2段落程度にまとめた文章を概要文として導入部に記述しなおすのがよいと思います。
    • 雑多な解説になってしまう「その他」のような節はできる限り避けるべきですが、この記事では「その他」のなかにさらに「その他」があるというような形でこの点いかにも未整理な印象を受けます。二行しかないアルビノのイトウについては「イトウの大水槽」の節にリニューアル前の話として組み込めるのではないでしょうか。箇条書きにされているものはいずれもリニューアル時のエピソードですので前述の「沿革」ないし「来歴」節に組み込むか、あるいは水槽に関する話は調整のうえで「施設」の冒頭に小見出しなしでおくとかできると思います。残りの「温泉水」「ライブ」はやや短いですが独立した節でもよいと思います。
    • そのほか、「~とされる」という表現が多いのが気になりました。情報源がしっかり確認できるようなものであればほとんどの場合断定でよいはずです。--頭痛会話2013年3月12日 (火) 11:34 (UTC)[返信]
  • コメント 修正後の記事についてコメントします。
    • 特に沿革の節について言えることなのですが、全体として「現在POV」とでもいうか、今現在の状態を文章・構成の基点にしすぎているのではないかと感じました。百科事典は歴史的事象も現代の事象も等しく扱うものですから「現在こうなっている」ということに特権的な意味を与えるべきではなく、もうちょっと過去も現在も等しく眺め渡せる俯瞰的な視点から記述できると良いと思います。具体的にどこをどう直せということになるとちょっと難しいのですが、たとえば沿革の旧館を扱った部分はもう少し過去形の使用を控えてみてはどうでしょうか。「施設」の節なども、「リニューアル後の施設」の解説をしているのにその点の断りがなく、「現在の施設」を無条件の前提としてしまっています。記事を上から読めばわかることとはいえ、節としては独立しているのですから、リニューアル後のものであるということが文章からわかるようにするべきでしょう。
    • 「 ; 」が見出しの代わりのように使われているところがありますが、これは「 : 」とセットで使うべき箇条書きのマークアップで、小見出しの代用として使うべきではありません。ちゃんとした小見出し(===)にするか、見出しをつけずに前後の文章にまとめるかどちらかにすべきです。
    • 語句の引用などの表現は一重鉤(「」)で統一してください。『』はWPでは原則的に著作物に使用されます(Wikipedia:表記ガイド)。また語句の強調が三箇所ありますが、宣伝的に見えるのでやめたほうが良いと思います。
    • 「概要」の書き方はよくありません。「独自の感性」「センスが光る」というような修辞が必要でしょうか。最初は断ったが若い館員に頼まれて決断したとかも概要に必要な情報ではないと思います。
    • 旧館のセクションとリニューアル後のセクションとで情報との振り分けがうまくいっていないところがあるようです。「旧水族館時代」のセクションの「北海道内に生息する淡水魚のほか、温泉水を利用して熱帯魚を展示する日本でも異色の水族館として知られる」というのはリニューアル後の館にも当てはまるのではないでしょうか。逆に新館のセクションにある「「山の水族館」という名称は「淡水の水族館だから」」というのは旧館にも当てはまるものであるはずです。--頭痛会話2013年3月18日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

反対 具体的な指摘は利用者:頭痛さんの通りだと思いますので、もっと全般的な観点からお話します。誰の文章読本であったか失念しましたが「文章が笑っている」という形容を思い出しました。落語を噺す噺家が自分で自分の話に笑ってしまっている、そういう類の受け手を鼻白ませる文章という意であったかと思いましたが、その種の文章になっていると考えました。「丹念に資料を集めることによって、ディテールを表現する」というのは、ある意味でウィキペディアでは当たり前に要求されていることに過ぎず、「水族館や動物園の記述の在り方の一例」というほどの特異なことが出来ているわけでもないと思います。客観的な第3者の目で徹底的に校正されない限り、良質な記事が…とか云々言う前に普通の文章の質として欠けるところがあると思います。選考を通過する見込みは乏しいと思いますが、記事の品質に関する現状について厳しく認識していただきたいという意味を込めて、反対票を投じます。--ikedat76会話2013年3月18日 (月) 15:27 (UTC)[返信]

コメント「よく分からないので説明してください」と普通に書けばよいのに、なぜこんな(失礼)書き方をするのでしょうか。そういう文章技術がダメです(ざっくり言ってしまえばセンスが無い)。頭痛さんと一部重なりますが、とりわけひどいと思ったのが

  • 「旧水族館時代」最初の一文。体言止をする必然性はどこにありますか。他にも不必要な体言止での分断があります。
  • 「概要」の「独自の感性」「中村のセンスが光る」。
  • 「沿革」。頭痛さんとはやや異なります。新旧を整理できていない、というか、自分の中で理解できているからといって無秩序に垂れ流している結果、山の水族館をそもそも知らない人(そうした人が本来の読者です)にとってごちゃごちゃしてよく分からないという感を与えるものになっています。

その他、いちいち事細かに挙げるときりが無いので止めておきますが、この種のことがらの積み重ねが、書き手が自分で自分に酔っているという印象を読者に与え、人によっては嫌悪感を与えることもありえるでしょう。そもそも論を言いますが、百科事典に求められる文章のスタイルとは異なるものです。百科事典に求められる文章とは「客観的な文章」というのに尽きていて、こういう「書き手が自分で自分に酔」う文章はエッセイならともかく、不適切です。こういう文体の選択も文章に対する評価として与えられるものですから、客観的に自分の文章を校正してください。--ikedat76会話2013年3月18日 (月) 19:35 (UTC)[返信]

積極的に反対とする理由は解消したと思います。それ以上の品質の評価は知識のある方の意見を待ってみたいと思います。--ikedat76会話2013年3月20日 (水) 09:22 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成1票のため見送りとなります。--ぱたごん会話2013年3月25日 (月) 10:32 (UTC)[返信]